パルコン旅行記

☆マイホーム建築への道のりとパルコンでの生活
(番外編を含む第1章~第5章)
☆寄り道日記

パパっ子と保育園

2015-06-30 07:45:32 | Hello, a son ~ Hello, my sons
 息子は元々、パパっ子でしたが、
私が入院してからは、更にパパっ子になりました。

旦那サンも、私の入院によって、
「自分しかいない」…という状況に追い込まれ、
更に息子を可愛がるようになっていました。

子供を授かることが出来なかった期間が長かっただけに、
その光景は私にとって、なんだかとても不思議です。
と同時に、この二人は前世から、強い絆で結ばれていたんだろうな…と感じます。


 保育園に行くようになってから、
息子は目覚ましく成長をし始めました。

何より、食事に対する姿勢が、真面目になり、
積極的に掴み食べをしたり、スプーンやフォークを使おうとしたり、
もうビックリです。

入園前は、やんちゃでガチャガチャでしたが、こちらもかなり落ち着きましたし、
帰宅後などは、驚くほど充実した、どこか得意そうな顔をして過ごしています。

噛まれて帰って来たり、
体の大きい女の子に玩具を取られて泣いたりもしている様ですが、
保育園が大好きで、毎日嬉しそうに出掛けて行き、
親としては、有難い限りです。

最近では、送って行ったパパに、
「仕事頑張って来いや」と言うかの様に、バイバイまでする様になり、
しっかりと生活ペースをつかんだ様です。


 今週一杯は、ファミサポをお願いしてあります。
でも、来週からは、私が保育園まで迎えに行く予定です。

体調は、退院時より悪化していますが、
リロの保育園での様子も見たいし、
何より、出来る限り、親としての勤めを果たしたいので…。

どうか、何とかやっていけます様に…。



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義母との生活

2015-06-29 09:42:58 | ちょっと寄り道=独り言=
 先日、
義両親が18日間の助っ人生活を終え、帰路に着きました。

その日の義母は、旅行に出掛けるかのようにウキウキで、
午後からは、やたらと息子(孫)を呼び寄せ、遊びに誘っていました。

義父は、
「女房のガス抜きの為に一旦帰るけど、何かあったらまた連絡をして」
…と、何度も言って下さいましたが、う~~~ん…。

希望としては、義父一人で来てほしいところですが、
夫(義父)に依存し、夫(義父)無しでは生きていけない義母は、
義父に付いて来るでしょうし…。


 でも、やはり義母には無理だと思うのです。

 息子を寝かしつける為、私と息子が二階の寝室に行くと、
ヒステリーな声と、物を投げた様な、何かを叩いた様な音が聞こえる事もありました。

旦那サンが諌めると、以後、そういた事はあからさまには無くなりましたが、
それでも、耳を澄ますと遠慮がちにもヒステリーな声が毎日の様に聞こえていました。

義父の話では、
「家では、物を破壊したり、ドアをビシャンと閉めたりして、うっぷん晴らしも出来るが、
 ココでは、そういう事も出来ないもんだから、発散したくて仕方がないんだろうと思う」
「家では、一日中ゴロゴロして、テレビを見ている生活で、
 食事も自分の食べる事しかしないし、何もしない生活をしているから…」 と。

   鬱だもんね…。
   しかも、察するに統合失調症…。
   無気力にもなるだろうし、元気に家事なんて無理だよね。

でも、
「娘(義妹)の家は、散らかっていて汚い」だの、
「自宅の掃除をしたいのに、おじいさん(夫)がやらせてくれない」だの、
自分の症状を棚に上げ、
“私はちゃんとしている”…をアピールしてくる義母。

自分の状態を、他人に知られるのが嫌で、
とにかく、その場その場を取り繕っている為、
普段の関わりが少ないと、すっかり騙されてしまいます。


 私が退院してからの一週間は、
他は何もしないくて良いから…と、「炊事」をお願いしました。

でも、お風呂やトイレの掃除と、床の掃除機掛けを積極的にやり始め、
「ここの家は綺麗だから、何処を掃除して良いのやら…」と。

「掃除は私が体調を見てしますよ。
 私は、週に1回くらいしかしませんが、
 お義母さんは毎日こうやって掃除をされているんですか?
 死にませんから、毎日しなくても良いですよ。」
…と言っても、毎日やり始め…。

