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百姓通信

自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!

燃料電池

2009-01-28 22:59:15 | 環境
燃料電池は、普通の電池のように電気がなくなれば終わりではなく、携帯電話の電池のように充電しなければくり返し使えないというモノでもなく、外から燃料を与えるといつまでも電気を作り続けるという電池なのです。つまり、外から燃料である水素と酸素を供給すると電気を作りつづける発電装置ということ。水を電気分解すると水素と酸素が発生することは、理科の実験でも記憶にありますが、燃料電池はその逆で、水素と酸素を反応させて電気を作りだし、また、その時の反応で発生する熱も利用できるという代物のようです。
電気も熱も利用できる!!まだまだ発売されたばかりで、価格的には高い(補助金もあるようですが)ですが、もしかするといろいろなことに活用できそうです。
※詳しくは家庭用燃料電池コージェネレーションシステム「エネファーム」を参照に!!
そんな話をしていたら、あのIntelが昨年夏サンフランシスコで開催された「2008 Intel Developer Forum」にて、MITの物理学者の理論を元にして、ワイヤレス共振エネルギー・リンク(Wireless Resonant Energy Link:WREL)の研究を発表したという。なんと電源プラグも電線も使わずに60ワットの電球を点灯させることに成功したとのこと。これはノートPCを駆動させるのに十分な電力だそうです。
なんとも未来は明るい!!
なんだか、わからないこと、不思議なことがいっぱいいっぱいあるものです!>!

自然な建築

2009-01-12 20:42:03 | 環境
「自然な建築」の中で、隈氏は「二十世紀はコンクリートの時代でした」と答えている。コンクリートの独特な「強さ」と非連続性(突然おこる物質変化)は存在の不安定さを「固定」したが、そこには永遠性はなく、表象と存在の分裂を許容したという。二十世紀は表象の時代であった…まさしく表象が問われ、本質がみえ難くなった時代、それは何もかもにあてはまるような気がする。
形態の美しさよりも関係性にその重要性を見出し、組積造(メーソンリー)的な社会システムがコンクリートの出現により完全に破壊された姿を残念に感じる隈氏は「石の美術館」や「ちょっと蔵広場」「広重美術館」「浜田醤油」「安養寺」「亀老山展望台」「陽の楽家」と全国各地で様々な素材と対峙する中で、自然素材の「弱さ」をサポートするために知恵を絞り続ける。また、建築は制約への挑戦でもあるという。
自然とは何か、と問いかけることは、時間とは何かを問うことであり、生とは、死とは何かを問うことにも繋がるといい、「自然な建築」は欠点も多く、メンテナンスにも手間がかかる。そんな建物を建て、大切にメンテし続ける大きな決断をして下さった方々に大きな感謝をし、大きな寛容の上にはじめて成り立つ「自然な建築」に二十一世紀のあり方、ありようをみる隈氏の姿勢に感動する。

雪化粧

2009-01-10 22:01:01 | 環境
朝から雪が、・・・その後は降ったりやんだりで、一日中こんな調子で今日は全く冬らしい天気になりました。
昨日からの続きですが、暗闇の中での会議(Meeting in the Dark)室には陰性の植物が似合います。陰性植物とは、耐陰性が強く暗い場所 (陰地) に生育する植物のことで、光合成量や呼吸量がとも小さく、光補償点・光飽和点もそれぞれ低くなっています。一般に葉は一平面状に配置され、葉の柵状組織の発達は悪く薄くなっています。
ユキツバキ (ツバキ科)、アオキ (ミズキ科)、ヤツデ (ウコギ科) などの陰樹 (shade tree) やシュンラン (ラン科)、ミズヒキ (タデ科)、などの陰生草本、コンニャク、サトイモ 、セリ、クレソン、シソ、みょうがなどの作物やアジサイ (アジサイ科) などの花卉植物もその中に含まれるようです。

Meeting in the Dark

2009-01-09 21:08:46 | 環境
暗闇の中での会議(Meeting in the Dark)
あのダイムラー・ベンツ社とクライスラー社との合併の際に使用された手法として有名。両社のトップマネジメント同士の融和を図るため用いられ、新たな組織文化の創生に貢献したといわれている。
暗闇の中で人間同士は、「あたたかさ」や「ドキドキ」感、「助け合い」、そして「感謝」、「感動」、「感激」…といった言葉に代表される共有体験をする、その一時の同一の経験を超えて、組織文化の形成に大きく貢献する、視覚を超越した視覚以外の感覚を如何に磨き、身体で感じるかがポイントらしい。
グループで利用すると、10年後であっても参加者の95%が記憶に留めているという得がたい共有体験をチームに与え、コミュニティーの結びつきに大きなプラスの影響をもたらすという。



NHK教育の試み

2008-12-29 20:30:09 | 環境
停波で環境問題を問いかける某国営放送の挑みは正しいのか?!
放送を放棄した放送局、販売を放棄した百貨店、・・・。
本当の問題は何か。どこにあるのか。
環境問題に対しての問題提起のひとつの手法として某国営放送は、本日、教育放送の放送時間を大幅に削減した。
顧客満足の追求を企業の至上命題に、営業機会の拡大をはかり続けてきた百貨店(三越伊勢丹ホールディング)が、来春から栄業時間を短縮して定休日の増設を検討しているという。
本当の問題は何か。どこに本質はあるのか。
おそらく現代社会から、放送局の役割や百貨店の役割が問われて久しくなるというのに、両者はどういう未来像を顧客に提示すればいいのか迷いながら迷宮に・・・。

