パルコン旅行記

☆マイホーム建築への道のりとパルコンでの生活
(番外編を含む第1章~第5章)
☆寄り道日記

初めての市民大会(空手)

2023-05-29 11:49:46 | 長男&次男:小学校へ行く
 怪我をしない「なんちゃって」な戦いごっこが好きだった次男君・・・。

幼稚園では女の子も交え、散々やっていて、
小学校へ入学後も普通に「戦いごっこ」を友達にしかけていたようで、
「学校は机などあり危険ですから、そういった遊びはさせないで下さい」
・・・的なお叱りを受けた事をきっかけに、
「戦いごっこが出来ないなら、空手でもやっとく?」・・・という流れになり、
小1の春から父親と親子空手教室に通い始めました。

そして入門から三ヶ月・・・。
「そろそろ空手辞めよっかな~」
「もう辞めたい!」
など、ず~~~っとやる気無しモード。

最初は張り切って通っていたんですけどね。
今では「茶帯になったら1万円あげる」などとエサをちらつかされて、嫌々通っている状態です。

 入門から約1年後・・・。
いよいよ市民大会に出場することになり、
やる気の無い次男は、今回も父親から、
「形で優勝したら1万円。組み手で優勝したらもう1万円。」
「1回勝ったら100円。2回勝ったら300円。3回勝ったら・・・」
などとエサをちらつかされていました。

「週1のゆるい親子教室しか行っていない君には無理でしょ・・・」と思っている母でしたが、
お手伝いや学習ポイントなどでささやかに稼いだお金は即使ってしまう次男は「万年貧乏」。
その上、自分の実力もよく分かっていないので、
やる気満々で2万円以上稼ぐつもりで大会に参加しました。

 最初に行われた形の試合は、2人一緒にそれぞれが披露する形をするのですが、
もう1人の子か「平安2段!」と掛け声を出し形を始めたら、
次男も勢いに飲まれて「平安2段!」と言ってしまい、
慌てて「基本型2!」と言い直していて笑えました。

後で聞いた話しに依れば、やはり緊張していた様です。
きっと、初めての「緊張」だと思います。
次男君の得点の旗は、1本も上がりませんでした。

組み手は、1回目はどういうわけか勝ちました。
2回目は、ぼろ負けでしたが「後ろに下がらない」だけは死守しようと頑張っていました。
ついでにポイントを稼ぎたい一心なのか、蹴りまで出し始め、父親は、
「蹴りなんて難しいし、ほとんど練習してないし、無理だって~」と場外でブツブツ文句を言っていましたが、
私は次男の心に「火が付いた」のを感じられ、面白かったです。


 そして、
あっという間に出番は終わり、次男の収穫は残念ながら100円。

でも、試合の雰囲気や友達との交流が楽しかった様で、
「今度の土曜日(親子教室の日)、何しよっかな~」とつぶやいていました。

   何しよっかな~って、空手でしょ
   休憩時間に何して遊ぶか考えてるの?

何故か今まで友達と絡むこと無く、誘われても応じずにジッとしていたそうですが、
今回は仲良くなった3人で走り倒して、外の公園へも遊びに行って、「突然」楽しかった様です。
大会・・・って、やっぱり高揚感やら不思議なパワーがありますよね。
空手の面白さも実感してくれたようで良かったです。

   次回からは、喜んで通ってくれるかな・・・


 だけど実は「親子教室=スポ小の入口」で、
そこそこ上手になったり昇級すると、平日のスポ小教室(週2)へみんな移っていくんですよね・・・。
平日の夜って、時間的になかなか厳しいのですよ・・・。

しかも、親子教室は「低学年まで」「黄帯まで」・・・らしく、
そこそこ上達したら、1年後はスポ小へ行くしか無くなるわけで、
「色々先を見越した生活を考えていかねばな・・・」と。

習い事を組むのもなかなかシンドイですね・・・。親が。
平日の夜となると、担当が父親から母親にならざるを得ない訳ですし、
「私かい?」・・・って感じです。

   でもまぁ、やる気になってくれて良かったよ。
   空手・・・、君には向いていると思うから。

後は、親も楽しめるようにならなくてはね。


別れ際の「紙」

2023-05-21 05:08:43 | 病気
 術後の検診に行ってきました。
まだ少し出血がありますが、経過は良好です。

そして
問題が無ければ、これで診察は終了となります。

お礼を言って帰る際、Drに紙を渡されました。
それには、
「治療終了~。 次回は初診になるので7700円が必要になります~。」
といった内容が

 そう。
大病院は紹介状無しで行くと、初診料がお高いのです。

一旦区切りがつくと、次回からは初診扱い。
・・・まぁ、仕方無いわね。

この先も健康に気を付けてやっていかねば



50を過ぎたら「エンディングノート」

2023-05-19 16:12:40 | 高齢の親
 仲の良い家族で、多種多様の「会話が尽きないファミリー」は良いですが、
会う機会が少なかったり、何でも話せる「深い関係」が築けない場合は、
エンディングノート・・・必要です。

   50を過ぎたら”義務”だと思って、絶対に書いておいて!
   途中で考えが変わったら、また書き直せば良いから!


 目先の問題に対しては、「時既に遅し」。
義両親にそんなことを言える段階ではないので諦めるとして、
実家の父には「エンディングノートを書いておいて」と電話をしました。
(実父81はソフトボールや旅行を楽しみ元気にしています)
「何だそれ? 書いてあるよ」・・・と言っていましたが、
いやいや、そんなことやってないでしょ

①自分・親戚・知人のこと
②お金や資産のこと
③もしもの時のこと
④告知や終末医療のこと
⑤葬儀のこと
⑥贈与・相続・遺言のこと
⑦遺品・形見分けのこと


保険証やマイナンバーカードなどの重要書類
掛かりつけ医や飲んでいる薬など健康に関すること
親戚の連絡先やお世話になった所属団体

預金口座や金融資産、土地建物
年金・保険
ローンに借入金・貸付金
クレジットカードや電子マネー
口座引き落とし

介護・看護で中心になって欲しい人
もしもの時治療方針を尊重して欲しい人
介護が必要になったときの具体的な希望
介護医療に掛かる費用の出本
財産管理
伝えたいこと
介護の要望

病名の告知
延命治療
ホスピス
臓器提供
エンバーミング

葬儀の生前契約の有無
宗教宗派
葬儀場所
葬儀規模
葬儀形式
葬儀費用
喪主
世話役
弔辞
戒名
遺影やお棺に入れてほしいもの
お知らせの仕方
法要

お墓の有無
墓石
埋葬場所
納骨方法
仏壇
死後の事務
それらの費用

相続が生じる資産の有無
生前贈与の有無
相続方針
遺言書の種類
遺産相続の希望

所有物や形見分け


残された人が知っておかないといけないことは、
想像していた以上に沢山あります
   
得に①~④は、
生きている間の事なので、絶対に知っておきたいです。

中でも、「延命治療を希望するかどうか」は切実です。
本人がどんな選択をしたいのか分からない中、勝手に決められないので。


 エンディングノートを2冊買ったので、
近々実家に届けてこようと思います



軽い読み物は救世主

2023-05-18 08:40:11 | 高齢の親
 義母が入院し、これからどうなるのか・・・とバタバタしていた頃、
義母の今後の生活を考えると、(夫婦での)老老介護はそろそろ限界だと感じました。
しかも、義母だけでなく「義父も危うい」・・・となり、
いよいよ介護(まずは支援)が必要だ・・・と。


 2週間の教育入院(検査入院?)中は、
どんな検査結果になるのか、それぞれが心配しながら・・・の毎日でした。

義父は言われた事を聞いているだけ。
夫は、もしかしたらこのままずっと入院になるのではないか・・・と思っている。
義妹は、根底には入院生活が長引くかもという考えがあり、
そうでない場合はインスリン注射が必要な生活をイメージしている。
私は、闘病生活をすっ飛ばし、その先の事を考えている。
(私には病気を治す力など無いから)

要介護認定やヘルパーの話しをしたとき、
義妹の反応はイマイチでした。
インスリン注射を打つために、実家に通う事をイメージし、
「頭が一杯」とも言っていました。
そして、「今が私の頑張る時」と、覚悟を決めている事も。
だけど、好きなパートを辞める気は無い事も。

 義妹は、義母が妄想にふけってあらぬ文句を言い、
泣いたり叫んだり、時に物を投げつけて暴れたりするようになってから、
それまで頻繁に行っていた実家に、年5回も行かなくなりました。
「私も自分の人生があるし、受け止めきれない」・・・と。
義妹なりに悩み、占い師に相談した末の事だった様です。
(私の友達も家族の悩みを占い師に相談しているそうで・・・。女性には多いのかな?)

義父と義妹には、思いの丈をぶつけていた義母ですが、
強気にでる息子と他人の私には、そういった姿を出来るだけ隠していました。
ただ、隣りの部屋から聞こえるヒステリックな叫び声と泣き声、
物が投げられ落ちる音、それらから現実を垣間見ていました。

他人の私は、
どうして義母に治療を受けさせないのか分かりませんでした。
今でも分かりませんが、義父が受け止めていた為、生活は可能で、
広範囲の問題が無かったからかもしれません。

どちらかと言えば、
「なんとかなる」「困ったらその時に考えよう」という類いの
大らかな一族でもあるからかもしれませんが、
他人の私は、その感覚に救われつつも戸惑いが大きかったです。

何かにつけ実子は、
「ウチの親は頑固」「テコでも自分の考えを曲げない」
「どうにもならなくなるまで待つしか無い」と言っているので、
単にお手上げだったのかもしれません。


 とにかく私は、義母の入院と義父の様子を第三者的に見て、
「支援が必要な段階に入った」という確信があったので、
尻込みする義妹と戸惑う義父を感じながら、
介護保険について調べ、どんどん進めていきました。

   高齢になったら、
   本人とその家族を導いてくれる「人や組織」が絶対に必要です!

介護の本などを見ると、しきりに
「抱え込んではいけない」「それぞれに合ったサービスの活用を」と書かれています。
中でも「介護の困った消える本(クロワッサン)」は、
最初に楽しい漫画があり、介護保険への抵抗を無くすのに良さそうな雑誌でしたので、
「漫画が楽しくて~。読んでみて~。」と、義妹に送りました。

この本は、介護に対してネガティブな考えを持つ人と、
様々な不安や抵抗のある人には「軽い読み物」としてぴったりだと思います。

私が推し進めていた「義父の要介護認定」だけで無く、
義妹が「義母の要介護認定」の申請手続きも、一気に(同時に)着手したのは、
何かしら、この本が影響している気がします。

   それにしても、思い切ったな・・・義妹ちゃん。
   義母が退院してきたら、どうなることやら・・・。
   「老いては子に従え」なのだと分かってくれれば良いのだけれど・・・。


 義母は経過が良かったようで、インスリン注射の必要も無く、
入院2週間で今週末に退院出来るとのことでした。
その3週間後に入院をして白内障(片目)の手術を。
その翌週にまた入院をしてもう片目の手術を受ける予定です。

義妹は、「糖尿病より目が良くなって欲しい!」と言っていましたが、
確かに、目が見えるようになれば、
自分がどんな環境の中で生活をしているか見えるようになりますし、
支援が必要な事も、認識してくれるかもしれません。

どちらにしろ、残された人生、
少しでも穏やかで楽しく、人間らしい生活をしてくれたら良いな・・・と思います。
実母は癌で苦しみながらの最期でしたが、
「最期こそ、平温な日々を送らせてあげたい」・・・それが私の願いです。



8050

2023-05-16 09:18:47 | 高齢の親
介護保険申請をするため、
義実家のある市役所へ夫と共に行ってきました。
義妹もその直ぐ後に到着したので、実子である夫と義妹に任せ、
手続きの後、一緒に食事をしようと誘った"義叔母”(義父の妹)と、後ろで待機。

市役所の担当さんが席をハズしたのを見計らって、
義叔母と二人で、「どう?」・・・と聞くと、
義妹が、「おばあさんの申請も一緒にして、今、訪問調査の日にちの調整中」・・・と。