逆に、お願いしていた「炊事」をする気配は一切なく、
「菫さん、私達の分(食事)は良いから」…と、
いつの間にか、“遠慮深いお客様”の状態に持って行かれ…。

見兼ねた旦那サンが、
「掃除してくれって、いつ言った?
 最初からメシを頼むって言ってあっただろ?」…と言ったところ、

遠慮して出来なかった
「料理下手だし。不味いし。」…と。

「こっちがお願いしているのに、遠慮も何も無いだろ?」
「飯が不味いなんて、一度だって言った事無いだろ?」

 おそらく、
「料理は嫌いで、やりたくなかった。」…という答えが返って来たなら、
旦那サンのみならず、誰もがそれなりに納得したと思います。

でも、義母の場合、
とにかく、その場しのぎの嘘や言い逃れが多く、
旦那サンは、それに対して常にイライラしていました。


 帰宅当日に知ったのですが、
義母は、就寝時、布団を敷いて寝ていなかったのだとか。
敷布や掛布を洗おうと聞いたところ、
「私、布団は敷いてないの。その辺や床で寝ても平気なの。」…と。

びっくりして、旦那サンに聞いたところ、
「布団は初日に出して敷いてやった。その後の事は知らんわ!」…と。

何だか、人間らしい生活から、どんどん遠ざかっている様な気がして、
少しゾッとしたのですが、実は理由があるのかな…。

 というのも、
一週間一緒に暮らし、やたら洗濯をする人だな…とは思っていましたが、
実は、日頃からトイレに間に合わず、頻繁に失禁している事を、
帰宅当日、義父から聞かされて…。

思えば、義母の服を干すとき、家着のお尻の部分に、
昨日今日に付着した訳ではなさそうな、褐色が染みついていました。

義父の話だと、
「当然ながら、医者へ行く気は全く無い」
「市販の薬は、効果が無かった」

尿漏れ体操や、尿漏れパットの話をしてみたところ、
「そういう努力をしたり、使ってみようという気は全く無いな…」
「治そうという気は、全く無い」
「とにかく、テレビを見てゴロゴロしているだけ」

布団…
もしかしたら、汚さない様に気を廻したのかな。
でも、だったら畳やソファーを汚して良いってわけでも無いし。


 悩んでいる事、困っている事、考えている事、を、
何でも話してくれれば、こちらも対応のしようがありますが、
嘘に嘘を重ねていく義母に対し、
「お母さん、失禁してますよね?」
…と、聞く訳にもいかず、黙って見守るしかない関係です。

年齢的に、在りがちな、普通の事なんですけどね…。
ここまで来ても、
良い人・普通の人・健康な人、として見て欲しいんですかね…。
だけど、努力はしない…。


 今回、この症状と関わることにより、
自分の入院と共に、実感の無かった深刻な問題も、同時に背負った気がします。
だから尚更、とにかく、自分の体調を早くしっかり治さねば…とヒシヒシ思います。



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義母の限界

2015-06-28 21:11:24 | Hello, a son ~ Hello, my sons
 息子は、徐々に生活ペースを取り戻し、
私を見て、嬉しそうにニッコリ笑ったり、甘えてくる様になりました。
どちらかと言えば、今は入院前よりベッタリかもしれません。

特に、お昼寝や就寝前のひと時は、
安心しきった、幸せそうな顔を見せてくれます。


 私が入院してしまった後、
保育園での新しい世界は、プロの集団とお友達に囲まれ、楽しんでいた様です。
でも、家での生活は、窮屈なものに激変してしまった様です。

一生懸命な義母は、
力尽くで、「やらせよう」「止めさせよう」とし、1歳児を押さえつけていました。
息子はその度に泣き叫び、義母はヒステリー寸前で育児放棄状態になり、
実は、とても大変な家庭生活だった様です。

