三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

たばこ総合研究センター編『現代社会再考』(1)

2019年02月04日 | 

『現代社会再考』は、健康とリスク、あるいは自由と管理・規制などについての23人の論考。
一般常識に文句をつけるへそ曲がりとも思える論には、なるほどとうなずくものが多々ありました。
いくつか紹介します。

清水雅彦「強まる監視と管理、何が問題なのか」
安心と安全は別概念。
安全は反対語が危険であるように、客観的な概念。
安心は反対語が不安・心配であるように、主観的概念だから、人によって感じ方が違う。
ところが警察は不安感を煽り、安心を追求するように言う。
防犯カメラというが、実際は監視カメラで、実際の機能は犯罪抑止効果よりも犯罪解決効果のほうが高い。

監視強化の背景にあるのは何か。警察には、すべての国民の情報を収集して監視したいという欲求がある。セキュリティー業界は、監視社会化が進めば進むほど儲かるので、マスコミや警察を使って不安感を煽っている。(略)警察、セキュリティー業界、それにマスコミが一体となって今の監視社会がつくられているわけです。

あいさつ運動は不審者の発見のためだそうで、これは知りませんでした。
挨拶を返さなかったら不審者と思われるのでしょうか。

個人情報についてうるさくなっており、マンションの集合ポストに名前を出さない人が多い。
ところが、自ら個人情報を垂れ流している。
クレジットカードやポイントカードなどを使って買い物をすると、どこで何をいつ購入したかという情報が記録される。
携帯電話は位置情報を発信している。
高速道路の料金所を車が通過するたびにナンバーが撮影される。
そうしたことには無頓着。

佐藤卓己「世論に流されず、輿論を担う」
輿論(パブリック・オピニオン) 意見
世論(ポピュラー・センチメンツ) 感情

以前、世論調査は、何週間も前に質問票を送り、あらかじめよく考えてもらい、調査員が足を運んで聞き取りをしていた。
今はコンピューターがランダムに選んだ電話番号に電話をかけ、その場で答えてもらう。
急に質問されて、自分の考えなど言えるはずがない。
昔は2~3000件の回答を集めるのに数千万円かかったが、現在は数百万円ですむ。

JT関係から出版されているので、たばこを吸う自由、喫煙と健康との関係とかを言いたいのだと感じるものもあります。

瀬戸山晃一「法政策について考える」
人にはバイアスがあって、これが正しいとか間違っているとか、合理的な判断をしていると思っていることも、今までの自分の経験だったり、メディアの影響だったり、環境から影響を受けるなどしているから、事実をありのまま受け取らない。

リバタリアン 自由至上主義者。個人の自由を尊重する。規制をしない。アメリカの保守派。
パターナリズム 個人の選択や行動を規制する。
リバタリアン・パターナリズム 選択肢の余地を残して、最終的には本人に自己決定させる。

たばこの喫煙がこれにあたるそうです。
喫煙するかどうかは本人の自己決定だと言われても、受動喫煙とかどうなのかと思います。
リスクについての論考も喫煙とガンのリスクを言いたいように感じます。

宮本太郎「分断社会の処方箋」
1995年は阪神淡路大震災、そして地下鉄サリン事件があった。
そして、単身者世帯が1000万世帯を突破し、共働き世帯が片働き世帯を追い抜き、生産年齢人口が減少した年でもある。
30台前半の男女の未婚率が急激に上昇するのも1995年。
生活を成り立たせている仕組み、その根幹のところが崩壊を始めるターニング・ポイントだった。
それは「新しい社会的リスク(従来の制度が前提としたライフスタイルの転換に起因する想定外のリスクのこと)」の出現を意味する。
それまで典型とされてきた生活の仕組みが変わることによって新たなリスクが生じた。

松永和紀「安全か危険かではなくリスク管理を」
食品に関して、昔は安全だったと考えがちだが、現代は見えている悪いものが、昔は見えなかった。
リスクの要因を科学は見えるようにした。
新しいリスクの要因となりうる技術はきびしく管理され、全体として安全性は向上している。
しかし、すべてにリスクがあり、決してゼロにならない。
科学は必ず不確実性を伴い、100%正しい答えはない。
安全か危険か、白か黒かとはっきり言えない。
たとえば、水道水には放射性物質のリスクがある。
しかし、ミネラルウォーターのヒ素含量などの基準は水道水よりも緩い。
ミネラルウォーターを買うとして、子供を家に置いて買いに出かける、もしくは乳児を抱いてスーパーで長時間並ぶというリスクがある。
何が適切な行動か決めるのは非常に難しい。

佐藤純一「健康言説を解体する」

近代医学は「リスク」に対する考え方が非常にいいかげんです。そもそもリスクというのは、さまざまな要素が相互に関連し合って一体となって初めて「リスク」となるのであって、単一の「リスク」が疾病を引き起こすことはあり得ない。

たばこだけがガンの原因ではないということでしょうか。
健康についての論はもっともと思いました。

健康というのは定義できない。
病気がない状態が健康ではない。
医療技術が発達し、検査精度が細かくなれば、どんどん異常を見つけるようになり、健康な人はいなくなってしまう。
優生学的発想から、日本では1910年代から、障害者が生まれないように中絶を強要し、ハンセン病患者は隔離収容された。
健康増進運動は優生政策が形を変えたもの。

ヘルシズム(健康至上主義)とは、人々が健康の達成を自ら進んで心がけ、実践すること。
何のために健康が大事なのか。
戦前までは、健康でないと生活できない、子供を養うことができないなど、生活のため、よりよく生きるための手段として健康が大事だと答えた。
ところが、戦後は多くの人が「健康それ自体が大事だ」と答える。
これがヘルシズムの特徴。
今のヘルシズムは、誰から強制されるでもなく、自ら進んで実践する。
さらに、健康より大切なものはないと、健康が至上の価値になる。
健康のためなら何でも犠牲にして、健康を追求する。

以前、ある人が「健康でなければ幸せではない」と言ってて、健康でなければ生きている価値がないのか、死んだほうがいいのかと疑問に感じたことを思い出しました。

上杉正幸「現代日本社会における健康の価値再考」
2003年、国民に健康増進を責務として課する「健康増進法」が施行された。
1981年、生活の中での不安として「自分の健康」と「家族の健康」を挙げている人が37%。
2009年では、「老後の生活」が55%、「自分の健康」が49%と増えている。
自分の健康が不安だという人は多いが、現在は「健康」「どちらかといえば健康」と答えた人が85%で、病気を抱えているわけではない。
健康の不安は体感治安の悪化みたいです。
何が健康で、何が異常かがわからなくなっている。
異常がないことが健康だとすると、健康を求めてすべての異常を排除しようとする動きに巻き込まれ、健康不安から逃れることができず、生きる意味、やりたいことが見えなくなる。

もっともです。

コメント
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