今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

大鹿村に行って磁場坂を測る

2022年05月31日 | 

今日は、昼神温泉から、ある目的で(その目的は明日のブログで)大鹿(おおしか)村に行く。

大鹿村はワイルドでありながら洗練された風景(赤石岳!)と文化(大鹿歌舞伎!)をもっていて大好きな地なのだが、いかんせん名古屋から距離が遠いため、久しぶりの再訪(前回は2014年の分杭峠)となる。

途中、飯田の元善光寺に立ち寄る。

まず宿のチェックアウト時、宿のネットが使えなくなり、カードでの支払いができなくなった。
現金は旅の宿代分程度は持つ事にしているが、今晩の宿はもともとカードが使えないということなので、にわかに手持ちの現金がぎりぎりとなる。
しかも旅用財布にはいつも使う銀行カードは入れておらず、日頃は使わない郵貯カードのみ。
でも郵便局は近くにはない。
幸い、宿近くにあるコンビニのATMで郵貯カードも使えた。
今ではコンビニさえあれば、特定金融機関のATMはなくても安心ということだ。

国道153号(三州街道)を北上し、飯田に入ってから元善光寺に向う。

今年は善光寺の開帳の年で、すでに先月、長野の善光寺に行った。
地元長野県では、開帳の参拝は長野の善光寺だけでは不充分で、善光寺の前身である飯田の元善光寺と併せるのが正しいそうだ。
ということもあって道すがらなので元善光寺に立ち寄ったわけ。
こちらでも前立ちの阿弥陀三尊を拝み、戒壇巡りをして(1度目は鍵に触れなかったので2度巡った)、身影を買った。

伊那谷の東にある大鹿村に向う一本道はトラックの通行が多い。
もともと(延々と)続いている小渋川ダムの工事の他に、大雨被害で通行止めになっている秋葉街道の改修工事とリニア新幹線の建設工事も追加されたせい。

本日の大鹿村の目的地は磁場坂(じばざか)
磁場坂というのは、秋葉街道を南の地蔵峠に向う途中のY字路を左に上がる坂で、磁場が強いと噂されてこの名がついた。

大鹿村中心部の「道の駅」で磁場坂について尋ねると、手書きながら専用の地図をくれた。
観光案内担当者によると、多くの人がここで”感じる”という(その半数は暗示効果だろう)。
言い換えれば、客観的な磁場の計測はきちんとされていないようだ(計測マンの血がうずく)。

さて、磁場坂の上に車を止め、磁気計をオンにして、坂をゆっくり下る。
坂は川側にはガードレール、その反対側は個人の畑地で高電圧の電気柵※が続いている(写真)。
※:周波数1Hzの極低周波のパルス電流で(誤って触れても電撃が1回で済む)、電圧は3500V以上、10000Vが普通らしい。
ある磁場坂の紹介記事に「パルス計」とやらが反応したと書いてあったが、電気柵のパルスを拾ったのだろう。

まず路上でのベースとなる地磁気(直流磁気)は50.8μT。
やはりガードレールは磁化しており、高い所で308μT。
電気柵は、高電圧で「きけん、さわるな」と札があるので、近づくのをためらったが、柵に磁気計のブローブを触れた限りでは、地磁気より高い値は検出されなかった(ベースに地磁気を拾っているので、地磁気より高い値でないと検出されたとはいえない)。
参考までに交流磁気も測ったが(電気柵が交流電源かもしれないので)ほとんど検出されず。

以上から、この坂は磁化したガードレールと高電圧の電気柵に両側が囲まれていることがわかる。
この人工的磁場環境が一部の人に”反応”を与えているのかもしれない。
ただし坂の両側ではなく”道路中央”の磁気は正常(地磁気の値)。
常識的に、自然環境の空気中に高磁場(あるいはゼロ磁場)は出現しない。
強い磁場を出すのはたいてい人工物だ。

世間の、客観的根拠がない”(観光)パワースポット”は基準が甘過ぎ、学術的チェックに耐えるものではない。私は日本で唯一の”パワースポット鑑定士”として学術レベルの厳しい基準でパワースポットの判定をしている。

ただし、私はあくまで磁気という物理測定をしているまでで、人の生体反応が直接磁気によるものとは思っていない(μTレベルの直流磁気それ自体は、いくら地磁気より多くても生体に影響しないから)。
なのでもし生体反応が、心理的なもの(暗示効果)ではなく、しかも生体に影響するほどではない自然状態以上の磁気があるとしたら、それは磁気でも観測される別のエネルギーが想定される。