   ちょっと、いや、かなりびっくりした

介護保険申請・・・というか、支援を受ける事に対し、
義妹はもともと消極的な姿勢だったから。

退院や経過を見て、状況を判断して、その時に考えて決めたい。
もちろん、介護保険を利用する「本人の意思」も確認しながら。
・・・そんな感じのスタンスだったから。

   今考えても、かなりびっくりするのだけど・・・


 色々な要因や心の変化があったのだと思いますが、
一番大きな理由は、
「訪問調査待ち・・・。最短で7月。」という現状かもしれません。

あとは、「両親揃って訪問調査を受けた方が、楽!」
・・・と、思ったみたいです。

   いーよ、いーよ! それが良い!
   二人とも既に、身の回りの事をするのが難しくなっているのだから

にしても、
義母の意向を確認すること無く、勝手に手続きをしてしまい、
本当に大丈夫なのだろうか・・・。
怒り狂って、泣いて、暴れて、喧嘩して・・・ってならないだろうか?
思い切ったよな・・・義妹ちゃん。

だけど、色々問題を抱えた義母の意向を聞いていたら、
ゴミだらけの悪臭漂う部屋に閉じこもる「現状維持」以外無いでしょうし、
それってかなり危険で、人間の尊厳などあったもんじゃないし、
「是非希望を叶えてあげたい!」とは、到底思えないんですよね。

   もう、プロフェッショナルに頼るしか無い!
   それしか、道は無い! 
   

 私もさ、
随分口を出したけど、ここまで漕ぎ着けることが出来て、ちょっとホッとした。
いや、かなりホッとした。

後は、支援サービスを受ける中で、
要所要所でケアマネさんがアドバイスなり、提案なりをしてくれるハズ。

実子の「どうしたい?」には、
「どうもしたくない(要らん世話!)」しか返ってこないし、
嫁の「どうしたいですか?」は、これまた余計に腹立たしいでしょうし、
ケアマネさんの「どうしたいですか?」が、一番良い!

健康状態も冷静に判断して下さるだろうし、
今の状態がどんなレベルで何が必要か、家族を導いてくれるハズ。

   もう、本当に本当にホッとした!

後は、「覚悟」をして「助言に従い」動いて行くのみ。
我が家で「自宅介護」になったとしても。
「施設入居(援助要)」になったとしても。

   やれるだけの事はやるわっ
   

 それにしても、
介護保険の申請をして、訪問調査まで「2ヶ月近く順番待ち」・・・なんて、
認定が降りるのは、完全に2ヶ月以上先よ。

高齢者は一気に弱るから、その頃どうなっているかも分からないわよ。

8050問題」・・・とは定義が違うけど、
「80代の親」と「50代の子」という関係は、
家族の最大の山場かもしれません。

今は、「要介護認定を受けたい人」が世の中に溢れている~~~


術後14日で整う

2023-05-12 12:08:31 | 病気
 傷はそれほど痛くは無かったのですが(縫ったオシモはしばらく痛かったが)、
退院してきてからも、何とも言えない「重苦しさ」があり・・・。
そうね。例えるなら臨月の様な内臓が圧迫される様な・・・
お腹パンパンで食べ過ぎみたいな・・・、そういう苦しさ。
それに暫く悩まされました。

でも、大体術後2週間ほどで治まりました。

アレはおそらく「手術で使ったガス」が原因なんでしょうね。
腹腔鏡手術をする時、ガスを注入してお腹を膨らませ、
視野や器具を動かすスペースを確保するらしく、
それが体内に残っていたんだろうな・・・と。

正直、横になっても苦しくて、(寧ろ横になる方が苦しかったかも)
なかなか辛いものがありましたが、流石にもう抜けた気がします。

 ビックリなんですが、
お腹もペシャンコになりました。(以前よりは)

MRI画像で見たアレが、無くなったということは、
そりゃぁペシャンコになるでしょうよ。(以前よりは)


 残る問題は、腰痛のみ。
なんか、腰が痛いのです。
上手く骨盤に上半身が乗っからない・・・みたいな。

いろいろ試し中(ケア中)です。

市民講座で抽選に当たれば、6月からヨガでびゅーをするわ。
ついでに、2時間X4回くらいやった太極拳も、もうちょっとやるわ。
(太極拳、難しすぎて覚えられない=センス無し)
身体が良い感じになったら、体力作りにジムも通いたいわ。

そして、サイズダウンを目指すの。

元気でいないとねー!



介護保険申請への準備

2023-05-11 08:15:41 | 高齢の親
 義父と二人で病院へ行く予定を立てていましたが、
何故か義妹が「菫さんが嫌な思いをしないか心配」と言い出しました。

   嫌な思い?・・・
   手を握るとか? 抱きつかれるとか?
   とうとうセクハラ?

