今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

被服心理学講演

2006年03月29日 | お仕事
家政学会被服心理学部会(名古屋女子大)で講演してきた。
演題は、本来なら、現在の「被服心理学」そのものが家政学者にとって抱かれている問題(底の浅さ)を話題にすべきだったが、被服学について無知なのでそれはやめて、
作法と関連づけて「その服装でどう振る舞うか」というタイトルで、服装が作法に与える影響を映像・実演を加えて論じた(実演用に軽衫(かるさん)という和服を着て)。
60分間なので、通りいっぺんの話を急いだだけで終わってしまったが、日本人として知ってほしい正しい和式所作について少しは紹介できたと思う。

そして講演が終わって帰宅中、実は私の作法学は、R.バルトの『モードの体系』の方法をヒントにしたことを思いだした。
つまりファッション記事の記号論的分析方法が作法の構造的分析に応用できると思ったのだ。
もちろん機械的応用ではなく、独自な概念化が必要だが。

社会心理学をただ右から左に適用しただけの、すなわち独自な分析概念のない現状の被服心理(独立した学とは言いづらい)よりも、「装いの意味」を構造的に記述できるこの方法の方が、服と人間との関係を理論化できる可能性があるような気がする。

ちなみにモードの体系の作法への実際の応用は電車内姿勢の美的評価の分析として、拙著『作法学の誕生』(春風社)に載せてある。
…宣伝しちゃった

時間をどう生きる

2006年03月27日 | 雑感
また桜の季節になった。
開花した桜が教えてくれるのは、毎年の春の訪れ・昨年とは違う新しい年度の始まり・たった一度のはかない生という「時間」。
われわれ生きる者にとって、時間は循環性を備えた直線的(つまり振動的)なもの。

明日、名古屋に帰り、大学の業務に復帰する。
10日あまり実家にいて、いつもながら大切な時間が過ぎて去っていくのを痛感。

過ぎていく時間を止めることができないのはわかっている。
でもなんとかしたい。
流れに身を任せればいいのか。それとも、流れを止めようとすればいいのか。
私は時間の流れを止めることも、速度を変えることもできない。
私にできるのは、流れを深く受け止めるだけだ。
時を忘れるだけのこざかしい思考を停止し、五感を鋭敏にして、一瞬一瞬を心に深く刻んでみよう。
今この時を、一生忘れまいと思いつつ。
大切な人と「共に在る」時のように。

それに対して、今を受け止めないとは、今が過ぎるのをひたすら待つこと。
その時、生は無駄になっている。
残念ながら、このような状態を要請する「仕事」は多い(たとえば無駄な会議)。
生きる糧を得るために時間(生)を売るのは仕方ないのか。
仕事もまた深く受け止めれる時間だったらどんなに幸せだろう。
自分がやる90分間の講義も、学生にとって、終わるのをひたすら待つものであってはならないわけだ。

北区史跡巡り

2006年03月26日 | 東京周辺

今日は満を持しての(1ヶ月以上前から予定していた)「北区史跡巡り」!

●北区の武将像
なんでそんな覚悟が必要かというと、今日26日は静勝寺(北区赤羽西)の大田道潅像開帳の日なのだ。
そして26日という日と自分が東京にいる休日とが合致する機会はそう多くはないから。
戦国時代の東京(江戸)の主役といえば、江戸城を築いた太田道灌以外にない。
東京の戦国時代史が好きだった高校時代から拝観可能だと知っていたが、
なぜか赤羽って心理的に遠かったので、今年の2月4日まで足を運ばなかった(その日は開帳日でなかった)。
そしてもう一つ、今日は、大田道潅によって滅ぼされた武蔵一帯の支配者豊島氏の菩提寺である清光寺(北区豊島7-31-7)にある豊島清光(頼朝の挙兵に加わる武蔵武士)の像も拝観できる曜日なわけ。
まさに東京の中世史を飾った両家の木像をいっぺんに拝めるのだから、気合いが入らないわけにはいかないのだ。

●清光寺
清光寺は、ネットによると事前予約が必要とのことなので、前日に電話しておいた。
東京メトロ南北線の王子神谷で降りる。
実は以前にも寺を目指してここまで来たことあるのだが寺の場所が見つけられず、むなしく帰った。
でも今日は携帯 GPS機能のあるポケットPC「Mio168RS」という強い味方がある。
Mioのナビ機能に導かれて迷わず寺に着く。
庫裡で来訪の旨を伝えると、丁寧なおばさんが応対してくれ、本堂にある清光像の前の灯明に点火して、寺について説明してくれる。
檀家でもないのに、遠方から一人で訪れた篤志家(物好き)に対するもてなしの心を感じた。

