三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

『戦没農民兵士の手紙』

2014年08月06日 | 戦争

中国電力本社の前に右翼の街宣車何台かいて、何かがなっていた。
何を言ってるのかと思って耳をすますと、電力は足りている、原発は不要だということだった。
その右翼の人に、核兵器の保有についてはどう考えているか聞いてみたかった。

岩手県農村文化懇談会編『戦没農民兵士の手紙』(1961年刊)は、農家出身の戦没兵が家に出した手紙を集めたもの。
名前の下に略歴が書かれている。

及川一男 岩手県江刺郡田原村出身。田五反八畝、畑四反、原野三町歩の農家の長男。妻と子供二人。昭和十四年八月七日・北支山西省汾陽の陸軍野戦病院で戦病死。二十二歳。陸軍上等兵。

多くの兵士は妻子を残して死んでいる。
妻子はその後どうやって生活したのだろうかと、手紙の内容よりもそちらのほうが気になった。
略歴には実家の田畑の広さが書かれている。
田畑二町四反、貸付二反、山林三十町歩の人は裕福だったと思うが、田二反、畑一反の人もいて、農業だけで食べていけたのか、妻と子供一人はどうしたのかと心配になる。
岩手県農村文化懇談会からの呼びかけに応じて手紙を提供したということは、戦後それなりに生きてこられたのだろうが。

二つほどご紹介します。
佐々木くりさん(佐々木清美の母)

「カアサン カアサン
稼セガネデノンキニシテクロ」
清美ハソウ言ッテ征ッタノス
ワラシハ清美一人ダデ、我ソウ思ッタノス
ヘイタイサイカネデスムモノナラ、ゼニッコ
ナンボ出ステモヨ、ナントカスベトオモッタノス

佐々木清美さんは農家の一人息子、結婚二か月で出征、二十五歳で戦死。

岩手県和賀郡藤根村出身の衛生兵が戦地から持ち帰った中華興記製資有限公司用牋に書かれたもの(筆者不詳)

グンイドノハヤクアゴヲ
ツケテ下サイ、ミンナト一ッシ
ョウニゴハンヲタベラレル
ヨウニシテ下サイ
グンイドノフネハイツ
クルデス
ゴハンガタベタイナ
タンヲトッテ下サイ
ダンヲトッテ下サイ
クチノナカノチヲフイテ
下サイ
モウネリタクナイ
ヒトリデ小便マリマス デ
ベンキカシテ下サイ
スマナイカ角ザトウヲ一ツ二ツモラ
ッテクレナイカネ
コメント (4)
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