今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

前期終了

2015年07月31日 | お仕事

前期試験の最後の科目を終え、修論の中間発表をすませた。
これで前期の出校する用事は終わり。

残った成績つけは、入試と重なる後期と違って日程に余裕があるので、 帰省してゆっくりできる。

今では、こういう職場の業務(授業と会議以外のほとんどの業務)はネット経由でできるから楽だ(USBメモリや個人用ノーパソにデータを入れるより、ネット経由の方が情報の紛失ミスがない)。

というわけで、「半慰労の定宿」をはさんでの名古屋宅で続いた慰労の祝杯も今宵が最後。


湯舟沢の夏

2015年07月27日 | 

宿で夕食を済ませ、晩酌のほろ酔い気分にかませて、宿の玄関で下駄に履き替え、浴衣姿のまま、日没直後でまだ明るさの残る外に出る。

ここ湯舟沢は、東濃の名峰・恵那山の北西側の谷であり、東には恵那山から富士見台につらなる濃信国境の稜線を見上げ、西にはV字の向こう側に東濃第二の名峰・笠置山がΛ字で谷を画している。

湯舟沢に宿は一軒だけで、周囲は民家が点在しており、宿を一歩出れば、素朴な山村の谷に投げ出される。
いくぶんは涼しくなった生暖かい空気の中、谷の周囲の森の中から1匹のヒグラシが独特の音をひびかせている。
目・耳・肌で味わう夏のたそがれ時。
今のこれがが私の”夏休み”だ。
たったひとときの…。

この空気の中、谷沿いの車道をずっと歩いていきたいが、行く当てもないので、宿に戻る。

 


暑い

2015年07月26日 | お天気

東京文京区にある実家の私設「本駒気象台」によれば、本日の最低気温は28.1℃(5時1分)、最高気温は39.2℃(13時43分)に達した(それから2時間後たっても39℃超えたまま)。
実家の母に電話して、水分だけでなく塩分も摂るよう伝えた。

ちなみに、名古屋の私設「星が丘気象台」は、最低気温が26.4℃(4時2分)、最高気温が37.4℃(15時34分)。
ともに熱帯夜に酷暑だが、東京の方が2℃高い。

かくいう私は、標高450mほどの岐阜県の中津川温泉に滞在中。
こちらも好天で暑く、やはり30℃を超えた。

冷房の効く客室内にいてもいいんだが、せっかく風光明媚なこの地に来たので、日中は標高600mほどの”馬籠宿”上端部の木陰でハンモック風のリラックスチェアに寝そべって読書。
気温は31℃だが、恵那山を正面にした木陰でそよ風を受ければ気分はいい(室内だと我慢できない気温なのに)。
ただ宿から往復に使うわが愛車の室内が40℃を超えてつらい(車内のエアコンはできるだけつけない)。

宿に帰れば、40℃を超える湯船に喜んで浸かるわけだが。


18きっぷで名古屋

2015年07月21日 | 

今年の夏もいよいよ「青春18きっぷ」解禁となった。
使える期間は年に夏・冬・春と3回あるが、利用期間の長い夏が使いやすい。 

さっそく東京から名古屋まで使う。
改札の若い駅員はこのきっぷが初めてらしく、印を押す場所を探していた。

今まで東京駅始発だった東海道線がことごとく北関東始発になったので、1駅前の上野から乗る。

熱海までは従来通り快速アクティのグリーン車の二階席(もちろんホームでSuicaのグリーン券を購入)。

熱海でJR東海に乗り換えるのだが、アクティが着く3分前に発車してしまう接続の悪さ。
それでも20分ほど待って次の便に乗れるが。

終点まで乗らずに、乗り継ぎ便の始発駅で降りるには時刻表が必携。
名古屋への下りでは「興津」がその駅。
興津駅のホームからは、富士山が頭のてっぺんだけを出している。

JR東海内は接続がよく、浜松、豊橋とほとんど待たずに乗り継いで、名古屋の1つ手前の金山で中央線に乗り換え、千種で降りて、あとは市営地下鉄。

6時間もの間、ずっと坐りっ放しなので、いささかお尻が痛くなり、運動不足の一日となる。
でも読書は進んだ。 


海の日の城ケ島・油壷

2015年07月20日 | 東京周辺

帰京中に迎えた海の日。
もともと「海の日」なんて日本の伝統行事とは無縁で、
7月に休日を設けるために(伝統的な「七夕の節句」を無視して)無理やりもってきた日なのであるから、
伝統文化を大切にする私にとっては公然と無視したいのであるが、
丁度夏の暑い日の休日にどこかに行こうと思案すると、どうしても海に行きたくなるタイミングになってしまうことは、返す返すも口惜しい。