江戸中期に作られたという清光像は、作りがちょっと素人的で、姿勢が硬く、
やや怪異な風貌になっているが、数百年を経てもなお豊島氏に対する地元の崇敬の念が続いていたのには感心した。
今でも寺の人はこの像を「豊島様」と呼んでいる。
ここ北区豊島こそが「豊島区」の中心部となってもよかったくらい。

●静勝寺
続いて、赤羽の静勝寺(じょうしょうじ)に行く。道潅御影堂が開帳されて、奥に祀られている道潅像が拝める。
遠くて暗いので見やすいとはいえないが、像の作りのレベルが高く鑑賞に堪える(写真)。
清光寺とは違い、次々と参拝者が来る。
皆、本堂ではなく、道潅像に合掌していく。道潅の人気いまだ衰えず。
江戸期の作とはいえ、中世に活躍した地元の武将の木像が2つもあって現在なお崇敬の対象となっているなんてここ北区だけだろう。

●赤羽から王子へ
時間があまったので、MioのGPSを頼りに岩槻街道(日光御成街道)に沿って王子に向う。
途中の中十条(荒川小学校の向い)で富士神社のミニ富士山(駒込、目黒にもある)に登った。
王子も近くて遠い所だったので、名所である名主の滝と王子稲荷も初めての訪問。
狐の郷土人形を買った。
桜の花見客で賑わっている音無川に沿って王子駅に出て、家に帰った。

【関連史跡】
太田道灌:首塚(伊勢原市下糟屋大慈寺)、胴塚(同市上粕屋洞昌院)、銅像(荒川区日暮里駅前)
豊島氏:泰経居城石神井城趾(練馬区石神井)、照姫慰霊(三宝寺池)、泰明居城平塚城趾(北区西ヶ原)

それにしてもMio168RSのGPS機能って徒歩でも乗り物(飛行機から自転車まで)でも使えて、楽しい。
知らない土地でも積極的に歩き回る気になれる。


芦ノ湖西岸ハイク

2006年03月20日 | 山歩き

グリーンプラザ箱根に泊って、目が覚めたら気温は低いがいい天気。
予定通り芦ノ湖西岸遊歩道を歩く。

●芦ノ湖西岸へ
姥子からバスで湖尻まで乗り、そこから歩き始める。
遊歩道が始まるのは桃源台の奥の湖尻キャンプ場から。
そこには感じのいい洋風別荘の感じのケビンが並び、夏にでも使いたくなる。
芦ノ湖北端では岸部で釣をする人がいる。
南端まで長い芦ノ湖を一望。釣客以外に人けはない。

●深良水門
西岸に入りしばらく歩くと、「深良水門」に出る。
ここは江戸時代初期に山腹をぶち抜いて駿河側に用水(箱根用水)を通した所。
その工事技術は江戸の玉川上水に匹敵する精度。この水門を見るのがまずは目的の1つ。
昨晩レンタルのDVDで深良水門掘削をテーマにした映画「箱根風雲録」(監督山本薩夫、1952年)を観た。
史実通りではなく、へんな脚色がされているが、箱根用水の歴史的価値を知る上で観て損はない。

●遊歩道を進む
ここから先は人工物もほとんどなくなる。
道も車が通れる林道から人しか通れない山道となる(じつはこの道は県道737号線になっている)。
真田浜の誰もいない湖畔に降立って、芦ノ湖の水にじかに触れると、湖と静かな対話ができる。東岸の観光道路では得られない体験。
でもじっとしていると寒いので、先に進む。
道は平旦だから、軽い運動・足ならしには丁度いいコースだ。
ずっと歩いて最後に元箱根に出る。
標準では11kmで4時間かかるところを特に急ぎ足でなくても3時間で歩けた。
登山をやめてしばらくたつが、脚は衰えないのがうれしい。

●帰りのロマンスカー
元箱根から、急行バスで湯本に降り、駅でロマンスカーの席をとったら、それは新型のスーパーエクスプレス50000という型のしかも先頭車両。
飛行機のように運転手が放送であいさつする。
さらに開業1周年記念ということで乗客全員に記念乗車証をくれた。