大鹿村で目を引くのは大西山の崩壊跡(昭和36年の大雨による)で、かつての被災地が公園になっている(写真:右下の車が私の愛車)。
崩壊した岩が重なっている所で地磁気、静電位、放射線を計測したが、しずれも正常範囲内。
観音像前でのバケタンの探知結果は、水色で「守護霊の出現を期待できる」というお告げ。
犠牲者の霊は供養され、守護霊になりつつあるようだ。

大鹿村の中心部「大河原」には、映画「大鹿村騒動記」のロケ地となった「ディア・イーター」のでかい看板の店(主役の原田芳雄が営む店という設定で、現在も営業中)がある(下写真)。

ここから北上して、村内の鹿塩温泉に行き、そこの塩湯荘が今宵の宿。
鹿塩温泉だと「山塩館」の方が有名で、宿としてはそちらの方が洗練されているが、その下(塩川沿い)にある塩湯荘は、値段もリーズナブルで素朴さが味わいとなる(トイレは共用ながら洗浄器付き、フリーWi-Fiも使える)。
実際、大鹿村のワイルドな食(蜂の子、鯉、ジビエの鹿肉)を味わえた。


昼神温泉に行く

2022年05月30日 | 温泉

茶臼山高原ですがすがしい朝を迎え、昼までカエル館にいて、昼過ぎから本日の宿のある昼神温泉を目指して愛車(フィアット)を発進。

経由地の平谷には、最短路の矢筈峠越えの狭い道を選ぶ(対向車には出会わず)。
平谷から国道153号(三州街道)を進む。
途中、矢作川源流の碑(Googleマップに掲載)に立ち寄る(道路には案内なし)。
源流といっても巨大な堰堤の手前の豊かな流れで、茶臼山の矢作川水源のような趣きはない。
ただし碑文を読むと、碑を建てた愛知県民の母なる矢作川を敬愛する気持ちが読み取れる。

治部坂高原を越えて道は長い下りとなり、道が左に大きく膨らむところで左折して、狭い一本道を進んで智里という開けた山村に出る。
ここは古代の”東山道”が通っていた所で、遺跡の碑がある。

近くの立派な民家の脇に「富士石」という岩があり(写真)、軒先の説明板によれば、この家の先祖が江戸時代に富士からもってきた砂が成長してこのような大岩になったという。

その奥に(こうべ)権現(大平神社)というのがあり、以下の伝説がある(神社内配布の説明書より)。
この地を通りがかった山伏を地元の熊谷氏が殺して埋め、爾後、熱病にかかった一人が、「私は殺されて埋められた武田の家臣で、私の遺骨を神として祀れるとよい」と告げた。
そして埋っていた頭蓋骨をご神体として祀った事から頭権現と言われるようになったという(大平神社となったのは明治以降の神仏分離による)。

近くの阿智には、武田信玄の遺骸を埋葬したと伝えられる寺もある(訪問済み)。

上の伝説もあってか、頭権現(私は明治の「神仏分離」以前の宗教形態に準拠する)は異様な雰囲気を感じたが(写真)、バケタンで探知すると、水色の「守護霊の出現を期待できる」という上から2番目の良い結果。

境内には、弘法大師を祀った堂(神社側は関与なしという)もある。

ちなみにこの智里からは行く手に高々と聖岳(ひじりだけ:3013m)の鋭峰が望める。
聖岳という名は静岡側の聖(ひじり)沢からとった名で(異説あり)、山深い南アルプス南部の山はそこから流れる沢の名をとったものが多いが(昔の人は魚獲りのため沢には入ったが、山頂には興味なし)、ここ古代の東山道から正面に見える山に、まともな山名がなかったのも解せない(結果的に、聖岳というすばらしい山名になったからいいが)。

