今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

2023秋の茶臼山カエル館

2023年10月30日 | 茶臼山カエル館計測

”真正パワースポット”として私が唯一認定している茶臼山のカエル館(長野県根羽村)には、毎年 GW明けと冬季閉鎖前の今頃の2回訪れている。
毎回2泊して天上に開けた茶臼山高原を堪能するが、主目的はやはりカエル館。

その名の通り本来は生きたカエルの展示館だが、館内とその周囲に幾つものパワースポットが発見されてからは、そちらを目当てに来館する人たちが増えて、今では常連客がパワーを実感しに来る。
来館頻度で言えば私は彼ら常連の足元にも及ばないが、パワーの客観的計測を担当していることで、私が訪れる時は館長がそれを事前に告知して、常連客と親しく交流する。

ただしパワーの物理的計測はこれ以上測りようがなくなり、生体反応に重点を移しているのだが、温感のサーモグラフィ以外、特にビリビリ感の客観的計測ができずに困っている。
皮膚表面の静電位は変化ないことが確認済みで、体表の特定部位の電流も計測してみたが、こちらは個人差とその個人の部位差が大きすぎる。
※:来館者が感じるビリビリ感は、昔のブラウン管テレビ画面の表面に手をかざして感じる感覚に等しいので、まずは静電気の存在を疑う。館外の「ビリビリ苔岩」ではより多くの人がその感覚を得る(もちろんそこの静電位はない)

私個人の関心が、スピリチュアル方向に向かっていることもあって、ここでの反応が霊視のような現象と共通点があるかもしれないと思うようになってきた。
ただし反応者の頻度が、霊視では100人に1人いるかどうかなのに対して、ここでの生体反応は100人に50人もいて、ずっとハードルが低い。
しかも最近では、拘縮した筋肉が動くような劇的な現象が発生している(ただし帰宅すると元に戻るという)
霊視と同じく、その感覚の存否は当事者が制御できない。
そして感覚・反応の種類と強度は個人差が大きく、個人でも変容することがある。
※:気功における気感の種類(温感,冷(風)感,ビリビリ感)とほぼ対応(唯一,空気圧感は報告されない)。私自身”気”を出せるので、空気圧感を含むこれらの気感は自分で任意に内側から出せる。ちなみにカエル館内のパワーの第一発見者は気功家。

またカエル館はいつの間にか、パワーストーンの展示場にもなっていて、石のパワーについても常連さんたちと話が弾む。

10月30日の館内は10℃以下で、ストーブを点けてもらっても脚が冷えた。
カエル館は次の日曜が最終日で、冬季閉鎖中はカエルを持ち帰って下界で冬を過ごさせるという。

来年春に訪れる時は、筋肉の硬度計を装備して来ようか。


キュビズム展を観た

2023年10月24日 | 作品・作家評

帰京中、上野の国立西洋美術館でやっている「キュビズム展」を観た。

ピカソに代表される20世紀絵画のあのキュビズムだ。

展示は、キュビズムを代表するピカソとブラックから始まり、キュビズムにも接近したシャガールやモディリアーニを含み、デュシャンを経て最後はなんとル・コルビュジエ(西洋美術館の設計者)まで含む(右絵:ル・コルビュジエ「水差しとコップ」館内撮影)。

そもそもキュビズムは、後期印象派でもあるセザンヌが源流で、絵画を構成する形態が円や三角形からなるという彼が示した形態の抽象化(本質化)を、セザンヌ以上に大胆に具現した絵画運動で、具象的形態の解体(ゲシュタルト崩壊)とも取れる表現手法だ。

なので、これらの絵を観るときは、元は何の形態かを探り当てる態度になってしまう(=ピカソの絵をセザンヌ段階に戻す)。
そして元の形態が判明すれば、判った気になり、判明しないと「わからん」という感想になる。

今回の展示で私の誤解が判ったのは、キュビズムの絵は決して抽象画ではなく、具象画(の極北)であり、抽象画はキュビズムに続く次の発展形であること。
なぜなら、キュビズムの絵の題材はあくまで具象的な静物・楽器・人物であるから。
※:静物画は卓上の果物などを描くものだが、キュビズムのそれは20世紀らしく新聞が加わり、解体した形態の中に新聞の文字だけが意味を備えた形態として存在感を放っている。
すなわち具象画/抽象画というのは、表現手法ではなく、絵の対象についてのものだ。
確かに、表現手法に当てはめると、幼児が描いたママの顔の絵も(写実性が全くないという点で)抽象画に分類されてしまう。
抽象画は、表題が「コンポジション」となるように(モンドリアンの絵が典型)、対象が抽象的なのだ。

ということなら、キュビズムの絵に具象的な形態を探る観方は間違ってはいないようだ。
ただこの観方は、画家があえて解体した形態を頭の中で再構成することだから、絵の表現を受け入れたことにはならない。
そこに新たなる美(表現)を見つける必要がある。

