今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

母が膝の手術

2020年11月28日 | 身内

91歳になる老母が、膝の手術のために入院し、昨日、手術を終えた。
もともと膝が悪く、老化で軟骨がすり減っているのを、あちこちの医者に通ってだましだまししてきたが、
このコロナ禍でずっと家にいたせいで、膝関節の負荷を補っていた筋肉が衰えて、痛くて歩行困難になってしまった。
ほんとうにこの半年でダメになってしまった。

そこで最後の手段である、膝関節に金属板を入れる手術を決意した。
言い換えると、今後も元気に歩きまわる人生を目指しているのだ。

両膝とも要手術なのだが、片膝につきリハビリが3週間もかかる。
両膝同時に手術をすると年末年始も入院生活になるので、まずは片方をやり、もう片方は年明けとした。

手術は全身麻酔のため、それに脳梗塞治療で血小板の働きを抑える薬を飲んでいたため、それなりのリスクを背負うので心配だったが、2時間の手術が無事に終えたのと知らせを、帰京中の新幹線で受けたので安心した。

翌日、さっそく見舞いに行きたいが、病院では今のコロナの時期、面会を断っている。
なので、見舞いではなく、荷物を届ける用事で行った。
コロナ第三波で、家族感染が増えている今、面会謝絶の病院で入院している方が安全だ。
ちなみに私は、先週の大学の入試業務の前後一週間に亙(わた)って毎朝検温・体調のチェックをしているので大丈夫。

母は術後1日目なので、まだリハビリはせず、傷口からの感染予防のための点滴のみ。
上半身は元気なので、退屈このうえなさそう。
家から持ってくるものはないかと尋ねたら、川島教授の脳トレのドリルを持ってきてほしいと。
そのドリル、書いては消して、繰り返し使っているのだという。
数年前、脳梗塞で入院していた時、同室の老婦人が日に日に認知症になっていくのを目の当たりにしていた。
わが母ながら、認知症予防にしっかり対応していることに感心した。
その母がいない間は、私は実家でも自炊生活となる。


愛車の車検

2020年11月26日 | 生活

わが愛車(FIAT500S)の二度目の車検を迎えた(ディーラー車検)。
2年前の前回の記事を見ると20万かかっていた。
今回も同じ。

いちおう外車(イタ車)なので、ディーラーでないと部品調達に不安があるし、名古屋宅からごく近い場所にあって、代車も用意してくれるので便利ということもある。

毎年に置換えると10万/年の出費となる。
考えてみれば、通勤だけなら車がなくても可能で、主に使うのは月1程度のレジャー用途だ。
そのための維持費(さらに駐車場代と保険料)を考えると、つくづく車って贅沢品だと思う。

ちなみにここで車検を受けると、タイヤやガラス・ボディの補償がつく。
実際先月、タイヤがパンクしたが、タイヤ交換が無料ですんだ。
それを考慮に入れると、もう少しコストが下がるか。

もっとも日頃は慎ましく生きているので(名古屋宅は賃貸ワンルーム、自炊で昼食抜き、雑貨は100円ショップ、服はユニクロ、本は研究費から)、車が唯一のささやかな贅沢ともいえる。


論文原稿提出

2020年11月24日 | お仕事

本日、論文の原稿を提出した。
大学教員は、現役の研究者として、論文を生産し続けるのも仕事のうち(だから大学から研究室が宛てがわれ、研究費をもらっている)。
それを授業に反映させることで、オリジナリティのある教育もできる。

私は年2本の論文(投稿者は論文数を”本”で数える)をずっとノルマにしてきたが、残念ながら今年は、この1本限り。
一昨年に続いて、ノルマ未達成となってしまった。
今年はコロナの影響を言い訳にしたいが、それだと一昨年が説明つかない。
一昨年と共通しているのは、役付きになって大学業務が増えたこと。
その忙しさにいまだに適応できていないのか。
それに研究方向が新たな難所にさしかかって、過去の延長では済まない状況であることも大きい。
それを突破するには、かなりのエネルギーと手間が必要なのだが、それが得られない状態になっている。

とはいうものの、最低限ならが1本分の研究を進めたのだから、今晩は慰労の祝杯。
食事も豪勢にしようかと思ったが、カロリー考慮のため(運動不足なので)、いつも通りで、飲み残したボジョレー・ヌーボーを空けた(いつもは第三のビール)。