ここからまもなく昼神温泉に達し、伊那華という宿に到着。

この宿は平日の一人客がリーズナブルに泊まれる(休暇村より安い)。
宿からは南アルプス深南部の池口岳(2392m)の双耳峰が見える(写真中央)。

昼神温泉は、中央高速道の工事中に発見された温泉で、歴史は浅いものの南信では唯一となる”温泉郷”を形成している。

ただし泉質はアルカリ単純泉。
伊那華の浴槽で温泉の濃さの指標である全溶存物質量(TDS)を測定すると、内湯で166ppmとやたら低い(白湯レベル)。
そのかわりpHは9.25と立派なアルカリ性で、確かにぬるっとする。
一方露天の方は、TDSは305あるが(分析表の源泉の数値に近い)、pHは7.99と中性。

もともと単純泉だから、療養泉的な成分は期待できないので、せめてpHがアルカリ性を示す内湯の方がましか。

かように、昼神温泉は泉質的個性がないのが残念。

宿伊那華の食事は、バイキング。
しかも今どき貴重なズワイガニも食べ放題に入っている。
温泉宿のバイキングで、種類はあっても貧相でワクワク感がないのは安宿チェーン。
種類・質ともに楽しみなのはグリーンプラザ。
ここ伊那華は、その中間だな。
種類は少ないが、ズワイガニのほかに、エビフライもある。
名古屋人の端くれとして、エビフライを前にすると冷静ではいられなくなる。
地酒の「聖岳」も美味しかった。


”消磁マン”見参!

2022年05月29日 | 計測

下界は30℃の夏日を迎えたようだが、私は愛知県の屋根・茶臼山高原(標高1300m)に赴いた。
芝桜で賑わう愛知県側を避け、長野県側のカエル館に直行。

カエル館では、私はかなり前から”計測マン”として、磁力を始めとして館内外の”パワー”の計測にいそしんできたが、今回は違う。

なんとカエル館が誇るその磁力を消す、”消磁マンという新たな顔での見参だ!

そう、私は”消磁器”という新たな武器を手にしたのだ(消磁器はAC電源(コンセント)を使うので、ポータブル電源も持参)

尤も、カエル館にとっての貴重な”磁気スポット”には手を出さない。
その他のどうでもいい場所で磁化したポイントを消磁してみる。

館内のあちこちに締めてある木ネジ(木材に締めてある鉄製のネジ)は、電動ドリルドライバーで締められた時に着磁したようだ。
これらの木ネジの磁気は、計測器(テスラメーター)には反応するが、磁界はごく狭いため、生体には影響しない。

これらの木ネジの磁気は私の消磁器で簡単に陥落した。

消磁の原理は、NまたはSの極性に整列してしまった電子に、強い交流電磁波=磁気(mTレベル)を印加して減衰し、電子の極性の並びをもとに戻すこと(へんな比喩を使うと、ゾンビを元の全うな人間に戻すようなもの)。

ところが、屋外のコンクリート面に顔を出している磁化した鉄筋や、歩道沿いの白い鉄筒(磁化しているのはその蓋部分)になると、磁化した度合いあるいか面積か体積が大き過ぎるためか、幾度やっても消磁ができなかった。

一方、建物の外壁を構成するトタン(亜鉛鉄板)の磁化した(たとえば極性が逆転している)部分は消磁できたので、面積があっても厚さが薄ければOKなようだ。

このように試行錯誤しつつ、今後はあちこちで”消磁”していきたい。


小仏城山北東尾根を歩く

2022年05月22日 | 山歩き

久し振りに山歩きをしたい。
といっても運動不足がたたっているので、高尾山(599m)に毛の生えた程度の山しか望むべくもない。
ここ数年、高尾山ばかり通っていたので、山に行く目的を失いかけ、あえて”行としての登山(峰入り)”を志向したりした(曲がりなりにも高尾山は修験の山なので、それもあり)。

高尾山の奥に小仏(こぼとけ)城山(670m)というやや高い山があり、高尾山だけでは物足りない場合に足を伸ばす所なのだが、その山からの下山ルート(小仏峠、相模湖)も歩いたので、この山を目標にもしづらかった。

ところが、高尾山を越えた”もみじ台”あたりから行く手の小仏城山を見ると、右側に心惹かれる尾根が伸びている(2041年11月24日の記事の写真、中央右側の稜線がそれ)。

