三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

大田俊寛『グノーシス主義の思想』2

2014年03月11日 | 日記

大田俊寛『グノーシス主義の思想』の副題である「〈父〉というフィクション」とは。
古代ローマにおいては乳幼児死亡率がきわめて高く、子供が5歳になるまでにほぼ半数が死亡していたと推定されるそうだ。

ちなみに、ウェンディ・ムーア『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』によると、18世紀半ばのイングランドの平均寿命は37歳。
子供の死亡率がもっとも高かったロンドンでは、1750年から1769年の間に生まれた赤ん坊の約半分が2歳の誕生日前に死んで、古代ローマよりも乳児の死亡率が高いことになる。

それはともかく、1人の女性が5人以上の子供を産まなければ、その年の人口は減少に転じるので、ある家族から別の家族に子供を移す養子制度の必要性は、古代ローマでは現代よりもはるかに高かった。
このような状況では、親子関係が生物学的事実に縛られていては、持続的な共同体を形成できない。
そのために案出されたのが、母よりも父を重視するという古代的な家族宗教の制度だったと、大田俊寛氏は言う。

それでは「父」とは、一体何だろうか。端的に言えばそれは、フィクションを創設することによって、人間社会を統御する者である。父と子の関係は、「お前は私の息子(娘)である」という儀礼的宣誓、すなわち、パフォーマティブな言語行為によって創設される。

ちょっとおもしろいでしょ。

プラトン主義とグノーシス主義の体系は、その大枠において非常に似通ったものである。
ソクラテスの刑死はプラトンの世界観に大きな影響を与えた。

古代における従来の観念であれば、愛国者ソクラテスは、まさに「父の土地=祖国」であるアテネに埋葬され、彼の魂はその墓に眠るということになるはずである。しかし、誰よりもアテネを愛して行動しながら、それゆえにこそアテネの民衆によって殺害されたというソクラテス刑死の矛盾は、プラトンにソクラテスの魂が向かう場所、「魂の真の故郷」を探究させることになる。

プラトンは造物主を「万有の造り主であり父である存在」と呼んでいる。
造物主は普遍的で超越的な「新しい父」である。
プラトンのこの理論はユダヤ教哲学者や、キリスト教教父、グノーシス主義に深い影響を与えたそうです。

キリスト教以前からグノーシス主義はあったのか、それともキリスト教以後なのか。
つまり、グノーシス主義はキリスト教にとって異教なのか、異端なのか。
前キリスト教グノーシス(グノーシス主義はキリスト教に対して時代的に先行する宗教思想)という説と、非キリスト教グノーシス(グノーシス主義はキリスト教とは無関係な環境でも発生し、独自の活動を展開)という説があるが、大田俊寛氏はどちらもとらない。

グノーシス主義がその思想的輪郭を取り始めたのは、二世紀の前半から半ば頃であり、しかもそのような初期の段階においては、大半の資料を何らかの仕方で自らを「キリスト教」として位置づけている。(略)グノーシス主義は、キリスト教ときわめて密接した思想運動として成立したのである。
その後にグノーシス主義は、キリスト教の枠内においては、主流派の地位をめぐる抗争に敗れて徐々にマイノリティ化し、「異端」として扱われるようになる一方で、その他の宗教思想のなかへと広く拡散してゆく。


もう一つ大田俊寛氏の考えを紹介すると、グノーシス主義に対するアプローチはユング的なものではなく、精神分析こそ有効だということです。
どうしてかという説明は私にはちんぷんかんぷんでした。

コメント
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