などと思いつつ、やんわり「どういう?」と聞くのだけれど、
イメージゆえに表現がしきれないのか、ハッキリ言わない義妹・・・。
もの凄く言葉を選ぶタイプで、お互いに距離感がつかめていない。

   言ってくれないとわからないのだが

こうなると「洞察と言う名の勝手な自己解釈」をしなくてはならず、
それによれば、
「義妹自身が義父の言動に嫌な思いをしてる(ショックを受けている)」ため、
「兄嫁である私がそれを背負わないか」・・・ということを気にしている。
同時に、義妹の根底に、
「私の両親と実家の事を他人に仕切られたくない」という無意識の思いがある。

といったところなのだろう・・・と思いつつ、
実際は本当に何を指しているか分からず、
ここにきて、「察する事」の難しさを考えさせられます。

「(嫌な思いとは何のことだか分からないけど)そっか。
義妹ちゃんが心配なら、ゴリゴリ進めるのは違うと思うけど、どうしよう?
義妹ちゃんが、”今が私の頑張る時” と必死になっているのは分かるけど、
義妹ちゃんが鬱になってしまわないか、心配だよ。
私はさ、
リロ(長男)が発達障害で子育てや自分の気持ちを維持するのが困難で、
独りではとても無理で、行政に『助けてください~~~涙』ってすがり、
力になって貰いながら、なんとかやってきたからさ。
義妹ちゃんと正反対で、抱え込まず、助けて貰うことしか考えてなくて。」

と話したら、一瞬空気が変わり・・・。

「じゃぁ、介護とかそっち方面は、私は分からないから、菫さんに任せるわ。」
「了解。お兄さん(夫)と相談しながら進める事にするね。」
という流れになりました。

 夫が帰宅後、このことを話し、意見を聞くと
「やれることは何でもやっておけ」という考えで、
「その日(病院へ義父を連れて行く日)、一緒に行こうか?」・・・と。

   行けるなら行ってくれ
   寧ろ、実子が動けるなら動いてくれ
   他人の嫁が動くと、ややこしいし

と心でつぶやきながら、
「良かった~~~♪ 一緒に行って~~~♪」と言っておきました。

そして、その旨を義妹に伝えると、
「私もお父さんの病院、一緒に行くわ」と言い出し、

   みんな行けるんかよ?
   なら、話しは早い(嬉)

と、いう運びになりました。

誰よりも義父の状態を知っている義妹が、同席なり説明なりをしてくれるなら、
間違いは無いし、誰もが納得出来るし、これ以上良い事はありません。


 病院のあとは、
包括センター市役所で介護保険の申請をし、訪問調査の日程を決めるので、
この日程も、義妹の都合の良い日に合わせて組む事を提案し、義妹にも受け入れて貰え・・・。

「義妹自身も、訪問介護に二の足を踏んでいたのかな?」とか、
「義妹をさしおいて、兄嫁がどんどん話しを進めて行く事に、警戒をしていたのかな?」
などと、反省しつつ、「でも迷っている余裕は無いし」と思ってみたり。

そして、何より義妹が一緒に動いてくれるのはとても喜ばしく、内心ホッとしている私。

   やっぱり実子よ
   実子が納得した上でやらなくちゃ
   要らない親なら、嫁に押しつけるのも納得だけど、
   大事な親なら、自分たちでやらなくちゃ
   今はもう、そういう時代よ


 この先もみんなで協力し、一緒に考えながら動いて行かねば・・・ね。
闘病生活を始め、同居なり施設なり、いろいろ覚悟が必要になってきました。


 因みに、義父さん・・・
「菫さんは、どうしてワシの病院へ一緒に来るんだ?」
  (↑介護保険の申請をするためだと説明したが)
「菫さん、ばぁさん引き取ってくれる様な事、言ってたぞ」
  (↑そんな話しはしていない)
と言っているらしく、話しがきちんと理解されておらず、
更に義父の「希望(理想)」を確定事項として認識している状態です。

