今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

放射線不安の中身

2011年03月21日 | 東日本大震災関連
私のブログにアクセスする多くの人が、政府・マスコミの情報への不満・不信が理由のようだ。
私自身、公的機関から、放射線量の測定情報がちっとも出ないので、自分で測り、それを公表することで、
皆さんのお役に立ちたいと思った。
今は、公的機関でも情報提供体制が整ったので、私の役割はほとんど終った。

なので、私の本職である心理学に戻って、皆さんの「不安・恐怖」を問題にしたい。

起こるかもしれない深刻な放射線被害の恐怖に関しては、私とて同じ。私もずっとこの恐怖心を維持している。
ただこの生起確率は低く、今はさらに低くなる方向にある。
問題は、今現実の自分にふりかかっている放射線量に対する明瞭な不安感。

人は不安になるとどうするか。
フロイトは、人は不安になると、無意識の防衛機制によって不安を解消しようとする、という。
つまり、不安解消行動をとるという。
ならば、放射線不安におののく人は、「この程度の放射線量は心配に及ばない」という政府・マスコミの情報に、積極的に望んで触れることで、不安解消=安心を得ようとする、はずである。

ところが、多くの人は、政府・マスコミのこの情報に接しても不安は解消されず、むしろその情報を信じられなくなった。
政府はもともと信じなかったろうし、いつもは扇情的なマスコミが、今回はその逆の方向になっていることに、何かを隠している、という不信がむしろつのった。

つまり、人々はフロイトの説どおりの行動をしていない。

次に、社会心理学者のフェスティンガーの説を紹介する。
人は、自分の信念と異なる情報に接すると、認知的不協和状態に陥り、不快となるので、
自分の信念と合致する情報の方を好むという(認知的不協和理論)。

つまり、強い不安になると、その不安を安易に否定する情報に接するとかえって不協和(不快)になり、
むしろ自分の不安を正当化してくれる情報(放射線の身の毛のよだつ危険性や、原発事故の破滅的結末)に好んで接する。
そして、だから自分は不安でいて正しいのだ、と認知的な協和状態になる。
つまり人は、自分の信念と事実認識との不協和ほど堪え難いことはないのだ。

人は、不協和をもたらす情報は疑うが、もう一方の自分の信念(放射線に対する知識)を疑うことはしない。
なので、その信念に合致する情報を採用し、合致しない情報を信じない。
これが多くの人の社会心理となっていることを、私はまじまじと味わった。

ちなみに、自分の誤った信念が、実は自分を心理的に苦しめているので、その信念から自由になろう、というのが、
今最も有効視されている「認知行動療法」である。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。