パルコン旅行記

☆マイホーム建築への道のりとパルコンでの生活
(番外編を含む第1章~第5章)
☆寄り道日記

義父:施設退所を宣言

2024-02-22 08:58:47 | 高齢の親
 要介護2の義父が自宅で暮らせるようにする為、
段差だらけの老朽化したした家の改修見積もりが届きました。
最低限の見積もりですら、恐ろしい金額です。
車が入ってこられない土地なので、資材搬入だけで60万越え。
改修工事はまた別。

   義父は、この金額を見て何を思うのか・・・

息子(夫)は「今まで暮してきたのだから、こんなの必要無い」って言うだろと予測。

   でも全部はやらないとしても、必要なところは必要だからね。
   滅茶苦茶な事言わないでね。
   ・・・と心で願う私。


 何でも良いけど、家に帰りたいよね・・・。
ある日突然、入院となり、回復したとはいえ高齢のためそもそも不自由。

同時に認知症状が出ていることも手伝い、
正常な判断が出来ない為、みんながみんな敵に思えるらしく・・・。

自由気ままな暮らしから一転。
管理される生活になり、身体だけで無く心も窮屈だよね。

   義父はきっと「最低限の事は何でも出来る」と思っている。
   「他人の世話になんかなるものか!」と思っている。

だけどね・・・
そもそも人間は、他人の作り上げたモノを調達し生活する生物で、
「自立」と言っても、動物とは違って無理なんだよ・・・。
根本的に「未完全な生き物」だから。

だからね、
そういう生命体なのだから、一人で抱えて完結しなくて良いんだよ~。
もっと人の手を借りて、甘えて、それに感謝しながら生きていこうよ~。

実際、オムツの着脱すらおぼつかず、
ご飯を、食べても食べても食べ足りないなんて、完全に認知症だし。
買物だって何だって出来ると思えてしまう事自体、有り得ないし。
電気屋へ行って、使いもしない22万もするパソコン、何台買うつもり?
シニアカー買ってお買い物へ行く気満々だけど、あれ高いよ?
しかも、店内走行出来ないし、お店についてからどうするの?

   だけど、
   「何でもできるだ!」「何とかなるだ!」・・・と、
   そればっか。

支援を受ける立場になったからには、文句ばかりじゃなく、
「ヘンテコだけど可愛い、本来のおじいちゃん」で居てよ~。
・・・と、私は思っているんだけど。


 今は本当に、人を見れば不満をぶつけ、文句ばかり言っている様です。
何とか気持ちや心を和らげてあげられないものでしょうか。
色々考えてしまいます。

でもね、
施設やデイサービスにそれなりに馴染める人と、そうでない人が居るのも確かで、
介護の職場で働いたことのある妹の話によれば、
杖を振り回して暴れ、施設の玄関のドアを叩いて壊した・・・とか、
介護士が杖で叩かれた・・・とか、
入浴を拒んで、顔を引っ掻かれた・・・とか、
働く側のメンタル的にも、なかなか大変な事も多いらしく、
やはりそういう人は一定数いて、義父の場合も珍しくは無いのでしょうね。

自宅に帰ったら、本来のおじいちゃんに戻る・・・・・・とは思えないけれど、
少しは満足のいく晩年になるのかな?

息子(夫)と娘(義妹)は自宅には戻したく無く・・・
でも戻さないと施設にも迷惑を掛けるだろうし・・・

ケアマネさんに相談しならがやっている様ですが、
ケアマネさんも「久しぶりに凄いお爺ちゃんに当たっちゃったな」と言っているらしく、
まぁ、相当手に負えないというか、
会いに行くと、義父からの一方的な文句と要求の嵐のようで。

同じ施設にいる義母などは、ケアマネさんに
「(お爺さんの所には)行かない方が良いよ」とアドバイスをするくらい、
義父は誰にも相手にされず、心もポッツンとしているのだろうな・・・と思うと、
何だか私自身が悲しくなってきて、話を聞くだけでも良いから行かないとな・・・と。


 しかしどうしたものか・・・。
自宅生活に戻ったとしても、「ヘルパー要らない!」と言うし、
お願いしてもいずれ勝手に断りそうだし。
日用品の調達や通院もあるし、薬の管理もある。
「見守り宅配弁当」だけでは廻っていくとは思えない。

そもそも義父は立ち姿の重心が後ろにあるタイプで、
後ろにひっくり返るリスクがあり、「見守りが必要」と言われている。

それに、自宅に帰ったら食事制限など無視で、
食べたい物を食べたいだけ食べる生活になる。(認知の影響で以前より欲求が強い)

健康器具とサプリメントが好きで、
テレホンショッピングを見ては買いあさり・・・、だけど活用しない。

誰かが根気良くお世話をしないといけないわけで、
それをするとしたら、同市内に住んでいる義妹?
でも、義妹は「あの(汚い)家には足を踏み入れたくない」と嫌がっているし。

兄である夫が、
「暫くオンラインワークで実家に同居するか」と考えていますが、
それはいつまで?
体力は持つの?
そもそも永遠に完全オンラインとかOKなの?
・・・と、課題だったり、未知の話だったりで、
心理的に、「暗いトンネルに入る前」の戸惑いが尽きません。

 でもこれは、
18年間、統合失調症の義母を一人で面倒看てきた苦労への報復かもしれません。

子供やその家族が、「面倒を看てくれ」と押しつけた訳ではありませんが、
配偶者である義母の面倒は「自分の責任だ」と捉えつつ、
自分の言うことを聞き入れない義母に手を焼き、
治療を受けさせることを断念し、
誰の指図も受けず「自分のやりたいように」やって来てた義父・・・。

ですが、18年はあまりに長く、自分の身体が不自由になった今、立場は逆転し、
今度は自分が我儘を言いまくるのも分かる気がします。


 きっと、18年分自己主張をするパターンでしょうね・・・。
私としては、言わせて上げるのも良いかな・・・(無理も無いよね)と思うのですが、
サポートする家族にとっては死活問題で、
特に義妹などは、「私の言うことを何一つ聞いてくれない」と怒り心頭。
「痛い目を見ないと分からない」
「『お願いします!』『助けて下さい!』と言わせないと駄目だ
とまで言うようになったそうで。

義母が我が家に来て、戸惑っていたときは、
「これが私の親」(←受け入れなさい)的なことを言っていたので、
親に対してそういう関わりを貫く人だろうと思っていましたが、
「あ・・・そうなんだ?」
「私がお世話をして、そんなことを口に為たら、
 鬼嫁扱いで大変な事になっていたな・・・」
と、ソレに関しては、回避出来た事に心からホッとしている私です。

   やってみないと分からないのだよ
   何でも自分でさ


 どうなるのか、どうするのか、
義父は、「3月一杯で施設を出る!」と宣言しているそうです。


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退職を決断しました(マネージャーが想像以上だった)

2024-02-16 10:25:17 | ちょっと寄り道=独り言=
 退職の理由は、「自分が不甲斐ない事」。
これ以上でもこれ以下でも無いというスタンスで進めました。

正直なところ、言いたい事はそれなりにあります。
でも辞める自分としては、言ったところでメリットは無い。
自分以外のせいにした場合、「改善します」と言われてしまったら、
こちらの身動きが取れなくなる。
だから、どこまでも自分のせいにし、
自分がモチベーションを保てなかった事にして話を進めました。
そもそも、私が期待に応えられなかったのは事実です。
出来る人は出来るのだろうと思いますし、
責任者と歯車が合う人は合うのだろうと思います。

 夕方、
マネージャーさんから「大丈夫?」・・・と、電話がありました。
メールの通りの話をし、退職ありきで進めましたが、
このアラフォーとみられるマネージャーが、想像以上に強かった。

とにかく、
「大丈夫!」「出来ている!」「出来る!」と強引に励まし、
そう評価する理由や現状を語る。
そして、
「月8日じゃ、覚えられなくて当然!」「まだ半年も経っていない」
「責任者は迷惑だなんて思っていない」
「分かりやすく導いていくのが責任者の仕事」・・・と。

二人っきりのお昼休憩がほぼ無言・・・という気まずさや、
「前に教えたよね?」・・・といった高圧的な言葉。
「〇〇さん(20年のベテランさん)はもっと早くに終わっている」
「それは今遣らなくても良い!(マニュアルには「常に心掛ける事」となっている)」
「何でも良いよ」と言われ、自分の感覚で出すと「これは駄目」と変えられる。
「イメージしてセットして」と言われても、経験が無くイメージが出来ない。
・・・これを全部は言うことはありませんでしたが、
(冷たい言葉に愛情は感じられず、極度の緊張と辛さで、)
「焦れば焦るほど、何が何だか分からなくなる」
「私が勝手に落ち込んでしまい・・・」
・・・といったニュアンスの事を、伝え続けました。

 相手(マネージャー)も必死です。
どこも人材不足で本当に困っている様ですし、
そもそもこの業界は、私と同じ様な理由で退職願いを出す人が多いらしく、
ある意味「説得馴れ」をしているのか、意外なほど心を揺さぶって来ます。

正直、相手が引き結果的に辞めさせて貰えるつもりでいましたし、
私もかなり「自信が無い」「限界です」を連呼しましたが、
「漠然としたイメージでは無く、前持った打ち合わせを責任者発信で進めて準備をする」
という改善提案を出された事もあり、そういった動きは取り組んで来なかったので、
「まずそれをやってみた上で、退職を見極めよう」という決断に至りました。

すんなり退職させて欲しく、なかなか承諾出来ませんでしたが、
それでも「漠然」とした世界では無く、
「明確」な準備が出来る様、導いてくれるのであれば、
ベテランさんの様には出来なくても、それなりに出来るでしょう。

あとは責任者との人間関係。
こちらに関しては、全く自信が無いですが、
送られて来たLINEからは、彼女の気持ちや考え価値観や反省が綴られていて、
「共に色々考えていきたい」と綴られていたので、少しは改善するかもしれません。

ただ、それまでのアレは意地悪としか思えなかったですし、
仕事を離れた会話からも、他人に対する評価が雑で冷たいのを感じますし、
今回のことも、根本的には「あいつ、コノヤロー」と思われているだろう。
思われているに決まっている。
とすら思っていて、要するに信用していない自分が居て、
この先、上手くやっていけるかどうか、やっぱり自信がありません。

だけど、世の中いろんな人がいますし、
何かを優先するために、何かに目を瞑る事は多少なりとも必要だろう・・・と。
未だに昭和根性に支配されている私です。


 そう言えば、マネージャーはこんな事も言っていました。
「私は、栄転であるならば『分かったよ。おめでとう』と送り出してあげられる。
 だけど、行き詰まって退職し、この先挫折感を持ったまま過していって欲しく無い。」
「仕事や職場が嫌いになって辞めるのであれば仕方が無い。
 だけどそうじゃないでしょ? 勿体ないし『分かったよ』と言えない。」
(↑ これはまぁ、何度も使ってきたフレーズなんでしょうね)

とにかくまぁ、色々と心を揺さぶられました。
私もかなり食い下がり、問題を先送りした状態をキープして終わらせましたが、
このマネージャーもなかなかの手腕でした。


※因みに、
50を越えて私も強くなったのか、時代が後押しをしているのか、
考えを切り替える事の大切さを意識する様になったこともあり、
退職するにしても、「行き詰まって退職&挫折感」と捉えようとは思っておらず、
「貴重な経験が出来たな~」「短い間だったけど楽しかったな~」と、
そういった捉え方で生きていくつもりでいたので、
マネージャーの心遣いには感謝しましたが、「どうぞご心配なく」・・・でした。

   人生一度きり
   好きでも無い何かに囚われて生きるのは無駄でしかない



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退職を決断しました(会社とパートさんへの報告)

2024-02-16 08:50:39 | ちょっと寄り道=独り言=
 翌日は私がお休みで、
もう一人のベテランパートさんが出勤される日でした。
いつもこのパートさんと交代で仕事を為ているため、
今はほとんど会うことがありません。

ただ、休みの調整をして頂いたり、
何より20年のベテランなので、ある意味「神」で、
何でもそつなく熟せる人ですし、
正直なところ、結構キツく厳しいですが「愛」がある人で、
人間として好きでしたし、尊敬に値する大切な人です。

この日、職場に提出物があった為、私も顔を出さなければならず、
そのベテランさんが早番なのを見計らって行ってきました。
そして、
「仕事が上手く出来ないこと」
「焦れば焦るほど訳が分からなくなってしまうこと」
「いつも責任者に迷惑を掛けていること」
を理由に
「続けていく自信が無い」
「迷惑を掛けるのは本望ではない」
と、退職する意向を伝えて来ました。

話していたら、上手い具合に涙も出て来て・・・。

ベテランさんはちょっと驚いて、
「え・・・ そうなの?」
「悩んでいたなんて、全然気が付かなくてごめんね・・・」
「出来てるけどね・・・」
「出来ているから、私はほかの部署に行ける(駆り出される)んだし・・・」
「取敢えず休職してみるとかは?」
「でも、あなたが苦しくて病んでしまってはいけないし・・・」
「そうね。マネージャーさんに相談してみるのが良いかもしれないね。」
「もうここへ来辛いのであれば、とりあえず靴だけでも持って行ったら?」
 (↑ 後に、靴を持って他の部署へ異動をする事を想定していたと気付いた私)
「いつでもLINEして」
「お茶しに行っても良いし」
「また何かあったら相談して」


