石橋湛山は1884年(明治17年)生まれ、1911年(明治44年)に東洋経済新報社に入社、1924年(大正13年)主幹になります。
増田弘『石橋湛山』によって、石橋湛山は戦争についてどんな考えを持っていたかを見てみると、先見の明があったことに驚きます。
1905年、早大生だった石橋湛山は、日露戦争の従軍布教師として満州に派遣されていた養父に送った手紙に、「従軍布教なるものに何等の意味をも発見し能はず」と、国に命を捧げることを美徳とする風潮を批判しています。
東洋経済新報社は「小日本主義」を提唱し、領土拡張や保護政策に反対でした。
石橋湛山は東洋経済新報社に入社してまもなくの1912年9月(明治45年・大正元年)には、
と書いています。
・アメリカの日本移民排斥問題
1913年、カリフォルニア州で「排日土地法」が成立し、日本政府は抗議、メディアはアメリカを攻撃した。
ところが、湛山は日本の対米移民の必要性を否定した。
アメリカの排日運動は理屈ではなく、人種の相違に基づく〝感情〟問題である。
この問題は日米二国間だけでなく、一般的問題だから、受け入れるアメリカ側の立場も考慮すべきである。
当時の常識とされた人口過剰に伴う移民必要論を斥け、相手側の感情を害する移民奨励に警鐘を鳴らした。
1919年の国際連盟規約委員会で日本代表は、アメリカやカナダなどで日本移民が差別されている現状を捉え、「人種差別待遇撤廃」を提言したが、湛山はその非を論じる。
人種差別待遇の撤去に異議はないが、「差別待遇を、我国自身が内外に対して行い居る」ことを忘れてはならないと強調し、中国人労働者への入国差別、台湾人や朝鮮人への内地入国や土地所有などに対する差別を挙げる。
そのような差別をしている日本人が白色人種の有色人種に対する差別待遇の廃止を訴えたところで、何の権威があろうと皮肉っている。
・第一次世界大戦
第一次世界大戦の日本参戦は我が国の利益にならないと、反対を唱えた。
第一次世界大戦の終結後は、ドイツの利権を奪うことを批判した。
湛山は帝国主義的な利権獲得政策はもはや時勢に合致しないと、帝国主義の限界を説いた。
ベルサイユ条約の内容について、戦勝国のドイツに対する領土割譲、軍備制限、賠償金請求が不公平、苛酷だと論じた。
シベリア出兵の意義を認めず、早期撤退と、ソビエト政権の即時承認を求めた。
十個師団の駐兵は月々数千万円の軍費に加え、輸送に多数の艦船を必要とし、金利は暴騰して有価証券は暴落すると、軍事的、経済的見地からも批判した。
・中国、朝鮮
1915年(大正4年)、中国に対する二十一カ条要求にも反対し、中国の反日感情が勃興し、これに日本側が反発することで日中関係が緊迫すると説いた。
国内外での中国人や朝鮮人差別に対しても厳しく批判した。
1919年の、朝鮮独立を求める三・一運動について、朝鮮民族が独立を回復するまで抵抗を止めないと予想し、朝鮮の独立を認めるべきであると主張した。
・満州問題、中国での利権
1910年代初頭以来、小日本主義を提唱し、満州放棄と植民地全廃論を掲げてきたが、石橋湛山は1920年代に満州放棄論を論じている。
満州は中国領土の一部であり、中国人を主権者とする外国の地である。
満州を併合しようとすることは、対日感情を激化させ、諸外国から非難を被ることになる。
また、日本が植民地を領有しても、期待するほどの利益を日本にもたらさない。
日本は海外領土を持つだけの国内資本に恵まれていない上に、植民地領有は軍事支出を増し、国家財政を圧迫する。
ところが、日本では「戦争は儲かるもの」「領土や賠償金を獲得できるもの」という戦争観に固執している。
そのような帝国主義路線は、日中関係ばかりでなく、日本の国際的孤立をもたらし、日米間の軍拡競争を復活させ、日米開戦という最悪のシナリオを予感させる。
満州や山東その他の在中国利権を日本がすべて放棄して開放するよう主張した。
1921年のワシントン会議に向け、軍備撤廃論を提言した。
対米戦争を避けるためには、日本が全植民地を放棄し、日米両国が軍備を撤廃し、日米が協力してイギリス勢力を極東から排除すべきだと説いた。
満州事変、満州国建国も批判している。
・日独伊三国軍事同盟
自由主義・個人主義の思想を擁護し、全体主義の思想を斥けた石橋湛山は、日本外交は対独伊接近策ではなく、米英両国との関係改善策に重点を置くべきであり、それが現状打開につながると主張した。
ドイツに媚びる日本の態度は「卑屈で正視に堪えぬ」と批判。
石橋湛山は戦時中も所信を貫いており、非戦論がぶれることはありませんでした。
よく逮捕されなかったものです。
1956年(昭和31年)に首相に指名された石橋湛山が閣僚名簿を昭和天皇に内奏すると、天皇は「どうして岸を外務大臣にしたか。彼は先般の戦争に於て責任がある。その重大さは東条以上であると自分は思う」と発言した。
脳血栓で2カ月で退陣しますが、任期を全うしていたら、岸信介とは政策、特に対米、対中政策は大きく違ってたでしょう。
残念至極です。
石橋湛山の主張は今こそ耳を傾けなければいけないと、『石橋湛山』を読んで思いました。