三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

黒川清『規制の虜』

2018年09月30日 | 

福島原発事故の原因調査のため国会に事故調査委員会が設置されました。
この事故調査委員会について書かれたのが、事故調査委員会の委員長だった黒川清氏の『規制の虜』です。
行政府から独立し、国政調査権を背景に法的調査権を付与された、民間人からなる調査委員会が設置されたのは、日本の憲政史上初めてのことだそうです。

2012年に国会に提出した報告書では、福島原発事故は地震と津波による自然災害ではなく、「規制の虜」に陥った「人災」であると結論づけています。
「規制の虜」とは、規制する側が、規制される側(東京電力などの電力会社)に取り込まれ、本来の役割を果たさなくなってしまうこと。
その結果、日本の原発はシビアアクシデント(過酷事故)は起こらないという虚構が罷り通ることになった。

たとえば、2001年のアメリカの同時多発テロの後、ジャンボジェット機が原発に突っ込んできたらどうなるかについて、アメリカやフランスなどでは真剣に論じられ、アメリカは日本の原子力規制機関に防御策を2度も伝えたが、日本は何の対策も取らなかった。

また、日本が国際原子力機関の指摘する深層防護(原子力施設の安全対策を多段的に設ける考え方)をしていなかった。
国会事故調査委員会でも7つの提言をしているが、国会では実施計画の討議すら満足に行われていない。
シビアアクシデントは大規模自然災害だけでなく、テロなどの人為的事象によっても起こり得る。

しかし、日本はあれだけの大事故を起こしたにもかかわらず、シビアアクシデント対策もないまま「原発回帰」に向けて走り出している(略)。対策が不十分であることは知られている。しかし安倍内閣は、原発がテロ攻撃にさらされた場合の確たる「想定」もなく、「外に向かって打って出る」ことに張り切っている。
危機意識に欠けた日本に、世界は首を傾げている。実際に、私はいろいろな人に言われた。「日本のやっていることは不可解なままだね」と。外からはそう思われているのである。


あれだけ大きな被害を出したのに、原発の再稼働差し止め訴訟は原告の主張が認められず棄却されます。
差し止め判決を出した裁判長は左遷されるのですから、どうしようもありません。
https://lite-ra.com/2018/03/14.html

それどころか、原発を新たに新設しようという動きすらあります。
産経新聞は「正論」で「政府の中長期的なエネルギー政策の指針となる「エネルギー基本計画」の改定案がまとまった。2030年度を目標とする電源構成目標を基本計画に盛り込み、その確実な実現に向けて取り組みを強化するとした。(略)だが、改定案が原発の新増設や建て替え(リプレース)などの必要性に踏み込まなかったのは、いかにも物足りない」などと主張しています。(2018年5月17日)
https://www.sankei.com/life/news/180517/lif1805170001-n1.html
「日本のやっていることは不可解」と言われるのももっともです。

そして、黒川清氏はこのように言います。

日本で「エリート」と呼ばれる責任ある立場の人たちには、目に余るような責任回避の姿勢が少なくない。参考人質疑でも、しばしば見受けられた。

広瀬研吉氏(内閣府参与)
野村修也委員がいくつもの質問をしたが、広瀬氏の答えは要領を得ない。
たとえば、2006年の原子力防災指針の国際基準の変更に関して、原子力安全・保安院から原子力安全委員会に申し入れ書が出された。
申し入れ書の趣旨は、新たな原子力防災指針の検討を行うことは、原子力安全に対する国民の不安や財政負担を増大する可能性があるため、検討を凍結していただきたいというもので、こうした申し入れは本来してはいけない。
野村「これは当然、院長(広瀬氏のこと)決裁が出た文書だろう」
広瀬「決裁を出したか、記憶にない」
野村「この文書を出すにあたって、部下から説明を受けているか」
広瀬「記憶にない」
野村「議事録、見られますか? 熱心にレクを受けられていると思いますが。こんな大事なことを、院長の決裁なしに出すのはあり得ない」
しかし広瀬氏は、「原子力の安全というのは地元の理解が極めて重要で……」「国と地元が一体となって地に足のついた……」などと繰り返すばかりだった」

深野弘行氏(原子力安全・保安院長)
深野氏は立て板に水で喋り続けたが、その論旨は要領を得ないことが多かった。
同じような答えと質問が延々と繰り返されていくので、業を煮やした黒川清氏は質問をぶつけた。
「あなたが保安院長としてやるべきなのは、政治判断ではありません。30項目をやらなければいけないと、なぜ、はっきり政治家に言わなかったのですか」
すると、深野氏は、一瞬、口ごもり、結局、質問に明確に答えることはなかった。
答えることがないということは、原子力安全・保安院が政治家からも事業者からも独立した規制機関ではないことを、暗に認めたことになる。

勝俣恒久氏(東電取締役会長)
勝俣氏で最も印象に残ったのは、当事者意識の欠如と責任回避の姿勢である。
「安全に配慮したつもり」など、「~だったつもり」という発言が6回あり、「それは社長の……」という発言は10回を数えた。

松永和夫(経産省事務次官)
2004年、スマトラ沖大地震では、インドの原発が津波に襲われ、原子炉が一時停止した。
当時、松永氏は原子力安全・保安院長だった。
田中三彦委員「インドネシアでアチェ津波があった。あの時、あなたは何をしたのか。大地震と大津波が起きていたから、インドの原子炉がどうなったかと、すぐにピンと来たのでは?」
松永「ちょっと記憶にない」
そのうち思い出したようで、
松永「あの時は、美浜原発の事故対応にかかりきりだった」
野村修也委員「インドの原発がどうなったか、部下に聞けばいいだけの話ではないか。憶えていないのか?」
松永「ちょっと思い出しました」
アチェ津波の話に限らず、松永氏の答弁は極めて曖昧なものだった。

国会での森友・加計問題をめぐる質問に、官僚たちがウソをついていました。
しかし、何らおとがめなし。
『規制の虜』を読むと、官僚の言い逃れ、虚偽答弁、無責任さは森友・加計問題だけではないようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする