増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』は701ページ、2段組の分厚い本ですが、面白さにクイクイと読んでしまいました。
またまたお金について。(カッコは現在の金額)
https://westegg.com/inflation/
昭和26年、ハワイでの柔道大会で木村政彦に勝てば500ドル(4,889.07ドル)の賞金が与えられた。
入場料は1ドル(9.78ドル)席と2ドル席。
1ドルが3000円程度とすると、500ドルは200万円弱だと増田俊也氏は書いています。
木村政彦のサンフランシスコでのファイトマネーは1試合500ドルだった。
入場料は6ドル。
日本円だと18万円で、大卒初任給から換算すると、現在の300万円ぐらいと増田俊也氏は計算します。
昭和30年、勤労者世帯実収入(月)2万9000円、国家公務員初任給8700円、大卒初任給1万1000円、大工手間賃(1日)560円。
平成27年、勤労者世帯実収入(月)52万6000円、国家公務員初任給18万1200円、大卒初任給20万円、大工手間賃(1日)1万9000円。
http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J077.htm
だいたい現在の20倍。
9.78ドルは、1ドル100円として、約1000円。
しかし、当時は1ドル360円ですから、20倍すると1ドルが現在の7200円になります。
1試合500ドル×360円×20=360万円
円安のおかげで、日本は輸出で稼ぎ、日本人がアメリカに出稼ぎして家を建てることができたわけです。
木村政彦は結核になった妻のためにストレプトマイシンを買っては送っていた。
値段は1グラム入り10個で9ドル(88.00ドル)。
そのころ明治製菓が売り出した硫酸ストレプトマイシン明治の製品説明書には、通常成人1日1gを筋肉注射し、はじめの1~3ヵ月は毎日、その後週2日投与するとある。
200g必要だから、1800ドル。
1ドル360円なので、当時の金額は38万8800円。
昭和27年、力道山は手紙に、ホノルルでのプロレスの試合は、リングサイドが2ドル50セント、一般席が1ドル(9.57ドル)と書いている。
選手は1人が平均250ドルもらう。
力道山はハワイで稼いだ金でジャガーを5000ドル(47,838.26ドル)で購入した。
増田俊也氏は、現在の日本円に換算すると3000万円ぐらいと書いています。
それからアメリカ本土に渡るが、力道山のファイトマネーは1試合300ドル(2,870.30ドル)。
木村政彦の500ドルよりも少なかった。
昭和28年、力道山がプロレスの団体を立ち上げるために、興行師の永田貞雄は自分の持つ築地の料亭を1800万円で売り払って資金調達した。
現在なら数十億円相当とのこと。
木村政彦は、力道山とタッグを組んで全国を回ってほしいと頼まれ、1試合10万円のファイトマネーを要求した。
東富士の年収が113万円、千代の山が99万円。
昭和29年、力道山はシャープ兄弟と1人1試合7万円で話をつけた。
200ドルとして、現在の金額は10倍の2000ドル、日本円にして20万円強。
プロレスのテレビ放映権料は、日本テレビが17万円、NHKが25万円で契約した。
どちらもシリーズ放映権料で、1日の値段ではない。
木村政彦・力道山vsシャープ兄弟の試合では、二日目にはリングサイド券に1万円の闇値がついた。
そして、木村政彦と力道山の試合はリングサイドA席が2千円で、そのチケットをダフ屋は2万円でさばいた。
昭和30年、木村政彦と力道山が手打ちをすることになり、木村政彦の怪我の見舞金という名目の手打ち金が300万円。
手打ち式に力道山は手付けとして50万円を持ってきた。
その金額を20倍すると、木村対力道山戦の2万円は現在の40万円、手打ち金300万円は6000万円、50万円は1000万円ということになります。
ほんまかいなという大金です。
八百長試合をするという木村政彦との約束を破ったことを力道山が認めたからこそ、これほどの手打ち金を承知したわけでしょう。