後日、この尾根には踏み跡があることを知った(通常の一般向けガイドには載っていなく、篤志家向きの詳細地図などに載っているだけ)。

すなわち”一般ルートではない”という意味での「バリエーションルート」だ(国土地理院の地形図には踏み跡が載っている)。

一般ルートを歩いたら、次はバリエーションルートに挑戦するのが登山者たる者の歩むべき”道”。

久し振りに登山者としての血が騒ぐ。

こういうルートは、ガイド本などには一切情報がなく、山中に指導標もない。
自己の力で、ルートを判断するしかない。
地形図から現在位置と進むべき方向を判断できる読図力が必須。
さらに、こういう空間に単独行で入ると、他の登山者を期待できないため、道迷いや滑落などの事故は100%自分で対処しなくてはならない(捜索されるにしても発見が大幅に遅れる)。
すなわち100%自己責任の空間に1人で入り込むわけだ。

ということもあって、(危険と隣り合う)登山から離れていた身として躊躇していたのだが、高尾山に毛が生えた程度の山で、歩いていないルートはここしかないため、もはや選択の余地がない。

ということで、本日、8時に起きて、近所のコンビニでおにぎりを買い、駅まで歩きながら食べ、9時すぎの京王線に乗り、10時半頃に高尾山口に着き、今回は沢沿いの6号路で高尾山に向かう(山中ではマスクを外す)。
正午前に高尾山頂に達するも、混雑する山頂を素通りして、小仏城山に向かう。

13時前に小仏城山に着いた(写真:城山からの展望。中央奥が都心、左の平らな尾根が北東尾根、右が高尾山)。
山頂の茶屋で名物おでん(500円)を食べて鋭気を養う。
そもそも食物を現地購入するなんて”登山”ではありえないのだが、
半分観光地的なこのあたりなら、荷が軽くなる意味でも、こういうサービスにあやかってもいいのではないか、という気もする(持参といってもコンビニおにぎりやコンロ持参でカップ麺っていうのもつまらない)。
おでんだとタンパク質中心で糖質がほとんどないので、おにぎりという糖質を摂った後の食として丁度いいし。
ただ、私の周囲の客はどちらを見ても店で買った缶ビールを開けているが、「下山口に降り立つまでが登山」と心得、特に山の下りで滑落などの事故のリスクが高いので、山頂でのアルコールには手を出さないでおく。

さて今日はここからが本番。
山頂にいる大勢の人を尻目に、1人北東尾根を目指す。
北東尾根と高尾山の間(写真中央の谷)にある日影沢の林道方向に向かい、高尾山への巻き道分岐を過ぎた先に、林道から左に入る明瞭な踏み跡がある。
今までのルートのような道標はないが、林道は谷に下り、この踏み跡は尾根上を進むので、ここが北東尾根の分岐点と分かる。
道は意外にしっかりしており、道標こそないものの、行く手の木に目印のペンキがついている。
どうやら登山道でなくても公的な作業用道として使われているようだ。

道の周囲はきれいな桧の植林で、東京農大の記念植樹を記した鉄柱がある。
林業実習にも使われている道らしい。
ということなので、安心して道を進む。
山が浅いせいもあってドコモの圏内である(単独行で携帯が通じるのは心強い。アウトドアにはドコモ一択)。

右に分岐する踏み跡が2箇所あり、いずれも日影沢林道に降りると記された私設の小さな道標があった。
尾根筋を通して歩くのだから、これらに惑わさせることはないが、行く手がY字路になって左右に別れていた箇所には、道標がないので、立ち止まって地図で地形を確認し、左の支尾根ではなく右の主尾根の道を選ぶ。
かようにバリエーションルートには、こういう読図力が必要となる。
ただバリエーションルートといっても、危険箇所はなく、通行に問題はない。
実際、同方向に5人、すれ違い方向に3人と出合ったので、それなりに人は歩いている。

途中、道の真ん中に446mの御料局三角点標石があり(写真)、近くには周囲の木で作ったベンチがしつらえてあった。
※:宮内庁御料局管轄の三角点。旧陸軍管轄の三角点(映画『剣岳点の記』はその測量技師が主人公)とは別。考えてみると、三角点を管理をする人も、登山道を頼らずに三角点を点検しなくてはならない

実際この道は高尾〜小仏間のバス道から城山への直登ルートとして利用価値がある。
今後はもっと利用者が増えてもよさそう。
といっても終始樹林帯の道なので、展望はなく、強いて利点を挙げれば、直射日光を避けられるくらいか。

