あちこちから即時停戦の声が上がっているにもかかわらず、ウウライナ戦争もイスラエル・パレスチナ戦争も終わることなく、新年を迎えてしまいました。そればかりか、戦争は、少しずつ周辺に広がりを見せているようにさえ思います。
アメリカが、イランに支援されたグループの船をヘリコプターで攻撃し、乗っていた人たちを殺害したとCNNニュースが、下記のように伝えました。
”US helicopters sank the boats and killed those aboard, marking the first occasion since tensions broke out in October that America has killed members of the Iranian-backed group”
また、プラウダ(english.pravda.)は、ウクライナが、ロシアの都市ベルゴロドを砲撃し、子どもを含む18人以上を殺害したと伝えました。
”Ukraine shelled Russia's Belgorod in the afternoon of December 30. According to most recent reports, 18 people, including children, were killed, more than a…”
私は、こうした人殺しが日常化する現実は、ネタニヤフ首相をはじめとするイスラエルのリクードの政治家のような考え方を乗り越えない限り、くり返されるのではないかと思います。
ネタニヤフ首相をはじめとするリクードの政治家や軍人の考え方は、パレスチナの人たちにイスラエル人と同等の権利を認めようとしないもので、その対応はいろいろな面で法に反するものだと思います。
パレスチナの地は、1967年の第三次中東戦争によってイスラエルに軍事占領され、以後、インフラや産業が破壊されたまま整備されず、人口の多い貧しい地域になりました。見逃すことができないのは、その際、肥沃な土地はイスラエルの入植地として没収し、ガザの人々は低賃金労働者としてイスラエルに出稼ぎに行かざるを得ない状態に陥ったということです。さらに、ガザの周囲がコンクリートの「分離壁」で覆われ、パレスチナの人たちは、自由に出入りすることさえできない状態に置かれました。だから、ガザは「天井のない監獄」呼ばれるようになりました、そこに住むパレスチナ人は、その人権侵害に対し、「インティファーダ」と呼ばれるイスラエルへの抗議運動を始めました。ハマスの誕生も、自然な成り行きだったのだろうと思います。
「オスロ合意」によって、ガザ地区とヨルダン川西岸地区が「パレスチナ自治区」になったにもかかわらず、イスラエルは、ガザの軍事封鎖を続けました。イスラエルの封鎖政策は、 国際法で禁じられている「集団懲罰」であると国連や人権団体などから強い批判を受けているということです。でも、アメリカがイスラエルをささえているために、効果のある措置をとることができていないのだと察します。
また、イスラエルが、入植地を作り続けていることも大問題です。国連安全保障理事会では、国際法上、入植地は違法だとしているのですが、イスラエルはこの判断を拒否して、違法行為を続けているのです。まさに無法者の所業だと思います。
先日、【AFP=時事】は
”イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は12月31日、同国はパレスチナ自治区ガザ地区での「自衛のための戦争」で比類のない「道徳」を示しているとして、同国がガザで「ジェノサイド(集団殺害)」を行っているとの南アフリカの主張を否定した。
と伝えました。
また、ネタニヤフ氏はテルアビブで行われた閣議で、
”われわれは自衛のための戦争を継続する。その正義と道徳は比類のないものだ”
と主張したとの報道もありました。それは、南アフリカが、イスラエルはガザで「ジェノサイド」を行っているとして、国際司法裁判所(ICJ)に提訴したからのようです。
