今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

表土除去効果

2011年04月30日 | 東日本大震災関連
福島県内の小学校では、校庭の表土の線量が高いため、屋外活動が制限されていた。
そこで、表土を除去したら、たとえば郡山市の薫小学校では、3.9(μSv/h)から1.0に下がったという。
空気中の値が郡山市役所で 1.6だったから、かなり効果があったといえる。

言い換えると、原発からの飛散量は今はごく微量のため、減少分の方が多いのだが、
3月中ごろの水素爆発での大量飛散した放射性物質の堆積分が、現在の高水準を維持していると思われる。
だから、表土の除去が有効となる。

ところが、新たな問題が発生する。
除去した表土のもって行き先。

居住地の近くだと、当然付近の住民は反対する。
だから、搬出先は、人の住まない(水源地でもない)土地で私有地でない所とならざるをえない。
しかもきちんとした保管が必要
(できたら野積みではなく、コンクリートなどで封じ込める。あるいはヒマワリ畑にする)。

これには、新たな調整が必要だが、
県内各地の行動制限(避難も含める)を改善する選択肢にはなるはず。

岡本太郎展

2011年04月29日 | 東京周辺
東京国立近代美術館で、生誕百年を記念した「岡本太郎展」を観てきた(5/8まで)。
岡本太郎は、死後もその評価が衰えず、
私自身にとっても、彼の話題に接するたびに、ますます興味が湧いてきていた。

私にとって最初の出会いは、彼の著作『日本の伝統』(講談社)で、
縄文の火炎土器の美を衝撃的に再発見させられた。

彼は”芸術”(絶え間ない自己否定・自己対決による自己超越)を体現している。
芸術とは何か。彼が答えである。

彼の作品は直観的に理解しがたくても、彼の言動はストレートに本質をついて分かりやすい。
まったく虚飾もごまかしもないから、文句も言えないほど分かりやすい。

自分の生き方・在り方に迷っている人がいたら、岡本太郎の作品や著作に接してみるといい。

ちなみに、上の”自己否定”は芸術における自己(既存の芸術)否定であり、
この世の生きとし生けるものの”存在肯定”が彼の思想の本質。
だから勇気づけられる。


「100000年後の安全」

2011年04月25日 | 東日本大震災関連
この秋公開予定だったが、福島原発の事故を受けて、
急きょ公開されている
映画「100000年後の安全」を観てきた。

原発の本質的問題点は、今回のような”事故”ではなく
(水力発電用ダムの決壊事故と同様、それはあってはならない)、
安全に操業を続けた結果の、”放射性廃棄物の処理・管理”の問題であったはず。
原発への態度は、この問題を避けて通れない。

映画はフィンランドに建設中の
(十万年経たないと安全にならない)放射性廃棄物の永久処分場の工事現場の映像と、
関係者のインタビューのみのシンプルなもの。
決して、反原発の主張を声高に叫ぶものではなく、観る者各人に結論を委ねる態度。

だから、この映画を観て、その厳重な管理計画に安心することもありうる。

ただ、一万年後、五万年後の人類の後継者たちに、その保管場所の危険性をどう知らせるか、
その責任は現代のわれわれにある。
その責任をわれわれに背負わせるのが、原発から出る放射性廃棄物である。

飯舘村内でも約10倍の線量差

2011年04月24日 | 東日本大震災関連
明日の月曜にでも、復旧した東北新幹線を使って、
飯舘村内のより詳細な放射線量を測り(そしてネット公開)に行こうかと思っていたが、
最近やっと原発周辺地域の細かい放射線量測定が公開されたので、その必要はなくなったようだ。
本来、私のような一個人がやるべきことではなかった。

たとえば4月23日19時の公表結果によれば、
飯舘村の南端の「長泥」(エリア番号33)では13.8μSv/hもあるが、
西端の「二枚橋」(63)では、1.5μSv/hしかなく、福島市や郡山市と同じレベル。
このように同じ村内でも約10倍近い差があることが確認できる。