それでも、息子の命と健康が維持できる様、
食事やオムツの世話をしてくれた事には、本当に感謝しています。


 ただ、旦那サンは、
「今まで泣かなかったのに、オムツ替えや着替えの時、大泣きする様になって…。
 会社から帰宅すると、『助けてくれ!』という目をして、泣きながら訴えて来る」
「ばーさんは、普通にリロを着替えさせることが出来なくて、
 じーさんと二人掛かりで押さえつけて服を着せるもんだから、凄い勢いで泣いてさ…」
と、悩み、息子を心配をしていました。

また、上手く世話が出来ない義母は、自分の夫(義父)に、
「どこまで私を苦しめたら気が済むの?
と、泣き叫んで当たっていたそうです、
(この話は、旦那サンが義父から聞いたそうです)


 義母は、自分のそういった姿を、夫(義父)以外には見せません。
見せたとしても、せいぜい、自分の息子と娘くらいまでです。
でも偶に、ヒステリックな声や、物を投げる音が聞こえてきますが…。

義母は、とにかく被害妄想や現実離れした妄想が酷く、
・何かの燃えた跡を見て、「誰かが焼身自殺をした跡だ」。
・鳥の鳴き声を聞いて、「誰かが鳥を使って、私に嫌がらせをしている」。
・パトカーや救急車の音を聞いて、「お父さんが警察に通報しに行かないからだ」。
・パトカーを見かけては、「私を追いかけて来ている」。
・家中の部屋をカーテンで閉め切って「誰かに覗かれている」。
・「電話を盗聴されているに違いない」。
・「近所の人や世間は、私の悪口を言っている」。
・「私は正気(健常)だ。みんなが変(病気)なだけ。」
・病院に通っていた頃、薬を貰っても「飲んだ」と嘘をつき捨てていた。
・音を気にし、「外に聞こえる!」と掃除や洗濯が出来ない。

一事が万事こんな感じで、
他の人の言葉には耳を貸さず、
自分は正常だと思っていて、病院にも行かず、
症状の波によっては、交番に出向き、
ストレスをため込んでは、夫(義父)にあたり、
部屋のガラスを割り、テレビを(既に2台)叩き壊し、
…普通とは程遠い、状態です。

こちらに来てからは、航空自衛隊の飛行機の音を聞き、
「私を偵察に来ている!」…と言っているそうで…。


 そんな症状のある義母なので、
煩わしい事や大変な事が出来る訳も無く、
誰かの世話をするなんて、どう考えても無理な話なのでしょう。

ただ、
病気のせいか、年齢によるものか、はたまた性格なのか、
夫(義父)以外の人から、打診や依頼があると、調子良く承諾するをため、
依頼した側としては、それを真に受けてしまっていたのですが、
実際は困難で、遣る気も無く、都合の良い解釈をし、依頼事項をこなせない、
…そんな現状を知った次第です。

 先日は、
旦那サンや私に対して、「大丈夫。協力してもう少し居てあげる。」…と、
寄り添った調子が良い事を口にしてくれたのですが、
夫(義父)に対しては、「明日にでも帰ろう。」…と逆の事を言っていて、
でも、私達夫婦には、ソレを一切言わず…。

何とも…、何を信用していいのやら、どう解釈したら良いのやら、
息子である旦那サンは、無言で立腹…。
他人である私は、呆然と戸惑い…。

   …本当に、なかなか難しい病気です。

義母は、本当に良い人で、
意地悪な事を言ったりやったりもしませんし、
普通に優しく、(振舞っているだけかもしれませんが)本当に本当に良い人なのです。

ただ、この病気になってから、
こういった裏表が激しくなってしまい、
小さな嘘も増え、子供の様に我が儘になってしまい、
向き合って話す事が可能な「信用できる人」では無くなってしまいました。