卒業記念パーティ

2006年03月16日 | メモリアル

卒業式の翌日、今日は名古屋駅のホテル・アソシアで学部の卒業記念パーティ(謝恩会とちがって教員も会費は払う。これが正しい在り方)があった(自分が学生の時は学内の食堂が会場だった…)。
シャイな私としては、この手のイベントは出たくないのだが、自分も学部を去る身なので、所属がこの学部になって初めて出席した。
学生を見送ると同時に、自分も学生と一緒にさよならする意味で。

ちなみに、前いた東京のファッション系大学では、この手のパーティだと男性教員はブラックタイの礼装が当然だったので、そのノリでタキシードくずしの格好でいった(私一人だった)。

なぜくずすのかというと、前の大学のパーティ会場のホテルで、純タキシード姿で館内のエレベータを待っていたら、他の客に「新館はどっちですか?」とホテルの従業員に間違えられたから。

ボウタイではなくクロスタイにすればまず大丈夫。
うちの大学って、在学中は不満が多いだろうけど、自分の娘や妹をまた入学させるケース(リピーター)が多い点からすると、総じて居心地(顧客満足度)がよい、いい大学だといえる。


会者定離

2006年03月15日 | 歳時
2006年3月14日の話題「湘南電車」の続き(まずそちらを読んでね)。

●仏教によれば
しかし「諸法無我」を説く仏教では、存在を我(実体)とみなすこと、すなわち、認識的にも・感情的にも存在へ執着することこそ、生きる苦しみをもたらす煩悩であるという(仏教では愛は煩悩に分類される)。
「諸行無常」、すべての事は去っていく。
それをいたずらに惜しみ、引きとどめようとすることは、この世の時間法則に反した不自然な行為であり、だから苦をもたらすのだ(なんで急に文章が抹香くさくなったのかというと、電車の中で文庫版の「正法眼蔵」を読み進めたから)。

●卒業式
今日は大学の「卒業式」。この世では、出会った人々とはいずれ別れることになっている。「会者定離(えしゃじょうり)」。
それをだらだら引きずらずに、きっぱりと別れるためにこのような儀式があるのだろう。
やはり湘南電車と別れなくてはならないか。
それにしても、(日本の)大学の卒業式って(昨年も同じ感想書いたけど)、儀式的すぎてちっとも感動がないなぁ。
こんなこと華やかな衣装で楽しそうな卒業生には関係ないか。
無事卒業おめでとう!

湘南電車

2006年03月14日 | 
青春18きっぷで東京から名古屋に帰った。
11:33発アクティに乗ったのだが、沿線のいたる所でカメラを構えた人がこちらにファインダを向ける。オレって国民的人気者だったっけ?

●湘南型電車
2階建てグリーン車に乗ったので気づかなかったが、終点熱海でおりたら、自分の乗った車両以外は、すべてがあの緑とオレンジの湘南電車だった(写真)。
たしか、今回のダイヤ改正で湘南型電車が消える、とか言われてたっけ。
そうか、だから今日は2階建てじゃない普通のグリーン車の方に乗客が多かったのか。
湘南電車といえば、小学生の時、熱海に家族で旅行する時毎回乗ってから好きになった。熱海の旅行が楽しみだったので、湘南電車が東京駅のホームに入ってくるのを見て喜んだものだ。
だから、湘南型電車が湘南でない他路線で使われるのを見て怒ったほどだ。

車両はもちろん改良してもいいが、人気のあるデザインや配色まで変更することないんじゃないの。
建物でもなんでも皆に愛されるものを大切にして再現するって最近の日本人はどうしてやらないのだろう(法隆寺や東大寺をそうやって残してきたのに)。

●惜しむ心情
それにしても、存在している時はたいして気にもしていなかったものが、いざ廃止や取り壊しとなると、なぜ名残惜しくなるのだろう。
これはつまらない同調心理などではない。
愛の本質は、存在の承認。他者だろうが、物だろうが、それを愛するとは、その存在を大切に思うこと。
愛とは対象が何かではなく、存在が対象なのだ。愛とは存在愛のこと。
愛する心をもっている人は、だから何でも(よほど毛嫌いしているものでないかぎり)、存在が消えることを悲しむのだ。