これにもとづき、住民側に立った対策を考えれば、
家畜などを見捨てて全村レベルで避難する必要が本当にあるのか、
場所によっては避難する必要がなかったり、村内の移動だけでも済むかもしれない。
同じことは、もちろん他の自治体にも言える(より原発に近い地域はやはり全員避難しかないと思うが)。

原発敷地内の活動と周辺地域の住民、そしてその外側とでは、
安全基準と危険基準との間の”開き”をうまく利用して、現場の実情を考慮した行動基準を複数設けることが可能だ(実際、原発敷地内では危険基準ぎりぎりに設定している)。

たとえば、被曝の年間許容量を算出する場合も、
過去一ヶ月や現在の値をそのまま、今後一年の積算量に外挿するのではなく、現在の減少率も外挿して(今後減少し続けていくと前提して)算出したほうが、実際の被曝量の積算値に近いといえる(原発本体が安定していることが前提)。
このように、住民側に立った発想をして、安全を確保しながらも、もっと柔軟な対応をしてほしいものだ。

訃報に接して

2011年04月22日 | 時事
昨晩、ニュースステーションでの速報に接して以来、
今日一日、頭の中でキャンディーズの曲が鳴り響いていた。

当時、熱烈なファンというわけではなかったが、
自分の同時代の、自分の人生の一時期を象徴する”偶像(アイドル)”
だったことに気づいた。

それにしても、長く辛い闘病生活を送っていたとは…

合掌

二代目ミニで茶臼山高原

2011年04月19日 | 
買い替えた中古のミニ(クーパー)で、初の遠出をしたく、
愛知県の最高峰茶臼山の直下標高1230mにある休暇村茶臼山高原に2泊した。
なにしろAT車を所有するのは初めて。
燃費が前のMTミニの半分で、しかも燃料タンクが小さいので、給油無しで往復できるかどうかが気になる。

数日前から風邪を引いてしまって、車以前に自分の体の調子が悪い。
熱はないのだが、体の節が痛く、特に睡眠中の体重に不均衡が発生したのか、右腰がとても痛く、うなり声をあげる程だった。
出発の前日が最悪の状態で、起きている事もままならず一日中ベッドで臥せっていた。
それが養生になったのか、出発の当日は、気分も良くなり(右腰は相変らず痛い)、運転はできそうになるまでは回復。

革のボストンバッグをミニの屋根に載せて、出発。
長い上り坂など、思わずギアを変えたくなるのをガマンして、Dレンジを通して走る。

茶臼山高原は、年に1回は訪れている。
ただ4月の今の時期に来たのは初めてで、スキー場には残雪が豊富に残っている。
冬が終わったばかりという感じで、木々はまだまだ冬枯れ状態。
なので、5月以降の芝桜や新緑、あるいはネバタゴガエルの頃に較べると、たしかに風景的にも見映えがしない。
その分、観光客も少なく、宿も難なく確保できた。

リフトも停止中(まさにオフシーズンの証拠)のため、残雪を踏みしめて誰もいない萩太郎山の斜面を登るというのも貴重な体験だ。
残雪の端の雪が解けた地面には、初々しい草の芽が生えている。
そして、その新芽を求めて野生の鹿が大勢やって来たのだろう、
粒状の糞が至る所に散らばっている。
自然の営みを感じながら、(糞のない)地面に座る。

誰もいない山の上で、ただ一人視野いっぱいに拡がる風景を眺めている孤独感が心地よい。
冬が終わったばかりの中、黄色い水仙の花だけが乾いた地面から色彩を放っていた。
帰りの高原道路で野生のカモシカと出会えたのも、オフシーズンのおかげ。

心配したガソリンだが、帰路は下り道ばかりで、アクセルを踏むことも少なかったためか、
かなり余裕で帰れた。
※、数日後、ガソリンを満タンにして、燃費を確認したら、 13km/Lだった。
街中の燃費から倍近く増えた。
前の MTミニが15kmだったから、まぁこんなところか。