フランス・ワインの新酒祭を日本で祝う

2020年11月19日 | 歳時

本当は熟成がものをいう赤ワインだから、荒々しい新酒など賞味するに値しないというワイン通のご意見もご尤もだが、晩秋に一年の収穫を祝うというのは、農耕民族にとっては一年で最大級の祝祭事であり、食への感謝は基本中の基本だから、これを祝わないわけにはいかない。

ワインは人類が生んだ最高傑作の酒(の1つ)であり、その本場フランスのワインの収穫(新酒)の喜びを、遠く離れた日本でも同時、いや真っ先に開催できることはこのうえなく嬉しい。
それでなくても酒はそれ自体が人の心に幸福感を与える人生の友である。

夜まで続いた授業を終えて、終点の駅に降り立ち、”やまや”でボジョレー・ヌーボーを買う。
今回は酸化防止剤無添加のを選んだ。
そして、パスタの夕食の前にコルク栓を抜き、あっという間に瓶の半分ほど空け、いささか酔って、実にいい気分(アルコール度数が13%なのでちょっと高め)。

どうせなら、日本酒の新酒(あらばしり)祭も大々的にやればいいのに。
酒をおおっぴらに飲める記念日を増やしてもらいたい。

ついで本日、名古屋東端のわが愛する”藤が丘”(名東区)の”やまや”の並びに書店が開店した。
このご時世で、閉店ではなく”開店”だ!
レジ前には行列ができていた。
住民みんなで応援したい。

住む町に本屋があること、これも私にとって重要。


予約抽選制の国会図書館

2020年11月17日 | 生活

コロナ禍の緊急警戒宣言中は閉館していた国立国会図書館(千代田区永田町)だが、今は予約・抽選制で開館している。

1度目は抽選に漏れたが、2度目で予約が取れたので、久々(もしかしたら今年最初)に足を運んだ。

入口は旧館のみで、まず手指消毒が求められ、次いで赤外線カメラの前に立って体温を測定される。
OKがでると、次に入館手続として利用カードを提示する。
予約当選者として認められるとやっと入館が許される。

ここから先は、いつも通り、ロッカーに荷物を入れ、携帯品は透明の袋に入れて、警備員の前を通り過ぎて、入口ゲートに利用カードをかざすと、ゆっくりゲートが開く。

旧館は、ノーパソ持参の作業がしにくいので、新館まで行き、ほとんどガラガラの閲覧室(一人置きのスペース)に荷物をおく。
所蔵図書の閲覧手続きなど、通常業務はいつも通り。
旧館3階の喫茶室も平常通り開館しているが、6階の食堂は閉鎖。
ただし数種類の弁当が売られていた。
私には、普通の弁当は多すぎるので、売店で小振りなのり巻きセットを買って、ガラガラの食堂で食べる。
食堂のテーブルはアクリルガラスで覆われ、一人置きの椅子になっている。

閲覧室では一人当りのスペースが広くとれるので、落ち着いて作業できた。

夕方4時になったので、出口に向うと、入口に行列ができていた(スペースをあけるので長くなる)。平日16時以降は、予約無しでも利用できるのだ。

国会図書館との往復だけでもいい歩行運動になるので、また予約したい。


高坂を歩く

2020年11月15日 | 東京周辺

高坂(たかさか)は、埼玉県のヘソに位置する東松山の東武東上線で1つ手前の駅(行政的には東松山市)。
ここを名字の地とした高坂氏(秩父平氏の一族)の拠点で、また武蔵七党の児玉党の小代氏の拠点でもあった。
このように武蔵中央部は畠山氏や比企氏など頼朝の鎌倉幕府を支えた武蔵武士の本拠地である。

狭心症の症状もなんとか治まっているので、でも無理は禁物のため、ほとんど平地の高坂の名所を訪ね歩くことにした。

高坂駅の東口に下り立ち、コンビニで昼食用のり巻きを2本調達。
宅地開発されたばかりの住宅街を進んで、土塁が長々と残っている高坂館跡に着く。
そこは高済寺の境内になっていて、土塁のてっぺんに、この寺を菩提寺にした旗本加賀爪氏累代の墓がある〔写真:その下にあるのは家臣一族の墓)。
土塁に上ったりして、境内を散策していると、墓参りに訪れた初老の男性が話しかけてきた。
なんでもこの土塁は昔は杉林だったが、市が木を全て切って土塁を丸見えにしたという。
ついでに私が首から下げていたクラシックなカメラケースを讃めてくれた(中のカメラはライカなのでもっと自慢したかったが)。