もうこうなったら、偶然海に行きたくなる日として「海の日」を認めることにしよう。

というわけで、東京から近場の海として、行きそびれていた城ケ島、
すなわち三浦半島のもう1つの突端(突端の1つである観音崎は2012年3月に行った)を訪れることにした。

ただ、城ケ島だけではすぐ終わるので、油壷にある新井城趾にも足を伸ばしたい。
そうなるとバスを乗りまわすことになるので、バス乗り放題ができる京浜急行(以下、京急)の「1Dayフリーきっぷ」で行くことにした。

京急終点の三崎口駅から城ケ島行きのバスに乗る。
朝食を抜いてきたので、駅のコンビニでおにぎりを買ってバスの中で頬ばる。
遠洋漁業のマグロの水揚げ地の三崎に行くのだから、”新鮮な”冷凍マグロのマグロ飯を食べるのが観光客のとるべき道だが、腹がへったので我慢できなかった。

城ケ島に着いて、さっそく灯台に行き、晴天の相模灘の向こう側の伊豆大島と対面。

そこから城ケ島随一の名所である「馬の背洞門」目ざして関東大震災で隆起した岩棚状の海岸を歩く。

洞門の向こう側は東京湾で、丁度ヨットが通りすぎていく(写真)。

そこから城ケ島を北に縦断し、城ケ島大橋を渡って対岸でバスにのり、三崎港に立寄ったが、水中観光船は2時間待ちなので諦め、油壷に向った。

油壷の小さな海水浴場に下り立ったが、独りで海水浴をしにきたわけでないので通り過ぎ、たまたま公開していた東京大学臨界実験所を見学。
古い建物(戦前の築だという)が気に入った(階段の木製の手すりがカーブがいい)。
ただ建物が古いだけに、エアコンは廊下側に設置してある。

マリンパークの前を通り抜け、「新井城趾」の碑を見て、そこから海岸に降りる途中に最後の城主・三浦道寸の墓に参る。
後北条氏との闘いに破れて落城し、道寸らは自害し、その血がこの湾に油状に満ち、それが油壷の語源になったという。

海の日に城跡巡り・墓参りで終わるのもなんなんで、
道寸墓の下にあるこれまた小さな海水浴場におり立ち(油壷の海水浴場はいずれも波がない)、
裸足になって、おだやかな海水に両足をひたし、白い巻き貝の貝殻を2つほど拾った。

かように「海の日」を満喫したということで、

バスで三崎口に戻り、駅前の売店で、冷凍マグロの赤身を土産に買った。 


私が夏に帽子をかぶらない理由

2015年07月19日 | 歳時

私は通常は外出時に帽子を被る。
冬は頭部を寒気から守るために、ミリタリーベレーを被り、
春・秋は日除けのためにバイザー代わりにツバのあるハンチングかハットを被る。
ところが夏とりわけ盛夏は帽子を被らない。
これは多くの男性とは逆パターンでさえあろう。
もちろん大切な頭を一年で一番強い直射日光に曝すはずはない。

盛夏の日射に対しては、帽子では力不足なのだ。
第一、頭が蒸れる。
そこで、帽子という些少な日除けではなく、身体全体を日陰にする”日傘”に装備を格上げするのだ。

私の日傘は、直径が長いので全身がカバーされ、紫外線だけでなく、太陽光も反射するので、傘の内側は日陰の涼しさを実現する(紫外線防止だけの日傘は傘内の温度は下らない)。
そう、帽子だと、頭部以外の首から下がまったく無防備で、腕も脚も直射日光による輻射熱をもろに吸収して、気温より数度も上ってしまう。
気温だけでも35℃を超えるから、皮膚の表面温度は40℃近くに達してしまう。
風呂にずーっと入りっ放しの状態だ。
皆さん、よく平気でいられる。
皆さんが直射日光に曝されて、汗を光らせている中、私は日陰を携帯してまさに涼しげな顔。
日傘は晴雨兼用なので、夕立にも対応できる。
折畳みなので使わないときはバッグにしまえる。

