日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
こころの教え:発表できる人がうらやましい
発表できる人がうらやましい
八鹿小学校 藤原学級 林いづみ
「小さい勇気を育てる」という三学期の目標を立てたのに、全然実行できません。授業中、いくらでも発表するチャンスがあるのに発表しない。つくづく発表できる人が、うらやましくなってしまいます。
自分でもこんな性格では「だめだ」と思いながらも、一日一日を粗末に過ごしてしまいます。こころの中の小悪魔が『間違っていたらどうする?』などとささやき、小さい勇気も出てこないのでです。ほんとうにいやです。
自分の性格を直すには、大変な努力がいると思うのですが、とても毎日気になって、いつの間にか授業中でも、食事中でも、寝る時でも、考えてしまうのです。そして、毎日が『なんだかつまらないなあ』と思ってしまうのです。
一日は、その人の生き方で決まると思うのですが、私には、『今日は楽しい一日だったなあ』と思える日が最近全くありません。私も、今度も実行できるかどうかわかりませんが、このこころを校長先生に書いて、知ってくださったのをきっかけに、がんばりたいと思います。
先生回答 ☆☆
(林さんが生きている事は、林さんが気付いているより素晴らしい事です。)
林さんがきびしく自分の弱い心を叱り付けているその真剣さに感心しました。大ていの人は、人には厳しくても、自分は平気で甘やかしている事が多いものです。
こんなことでいいのだろうかと、自信を失うほど自分を見つめているその真剣さは、普通の人には珍しい立派なことだと思います。
でも林さん。そのために、大切な毎日が暗く寂しい毎日になっては大変です。そういうときには深く広い空を見て見ようでは有りませんか。
どこまで行ってもどこまで行っても天井のない無限の空の深さと広さのことを考えてみてはどうでしょうか。
お天とうさんが貧しい人にも悲しんでいる人にも、虫にも、鳥にも、草にも木にも、元気を出せ、しっかり伸び太れよ、と毎日励ましを送り、夕方に成ると、誰がお礼を言ってくれなくても、誉めてくれなくても、
美しい夕映えを残し
『ぐっすりお休み、確り疲れを休めて眠るんだよ.お休み』と西の空に沈んでいかれるところを眺めてみるのもいいですね。
零下何度の寒さの夜も、それをじっと耐えて生きる山の生き物達のことを考えてみると、喜びや勇気が出てくるかもしれませんね。わずかな地熱に慰められながら、雪の下で芽を作っている雑草の種のことを考えたら元気が出てくるかもしれませんね。
林さん。悲しく成るときにも、自信を持ってください。
目があって何でも見える。耳があって聞ける。自分でしようと思わなくても、眠っている真っ最中でも、息を吸ったり吐いたりしている。
ものを食べると、それが血になり、肉に成る。林さんが生きているということは、林さんが気付いているよりは、もっともっと素晴しいことなんですよ。
自信がなくなったとき、悲しみに沈みそうになったとき、先生はこういうことを思うと、元気が出て来るんだが、この気持ちを林さんに伝えたくって、何だか、うまく言えないのでもどかしい気がします。
加藤歓一郎という先生は、お医者さんに見放されるような恐い病気にかかったとき、よろよろしながらお便所に行ったんだそうです。
「オヤッ」と思ったのは、お便所の土台のコンクリートにヒビワレが入っている。良く見ると、その下からたけのこが顔を出している。たけのこがコンクリートのヒビワレを活かしているのです。
「たけのこだってこんな力を持っているのに、わしは人間だ、人間ではないか・・・」と思われ始め、モリモリ元気が出て、とうとう病気も治ってしまったといいます。
山県憲明という人も,「もう駄目だ」とお医者さんから言われた人ですが、ある朝寝ている布団が心臓の響きで「ピクッビクッ」と動いています。お医者さんから駄目だといわれ、家の者も私も諦めていた。
それなのに、なおも私を生かしてやろうと心臓が一生懸命働いてくれると思うと、嬉しくなり、こころが楽になり、元気が出てきてとうとうその難しい病気まで治ってしまったそうです。
林さん。元気を出してください。発表なんてそんなに世の中が暗く成るほど大きな問題では有りませんよ。小さい一年生にだってヘッチャらでやれることです。