   …私の場合は、ただそれだけ。

でも、息子である旦那サンは、
昔は、慈悲深く、献身的で、とても良い妻であり母であっただけに、
どうしても怒りが先に来てしまう様です。

「病気なんだから仕方がないよ」…と言うと、
「だったら、病院行けよ!」…と。

旦那サンの言う事は、ゴモットモです。
でも、いかにも「家族」で、いかにも「男脳」だな…と思います。
   

 話が逸れましたが、
そんな状況なので、早く帰してあげたいのは山々です。
でも、旦那サンとしては、私が「出戻り入院」になるのを、どうしても避けたいらしく、
約束の一週間は、予定通り居てくれる様、お願いをしていました。

帰る気満々だった義母は、ガッカリしたと思いますが、
「勘違いしてた~」とか何とか言いながら、ごまかしたり、
会話の中で、「私は帰りたいなんて言っていません」的な素振りを見せたり、
色々と小細工しているのが見え隠れしています。

最近は、「自衛隊の偵察」に加え、
「警察が私を追っているから、家に帰らなくては!」…と言っているのだとか。

 どちらにしても、
慣れない家で疲労も溜まっているでしょうし、
早く帰って頂ける様、そして、二度と来て頂かなくて良い様、
私自身の体調を戻さねば…と、強く思っています。



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遠い記憶

2015-06-26 01:04:02 | Hello, a son ~ Hello, my sons
 入院して3日目。

大部屋だった事もあり、子供を連れて来てもらう事を避けていましたが、
息子を抱っこした時の感触や温もりが恋しくなり、
「リロを病院に連れて来て欲しい」…と、旦那サンにお願いをしました。

毎日出入りしている同じくらいのお子さんの声を聞いていた事もあり、
どうしても会いたくなってしまったのです。


 息子は、ベビーカーに乗せられ、病室にやって来ました。
でも、私の顔を見ても親しみを覚えないらしく、無視…。
ベビーカーが止まった途端、「降ろせ」…と騒ぎ、
デイルームへ移動するも、走り回り…で、大変でした。

結局、プリンを食べさせただけで、バイバイしましたが、
知らない所で、見た事の無いパジャマを着ている私を見た息子は、
「知らない人」と言わんばかりの目をしていました。


 その7日後に退院。

覚悟はしていましたが、息子は私と顔を合わせようとせず、
抱っこをしよう…と近寄ると、大声で泣き、
旦那サンや義両親にしがみつきました。

半分、怯えている様なこの状態は、二日間くらい続きました。
覚悟をしていたとは言え、親としては結構辛いものです。
「仲直り(?)出来るまで、どのくらい掛かるんだろう?」…と思っていましたが、
実は、「母を忘れてしまっていた」…という事に、後で気付きました。

母が去ってから、
祖父母や保育士さんなど、突然、沢山の知らない大人に囲まれ、
過去の人を記憶に留めておく余裕も無かったのでしょう。
息子なりに、必死な毎日だったと思います。

泣き方も、
やんちゃな泣き声や泣き方から、何か怯え、さ迷っている様な、
聞いた事の無い、叫びの様なものに変わっていました。


 退院二日目、
夕食が終わり、就寝前のひと時。
私は、ちょこんと床に座っていた息子を前に、
「モシモシだいすき!(←おかあさんといっしょの歌)」を歌いました。

すると息子は、初めて私の顔をしっかりと見つめ、
ぬいぐるみの様に、手を身体の前に置き、前のめりの姿勢で、
嬉しそうな眼をして、私の歌をじっと聞き入っていました。

その後、「でんしゃだいすき!(←いないいないばぁの歌)」を歌いましたが、
歌が終わった途端、息子は私の膝に顔をうずめ、じっと動かなくなってしまいました。

息子に触れることが出来たのは、退院後、初めてだったと思います。


 息子は、歌によって、
穏やかに過ごしていた過去を思い出し、
そこに「母」がいた事を思い出した様でした。

それからは、
多少ぎくしゃくしつつも、徐々に二人の関係は戻って行きました。



 息子にここまで嫌われるとは、思ってもみませんでしたが、
まさか、いつも息子に歌っていた「歌」に救われるなんて…。

歌っている時は、
嬉しそうに聞いている息子を動揺させてはいけない…と、必死でしたが、
息子の安心しきった目と、膝にしがみ付いてきたあの情景をを思い出すと、
切なくて、涙がボロボロ溢れて来ます。