さらに首には、高分子ポリマーを水で膨らませたものを巻いている。
これは首回りの体温をいつまでも上昇させない効果がある。
ずっとつけていると表面温度が体温近くなって、冷たさを感じなくなるが、
歩いたりして体温が上ると、冷たさを感じるのがその証拠だ。
つまり一時的な冷感を与えるのが目的ではない。
一回水に浸せば、高分子ポリマーの水分がなくなるまで24時間以上もつ(しかも100円ショップで買える)。


室内の居住空間だけ冷やす

2015年07月15日 | 生活

私は室内の空調の対象を居住空間だけに絞り、それ以外の空間は無視することで、エアコンのエコを達成している。
早い話が、夏の冷房はフローリングの床付近に冷気を集め、天井は熱いままにまかせる。
室内全体を撹拌して冷やす必要などまったくない。
それによって、エアコンは「除湿」で充分なため、消費電力は約半分に抑えられる。

その室内の温度分布(ただし気温ではなく、壁面の温度)をサーモグラフィの画像で示す(右写真)。

壁の上面にあるエアコンの吹出口(青黒い長方形)の風向を真下にしているので、その方向から冷気が自分坐る場所(十印(29.3℃)のやや左下のちょっと黄色=暖かくなっている場所)に直接ふりそそいでいる(吹出口の左下に拡がる青黒い分布が冷気の流れを可視化している)。
そしてエアコンの真上は赤く37℃以上のままである。
ちなみに居住空間である十印付近の”気温”は、温度計によれば27℃(夏の至適温度)である。 

この場所に座っている限り、この設定でまったく問題ない。


個人的危機脱出

2015年07月14日 | お仕事

先々週の生命の危機だけでなく、実は業務上でも私は危機を迎えていた(詳しく言えないが)。
それゆえ、落ち着いてブログの記事を書く余裕もなかった。
もっとも、修論指導明けの小慰労の温泉旅は、これをやらないとストレスが高まってしまうので、予定どおり実行。

そして今日、危機が去った模様だ(周囲の人が取り除く方向に動いてくれ、始末書で済んだ…)。

これで通常に戻れる。
めでたし、めでたし。


小慰労の宿と鍋山メンヒル

2015年07月13日 | 

秋修了生の修論指導を終えた。

まだ提出しただけで、合否を決める口頭試験をひかえているが、私の指導は終えたので、本人に代わって慰労をしたい。
といっても前期授業が大詰めを迎える時なので本格的な慰労には早い。
一応慰労だから”温泉”であることは必須条件。
一泊なので、往復に時間がかからない近場がいい。

最終的に決った先は、「かんぽの宿恵那」。
本格的な慰労の旅は下旬に控えているので、今回は予算的にはビジホクラスにしたかったのだが、迷っている時にこの宿から誕生月1000円サービスハガキが届いたのが決定打となった。

この宿は恵那峡にあり、先月行った湯快リゾート「恵那峡国際ホテル」にほぼ隣接。
その意味では、行き先的には目新しさがないが、こちらの宿は、”かんぽ”ながらも洋室が実質和洋室になっていて居住性が良く、気に入っている。
恵那峡側が全て窓になっているので眺めもいい。

残念なのは温泉の薄さなのだが、浴室の浴槽が豊かで、温泉”気分”だけを味わうなら支障はない(泉質にこだわるなら国際ホテルの方)。

名古屋宅から恵那峡までの運転路は幾度も通った道で、ついでに前々から気になっていた恵那市天然記念物の「鍋山メンヒル」に寄り道した。

細い林道を上ってメンヒルの直下まで車で行ける。
整備された林の中に立つそれは、もとは「立石」という名らしい(写真)。
夏至の日の出がちょうど2つの石の間の隙間から差すという。
石の表面にはペトログリフぽい線条痕が見られるが、人工的なものかは不明。
メンヒルに向って霊気を探知してみたら、「あまり良くない」と出たので、合掌して立ち去った。 