そこから南に向って小川沿いの遊歩道を歩く。
この小川にそって湧水がある。
脇のベンチに座って、のり巻きを食べていると、幼児を連れた若い父親が通りすがりに挨拶してくる。
都内ではなかなか経験できない。

小川に沿ってさらに歩き、ため池の所で台地にあがると、世明寿寺に出る。
農村地帯にある寺の風情で、寺を取り囲む壁がなく境内があけっぴろげ。
鐘楼があり、珍しいことに、参拝の最初に鐘を突けと書いてある。
たいていの寺が勝手に鐘を突くなと書いてあるのと正反対。
指示通り、気分良く鐘を突かせてもらい、仁王像のある山門をくぐって、本堂に行く。
ここには南北朝時代作の千手観音像と二十八部衆の像があるのだが、本堂の扉は閉まっている。
中を覗ける隙間があるので覗いてみると、薄明かりの中、金網の奥に本尊とまわりの仏像が見えてくる。
結構いい造りらしいので明るい中で見れないのが残念。
外の石仏群に、凝った造形の如意輪観音像があった(写真:惜しいことに鼻が欠けている)。

ここから一本道を西に向い、無人の高坂神社を過ぎ、踏み切りを渡って駅の西口に達して、バスに乗る。
バスは西の丘陵地帯を上り、「大東文化大学」で降りる。
その先に、公衆トイレがあり、その奥に物見山展望台がある。
標高135mの物見山なら、今の体でも大丈夫。
同じバスに乗ってきた若いOL4人組がピクニックよろしく地面に敷物を敷いて弁当を食べている。

道路の反対側に行くと、雰囲気がぐっと変って、岩殿観音(岩殿山正法寺)の年季の入った観音堂に出る。
本堂脇に立派な大銀杏があるが、あいにく黄葉には早かった。
ただ、あちこちで絵を描いている人がいる。
本尊の金色に光る観音様を拝み、本堂後ろの岩に置かれている観音霊場の石仏を拝む。
鎌倉時代の女性が奉納したという銅鐘は、突いてはいけない(写真は鐘楼から本堂方面)。
ここは正法寺境内の最上部で、ここから石段を降りて、観音札所で御影を買い〔100円)、さらに下って一直線がつづく旧門前町を通り抜ける。
左右に並ぶ家は、門前町のあった昔からの旧家のようで、各家の前に屋号の札がある。
門前町入口をすぎてさらに直進すると、高さ2.6mもの大日如来種子板碑(鎌倉時代作)が墓地の斜面に建っている。
前回の東大和も同じく、武蔵の中世遺跡として板碑が特徴。
そして正面には赤い橋のかかる弁天池がある。
橋を渡った島には小さな弁天堂があり、中を覗くと江戸時代の髪形の弁天様が拝める。
この池は、坂上田村麻呂が悪竜の首を埋めたという伝説があり、それ以来カエルが鳴かなくなったので「鳴かずの池」の別名がある。
民家の前の細い道を進む。
もう、住民とすれ違う時は私から挨拶する。

足利基氏の塁跡(堀が2箇所ほど残っている)を最後に、バス停に向う。
徒歩での名所巡りには、細かい名所と人が通れるだけの細い道が載っているGoogleマップが最適だが、残念なことにバス停が載っていない。
バス停が載っているYahoo!MAPに切り替える(こちらは車道しかない)。
幸い5分ほどの待ちでバスが来た。
高坂駅に着いて、すぐに電車に乗らず、もう一軒立ち寄る所がある。

埼玉だと、駅前にたいてい「ぎょうざの満州」がある。
そこで餃子をつまみにグラスビールを飲むのが、埼玉歩きの”締め”の行事になっているのだ。


東大和を歩く

2020年11月08日 | 東京周辺

東大和(ひがしやまと)って言われてもピンと来ない人がいると思うが、都下の(有名な)東村山市と武蔵村山市の間にある市で、都民の水がめの1つ多摩湖(村山貯水池)を擁している(ならここも広義の”村山”の一部といえる。ちなみに”東”大和と名乗ったのは、神奈川県に大和市があるから)。