 私は、あの時の事を、きっと一生忘れないでしょう…。
そして、出来る限り、息子と離れずに済む様、
親としてしっかりせねば…と、心に誓いました。




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深刻だった入院と回復の兆し

2015-06-25 07:25:45 | Hello, a son ~ Hello, my sons
 救急外来で診察を受けた時は、深刻な状態でした。

医師からは、「全力で治療をします」という言葉より先に、
医師と言う立場から、優先すべき物は決まっており、
全てを万全にする事は不可能である事を覚悟して欲しい
…といった趣旨の事を言われました。

そして、
「この病院で手に負えない場合は、名大か岐大の病院に転院になります」
とも言われました。

 私は、「この病院で治すこと」しか頭にありませんでした。
でも、旦那サンは、最悪の状況を想定しながら、子供を抱え、
とにかく、ネガティブな方向から、先を思い描いていた様に思います。

逆の立場だったら、きっと私も同じでしょう…。


 入院して数日は、あまり良い状況ではありませんでした。
それでも、日にち薬と言いましょうか…
幸運なことに、徐々に回復の兆しが見えて来ました。
そして、「調子が悪くなったら、また入院ですよ」と担当医に言われつつ
10日後に、退院をさせて貰いました。


 今は、軽い家事だけを行い、自宅療養中です。

この先やっていけるか様子見をするため、
義両親には、今週一杯、協力をお願いしました。
そして息子の事は、
7月一杯、一時保育で預かって頂ける様、お願いをしました。

そんな感じで、何とか7月中には、
「もう大丈夫!」…という状態まで回復させたい と思いながら過ごしています。



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有難い申し出

2015-06-24 02:16:36 | Hello, a son ~ Hello, my sons
 保育園登園の初日。
朝の6時半に家を出て、7時に保育園へ。

息子は、パパとバイバイしても泣かなかったそうです。
先生もビックリで、「偉いね~」と仰っていたそうですが、
我慢強いとか度胸があるとか、そんな理由ではなく、
ただ単に、何が起こっているか判らないだけなのだと思います。

どんな一日を過ごしたか、想像がつきませんが、
割と「人好き」で、「子供好き」な息子ですので、
訳も分からず、楽しめたのだろうと思います。

先生からの連絡事項には、
・部屋でよく遊びました。
・高い所が好きで、机の上に何度か登り、その度に下ろされていました。
・おやつも昼食もよく食べました。
・自分の物と対人の物が判らず、食べ終わっても、隣の子の食事も気になっていました。
・お昼寝の時は、眠そうなのに眠れず、ゴロゴロしながら寝て行きました。
等の事が書かれていましたが、どれも目に浮かぶようでした。


 この日、
旦那サンは、「初日だし、早目に迎えに行こう」…と、仕事を切り上げ、
17時半に迎えに行ったそうです。

詳しい事はわかりませんが、
この時間帯だと、他の子供たちに比べて、2時間くらいお迎えが遅いのでしょうか。
息子は一人、園庭で乳母車に乗せられ、先生と散歩をしていたそうです。
黄昏時と空腹が重なり、グズグズ泣きだしたそうで、
先生が散歩に連れ出してくれたのだとか…。

 
 そんな姿が切なかったのか、
それとも、保育園探しの段階で、
「送迎に協力して頂けるファミリーサポート」を探していたのをご存じだったのか、
その詳細はわかりませんが、
この初日のお迎えの時、園長先生が旦那サンの元に来て下さり、
「自宅がそちら方面の、勤務が16時までの保育士がおりますので、
ファミリーサポートの会員になり、お子さんを家までお送りしましょう」
…と、申し出て下さったのです。

そんな話は聞いたことが無かったので、驚きましたが、
年相応の仕事を抱えた旦那サンにとって、それは本当に有難い申し出でした。

段取りは全て、保育園と市役所のフェミサポ窓口がして下さり、
チャイルドシートも、ファミサポから保育園に届き、
翌二日目からは、先生が家まで息子を送って下さる様になりました。


