今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

CDを見直す

2017年06月28日 | 生活

車で音楽を聴く場合、カセット対応しかなかった旧RoverMini以来の習慣で、タブレットから FM波を飛ばして音楽をかけていた。
タブレット経由だとポッドキャストのラジオ配信も流せるので便利だった。

今度の車(Fiat 500)はもちろんCD対応。
圧縮保管した iTunesのデータより、元のCDの方が音がいいのは理屈でもわかるが、 実際車のオーディオで聴き比べてかなり違うのを実感した。

さらにためしに、iTunesのデータをCD-RWに焼いて(比喩的表現)、それを車のオーディオにかけたら、やはりタブレット+FMとは雲泥の差で音が良い。
ということはiTunesの圧縮ではなく、タブレット+FMというルートの問題だった。 

それ以来、車の中で聴きたい音楽は、プレイリストごとにどんどん CD-RWにしている(プレイリストの再編集がありうるためRではなくRW)。
というわけで、実に久々にCDメディアを購入し、使用している。 

CDメディアの欠点は、最長80分であること。
このためプレイリストをこの最長時間内に再構成しなくてはならない(この試行錯誤があるため RW)。

あとラジオ番組は音質は問わないので今までのやり方で聴いている。


都議選の不在者投票

2017年06月26日 | 時事

都議選の投票日は仕事で名古屋なので、早々に不在者投票を済ませてきた(日曜も受け付けてくれる)。

都知事選では、連続して2回も投票先の知事に裏切られているが、かといって「他の候補者に投票すれば良かった」と後悔の念に駆られるメンツではなかったことからも、悲しいくらい低レベルの選挙が続いたことを物語っている。

積極的に推したい候補がいなくても、立候補者の中での選択しかできないのだから、相対的に”よりマシ”という基準でしか判断できない。
そのような低レベルの状況でも、民主主義を担う主権者の権利というより義務として、私は棄権はせず、このように投票権を行使する。 

都議選なのだから、国政とは異なった基準で選択するのが道理なのに、マスコミはあえて国政と結びつけて投票先を誘導したがっているのも、もはや通例となっているが、
前回の都知事選での露骨な同業者推しも奏効しなかったように、その”偏向”に目くじらを立てるほどの力はない。

本当は身近な自治体の選挙こそ、政党よりは人物で選びたいのだが、首長はともかく議会は政党色に染まっているため、無党派としてはここでも”よりマシ”基準によるしかない。
もっとも、私の選挙区では、焦点となっている豊洲問題では、移転推進派と移転反対派と、双方への迎合派の3名だったので判断しやすかった。 


夏越の茅の輪くぐり

2017年06月25日 | 歳時

現代的な年中行事の次は、伝統的な行事。

まず昨日は、亡父の祥月命日を目前にしての墓参とその後のお斎(トキ)。
お斎といっても、父が生前見ることのなかった孫3人を交えての楽しい宴(数が進んだ年忌なので、むしろ父を交えての陽の宴になる)。

そして今日は、地元鎮守の「夏越の大祓」。
本殿前に茅の輪が飾られ、まずはその前での神事。
長い祝詞(その間、参列者はずっと低頭)のあと、事前に渡された切麻 (キリヌサ:四角い紙辺)を自分の体にかけてお祓いをする。
あたりいっせいに紙吹雪が舞い、なんかそれだけで目出度い気分になる。

そして列に並んで、茅の輪を左廻り・右廻り・左廻りと三回くぐる(写真)。
くぐる時は廻る方向の足で輪をまたぐ。

人類は右利きが大多数だから、普通なら右が優先されておかしくないのだが、 
このように珍しく左が優先されるのは、陰・陽の序列化に由来する”左尊思想”に基づくからだろう。
すなわち、神道にも陰陽思想が混入しているのだ(『日本書紀』そのものに混入している)。  

茅の輪の伝説的由来(蘇民将来の話)はともかく、その形状からして、再生(再出産)儀礼であると解釈されている。

身に付いた穢れを祓って、新鮮に生まれ変わった事になるのだ。 

いずれにせよ神事に参加することは、スピリチュアルレベルが刺激され、気分がいい。


ナス日の茄子

2017年06月23日 | 歳時

私が一人でやっている活動の1つに、給与所得者の年二回の楽しみであるボーナス支給日(ナス日)に茄子(ナスビ)を、しかも可能なら「麻婆茄子」にして食べる行事がある。
いわば現代的な年中行事の実践である。

