2018年1月25日、高橋克也さんの刑が確定し、オウム真理教事件の裁判が終結しました。
そして、半年後の7月6日と7月26日に13人の死刑囚が処刑されました。
逃亡していた高橋克也、平田信、菊地直子の3名が逮捕されるや、死刑執行までの具体的な日程が検討されたのだと私は思っていました。
というのも、2017年に再審請求中の死刑囚3人が死刑執行をされていますが、このことについて安田好弘弁護士が「昨年の3人の死刑執行は今年のオウム死刑執行を射程距離において、再審請求しているオウムの人たちを執行できるための地ならしとしか思えません」(「FORUM90」VOL.160)と語っているからです。
しかし、アンソニー・トゥー『サリン事件死刑囚 中川智正との対話』によると、もっと早い時点で執行の準備がなされていたようです。
アンソニー・トゥー氏は1930年生まれ、毒性学および生物兵器・化学兵器の専門家です。
中川智正さんとは拘置所で15回ほど会っています。
2011年11月21日、遠藤誠一の死刑が確定した。
毎日新聞の記者から、法務省は13人のオウムの死刑囚の死刑を2012年の初めに執行する予定だったと聞いた。
そのため2012年3月に、東京拘置所にいる13人のオウムの死刑囚を絞首刑の設備がある7つの拘置所に移送する予定だった。
しかし、執行しようとしていた矢先、2011年12月31日、平田信が警察に自首したので、死刑執行ができなくなった。
共犯の裁判が終わるまでは死刑は執行できないからである。
トゥー氏の推測が正しければ、オウム真理教事件が審理されているころから、執行の日程が考えられていたのでしょう。
このように言い切るからには、トゥー氏には情報がどこかから入っていたのでしょう。
2018年1月、高橋克也は最高裁によって無期懲役が確定した。
トゥー氏は3月に訪日することにしていた。
中川氏はこう言った。
翌14日に中川は広島拘置所に移動した。
どうして中川智正さんは移送が近いことを知っていたのでしょうか。
トゥー氏によると、死刑囚は自分の将来や仲間の消息については案外詳しい。
弁護士を通じてほとんど誰とでもやり取りすることができる。
獄中ではパソコンは使えないので、書いたものを弁護士に渡し、弁護士がメールをする。
そして、他の人の弁護士が代理でタイプしたものが送られてくる。
このようにトゥー氏は書いています。
しかし、早川紀代秀さんはこのように書いています。
夕方の点検が終わってしばらくしたころ、ちょうどリンゴを食べようとしていたやさきに、突然数人が来られて「移送」と告げられ、即房内の荷物全部、ダンボール箱詰めです。入れ終わったものはすべて持って行かれ、後には、お茶もコップもなく、もちろんリンゴは食べそこねて、がらんとした房内で一夜をすごしました。
行き先を尋ねても教えてもらえなかったので、「ひょっとしたら明朝執行か??」と思いつつ寝ました。(『年報死刑廃止2018』)
死刑囚の弁護士だって、いつ移送されるかは知らないでしょうし、まして執行がいつあるかはわかりません。
安田好弘「13人死刑執行という大量虐殺」(『年報死刑廃止2018』)にこうあります。
当の処刑される人たちには、この段階でもまったく知らされていない、ましてや、家族に対しても、また再審弁護人に対しても知らされない。
それと、新実智光さんの妻のメッセージに、7月6日、面会に行ったが会わせてもらえなかった、執行されたと悟った、支援者に電話をすると、昨日の夜にアレフ支部にマスコミがきていたらしい、とあります。
法務省はマスコミにはそれとなく知らせているようです。
死刑囚本人やその家族たちには黙ったままなのに。
おかしな話です。