 帰宅後、マネージャーさんに、
退職の旨と、求人のお願いと、
今までの感謝と、期待に応えられなかったお詫び、
のメールをしました。

ですが、即日退職はいくらなんでも人材確保が大変でしょうし、
そこでまた迷惑を掛ける訳にもいかないことは充分分かっています。
「いついつまでは居て・・・」と言われた場合の気まずさを考えると、
辛すぎて地獄だな・・・と、想像すら出来ない事の成り行きを空想して辛くなり、
辛くなりつつも「次は何処で何をして働こうか・・・」と、ウキウキ未来に想いを馳せたり。

「50代にして誰かの役に立ちたくて介護職の学校へ行き実習に出向いたら、
 大変な家庭を垣間見てしまい、自分が辛くなって鬱状態に陥り、
 介護から離れ何も為ていなくても悲しみや辛さに支配されて抜け出せない」
といった悩みを持った方のに対する「人生相談(ラジオ)の先生」の回答をを聞きながら、

・誰も自分に期待を為ていないのに、役に立とうとか一生懸命にやらなくても良い。
・悩みを抱えた人は、明るく導いて暮れる人が必要なのに、負を持ち続けるあなたが関わってどうする?
・いま遣るべき事は、家族の未来(孫の世話など)を見据えた準備。
といった言葉から、
「至らないばかりでお荷物な私は、期待もされていないし、頑張らなくて良いんだ~!」
「負の感情を持って、暗い顔で出勤されたら寧ろ会社も困るよね~!」
などと、妙に都合良く捉え、
「辞める選択は、世のため人のため!」
「間違ってはいないし、最善の選択!」
と、少し心が軽くなるのでした。


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退職を決断しました(背景)

2024-02-16 07:55:02 | ちょっと寄り道=独り言=
 10月から仕事を始め、5ヶ月目。
それまではそこそこ順調に来ていたのですが、
何故か突然、日を追う毎に責任者のアタリがきつくなりました。

職場は責任者の方との「2人体制」です。

心当たりがあるとすれば、手際の悪さと覚えの悪さ。
だけど、正直なところ「教育」はしてもらっていない。

それはおそらく、悪しき昭和の常識から来る物で、
責任者世代(57歳)的にも、
職業的にも、
「先輩のやっていることを見て覚えなさい!」
「一度聞いたら、二度と聞くな!」
といった根強い価値観によるものだと感じています。

私も同世代の50過ぎのオバサンですから、その背景は理解出来ます。
でも、私にソレを遣れと言われても無理です。

昔の人はよく頑張りましたよね。
それが美学だったのかもしれませんし、
世の中の全てが丁稚奉公的な、システムだったのかもしれません。

だけど今(現代)は違います。
歪んだ形で「のし上がるのを促す」のでは無く、
しっかりと丁寧に「教育」をしなくてはなりません。
そして、それを実行している所がほとんどです。


 ひたすらされる駄目出しと嫌味っぽい歪んだ指摘が、数日間繰り返され、
「自分は使えない人間なんだ」「ここには必要ない人間なんだ」と感じ、
それでも諦めず、昭和感覚でしがみついてやっていこうと思っていましたが・・・。

本当に今はもう、そういう時代では無いんですね。
「嫌なら辞めれば良い」
「辛い想いまでして働く必要は無い」
「会社では無く、自分の事を最優先に考えるべき」
「人材不足の世の中、もっと良い所は山ほどある」
「お疲れ様」
「次は良い所が見つかると良いね」
「ウチの会社で働く?」

家族や友だちからは、そんな言葉で埋め尽くされました。
「他人事だし、無責任に退職を勧めているだけだよね~」
という感じでは無く、
「それが常識」という価値観です。
本当に、清々しいほどあっさりと過去を棄て、未来を見つめるスタンス。

若ければ若いほど、その思考は強いですし、
人を育てる年代になった旦那サンも、
そういった現代の価値観や管理職としてもあり方の教育により、
「それが常識」と言い切ります。


 私は周りの人に悩みを打ち明けつつ、
「なんとかしがみついて頑張ろう」と思っていましたが、
気を病んで眠れない自分と一晩過しながら、
「ここで頑張るのは、良い事では無いかも」と感じ、
翌朝退職の決心をしました。