実は、我が勤務先は、世間様にひと足お先に本日ナス日を迎えた。

といっても、今日は夜に実家に帰京するので、 せわしないこともあり、夕食を作って待っててくれている母には何も伝えなかった。
それでも、帰宅途中のスーパーで、夕食の総菜として「茄子の油炒め」を買った。

帰宅すると、母は夕食の仕度をしていて、出て来たのは、なんと「麻婆茄子」!

なんでも”陳さん”の冷凍中華総菜を定期購入していて、手元にあったのが麻婆茄子だったというのだ。
それと私が買ってきた「茄子の炒め」が加わり、さらに漬物にも茄子が出て来た。

かくして茄子三昧を味わえたナス日であった
(私はもともと茄子が好物でもある)。

というわけでこのイベントでは麻婆茄子にこだわるだけで、浮かれて余分な散財はしない(いつも飲む第三のビールがエビスになる程度)。
実家への仕送りには反映させるが、あとは積立預金額が臨時にぐっと増えるだけである。


チバニアン(地磁場逆転層)を測る

2017年06月18日 | 計測

先週の日曜は、愛知・長野県境の茶臼山での計測をし、帰京した今週の日曜は、千葉県市原市の養老渓谷の手前にある地磁場逆転層のチバニアン(まだこの名称は使えないのだが※)に、その磁場の逆転具合を測りに行った。
※2020年1月、この名称が正式決定した!おめでとう!

約77万年前から12万年前までの地質年代名が「チバニアン(千葉時代)」に決まったら、この地は世界的名所になって、その露頭(地層が出ている所)に近づくことすら困難になるだろう(保護と混雑によって)。

なので露頭に直接触れることができる今のうちに訪れておきたい。

この地へは、東京からだと総武線・内房線と乗り継いで、五井駅で小湊(コミナト)鉄道に乗換える。

小湊鉄道はディーゼルのローカル線で、便は2時間に1本ほどなので事前確認を怠りなく(上総牛久〜養老渓谷間は、 小型SLが牽引するトロッコ列車も走る)。

房総半島の山は標高300m程度と低いものの、養老渓谷付近は半島の中央部で一番山深い。
その里山の雰囲気を味わいながら、無人の月崎(ツキザキ)駅で降りる。
無人ながら駅前にトイレがあり、向いの一軒屋がコンビニになっている。
またレンタサイクルが1台だけある(100円を箱に入れる)。
本当なら自転車で付近を回るのが効率的なのだが、あいにく駅に着いたら雨になっていた。
これから雨足が強くなったら、雨具なしの自転車だとかえってつらいので、傘を差して歩くことにした(片道2km程度)。

途中、永昌寺トンネルという手掘りの隧道(現在も使用中)を見る。
この付近には手掘りトンネルが多い。 

雨の養老川にかかる橋を渡り(この付近はまったく自然の風景)、田淵の公民館を示す細い道路を右折して、その公民館前に達してはじめてチバニアンへの案内板が出る(ここに駐車できる)。
それによると、ここの地磁場逆転層の正式名称は「松山逆磁極期の地層」というもので、その松山逆磁極期(地球の磁場が南北逆転していた時期)は今から240万〜70万年前だという。
その先に、詳しい説明板がある。
それによると逆転している地層はもとは深海層で、それとは別に現在の富士山の基盤となっている古御岳※の噴火(説明板では「長野県の古御岳」とあって木曽御岳と勘違いしているようだ※。木曽御岳の噴火は10万年前)による堆積物が凝固した凝灰岩層もあり、火山の恐ろしさを伝えている。
ここからいよいよ河原に降りる一本道になる。 

※こう書いたが、やはり木曽御岳で正しかった〔2020年6月)。

雨の河原に降り立つと、先客と目が合い、挨拶をする(現在の段階では、互いに一般観光客というより同好の篤志家という認識)。
岩畳の河原を左に進むと、垂直になった岩壁の露頭が現れる(写真)。