国際司法裁判所(ICJ)が、国際社会の力関係に左右されず、きちんと法に基づいて裁けば、イスラエルの有罪は確定的だと思います。病院や学校、難民キャンプの爆撃、また、地上侵攻による襲撃が、正当防衛や自衛の戦争というのは通用しないことだと思います。
イスラエルのハマスとの戦いは、「パレスチナ紛争地」の著者・横田隼人氏が書いているように、明らかに過剰防衛であり、正当防衛とか、自衛の戦争といえるようなものではないと思います。
さらに言えば、先日、ネタニヤフ首相は、”パレスチナ自治区ガザの住民を地区外へ自発的に移住するよう促す方針”を示しましたが、爆撃や襲撃は、その目的で行われていることは、他のリクードの政治家の発言でもわかると思いますし、過去の歴史がそれを示していると思います。また、入植地を増やしている理由も、住民を追い出すことが目的なのだろうと思います。
下記は、「パレスチナ紛争地」横田隼人(集英社新書 0244D)の「第七章、イスラエルの論理」からの抜萃ですが、なかに、”イスラエル独立のために行った武装闘争は正当化し、パレスチナ人の民族解放のための武装闘争はすべてテロと非難するのは、部外者には勝手な論理に聞こえる。”とあります。過去に同情すべきことがあったとはいえ、イスラエルのあまりにエゴイスティックな主張や戦争犯罪は見逃してはならないと思います。
イスラエル人は、過去の悲劇を、「マサダコンプレックス」と呼ばれるかたちでひきずっており、それが、イスラエル独自の軍事ドクトリンとなってパレスチナで悲劇を生みだしているという経緯は、イスラエル人のエゴイスティックな主張や戦略を理解し、パレスチナ問題を解決するために、踏まえられるべきことだろうと思います。
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第七章、イスラエルの論理
ユダヤ同胞への思い
パレスチナに対する強硬姿勢が支持される背景は、ナチス・ドイツによる大虐殺などユダヤ民族の苦難の歴史や建国以来四度の中東戦争を戦ったイスラエルの歴史を抜きに説明することはできない。
イスラエルでは年に二回、ごく短時間だがすべての機能を停止する日がある。ホロコースト記念日と戦没者記念日である。戦没者記念日の昼前、サイレンの音と共に全国民がその場で直立不動の姿勢をとり、国に命を捧げた同胞約二万人に対して黙祷を捧げる。この時は走行中であっても車を止め、運転手は道の真ん中で戦死者を悼む。ラジオ放送で明るい音楽を流すのを一日自粛し、エル・アル・イスラエル航空は乗客へのヘッドホン・サービスを行わない。イスラエルでは、この日、全国民が厳かに過ごすのである。
ナチス・ドイツによって民族消滅の危機にさらされたユダヤ民族にとって、同胞の命は極めて重い。 それを象徴する出来事の一つが、91年5月に実行された「ソロモン作戦」エチオピア内戦による飢餓と干ばつで生命の危機にさらされた同国ユダヤ社会の同胞を救出するため、軍の輸送機、民間チャーター機など33機を動員して14,400人のユダヤ人をエチオピアから脱出させ、イスラエルに連れ帰った。イスラエル政府は84年から85年にかけて、ユダヤ系エチオピア人8500人を秘密裏に移民させる「モーゼ作戦」も実施している。ユダヤ系といえ、長い歴史の中で現地社会に同化し、見た目は肌の黒いアフリカ人だ。欧米並みに豊かなイスラエルとはまるで違う貧しい環境で暮らしていた人々である。それでもユダヤの同胞である以上、苦悩しているのを見過ごす訳けにはいかないのである。
ユダヤ民族の歴史の中で、長く語り継がれてきた悲劇がある。紀元前40年にローマ帝国の支配下に置かれたユダヤ人は、その圧政に耐えかね、皇帝ネロの晩年に反乱を起こす。西暦70年にエルサレムが陥落し、約百万人のユダヤ人がエルサレム攻防で命を落としたとされる。約千人のユダヤ人は死海のほとりの岩山に作られた要塞(マサダ)を占拠して最後の抵抗を試みる。ローマ軍の攻勢に数ヶ月耐えた末、降伏するよりも死を選ぶことを決める。ローマ軍に突入される前に、クジで選ばれた十人が残り全員を殺し、その十人のうち一人が残り九人を殺した。最後の一人は全員が息絶えているのを確認した後、要塞に火を放ったと伝えられている。それ以来、マサダの悲劇は「ユダヤ人の全滅を繰り返さないために後世に言い伝えられてきた。マサダの遺跡は、現在は観光地として整備されているが、イスラエル軍の入隊宣誓式はマサダの遺跡で行われ、最後に「マサダを二度と陥落させるな」と誓う。