実は我々は、普通に具象的な風景の中に抽象的な形態・色彩の美を見出している(富士山の形態が典型的だし、写真を撮る際は、構図を形態の配置としてセザンヌ的に構成する)。
となると、あえてキュビズム的な表現にこだわる必要もなくなってくる(現代画家がピカソやブラックの後継者である必要はない)。
そのようなキュビズム運動の盛衰を概観できた。


スマホにATM出金の不審メール

2023年10月23日 | パソコン・メディア

自分のスマホ(ドコモのアンドロイド)に、ATM出金のメールが届いた。

いつものATM出金では、銀行に登録してあるドコモでないアドレスにその通知が届く(パソコン・タブレットで確認)。

その手の通知がスマホに届いたのは初めてなので、一瞬戸惑った。
一番戸惑った理由は、そのメールに記されている日時にATMで出金した覚えがないからだ。

これがミソである。

その戸惑いによって、このメールを開き、そこにリンクされている問い合わせ先をクリックしてしまうかもしれない。

こう操作する前に、冷静になろう。

そもそもいつも受け取るATM出金通知には、それに使ったATM カードについての記述がある。

まずはその記載がない。

さらに決定的なのは、リンクされている問い合わせ先のURLが、口座を持っている銀行とは全く異なる訳の分からない名称になっている点。

ということで、このメールをこれ以上いじらず、確信を持ってこれをドコモ宛に”迷惑メール通知”した。
ドコモの迷惑メール対策の遅れはこのように、他のネットサービスでのそれと比べて著しく遅れている。

だから、私はスマホメールはできるだけ使わない。
ドコモからの通知(dポイントについても含む)を受信するくらいだ。

ちなみに、本気で出金情報を確認するなら、心当たりのある銀行のサイトにアクセス(メールのリンクをクリックせず)して、そのサイト内で確認すべき。


今時の太陽光

2023年10月18日 | お天気

私設日進気象台における本日10月18日の日射量の最大値は729W/m2(11時43分)で、1250W/m2に達する盛夏時と比べて55%の値。
有害紫外線量の指標であるUVIndexは3.9(11時20分)で、12を越える盛夏時と比べて1/3(33%)に減っている。
かように夏に比べて太陽光が弱くなっている。

この変化は公転による太陽高度角の減少によるもので、その分太陽が視野に入りやすくなるため、人が感じる眩しさは増える傾向にある。

また日射量の減少に比べてUVIndexの減少率が大きいのも知っておく価値がある。
いいかえれば日射量(で測定される太陽光)を構成する他の周波数帯、すなわち可視光や赤外線などの長波は、紫外線ほどには減少(減衰)しないということ。
日の出・日没頃の空が赤いのも、短波長の紫〜青の光が(低高度によって)長い大気中を通るうちに減衰するのに対し、長波長の赤の光は減衰しないで届くから。

秋分(9/23)を過ぎて、立冬(11/8)に向かう今は、一年の黄昏(たそがれ)時に向かっているわけだ。


日進の社寺巡り

2023年10月17日 | 名古屋周辺

本日は勤務先の大学で会議があったが、すぐに終わったので、ここ連日の「名古屋周辺日帰り旅」の第四弾として、大学から近い日進市の社寺巡りをする。

日進市は、長久手市とともに名古屋の東隣に位置し、名古屋近郊の新興住宅地として人口増加中で、市の北部には本学を含めて大学が集中している。


日進市で最も有名な社寺といえば、白山宮だ。
もちろん本社ではないが、摂社に「足王社」という足腰の神が祀られ、それがスポーツをする若者たちに支持され、今では「サッカー神社」とも呼ばれている(という)。

大学から車で数分で白山宮に着く。

まずは本殿を参拝して、その右にある現代的な造りの足王社に行く。
この造りは足が悪い人のためのバリアフリーを実現している。
まずは正面で参拝し、社殿内の裏側に回ると「痛みとり石」が鎮座している(写真)。
この石は、この地の祠の下の地面から頭だけを出していたが、ある老女がこの石をさすって、自分の痛む足をさすったところ、痛みが消えたという。
そのご利益を得ようと人が集まるようになり、今ではこの石を取り出してこうして飾っている。
ただし手で触ることはご法度で、500円で販売している「撫で布」で石を撫でるようにと指示されている。
私は幸い足は痛くないので、撫でる必要はない(私が参拝するのは、ご利益を求めてではない)
社殿の傍にはここオリジナルの絵馬が多数掛けられており、やはりサッカー部生徒などの祈願が多い。


白山宮の参道脇には、白山古墳という円墳があり、行ってみると中央の石室が露出していた。
白山宮の隣に、龍谷寺という禅宗の寺があり、仁王の立つ山門の他、如意輪観音や七福神の木造を拝める。
これらはいずれも素人的作りだが、八角堂前の龍谷観音は最近の作りながら、ふくよかな美しい顔立ち(写真)。