その壁面に赤い杭が上下に連続して打ってある所が逆転層を示しているようで、そこに向かうが岩がつるつるで滑りやすい。
ここはまだ観光地でないので、安全策がとられておらず、転倒・滑落は自己責任(との立て札がある)。

さて私は、ここで計測マンに変身し、バッグから磁力計を取り出し、スイッチを入れ、プローブ(棒状センサー)の先を露頭に近づける。
この露頭はおおざっぱにいうと南に面しているので、磁力計の極性はNを示す。
赤い杭に沿って上から下にゆっくりプローブを移動すると、 Nの磁力の値がどんどん下り、ついに負の値すなわちSとなり極性が逆転する(写真)。
ここが逆転層なのだ。
逆転層を示す赤い札が壁面上部に打ち付けてあるが、そこは高すぎて届かない。

ただ下部の逆転層は磁力そのものの値が低いため、極性は逆転しても、手持ちの方位コンパスは反応しなかった。
またスマホアプリのテスラメータ(磁力計)は空間解像度が粗いためか、逆転層に近づけても通常値のままだ。

雨の中、私の他に2組の客がいる。
その中の1組(熟年夫婦)がスマホアプリの方位コンパスをかざしていたので、私はお節介にも、それではだめで、私のコレでないと確認できませんと教え、私の磁力計の液晶画面に注目させ、プローブを移動して極性ががNからSに変わる瞬間を見せる。
それを見ていたもう1組の母娘は計器を何も持っていないようで(手ぶらでは何もわからない)、私の所にやってくる。
もちろん私は得意になって計測を再演する。 

2組の客は、偶然居合わせた私によって、磁極逆転の境界を数値として目にすることができたわけだ。
言い換えれば、素人衆が手ぶらで(コンパスやスマホのアプリを持って)ここに来ても、ここに逆転層があるという看板以上の情報・体験は得られない。

客らが帰った後、こっそりダウジング・ロッドを取り出し、露頭に向けてかざしたら、右回転の円運動をした。 

ここで、訪問予定者のために、注意事項を記す。
まず河原自体が平な露岩で滑りやすい。
「長靴が必要」と言われているが、確かに普通の靴では危ない。
私は川に入ってもOKなアウトドア用のサンダルで来たが、底の凹凸が乏しいので、雨の中の岩壁の登降で滑らないよう気を使った。
あいにく雨が本降りになったものの、傘があれば見学には支障がない。
だが雨後の増水期になると河原が水没するので、見学は不可となる。

帰りの鉄道便には時間があるので、ちょっと遠方の月崎トンネル(永昌寺トンネルより大規模な手掘り)を見に行こうと思ったが、雨足が強くなったので途中で引き返した。

無人の駅舎で雨宿りをするしかない。
樹木が多いため、雨の中の鉄路も味がある(写真)。

さて、このチバニアンの計測結果だが、先週にコンパスがぐるぐる回るほどの磁気異常の茶臼山カエル館に行ってきただけに、計測値レベルでは正直インパクトに乏しかった。
もちろん、こちらは天然自然の異常値で、特定期の露頭として地質学的価値があるのだから、それを計測で確認できたことはいい体験だ。
雨の中だったので、傘に片手を使われ、滑りやすいこともあって、充分計測に費やせなかった。
養老渓谷と合せて、もう一度来てもいいかも。


計測マンにとっての”気”

2017年06月17日 | パワー・スピリチュアル

計測マンとしての私は、科学的計測主義者であって、決して神秘主義者ではないのだが、「スピリチュアルな関心」を解禁したり、茶臼山では「波動」に言及したりして、怪しげな世界にはまり込むのではないかという危惧を持たれるかもしれない。

確かに、科学では確認されていない、いわば未知の領域に対して心を開いている。
それは既知では説明しきれない未知の領域の存在の”可能性”を否定しないからだ。

だからといって、その領域の存在を根拠なく”確信”しないし、簡単に信じようとする甘さには陥らないようにしている(真理を追究する者は自己に厳しくあるべし)。

定説への不信という理由から、安易に異説にはまり込んだり、論理的整合性(辻褄が合う)だけで信じ込むことはない(いずれもシステム2の逸脱現象)。
それが計測マンたる矜恃だ(ついでに言えば、青森の「キリストの墓」を世間に流布させた人物の孫という事実が反作用している)。