本当に、突然こんな感じになってしまい・・・。
じわじわ進行していたのでしょうけれど、
気付いた時には、本当にビックリです。

やってみてから・・・か、それより前から・・・か、

2023-05-09 09:42:49 | 高齢の親
 糖尿病の義母が退院してきてからは、
毎日、投薬とインスリン注射が必要となります。

義妹によれば、
義母は「薬が飲めない(ゴックン出来ない)」そうですが、
聞いていると、飲みやすさや副作用を加味した「選り好み」な印象です。

注射は、まぁ怖いでしょうね。
ややこしいし。面倒だし。痛いし。
(技術ではなく、取り組む姿勢の有無という面で)やれるとは思えない。

退院後は、義妹が一週間ほど毎日実家に通いレクチャーをし、
その後、義両親でやってもらう(本人達の希望)・・・という話しですが、
いやいや無理でしょ。
無理じゃないにしても、厳しいでしょ。
自己主張の激しい患者+認知力低下過程の配偶者なんて。

ウチで同居も視野に入れているけれど、
長年生活をしてきた土地や家を離れるのは、なかなか出来る事では無いし、
私自身、それは痛いほど分かる。
やっぱり住み慣れた家が良いよ。
ずっと守ってきた家だもん。
自分の歴史だもん。

そう考えると、
段階を踏んで、まずは自宅で「要支援」からスタートが妥当だと思う。

義妹に、
「介護保険の申請」について話しをしたのだけれど・・・
「まずはばあちゃんの退院を待って決めたい」とのこと。

義妹も混乱しているのでしょうね。
若い頃を知っている「自分の親」・・・だし。
糖尿病の医療ケアなんて初めてだし。

だけど、介護保険の申請は、一ヶ月近く掛かるよ?
退院してその後一ヶ月、毎日毎日頑張れる?
私も高速に乗って行くにしても、週2が限界だし、
助けてくれる人や体勢は、先に見付けておいた方が安心じゃ無い?

・・・と、思いつつ、実子である夫と義妹の判断に任せているのだけれど・・・。

 でも、今朝、
夫に代わり、安否確認の電話を義父にし、色々話しをしたら、
義母の入院の経緯も入院期間も「知らない」と言うし、
元気でピンシャンして退院してくると思っているし、
介護保険とかも「分からない(知識が無い)」と言うし、
こうなったら、まずは「義父さんの申請」をしておこう!・・・と。

薬が後一週間分しかなく「そろそろ掛かりつけの病院へ行く頃だ」と言うので、
来週、高速で駆けつけて同行する事にしました。

   このタイミング・・・もう運命としか思えない。

そこで担当医に最近の様子を話し、介護保険の申請をする旨を伝えよう・・・と。
そして、その足で地域包括センターへ行き申請をしてこよう・・・と。

やれる時(義母さんが不在で自由が利くとき)にやっておかないと、
介護保険を使う事に納得している義父さんまで、認定手続きが出来なくなってしまうから。


 義父の状態も、話していて相当マズイ気がしました。
いつもそんなに話さないから気が付かなかったけれど、
「説明した義妹」と「知らない義父」の構図は、溝が深いです。
ただ、義父も自分の物忘れが進んでいる事を薄ら認識していて、
「知らない」と怒り出すより、戸惑いしょんぼりしている姿が切ないです。

義両親には年に数回会ってきただけですし、
特別可愛がって貰った訳ではありませんが、意地悪をされた訳でもない私。
でもこの義父は何だろう・・・ちょっと可愛いところがあるんですよね。
エヘヘ~みたいな。

とにかく、私は私で、力になれる事はなりたいと思っていて、
何をどうしていけば良いのか・・・模索中です。

その時が近づいてきた

2023-05-08 09:06:21 | 高齢の親
 私の入院前、
「GWは術後で会えそうにないから、会っておこうか?」と言うことになり、
義妹と打ち合わせて義実家に集まりました。

その頃、
義父が「視力が低下した義母」のお世話が限界になり、
「(病院嫌いの妻は)俺の言う事を聞かないから、お母さんを病院に連れて行ってくれ」
という話しが出て、5/1、急遽一家4人(義両親+義妹+夫)で眼科を受診。

白内障の手術を受けるつもりで行ったのですが、
白内障以前に、目が見えない原因は「糖尿病」である・・・と。

 それからは、もうバタバタ。
紹介状を書いて貰い、5/3大病院で検査。5/6入院。

入院は、俗に言う「2週間の管理入院」・・・っていうのかな。
だけど、目が見えなくなるという状態は、かなりのステージだとネットで見掛ける。
口にはしないけど、言わないし言えないけど、相当マズイと思う。

 義母はとにかく病院嫌い。
・・・というか、鬱(実際は統合失調だと思われる)になってから外出出来ず、
当時通っていた病院の薬もなんだかんだい言いながらこっそり捨てていて・・・。
「私は病気じゃない」と言い張り怒るし、
親身になっていた義父も諦めてしまい、そのまま自宅に引き籠もり、
妄想にふけりながら約15年・・・。

要所要所で、娘や息子も通院や検査を進めたのですが、
「私はおかしくない! おかしいのは私以外!」・・・というスタンスで、
精神科以外の病院も全て拒否!