飯舘村への対応のまずさ

2011年04月17日 | 東日本大震災関連
福島県の飯舘(いいたて)村が「計画的避難区域」に入れられ、住民が困惑しているという。
政府の二重の判断ミスのつけを住民が背負う事になるので、住民が怒るのはもっともだ。
すなわち、避難させるべき時期に避難させなかったミスと、
生活再建が可能になりはじめる時期に、その可能性を棒に振らせて避難を促すミス。
現地の放射線量の値を見れば、(その解釈ができる者ならば)もっとましな判断ができた。

放射能汚染が発生したら、常識的には、まず放射線量を測りに行くものだ。
それなのに原発からの”距離”を基準にするとは、実情=放射線量を無視した形式主義だ
(政府は民間企業の責任ということで、東電にやらせたかったのだろうか。
いや本音は放射線が怖くて現地に計測に行けなかったので東京で形式的に処理したのだろう)。

避難の根拠になっているのは、年間の積算被曝量であるから、
今までの異常に高かった一ヶ月間だけ避難していれば、値が低くなり続けている現状の傾向を期待するなら、
むしろこれから帰宅の見通しが立ちそうなほどだ。

ところが、政府はその高い一ヶ月間、住民を放置していたため、
彼らの積算被曝量がその期間に高まってしまい、今後の被曝許容量が少なくなってしまった。
だから今の値でも残念ながら避難が望ましいのだ。

そもそも今の飯舘村役場の値は、3月の高かった頃の福島市のレベル。
福島市はその値の頃、避難のひの字も出ていない。
そして、今の福島市が1μSv台に下っているように、飯舘村もやがて下っていくだろう(これが大前提だが)。
すなわち、今まではともかく、これからは生活再建が可能な段階なのだ。

むしろ、これからは避難ではなく、生活再建へ向けて、もっと積極的に地上の放射線量を減らすことができないか。
たとえば、今の高値が3月15日の飛散の結果だとすれば、土壌の表面を取り除けば、空気中の値もかなり下ることが期待できる
(ただし表土は放射性物質が堆積して、空気中の4倍は放射線量があるので、作業は防護服を着て慎重に!)。
取り除いた土壌は、ヨソへもっていくわけにはいかないから、村内の人家から離れた空き地に集めて厳重に管理する。

あと、村内でも値が一様ではいはずで、確かにやたら高い地点(役場より南)もあるが、
それほどでもない地点(可能性として役場より北)があるはずなので、
低い地点があれば、見知らぬ土地へ行くより、村内の移動で収めるという手もあろう(私権の問題が色々あろうが)。

村民が、どこに避難すればいいのかは、この一ヶ月間の積算値(ホントは居住地によって異なる)をもとに、
来年の三月までの積算値が、たとえば年間被曝限度を越えない場所にすればいい。
こういう数値にもとづく客観的判断は簡単にできるのに、今の政府はそれさえやれない。

国民の安全と健康を守る能力がない今の政府が(自己の延命のためにのみ)続いている事自体が、
東日本大震災の一部になっている。

放射線の根本的疑問が残ったまま

2011年04月16日 | 東日本大震災関連
多くの日本人が、放射性物質から発せられる放射線について学んだと思う。

実際、書店には、放射線問題をわかりやすそうに書いた本が多く積まれている
(その中で最もよく売れているのは、不安・恐怖を正当化する類いのようだが)。
そのような日本人にとって、諸外国の日本全般に対する風評被害は、
放射線を学ぶ前のおのれの姿を見るようで、苦笑する余裕ができた事だろう。

ただ、まだ釈然としない人が多いのではないか。

政府や東電は信用できないとしても、彼らが採用している安全基準は、
彼らが勝手に作ったものではなく(運用には若干手を加えている)、
国際的なものなので、それは信用してよい
(情報源が信用ないと、そこが発する情報も信用されないものだ)。

ただ、それでも釈然としないとすれば、放射線に対する根本的な疑問、
たとえば以下のような疑問が解消されていないからではないか。

①放射線はたとえ微量でも(直ちに健康に害がなくても)、それらは蓄積する事によって、いずれ危険な値に達するのではないか。
だから、「レントゲン検診の何分の一の値」といわれても、そもそもレントゲン検診自体危ないと思っているのだから、説得力がない。
この論拠として、
②われわれは放射線にはまったく無力で、放射線を浴びたらそれだけ遺伝子が損傷すると言われている。