そんな私にとって、信と不信の境界上にある困った現象が「気」である。

自分を含む多くの人が、同じように体験・知覚できるものでありながら、機械による計測ができないのだ(オーラが写っているようなキルリアン写真は水蒸気であることが判明しており、気を出す者の脳波や掌の皮膚温などは随伴現象でしかない)。

気の正体は物理現象ではないということになりそうなのだが、かといって心理現象でもなく、理論的にはやはりエネルギーの一種とみなされる。
ただし、気は気においてのみ交換可能で、他のエネルギーとの交換はされにくく(不可能ではないようだが)、いわばエネルギー保存の法則が確認できないので、他の測定可能なエネルギーに変換して確認することもできない。

さらに、古代中国の理論づけには、非科学的(通俗的)な要素が多分にあるため、理論的にも問題がある(具体的には、本来は気とは無縁の五行思想による牽強付会)。

五行思想というノイズを削除した純粋な陰陽二気論は、この世界の電磁気現象に対応できるが、陰・陽は”状態”としての二元性であって、究極”存在”としては太極の一元論に還元される(朱子が大成した宋易から五行を削除して現代化したい)。

まぁ思弁的理屈はいいとして、 今の私は、計測の限界外の現象に直面しているので、とりあえず”気”が測れそうならなんでもトライしてみるつもりである(ただし価格的に入手可能なものに限る)。


茶臼山カエル館のパワーを生体反応で確認

2017年06月12日 | パワー・スピリチュアル

愛知と長野にまたがる茶臼山の長野側に「カエル館」というネバタゴガエル(ワンと鳴く)を展示してある建物があるのだが、そこがリアルなパワースポットでもあることはこのブログでも再三記事にしている→たとえば最近では「茶臼山の磁場を測る」。
なにしろ、そのパワーを客観的に計測して公表しているのが私だから。

さてそのパワーの源は強い磁気(電磁気ではなく地層由来の地磁気に相当)であることが判っているが、そのパワーは人体にも達しているらしい。
カエル館内のそのスポット(パワー空間)にいると、温感やビリビリ感などを感じる来館者が多くいるという(残念ながら、私は感じなかった)。 
現象をとにかく測りたい”計測マン”として気になるのは、その感覚は、主観的なものにすぎないか、本当に身体が反応しているのかだ。 

ここの物理的計測は手を尽くしたので、次は生体側を測りたい。

そこで、カエル館の館長が、私が茶臼山に訪れる時に合わせて、生体反応を訴える常連客を集めてくれた。 

そのスポットに居るとうなじが暖かくなるという女性の、まずはスポット外でのうなじの温度分布をサーモグラフィで取り(写真上)、次にスポット内の一番磁気が強い壁面を背にして立ってもらって、うなじの温感がでてきたところで再びうなじのサーモグラフィを取った(写真下)。
その結果、数分間スポットに居ることで、うなじの表面温度が約2℃も上昇した。

ついでに心拍も測ったら、心拍も上昇する傾向にあった。
うなじの背後の壁面は22-24℃であり、そこからの昇温に資する熱放射はないといえる。 

2℃の皮膚温上昇は、値として大きい(入浴に等しい)。
この女性はその後、脇の下が発汗したというから、さらに昇温が進んだ可能性がある。
この体温上昇は、外部に熱源がないのだから、身体内の血行が促進された結果だろう。
ということは、このスポットは血行不良による凝りに効く可能性があるし、免疫力もアップするかもしれない。

ただ、人によって温感を得る部位が異なるのが解せない。
いやそれ以上に温感を得る人と得ない人が出るのが解せない。

さらに、同じスポットに居て、温感ではなく手の指先にビリビリ感を得る人がいる。
しかもその感覚を得る人たちがスポット空間で一堂に会して分かったことには、ビリビリ感は温感と違って強弱の波があり、しかもその周期が皆で一致していたのだ。
そのパワーとやらは物理的に振動しているということなのか。
ビリビリ感を得る人に対しては、サーモグラフィではなく静電位を測ってみたが変化はなかった。

