村上春樹氏はオウム真理教死刑囚の大量処刑について、「胸の中の鈍いおもり 事件終わっていない オウム13人死刑執行」を書いており、その中でこんな文章があります。
ただ、遺族感情というのはなかなかむずかしい問題だ。たとえば妻と子供を殺された夫が証言台に立って、「この犯人が憎くてたまらない。一度の死刑じゃ足りない。何度でも死刑にしてほしい」と涙ながらに訴えたとする。裁判員の判断はおそらく死刑判決の方向にいくらか傾くだろう。それに反して、同じ夫が「この犯人は自分の手で絞め殺してやりたいくらい憎い。憎くてたまらない。しかし私はもうこれ以上人が死ぬのを目にしたくはない。だから死刑判決は避けてほしい」と訴えたとすれば、裁判員はおそらく死刑判決ではない方向にいくらか傾くだろう。そのように「遺族感情」で一人の人間の命が左右されるというのは、果たして公正なことだろうか? 僕としてはその部分がどうしても割り切れないでいる。みなさんはどのようにお考えになるだろう?
https://mainichi.jp/articles/20180729/ddm/003/040/004000c
たしかにオウム真理教事件の判決は公正とはいえません。
アンソニー・トゥー『サリン事件死刑囚 中川智正との対話』も不公平さを指摘しています。
山形明 VX事件の実行犯。被害者が死亡したが、自首して懲役20年。
林郁夫 地下鉄サリン事件実行犯で2人が死んでいる。教団で果たした役割も大きかった。逮捕されると、すぐに全部しゃべり、警察の罪状糾明に役に立ったので無期懲役。
中川智正氏の弁護士「林はたくさん警察に真実を述べたと言っているが、でたらめなこともしゃべっている」
ところが、自首した人、人を殺していない人が死刑になっています。
岡崎一明 田口事件と坂本弁護士一家殺人事件の実行犯の1人。自首したが、自首が遅すぎるという理由で死刑。
横山真人 地下鉄サリン事件実行犯だが、死者はいないのに死刑。
中川「林郁夫さんが極めて話すのが上手なのに対して、横山君はひどく口下手でした。横山君が林郁夫さんのようなコミュニケーション能力があれば、死刑にはならなかったかも知れません」
土谷正実 サリンを製造したが、何に使われるのか知らなかった。
中川「土谷君は、一連の事件の首謀者ではなく、しかも化学兵器の使用にも直接関わっていないのですが、死刑判決でした」
松本サリン事件では「何に使われるか知らなかった」ので殺人幇助罪とされたが、地下鉄サリン事件でも知らなかったのに、殺意があったとして殺人罪に問われて死刑になった。
井上嘉浩 謀議に加わったが殺人はしていない。
これら死刑になった人たちは、山形明・林郁夫の2人と比べて罪が重いのでしょうか。
村上春樹氏はこんなことも言っています。
裁判官や弁護士に当たり外れがあるわけですが、死刑かどうかが決まるわけですから、運不運ではすみません。
では、麻原彰晃だったら死刑にしてもいいのでしょうか。
地下鉄サリン事件当時、東京地検刑事部副部長だった神垣清水氏はこう語っています。
アンソニー・トゥー氏と高橋シズヱさんのやりとり。
高橋シズヱさん「いいえ、一番恨んでいるのは警察です」
トゥー「それはなぜですか」
高橋「坂本事件のときも、上九一色村の施設建設のときも、警察への訴えはみな無視された。もしあのとき警察が行動を起こしていたら、地下鉄事件も起こらず、主人がなくなることもなかったのです」
そうか、と思いました。