「だけど目が見えなくなり、流石に怖くなって来たんだと思う。
 そこに、みんなで眼科に連れて行く話しが出て、乗っかったというか・・・。」
というのが義妹の分析。

「白内障の手術は、人気のある病院だと半年待ちだから・・・」と心配していましたが、
それどころではなく、即・糖尿病の治療をし、即・白内障の手術をし、
これから先の闘病生活に備える計画が病院から提示されました。

・鬱(統合失調症)
・薬飲めない
・注射打てない
・(欲望の)管理出来ない

一連の手続きをしてくれた義妹が、
「退院後どうするのか?」・・・と、Drから聞かれたそうで、
いよいよその時が来たか・・・という状況です。

 更に、
義妹が言うには、「お爺さんも物忘れが急に激しくなって心配」と。
病院の日時も、すっかり忘れてしまう様で、
「聞いたみたいだけど、覚えてない(忘れちゃう)んだわ・・・」と。

   まさにWです
   しかも一気に

本当に、一気に来るんですね・・・。
ガタガタガタ~~~~ッと。

子としてどうするのか?
親はどうしたいのか?
まずは何をしないといけないのか?
今後の進行や生活のイメージは?

とにかく色んな事を想定して、こちらの地域包括センターや、
義実家の地域包括センターに問い合わせをしなくてはなりません。


術後10日が節目でした

2023-05-08 08:17:54 | 病気
 手術から10日・・・。
やっと回復してきた気がしました。

腹腔鏡で傷口が少なかった分、想像以上に痛みは軽かったのですが、
術後の診察で「奥の方、まだ出血していますね」と。
奥の方をちょっと触られたら、サラサラ出血が始まり、
「綿を詰めて圧迫止血をしておきます」となり、
半日綿を入れていたら、尿道まで圧迫されたらしく小水も出なくなり、
ナースコールでその旨を伝えたら、直ぐに綿を取り出すことに。

綿を抜いたら、またサラサラ出血。
診察台のカーテン越しに、Drが
「菫さん、いしんしましょうか」
「いしん? いしんって何ですか?」
「縫いましょうか」
「縫う? え~~~! 自然に止まりませんか?
 私、今まで(子宮筋腫で)散々出血してきたので大丈夫です!」
「う~ん。サラサラ出血・・・止まらないと思います。笑(看護師さんに準備の指示)」
「え~~~! 先生、麻酔無しですか?」
「じゃぁ麻酔しましょうか」

そうして麻酔を数カ所に打たれ、5針くらい縫われました。

シュシュシュ~~~~という糸の感覚や、キュッと縛られる感覚。
針の痛さではない痛みは、患部の痛みだったのでしょうか。
恐怖で震えながら堪えながらの経験でした。

Drの説明によれば、病理が大きかった為、引っ張り出すのが大変で、
産道を傷つけながら取り出したので、傷が出来てしまっている・・・と。
実感的にも、おそらくかなり大きかったのだろうと思います。

 
 その後は、また少し痛み(主にオシモ)がぶり返しましたが、
予定通りに退院出来ました。

ただ、その頃、何となく寒気があり、
帰宅しても寒気が治まらず、電気毛布を使うまでになってしまったので、
「これは・・・」と思い、
以前歯医者で処方され飲み残していたクラリスロマイシン(抗生剤)を、
自己判断で1週間ほど飲み、元気になったので使用を止めました。

これ以降は、そこそこ普通の生活が出来ていると思います。
まだ入浴許可が降りていませんし、激しい運動などは出来ませんが、
日常生活は問題ありません。

気力というか、
今まで後回しにしてきた事も、やっと少しずつ向き合える様になりました。