ここから岩崎城の方向に車を走らせ、岩崎川を越えて慈眼寺に車を止める。
小牧長久手の戦いに関係する城で、城址には天守が建っている。訪問済みなので今回は省略。
ここの本尊は千手観音という。
観音堂入口に西国33観音の模像があり、小さい本尊が見える堂内で住職が檀家の女性たちと話し込んでいた。
境内には石仏がたくさんあるが、やはりいずれも作りは素人風。
同じ石仏でも尾張一宮の妙興寺の洗練された作りとはかなり違う。
はっきり言って、ここらは最近まで田舎だった。

向かいの妙仙寺の立派な臥龍の松を見て、車で丘の上の大応寺に向かう。
大応寺は、真新しい白い石仏があちこちに立っていて、それらの奥に岩崎の御嶽(おんたけ)山を開山した明寛行者を祀った堂がある(ここが目的)。


その御嶽山は、岩崎の地にそびえる残丘(標高300m)で、この残丘はなんと古生代からずっと丘で、(愛知で唯一)この数億年の間一度も海に沈んだことがないという(地球科学的には日進市で最も貴重)。

その御嶽山に車で急登する。
山上の展望台に車を止めると、周囲は御嶽信仰ならではの霊神の石碑が立ち並ぶ。
霊神名にいずれも「覚」の字が使われていることから、地元尾張出身の覚明行者系であることがわかる。

ただしここの御嶽講は明らかに真言宗系で、大きな弘法大師像があり、あちこちに不動明王の石像もある(写真:後列左から龍神(倶利伽羅神)、大黒天、不動明王)。
階段を登って御嶽神社に参拝し(かように神仏習合)、お助け穴不動の幟に導かれて、洞窟内の穴不動(洞窟入口に照明の電源がある)を拝む(不動明王の印を結んで真言を三唱)。

この御嶽神社周囲の独特な雰囲気は、木曽の御嶽山に行かないと見られないだけに貴重だ。
というわけで、4日続いた「名古屋周辺日帰り旅」はこれで尾張(←勝手に変換)


熱田神宮を歩き測る

2023年10月16日 | 名古屋周辺

「名古屋周辺日帰り旅」の第三弾は、熱田神宮

尾張名古屋には、尾張一宮より格上の神社があって、それが熱田神宮。
何しろ、三種の神器の1つ「草薙の剣」こと「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)※が奉納されているのだ。
※:草薙の剣はヤマトタケルが焼津で炎を絶った剣だが、元はスサノオがヤマタノオロチを退治した時に尻尾から出てきた天叢雲剣。ヤマトタケルがこの剣を妻に残して行き倒れになり、妻は地元のこの地に剣を祀った。
それだけの神社なので、もちろん名古屋に来てまもなく訪れた。
ただしその時は、「おほほ祭り」と言われる酔笑人(えようど)神事(5月4日の晩に神官たちが暗闇の中、境内の複数の社の前で輪になって「おほほ」と笑う奇祭)を暗い中見学しただけ(学というより音を聞いただけ)

なので今回は、熱田神宮の境内を隈なく歩き回ることにする。
私は、神社に参詣する時は、境内の摂社にも参拝することにしているので、神宮内の摂社・末社を全て参拝するのが目的。
※:その神社本来の祭神が摂社に祀られていることもある(維新後にそうさせられたため)。


そのためには、南の正門の一の鳥居から入り、居並ぶ摂社をシラミつぶしに巡って、北上する。
まずは、正門左側にある上知我麻神社とその両脇の大国主社事代主社
※:”神社”はちゃんとした社殿・板塀があり、”社”は小さいヤシロのみ)
そしてその北側の立派な別宮(本宮に次ぐ格)八剣宮を参拝(二礼二拍手一礼のみ。祈願をしないので賽銭は投じない)
参道を北上して、右側の楠之御前社徹社を参拝。

左側に南神池があり、そのほとりに「宮きしめん」の店があるので、かき揚げきしめんを食べる。
池の北側には最近できた剣の宝庫草薙館があり入場料払って(宝物殿込みで1000円)、入る。
内部には、神宮所蔵の文化財級の刀剣が展示してある。
その手前に日本刀の素材の鉄塊である鉧(けら)が展示されていて(写真)、そこに近づくと鉧からビリビリしたが(アクリルケースを突き抜けて)出ているのを手の平で感じた。

説明によると鉧には、黒雲母や玄武岩が混じっているという。
磁力計を持参したので、取り出して周囲を計測すると、周囲は50μT程度(ほぼ通常の地磁気の値)なのに対し、この鉧の前では70μTを越えた。
鉧が磁化しているのだ。
ただし私が感じたビリビリ感は、この程度の磁力だけでは説明つかない(この気感は物理的な磁力によるものではない)。

正門からの参道に並行したもう一本の道沿いにも摂社群があるので、戻る形になってそれらを訪れる。
南から日割神子神社孫若御子神社(尾張氏の始祖)南新宮社とその傍にある八子社曽志茂利社を参拝。