日々の努力

2008-12-28 23:43:21 | 環境
一つひとつの積み重ねが、明日に繋がることは理屈では良くわかる。
でも、なかなかそれができない。 ちっと悲しい。
一つひとつを真剣に考えてみる、そしてヒントがあれば少しでもそれに挑戦してみる。挑戦してみるとわかることがある。挑戦しないとわからないから、これまた不思議なことといえば不思議なことである。
小さなヒントでさえも、挑戦してみると、その中に突破口がある。
その突破口が、実に大きな可能性を含んでいたりする。
その可能性に気づかない凡人は、とりあえず挑むしかない。
その可能性が様々な角度から見えてくる人は、ある意味で天才かもしれない。
でもその中に含まれる可能性について、完全に読みきれないでいると天才とはいえないかもしれない。というのは中途半端だと、とりあえず挑み続ける凡人に負けてしまう可能性がでてくるからだ。
凡人は、絶えず挑む、挑み続ける。その中に活路をみる。その姿を日々努力するというのであろう。

新商品づくりの視点

2008-12-06 22:23:21 | 環境
新しく商品をつくるときの大切な視点として
『おかきのたねらしい』を大切にすると良いという。
お・・・おんな(女性)の視点
か・・・環境を考える
き・・・きれいが好き
の・・・のほほん、のんびり、ノスタルジア
た・・・たのしい
ね・・・年季の入ったもの、年を重ねたもの
ら・・・らしさ※これはなかなか難しい
し・・・シルバー 近い将来、みんなが老人(シルバー)になる
い・・・生命(いのち)、健康、未来性
 大変勉強になります!!

たかしま生きもの田んぼ米

2008-12-03 21:29:58 | 環境
昨夜、日経スペシャル「ガイアの夜明け」(テレビ東京系列)で、琵琶湖を愛し、生きもの豊かなお米づくりに精進されているたかしま有機農法研究会の“たかしま生きもの田んぼ米”が紹介されていた。
TVは時間等の都合でなかなか伝えたいことが伝えきれないのか、作為的に編集されているのか、その真意は定かではないが、私たち農家は別に無農薬無化学肥料栽培をすることで高いお米を栽培し、大儲けしたい訳ではない。TVで紹介されたお米屋(京都の上田米穀店)さんも、農家の立場を無視した冷たいお米屋さんでは決してないようで、その辺の内容があまりしっかり伝わっていなかった点が大変残念だった。
無農薬無化学肥料の栽培を消費者は望んでいるのか、
本当に美味しいお米を望んでいるのか、
ある程度安いお米がやっぱり良いのか、
環境負荷も考えた栽培が望ましいと思っているのか、
田植えや稲刈り、真夏の草取りに参加したいのか、等々
私たちも、様々な角度から、いろいろな立場の方々とゆっくりじっくり話してみたいと思う。


実質の豊かさ

2008-10-28 21:07:54 | 環境
今朝、毎日新聞の朝刊の『私の提案』の欄に和歌山の田辺の山中で暮らし始めて21年を数えるイーデス・ハンソンさんが「実質の豊かさ」について以下のように話しておられた。
「日本の元気は、一人ひとりの豊かな暮らしの中から生まれます。豊かさには“見え”と“実質”があり、物が溢れて便利さに慣れてしまうと、自分を誇示する“見え”を求めてしまうけれど、長続きはしません。今まさに“実質”の豊かさを考えるべき時ではないのでしょうか。」
実質の豊かさは、様々な選択が自由に出来、それを互いに認め合える心をお互いが持てることなのでしょう。価値観の多様化を容認し、自由度がしっかり残され、みんなが互いに切磋琢磨できる、する環境がそれなのでしょう。

藪こぎ

2008-10-25 06:33:21 | 環境
昨日、「やぶこぎ」っていう言葉を始めて聞いた。「藪」を「漕ぐ」、藪つまり山の中の道なき道を両手でかきわけ山を登ることをいうらしい。ある人は蝶を求めて、ある人は山菜を求めて、ある人は小鳥を求めて・・・藪こぎをするという。
いろいろな人がいて、いろいろなカタチで自然と共生を求めている。
しかし、自然との共生が上手く出来ない現代社会は、時折誤った決断をし、みんながいろいろなカタチで共に生きようとしている自然を一気に壊してしまう。
例えば信州の白馬は日本で確認されているおよそ250種類のチョウのうち、約半数の124種ものチョウが生息しており、日本一チョウの種類が多い地域のひとつであり、 かつギフチョウとヒメギフチョウの2種類が混在している稀な場所といわれていたのだが、誰が何を基準に判断したのかわからないが長野オリンピックの際にその稀な場所といわれる中心部にスキーのジャンプ台を造ってしまった・・・という。
藪こぎをいろいろなカタチでされている方々とお逢いして、『自然を守る』っていうよりも、出来るだけ自然のままを保っておく、人間の力はそんなにたいしたものではないことを、もっと自然に向かって謙虚になるべき21世紀であることを、あらためて感じた一日でした。