道はいつしか尾根から外れて右の谷の日影沢に降りていき、適当な所で石づたいに対岸の林道に渡ると(こういうのも自己判断)、林道起点の駐車スペース(林道奥の観光施設利用の車が駐車)に達し、さらに進んで小仏川の橋を渡ると、「日影」のバス停に着いた。
城山の分岐入口からここまで60分。

以上、左脚の腸脛靱帯も痛まず、観光客のいない久し振りの”登山”を楽しめた。


手拭いと鉢巻きで褌を作る

2022年05月21日 | 生活

下着を(越中)褌(ふんどし)にして以来、それ以前には戻れなくなった。
とりわけ暑い時期に、体の両側面に布がない快適さを手放す気はない。
フンドシのすすめ

しかも取り扱いが楽で、洗濯も簡単で乾きも早い。
ゴムを使わない分、耐久性もある(布が破けるまで使える)。

ただ腰に巻く紐が細いと腹に食い込む点が不快だった。
この欠点を補っているのが、幅広タイプで、これを気に入って購入してきたのだが、数年前に唯一の販売元(美夜古企画)が取り扱い中止になってしまった。

もともと褌を手洗いで洗濯していると、生地も大きさも”手拭い”を洗って干している感覚だったことから、手拭いで褌を作れないものかと思っていた。

紐部分は、幅広を前提とするなら鉢巻きでよい。
材料はこの2つだけ。

次に製作だが、手拭いの短辺に鉢巻きを縫い付ければいいとはわかるが、わが家にはミシンがない。
ここで頓挫していたら、布用接着剤というのがあり、洗濯にもOKであることを知った。

そこで、まずはオーソドックスな白手拭いを買い、
次に鉢巻き、ただし通常の褌の紐の長さ130cmに達するものとして、ネットで150cmの白鉢巻き見つけ、
布用接着剤は、手芸用品店(ゆざわや)で買った。

製作作業は至って簡単(YouTuberだったら以降は動画にするところ)。
縦に広げた手拭いの上短辺に鉢巻きの中央を置き、T字型に合わせる。
手拭いと重なる鉢巻きの裏側一面に接着剤を塗り、手拭いに貼付ける(もちろん手拭いと鉢巻きの上端を合わせる)。
接着を効かせるために、熱したアイロンで接着部分を(当て布をして)圧する(接着剤の使用法に準じる)。
あとは、一晩放置しておけば、縫い付けたようにしっかりくっつく。

褌としての使用中はもちろん、洗濯(ただし手洗い)しても接着部分はなんともない。
綿・さらしの手拭いの肌触りは褌として違和感なし。
4cm幅の鉢巻きも幅広紐としてちょうどいいし、鉢巻きなので当然結ぶのも問題ない。

使用して唯一感じた問題点は、手拭いなので切り端の処理がないため、末端(接着していない側の短辺)がほつれてくること。
もちろん褌としての長さ(90cm)は充分あるので、ほつれが使用上問題になるにはかなりの年月がかかるが、
気になるなら末端処理するか、最初から末端が「ほつれ防止加工」されている手拭いにすればよい。

とにかく手拭いは色柄のバリエーションがすこぶる豊富でイラスト・絵画調もあり(高尚あるいは豪快すぎる絵は着ける部位とのバランス上、気が引けるが)、既製品よりもオリジナリティある褌が作れる(ただし紐部分の鉢巻きは単色)。
白生地だと使っているうちに漂白する必要となるが、濃いめの色だったらその必要がなく(むしろ漂白は色落ちするからご法度)、メンテがもっと楽になる。
今後の私は、手作り褌で決まった。


新城のパワスポ計測:百間滝、鳳来寺の弁天堂

2022年05月17日 | パワー・スピリチュアル

今回の旅の目的の1つは、愛知県新城(しんしろ)市内のパワースポットの計測。

このあたりのパワースポットとして一番有名なのは百間滝
滝としてはより手前にある阿寺七滝の方が有名だが、パワスポとしては百間滝の方が知られているようだ。

といっても、私にとってのパワースポットは、何らかのパワーが計測され、しかも生体反応を及ぼすレベルでないと認定しない。

すなわち、パワーの正体と効果が明確でない、口だけの自称”パワースポット”は認めない。
それらの多くの”パワースポット”は、無根拠の僭称か、生体反応らしきものでも主観的な思い込みやプラシーボ効果にすぎない。


