三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

宗教と布施 1

2010年01月18日 | 問題のある考え

「ムー」1985年10月号に麻原彰晃の空中浮揚写真が載ったから、それからしばらくしてのことだと思う。
麻原彰晃が空中浮揚しているポスターを見て、知り合い(ニューエイジに近い考えの人)に「人間が空中に浮き上がることなんてあるんだろうか」と尋ねたら、「誰でもできる」とあっさり答えた。
「じゃ、あなたはできるのか」とさらに聞くと、「できない」と言う。
それならと「空中浮遊を見たことがあるか」と聞いたら、「ない」と言う。
これには驚いた。
自分ではできないし、見たこともないのに、どうして空中に浮くというとんでもないことを信じるのだろうか。
もっとも私だって、手かざし(レイキとか)でひょっとしたら病気が治るかもしれないと思った時もあったですから、人のことは言えません。

マイクル・シャーマー『なぜ人はニセ科学を信じるのか』に、「これまた私見だが、奇跡や怪物や謎を信じている人々のほとんどは、嘘つきやペテン師でもなければ、気が狂っているわけでもない。ごくふつうの一般人で、何かのせいで誤った考えかたに足を踏み入れてしまっているだけなのだ」とある。
変なのにはまってしまう人は変な人だというわけではない。

インチキ宗教とか霊感商法、霊視商法にだまされる人、たとえば先祖の霊が迷っていると言われて不安になり、借金をし、ついには家を売り払ってまで布施や献金をしつづける人がいる。
どうしてそこまで信じ込めるのかと不思議に感じることがある。
しかし、その人たちが愚かだからではない。
だます側が人の弱点を巧妙についてくるからだし、一度言うことを聞いてしまうとやめることは困難になる。
私だっていつ同じことをするかもしれない。

1987~2007年までの21年間に、全国霊感商法対策弁護士連絡会に寄せられた被害相談は合計2万8996件、被害額は約1兆74億円、2006年は約40億円の被害。
これは全国弁連へ寄せられた相談であって、氷山の一角にすぎないそうだ。
総理府の消費者問題に関する世論調査では、もちこまれる被害相談は全体の約3%である。

もっともインチキ宗教だけがそんなあくどいことをしているわけではないのかもしれない。
というのも、1999年に日弁連がまとめた意見書「反社会的な宗教的活動にかかわる消費者被害等の救済の指針」の中に「宗教活動にかかわる人権侵害についての判断基準」があって、その中で次のようなことが書かれてある。

第3. 宗教的活動にかかわる人権侵害についての判断基準
反社会的な宗教的活動がもたらす消費者被害等救済のための指針
1. 献金等勧誘活動について
(1) 献金等の勧誘にあたって、次の行為によって本人の自由意思を侵害していないか。
① 先祖の因縁やたたり、あるいは病気・健康の不安を極度にあおって精神的混乱をもたらす。
② 本人の意思に反して長時間にわたって勧誘する。
③ 多人数により又は閉鎖された場所で強く勧誘する。
④ 相当の考慮期間を認めず、即断即決を求める。


しごくもっともな判断基準だと思うが、京都仏教会は「宗教に対する無理解、偏見」だとしてこの指針を批判していることを、藤田庄市『宗教事件の内側』と米本和広『我らの不快な隣人』を読んで知った。
京都仏教会HPで「[宗教ガイドライン]に対する見解 日本弁護士連合会意見書「反社会的な宗教活動にかかわる消費者被害等救済の指針」の問題点」を読むことができるが、そこにこういう文章がある。

「物欲を捨て、執着を離れ、あるが儘にすべてを受け入れ、生を神にゆだねて生きるということを知性で理解することはできても、現実にそのように生きることは容易ではない。したがって、宗教によっては献金の指導通してこれを実践的に体得せしめようとする教団もあるのである。そして物欲を離れる体験を得させるためには、しばしば当人が無理だと感じるほどの金額であることが必要になる場合がある。もちろん、それは対象者の信仰の状態を見極め、慎重に指導を進めなければならないわけで、指導に失敗すればトラブルに発展することもありえる。しかし、このような指導は一概に批難されるべきものではなく、実際このような体験を通して信仰に生きる喜びを獲得する者もいるのである」

「宗教においては、程度の差こそあれ吉凶禍福を説くことはごく通常のことである。全ての宗教がその教義において先祖の因縁やたたり等を説いているわけではないと思われるが、宗教の中には、その教義・理念として輪廻や罰などを説いている場合もある。そのような宗教において、布教の際に必然的に過去世からの因縁を説いたり、また病気や経済苦を克服するには当該宗教の信仰によるしかないとの説明がなされることはごく自然のことであって、まさに当該宗教の本質にかかわるものである」

このことに対する批判は次回のお楽しみとして、京都仏教会に加盟している真宗寺院に、このことについてどう考えているのかをお聞きしたいものです。

コメント
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