また、カエル館の外にあるビリビリ岩(とりあえずの仮称)も私を含め多くの人がビリビリ感じる。
ただその岩は、カエル館内のスポットとちがって物理的計測(磁気、静電位、放射線、温度)による異状は認められない。

温感とビリビリ感に共通するパワーがあるとすれば、それは”気”(気功の気)しか思い当たらない。
私自身、自分の”気”を掌から出すことで、これら温感もビリビリ感も体験できる。
ただし残念ながら、”気”は直接物理的測定ができないのだ。

そこで”気”の現代的言い換えといえる”波動”をチェックすべく、私の新兵器「ダウジング・ロッド」を取り出す(「波動計測器」は高くて手がでない)。
ただしこのロッドは持ち手の感受性に依存しているため、このスポットで何も感じない私ではなく、温感やビリビリ感を得る人にロッドを握ってもらった。
感度の高い女性たちが互いに向ってロッドをかざしてみると、スポット空間内と外とではロッドの振動の向きが異なった。 

ついでに、館内には、パワーがありそうな石が展示してある(私が拾った磁気を出す石も)。
それらに手をかざすと、ある人・石は暖かさを感じ、別の人・石はビリビリ感、また別の人・石は空気の抵抗感を感じるという。
3つめの空気の抵抗感も”気”が出ている時の感覚だ。 

このように、このカエル館のパワーは物理計測のみならず生体反応でも確認されたことから、”パワースポット鑑定士”を自称する私としては、すでに認定していた真性パワースポットとしてのランクが上昇した→「パワースポットが認めるパワースポット

ただし疑問が残っている。
磁気異常の空間がなぜ人体の皮膚温上昇をもたらすのか。
しかも人によって異なる部位に。
磁気→血行促進という理屈は成立するが、ここの磁気は300μT程度で(地磁気相当としては異常に高いが)磁気治療器並みの強さはないし、その磁場から身体は数センチ離れている(磁気治療器のように密着させない)。

あと電場も身体に対して昇温効果(電子レンジもそう)があるが、電場は0だった(ここの磁気が電気由来のものではない証拠)。

またビリビリ感の原因も説明できない。
そもそもこのスポット以上に多くの人が体感できるビリビリ岩は物理的異常値はみられない。

また体感に個人差が大きく、まったく感じない人から強く感じ過ぎて館内に居るのがつらい人まで幅が広い。
これは見えない、あるいは物理的に測定できないパワーに対する生体側の感度の違いなのだろう。
館長によれば感度が高いのは女性と子どもが多いという(なんか納得)。
実際、多くの人が体感できるビリビリ岩すら何も感じなかったという逆にめずらしい人は、高齢の男性だった。 

では個人の感度は固定的なのか。
感度を上げることは可能なのか。

この館に通い詰めていくうちに最初は何も感じなかったのに、温感を得るようになった男性がいる。
私自身も気のトレーニングを開始したので、感度が上るのを期待したい。
実際、翌日、そのスポットにずっと座っていたら、次第に足下から温感が、手の指にビリビリ感が少しだけ出てきた。 

正真正銘のパワーがあるここならばこそ、パワーの感度を高めるトレーニングにも適しているといえる。

実は、この計測時に中日新聞の取材を受けており、この記事と関連する本物の”記事”が6月16日の東三河版、6月17日には愛知総合版に載った。

→「パワーを皮膚温で確認


野川を歩く3:深大寺〜国分寺駅

2017年06月04日 | 川歩き

国宝指定によって国立博物館で展示されていた深大寺の白鳳仏(釈迦如来倚像)が寺に戻ってきたのを待って、
野川歩きを再開した☞前回「野川を歩く2」


すなわち、前回は深大寺で終えたので、今回は深大寺から再開。
そうすることで前回はレプリカの展示だった白鳳仏を”国宝”として拝観でき、
さらに何より嬉しいのは、もう一度深大寺そばを味わえる。

