山下博司『古代インドの思想 自然・文明・宗教』は、古代インドの思想について難しいことが書かれてあるのかと思ってたら、自然環境や気候によって文化・宗教がどのように展開していくか、古代インド思想の背景的事情について書かれており、興味深かったです。
まず、アーリア人のインド侵入について。
8000~5000年前、地球は高温期で、現在よりも気温が2~4度高く、サハラ砂漠は緑化し、インドも森林に覆われていた。
5000年前に高温期が終わり、次第に寒冷、乾燥化していった。
3500年前(BC1500)にアーリア人がインドのパンジャブ(インダス川上流)に侵入した。
そして東に移動したが、アーリア人が入ってくる以前のガンジス河流域はジャングルだったので、耕作地を拡大して、少しずつ前進していった。
アーリア人がガンジス川上流域に進出したのがBC1000年ごろで、ガンジス河中流域がBC800~500年ごろ。
マガダ国は先住民の国だったらしいし、釈迦族もモンゴロイドだという説がある。
ガンジス川中流域への進出は、釈尊が生まれたちょっと前ということになると、釈尊が生きていたころ、ガンジス河全域をアーリア人が支配していたわけではないわけです。
BC6世紀ごろ、ガンジス河流域に大きな社会変容が生じた。
農業生産力が高まり、余剰農産物が出回り、農産物の取引が盛んになり、貨幣経済が興り、金持ちが現れ、都市が勃興し、商工業が活況を呈するようになった。
生産活動に従事しない修行者が現れるためには、社会全般に経済的余裕がなければならないが、その余裕があった。
職業に流動性が生じ、身分秩序が緩み、バラモンの地位やバラモン教の権威が低下した。
その反面、既成概念を脱した自由な思想が顕在化し、インド人の世界観、人生観が大きく転換した。
マックス・ヴェーバーは「この時代のガンジス河中流域は思想や表現の自由を最大限に認められた、人類史上稀に見る事例」と評している。
やがて4世紀ごろから都市が衰退するとともに、都市型の宗教である仏教は衰える。
サンガ(仏教教団)は俗世間と接触を保つ必要がある。
なぜかというと、生産活動をしないのだから、托鉢で食料を確保しなければいけない。
そして、子供をもうけて後継者を作ることはできないので、サンガのメンバーを補充するために新しく出家する人を勧誘しないといけない。
そのためには布教活動をする必要がある。
そういうことで、都市の衰退とともに仏教も衰えていったのである。
もう一つ驚いたのが、中緯度地方と低緯度地方との違いです。
自然に恵まれ、生産活動に明け暮れせずに食料を得ることができたインドでは、ヨーロッパのプロテスタントのような、勤勉を尊び蓄財を奨励する職業倫理は現れなかったとそうです。
生産能力や解決能力は一見して良いこと、当然のこととして捉えられがちだが、そうした考えは中緯度に住むものの特殊な思考に過ぎない。
ものを作り出したり問題を解決したりする行為や姿勢は、中緯度に暮らす人々がもっとも得意とするところである。
しかし、低緯度地方は自然がより豊かなこともあり、常夏の気候条件のもと心の緊張がほぐれ、ややもすれば労働意欲が削がれがちである。
エチオピアでは仕事をしないことのほうが善なのである。
タイでも、まじめな努力家より、極端にいえばズルをしてでも楽に成果をあげる者のほうが「賢い」と見なされる。
インドでも、暑さや渇きの厳しく、乾期では日陰でも40度を突破し、内陸では50度にまで達する。木々の葉は落ちて、木陰でもほとんど日陰ができない。
ものごとを積極的におこなおうとすると、苦痛や困難を免れない。
そういうこともあり、はるか昔から、労働や生産にかかわる倫理よりも分配をめぐる道徳が強調されてきた。
勤勉よりも気前のよさが求められ、布施や喜捨の功徳が讃えられる。
所有や蓄財は悪であり、分配や放棄が善であるとされ、ものを手放す度合いで人間の価値が測られる。
マッソン=ウルセルは「インド人は誰でも快楽主義者と苦行主義者の二面性を内包している」と言っているそうです。
インドの精神文化では「行為」はあまり積極的・肯定的な意義をもっていない。
むしろ、「行為をやめること」が絶大な哲学的・宗教的価値を帯びる。
たとえ良いおこないであっても、「行為」である以上、輪廻という厄介な結果を導く。
良いおこない(善業)も、悪いおこない(悪業)も、魂を縛る鎖であることに変わりないからである。
したがって、解脱、すなわち輪廻からの脱却を実現するためには、できる限り「行為」そのものを慎まなければならない。
逆説的だが、インドの宗教における「行」とは、極論すれば、何かを「おこなうこと」ではなく、何も「おこなわないこと」なのである。
いかなる行為も、それにふさわしい結果を生み出すというカルマの法則を、ヒンドゥー教徒が固く信じてきた。
善因善果、悪因悪果、すなわち因果応報である。
しかし、現実は善因善果・悪因悪果にはならない。
一生というスパンに限定すれば、因果律が成り立たない。
カルマの法則の弱点を補強するために、来世と輪廻の概念が組みこまれた。
インドは時間は、一日の太陽の日の出と日没の繰り返し、一年の春夏秋冬の繰り返しのように円環的であり、生と死もくり返す。
それに対し、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という砂漠の遊牧民の宗教は、一回限りの生だから、直線的である。
カルマの法則と輪廻を組み合わせることで、何代にもわたる長いスパンで因果律が最終的に貫徹するとした。
行為の結果は、瞬時に現れることもあれば、長い時間を経て、たとえば何回かの輪廻転生を経て、やっと実を結ぶ場合もある。
カルマの理論はインド人に、行為の結果で輪廻することがないように、行為を遠ざかる道を選ばせた。
あらゆる行為は、それが善い行為でも悪い行為でも、因果律が支配するこの世界に霊魂をとどめさせる。
永遠の幸福のためには、行為から完全に身を引く必要がある。
「行為→結果→行為→結果→・・・」の連鎖を断ち切らないといけない。
そのためには、行為を放棄することになる。
仏教の出発点は一切皆苦だということですが、これがわかりにくい。
すべてが苦だとは思えませんから。
人生や世間を苦しみとし、そこから脱するという考えがインドの思想ですが、インド人は自分を不幸だと感じているのかというと、そうでもないそうです。
「自分は幸せか」「どの程度満たされているか」といった、国別の主観的幸福度の調査結果によると、インド人の幸福度は中の下といったところである。
上座部仏教のタイやビルマでは、幸福感の指数はかなり高い。
カルマの法則や輪廻の教えを説くインド系宗教を信じる人々や民族が悲観的・厭世的であるとは限らない。
その矛盾を山下博司氏は以下のように説明します。
インドの宗教はまず苦難を描写するのは一種の約束事で、効果的なハッピーエンドのために、まず苦しみや悲しみが強調された。
生存を苦と観じるからこそ、悟り(ハッピーエンド)への可能性が芽生える。
苦とは出口が見える苦しみ、希望を宿した悩みである。
しかし、文化その他が異なる国や民族にはこの説明は当てはまらないのではと、私は納得できませんでした。