今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

21日の北茨城・東京の放射線量:18時・19時まで

2011年03月21日 | 東日本大震災関連
福島県外なのでμSvではなく、その1/1000のnSvという単位で表示する(1000倍すればμSvの値)。
北茨城(福島に隣接)
朝7:00から1000nSv/hr=1μSv/hrを超えていた。
8時台が数値のピークとなり1240nSv/hrに達した。
9時台には減少し、
10:00  956nSv/hr。
11:00 1010nSv/hr。
12:00 985nSv/hr。
13:00 1050nSv/hr。一進一退の状況。
14:00 1650nSv/hrに急増。北北東3m/s。ちなみに同時刻の福島県内各地で急増した所はない(いずこも順調に低下中)。同時刻の福島の白河(1600:低下し続けてこの値)と同程度。同時刻の 栃木県の那須の値は610。
15:00 1840nSv/hrに上がった。北北東2m/s。県境で接している福島県いわき市では同時刻 2750とここも増加(昨日は1000以下)。この増加は雨とは無関係(減少傾向にあったのに)。原発から新たな放射性物質が海岸線沿いに南下しているのか。
16:00 1940nSv/hr。一連の増加は3号機から出ている煙と関係があるのか(現場では値の増加はないというが)。
17:00 1900nSv/h。いわき市も2260に下っているので、ピークは過ぎたか。
18:00 1820nSv/hr。 減少傾向になって安心したが、そもそも余分な増加の1000nSv/hr=1μSv/hr分は何なのか。
19:00 1770nSv/hr。いわき市も2160と下がり続けているので、安心
(やはり福島県内はnSvでは大きすぎる値になり、μSvで適したレベル。原発現場はmSv)。
私もこれにて終業。

●東京新宿区の放射線量は、昨日の40nSv/hr台から、今日は7時台(降水中)に59nSv/hr(1時間平均、以下同)に上昇した。北東風なので茨城からの空気が流入してくる。
おおざっぱに言えば、北茨城での濃度が東京では1/10ほどに薄まっている。
8時台  70nSv/hr(+11、増減値)
9時台  96nSv/hr(+26)。
10時台 100nSv/hr(+4)。
11時台 109nSv/hr(+9)。
12時台 113nSv/hr(+4)。
13時台 108nSv/hr(-5)。
14時台 112nSv/hr(+4)。
15時台 118nSv/hr(+6)。
16時台 126nSv/hr(+8)。
17時台 134nSv/hr(+8)。
18時台 135nSv/hr(+1)。
19時台 134nSv/hr(-1)。

●公式値ではないが、私のガイガーでは
10時現在、室内で最高値160nSv/hr、玄関外で最高230nSv/hr(いつも新宿よりは高い)。
家の外が内より明確に高くなったのは初めて。雨滴の影響の有無が効いていると思う。
ついでに室内ラドン濃度は16Bq(昨日より1減少)。
11:45 玄関外。200-260nSv/hr 霧雨。
13:00 玄関外。220-280nSv/hr 霧雨。私の測器ではローマの平常値(250nSv/hr)並に上がった。
14:00 玄関外。190-230nSv/hr。弱い雨(降水強度1.5mm/hr)。北東の風、0.4m/s 室内ラドン濃度14Bq(-2)。
15:10 玄関外。200-230nSv/hr。弱い雨。北東の風、0.4m/s
16:00 玄関外。190-240nSv/hr。弱い雨。北東の風、0.4m/s
17:00 玄関外。 210-290nSv/hr。弱い雨。東北東の風、0.4m/s ラドン 16Bq(+2)
18:00 玄関外。 230-300nSv/hr。雨上り。東北東の風、0.4m/s 

放射線不安の中身

2011年03月21日 | 東日本大震災関連
私のブログにアクセスする多くの人が、政府・マスコミの情報への不満・不信が理由のようだ。
私自身、公的機関から、放射線量の測定情報がちっとも出ないので、自分で測り、それを公表することで、
皆さんのお役に立ちたいと思った。
今は、公的機関でも情報提供体制が整ったので、私の役割はほとんど終った。

なので、私の本職である心理学に戻って、皆さんの「不安・恐怖」を問題にしたい。

起こるかもしれない深刻な放射線被害の恐怖に関しては、私とて同じ。私もずっとこの恐怖心を維持している。
ただこの生起確率は低く、今はさらに低くなる方向にある。
問題は、今現実の自分にふりかかっている放射線量に対する明瞭な不安感。

人は不安になるとどうするか。
フロイトは、人は不安になると、無意識の防衛機制によって不安を解消しようとする、という。
つまり、不安解消行動をとるという。
ならば、放射線不安におののく人は、「この程度の放射線量は心配に及ばない」という政府・マスコミの情報に、積極的に望んで触れることで、不安解消=安心を得ようとする、はずである。

ところが、多くの人は、政府・マスコミのこの情報に接しても不安は解消されず、むしろその情報を信じられなくなった。
政府はもともと信じなかったろうし、いつもは扇情的なマスコミが、今回はその逆の方向になっていることに、何かを隠している、という不信がむしろつのった。

つまり、人々はフロイトの説どおりの行動をしていない。

次に、社会心理学者のフェスティンガーの説を紹介する。
人は、自分の信念と異なる情報に接すると、認知的不協和状態に陥り、不快となるので、
自分の信念と合致する情報の方を好むという(認知的不協和理論)。

つまり、強い不安になると、その不安を安易に否定する情報に接するとかえって不協和(不快)になり、
むしろ自分の不安を正当化してくれる情報(放射線の身の毛のよだつ危険性や、原発事故の破滅的結末)に好んで接する。
そして、だから自分は不安でいて正しいのだ、と認知的な協和状態になる。
つまり人は、自分の信念と事実認識との不協和ほど堪え難いことはないのだ。

人は、不協和をもたらす情報は疑うが、もう一方の自分の信念(放射線に対する知識)を疑うことはしない。
なので、その信念に合致する情報を採用し、合致しない情報を信じない。
これが多くの人の社会心理となっていることを、私はまじまじと味わった。

ちなみに、自分の誤った信念が、実は自分を心理的に苦しめているので、その信念から自由になろう、というのが、
今最も有効視されている「認知行動療法」である。