東門からの参道を横断して宝物殿を訪れ、鏡の展示を見る。
次に宝物殿正面の西門への参道を通って、西門脇の菅原社を参拝。
宝物殿に戻って、その北側の誰も来ない一角に一列に並ぶ六末社(乙子社姉子神社今彦神社水向神社素戔嗚神社日長神社)を参拝(写真:〜神社となっているが、建物は全てヤシロと同じ)。
その北隣の内天神社は参拝用の祠の奥は樹木が植えられていた。

二の鳥居を越えた参道左側にある弘法大師由来の大楠を拝み、信長塀がある三の鳥居手前の参道の東西に向かい合う東八百萬神社西八百萬神社(合わせて日本国中の神々)、そして東側の社務所手前の大幸田神社を拝み、いよいよ本宮に達する。

本宮ではちゃんと賽銭を投じて参拝し、授与所で防災用に使える「守護笛」を買った(1000円)。

ここから神楽殿の脇を北上する道に入り、龍神社御田神社、そして神剣が社殿改造まで奉安されていた土用殿を参拝。


そして、清水社手前の大楠に達する(写真)。
「霊が見える」という知人は、この大楠付近でとてもいい感覚を得たという。
それを確認するために、今回磁力計を持参したのだ。
大楠付近で磁力計をオンにしてみると、およそ50μTでこの付近の平常値。
霊の探知をすべく”ばけたん”のスイッチを入れてみても、「何もない」との反応。
清水社の奥の清水を含めて、この付近がパワースポットとは確認できなかった。

ここから先の道は、本宮本殿の真横・真裏に当たる森の中の「こころの小径」という名で、神聖な空間(入場時間限定・撮影禁止)である(このように神社本殿奥の森こそが、その神社の神域だ)。
礼拝施設がある本殿真裏を通過し、神宮の祭神・熱田大神の荒御魂を祀る一之御前神社に達する。
ここは実質的に本宮格なので、ここでも賽銭を投じて参拝。

ここから本殿の屋根が壁を隔てて望める道を進んで本宮に出て、西門から境内を出て、外からしか参拝できない下知我麻神社が最後の摂社

以上で境内の28の摂社・末社を全て巡ったことになる(境内案内図に載っていない社も含む)。
館内見学と昼食含めて3時間かかった。


挙母祭りを見に行く

2023年10月15日 | 名古屋周辺

夜半の雨もやんだ日曜の朝、今日は挙母祭りを見に行く。

挙母(ころも)は、今の豊田市中心部の旧名。
元は挙母市だったのだが、世界的に有名なトヨタ本社があることから豊田(とよた)※市となり、その後足助・稲武など三河山間部を合併して広大な市域となって、名古屋の東に、名称的にも面積的にも産業的にも確固とした存在感を示している。
※:創業者の豊田(とよだ)氏の出身地は静岡県湖西市。

その豊田市の中心部である挙母には、1600年代から続く祭りがあり、それが挙母祭りという由緒ある祭りで、各町内から飾った山車が出て、それらが祭りの中日に挙母神社に集結する。
その日が本日なので、それを目指して一路、豊田市の中心部に向かう。

名古屋宅からは、わが宅最寄駅の「藤が丘」からリニモに乗って(ジブリパーク入口を素通りし)、終点で2両編成の愛知環状鉄道に乗り換えて「新豊田」で降りる。

私にとって豊田の市街地は、車の旅で素通りするばかりだったので、降り立つのは初めて。
豊田の中心部は、名鉄の支線とこの愛知環状鉄道という2つのローカル線の駅があるが、どちらも名古屋に直行できない。
すなわち、鉄道的には半ば孤立した市なのだが、そこはトヨタのお膝元、モータリゼーションを前提としてこの地に人を集めるパワーがあるため、寂れるどころか発展している。
すなわち、豊田市は名古屋に依存せず、その衛星都市(の1つ)ではないのだ(そこが昨日訪れた一宮と異なる)。


ビルが立ち並ぶ豊田の中心部の奥には豊田スタジアムが見える。
本日試合があるらしく、電車から降りる人にもグランパスのユニを着た人がいる。

ビルの間を抜けて、木々に囲まれた挙母神社に達する。
まずはずらりと並ぶ出店の間を抜けると、境内中央の舞殿で小学生の女の子が囃子に合わせて舞っている(右写真)。

その奥(参道)に沿って、8台の山車が一列に並んでいる(下写真)。
人々は山車とその周囲の出店に集まっているため、子守大明神を祀る拝殿は空いていて、すぐに参拝できた。
昨日記したように、神社って参拝するとあとはすることがない。
ただしここは居並んだ山車を見物し、出店で買い食いもできる。

ここの出店には「たまごせんべい」という東京では見ない、おそらくこちらオリジナルのものがあり、薄く大きいえびせんに、その場で焼いた目玉焼きと揚げを載せ、マヨネーズ等で味付けして、せんべいごと二つ折りにして、紙包みとともに手渡される(400円)
内容的には薄焼きセンベイと目玉焼きなので、お好み焼きや焼きそばでは多すぎる私にとっては都合いい。
ただこれだけでは物足りないので、ドイツフランクフルトの直焼き(400円)も食べた。

