朝起きたら小雨模様でした。傘をさしてのスタートは久しぶりです
7:20 スタート
細久手宿は、全長410メートルという山に囲まれた小さな宿場で
本陣も脇本陣もすでに残っておらず、江戸時代から残る建物と言えば
昨晩泊まった大黒屋ぐらいで、静かな街並みでした
7:30 細久手坂の穴観音
斜面上の石窟内に乾隆された馬頭観音でした
観音の縁日にお参りすると9万9千回お参りしたことになるそうです
7:45 秋葉坂の三尊石窟
だいぶ風化の進んだ石仏が石室の中に安置されていました
8:05 鴨之巣の一里塚(江戸日本橋より九十三里目)
地形の関係で両塚の位置がずれたまま残っていました
9:40 馬の水飲み場跡
諸ノ木坂という急坂の旧道を上がっていくと「物見峠」につきます
ここには馬の水飲み場跡がありました
右手にはかって皇女和宮通行の際に休息のための建てられた御殿の跡もありました
9:50 唄清水
岐阜県名水50選 和宮が降嫁される際に賞味して気に入ったとか
謡坂の石畳
あまりの急坂で苦しさを紛らわすために唄を歌いながら坂を歩いたと言われているそうです
続いて唄坂十本木の一里塚(江戸日本橋より九十四里目)明治に取り壊された後復元されていました
マリア像と耳神社
石畳の途中にかって農道の拡張工事を行った際に隠れキリシタンにまつわる遺構が発見され
弾圧を受けながらも隠れキリシタンが信仰を続けていた場所で七御前遺跡と言われています
石畳が終わった右手に、耳と安産の神を祀る神社がありましたが
急坂で階段をみただけでお参りはしませんでした
10:30 牛の鼻欠け坂
牛の鼻がすれてかけてしまうほどの急な坂であるところから
11:00 御嶽宿入口
長かった峠道が終わり、周りに田園風景が広がり、その一角に和泉式部廟所がありました
道中御嶽の辺りで病に倒れてこの地で没したと書かれていました
49番目の宿場御嶽宿に入っていきます
この宿場は東に向かって細久手宿、大湫宿など難所を控えていたので
最後の休憩場所として旅人が多く逗留した宿場だったということです
名鉄広見線の終点「御嵩駅」の周辺は交通の便もいいのでしょう
開けていた分、当時の面影はあまり残っていませんでした
11:30 鬼の首塚(写真右)
凶悪で悪行三昧の男をこの地の地頭が蟹薬師に祈願したところ退治でき
その首をここに埋めたと言われています
御嵩の街並み
宿場としての当時の面影はあまり残っていませんが、幅広く商いをした商家などが残っていました
13:30 伏見宿入口
国道21号線を可児川添いに進み、伏見宿に入ります
公民館の前に伏見宿本陣跡がありました
さすがに3日間の疲れが出てきました。14時過ぎの名鉄広見線「明智駅」で
名古屋駅に出て名古屋発16:32の新幹線で帰路につきました(歩行歩数:34,713歩)
その間に街道の見どころをくまなく紹介され、石像や一里塚、神社や古い建物にホッとした感覚になります。昔の街道の様子が偲ばれる素敵な写真と文章に感謝です。
旅はまだまだ続きますが無理をせずにしてください。これからの行程も楽しみにしてます。
私にとって、十三峠を越えたことはちょっとした自信になっているようです。
今後、京都まで中山道にはもうこんな峠はないだろうと・・・
そう思って、少し気持ちが楽になりました。
なんとか、京都まで無事につきたいと思っていますが。
謡坂って名前はとても素敵なのに、苦しすぎる坂なんですね。さらに牛の鼻かけ坂!やっぱり中山道はすごい道です。Akikoさんのおかげで中山道の大変さがよくわかりました。京都までのこれからの道のりが楽しみです。でも、無理なさいませんように!