百間滝は、茶臼山カエル館の常連客の一人から、ここはパワーがあると言われたので、行ってみる事にした。
前の晩に浜名湖に泊まって、そこから北上したが、こちら方面からの滝までの道は工事による通行止め(5月31日まで)のため、北の貯水池からの迂回路を通った。
滝入口には車2台分の駐車スペースがあり、1台分空きがあったので、そこに止めた(結構次から次に車が訪れる)。
まずはここで地磁気を測ると49.1μTの正常値。
静電位は+0.03V で、イオンバランスを測ると+側に5V。
急な道を下っていくと、まず滝の頭への左へ分岐があり、さらに下っていくと、滝見台的な場所に出て、滝の上部から滝つぼまで見渡せる(写真)。
水量も落差もある見事な滝だ。
滝の飛沫が届く所で測ると、電位は-0.07Vとなり、イオンバランスは-側に5Vとなった。
地磁気は変化なし。

バケタン(霊気探知器)のスイッチをオンにすると、緑となり、「何もない」という反応。
パワーの有無の判定をしようと、ダウジング・ロッドを握ってみたが、滝からの風でロッドが動かされ、判定不能。
このように、陰イオンに傾いたが、パワーは計測できなかった(もちろん滝は、位置エネルギーを運動エネルギーに変換する重力パワーを発揮しているが、そういうシンプルな力学現象ならあえてパワースポットという必要はない)
滝の近くで空気が陰イオンに傾くのはよくあることで珍しくはない(いわゆる”マイナスイオン”)。

なので、私はここをパワースポットとは認定しない。


ここから湯谷温泉に向う途中に「不っ田の七滝」というのがあったので、立ち寄った。
その奥にはその奥に中央構造線の露頭がある(日本最大の活断層の活動の跡)。
不っ田の七滝入口には、私設の駐車スペースがあり100円入れる。
七滝は遠方からだと全部見えるが、近づくと上部は視野から外れる。
滝の近くには自由に突ける鐘があり、苔むした石の不動様が祀ってあるので、不動の印を結んで真言を三唱する。
かように宗教的なパワーが期待される所だが、静電位は-0.01vで、百間滝より低かった(百間滝の方が物理パワーがあるといえる)。


湯谷温泉で泊った翌日、鳳来寺の参道沿いにある「なんじゃが池弁財天」に立ち寄る。
ここはパワースポットとしては知られていないが、私のブログの読者から、ここで強い生体反応を得たので調べてほしいと前々から依頼されていた。

鳳来寺の参道を進むと、高校の先の道路右側に幟が立っていて、池を渡った先に小さな祠(弁天堂)がある(写真)。

まず、池の手前で地磁気を計測し、49μTの正常値を確認(静電位は計測されない)。
池を渡る通路上(写真中央)で(直流)磁気の値が上がり、渡った先の弁天堂の前でも同じく高い。

通路の両側にある(幟の立っている)鉄製の欄干が磁化したものと思い、欄干に計器を近づけると値はどんどん上がり、堂側に立って右側の欄干の端(下写真右手前)でも200μT(以下同単位)、左側の欄干の端(下写真左手前)で300を超えた(地磁気の6倍の値)。
振り返って弁手堂のトタンの屋根を測ると、向って左端が90、中央が130、右端が200。
弁天堂の右端と、欄干の左端は同じ側(下写真左側)なので、弁天堂に向った位置(上写真)でいうと右側の空間の値が高い。
ちなみに、弁天堂周囲の土の地面の上は正常値。

実は屋外にある鉄の構造物が磁化することは珍しいことではない。
実際、弁天堂に沿った道路の向い側にあるガードレール(上写真を撮った場所の背後)も100を超えている。
バケタンでの探知結果は緑で、霊気的には「なにもない」という結果。

といっても人工構造物でも強く磁化している場合、生体反応をもたらすことがあるのも事実(茶臼山カエル館のように)。
実はいくら300あっても、直流磁気の場合はμTレベルでは本来なら生体反応は起きない(磁気ネックレスは千倍のmTレベル)。

磁気が自然状態よりは強く計測されるも、同時にその磁気の強さでは説明できない生体反応が起きるのは、磁気としても測定される別のパワーの存在が示唆される。
そのパワーこそが、パワースポットの正体といえる。

ここ”なんじゃが池弁財天”は、まずは生体反応が報告され、そして今日、磁気異常が確認されたので、パワースポットと認定せざるを得ない。


塩化物泉はうつに効く?