出店の中には、「名古屋風〜」と謳っているものある。
すなわち、この地は「名古屋」の一部ではないのだ(尾張とは一線を画したい三河人の矜恃の現れかも)。

境内には、縁日用のゴミ箱が用意されているのでありがたい。

さて、集まった山車は、この後分散して地元の町に戻るのだが、それまで待っていられない。


なので、神社を後にして、せっかく来たのだから、街路の案内に出ている豊田美術館に足を伸ばす。
坂を登って丘の上にある美術館にたどり着いたら、閉まっている(写真:美術館前から豊田市街、手前が愛知環状鉄道の電車)。
なんと、臨時休館中だと。
それだったら、街路の案内に、その旨記してほしかった。
私の後にも、坂を登ってきたカップルが、虚しく引き返している。

駅前に戻って、愛知環状鉄道に乗ろうとすると、グランパスのユニを着た人たちがたくさん降りてくる。
試合までまだ2時間あるのに、ファンは待ちきれないようだ。
※:ルヴァンカップ準決勝だという
かくも、豊田は人を集める。


尾張の社寺巡り:一宮・稲沢

2023年10月14日 | 名古屋周辺

今週末は帰京せずに名古屋宅にいる。
このブログでは、東京周辺の名所巡りを盛んに記事にしているが、もう一方の名古屋周辺については、30年以上居るのに、ちっとも巡っていない
名古屋城、熱田神宮、徳川美術館、犬山城、明治村、長久手古戦場清洲城それにジブリパークなどは訪れた。
週中の仕事がある時だけ名古屋にいて、週末と長期休業中は帰京するというパターンのためだ。

そのアンバランスを解消すべく、今週はあえて帰京せず、名古屋周辺を巡ることにした(結果的に、4日連続挙行!)。


まず初日の土曜は、尾張一宮(いちのみや)から始める。
すなわち尾張に住んで30年以上経過して、初めてそこの一宮を訪れる。
こうなったのも、諸国の一宮と違って、尾張の一宮は県庁所在地・一番の都市ではなく、そこから外れた地にあるため(三河の一宮は愛知第二の都市・豊橋)。
どこに在るかというと、その名もズバリ一宮市。

一宮市は名古屋の北、木曽川の向こうに岐阜県と向かい合う尾張北辺の地。
名古屋市との間には清洲市や稲沢市を挟むが、名古屋駅から JR東海道線の快速だと1駅先の近さ。


一宮駅は JRと名鉄が乗り入れて、駅ビルもあってそれなりに都会的(1階になんと三省堂書店がある。あと街中にも書店があった!)。
ただ、土曜であるためか、道ゆく人の姿はまばらで、駅周辺の個人商店もシャッターが閉まっている(つまり週末に人が集まる所ではない)。
駅から一宮に向かって進むと、車道がロータリーになっている(ヨーロッパの郊外にある、ぐるっと一周できで、信号がなくて、左折ができる仕組み)。
そのロータリーを左折して進むと、立派な楼門のある真清田神社に達する。
ここが尾張一宮。
拝殿の奥、すなわち本殿の周囲が厳かな森となっていて、神域の雰囲気が漂う(写真)。
手水を含め数カ所から霊水が出ていて、それが池になって龍神が祀られている。

本殿の隣に服織神社というのがあり、織物の町でもある一宮にふさわしい。
宝物殿は残念ながら閉鎖してあって予約制だった。
本殿前の広場に仮の通路のようなものが作られていて、明日の馬を使った神事のためらしい。
訪れるのが1日早かったということだが、明日は予定がある。

はっきり言って神社は、拝殿で参拝するとそれで終わりで、あとはせいぜい摂社巡りしかない。
そのため、私の神社参詣は、訪問先の産土神への挨拶という儀礼でしかない(その挨拶が30年以上なされなかったが)。
帰路に地元の店で昼食をと思ったが、開いてている処がなく、駅ビルに戻って名鉄百貫店(閉店発表済)の「きしめん亭」できしめんを食べた。


ここから名鉄鈍行に乗って1駅先で降り、駅名でもある妙興寺に行く。
ここは臨済宗の古刹で、五山の次の”諸山”と同格で、境内が広く塔頭もあって、京都の臨済宗寺院界隈の雰囲気。
境内中央の仏殿が無料公開されていて、中に入ると、案内の人がパンフレットを渡して説明をしてくれる。
中央の釈迦三尊像(南北朝時代)は、市の文化財レベルだが、しっかりした造りで、もう少し評価されてもいい感じ。
一方、同じ仏殿内の大応国師像は国重要文化財で、
外の勅使門も国重要文化財。
境内にはブッダガヤなどのインドの仏跡の模像や憤怒形相でない馬頭観音の石仏(写真:格子の間から撮ったため、このアングル)などもあって、かように寺だと見るものが多い。