林さん。元気を出しましょう。
八鹿小学校 藤原学級 林いづみ
「小さい勇気を育てる」という三学期の目標を立てたのに、全然実行できません。授業中、いくらでも発表するチャンスがあるのに発表しない。つくづく発表できる人が、うらやましくなってしまいます。
自分でもこんな性格では「だめだ」と思いながらも、一日一日を粗末に過ごしてしまいます。こころの中の小悪魔が『間違っていたらどうする?』などとささやき、小さい勇気も出てこないのでです。ほんとうにいやです。
自分の性格を直すには、大変な努力がいると思うのですが、とても毎日気になって、いつの間にか授業中でも、食事中でも、寝る時でも、考えてしまうのです。そして、毎日が『なんだかつまらないなあ』と思ってしまうのです。
一日は、その人の生き方で決まると思うのですが、私には、『今日は楽しい一日だったなあ』と思える日が最近全くありません。私も、今度も実行できるかどうかわかりませんが、このこころを校長先生に書いて、知ってくださったのをきっかけに、がんばりたいと思います。
先生回答 ☆☆
(林さんが生きている事は、林さんが気付いているより素晴らしい事です。)
林さんがきびしく自分の弱い心を叱り付けているその真剣さに感心しました。大ていの人は、人には厳しくても、自分は平気で甘やかしている事が多いものです。
こんなことでいいのだろうかと、自信を失うほど自分を見つめているその真剣さは、普通の人には珍しい立派なことだと思います。
でも林さん。そのために、大切な毎日が暗く寂しい毎日になっては大変です。そういうときには深く広い空を見て見ようでは有りませんか。
どこまで行ってもどこまで行っても天井のない無限の空の深さと広さのことを考えてみてはどうでしょうか。
お天とうさんが貧しい人にも悲しんでいる人にも、虫にも、鳥にも、草にも木にも、元気を出せ、しっかり伸び太れよ、と毎日励ましを送り、夕方に成ると、誰がお礼を言ってくれなくても、誉めてくれなくても、
美しい夕映えを残し
『ぐっすりお休み、確り疲れを休めて眠るんだよ.お休み』と西の空に沈んでいかれるところを眺めてみるのもいいですね。
零下何度の寒さの夜も、それをじっと耐えて生きる山の生き物達のことを考えてみると、喜びや勇気が出てくるかもしれませんね。わずかな地熱に慰められながら、雪の下で芽を作っている雑草の種のことを考えたら元気が出てくるかもしれませんね。
林さん。悲しく成るときにも、自信を持ってください。
目があって何でも見える。耳があって聞ける。自分でしようと思わなくても、眠っている真っ最中でも、息を吸ったり吐いたりしている。
ものを食べると、それが血になり、肉に成る。林さんが生きているということは、林さんが気付いているよりは、もっともっと素晴しいことなんですよ。
自信がなくなったとき、悲しみに沈みそうになったとき、先生はこういうことを思うと、元気が出て来るんだが、この気持ちを林さんに伝えたくって、何だか、うまく言えないのでもどかしい気がします。
加藤歓一郎という先生は、お医者さんに見放されるような恐い病気にかかったとき、よろよろしながらお便所に行ったんだそうです。
「オヤッ」と思ったのは、お便所の土台のコンクリートにヒビワレが入っている。良く見ると、その下からたけのこが顔を出している。たけのこがコンクリートのヒビワレを活かしているのです。
「たけのこだってこんな力を持っているのに、わしは人間だ、人間ではないか・・・」と思われ始め、モリモリ元気が出て、とうとう病気も治ってしまったといいます。
山県憲明という人も,「もう駄目だ」とお医者さんから言われた人ですが、ある朝寝ている布団が心臓の響きで「ピクッビクッ」と動いています。お医者さんから駄目だといわれ、家の者も私も諦めていた。
それなのに、なおも私を生かしてやろうと心臓が一生懸命働いてくれると思うと、嬉しくなり、こころが楽になり、元気が出てきてとうとうその難しい病気まで治ってしまったそうです。
林さん。元気を出してください。発表なんてそんなに世の中が暗く成るほど大きな問題では有りませんよ。小さい一年生にだってヘッチャらでやれることです。
林さん。元気を出しましょう。
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