三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

内田樹・福島みずほ『「意地悪」化する日本』

2019年02月27日 | 

財務省の文書捏造、失踪した外国人技能実習生調査の集計ミス、厚労省の勤労統計不正など、次々と問題が発覚しています。
ところが、大臣も政治家も官僚も、不祥事や不正がばれたり、どんな失言・暴言をしても、頭を下げておしまい。
なのに、内閣支持率は40%前後を保っています。
働き方改革や入管法改正、カジノ法案などが強引に採決されましたが、一つひとつの法案は反対の人のほうが多いのにもかかわらず。
そんなんだから、国民はどうせすぐ忘れるんだと、政府はなめきっているのか、誰も責任を取らないし、誰も辞めない。

安倍首相が自民党大会で「自衛隊の新規隊員募集に対し、都道府県の6割以上が協力を拒否している」と演説しましたが、岩屋毅防衛相はそれ以上の自治体から情報提供を受けていることを認めました。
どうも日本会議のチラシを鵜呑みにしたらしいですが、意図的に嘘をついたのか、勘違いなのか、資料が間違っていたのか、そこらの検証はなし。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamaguchikazuomi/20190216-00115067/

『「意地悪」化する日本』は2015年の4月から9月にかけて4回行われた対談。
内田樹さんの発言をご紹介します。

僕の知る限り、過去にこんな政治家はいませんでした。嘘をついたり、詭弁を弄したり、人を侮ったりするという行為を意図的に行って政治的基盤をより強固にしてゆくという政治家は前代未聞じゃないですか。

ボロクソですが、実際、国会審議を見てたら、質問とは関係のないことを長々話す、突っ込まれたらムキになる、キレる、質問にヤジを飛ばす……。
こんなのを見ても支持する人の気が知れません。

個別の政策は支持しないが、内閣は支持するというのは、この支持者たちが政策ではなくて、安倍晋三というキャラクターに対して「何か」を期待しているということだと思うんです。彼の中の「何か」が有権者たちにアピールしている。

https://news.yahoo.co.jp/byline/yamaguchikazuomi/20190216-00115067/
「何か」とは何でしょうか。

安倍晋三首相や橋下徹市長(当時)は「常識が通用しない人」。

二人(安倍首相と橋下徹氏)とも、幼児的で攻撃的で不寛容、中学生的基準での「悪い子」なんです。食言をいとわない点もよく似ている。あの人たち、首尾一貫性を維持しなければ自分の知的誠実さが疑われると思っていない。言葉なんか、ただのその場しのぎでいいんだと思っている。

総理大臣も市長も、平気で嘘をつく。呼吸をするように嘘をつく。あまりに嘘をつき続けるので、検証が追いつかない。

安倍さんや橋下さんは、別に言うことに首尾一貫性がないと指摘されても痛くもかゆくもない。

たぶん三カ月後に聞いても覚えていないですよ。安倍さんは、彼は確信犯的に首尾一貫性のないことを言っているんですから。論理的整合性がないということをいくら指摘しても、気にならない。(略)
たぶん安倍さんにとっては、言った言葉のもたらす政治的効果だけが問題で、真偽には関心がないんです。「まったく問題ありません」と言い切って、それでその場がおさまるなら、そのあとどれほど問題が噴出してきても興味はない。その問題はまたそのときに適当な嘘を言えばおさまると思っているから。

平気で嘘をつく人は誰からも相手にされなくなるのが普通なのだが、今の日本はそうではなくなっている。

彼ら(安倍、橋下、石原慎太郎)は嘘でも平気で断定する。そうすると聴くほうはこれほど自信たっぷりに言うからには何か自分たちの知らない根拠があるんだろうと、つい気後れしてしまう。

こういう人とはまともな議論できない。

嘘をついても、データをごまかしても、前後に言うことに矛盾があっても、とにかく相手を黙らせば「勝った」と思っているような相手とは議論にならない。この二人は異論と対話する気がない点ではほんとうによく似ています。

彼らのような確信犯的な反知性主義者たちを前にすると、ロジカルに語ること、エビデンスのないことは断定しないこと、できるだけ相手に理解してもらえるように情理を尽くして語ること、そういったことを対話の基本ルールだと思ってきた人たちは勝負にならないんです(略)。「自分だけがしゃべって、相手には話させない」「質問には答えない」「自説の論拠として嘘のデータをあげる」「自分がほんとうに思っていることは言わない」ということを基本戦略とする人が相手では対話の成り立ちようがない。