寺の隣に一宮市博物館があり、”郷土博物館巡り”も追加できる。
常設展は、関東だと旧石器時代から展示が始まり、縄文土器がずらりと展開するが、ここは最初の展示が縄文晩期から。
濃尾平野に人が住んだのは結構後らしい。
真清田神社宝物殿にある舞楽面(重要文化財)はこちらで見れた。

企画展は「尾張の文人画」で、尾張には”煎茶”も盛んだったことがわかった(私も小笠原流礼法の教室で煎茶を習った)。


再び名鉄線に乗って「国府宮」(こうのみや)で降りる。
稲沢市にある国府宮神社の駅。
国府宮神社(写真)は、2月の裸祭りで有名。
その名の通り、ここも国府にまつわるので挨拶として参詣する。

拝殿の奥はその裸祭りで下帯一つの男たちが凝集する空間。
ここも拝殿での参拝で終わり、あとは帰るしかない。
神社を正面に拝む広く長い参道を歩いて駅に戻る。
できたら駅を越えて荻須美術館にも行きたかったが、徒歩では遠いので諦めた(15時過ぎていたので、間に合わない)。

以上、尾張北部の社寺+博物館巡りを終えた。


中高年登山者の滑落遭難

2023年10月10日 | 山歩き

山での遭難には、道迷いや疲労での行動不能が多いが、とりわけ中高年登山者(=登山者の大半)に目につくのは、バランスを崩しての滑落(打ち所が悪ければ即死)。

これは中高年固有の弱点によるもの。
何しろ、片足立ちの標準タイムは、年齢が高くなるにつれ短くなり、さらに”閉眼”を付け加えると、その標準タイムはグッと短くなる。

整地されていない普通の山道(斜面に岩や木の根が露出、あるいは崩壊地で、片側は谷底)はただでさえバランスを崩しやすい。
言い換えれば、平地の歩行では凍結でもしていなければ経験しないスリップ・つまづき現象が山道では普通に発生する。

ということは、山道ではスリップは起こりうるものとして、そうなった時の瞬時のバランス回復(転倒・滑落の防御)が重要となる。
その瞬発的バランス回復力が年齢に比例して落ちるわけだ。

このバランス回復には、まずは下半身のあちこちの筋肉の収縮力が必要。
簡単に言えば、直立を維持するための筋肉群の連動。

さらに、倒れない=重心からの垂線を足底部内に収めるための重力感覚が、姿勢を維持する動きの前提となる。
その感覚は内耳の耳石に由来し、そしてその感覚と筋肉反射とをつなぐ小脳の機能がポイントとなる。

中高年登山者は、これらが衰えている(きちんと鍛えていない)から、滑落しやすくなるのだ。

大学で山岳部だったが今では高尾山や御岳山レベルで満足している私でも、”閉眼片足立ち”のトレーニングを(ときどき)して、直立維持の筋肉群と小脳(の神経回路)を鍛えている。
なので、先日滑落死者を出した戸隠山の難所”蟻の門渡り”なら今でも平気で歩けるだろう→関連記事「閉眼片足立ちが困難な理由」。


今年の(加)松茸パーティ

2023年10月08日 | 身内

今年も母の誕生会(94歳)を祝うことができた。
もちろん、宴は例年通りの”松茸パーティ”。

ただし、今年は猛暑で長野産が全滅で、それより早いピークを迎える岩手産が、誕生会を例年より1週間遅らせたこともあって、シーズンを過ぎてしまい、いつも買うアメ横の店は私が名古屋から直行した時には、松茸の棚が空っぽだった。

茫然自失となったが、気を取り直して次善の策を考える。
店の親父が言うには、周囲の店で売っている「黒い松茸」は中国産だから止めといた方がいいという。
そして見た目は異なるが、カナダ産なら食べても遜色はないとのこと。

そのアドバイスを受け、アメ横の他の店を見て回る。
「長野産」と銘打ってある所は素通りし、正直に「カナダ産」を売っている店に立ち寄る。
そこには、一見日本産と同じ色(黒というより焦げ茶)・形の高値のものもあるが(長野産と称されてもおかしくない)、正直に「中国産」と表示してある。
そこで、それよりはるかに安い値札のカナダ産について尋ねると、色と形は日本産と異なるが、香りと歯触りは、中国産よりはマシだという(私の過去の経験でもそうだった)。
そしてカナダ産は”日本産”よりかなり安いのが嬉しい。
その店で、小ぶりの6本入り2箱と大ぶりの2本入りを、例年より安値で買った。

予算が余ったので、ついでに松坂屋デパートの地下に行くと、ここにも小分けのカナダ産が真の日本産よりはかなりの安値だったのでそれも買い(アメ横とデパートでのモノの違いを確認したい)、吉池では本シメジを買った(「香りマツタケ、味シメジ」と言われているので)。
すなわち、今年の松茸は全てカナダ(加国)産。