まずは深大寺そば。
まだ11時なのだが、一番人気の店「湧水」はすでに大行列だったので、
その近くの「大師茶屋」で数量限定の「粗挽き天もりそば」(1180円)を食べた。
”天ざる”ではなく”天もり”にしてくれているところが良心的。

深大寺そばの店は増え続けており、それぞれ個性を競っている。
おいしい深大寺そばを食べながら思うに、せっかく来たのだから一軒(一食)ではもったいない。
本当はそばのハシゴをしたいくらい。

結局、すべての店で食べ尽くすまでは深大寺を訪れる価値があるということだ。


腹を満たして、深大寺を詣でる。
ちょうど正午の鐘が撞かれていた。
めざす白鳳仏は以前とおなじ場所での展示だが、国宝になってからの変化は、
撮影禁止になった点と、両脇に同じ頃の似た造りでどうやら同じ仏師によるらしい関西の菩薩像のレプリカが並んでいる点と、
それをもとにテープでの解説がついた点で、あいかわらず拝観料は取らない(志納)。
このように深大寺は都内でも有数の観光的価値がある寺院で、創建の古さこそ浅草寺に一歩ゆずるが、
こちらには東日本最古の国宝白鳳仏があり、名物深大寺そばがある。
せっかくなので、翡翠と水晶のブレスレット(気を高めるため)と『住職がつづる深大寺物語』を購入。 


さて中央高速道が上に通る野川に出て、地元の人たちが草に覆われた河原でバーベキューを楽しんでいる横を通り抜け、川歩きの続きをスタート。
野川は川沿いの舗装された歩道もあるが、草原状の河原の踏跡を進めるのがいい。
つまり、それができる分、自然が残っているわけで、コンクリの護岸が続く神田川やその支流とでは川の風景が異なるのだ。 

三鷹市に入り、向いの左岸の奥には国立天文台の森が続く。
ここから左岸は、”国分寺崖線”といってずっと野川の左岸が高台状に続き、その崖から湧水が多いという
(その崖線に沿ったウォーキングルートもあるらしい)。
そして左岸の川沿いに、「長谷川病院」が見えてきた。
この病院、精神病院として有名で、まずは私の心の師である安永浩先生が勤務していた所。
そして、実は私が人生で最も苦しい時に、
小田晋先生(故人)の紹介を経て、この病院に非常勤での職を得ようと、面接に訪れたことがある。
残念ながら、先方が求める条件を満たさなかったので、むなしく帰った思い出の病院。


今度は自分が歩いている右岸側に「大沢の里 水車経営農家」という古民家があったので入ってみる(入場料100円)。
この民家は江戸の文化年間の造りで、その時代に水車小屋内の歯車を駆使した米の精米と麦の製粉が全自動化されていたというからすごい。
しかも歯車(名称は「万力」)までが地元産の木で造られている。
歯車の組み合わせで多彩な動きを構成し、しかもその動力エネルギーはずっと流れ続ける水流なのだ。
これは太陽光や風車よりも定常・安定したエネルギーで、24時間稼働できる。
この農家での歯車の組み合わせ技術が、「からくり」人形細工の元となったという。
19世紀初頭の農家でさえこの技術レベルに達していたのだから、そりゃ明治維新後の近代化はスムースに行くはず。
この施設は三鷹市の管轄だが、実は深大寺のそば店脇にも調布市による「水車館」があった
(あっちは無料で、規模も小さいが川ではなく湧水の水車)。
つまり、野川流域はかくも水が豊かだったのだ。

三鷹市大沢の地からさらに野川を遡ると、近藤勇の菩提寺(墓がある)龍源寺がある。
以前、新選組史跡探訪として、龍源寺から野川を歩いて深大寺に向かったことがある。
この地は近藤勇の生家もあり、子ども時代の勇こと宮川勝五郎も、あの水車小屋の見事なメカを見ていたことだろう。


さてここから野川は、周囲が公園状となり、楽しい風景に囲まれる。
野川公園とそれに続く武蔵野公園を貫く野川は、その間ずっと親水広場と化し、人と川との幸せな交流の場となる。
ここが野川のハイライトであり、他の川においてもこれに勝る親水地帯は存在しない。
ただ惜しむらくは、雨量が少ないためか、川が干上がっていること(写真)。
前回来た時の記憶では、私は川の中をバシャバシャ歩いて(徒渉して)進んだことになっている。
考えてみれば、履物がそれに対応していなければ無理な行為なので、
これは野川の親水性に感動したことによる記憶の捏造かもしれない。