ただ廃止路線の電車にとっては、「今ごろ愛されても…もっと前から愛を行動で示してほしかった」といいたいところだろうが。

驚きのメール

2006年03月11日 | 身内
ネットの情報公開力(検索力)のおかげで貴重な体験をした。
私のHPでは祖母山根キクのページが一番反響あるのだが、たいていは「キリストの墓」についての怪しげなもの。
ところが今回「私がキクの別れた夫の息子です」というメールをもらった。つまり私の見たことない祖父の息子(すなわち叔父)にあたる人。これこそ、私が熱望していた反応だ。
その人が実父について検索していたら、私のページがヒットしたという。まずその人が驚いたというわけ。

私の父の父方の情報はとても少なく、あっても伝聞なので、そのあたりを確認したい。

職場で歓送会

2006年03月08日 | お仕事
5時間に及ぶ教授会(昼食べないで臨むのでつらい)の後、自分を含む3月で身分的に職場を去る3名の歓送会(正式には親睦会)が開かれた。
主賓として上座に案内され、挨拶のスピーチをし、最後には餞別までいただいた。
「あっちはたいへんだぞ」と脅されまでした。
といっても4月から週2日は顔を出すので、「別れ」という感覚はない(もともと職場を去る時って感動ないけど)。
同一大学で3つめの学部なんて異動としてはめずらしく多い。
研究室の引越が面倒(後の整理がまた面倒)だが、メリットといえば、積極的には人脈を広げない私のような人間でも、自然に知人が増えることかな。

いずれにせよ、文化情報学部のみなさん、お世話になりました!

大学時代の友人

2006年03月06日 | 雑感
大学時代のクラブ仲間たち数人と半年に一度の割で会っている(飲み食いするだけだが、中心となる幹事役がいてこそ実現)。
卒業後数十年もたつと、互いの生活の接点がなくなる一方。
なので、会う頻度も多くてこの程度になる。
でも、単につきあいの時間的長さでいえば、実の妻子よりも長いわけだ(しかもその差が縮まることはない)。
亡父の法事の時、父の学生時代の友人という方から当時の父の話しをうかがって、不思議な気持ちになった。
なぜなら、父と最も近いと自認している息子や母にとって、自分たちが父と出会う前から父と懇意の人がいて、
われわれ家族が知らない若き日の父の思い出話をしてくれるから。

人間関係というのは、現在や未来に接点がなくても、
過去に大切な接点があれば、それを保っているだけでよいのだろう。

3月3日は祝日にすべし

2006年03月03日 | 歳時
盆と正月についで重要な年中行事であった五節句※が明治政府によって無理やり廃止され、
なぜかその中の端午の節句だけが「子どもの日」という欺瞞的な名称をつけられ祝日になっている。
日本人にとっては端午の節句は男の子の、桃の節句は女の子の祝い日になっているのを無視して。
休日を国民の生活感覚から遊離して決める(「海の日」)のではなく、日本の伝統を大切にしろと国民に言うなら、その政府自身が大切にしなさいよ(おっとその前に、明治維新から正しい日本が始まったという、反伝統的「明治史観」を脱しないとね)。
あと7月の「海の日」は七夕の節句に、「敬老の日」は重陽の節句に休日を移すべき。
「昭和の日」だって、一部の世代にしか思い入れがないでしょ。
明治の日とか大正の日がないんだから。

※五節句とは、人日(1/7)、上巳(3/3)、端午(5/5)、七夕(7/7)、重陽(9/9)の節句の事。古代から江戸時代まで、明治政府によって廃止されるまで公式に祝われた。
東アジア文化圏に共通しているが、上巳と端午は室町末期頃から日本特有の意味に変わった。

小倉出張を終えて

2006年03月01日 | お仕事
小倉出張最終日は市立中央図書館で市史などの文献複写。館内で「北九州市史」と「豊津町史」を見み比べたら、やはり小笠原家への思い入れは小倉よりも豊津の方が強い。
百万都市北九州より、人口9千人弱の豊津の方が「市史」レベルでは小笠原流礼法をくわしく研究している。
研究費をもらって今度は豊津に行くしかない。

帰りは慰労の意味をこめて新幹線はグリーン車にした。
尖った500系は通常の座席は車内の狭さを感じるが、グリーン車はむしろ300系よりも豪華な感じ(飛行機のビジネスクラスって感じ)。
グリーン車専用の女性乗務員がおしぼりをもってくるのも特別扱い。
でも一番快適だったのは100系(グランドひかり)の2階席だったなぁ。