家で1本を4つに縦切りして2枚の大皿に盛るとこの壮観(写真:15本が60枚になる。黒い傘のものは本シメジ)。
切り落とした破片は、「松茸のお吸い物」(永谷園)と「松茸ご飯の素」(丸美屋)に混ぜる。
鉄板で焼くと、いつもの松茸の香りと歯触り(アメ横とデパートの違いもない)。
年一回のイベントだが、松茸を飽きるくらい思う存分食べることができた。

たとえカナダ産であっても松茸なので、他のキノコ類より1桁多い価格だが、それでも日本産のような2桁多い価格でないので、我々のような大家族で食べ放題しなくても、おかずの一品に添える程度なら、今の時期のささやかな贅沢として楽しめる。


ノンアル・ホッピーの試み

2023年10月06日 | 生活

10月に入り、発泡酒と第三のビールの税率が上がり、ビールの税率が下がったものの、まだ両者の差はあるので、後者の恩恵よりも前者の負担の方が響いている(そもそも酒税と消費税の二重課税が問題だ)。

実は、第三のビールよりさらに安いノンアルコールビールに目覚め、これなら日中でも罪悪感なしに、爽快になれることがわかった。
すなわち、以前の製品と違って、ほとんどビールの気分で飲めるのだ。

ただ、晩酌として飲んでみると、どうも物足りない。

そこで思いついたのは、ノンアルコールビールにアルコールを足せばいいのではということ。

家には、寝酒用の焼酎(25度)が常備してある。

ならば、飲み屋でやっている”ホッピー”(焼酎のビール割)よろしく、ノンアルコールビールに焼酎を少量足せばいい。
これを「ノンアル・ホッピー」と名付ける。

もちろん、入れる順はホッピーと同じく、まずグラスに焼酎を少量入れ、その上にノンアルビールを注ぎ、かき混ぜる。

すると、泡立ちが大きくなってまるで洗剤が入ったよう。
飲んでみると、ノンアルビールがちょっと薄まった感じで、ビールっぽい”キレ”が減った。
うーん、名案だと思ったのだが、ビールの奥深さを痛感した。

最近は、値段が手頃になった発泡ワインも嗜むようになった(発泡性が抜けない保存用のキャップを購入)。
寒候期にはビール的爽快感は不要となることだし、むしろこちらを晩酌のメインにしてみるか。


寒候期に入ったと感じた部位

2023年10月04日 | 歳時

10月に入って、にわかに寒候期に入る気配。

私は、主に露点温度でそれを客観的に観測しているが、温冷感覚として肌でも感じる。

それを一番はっきりと感じた部位は、半袖から出ている腕や、靴下をつけていなかった足ではなく

お尻。

そう、まずは朝、便座に座った時に冷やっとした。

そして洗浄機から出る水にも冷やっとした。

今までは、これら二つともそういう冷感はなかった。

そしてその冷感はともに快適ではなく、不快に感じた。

というわけで、数ヶ月ぶりに、便座の暖房・温水スイッチを入れた。

こうして現代日本人は、お尻で季節を実感する。


秋になった?

2023年10月02日 | お天気

10月1日までは夏だったが、2日からは秋になったようだ。

日較差が大きい気温ではなく、太陽光の影響を受けない露点温度(Dew point)を見るとその変化がはっきりする。

我が本駒気象台の観測グラフ(右図)によると、9月30日〜10月1日の間はほぼ同じ露点温度(22℃付近)だったが(この間気温は大きく2回上下している)、2日の明け方前に一挙に8℃下がって14℃になり、日の出を迎えた後も(気温は上がるのだが)、むしろ露点温度はさらに低下している(2日の1個目の縦破線は午前8時)。

前の記事(暑さ寒さも彼岸まで)で示したように、露点温度20℃のラインが、夏と秋との境と見ていた。

実際、夏のじめっとした空気から秋のさらっとした空気に入れ替わった感がする。
ちなみに厳冬期になると、露点温度は日中でも0℃を普通に下回る(→降水時の露点温度の挙動)。
ということで、露点温度は今後は下降トレンドとなる。


二子玉の玉川大師

2023年10月01日 | 東京周辺

10月1日(都民の日)を迎えたが、まだ暑くて山に行く気になれない(汗びっしょりになる)ので、近場の行き先を探していたら、二子玉(にこたま)にある玉川大師・玉眞院は地下洞窟の仏像群で有名なことを失念していたことに気づいた。
より正しくは、行った気になっていたが、訪問先の映像記録・記憶が全くなく、実際には行っていないという結論になった(かくも人間の記憶っていい加減)。
すなわち、都内の仏像探索の寺の中で行き忘れていた。


田園都市線の二子玉川(ふたごたまがわ)で降りるのは、この地から多摩川に注ぐ野川を歩いた時以来(→野川を歩く1)。
ここは世田谷区の西南端で東京23区の端っこという”場末の地”だったが、再開発が進んでむしろこのあたりの中心地に変貌した所。