野川がこの状態のまま水源まで続いてくれれば幸せなのだが、残念ながら、現実は冷酷だ。


小金井市に入ると、前原小学校が川の上にまたいで建っていて、迂回を強いる。
今までの都内の他の川歩きでも、川の上を敷地にして通行止めにするのはたいてい公立小中学校だ。
なぜあえて川の上に建てるんだろう。
いいかえればここから野川は、普通の住宅地での邪険な扱いを受ける哀れな川となる。
今までの自然で広い河原が夢であったかのような街中のコンクリに囲まれ、
さらに国分寺市に入ると、川沿いの道すらなくなり、家々は野川に背を向け、無視されるというより邪魔者扱いされる。
野川は存在感を最小にし、なんとか暗渠だけは免れている。
ときたま現れる「一級河川 野川」の標識すら不自然に映るほど、川は貧弱になっている。
かような状態なので、ここから先は、日ごろは入れない水源だけしか興味がもてない。
その水源に足を運べるのは11月の特別公開日を待たねばならない。
その部分だけを残して、川から離れ、国分寺駅に向かう。

幸せな野川を通った後の不幸な野川はいただけない。
野川歩きは武蔵野公園・野川公園より上流はおすすめしない。

野川を歩く4


スピリチュアルな関心を解禁

2017年06月02日 | パワー・スピリチュアル

もともと高校時代から宗教に関心があり、また両手から”気”を出すことはできるのだが(誰でもできる)、こういう”スピリチュアルな世界”と自分の本業である心理学研究との接点をもつつもりはなかった(この接点をもっているのはすでに「トランスパーソナル心理学」として存在している)。

ところがここ最近、次第にこの領域への接近が続くようになった。
まずは趣味でやってきた環境計測(気象→放射線→地磁気等)がこうじてパワースポットを測るようになって、かえってその物理的測定に限界を感じ、生体反応として自分自身でパワーを感じる能力を高めたいと思うようになった。

その生体反応は、心理学的には心理測定の客観化としての計測の意味をもつことから、心身相関現象(精神神経免疫学)に接近し、呼吸法や心拍変動の測定に関心をもつようになった(もともと脳波を使ったバイオフィードバックに親しんでいた)。

さらには、心理学における既存の「二重過程モデル」の拡大のため、マインドフルネス(ヴィパッサナー瞑想)を自分の心理モデルに取り入れる必要性を感じた。

そして最後のそして決定的なひと押しとして、勤務先での学生クラブ「易学研究会」の顧問を頼まれて担当することになった。
易は学生時代から興味があり(『易経』は昔読んだ)、個人的経験からも易占は一番当たると思っていた。

以上の流れの結果、今まで封印してきたスピリチュアルへの関心を解禁することにした。
こういういくつもの流れが必然的に1つの方向に収斂すること自体が、私自身のスピリチュアルな反応といえる。
つまりそうすることが私の運命であり、次なるステップなのだ。 

まずはしばらく封印していたユング心理学(実は一番好き)に再接近する。
中途ハンバだった”気”のトレーニングもテキストやDVDを参考に再開した。
その結果、自分の手(気の出入口)のオーラが見えるようになった。

また、昔、シンガポールで購入したままだった水晶玉を取り出して、水晶透視のトレーニングを開始したら、透明の水晶玉が濁って見える第1段階に達した。
さらに波動計測のためのダウジング・ロッドを購入し、波動(気)との共鳴反応ができるよう訓練を開始。

以上の方向は、あくまで個人的修練にとどめ、学術研究に反映させるつもりはない(無理だから)。
なので公的活動として公言できないので、この場を借りて開陳する次第。

当面の目標は、パワースポットでの外気が判るようになりたい。
自分が感じてもいいし、ロッドの振動で表現できればなおいい。


猿投を堪能

2017年06月01日 | 山歩き

6月1日は、平日でありながら勤務先が創立記念日で休日という恩恵(実は、先々週の土曜が振替出勤日だった)に浴するため、再開を目している”山歩き”のトレーニングとして、名古屋東端の棲み家からも見える猿投(さなげ)に行った。