奥の「馬禿」 の崖上からは笠置山方面の眺めがいい。
崖上の空中に根をせりだした松がふんばっており、崖くずれの進行での運命が気になる。 


実写版「ど根性ガエル」

2015年07月12日 | 作品・作家評

アニメ版「ど根性ガエル」で育った者として、この実写版(7/11から日本テレビ系列)は気になっていた。

基本、アニメの実写版は旧来のアニメファンを落胆させ、新しいファンを開拓できずに寂しく終わるものだ。

なので、ほとんど期待せずにチャンネルを合わせたのだが、
意外に、ピョン吉のCGと満島ひかりの声がハマっていて違和感がなく、この一番重要な所は成功といっていい。

多くの指摘にあるように、京子ちゃん(前田敦子)がイメージに合っていないのが残念。
ただ、実写版がアニメを超える可能性も0ではないので、頑張ってほしい。
ストーリーは、たわいないドタバタでかまわない(もともとあり得ない設定なのだから)。 

 それから、ロケ地が葛飾区の立石(タテイシ)であることも個人的に心に響いた。
立石は、つげ義春が若い時に下宿していた所で、立石という伝説の石が埋っている所。
いつか訪れたいと思っていた場所だ。 

葛飾区は、「男はつらいよ」や「こち亀」の舞台でもあり、飾らない、気負いすぎない下町の風情が残っていそう。

立石の風景を見たいこともあり、「あまちゃん」以来の”連ドラ予約”をした。


SV600で厚すぎる書籍を電子化する場合

2015年07月11日 | パソコン・メディア

富士通のScanSnap SV600は、他のページスキャンのように本を破壊する必要はなく、普通のコピー感覚で紙資料を電子書籍化できる優れもので、われわれ研究者には必須であり、また日本発の画期的デジタル製品として高く評価している。

ただ、困ったことが起き、試行錯誤して解決したので、報告しておく。

図書館で購入している雑誌は、ある程度たまると合冊されて、通常の書籍以上に分厚い冊子となる。
その合本された雑誌の一部をSV600でスキャンしたら、次の不都合が発生した。
①スキャンする紙面の高さがぐっと上昇するため、紙面に当たる光が強すぎ、文字が薄くなってまったく読めない。
②スキャン上から雑誌の輪郭が歪むので、いつもなら問題ない紙面の境界が認識されず、ページごとに紙面境界を手動で設定しなくてはならない。

いずれも冊子の厚さがマシンの想定(3cm)を大幅に超えたための現象だ。
②は手動の手間がおおいにかかるだけだが、①は文字が読めないので致命的。

翌日、時間をおいたせいで、頭がリセットされ、解決策が難なく思い浮かんだ。

①は、厚さによって紙面が上昇した結果光りが強すぎたのだから、光源から紙面の距離をのばせばいい。
マシンの下に厚めの本を差し込んで、マシンの高さを上げた。
これで光対策はOK。

②の開いた時の紙面の歪みは、薄い側にこれまた厚みのある本(ただし冊子の幅から出ではならない)を差し込み、水平に近くなるよう歪みを補正した(自動補正可能の範囲内にもっていく)。
これでいつものように問題なくスキャンできた。


新幹線乗客の事故リスクを減らすには

2015年07月05日 | 防災・安全

自分が遭遇した新幹線放火事件の総括として、教訓で締めくくりたい。
ここでは乗客自らの安全対策(リスク低減)を考えたい。

1号車を避ける:列車は先頭の1号車が最も事故リスクが高いことは周知の事実である。
だから1号車に乗ること自体、リスクを高めている。
のぞみの自由席は1-3号車であるから、3号車から乗るようにした方がいい。
たぶん多くの人はそうしている。
1号車が一番空いているのがその証拠。
私はそれをねらって最初から1号車にしていた…。 

では事故でない今回は、なぜあえて1号車で起こされたのか(犯人が乗車したのは後ろの車輌)。
あえて1号車を狙う意味があるとすれば、運転席に影響を与えたかったのかもしれない。
その意味でも1号車はリスクが高まる。

リラックスしすぎない:発生してからは「逃げ遅れ」が致命的になる。
そのためには、異状への気づき、行動開始などを出来るだけ前倒しできる態勢でいることが必要。
すなわち、意識は明瞭に、そしてリラックスしすぎない。
意識が明瞭であれば、今回のように挙動不審者に気づく程度はでき、それが警戒心を喚起させる。
電車内は公共空間であるから、リラックスするのはマナー的にも限度がある。
靴を脱いでシートを思いきり倒して睡眠する人がいるが、自分を危険にさらしていることになる。
実際、新幹線内は置き引きやサイフの盗難がよくおきている。熟睡者が狙われるという。

