三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

期待外れの映画と儲けものの映画

2005年04月02日 | 映画

藤原健一『イズ・エー』は、大量の死者を出したレストラン爆破事件の犯人である、14歳の少年が4年ぶりに出所してきた、という映画です。
加害者の家族と被害者の両方の立場から描いているというので、期待して見に行きました。

少年が少年院から出てすぐに、少年の同級生一家3人(火薬店を経営している)が殺されるんですね。
事件で妻子が死んだ刑事は少年が犯人だと思い込んで捜査を始めます。

こういう場合、たいていの映画では疑われる人は無実ということになっています。
だもんで、更生しようとしているのに信じてもらえない少年の苦しみがテーマかいなと思ってたら、なんとこの少年は出所してすぐに同級生の一家を皆殺しにして火薬を盗み、そしてまた爆破事件を起こすわけですよ。

それはそれでいいけど、だったらこの少年の内面をきちんと描いてほしいところですが、寛容な私でも、このアホは何を考えとんなら、と思いました。
ダメな奴はもう絶対にダメなんだ、更生なんてできない、殺してしまえ、ということでしょうか。

そして細部が実にいい加減。
少年は少年院から出たばかりなのに、なぜか事件を起こした4年前と同じ髪型、しかも長髪。
おまけに保護司の養子となっているんですが、実際そこまでする保護司さんがいるんでしょうか。
加害者の人権ばかりが大切にされているというプロパガンダです。

少年の両親は離婚していて(これはわかる)、父は安アパートに住み、ゴミ収集車で働いている。
しかし、母と妹とは一戸建てのこぎれいな家に住んでいるんですよ。
被害者への賠償金は払わなかったのでしょうか。

そして被害者。
妻子を殺された刑事は酒ばかり飲んで荒れた生活をしている。
ところが、部屋の中は散らかってはいても、汚くはない。
低予算映画だから、汚く撮るということが難しかったのかもしれませんが。

加害少年と被害者遺族を描いたダルデンヌ兄弟『息子のまなざし』のような映画を期待したのですが。
正直なところ、見に行って損をしたというのが感想です。

中原俊・高橋ツトム『苺の破片』は、漫画を書けなくなった漫画家の死と再生の物語。
今のところ今年のベスト1。
漫画家として再生するのではなく、人間として再生する話だからこそ感動しました。

脚本は主役の二人が書いたものだそうです。
そのためか、日常生活の細かなことを何も知らない、自分勝手とも言える漫画家と、彼女を支え、何とか再び漫画がかけるように世話をするマネージャー、ほんとにぴったり役に当てはまっていました。

夕方だけの上映だったので、本当は見に行くのが面倒でした。
そう大したこともあるまいと思ったけど、中原俊の作品だからというので出かけたわけです。

こういうことがあるから、つまらない映画だろうとなんだろうとにかく映画は見ないといけない。
ま、映画中毒者の言い訳です。

コメント (2)
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