今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

玉川温泉

2006年08月31日 | 温泉

秋田県の玉川温泉に行ってきた(泊ったのは「新玉川温泉」)。

2泊3日なので、湯治じゃなく、温泉旅行。

でも人気の岩盤浴を体験し、強酸性の源泉100%の湯でヒリヒリしてきた。

なかびが雨だったので、周辺の観光はせず、入浴三昧。 秋田新幹線とバスで片道東京から5時間と、ちょっと遠い。

これで夏の行事は終わり。 明日から次の原稿執筆に入る。

この温泉旅行記は下のリンク先に掲載したので、

くわしくはそちらで! 新玉川温泉印象 クリック


「純夏」

2006年08月28日 | お天気
8月最後の日曜も過ぎ、東京では30℃を下回る日が続いたせいか、夏も終わりという雰囲気。
この夏、iTMS(iTunes Music Store)でダウンロードした曲に、エイジアエンジニアの「純夏」がある (ほんとCDって買わなくなった)。
この曲、少年の夏を歌ったもので、吉田拓郎の「夏休み」・井上陽水の「少年時代」の延長上にある。
音楽的には、その時代の流行を反映したものになっているが、歌われる情景は同じくノスタルジック(それぞれ聴き比べてみて)。
夏の原風景は”少年の夏休み”だっていうのは私だけではないようだ。
もちろん、今夏はこの「純夏」を一番聴いてた。

社会人にとっては、夏休みなんて、取れても一週間ほどの「お盆休み」だろろうから、歌われる”夏休み”は遠い記憶の彼方にすぎず、今の状況からは共感しにくいだろう(炎天下のお仕事ご苦労様)。
それに対して、学校関係者の私なんぞは、学校的な夏休みを毎年迎えるので、どうしても少年の夏の気分に戻ってしまう。
といっても気分だけで、ラジオ体操にも虫取りにも行かず、絵日記も描かない。
実際には、論文執筆のための図書館通い。

東京を壊すな

2006年08月27日 | 東京周辺
ある自民党総裁候補(経営者出身)が26日のテレビ番組で、東京1区はマンハッタンと同じ面積なのに、平屋の家がひしめいているのはもったいない。マンハッタンと同じく高層ビル街にした方がいい、と言っていた。

その東京では確かに、世田谷区下北沢の路地が再開発にさらされようとしている。
また文京区の大塚公園も、統合される学校の敷地にされようとしている。
江戸開府400年を迎えた歴史あるこの都市には、固有の住民と歴史と景観、すなわち文化がある。
その東京が、なんで今さら歴史のない国の20世紀(前世紀)の景観を真似る必要がある?
パリもロンドンもマンハッタンの真似をしているか?
(しかもマンハッタン的用地はちゃんと東京湾岸に作ってあるんだ;ただ地震が怖い)。

この東京を、人間の住む都市としてより豊かにしようという21世紀的発想が政治家・役人にないのは寒心に堪えない。
経済や政治の効率のために、好きなようにいじくれる場所だと思っている(そういうのはさいたま新都心にどうぞ)。
東京という「地域」には人が暮しているんだよ(もちろん「さいたま」もだけど)。

ついでに、今さら世界のTokyoにオリンピックなんていらない(どうせなら売り出し中の”名古屋”にどうぞ)。
それより、昔の東京オリンピックの時に作られた、由緒ある日本橋の真上の目障りな首都高をはやく撤去してほしい。

「人類SOS」

2006年08月24日 | 作品・作家評

子供の時観た映画で妙に印象に残って、その後何かしら自分の感性に影響を与えた作品というのがある。
だがそれがテレビで偶然何気なく観た作品だと、タイトルすら記憶にないので、探してたくても手がかりがない。
その中でこの「人類SOS」(1963年公開)は、タイトルが記憶に残っていたから、機会あるごとにDVDが発売されないかチェックしていた。
そしてこの夏ゲットした。
この映画は、特撮(怪獣)ホラー系なのだが、その化け物が植物である点が、印象的だった。
動物よりも無言で迫ってくる植物の方が本質的に恐ろしい気がした。
血が出ないので刃物や銃も命を絶つには役に立たない。
そして恐ろしい勢いで増殖する。「ど根性大根」の生命力にも通じる。

その他にテレビで観た映画(すべて洋画)で気になっているのは、以下の作品。
タイトルもその他の情報も不明。うろ憶えのストーリーのクライマックス部分を記すので、タイトルなど知っている人がいたら教えてほしい。