荷物は身近に:私はキャリーバッグを通路側の座席前に置いていたからすぐに持ち出せた。
持出せなかったのは、足下のコンセントに挿し込んでいた充電器だ。
混雑した時も、キャリーバッグは自分の膝前に置き、上の棚には載せない。
キャリーバッグは4輪なので移動は楽だ(2輪より4輪がいい)。
このように荷物はできるだけ身体のそばに置いておきたい。

煙を避ける:乗客は避難を優先すべきなので、消火にはあたれない。
なので炎と煙から逃げることになる。
今回この煙からの避難に手間取った。
煙は温度が高いから上昇する。
同じ空間でも、身を低くすればそれだけ煙から逃れられる。
火災時の避難の鉄則だ。
だが、避難者で混雑しているとその態勢が取れない。
走行中は避難路が通路に限定されているからだ(避難路の限定はパニックの誘発要因でもある)。これはなんとかしてほしい。
座席の下も這って避難できるスペースがあればいいのだが。

 ⑤東海道新幹線固有のリスクを認識:東海道新幹線は地震リスクの高い地帯を通過している。
小田原-三島間だ。
まず小田原-熱海間は、相模湾に面して、箱根山の長いトンネルを複数通過する。
この地帯は、関東大震災の震源地である相模トラフの隣接地で、その地震時、根府川駅を発った列車が鉄橋の上で土石流被害にあって列車ごと相模湾に落下して、多くの死者を出した。
そして今は、箱根山が噴火中。

熱海-三島間は路線内で一番長い新丹那トンネルをずっと通過するのだが、丹那断層がこのトンネル内を横断している。
活発な断層で北伊豆地震を起こしている。
そもそも地震は断層の破壊現象であるから、トンネル内の断層が破壊されれば、通過中の車輌はぶった切られる。

なので、私は長いトンネルが続く小田原-三島間は、いつも一番緊張し、一刻も早く通過することを祈っている(新丹那トンネル抜けて、右に富士と愛鷹山、左に伊豆半島に続く平野が現れたときはいつもホッとする)。
乗車するみなさんも、せめてこの区間だけは緊張感をもった方がいい。

東海道新幹線は、三島通過後も富士川断層を渡り、フォッサマグナの南端をくぐり、東海地震震源域に沿って走り、中央構造線をかすめる(その先にもいろいろある)が、トンネルの”外”で地震に遭遇した場合は、中越地震時の上越新幹線、3.11の東北新幹線の例を見れば、心配するほどではない…と思う。


新幹線放火事件:その時の自分の心を解説

2015年07月04日 | 心理学

7月3日のわがブログの閲覧数が1905PV,訪問者数が637IPに達し(いつもの2倍強)、2百2十万以上のGooブログで618位に達した(ちなみに、2012年5月29日には29位、5459PV,4031IPに達したことがある)。
これもひとえに読者のみなさんのおかげ。

ただ、読者数をのばたいがためにこの話題を引っ張る気はない。
私自身、気分を引きずりたくないので、そろそろまとめに入りたい。

まずは、あの時(6/30の記事「新幹線放火事件に遭遇」)の自分の心の中を、その前日に紹介した”拡大二重過程モデル”(6/29の記事「システム0:二重過程モデルを超えて①」)で解説したい。
 

犯人がガソリンを撒きはじめ、それを見た乗客の避難に追従しての自分の避難行動は、自動反応であるシステム1の作動である(すなわち率先避難者は、居合わせた者の同調行動というシステム1を作動させる)。

そして1号車後方デッキに達した後は、冷静に計算するシステム2が作動でき、「今なら間に合う」という判断によって席に置いてきたキャリーバッグを取りに帰った。
すなわち、危機が迫っている段階でも、そこからある程度の距離を保てれば、冷静なシステム2が作動できるのだ。

だが、犯人がガソリンに着火し、爆発的発火が起きた後は、システム1の独壇場になって、一目散に避難を始めた。

まさに「逃走」事態なので、システム1は身体のシステム0を「闘争か逃走か」の交感神経興奮モードにする。
そして交感神経の興奮は、システム2(前頭前野中心)の作動を抑えてシステム1(辺縁系中心)の活動を維持させる。
ただしこれは異常事態に対する正常反応であって、決して「パニック」ではない(俗語の「パニクる」と混同してはならない)。

