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いたずら小僧の番長

いたずら小僧の番長

                                                      8回

俺の場合は、親や兄弟からの抑圧で特に反発心、闘争心も強くなったんだろうな。それで不良少年になって、不良少年から愚連隊、愚連隊からヤクザになったんだが、そういう闘争心を受け止めてくれる、うまく活かしてくれるというのは、やっぱり一般社会よりもヤクザの世界の方だったな。

 親父は、俺が中学を卒業した年の夏に死んだ。浦和にいたじいさんのお妾さんの家で、脳溢血だ。61歳だった。

 結局おふくろが死んでから13年ぐらい一緒に暮らしてたな。確執はあったけど、思えば面白い親子関係だった。今でも親父のことは大事に思っているよ。

 中学を卒業しても俺だけは一緒に生活してたしね。だけどその親父が死んで、俺は完全に独りぼっちになったんだ。兄貴らはみんな就職だ。だんぷのうんてんしゅになるんだとか言って、どこかへ行ってたから。

 長男は俺が中学の頃には不良仲間に入って、少年院に入ったりしてたな。二男はまじめな男なんだけど三男というのがまたふらふらしてて・・・・まあ俺もそういう家庭環境で育ったもんだから、中学3年の頃には番長になってたよ。と言っても女の子のスカートをめくったり、ちょっと悪さしたり、よその学校の不良とケンカしたり、要はいたずら小僧の番長だけどさ。

 ケンカじゃそれなりの評判になってたな。「後藤が出てくるぞ」と言うだけで、相手のグループが引っ込むんだ。一種の心理戦だ。「闘わずして勝つ」というのもいたずら小僧なりに覚えたよ。

 それで中学を出たのはいいけど、その頃はすぐに仕事なんかなかった。どこかに住み込みなどで雇われても、24時間はたらいて月に2000円か3000円か、その程度の稼ぎだ。

 ラーメン一杯30円ぐらいの時でさ。伊豆にうちの親せき筋の「小松家」という旅館があって、そこの番頭もやらされたこともあったけどな。後は土方やれと言われたこともあったけどそんなに力はないし工場だっていいところは使ってくれない。

 きっと悪さするような顔してたんだろう。こんなことで生きてたってどうにもならんと思って、チンピラの社会に入ったんだ。

 同級生を集めて恐喝したり,ケンカしたりさ。いわゆる愚連隊だ。だって金がないだろ。寝るところだってさ。そうすると何をするかといえば、まず恐喝。それで汚い木賃宿みたいなところを探して、手下と2,3人で寝て、金がなけりゃ、神社で寝たりさ。次の朝腹が減りゃ、駅へ行って学生を脅かすんだ。「ちょっと弁当くれ」って。まずは腹ごしらえだから、弁当を恐喝するんだ。

 当時は中学を卒業したら高校へ行くのが3割、7割は就職だ。高校へ行ってるのは金持ちの家の秀才なんだよ。「お前らはいいよ、高校へ行けるんだから」って。

「だから今日は弁当頂戴」と。  

 戦後の不良少年の発祥みたいなもんだ。野村秋介(戦後を代表する行動右翼で、後藤の親友。野村との交流は第6章で詳述)さんもそんな不良少年上がりだったよな。  続く

 

 

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