週刊金曜日編『検証産経新聞報道』によると、産経新聞の2017年3月期連結決算では、売り上げが10年間で4割も減っています。
上半期は営業利益、経常利益、中間純利益はいずれも赤字。
フジ系列局の保有株式を売却することで何とか取り繕った。
産経新聞単体では、2017年3月期決算は、売上高が前期比3.1%減、営業利益は前期比88.7%減、経常利益は前期比79.8%減。
フジテレビが業績不振なので、産経新聞への援助が減っている。
産経新聞は社債を発行するようになり、借金を返すためにまた借金をするという自転車操業状態に陥っている。
地方の支局からほとんど撤退しており、九州は福岡県北部に最近進出した程度だし、北海道、石川・福井、山陰などではほとんど存在感がない。
全国紙最低の労働条件、最低の賃金という状況。
何年前かはわかりませんが、「産経新聞」の部長クラスで年収800万円、フジテレビ系列の関西テレビは1500万円だったそうです。
他の新聞社の給料が高いのは、基本給と同額ぐらいの残業手当が出るから。
しかし、産経新聞は取材費はほとんどないし、夜回りや朝駆けはサービス残業になる。
産経新聞は「北海タイムス」化(増田俊也『北海タイムス物語』)しているわけです。
おまけに、読売新聞が「財界の機関紙」になっているので、産経新聞の利用価値が薄れている。
販売部数は朝刊が約160万部、夕刊は約47万部(東京本社は夕刊をやめている)。
ブロック紙の中日新聞グループ(東京新聞などを含む)が朝刊約309万部、夕刊約60万部だから、それより少ない。
そういう状態なのに、ネット上では産経新聞の影響力は大きいように思います。
さて、産経新聞は2014年4月からスタートさせた「歴史戦」シリーズで、「戦後の日本は相手の宣伝工作に有効な反撃を加えるどころか、自ら進んでそのわなにはまってきた。その象徴が強制連行を示す文書・資料も日本側証言もないまま「強制性」を認定した河野談話だ。世界に日本政府が公式に強制連行を認めたと誤解され、既成事実化してしまった」と、河野談話を批判しました。
http://www.sankei.com/politics/news/140401/plt1404010025-n2.html
1993年8月5日、全国紙はそろって河野談話を一面で報じた。
見出しは以下の通り。
朝日新聞「慰安婦「強制」認め謝罪」
読売新聞「政府、強制連行を謝罪」
産経新聞「強制連行認める」
河野談話には「強制性」という単語は用いられても、「強制連行」という単語はないのに、河野談話と「強制連行」を結びつける報道をしたのは、朝日新聞をバッシングした読売新聞、産経新聞だった。
産経新聞も人身取引や就業詐欺で慰安婦にされた女性が多かったことは認めている。
しかし、それは民間業者が行なったことで、政府には責任がないというわけである。
慰安所は軍の発意により、軍の施設として設置されたもので、慰安婦がどうやって集められたかは知らなかった、ではすまない。
南京事件や慰安婦問題の記憶遺産への登録申請を「ユネスコの政治利用」と非難している一方、シベリア抑留関連資料の登録は正当化する。
戦争における被害体験を記憶することに反対しているわけではないが、日本の加害については反日の策謀だと決めつける。
ダブル・スタンダードである。
「歴史戦」では植村隆元朝日新聞記者も非難していますが、それに対する植村隆氏の反論が『検証産経新聞報道』に載っています。
1991年8月14日、慰安婦だったと最初に名乗り出た金学順さんの記者会見があった。
阿比留瑠比編集委員は「産経新聞」2012年8月30日付のコラムに、「1991年8月11日付の朝日新聞に、植村隆記者が「従軍慰安婦」を名乗る韓国人女性の記事を書いたことが始まりです。あたかも日本軍に強制連行されたかのように紹介して慰安婦問題を捏造しました。今日の日韓関係の惨状を招いた植村記者は今、どう思っているのでしょうか」と書いている。
久保田るり子編集委員も「朝日が最も検証すべきは、1991年夏の「初めて慰安婦名乗り出る」と報じた植村隆・元記者の大誤報だ。記事は挺身隊と慰安婦を混同、慰安婦の強制連行を印象付けた。しかも義父にキーセンとして売られていたことを書かずに事実をゆがめたからだ」と非難している。(2014年8月10日)
しかし、植村隆氏は金学順さんの記事に「挺身隊としてだまされて連行」とか「強制連行」とは書いていないし、植村隆氏の記事は韓国では転電されていない。
実は、産経新聞も「強制連行」という言葉を使っている。
金学順さんの大阪での記者会見の記事(1991年9月12月7日付)「金さんは十七歳の時、日本軍に強制的に連行され、中国の前線で、軍人の相手をする慰安婦として働かされた」
河野談話を受けて金学順さんに電話取材した「人生問い実名裁判」(1993年8月31日付)「金さんは日本軍の目を逃れるため、養父と義姉の三人で暮らしていた中国・北京で強制連行された。十七歳の時だ」とあり、「従軍慰安婦」というメモでは「戦時中、強制連行などで兵士の性欲処理のために従事させられた女性」
1993年2月16日、オーストラリアの経済学者ジョージ・ヒックス氏の「日本はいつまでも慰安婦になるよう強制したことはないと言い張り、元慰安婦への補償を拒んでいると、隣人たちとの苦い歴史が安らぐときがないことを自覚すべきではないか」というコラムを掲載している。
産経新聞には挺身隊と慰安婦とを混同した記事もあります。
1991年9月3日付「第二次世界大戦中「挺身隊」の名のもとに、従軍慰安婦として戦場にかりだされた朝鮮人女性たちの問題を考えようという集い」
1991年10月25日付「日中戦争から太平洋戦争のさなか、「女子挺身隊」の名で、戦場に赴いた朝鮮人従軍慰安婦」
「産経抄」(2015年1月10日)に「植村氏も小紙などの取材から逃げ回ったのはなぜか。挺身隊と慰安婦を混同したことへの謝罪がないのはなぜか」とあるが、産経新聞は植村隆氏に取材の依頼はしていない。
2015年7月21日に産経新聞から植村隆氏に取材の申し込みがあり、7月30日にインタビューが行われた。
この取材はネットで読むことができます。
http://www.sankei.com/premium/news/150829/prm1508290007-n1.html
植村隆氏は、阿比留瑠比編集委員と原川貴郎記者に、「日本軍に強制的に連行され」などと書いている産経新聞の記事を見せます。
2人とも産経新聞が過去にこうした記事を書いていたことを知りませんでした。
http://www.sankei.com/premium/news/150830/prm1508300009-n4.html
また、「慰安婦」に直接取材したこともないと答えています。
植村隆氏は2015年10月16日に産経新聞へ、慰安婦報道に関する非難について6項目の質問を送ります。
その回答は「お答えできません」をくり返すだけだったそうです。