その多摩湖を抱える狭山丘陵の南側を歩くため、東大和市を訪れた。

※東京に属す多摩湖と埼玉県の狭山湖(山口貯水池)を擁した、関東平野南部に孤然と残る丘陵。もともとは奥多摩の山続きで、南の多摩丘陵とも繋がっていたという。その後、青梅の東側に、南行する多摩川と北行する霞川・不老川で形成された扇状地によって開析されずに残った残丘という。

そもそも、秋の盛りなので本当は紅葉の山に行きたいのだが、狭心症持ちになったのでそれは諦め、ほとんど平地の狭山丘陵歩きにしたわけ。
もう一つ、その狭心症発作の引きがねになったのは、実は、ネットで買ったウォーキングシューズがはき慣れなくて、それを無理して近所を歩いている時だった。
”余裕のある靴”から”ぴったりの靴”に宗旨替えして、ぴったりの靴を買うのだが、最初の数ヶ月は足に合わせるのに痛い思いをしなくてはならない(それを過ぎれば足にぴったり)。
その靴を足に慣らせるためのウォーキングの目的である。

西武多摩湖線の「武蔵大和」駅(なにげにすごいネーミング)に降り立ち、目の前の丘陵を眺めながら、まずは地元の日本画家・故吉岡堅二画伯邸(屋敷風の門)を外から見学し、清水観音堂で本尊を扉の隙間から覗き、丘陵ふもとの円乗院から丘陵の一部を占める都立東大和公園の雑木林の中を歩く。
地面はドングリの実の絨毯。
水源でもある二つ池のベンチで、コンビニで買ったおにぎりを食べ、南進して丘陵を降りて、麓の雲性寺の庚申塔を見る。
付近を歩いて、このへんの駐車料金は月額8000円だとわかる。

東大和市立郷土博物館に立ち寄る。
ここにはプラネタリウムがあり、丁度開演1分前だったが、ヨソ者としては地元の常設展の方を見たい。
多摩湖は大正年間に、人口が爆発的に増えた東京都(市)民の水源として、丘陵内の東西に延びる谷地を水没させてできた人造湖で、立ち退く住民の葛藤の歴史がわかった。
一方、江戸以前の説明は、封建時代=暗黒時代というイデオロギー的視点を出し過ぎているように思う。
吉岡堅二氏についての展示もあった。

博物館の裏手から丘陵に入り、見事な竹林を抜けて、雑木林の中の木道を上下して、鹿島台という多摩湖を構成する東西の貯水池を区切る堰堤の南端に出る。
そこから堰堤となる多摩湖橋を半分まで行って、左右の多摩湖を眺める。
貯水池自体を工事しているようで、特に西側の上貯水池の水が抜かれて、渇水状態になっている。
ここから、南麓の豊鹿島神社に降りる。
ここにはキノコ型の四阿?があり、キノコ好きにはたまらない光景(写真:傘の内側に照明もある)。
この神社は一帯の鎮守で、室町時代の社殿が都の有形文化財になっている。
この神社の入口が青梅街道で、丁度立川駅行きの西武バスが来たので、それに乗り、西武拝島線の「東大和」駅前で降りた(どうもこのあたりは、。東○○と武蔵○○が併用される傾向にある)。

途中、きつい道で胸が詰り気味になったが、痛むほどではなく、また靴もだいぶ足になじんできて、以前のような歩行困難なほどの痛みはなくなったが、まだ爪先がきつい。
靴の足慣らしは今後も必要だ。


カエル館での新課題

2020年11月03日 | 茶臼山カエル館計測

明日から半年ほど冬期閉鎖となる茶臼山カエル館にて、最後の計測をした。

計測項目は、環境から生体反応にシフトしているが、ビリビリ感を皮膚電流で計測する試みはうまくいかなかった(むしろ電流が減る傾向すらあった)。

それと新たな問題として、磁気異常を示す空間以外での異常感覚(ビリビリ感、温熱感)を訴える人が増えたこと(カエル館の中にパワースポットがあるのではなく、カエル館全体がパワースポット化している)。
しかも訴える人の間でその場所がほぼ一致していながら、そこにはなんの物理的異常はみられない。
すなわち、感覚の原因となりそうなものがまったく見当たらない。