 本当に、何と言って良いのやら…
新しい生活は、人様のご厚意によって支えられ、
感謝に尽きることだらけのスタートとなりました。



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義妹が来た

2015-06-23 08:16:17 | Hello, a son ~ Hello, my sons
 旦那サン、息子、義父、義母 …四人の生活が始まりました。

初日は、義両親も張りきっていたようで、
義母は、「(小さいし)まだ保育園なんか入れんで良い!」…と言っていたそうです。

それでも、初日が終わる頃には、やんちゃ息子の子守りに疲れ、
一日中子守りを請け負う事は大変だ…と、理解した様子だったとの事でした。

幸い、保育園に入れて頂けましたが、
保育園に入るまで、そして、息子が保育園から帰ってからは、
3人の大人が、息子に振り回されて、大変だった様です。


 そんな様子を察知し、入院して数日後の日曜日、
義両親から聞きつけた義妹が、我が家へ駆けつけてくれました。

おかずを作って来てくれて、
息子に食事を与えてくれたり、散髪をしてくれたり、遊んでくれたり、
保育園の準備品を買い出しに行ってくれたり、
色々本当に助かりました。

また後日、
義妹の子供達の夏物お下がりが沢山が届き、とても有難かったです。


 余談になりますが、
保育園に入れるとなると、服が沢山要るんですね…。
服もズボンもタオルも、大体何もかも3枚づつ必要で、
まぁ、どれだけ汚して帰るか…は、分かりませんが、
洗濯の事も考えると、最低6枚は必要で、
乾かない事を考えると、9枚は必要で…。

実妹からお下がりを貰う度に、
「あんた、どんだけ買ってるの? 三つ子が育てられるじゃん!」…と言っていましたが、
「これでも少ない方だよ!」…と妹が不機嫌に言っていた理由が、よく分かりました。


 そんな感じで、
息子と旦那サンは、色んな人に助けて貰い、新しい生活に入る事が出来ました。

入院していて何も出来ない私としては、本当に有難かったです。



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義両親が来た

2015-06-22 04:09:18 | Hello, a son ~ Hello, my sons
 私が入院した夜、
旦那サンは、自分の実家の両親に「協力を得られないか?」…と、電話をしました。

アラフィフの私達夫婦の両親は、当然高齢。

私の親は、母が14年前に他界しています。
父は健在ですが、正に「その時代の男」で、
遊び相手にはなれても、食事やオムツ、着替えに入浴など、
子供の「生活支援」は一切できない人です。

旦那サンの親は、義父がヨタヨタ…な感じです。
義母は、その種の病人がそうである様に受診こそしていませんが、
その症状は、どこからどう見ても統合失調症で、
一般的な思考とはかけ離れており、ヒステリーに泣きだしたりして、
穏やかな暮らしが出来ずにいる人です。

そんな状況なので、困っているとはいえ、親を頼るのは、どうかと思いました。
でも、他に頼る所も無く、苦渋の選択でした。


 義両親の返答は、「前向きに検討してみる」でしたが、
暗い早朝から車ゆるゆる走らせ、翌朝、我が家に来てくれました。

義母は、もう7年くらい、家から出た事の無い人ですが、
本当によく来てくれたと思います。
家族が話す様に、「家に一人でいられないから」かもしれません。
最初は渋っていたようですが、
買物や八つ当たりを請け負ってくれている夫(義父)が居なくては、
生活できない事を認識しており、行かざるを得ないという感じだった…とか。

 
 義母の健康状態や精神状態は、常に心配です。
それでも、掃除、洗濯、食事の用意…など、
高齢者ゆえに、ピカピカ美味のバランス完璧!…という訳にはいきませんが、
生きる上で、充分な動きをしてくれます。