猿投山(630m)は、名古屋からふらりと行ける山として、その標高の近さもあって東京の高尾山(599m)に相当しそう。
ただ交通の便でははるかに劣り、新宿から登り口まで電車一本で行ける高尾山とは比較にならないが、自家用車なら距離的にはむしろ近い。

まずはその近さを実現する「猿投グリーンロード」という有料道路を使って、猿投山の麓の猿投町にある猿投神社に達する。
この神社の脇の道を通って、登山用の駐車場で車から降りる。

ここからは猿投川に沿った舗装林道を歩く。
猿投川は涼しい森の中の清流で、林道歩きも退屈しない。
実は猿投山は、東海自然歩道のルート上にあり、その意味でも起点の高尾山と共通するし、 先月登った石老山ともつながっている。
そのため指導標も完備され、途中に休憩用のベンチも設置されている。

御門杉という大木のある所から登山道に入り、舗装林道を2つ通り越して東の宮に達する。
東の宮の奥の茂吉ヶ峰というピークが最高点(632m)なのだが、展望はないので、心の清らかな人だけが訪れてほしい。

猿投山山頂には、ここから頂稜の小さな上下となり、途中、御嶽や南アルプスが見える所がある(実際には冬でないと無理)。 
さきほどの最高点より2m低い猿投山山頂は、テーブル付きのベンチが数個あり、また北方が開けているのでやはりここでゆっくりしたい。
冬季なら御嶽から白山、伊吹山まで見えるようだ。
テーブルに、最近この山に入って行方不明になった人の写真と情報が貼ってある。
こんな浅い山でも遭難の可能性はあるのだ。

さて、私にとって問題の下りだ。
標高的には腸脛靱帯が痛む高さ未満だが、慎重に、歩幅を狭く、爪先着地で降りる。

東の宮を過ぎ、登りには素通りした”大岩展望台”に立寄る。
平らな岩の上に立つと、眼下に豊田市の展望が拡がる(写真)。
眺めの満足度からいえば、山頂までいかずとも、ここに来るだけでも充分。

登りはスタスタ軽快に歩けるが、下りはあえて抑えて小股に足を運ぶ。
それが奏効したのか、靭帯が痛むことなく無事に猿投川の林道に下り立った。

猿投山は(実は二度目の訪問だが)、植林ばかりの東京近郊の山とちがって自然林が豊かで、高尾山のような大混雑もなく、それでいて名古屋宅からふらっと車で来れるので、良い所だと再認識した。
メインルートとなっている東海自然報道以外にもいくつか道があるので、再訪する価値もある。

駐車場に戻り、車で少し下って、猿投神社に参拝し(無事下山の感謝)、さらに車で広い麓の谷の奥にある猿投温泉で一休み。

猿投温泉自体は、以前、温泉旅行を始める前の日帰り温泉として、名古屋宅からしょっちゅう通っていた。
ここは放射能泉なので内湯で完結すべきなのだが、たぶん利用客の要望なのだろう、露天風呂を増設した。
放射能泉に露天風呂とは、日本の温泉文化の底の浅さが露呈されて悲しいが(「温泉」という記号に反応しているだけで、日本酒となればすべて熱燗にするようなもの)、ここは飲泉もできるので、濃度は高くないものの愛知で珍しい放射能泉を堪能できる。
ただし放射能泉は湯あたりしやすく、入浴後はだるさが出て休みたくなる(それを理解している温泉側では入浴後の寝ころびスペースを用意している)。

猿投山自体も黒雲母花崗岩でできているので、山中で放射線が出ている可能性がある。
次回はガイガーカウンターを持参しよう。 

ということで、今日は”猿投”三昧で堪能したが、これで満足したくない。
望むらくは、由緒ある猿投窯(瀬戸の前身)を復活して、「猿投焼」を地元の名産にしてほしい(猿投焼を器にした猿投うどんなんかもあるといい)。
そうなれば高尾山並みにミシュランの★がつくだろう。