③遺伝子が損傷したら、かなりの確率で癌細胞が発生するのではないか(癌ってそもそもそうやってできるはず)。

④以上の”事実”をふまえた上で、今の安全基準はどういう基準で安全とされているのか。早い話が、今言われている安全基準は本当に”安全”なのか。

マスコミでは④はしつこく説明されるが、その理解の前提となる①~③の説明が見当たらない。
だから、やみくもに「安全だ」と言われても釈然としないのもうなずける。
論理的には、①~③が「真」ならば、④はむしろ「偽」と判定するのが、正しいからだ。

たとえば今回、多くの人が知ったと思うが、各地の放射線量には「平常値」(バックグラウンド)というものがある。
それらはおしなべて0でない。
ならば、われわれは、たとえ今回の事故がなくても、本来なら毎日の”平常”な放射線被曝におびえていなくてはならないのか。
そしてその健康被害は実際にどのようなものか。
そもそもそのようなことをちゃんと研究しているのか。

上の根本疑問が残っている限り、”風評被害”はなくならない。

すなわち、だれかが責任をもって、現在まで分かっている事(分かっていない事も)をわかりやすく説明する必要がある
(今の政府内のメンバーではダメ)。

私自身、この問題に答える原稿を作ってはみたが、アップするタイミングが難しい(まだ原発が本質的解決に至っていない)のと、事実と「考え方」との関係が複雑なのと、
それ以上に、回答すべきなのは、私なんぞではなく、学問的誠意をもったその道の専門家にまかせるべきだと思ったので、
自分で答えることはやめにした。

回答担当者は、原発推進派の御用学者でも、反核・反原発派の評論家でもない、
もちろん専門的領域の探求に不向きなジャーナリストでもない、
あくまで放射線と健康との関係を実証的に研究している放射線医学の専門家であるべきだ
(池上彰氏でOKかどうかは知らない)。

寡聞にしてネットは知らないが、書籍を探ればそれなりに回答は見出せる。
ただし、できたら1冊ではなく、著者の異なる複数の本を読んだほうがよい。
しかも、21世紀以降の出版の。
ただ書店に山積みされていた文庫本サイズの本には、私が勧めるに値するものはなかった。

※ちなみに、この問題に関して、私は”答える任にあらず”と自認しているので、
質問があっても回答は差し控えます(簡単に答える事ができないから)。
ご自身で勉強されることを望みます(ご自身の健康にかかわる事ですよ!)。
私は学生によく言います、「もっと詳しく知りたければ本を読め」って。
本はそのために公刊されているのです。
一番いいのは、適任者が、ネットで分かりやすく説明してくれることだけど。

関東大震災後、東京は復活した

2011年04月14日 | 防災・安全
家に昭和初期の記録ビデオ(市販品)がある。
冒頭は関東大震災(いまだ我が国史上最大の震災)によって廃虚となった東京の映像だった。
その数年後には東京は見事に復活していた。
(他の国なら、復興をあきらめ、首都を移転したかもしれない)
私にはこの前例が脳裏にあるので、東北地方の復興は確信している。

実際、仙台空港のこんなに早い再開には驚いた(米軍の力も大きい)。
東北新幹線の復旧も順調だ。
なにより、無事故だったのに驚嘆(偶然ではなく、安全システムのおかげ)。
(関東大震災の時は、東海道線の根府川鉄橋で100名以上の乗客を乗せた列車が海に転落する事故があった)。

大胆に予算を使って、すばやい復興がなしとげられるのを期待する
(現政権が続投することは前提としない)。

ただ油断は禁物。
M8の津波を伴った”余震”(普通だったら、これ自体が巨大地震という本震)が懸念されているという(読売新聞)。
今回の大災害の主犯は、地震よりも津波
福島浜通り、仙台平野、三陸海岸、疲弊したこれら地の津波対策(最低限、避難対策)を万全にしてほしい。

