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2月24日 カタツムリからナメクジへ

 

2月24日

カタツムリからナメクジへ

 芭蕉門下の優れた俳人を「蕉門の十哲」と呼ぶ。

内藤丈草はその一人で、とりわけ詩心の透明な人と言われ、ファンも多い。芥川龍之介は、蕉門の俳人のうち、この丈草を最も好んだという。

 うずくまる 薬の下の 寒さかな

 芭蕉は死の前、お伽(とぎ)に詰めかけた弟子たちにそれぞれの句を作らせた。その時の丈草の句がこれである。その時芭蕉はこの句に感銘して「丈草、出来(でか)したり」と言ったという。

 弟子の中で芭蕉は丈草との間に、最も気質の通い合うものを認めていたらしい・・・と山本健吉『句歌歳時記・冬新年』(新潮社)はコメントしている。

 丈草(宝永元年=1705・2月24日没)は、

尾張、犬山藩士であったが、継母が生んだ弟に家督を譲るため、わざと指を傷つけて、「刀を握ることは出来ぬから武士を捨てる」と言って出家した。

 その出家の時につくった偈(げ)がある。

多年負屋一蝸牛 「多年屋を負う一蝸牛(かたつむり)」

化做蛞蝓得自由 「化して蛞蝓(なめくじ)と做(な)って自由を得(う)」

火宅最惶涎沫尽 「火宅最も惶(おそ)る涎沫(せんまつ)尽んを」

偶尋法雨入林丘 「偶(たまたま) 法雨を尋ねて林丘(りんきゅう)に入る」

長い間蝸牛(かたつむり)のように家を背負って来た

が、蛞蝓(なめくじ)になって自由が得られた。だが火宅の世に生きるに最も恐ろしいことは、水気の無くなること。偶然の縁で仏法の雨を求めて、林や丘に住むことにする。

 出家を蝸牛(かたつむり)から

蛞蝓(なめくじ)への変化ととらえている感覚が斬新である。

時宗の開祖の一遍は鎌倉中期の僧である。彼はその出家について、次のように言っている。「また云う、念仏の機に三品あり。

上根は妻子を帯し家に在りながら著(じゃく)せずして往生す。

中根は妻子を捨つるといえども住処と衣食とを帯して、著せずして往生す。

下根は万事を捨離して往生す』 (一遍上人語録)

 念仏者の素質に上中下の三クラスがある。

最も素晴らしい人は、妻子を持ち、家にいて、しかも執着しないで往生す。

 次のクラスは、妻子は捨てるが、衣食住をもって執着しないで往生す。

 最低のクラスはすべてを捨てて往生す。

上は親鸞、

中は法然、 

下は一遍自身だと考えていたようである。

 

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