パルコン旅行記

☆マイホーム建築への道のりとパルコンでの生活
(番外編を含む第1章~第5章)
☆寄り道日記

お加減はいかがですか?

2017-02-11 04:31:36 | ちょっと寄り道=独り言=
 54歳だった母を亡くした私は、癌の怖さや大変さがそれとなく分かる。
本人の辛さも、家族の辛さも・・・。それぞれの格闘が想像できる。

 私が長男を妊娠し、切迫で入院していた頃、ご近所のお母さん(←他人様)も入院されていた。
「ちょっとね。手術をしたの。」
手術をすると言うことは、それなりの病気が想像できるが、
他には何も仰らなかったので、私はそれから半年くらいして、癌だと知った。

その後、私は出産。
病院が一緒だったこともあり、お見舞いやお祝いにも立ち寄って下さった。
癌になったからには、この後も闘病が続くわけで、
自分こそお見舞いを受ける立場なのに、いつも気遣って下さった。
体調が優れず、愚痴をこぼす姿もよく見たが、
それでも基本的にポジティブで、残された時間を楽しもうと心掛けておられた。


 そして、もうかれこれ4年近くなります。
癌はじわりじわりと進行し、高齢であることも重なって、
最近は、身体に堪える毎日の様です。

それを知りつつ、「このタイミングはどうなんだろう」・・・と心配しながらも、
“ちょっと楽しみな話”を持ってお邪魔をしたところ、
「私はね、この先これ以上良くなる事は無いから、
 今が一番良いタイミングで、今日が一番元気。・・・と思って毎日過ごしているの。」
・・・と仰り、喜んで下さいました。

   今が一番良いタイミング
   今日が一番元気

私が病気だったら、何かにつけ、
「もっと早くに~」「もっと元気な時に~」・・・そう思い兼ねません。

病気で苦しんでいるのに、こうやって相手を気遣い、勇気付けるなんて、
なかなか出来ることでは無いと思います。


 先日、
去年のGW頃に癌が見つかった伯母(一方的だけど基本的に優しい人)に、
「伯母さん、お加減はいかがですか?」・・・と電話をしたら、
「良くないよ。」・・・という即答があり、ちょっと衝撃的でした。

『癌だもん。良くない事くらい分かっているよ・・・』 と。

「お加減はいかが?」・・・なんて、私の声の掛け方が悪かったのかもしれませんが、
「お元気ですか?」・・・でも同じ事でしょうし、どう言えば良かったのか未だに悩みます。

ご近所のお母さんだったら・・・
「うん。ぼちぼちよ。横になってばっかり。」・・・と笑ってお答えになるでしょう。
「いつも気に掛けて下さって、ありがとうございます。」・・・と頭を下げられる事でしょう。

同じ病人でも、病気の受け止め方や心掛け一つで、随分違うモノだな・・・と、考えさせられます。

 
 友達のお母さん(この方も癌)は、2年前にお見舞いに伺った時、
「大丈夫よ。そんな大袈裟なんだから。」・・・と笑っていらしたけれど、
病気だもん。大丈夫なワケ無いですよね。

「大丈夫」・・・は、相手に対する気遣いと思いやり。

置かれた状況はそれぞれですし、色んな方がいらっしゃいますが、
私もいざという時は、「大丈夫よ」「心配しないで」「いつもありがとう」
そんな言葉を返せるような自分でありたいと強く思いました。



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年賀状に思う

2017-02-03 05:35:01 | ちょっと寄り道=独り言=
 今、やっと見た年賀状・・・
なんか本当に、日常に余裕無いっす

ここ最近の、ちょっとした楽しみと言えば、
知り合いが私に免じて、「お見合い」と言うか「紹介」に応じてくれる事になり、
その状況に想いを馳せながら、「良い出会いになると良いな・・・」と、
一人、ホッコリする事くらいかな・・・。

でもまぁ、上手くいかなくても、「ソレはソレ」ですし、
「長い人生、そんな経験も良い物だよ~」くらいの考えなので、
気軽な感じで足を運んで貰えたらな。・・・と思っていますが、
ご両名にとっては、大なり小なりプレッシャーでしょうね
あ、でもちゃんと意向は聞いていますし、
無理矢理とかゴリ押しはしていませんのでご心配なく