今どきレベル7という発表の効果

2011年04月12日 | 東日本大震災関連
約1ヶ月前の3月15日の私が顔面蒼白になった頃の出来事を、今ごろになってレベル7と発表。
まるで、3月中はなんとか「レベル5」だったのが、4月に入ったらもう「レベル7」(最悪の事態)に悪化して
”日本はおしまい”という最終メッセージを発しているかのように、世界中に受け取られるだろうね
(海外からの愚かしい風評被害を受けているだけに、日本人はかえって冷静になれている面もある)。

それにしても周辺居住地域が”マイクロ・シーベルト”レベルの放射線量なのに”最悪”レベルなんて、
規準が甘いとしかいいようがない。
真の最悪ってこんな程度でないから。

ここでも”遅すぎる”病を発揮したわけか。
そもそも飯舘村あたりの避難指示は、放射線量が最高値に達した15日頃にすべきであって、
放射線量がずいぶん低下した今ごろになって、実は避難した方がよかった、なんて言われても、
住民は怒るのも当然。

無能なくせに頑張るヤツが最悪といわれるが、
「私には無理」って、あっさり政権を投げ出した、歴代総理の方が、
自分のことをわかっている分、今から思えばましだった…

皆さん、せめて地元の首長や議員は、ましな人を選んでね。



鹿島の要石に地震押えを祈願

2011年04月11日 | 
桜咲く陽気の日曜。
天気もいいので、出かけたい。
だが、まだ気分は完全には陽気になれず、
遊ぶよりもむしろ、祈りに行きたい気分。
なので、行き先は寺社や慰霊塔などの祈れる所。
しかもせっかくなら、放射線を測るに値する地域がいい。

そこで頭に浮かんだのが、茨城県の鹿島神宮。
なぜなら、犬吠埼周辺の太平洋につきでた部分は、
海から放射線が再侵入するルートになるのではないかと疑っていたから。
茨城の鉾田市樅山の値が一貫して高く、千葉の銚子近辺の野菜が暫定基準値を超えたのも、その疑いを強くした。

鹿島神宮に行くには、東京駅から出ている鹿島神宮駅行きの高速バスが一番便利。
結構頻繁に出ているのだが、今は八割程度の運行で、
行った時は丁度運休便とかち合う不運。
さらに券売機で切符を買ったら買ったで、購入中に券売機が故障し、
係員は券売機の修理を優先してなかなか切符と釣り銭を渡してもらえず、
次の便にぎりぎり間に合った。

バスが高速を降りて、鹿嶋市の市街に入ると、
道路脇のコンクリート製の電柱の何本かが斜めに倒れかけている。
今は倒れないように補強してあるが、やはりここも相当な揺れだったことがわかる。

さて、鹿島神宮の本殿にまずは参拝し、奥宮への森の中の参道に入った地点で、
ガイガーのスイッチを入れる。
値の変動が大きく、250-350nSv/hr(以下、同単位)。
県北の北茨城・高萩と同程度で県央・県南より高い。
ちなみにバスに乗る前に東京で測った値は100程度。

灯籠が倒れたらしく、部品に分けられている奥宮を過ぎ、
今日の一番の目的、「要石」(かなめいし)に達する。

要石は、お皿くらいの直径の部分が”出べそ”のように地面から顔を出しているだけだが(写真)、
江戸時代に七日かけて周囲の地面を掘っても、底に達しなかったという逸話のある巨石らしく、
その巨体で地下の大ナマズを押えているから、鹿島では地震が少ないといわれている。
すなわち、”地震押え”の霊験ありという石なのだ。
一茶の句碑 「大地震(おおなえ)にびくともせぬや 松の花」も傍に立っている。

でも、今回の「東北地方太平洋沖地震」には、見てきた通り、当地も相当損傷被害があった(死者も1人出た)。
今回は要石も無力だったのか。

だが、
今回の地震は、まず三陸沖で発生し、それが海溝を断層化して南下し、
次に福島沖で地震を発生させ、それがまた海溝伝いに南下し、茨城沖でまた地震を発生させ、
それらが連動して M9.0の超巨大地震となったものだ。
茨城沖で発生した地震断層は、そのままなら、更に南下して千葉沖に達し、
そこで茨城南部と千葉の九十九里にも大津波を起こす地震を発生させるところであった。
ところが地震断層は茨城沖で南下が止まった。
ある力にさえぎられて。