ただ、このようなユダヤ同胞への強い思いは、同胞の命を救うためにパレスチナ人が犠牲になるのはやむを得ないとの気持ちにつながりがちだ。いかなる犠牲を払っても民族の生き残りを優先するイスラエルの心理を「マサダコンプレックス」と呼ぶことがある。こうした感情も、パレスチナ側に対する過剰な報復を容認する背景になっている。
「報復は当然」
イスラエルのパレスチナ政策については、多くの戦火を通じて確立された独自の軍事ドクトリンを抜きには語れない。ひと言で言えば、圧倒的な軍事的優位を確保し、先制攻撃を重視する一方、攻撃を受けた場合には報復攻撃が不可欠とみなすのがイスラエルの安全保障の基本政策である。
イスラエル国防副大臣を務めたイスラエル・タルは著書で、同国軍の正式名称はイスラエル国防軍(Israel Defense Forces)だが、実態は、”Israel Offense Forces(イスラエル攻撃軍)”だと述べている。建国以来、イスラエルの存在を認めないアラブ諸国に囲まれて常に侵略される危機にさらされてきたイスラエルにとって、アラブ諸国に侵略を思い止まらせることが最大の課題であった。そのためには攻撃しても無駄と思わせるだけの優位を確保する必要がある。人口の少ないイスラエルは特に質での優位が重要視され、最新鋭の兵器を調達してきた。イスラエルが配備しているF15は、世界最強の戦闘機とされてきたが、極めて高価なため、保有しているのは米国以外では日本、サウジアラビアなど一部の豊かな国だけである。
兵力17万弱のイスラエルでは、戦争が始まると予備役に頼らざるを得ず、長期の戦争は国を疲弊させるため、圧倒的な優位を維持して戦争を短期に終わらせる必要がある。また、予備役の動員には時間がかかるため、第四次中東戦争のように先制攻撃を受けると不利な立場に立たされる。このため、イスラエルは常に軍事的優位を保ちつつ、必要とあれば直ちに先制攻撃に打って出ることを基本政策にしているのである。イスラエルが空軍を重視しているのもそのためだ。
一方、建国以来、周辺アラブ国による国境侵犯や国外のパレスチナゲリラによる攻撃を恒常的に受けてきたイスラエルは、相手の意欲をくじく狙いで報復攻撃を欠かさずに行い、1950年代には、国境を越えた報復攻撃を任務の中心とする「101部隊」を創設した。この創設に関わり、初代司令官になったのが若き日のシャロンである。攻撃には報復によって断固たる措置をとるとのイメージを相手に植えつけることが抑止力につながるというのがイスラエルの考え方である。前出のイスラエル・タルは、イスラエル国内でも誰もが報復攻撃に賛成しているわけではないとしながら、「他に手段はなく、こうした議論は意味がない」と断じている。
このような軍事的発想は、自治区の住民であるパレスチナ人に対しても適用される。投石するパレスチナ人には圧倒的な優位な装備で立ち向かい、テロや発砲には、時にはその何倍かの規模で必ず報復する。やはり報復することが抑止につながるとの発想である。確かに冷静な計算が働く国家に対しては報復は抑止効果を生んでいるかもしれないが、死を覚悟でイスラエルに対する攻撃を試みるパレスチナ人には効果はない。イスラエル軍は報復として、しばしばテロに関わった人物の住居を破壊するが、パレスチナ側にテロを思い止まらせる効果があるとはとても思えない。単にパレスチナ社会でイスラエルに対する憎しみを増幅しているに過ぎない。これまで見てきたように、パレスチナ人との紛争では報復の論理は抑止どころか、それが逆に、新たな報復テロを招いて事態てを悪化させているのが明らかである。正規軍同士の戦争論理が、軍事的に「非対照的」であるインティファーダには当てはまらないということだろう
過剰報復批判にPRで対抗