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嫁:落としどころを考えてみる

2024-02-10 11:19:38 | 高齢の親
 義両親が施設(サ高住)に入って、約半月。

 義母さんは、
茶飲み友だちが出来て、気分上々・・・だそうです。
しかも、
入居時に歩行車を試して、欲しくなり、レンタルしたのですが、
施設内で杖も歩行車も使わずに過していたら、
半月後、ベッドの横の歩行車を見て
「これは何?」
「昨日から突然、置いてあるんだけど」と言い出したらしく・・・。

   え・・・?
   入居時からずっと置いてありますけど?
   ご自身の強い希望でレンタルしましたよね?

・・・と、認知機能の低下を憂う義妹ですが、
そもそも、「義母さん歩けるって」・・・と思っていた私は、
「良かったね~」くらいにしか思っていない。

   歩かなかっただけ 
   歩かせなかっただけ
   手を貸しすぎて、何もやらせず、
   チャンスを奪っていただけ

まぁ、義母さんはこんな感じで元気。
  

 義父さんは・・・、
自宅に帰りたくて、
息子(夫)が、見積と具体的な相談を持ってやってくるのを待っている。
おそらく、改修工事が完了し、数ヶ月以内に自宅へ帰ることを想定している。

   その想定の上で、「サ高住の入居」を妥協したから

 実は義父、
3ヶ月入院(救急車で運ばれた)していた病院を、
入院2ヶ月くらいの時に脱走しようとしていまして・・・。

荷物をまとめて出て行く準備をしていたら、
「看護師さんに見つかって引き留められた」・・・という事があり、
翌朝、病院から義妹に電話があったそうですが、
少しは動ける義父なので、
今の施設からも脱走を図るであろうと、家族は危惧しています。

自分の親のことでは無いですし、
本人からも義妹や親戚からも、
「あの嫁、こんな施設を選びやがって
などと言われたくないので、私は施設探しは一切していませんが、

施設巡りを為ていた夫の話しに依りますと、
納得しないまま施設に連れてこられた人というのは、
ケアする職員さんも凄く大変だそうで、
「出来る限り(もしくは必ず)納得してもらった上でのご入居を」
と、言われるみたいです。

中には、家族に
「お墓参りに行こう!」と連れ出された先が「施設」なんてこともあり、
「自分はどうしてここに居るのか?」「いつ帰れるんだ?」と言いながら、
一生を過した人もいるらしく・・・。

   帰りたいよね・・・自宅に
   痛いほど分かるわ・・・

   だけどもう、そういう時代じゃないんだよね・・・
   今は生きていくために、学生以外は全員働かないといけない。
   古くは嫁にやらせていた介護も、
   今の時代はその嫁も外で働かなくてはならず、   
   家の切り盛りや子育てすら、満足にはこなせていない状況。

人間って、無駄に寿命が長すぎ・・・。
そういう文化のある生き物だから仕方無いけれど、
自分に置き換えると、そこそこで尽きたいな・・・と思う。

でもまぁ、
義母なんかは、「まだまだ死にたくない!」と言っていたので、
とにかく長く生きたい人もいるわけで・・・。


 話は逸れましたが、
「義父が自宅で暮すことは無理だろう」・・・と親族全員が思っている今、
「拠点は施設」「でも、週1自宅でお泊まり」
が、落としどころでは無いだろうか?
・・・と思っている私。

週1のお泊まり介助は、
息子(夫)と娘(義妹)で話合ってやって行くのが妥当でしょう。
介護は、養って貰った恩がある人が、愛を持ってする事だから。

配偶者はサポート係。
だから、私の構想を押しつけることは出来ないけれど、
自宅への慕情を断ち切ってしまうのは、あまりに気の毒ですし、
何とか週1帰宅で納得して貰えないかな・・・と。

まぁ、私の勝手な考えであり、
この家族(4人)がどう意見の摺り合せをし、どう乗り越えていくのか。
取り仕切って決断する立場ではない私は、黙って見守るのみ。



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義父:自分を貫こうともがく

2024-02-08 12:20:28 | 高齢の親
 久しぶりの投稿・・・。
色々忙しく、燃え尽きていました。

仕事も週2じゃ収まらず・・・。
肉体労働は疲れますね。
いや、肉体より気疲れが・・・。

だが、割り切ってやるしか無い。
先輩の失敗は見ないふり。
自分の失敗は言われる前に「深く反省」の姿勢
まぁ、コレに尽きるかな。
少なくとも今は。

 
 1月中旬、
義両親は、義父の退院と共に「サ高住(サービス付き高齢者住宅)」へ入りました。
とは言え、「仮住まい」です。

どうしても「家で暮すだ」「出来るだ」・・・との事で、
家以外は断固拒否だったのですが、
「段差が多い自宅では無理だ」「住環境の改修を検討している間は施設にいて」
という説得を、何度も何度もし、やっと受け入れて貰った・・・という現状。