その南下を阻止したのは、地球科学的には、”フィリピン海プレート”らしいのだが、
南下が止まった位置は、丁度、鹿島の「要石」と対応する。

ここから神話的論調になるが、
鹿島の要石は、北の海溝から向かってきた巨大地震から関東を守るため、
1000年分の力を蓄えた3頭の巨大ナマズの前に立ちはだかったのだ。
三陸から福島までを破壊してきたその巨大なパワーに、さすがに押され気味となったが、
相手の突進をなんとか食い止めることができた。
その苦戦の跡が、傾いた電柱であり、倒れた灯籠なのだ。

私はそういうストーリーをあえて作って、要石を地震の守り神とみなして、
今回の奮闘を感謝し、さらに今後も地震押え(抑え)に力を発揮してくることを祈った。

その要石は、今は何ごともなかったかのように、
静かに小さな石のふりをして、てっぺんだけを地面から出している。

真新しい花崗岩の石柵で囲まれた要石の周囲には、
人々が投げ入れた1円玉や10円玉が散らばっている。
私は、奮発して100円硬貨を投げ入れた(写真は私が投げ入れる前)。

ついでにガイガーのスイッチも入れる。
要石の周囲は、180-270の値を示した。
柵の上から手を伸ばして、ガイガーのセンサー部分を要石に向けると、
途端に50ほど上がる。
数回同じことをして同じ結果になったので、要石自体が50nSv/hrほど多く放射線を発しているといえる。
ここで購入した神社の本には、要石は花崗岩であると書いてあるので納得。
(霊験あらたかな石は、”気”という放射線を発している場合が多いのではないかと、
科学と神秘を共に愛する私はふんでいる)。

ついでに同じ境内にある「さざれ石」も350ほどあったが、こちらは石柵になっている黒雲母の多い花崗岩が600と高く、その影響かもしれない。
最後に、参道で測った地点の土の地面を測ったら、なんと980-1050にも達した。
地面は地上の4倍高いというのはここでも確認された。

鹿島神宮の後は、予定では、電車で成田に行き、成田山の参拝と、北総地域の計測をするつもりだったが、
JR鹿島線が地震の影響でまだ不通(ふりかえ輸送のバスがあるが便数が少ない)だった。
なので、神社の門前に戻って、そばを食べ、てっぽう漬けを買って、高速バスで帰った。
一番祈りたい対象に祈り、放射線の計測をしただけでなく、
運賃を使い、賽銭を出し、本を買い、食事をして土産を買うという、
地震に遭った先での経済行為もきちんとした、有意義な日帰り旅であった。

昼の照明

2011年04月09日 | 生活
東京では、駅を始め公共施設などのいたるところで、照明が落とされている。
ちょっと雰囲気的には暗くなるが、それで不便ということはない。

今の東京にいると、そもそも昼間に照明はどれほど必要なのか、あらためて問いを起こさせる。
そこで思い出すのは、今月6日に新入生の遠足で行った”明治村”(愛知県犬山市)の一番の名所である”帝国ホテル”(重要文化財)。
このホテル、フランク・ロイドライト設計の大正時代の建築なのだが、オープン翌日のM7.9の南関東大地震(関東大震災)にも耐えた優れもの。

館内はちょっと薄暗いが、入館して分かるのは、自然光を上から巧みに取り入れて、昼は照明をできるだけ使わずにすむという設計になっている。

明るい昼でも照明を必要とするというのは、そもそも生活場面としては不自然だ。
私も授業をやる教室では、今まで何も考えずに照明をつけていた(外光の明るさとの対比によって、教室内が実際以上に暗く感じていたためかも)。
これからは机上の照度を計測して、勉学に不要なら照明をつけないようにしたい。

