三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

狼に育てられた少女を育てた牧師は狼少年だったのか

2005年06月19日 | 

以前、J.A.L.シング『狼に育てられた子―カマラとアマラの養育日記』を読んだ時には感動した。
1920年、インドのカルカッタ近くで、狼に育てられていた二人の少女が発見された。
少女たちを引き取って養育したシング牧師が書いたのが、この本である。
年下の少女は1年ぐらいで死んでしまったが、年上のほうは9年間生きていた。
最初のころ、少女たちは二本足で立つことができず、四つん這いで走っていた。
生肉を好み、食べる時は手を使わず、文字通り犬食いで食べた。

赤ん坊がハイハイし、立ち上がり、歩くということ、あるいは手でものをつかみ、手で食べ物を口に持っていくこと、そうしたことは教えなくても自然に行うようになるわけではない。
教えられて、あるいは、まわりの人のすることを見て、学んでいく。
このように私は思って感動したわけです。

ところがどっこい、藤永保『幼児教育を考える』を読むと、この少女たちは狼に育てられたわけではないらしい。

狼は赤ん坊をだっこしてお乳を飲ませることなどできない。
ところが、人間の赤ん坊は自分ではお乳を飲めない。
だから、母乳を飲む時期で、なおかつ自分で乳首をふくむことのできるという都合のいい時に、狼にさらわれなくてはいけない。
しかも、年月をおいて二人が、である。
こういうことはまずあり得ない。

そのほか、日記の記述にはおかしい点がいろいろある。
人間の眼が暗闇で光ることはない。
人間と狼は骨格が違うので、狼に育てられたからといって、四本足で素早く動くことはできない、などなど。

藤永保氏によると、少女たちは「ある程度成長した時点で遺棄された自閉症の子どもではないか」ということです。

うーん、せっかくのいい話なのに残念。
この本を手にして、「人は人間に生まれたから人間なのではない。人間になっていくんだ」というような法話をしていたんですが、もうできなくなりました。

で、ネットで検索してみたら、この話自体がまるっきりの嘘という可能性もあるんですね。

動物小説で有名な戸川幸夫はわざわざインドまで行ったのだが、少女が発見された村はなかったし、この話を知っている人は誰もいなかった。

シング牧師は少女たちが狼に育てられたものと思い込んでいたのだろうか、それとも嘘をついたのか。
幽霊屋敷の話なんかは、意図的にデタラメなお話を作り上げたものがほとんどだそうだが、狼に育てられた少女もそうかもしれない可能性はある。

ニューエイジ・スピリチュアル系の本は自伝やノンフィクションと謳っていても、作り話のものが多い。
ある大谷派の方のHPで、ルシャッド・フィールド『ラスト・バリア』を知り、読んでみました。
この方はニューエイジにどっぷりとはまっていて、親鸞の教えをニューエイジ風に説いておられる困った方です。

で、『ラスト・バリア』ですけど、自伝であって、フィクションではないとのこと。
ルシャッド・フィールドがロンドンの骨董屋でスーフィー(イスラム神秘主義者)を尋ねたことがきっかけで、トルコへ旅をする、というお話。
よくある霊的成長小説というべき代物です。
翻訳はおなじみの山川紘矢、山川亜希子のご夫婦。
意味ありげな会話、出来事が次々と語られる。
指導者であるトルコ人は突然怒り出したり、意味不明な指示を出しては、その指示を急に変えたりする。

なんだかカルロス・カスタネダ『呪術師と私 ドン・ファンの教え』を思い出させる。

ドン・ファンという人物はカルロス・カスタネダの創作である。
『ラスト・バリア』の続編も翻訳されているそうで、カスタネダのように二匹目のドジョウを狙ったのか。

もっともらしいことを曖昧な表現で語る。

そうすれば、どんな教えにも、どんな人にもドンピシャリ。
シング牧師の本も『呪術師と私』や『ラスト・バリア』のように、お話として楽しめばいいのかもしれない。

講演で狼に育てられた子供の話をされた某氏に、あれは作り話らしいと言ったら、「本当かどうかは枝葉末節です」とあっさりかわされた。

枝葉末節とは思えないのですが。

コメント (2)
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