自宅の改修について、見積書待ちなのですが、
・築50年弱。
・しかも義父の手作りハウス。(←凄いでしょ? 尊敬モノよ!)
・段差あちこち。
・お風呂老朽化+寒い。
・一部雨漏り。
・徒歩で20㍍ほど入った車が横付け出来ない土地。
・近くに駐車や路駐の可能な場所無し。
自宅の改修以前に、建築法だか消防法だか、
自宅に隣接する道が細すぎるため、「資材手運び=日当10万円」。
そもそも、今となっては法律で新たに家は建てられない土地。

工事を着工したとして、
思ったよりも酷い状態だったら、所さんの番組じゃないけれど、
結局ほぼ全部取っ払った新築じゃん!・・・みたいな事になったりするそうで。

金銭的にも厳しいどころか無理でしょ・・・と、嫁は思う。
息子(夫)は一部払うつもりでいるらしいけれど、
それは一部じゃ無く「ほとんど」・・・になるでしょうし。
子供の事や自分達の老後を考えると、もうこれ以上ローン組みたくない。
とにかく子供に負の遺産は残したくない。

仮に改修して、何年も何十年も住めるのであれば良いよ?
義父さん、無理だもん。

結局退院して、施設に入って、蓋を開いて見たら、
着替えやら身の回りの事が出来なくて、
でも「出来る!」と言い、実際そう思い込んでいるし、
粗相をしても着替えないから、部屋に排尿臭が染みついていたり、
でも何でもかんでも「出来る!」と言い、
施設の人が巡回に来ても「困っていない!」「出来る!」とお断りし・・・。

介護付きの施設なんだよ?
なのに、介護士さんを頼ろうとしないし、追い返す・・・。

   え? 追い返すの?

義妹が見に行くと、オムツがポイと床にほかってあって、
何やら飛び散っていたり・・・。
しかも「こんな小さなオムツ、履けん!」というらしく・・・。

   いやいや、サイズはOKよ?
   縮こまっているから、手で開いて、こうやって足を通して履くのよ?

しかも何故か片手で履こうとする。

   もしかして、片手・・・動かないの?

いやいや、普段は動いているらしい。

   それって、何かの後遺症?

とにかく、文句だらけ。

 家族に対してだけなく、デイサービスに対しても文句だらけで、
前向きに世間と関わったり、リハビリしようとする気も無く、
不機嫌に暮しているだけ・・・の状態。

そんな現状がつまびらかになって、
普段、マトモな事を言っているモノだから気が付かなかったけれど、
モットモらしい事は言うけれど、認知がかなり進んで為て、
何というか、野生化しているというか、
「人間らしい尊厳を保ちたい」という感覚が全く無くなっている・・・そんな感じで、
そもそも「自宅でやっていけるの?」・・・と、
「常に誰かが看ていないと立ち行かないよね?」・・・と。

 ちょっと変わり者個性的ではあったけれど、
賢い、筋の通った、正直で真っ直ぐな、愛すべき人だったんですけれどね・・・。
私からすると面白くて、結構好きでしたが・・・。

   因みに、今も嫌いじゃないですよ。
   義父の姿を見ながら、認知力の低下や老いを冷静に捉えているだけ。

人は老いて、道理や分別を無くし、
最後は、ただただ自分であろうとするんだな・・・と、
妙な納得と共に、本当に色々考えさせられます。


 見積もり・・・どうなるんでしょうね?
自宅に帰りたいのは痛いほど分かるのですが・・・。

住環境や、近くに車が停められない家の位置、
そもそも見守りが必要な状態で、
世話をしてくれる誰かが必要。

何も知らない息子(夫)は、
「毎日昼間にヘルパーに来て(居て)貰うのは?」・・・とか言うし。

   いや、数時間単位だよ、ヘルパーさん。
   毎日専属12時間とか、聞いたこと無いし。
   富豪ならアリかもしれないけれど、施設なんかより高額実費だよ。

とにかく、問題が山積。


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