◇殺人案山子(かかし)
山向こうにあるはずの案山子の立っている位置が、なぜか毎日、家に近づいている。
そのたびに殺人が起きる。そしてある晩、とうとう案山子は足音をたてながら部屋に入ってきた。
殺人案山子と格闘し、案山子に火をつけたら、燃える頭部の中から頭蓋骨がでてきた。

◇マネキン人形館
ある館にマネキン人形がひしめいて置いてある。
ところが、その人形はナイフを手にしていたり、まるで犯罪者の人形。
不自然に疑問をもった刑事?が館の主人を問い詰める。
主人は、「その秘密をはこれだ!」と言いながら、刑事に向けた箱の扉を開ける。
その箱の中にはメドゥーサのような女の顔があり、蛇のような髪を揺らしながらまばたきをする。
それを見ていた刑事は、苦しがり、咽に手をおいた時、そのまま固まってマネキン人形になってしまった。

◇自分はロボットだった
悪人に追われた若い男女。うまく逃げおせて、二人は抱きあう。
その時、男の体内からへんな音がしだす。
男は自分の上着をむしりとると、胸にはランプが点滅して、自分が人間型ロボット(アンドロイド)であったと知る。
ぼう然とした男を見る女の目は急に冷たくなり、何も言わずに男のもとから立ち去っていく。


日野:新選組の新名所

2006年08月20日 | 東京周辺
東京都下日野市にある’新選組ふるさと歴史館’の特別展、「新選組誕生」を観に行った。
名古屋にいたせいで、開催を知らなかったのだが、好評につき今月末まで会期延長だと知り、8月中に行こうと思っていた。
そしてまた、私設の’佐藤彦五郎記念館’が開館したのをネットで知り、その開館日(第三日曜)に合わせると、行くのは今日しかない!

●高幡不動から
場所は両方ともJRの日野駅に近いのだが、日野の新選組ときたら、昼食はどうしても京王線高幡不動駅前の’池田屋’でとりたいので、遠回り覚悟で京王線ルートを使用。
改築されて2階駅になった高幡不動駅に降立つ。

正午前のせいか、池田屋には客がいなかったが、「近藤勇丼」(豚焼き肉丼に生卵付)を食べていると、正午に合せたように、若い女の子の客がどんどんはいってきた。
新選組っていまだに女の子にファンが多い。
京王バスで、ふるさと歴史館に行く。地元ならではの新選組を生んだ土壌からの展示。
土方歳三の和装と洋装を着て写真を撮れるコーナーもあった(一人ではどうすることもできない)。

●佐藤彦五郎記念館へ
歩いて、佐藤彦五郎記念館に行く。ここは土方歳三記念館と同じく、子孫の住宅の一部を記念館にして展示している(写真)。真新しい建築の点は異なるが。同じく靴を脱いで中に入ると、家の人がすべての展示品について解説してくれる。
彦五郎宛の近藤・土方・沖田からの手紙や近藤勇のさらし首の改変スケッチなど、新選組本では必ず紹介される基本資料の現物を目の当たりにできる。
見学者はここでも若い女の子中心だが、一人、和服に「誠」の字が大きく入った入れ物を下げた男も加わる(私じゃないよ)。

●新選組の謎
ところで、近藤・土方のような多摩の農民出の者が、なぜ新選組という武士も多くいる武装集団を指導し、敵対する武士たちに対抗できたのか。
この疑問に関しては、近藤と土方を出会わせ、最後まで彼らをバックアップした日野宿の名主・佐藤彦五郎がキーマンとなる。
そこに注目した本が、神津 陽「新選組 多摩党の虚実」(彩流社)である(おすすめ)。
今日の特別展もこの問題に関連している
(ちなみに我がサイト「山根一郎の世界」の「旅と山の世界」にも土方歳三のコーナーがある)。

夏休みに予定していた行動はこれで終わった。

イタリアへ帰国

2006年08月15日 | 身内
姉たち一行は今日、イタリアへ帰国した。
前の晩は総勢8人で近所に焼き肉を食べに行った。
そして今朝、みんなで成田に見送りに。

2週間の滞在なら、充分な長さだと思っていたが、いざ終わってみると、こんなに短かったとは…という印象。
特に姉は毎回のことだが日本での公私にわたる用事に忙殺され、家族でゆっくりする間もない感じ。

日本に何度も来ている甥ダニエレはともかかく、ダニエレにくっついて初めて来た10歳のリカルドにとっては、親元から遠く離れ、言葉も通じず、食生活も異なった2週間だったから、たいへんなストレスだったろう。でも、泣き言は言わなかった。偉い。
一応、秋葉原、ディズニーランド・シー、東京タワー、お台場に連れていったので、東京見物はできたろう。