そして、こう思う人が出てくる。

この「どうしても対話が成り立たず、あっけにとられている」人の困惑ぶりを見て、「論破された」とか「一蹴された」とかいうふうに判断する人もいる。

日本人の感性が変わったのかもしれない。

今では政治家には一般人と同等の徳性しか要求されない。むしろ、一般人以下的に不道徳である人間のほうが、場合によっては「親しみが持てる」として高く評価されたりする。
公人に対するこの期待の変化、自分たちを統治する人間に特段の教養も見識も人格も求めないという人心の変化が、こういう政治家たちを権力の座に押し上げたんだと思います。
彼らは平気で嘘をつき、口汚く人の罵倒し、自分の権力を利用して個人的な恨みを晴らすといったことを「当然のこと」としてどんどん実践した。そして、その「ルール破り」が橋下徹をいっそう人気者にした。安倍さんは橋下さんのこの成功例を学んだのだと思います。

国会をも軽視している。

安倍さんには、自分が何をしたいのかを情理を尽くして伝えたいという気持ちはない。にもかかわらずというか、それゆえに、政治的には成功している。彼があれだけ国会を愚弄して、何の論理性もない滅茶苦茶な答弁をしていても、それが総理大臣の答弁として通用してしまうという事実そのものが、立法府がもはや国権の最高機関ではないということを満天下に周知させているからです。

国会軽視の一例が、安倍首相は立法者ではないにもかかわらず、アメリカの議会で「夏までには法案を成立させます」と、国会に上程してもいない法案の制定を約束するという、自分が法の制定者であるかのような発言をしたことです。

法の制定者と法の執行者が同一である政体を「独裁」と呼びます。その定義に従えば、国会への法案上程に先立って制定を既成事実であるかのように語ったとき、安倍首相は「独裁」を宣言したことになります。
その後実際に安倍総理は、法の制定者たる国会にはもう立法者としての実力がないことを、あらゆる手段を尽くして国民に周知徹底させ、それに成功しました。

どうして与党の議員が反発しないのか不思議です。

本来であれば、一度口にしたことはそのあと人間を拘束する。それが人倫の基礎だと思うんです。みんなが平気で前言を翻し続けていたら、人間社会は成り立ちませんよ。特に頽廃を感じるのは、平然と約束を破り、嘘をつく人たちが、そういうことをしても処罰されないというという事実そのものを彼らの権力の確かさの証拠として誇示していることです。一度権力の座についた人間は「どれほどルール違反をしても罰されない」ということを、彼らは彼らの言動を通じて日々アナウンスしている。
権力というのは、ただ権力があるというだけでは機能しないんです。理不尽な行動をしても誰もそれを制したり処罰したりすることができないという事実によって初めて人々は「この人は権力者だ」と理解する。


実際、何をしようが支持率は下がらないし、議席も減らない。
内田樹さんは「こんな不条理なこと、いつまでも続かないですよ。盛者必衰の理です。安倍さんはいくら何でも図に乗りすぎです」と言い、シールズの活動を例に上げ、若者たちや母親たちに期待しています。

しかし、2016年の参議院選挙では若い世代の多くが自民党に投票しました。
今も若い世代の安倍政権支持率は高いです。
https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2018121100002.html
もしも戦争になったら自分たちが戦場に行くかもしれないことがわかっているのかと思います。

内田樹さんは、安倍首相は戦後の対米従属を否定して、大日本帝国と同じような国家に作り直そうと思っていると言ってますが、それはどうでしょうか。
トランプ大統領のご機嫌を取ってばかりで、トランプに頼まれてノーベル平和賞に推薦しています。
このごろはプーチン大統領にも何も言えない(言わない)ようです。

「忖度」という言葉がこの対談に何度も出てきます。
森友・加計問題で話題になる以前から官僚は忖度しているわけです。

この本が出版されてから3年以上経ちましたが、ひどくなっています。
安倍政権・自民党に不満を持つ人も自民党に投票します。
自民党政権が続く限り、このやりたい放題の政治状況は変わりようがないのだから、少しでも変えなければと思うのなら、与党以外の政党に投票して議席を減らすべきだと思うのですが。

アマゾンのレビューを見ますと、☆1つは福島みずほさんへの非難ばかりで、内田樹さんの安倍評価には触れていません。
☆1つの人でも安倍首相は嘘つきだと思ってるんでしょうか。

コメント (13)
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