2000年9月にアるアクサ・インティファーダが始まって、重装備のイスラエル兵に向かって。素手で投石するパレスチナ人の若者の映像が外国メディアによって繰り返し流されると、イスラエルの過剰な対応を巡って国際的な非難が沸き上がった。イスラエル政府はこうした批判に強く反発すると同時に、PR不足が原因と考えて、広報体制の強化で対抗しようとする。エルサレム市内のホテルにビデオプロジェクターなどを備えたプレス・ルームを開設し、政府関係者や軍の高官らによる記者会見や、ブリーフィングを連日のように行った。
確かに。テレビ映像では伝わらない部分があるのは事実である。投石するパレスチナ人のグループの後ろには実はカラスニコフ銃を持った武装パレスチナ人が控えていて、イスラエル部隊に向かって発砲しているケースは少なくなかったが、映像ではイスラエル部隊が無防備なパレスチナ人の若者に向かって自動小銃を撃っているようにしか見えない。このため、イスラエル政府は前線の兵士にビデオ・カメラを持たせたり、軍の報道部隊を衝突現場に派遣して、イスラエル人の目から見た映像を外国プレス向けに用意した。また、イスラエルを非難してインティファーダ参加を呼びかけるパレスチナの公共放送の映像などを編集して、自治政府の意図でインティファーダが行われていることを強調した。
しかし、外国メディアの説得に成功したとは言い難い。記者会見の席で、欧米のメディアから「なぜ放水車を使わないのか」という素朴な疑問も出た。彼らは武装しているというのはイスラエル側の答えだったが、インティファーダ勃発の最初の段階からそうだったわけではないし、武装パレスチナ人の姿が明らかに見えない状況でも、イスラエル兵の対応に変化はない。別の対応がないわけではないはずである。実際、インティファーダが勃発した後、エルサレム旧市街の「アルアクサ・モスク」周辺では金曜礼拝後の衝突が恒例のようになったが、若者が入れないようにイスラエルが年齢制限を実施した途端、衝突はピッタリと収まった。最初から臨機応変に対応していれば、インティファーダが広がるのを防げたかもしれない。
イスラエル人は危機に直面していると感じている時に、国際的な非難を浴びると強く反発し、ますます頑なになる。これも「マサダ・コンプレックス」の現れなのだろうか?
イスラエル独立とテロ
イスラエルは、パレスチナ人による発砲や自爆行為をイスラエル兵やユダヤ人入植者に対するものを含めてテロとみなす。これに対して、パレスチナ側はイスラエルの報復を「国家テロ」と非難する。民族解放のための武力闘争をテロと呼ぶのかを含め、何がテロなのかを定義するのは難しい。
今でこそパレスチナ人による武装闘争をすべてテロとするイスラエルも、第一章で紹介したように、独立前は「占領軍」でユダヤ国家独立の障害だった駐留英国軍に対するテロ行為を繰り返してきた。「イルグン」は1946年にキング・デービッド・ホテルに入っていた当時の英軍司令官に対する爆弾テロを行って英国人将校ら90人以上を殺害したほか、在ローマの英国大使館爆破事件を起こしたこともある。こうしたことが背景となって、帝国はパレスチナの委任統治を諦め、国連にパレスチナ問題の解決を委ねたのである。つまり、もし民族解放運動まで含めてすべてテロと呼ぶならば、イスラエルが現在あるのはテロの成果ということになる。当時のユダヤ社会の主流は、こうした過激派に批判的だったのは事実だが、過激派メンバーはその後、イスラエル国防軍に編入された。当時イルグンを率いていたのはのちにイスラエル首相となる、メナヘム・ベギンである。やはり首相になったイツハク・シャミルはより過激な武装組織「レヒ」導者の一人だった。
ユダヤ人がイスラエル独立のために行った武装闘争は正当化し、パレスチナ人の民族解放のための武装闘争はすべてテロと非難するのは、部外者には勝手な論理に聞こえる。民族の生残りを最優先に考えるユダヤ人独特の独善性の現われであり、パレスチナ人に対する過剰な対応の背景になっているとも言える。ただ、これはかつてヨーロッパ人がユダヤ人を迫害し、ナチス・ドイツがホロコーストでユダヤ民族を存亡の危機追いやった歴史の裏返しであることを忘れてはならない。ヨーロッパ人によるユダヤ人迫害が巡り巡って現在のパレスチナの悲劇につながっているのは、歴史の皮肉にほかならない。
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