そうなると物理的には計測できない”何か”を想定するしかないのだが、その想定の根拠がなくては、研究レベルにはなれない。

電場・磁場の計測以外に、ダウジングもやってみたが、これは学術研究の計測にはならない。

半年後の開館後は、反応者から詳しく情報を得ることから始めたい。


月瀬の大杉での静電位異常

2020年11月02日 | 計測

長野県根羽村月ヶ瀬にある大杉は、県内第一の巨樹(天然記念物)で、一見の価値がある(写真)。
国道沿いにトイレ付きの駐車場があり、そこから歩道の吊り橋を渡って行ける。

私は幾度も訪れているのだが、以前、この大杉に立ち入らないよう取り囲む縄張りの静電位が異常に高いことがあった。
今回(昨日)、再び測ったら、縄張りの大杉に近い南半分(駐車場から行った場合左半周。写真の杭が映っている部分)の上下2本平行に張ってある上の方の縄の静電位が異常にマイナス側に高かった(イオンバランスを見ると、電荷のほとんどがマイナス)。
普通、屋外の空気中の静電位はほぼ0(kV)で、水が落ちる流れの近くだと若干マイナス側にブレる程度。
測器を縄の上から大杉に近づけると0に近づいたので、縄そのものが静電位をもっているのがわかる(下の縄も0)。
材質上静電位をもっても不思議ではないが、発生した原因がわからないし、また縄張りの残り半分の静電位は0に近い(これが正常値)ので、一部だけ静電位が高いのが不思議。
大杉に近づきたい見学者の服が擦れたのかなぁ。

大杉そのものの値でないので、大杉のパワーとはいえないが、このように物理的パワーが偏っている場所であることは伝えておく。


カエル館でのビリビリ感を測る

2020年11月01日 | 茶臼山カエル館計測

冬期閉鎖間際の茶臼山高原カエル館(長野県根羽村)に訪れ、館内のパワー・スポット(私が唯一認めるパワー・スポット)でビリビリ感を得る人の計測を試みた。

来館者の半数は、このスポットで温熱感あるいはビリビリ感を得る(これほど高頻度にパワーが実感されるスポットは他にない)。
温熱感は実際に皮膚温が上昇することをサーモグラフィで客観化できるが、ビリビリ感を測るのに難儀している。

ビリビリ感をもたらすのは電気なのではないかと仮定する。
まず体表面を静電位計で測ったが、静電位の発生はみられなかった(強い磁場ではあっても直流なので、電場は発生していない)。

次に皮膚の電流を測るべく、ノイロメーターの一種である、良導絡測定器(製品名「ロイヤルエイト」)を購入した。
この機器は「良導絡」というほぼ経絡の電気鍼治療に使うものだが、皮膚に電圧(V)を与えてその電流(μA)を計測するものなのでその用途で使う。

カエル館館長に、私が訪問する日に、ビリビリ感を得ている常連客(カエル館のスポットでパワーを得るため高頻度に来館する人たち)に集合してもらった。

まず館外で、手の平の特定点の電流を測定し、次いでスポットに座ってもらって、ビリビリ感が来たら、その場で同じ部位の電流を測定した。
客観的に位置を確認しやすい特定点(労宮近傍の手相線分岐点または交点)での反応性がおしなべて弱かったので、与える電圧は良導絡の通常測定に使う12Vの倍の24Vとした。

5名を測定した結果は、上の2箇所で変化があったのは1名で、他の4名は変化がなかった(うち1名は0μA)。
変化した1名も、スポットでの方が電流が下がった。
仮説的には、ビリビリ感は交感神経の興奮によるもので、それによって皮膚下の電流が増えると思ったのだが、この方向での変化は0名だった。
すなわち仮説は支持されなかった。

もちろん、部位によって、すなわち良導絡でない部位では電流が流れにくいので、値が出そうな部位を探索しての結果である(値が0μAの人は、手のどの部位も0μAだった。おでこではきちんと反応した)。

ということで、ビリビリ感は皮膚下の交感神経の興奮としての生理的確認ができなかった。
すなわち、スポットで感じるビリビリ感は、皮膚内外の電場によるものではない、ということになる。
手が尽きてしまった。