まずは腹ごしらえと、事前に「二子玉川 ランチ」で検索したら、1000円越すおしゃれな店ばかり。
その中で1000円切る五目焼きそばがある町中華を目指して駅前のビルを通り抜ける。
※:私の選択肢からラーメンが消えて久しい

古い商店街に出たところにあるその店には少なくない人数の行列が。
やっぱり地元民はこういう所に並ぶんだ。
だがそのため私は昼食にありつけず、かといって商店街の店で昼時にガラガラの店に入るのも気が引ける。
店を探して歩いているうちに、玉川大師に着いてしまった(写真)。


靴を脱いで堂内に上がり、中の人に言われるままに、本堂内陣に沿って歩いて薄暗い中、本尊(大日如来)や不動明王などを拝む。
そして地下霊場の説明書きを読んで、500円払って、サンダルに履きかえて、暗い階段を降りる。
この地下霊場は、大日如来の胎内であり曼荼羅でもあるという。
中は文字通り”真っ暗”で、善光寺の戒壇巡りを思い出す。
右手で壁に触って、それに沿って暗闇を進む(幸い天井は高いようで頭をぶつける心配はない)。
やがて、薄明かりの空間に達し、そこからは、四国八十八ヶ所と西国三十三ヶ所の霊場を示す弘法大師像・観音像を中心とした石仏群がひしめく。
それぞれの石像の前にはリンやガンモモがあるので、適当に間を開けてそれを鳴らす。
ある場所では、釈迦の大きな涅槃像があり、天井もしっかり模様が彫ってある。
自宅にもある愛染明王や吉祥天像の前では覚えている印を結んで真言を唱えた。

最後に階段を上がって本堂に出る。

洞窟内は撮影禁止なので、堂外に出てカメラ(ライカ!)のシャッターを押したら、知らぬ間に考えられない設定になっていた(どこかのボタンの押し間違い程度でなる設定ではない)。
考えられない設定なので、その設定を解除する手順がわからない。
※:シャッターを押すとピント調整しながらの動画撮影になってしまう。もちろん通常の動画撮影のボタンは別にある。ここに揚げた写真はアプリでその動画から静止画にしたもの。

デジカメを含む電子機器は霊がいたずらをするという(霊は電磁波として存在しているためらしい)。
私は、かように寺とかをよく巡るので、そういう機会に遭いやすいのかもしれない。→文末の追記参照


そのカメラのまま、地元鎮守の瀬田玉川神社を参拝し、隣の慈眼寺はに行くと山門の四天王像が現代芸術家の作品だった。
そこからスマホのナビを「静嘉堂文庫」に合わせて、その指示通りに住宅街を進む。

そしたら「旧小坂家住宅」という公園風の所に出たので、寄り道して中に入ると、立派な民家があり、ご自由にお入りくださいと書いてある。
玄関の扉を開けると、中から私よりやや年上そうな女性が出てきて、屋内を説明するという。
それに甘えて、靴を脱いでまずは和室の居間で説明を受ける。

この家は、小坂順造という長野市出身の実業家の別荘で(本宅は都心)、高台から多摩川と富士を望む景勝の地で、建物自体も和洋折衷で意匠を尽くしている(区指定有形文化財)。
順造の3人の息子(善太郎、善次郎、徳三郎)はいずれも政治家となり(大臣経験)、長女は美濃部亮吉元東京都知事の妻となった(後に離婚)。
※:コメントの指摘を受けて訂正。そもそもこの三男がここを地盤に議員になり、運輸大臣にまで登り詰めた。

敷地には土地の高低を生かした回遊式の庭園もあり、今は区が管理して案内付きながら無料だが、庭を整備すれば入場料を取ってもいい所だ(世田谷にはこういう邸宅が多そう)。

ただそこの人がいうには、今は静嘉堂文庫は閉まっており、公園自体も日曜は入れないという。
それを聞いて静嘉堂に行くことは諦め、ナビを二子玉川駅に変更した。


駅周辺であらためてランチの店を探したが、私が求める駅そば・町中華レベルの店(1000円未満の単品で済ませられる)がなく、諦めて帰ろうと田園都市線の改札に入ると、なんと改札内に「渋そば」を発見。
「渋そば」は渋谷駅で必ず利用した駅そば。
なるほど渋谷から出る東急線沿線は「渋そば」があるのか。
※:小田急線沿線は「箱根そば」。京王線沿線は「深大寺そば」に統一してほしい。
迷わず店に入り、ちくわ・かき揚げのW天そばを注文。
ここの存在を知っていたら、往きの改札を出る前に寄っていたのに。

これで安心して今後も二子玉に来れる。

おっと、その前にカメラの設定を直さなくては(→とりあえず「初期設定に戻す」メニューを選んだ)。
追記:改めてカメラを見直したら、本体上面に押したことのない小さなボタンがあり、それを押すと上記の設定になっていた。要するに無自覚での操作であって、霊の仕業ではなかった。