2022年05月16日 | 温泉

温泉旅の真っ最中なので温泉の功能について。

昨晩のグリーンプラザ浜名湖はカルシウム・ナトリウム・塩化物泉で、よくあるアルカリ単純泉と異なり、ちゃんとした”療養泉”なのだが、湯谷温泉からの運び湯であるためか、温泉分析書(脱衣場に貼ってある)に併記してある禁忌症・適応症の欄は一般的適応症は記載があるものの、泉質別適応症には記載がなかった。

今晩泊まる湯谷温泉の湯の風HAZUは、こちらこそ地場のカルシウム・ナトリウム・塩化物泉で、分析書には泉質別適応症も載っている。

「温泉ソムリエ」でもある私が個人的にこだわっている泉質は、放射能(ラドン)泉・硫黄泉・強アルカリ泉くらいで、言っては悪いが”塩化物泉”は療養泉であっても泉質的には平凡なため、”温泉であること”以上の意味を感じない。

そのカルシウム・ナトリウム・塩化物泉の泉質別適応症には「うつ状態」が載っている。

このように適応症に精神症状を謳う温泉は実際あるのだが、個人的には疑問を持っている。

まず功能の機序が納得できない。
カルシウム・ナトリウム・塩素イオン溶液に表皮を浸しただけで、どうやってそれらのイオンが脳細胞に影響するのか(確かにカルシウムとナトリウムイオンは神経細胞の興奮に作用するが、外皮→脳のルートが不明)。
あるいは、これらのイオンが経皮的にセロトニン分泌に作用するのか(セロトニン分泌を促すにはリズム運動がいいというが)

正直言って、温泉の実質的功能の主要は湯そのものの温熱(血行促進)効果で、成分による薬理効果は、入浴の場合は、皮膚表面とそこに近い毛細血管に限定されると思う。
実際に列挙されている功能は、血行促進、筋肉の疲労回復、皮膚の治療/美容効果が主である。
飲泉すれば、内臓に効くだろう(皮膚以外の薬理効果は、入浴より飲泉の方が効率的。ただし細菌などの検査がない温泉は勝手に飲泉しないこと)。
温泉成分で身体内部にどんどん浸透するのはラドンなどの放射線くらいしかない。

温泉に精神的効果があるなら、それは泉質(含有物質)によるというより、浴室のたたずまい、宿での生活、転地効果などの環境心理的影響ではないか。

ストレッサーから離れて、生活リズム(睡眠と食事)を再構成し、入浴というリラックス行動を繰り返すことは意味があると思う。

私自身が定期的に温泉旅を繰り返しているのも、仕事・日常を離れた風光明媚な別空間に身を置いて、副交感神経を刺激する温浴行動を繰り返して、ストレス解消するためだ。

追記:そういえば、私が実感した温泉の功能は、帯状疱疹
ただし皮膚がただれていないこと。
出来物ができる前の痛みだしのタイミングにいい(これは温熱効果なので、本当は温湿布で事足りる)。


宿代が上がっている

2022年05月15日 | 

GW中はレジャーに行かず、休日出勤までしたので、 GW明けの世間が一段落した段階で久々に2泊の温泉旅に出た。

ネットで宿を選定する段階で判ったのは、宿代が軒並み値上がりしていること。
コロナ禍の一段落で強気に出たのか、いやむしろ諸経費の値上がり(悲しい事に人件費を除く)によって値上がりせざるをえなくなったのか。

なにしろ、われわれの生活のあちこちで価格が上がっている(携帯料金値下げのため、統計的には”物価”は上がっていないという)。
宿でも電気代から食材費まで上がっているはず。

私の宿泊条件である1人客・2食付きで見ると、過去の同じ条件の宿代が2000円から、中には1万円も上がっている。
愛用している(準公共の宿といえる)休暇村まで上がっている。