 話は戻り・・・。

年賀状って、昔は朝なり午前なりに届いたモノですが、
時代なのか、単に順番の問題なのか、気が付けば午後4時とかに届くようになっていて、
私の中では、「なんだかな~~~」・・・って感じです。

せめて午前中に届けてくれれば、出していなかった人への返事も早く手配できるのに・・・。

それに、これも「時代」なのだと思いますが、
2日は休みで、3日、4日、5日・・・と、むしろ元旦じゃない日に、続々と届く・・・。

5日に来てごらん?
速攻手配をしないと、年賀状(max7日着)というより、
「寒中見舞い」を作らないといけなくなるワケで、
今年は、後半に頂いた年賀状に対し、お返事を作る余裕が無く、
申し訳ないな・・・とは思いつつ、頂きっぱなしで断念しました。


 昔は、年末近くに出しても、ちゃんと元旦近くには届いたモノですが、
最近は、どんなに遅くても「クリスマス頃」までに出さないと、元旦には届かない様ですね。

でもさ・・・、師走の忙しい時に、「25日までに出せ」って、酷ですよね。
ゆとりのある生活をしている人は良いけれど、そうでない人は・・・ねぇ。

そうなると、「もう無理にくれなくて良いよ~」と言ってあげたくなります。

実際、我が家にとっても、今はちょっと負担な風習です。
「もう一生会わないかもしれないけれど、この人とはせめて年賀で繋がっていたいな」
と言う場合を除いては、もう止めても良いかな・・・と。
・・・年々この想いは深くなります。


 そういえば、
結構大好きで慕っていた先輩から、今年は届かなかったな・・・。

もう何年も会っていないし、お互い年を重ね、生活スタイルも変わり、
お互いを思ったり考えたり出来なくなって来るのは、当然といえば当然ですよね。

ちょっと・・・いや、結構寂しいですが、それはそれで受け止めましょう。
受け止めるしかありませんから、出会えた事や今までに感謝し、
廻る~廻る~よ、時代~は廻る~・・・と、
心の中でそっと歌いながら、お別れ・・・です。

今までありがとうございました。
どうぞお体大切に。
お元気で・・・。


 さて、

私の気が早いだけかもしれませんが、
気が付けば、もう50ですし、
闘病や終末も、遠くは無いですし、
「明けましておめでとう」「いやめでたくないし。病気だし。」という風習も嫌ですし、
年賀状は、そんな風に受け取らず、
心から新年を迎えられた事を喜び合える関係の人だけで、良いのかな・・・と、
最近、思うワケです。

今年、旦那サンの後輩夫婦(まだ30代)から、
「春から上海に転勤になりました。つきまして来年より年賀状を辞退したいと思います。」
という年賀状が来たのですが、
結婚前後から数年前までは、とても親密に近寄ってきていた事や、
海外勤務の他の方と、普通に年賀状のやりとりしている我が家としては、
何か腑に落ちなくて・・・。

色々考えると、1年半前に連絡を取ったときは、
不妊治療が上手くいかないらしく、奥さんが相当自暴自棄になっていたので、
そんな事もあって、我が家とのお付き合いが辛くなったのかな・・・と。

ウチなんかよりずっと若いご夫婦だし、まだまだ希望や方法はあると思いますが、
あのご夫婦は、不安や絶望の中、先の見えない暗いトンネルにいるのだろうな・・・と。
そして、もしかしたら、交流を断ってそっと離婚を考えているのかな・・・と。

そんなこともあって、
年賀状は、「暇」で「めでたい人」・・・だけがやりとりすれば良いんじゃないかな?
・・・と、大真面目に思う私です。
 

 あーだこーだ言っても、早い話、
「心身共に健康で、心豊かな人は、さらりと年賀状を下さる」訳で、
ソレが出来ない私は、「心のさもしい余裕の無い人間だなぁ」・・・と、
思い知らされたりもしています。

でもまぁ、年賀状に対する価値事態、見出せなくなっている私としては、
死ぬまでお付き合い・・・というのもなんですし、
「静かに身辺整理」というのも、アリだと思っています。




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