避難中の2号車を通過する間はずっとシステム1であるため、事態を読み込めない2号車の乗客に対して「逃げて、逃げて」と簡単なセリフしか言えなかった。

ただ、時折、システム2が思い出したように、自分の手にキャリーバッグが持たれているかを確認させた。

システム1は緊急時に自動的にすばやく作動するので、それに乗っかっていればたいてい生き延びられる。
ただ一旦開始した避難行動を違うモードに変更することが難しいため、「子どもだけでも先に行かせて」という訴えに反応できなかった。

3号車に達して、煙と熱からかなり解放されたことで、システム1に替わってシステム2の作動が可能になり、ここでやっと先の訴えを実行する事ができた。
だから弱者の存在をアピールし続けることは無駄ではない。
日本語が話せない外国人旅行者でも、母国語で叫んでいれば、そのうち周囲が対応してくれる。

システム2は自分の心の中を整理できるのだが、システム1に支配されていた時の自分は記憶もかなり断片的となる。
たとえば、犯人の持っていた白いポリ容器そのものははっきり映像として記憶しているのだが、その映像は通路を歩いていた時なのか、前方でガソリンを撒いていた時なのか、はっきりしない。
でも前者の時ならシステム2の作動時だからきちんと記憶されているはず。
だから後者の時だと思う。
同様にシステム1中の出来事の順序関係も不確かになっている。

 緊急事態が収束し、システム2が主となって2時間たっても、すなわち認知-行動システムが平常にもどっても、システム0の交感神経興奮はなかなか収まらず、心拍数は安静時の2倍で、深呼吸をいくらしても下がらなかった。
この点からも、システム間は相互影響しあっても、作動は別個だといえる。

また、緊急事態では、システム2という自分の冷静な意識の出番がかなり限定されたことがよくわかった。


新幹線放火事件について:現場に居た者として

2015年07月01日 | 防災・安全

新幹線放火事件の同じ1号車に居合わせた者として、マスコミ報道のいくつかにコメントをしたい。

まず、見てきたようなパニック騒ぎの定型文は間違いだ。
1号車の乗客たちは「逃げ惑」ってはいないし、「怒号や悲鳴もとびか」っていない。
逃げる方向は1つしかないから、行動に迷いはない。
ほぼ1列になって狭い通路を ひたすら進んだので、被害を増大させるパニック的混乱は起きなかった。
感情的になる余裕すらなかった。
「逃げろ!」という避難を促す声の後は、「子どもだけでも先に行かせて」という若親の懇願の声だけが繰りかえされた。
その子どもすら泣き叫ばなかった。 

感情が出たとしたら、避難が終わった後で、そういう女性の姿は見た。

見てきたような記事を書く人がいまだにワンパターンの「パニック神話」を信じているのは勉強不足。
現代の災害心理学を勉強してほしい。

現実に一番危険なのはパニックとは逆の「逃げ遅れ」だ。

乗客で死亡した女性は、倒れていた位置(トイレに近い1号車のデッキで頭は1号車側)から推測するに、出火時にトイレ内にいたのではないか。
なぜなら1号車の座席にいたなら、起きたことは、眼前で見えているから。 

貴重な避難のタイミング中に運悪くトイレにいて、出て来て1号車に向おうとしたら、そこはすでに生存できる環境ではなかったのだ。

「トイレから爆発音がした」、という話も早くから外部で言われていたが、

これは誤伝達によるものだろう。
私自身、1号車からトイレのあるデッキに、出火直前と直後の2度達っしたが、トイレからの異音は聞いていない。もちろんそれ以前も音はしていない。

われわれを助けてくれたのは、危険をまっさきに悟り、それを口にしながら、最初に逃げた”率先避難者”だ。
われわれは事情がよくわからなくても、ただ彼のマネをすればいいのだから。 

1号車には幼児や60歳以上の人もいたが、彼らは皆避難できた。
外国人旅行客は2号車以降にはいたが、1号車にはいなかったのが幸いだった。 

私自身、名古屋から東京に向う時は、帰省気分なので発泡酒を飲んで居眠りすることがある。
だが東京から向うときは仕事に向うということもあり、居眠りしなかったのも幸いした。 
いざという時を考えれば、公共空間でリラックスしすぎないことだ。