そんな中、値上げせずに頑張っている宿もある。
今回はそういう宿を選んだ(グリーンプラザ浜名湖、湯の風HAZU)。
前者はバイキング、後者は半露天の風呂が楽しみ。

久しぶりの湯谷温泉なので、近くの気になるパワースポットにも行くことにする。


名古屋の堀川を歩く2:納屋橋〜河口

2022年05月05日 | 川歩き

連休は東京との往復以外はどこにも行かなかった。
天気のせいだけでなく、休日の早起きに腰が引けたため。
早起きしなくてすむのは、近場の川歩き。

 GW最後の5日は、名古屋にいるので、昨年末に歩いた堀川(→堀川を歩く1)の続きを歩く事にした。


前回の終点納屋橋から下流に左岸を南下する。
名古屋城の堀から下流は緑色で魚影のない都市の川の様相。
だが横切る橋は、それぞれに意匠が凝らしてある。

納屋橋の下流側の左岸に江戸時代初期に堀川開削を担当した福島正則の銅像がある。

堀川は名古屋城から熱田(名古屋よりも古く、また東海道の要衝)に延びる(名古屋の旧市街を形成する)台地の西端を画する運河で、左岸を歩くと、常に左手に台地の微高地(ゆるい坂)が平行する。
まさに堀川に沿って名古屋が発展したわけで、堀川を歩く事で名古屋という都市を地形的にも実感できる。

少し進むと船着き場があり、中に人がいるので降りてみると、ここから上流の名古屋城までのクルーズ船の便があるという(大人3500円)。
川旅はそれに沿った歩きよりも、川面の水上の船こそが至上である。
だが残念なことに、私が目指すの下流の熱田(そちらの便はならしい)。

ここから木挽(こびき)町にそって歩くが、日陰がない(つばの広い帽子とUVケア済み)。
州崎橋を過ぎると親水広場があって、ベンチにがあるので、ここで座って昼食用のおにぎりを食べる。


大須通りを横断して、さらに南下すると、右手に凝った造りの水門が見えてくる(写真)。
堀川から西に分岐する中川運河の水門だ(閘門形式になっていて、ブラタモリでも放映された)。

さらに南下して、 JRと名鉄の線路をくぐると、右岸に名古屋国際会議場のシンボルタワー、左岸は熱田球場などがある森になり、堀川も川幅が拡がり、さらに右岸も白鳥公園となると、都市内の洗練された優雅な川の景色となる。
この付近は散歩にいい。

国道1号線が横切る所ではこのまま直進する道がないので、右岸に渡り、そこから「堀川千年プロムナード」という気分のいい道を歩く。
置かれた花束も真新しい「空襲跡の碑」を過ぎ、庭園風の散歩道を気分よく歩く(周囲には熱田神宮や白鳥古墳もあり、このあたりは観光地として訪れる価値がある)。


橋を左岸に渡り返して、熱田の「七里の渡跡」に着いた(写真)。
ここは本来の堀川の終点すなわち河口で、昔はここから東海道の海路が桑名に向う”渡し”の出る海岸だった。
現在では埋立てが進んで、新堀川との合流点となり、新しく伸びた堀川は埋め立て地の先、現在の名古屋港に延びている(写真の中央)。
納屋橋からここまで90分。
無人の休憩所(自販機)とトイレがある。
陸地側の熱田側には古い旅籠家(丹羽家住宅)が残っている。


現在の堀川はここから名古屋港まで延びているので、新堀川側の内田橋を渡って、再び延長された堀川の左岸を歩く。
ここからはさらに広くなった川には船が係留され、右岸には小型船の造船所が並ぶ。
そして川も緑色に茶色が混じり、海に近い産業用の河川の風貌となる。

新幹線の鉄橋を過ぎ、国道23号線の陸橋を通って右岸に渡り、さらに南下して、名古屋港の公園(堀川の河口部)に達する。
ここは名古屋港だが、周囲は埋立地で工場が建ち並び、海(伊勢湾)らしい景色からは遠い(東京港も同じような感じ)。
七里の渡からここまで70分。

名古屋港は広い公園があり、バーベキュー場もあり、テントを張っている家族連れもいる。
さらにその奥には、シンボルタワーのポートビル・博物館、南極観測船ふじがあり(写真)、その奥には広大な名古屋港水族館がある。
ポートビルからは金城ふ頭にいく船便もある。
ポートビルの休憩室でアイスクリームを食べ、南極観測船ふじを見学した(300円)。
今回は堀川歩きが目的なのでこれで帰るが(地下鉄の名古屋港駅が近い)、名古屋港水族館や船便を含めると、名古屋港は一日使って楽しめる空間だ。

久しぶりの長距離歩行のためか、両脚の殿筋が痛くなった。
自宅に帰ると体重も減っていて、いい運動になったようだ。