ヨタヨタな義父も、冷静に様々な事を判断し、対応してくれます。

何より、
旦那サン一人が、息子を100%背負わなくて良くなった事。
誰かが家に居て、幼い子を待っていてくれる事。
…それらは、何にも代えがたい力になりました。



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突然の保育園デビュー

2015-06-21 03:50:34 | Hello, a son ~ Hello, my sons
 自分の子育てに自信が無いことから、
入れたい入れたいと思っていた「保育園」。

自身の体調が今一良くなくて、初めの一歩である、
「市への問い合わせやリサーチ」を、行動に移せずにいたのですが、
それはある時、突然やって来ました。


 ある日、体調不良で限界を感じ、救急外来を受診したところ、
なんと、そのまま入院になってしまったのです。

旦那サンは、息子を抱え、動揺しつつも大忙し。
「どうしよう…」…なんてオロオロする暇も無く、
保育園探しに翻弄することとなりました。

幸い、
旦那サンの会社には、5年くらい前から託児所が出来、
7時過ぎ~21時前まで預かって貰う事が可能だった為、当てにしていたのですが、
入所の条件というのか、なんというのか、
入所するには、半年前から申込をしないといけないらしく、
「計画入所」以外は受け入れないシステム…で、
困っている中、どん底に突き落とされる様な状況に陥ってしまいました。

仕方がないので、旦那サンは、
近所の私立保育園や、市役所に問い合わせ…
ファミリーサポートについても問い合わせ…
1歳児を抱えて、あっちへこっちへ大変でした。


 でも、
世の中、捨てたものではありませんでした。
誰もが親身になって下さり、
市役所も、素早く保育園を紹介して下さったし、
ファミリーサポートの窓口も、懸命に動いて下さいました。

そして、
7時~19時半まで、息子を預かって下さる保育園が見つかり、
私が入院してから5日目の週明けから、保育園に通う事になりました。


 自分の身体の事も心配でしたが、
それ以上に、家族の事が心配でしたので、
預かって下さる保育園が見つかった事や、親身になって頂いた事は、
私達家族にとって、本当に有難く、救いでした。



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迷子紐(リード)

2015-06-09 06:11:44 | Hello, a son ~ Hello, my sons
 迷子紐…。
要は、犬のお散歩みたいなリード。

正直、
10代とか若い頃は、ただのファッションに見えた。
日本に入ってきたばかりの外国の文化?だったからかな?

子供は居なかったけれど、
何十年も経ち、自分が親世代になってからは何も感じなかった。
ぼちぼち日本にも浸透していたからかな?

そして今、
迷子紐を使っている私。


 違和感を持て見ていたのは、“昔の話”…と思っていましたが、
世間では、現代も違和感アリアリなのですね。
少し前に、報道番組(トクダネだったかな?)でも賛否の放送をされていましたし、
ヤフーのアンケートにも載っていて、驚きました。

何より驚いたのは、“人様の様子に関心が深い”…という事。

他人に興味が無いのか、
私は、よそ様の子育てファッションには関心が無く、
何とも思わないどころか、見たことすら記憶に残らないのですが…。


 話は戻り、
ヤフーのアンケートでは、「否」の方が多かったです。
現在活用している私としては、当然「賛」ですが、
もしも子供が居なかったら「どちらでも良い」をクリックしたんだろうな…。

そして、
もしも、「素直で賢く、慎重な子供」を持っていたら、
「子供にペットの様なリードを付けるなんて、もってのほか」…と、
利用者を軽蔑していたんだろうな…。

そんな世間の事を想像しながら、
「でも良いのです。我が家には必要なんです。」…と、一人納得している私。


 我が家の息子は、
親の手を振り払って、道路に飛び出てしまう子なので、
誰が何を言おうと思おうと、必要なんです。


   我が子が跳ねられたら?

   よそ様の子を跳ねてしまったら?


きっと、
「飛び出さない様にしっかり親が摑まえていれば…」と思う筈。

迷子紐(リード)は、そんな子供を持つ親にとって、大切なアイテムです。
命を守れるのは、親しかいないのですから、批判なんて気にしていられません。

見た目は、子供をペット扱いしている様に見えるかもしれませんが、
私は、迷子紐(リード)を、「命綱」だと思って使っています。




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