もちろん、夜も「昼と同じ明るさ」を追求する理由はないはず。
夜は暗くなりすぎない程度に明かりがあればいいのではないか。


テレビが紹介しない節電法

2011年04月09日 | 生活
節電に効果的でありながら、節電を呼びかけているテレビ番組が絶対に勧めない方法がある。
それは、「できるだけテレビは見ない」という方法。

われわれは、これをまずは実行しよう。
用もなくテレビのスイッチを入れることをやめ、
家での暇つぶしは読書かおしゃべりに費やする。

テレビを時計代わりにするのはもってのほか。
ニュースは新聞かネット、あるいは携帯ラジオから。
どうしても映像を見たければ、携帯のワンセグで見る。
すなわち消費電力が低い選択肢をいつも選ぶようにする。

だから音楽鑑賞もアンプとオーディオスピーカを使わず、iPodからヘッドホンで聴く。
廊下の電気は消す(私は人が通る時だけ点灯するセンサーを買った)。

日本人が好む部屋全体を照らす天井灯は少なくとも個室には不要で、
照明は頭の位置にあればよい(電球は蛍光灯かできたら LED)。
パソコン画面の輝度は見にくくならない程度に下げる(目にもよい)。

トイレの洗浄器も、夏なら、温水や便座のヒーターも不要。

調理は電子レンジやオーブンを使わず、ガスコンロで。

下着や靴下など小さい衣類は洗濯機を使わず、
手洗いの方がかえって丁寧で簡単(私は連泊の旅先でいつもそうしている)。

SLOWLYより遅い政府決定

2011年04月07日 | 東日本大震災関連
放射線量計測リンク集(SLOWLY)は、1時間から半日後の実測値が一覧できる。
それを見れば、たとえば、
同じ県でも、地域によって放射線量の値がまったく異なるので、
風評被害を出さないためには、出荷制限などは県単位ではなく、地域単位にすべきという結論が自然に出ていた。

また、原発から同じ距離でも地域によって放射線量が全然違うので、距離ではなく、地域ごとに退避命令を出すべきで、
特に、飯舘村は距離が離れているわりに値が高いので、屋内退避より避難が望ましいもことも指摘していた(南相馬市はその逆)。

それから、これは逆にSLOWLY(観測網)の欠点なのだが、千葉県は観測点が東京湾側の市原しか値がなく、まるで問題がないかのようだったが、
シミュレーションを参考にすれば、太平洋側からの放射性物質の再流入の可能性があることを指摘しておいた。
そしたら、案の定、銚子市周辺で野菜が基準値を超えた。

以上のように、各地点の値を総合的に眺めていれば、おのずと意思決定ができるものだ。
つまり、今の政府の意思決定は、一週間以上前に実行できた内容だ。
SLOWLYより遅すぎる。
あまりに遅すぎる。

遅すぎるついでにいえば、義援金の配布をまだ実行していなかったのにはあきれる。
義援金は被災者への当座の生活資金のために送ったのであり、これで終りでもない
(本格復旧の資金は国家予算によるべき)。
義援金が集まり終ってから配分を検討する、などと悠長なことを考えいたのか…。

私は今後も義援金を送り続けるつもりだったが、
今の意思決定の停滞状況をみると、急いで義援金を出しても意味がないことがわかった。

非常時だからこそ、通常とは異なる思考回路での意思決定が必要なのに。


新年度開始

2011年04月05日 | お仕事
月曜から大学の新年度が始まった。
新入生オリエンテーションが続き、木曜から前期授業開始。
なので、3月のように、ブログに張り付いて、長文を書く暇もなくなる。
原発事故は、一向に収束せず、むしろ新展開を迎えているというのに。

少なくとも、言えることは、
今後は単位時間に測定されたシーベルト値(単位強度)ではなく、
今までから今後を含めた累積値が問題になろう。

すなわち、年間許容量(安全基準上限)の100mSv/yのどの程度まで達したか、という評価。
ちなみに私には、
昨年暮にCTスキャン分の6.9mSvを人様より余計に浴びているハンディがある。