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三日坊主日記

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小武正教「水平社から浄土真宗が問われてきたもの 本願寺教団の二つのタブーを問う」

2014年03月02日 | 仏教

浄土真宗本願寺派(西本願寺)が2011年に宗法を改定し、本願寺と本願寺派が分離、宗会の権限を縮小、少人数による執政機関の設置など、門主独裁体制になった。
何人かの本願寺派の人にこのことについて尋ねると、みな批判的で、「昔に返ってしまった」と慨嘆した。

かつての真宗大谷派(東本願寺)の二の舞になるかもしれない本願寺派の宗法改正、どこがどのように問題なのか。
某氏からいただいた小武正教「から浄土真宗が問われてきたもの 本願寺教団の二つのタブーを問う」(『解放ひろしま』第93号)を読み、すこしわかったように思う。
ネットを調べたら、小武正教「現在の「宗制」「宗法」の改定から見えてくるもの」(『解放ひろしま』88号・89号)を発見。www.geocities.jp/shuhonbunnri/odake.pdf

小武正教氏の意見をご紹介します。
現在進められている西本願寺・本願寺派の改革の目的

現在推し進められようとしている「宗制」「宗法」の改定の目指すところを一言でいえば、「門主の権限をたかめて、側近政治を行い、迅速な決定を行って、この事態を切り開いていくしか方法がない」ということになろうか。

本願寺派が1886年(明治19年)に制定した寺法では、本願寺の住職が宗派唯一の善知識「法主」であり、教団の行政権も持ち、議会の議決への優先権も保有するという、絶対権力者としての位置づけだった。
戦後、宗法が改正されたが、現在でも西本願寺では、門主のみが安心の正否を判断できる「安心裁断権」と、門主のみが総長候補を指名できる「総長指名権」が門主(本願寺住職)にある。
今も門主は絶対権力者なのである。

「宗法」改定の理由。
*現在の宗門全体の意志を尊重し、宗務に反映させる議会制度等は、宗門になじまない。
*本願寺が回金した懇志を費用対効果からすると、宗派は適正に執行出来ていない。
*宗派と本願寺が現行制度では一体であるため、宗派が本願寺独自の活動を行えなくしている。
*寺院や僧侶に見られる、本山・善知識(門主)の下にある宗門組織の一員の自覚の欠如

「宗法」改定で目指されている教団像
①「門主・本願寺」を頂点にした、上意下達式の方法で少数者の評議による迅速な意思決定によって本願寺・宗派の運営を行う。
②そのためには、本願寺と宗派を分離し、本願寺が宗門(宗派を牽引する。
但し、本願寺と宗派の関係のあるべき姿は、「本願寺を中心とした一体化」であるとの考え。
③本願寺の独自の活動がしやすいように、東京教区(1 都3県-東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県)を特区とし、築地別院は宗派に縛られず自由に活動できることにする。
④宗派においても、行政・立法・司法の三権分立は廃止し、門主に権限を集中する

教団には覚如によって成立した段階から、「法主制(門主制)」という親鸞からの「血脈」が、「法脈」という教えの正統性も受け継ぐという問題を抱え込んでいる。「御同朋」という平等理念と「法主制」いう身分制は同じ場では両立しえるものか。それを両立することとして論理の整合をはかられてきた。

仏教では師資相承といって、師から弟子へと教えが伝えられる。(法脈)
ところが、本願寺では親鸞の血統が唯一の正統性の保持者とされる。(血脈)
本来は法脈と血脈は同一ではない。

2012年に改定された「宗法」の答申書から。

「宗門組織機構のあり方」
イ・宗門には、本願寺を本山と仰ぐ個人・団体を組織化し、宗制に定める理念を実現するため共通した目的の設定、及びその目的達成を可能とする門主を中心とした組織機構、運営機能の構築が求められる。
ハ・宗門において門徒は、一般寺院に所属して教義を聞信し、僧侶を通して教化育成を受けるが、親鸞聖人を敬慕する中で、本願寺に安置されるご真影を仰ぎ、また法灯を伝承された本願寺の歴代宗主(門主)を善知識と仰ぐ御同朋であるから、宗祖の門徒、本願寺の門徒である。僧侶は、本山本願寺において次第相承の善知識である門主の教化を受けて、一般寺院その他で宗祖の教えの弘通に努めるとともに、門徒の教化育成にあたるので、一般寺院は宗祖の門徒、本願寺の門徒をお預かりしていると言われる。

次第相承とは親鸞の血を引く者によって仏法が伝えられること。
善知識とは教えを伝える善い友。
門主だけが善知識だから、門主以外の人からは教えが伝わらないことになる。
西本願寺では門主がいまだに生き仏なのである。

本願寺教団の信仰理解はいつも「親鸞聖人の教えを聞く」と言いつつも、常に「次第相承の善知識・門主の教化によってはじめて僧侶となり門徒となる」というパイプを通してしか語られて来なかった。


2012年の宗法改定当時の池田行信総務の文章。

立教において開宗されたわが宗門においては、立教という〈一宗の祖師〉と歴史上の宗門の〈法灯伝承〉は必要不可欠な条件です。ですから、権力機構としての国家なら国民が選挙で大統領を選ぶことも可能ですが、立教開宗に依拠した宗教団体であるわが宗門においては「親鸞聖人を宗祖と仰ぎ、門主を中心」とした宗教団体ですから、直接、僧侶や門徒が選挙で宗主を選ぶことは問題外のことです。(『現代真宗教団論』)

小武正教氏の論文を読み、「門主を中心とした組織機構、運営機能」が同朋教団だとは私には思えませんでした。

小武正教氏は「真宗大谷派宗憲改正-提案の趣旨」を引用している。

教法が血統によって伝承されるということは宗祖の教義に悖るばかりではなく、教法が今日まで無数の念仏者によって伝承せられてきた事実にも反し、殊に〈安心の正否の判定〉は、何人もこれを侵すことのできないものであって、これを師主としての法主に専属せしめるということは、〈弟子一人ももたず〉と仰せられた宗祖のご精神に反することともなり、伝統的には、蓮如上人の本願寺御影堂留守職のご精神に帰っていただくという、これらの理由から法主制を廃することとなったのであります。(『真宗』1981.7月号)

大谷派の現状がどうなのかはさておき、理念としては悪くないと思う。

小武正教氏は

誰が考えても「おかしい」ものが「おかしい」と教団内で言えない、もしそれを言えば「排除の論理」が働いてきた。

と書いているが、本願寺派の改革に反対する声はどんな動きになっているのだろうか。
西本願寺の状況は安倍首相の一人勝ちという現在の政治状況と似かよっているように思う。

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