今は、三人のいなくなった家で、不在感を味わっている。
もとの状態に戻っただけなのに。
明日から、いつもの夏に戻る。
私はともかく、世話をしていた母は心身ともに疲れが出るだろう。

アシモとお化け

2006年08月13日 | 東京周辺
12日はダニエレとリカルドをお台場の科学未来館へアシモを見に連れてった。
彼らにとってお台場からの風景は、イタリアで抱いていた東京のイメージそのものだという。

●科学未来館
それでハイテク都市トーキョーを案内しようとしたら、ものすごい雷雨でゆりかもめの駅から出られない。30分も待てば上がると踏んでいたら、じっさいそのようになった。
でも駅で待ったおかげでアシモの次回実演まで1時間半待つはめに。
その間、館内で時間つぶしをして待ったアシモの実演は10分間。
でも二人は気に入ったようで、ショップでアシモの人形を買った。

私にとっては、着ぐるみの人形をみているようで新鮮味はないし、ロボットの開発方向としては異論がある(人間のマネをする存在をこの世に増やすよりも、ロボットとしての独自の存在価値を見出すべき)。
新橋に戻ったら、丁度山手線の運転が再開したところだった(落雷でストップしていたのを知らなかった)。

●おばけ探知器
ついでに、二人が喜んだのは、その朝プレゼントした「おばけ探知器」。
これ、秋葉の探知器専門店で見つけて、どうせたわいのない玩具だと思って最初から子供たちのプレゼント用に買ったのだが、
いざ開けてみると、なかなかどうして、結構な微弱磁界・身体抵抗値変動のセンサーだった。
さすが対象年齢が15歳以上と指定してあるだけのシロモノ。
好奇心旺盛な少年にとっては「必要だったもの」という。
これもハイテク都市トーキョーのみやげにふさわしい。

このメカのサイトでは、ユーザー(おとな)から不思議現象の報告が相次いでいる。
自分の分もほしくなってしまった。

ディズニー・シー

2006年08月12日 | 身内
イタリアからの客人一行とディズニー・シーに行ってきた(ランドの方は数日前母がつれてった)。
私はつきそい役兼スポンサーなのだが、自分も初めての入園。
ダニエレたちはアトラクションを乗りまくるのが目的(写真は「インディー・ジョーンズ・アドベンチャー」で撮影された一部分)。

気象関係者としては、「ストーム・ライダー」が楽しかったが、
一行が一番気に入ったのは「センター・オブ・ジ・アース(火山地底探検)」。
昼と夜2回並んで乗った。
二度目は少し余裕を持って逆落としの瞬間に夜景を堪能(できたかな?)。

夜のアトラクションでは、火山の噴火を真下から見上げる(これ秘かな念願だった)。
海というより地球科学的なアトラクションがけっこうあって、元地学部の者として楽しかった。

でも炎天下歩きづめで疲れた。
それもあって風景的にも内容的にも、昨年の愛知万博を思いだした。

誕生会

2006年08月07日 | 身内
姉一行が来日して人数が揃ってから(総勢8人)、私の誕生会を弟宅で開いてくれた。
巻き寿司による寿司パーティで、最近ではイタリアでも家庭での巻き寿司用の「寿司セット」が売られているという。
寿司人気のおかげで、生の魚だけでなく、海苔も受け入れられつつあるようだ。

実家では大人の中で退屈そうにしていたダニエレたちだが、
こちらの家では柊ちゃん愛用の鉄道レールのおもちゃに夢中になった(まだ成長期前なので食い気には執着がない)。
それを見て2歳の柊ちゃんもパンツをはかないまま遊びに加わる。

アキハバラでゲーム

2006年08月04日 | 身内
ダニエレとリカルドが日本に来て3日目。
目的の一つである秋葉原に連れていった(写真:すでに二人ともアキバ系?)。
といってもまだ日本でいう「小学生」だから、私のようにオタッキーな周辺機器漁りでもなく、かといってメイド喫茶に興味を持つ歳でもない。

目的は、SEGAのゲームセンター。
最新のを体験してあっちに帰ってから自慢したいんだと。
私はゲーム世代ではないので、ただ保護者として突っ立っているだけ。
なにしろ平日の昼間なんだが、やっているのは大人ばかり。
子供なんていやしない。
その中で大人と混じってやっているのは外人の子供なんだが、どんどん操作してしまう。当然私の出る幕ではない。
結局、一人当たり数千円も使わせてしまった。
はやり教育上問題ありそう、日本の小学生がいないのにかえって安心。

充分堪能したはずだから、これっきりにしよう。

イタリアからの客人

2006年08月02日 | 
イタリアから、姉とその息子ダニエレ、そしてダニエレの近所の友だちリカルドの3名がやってきて、2週間ほど実家に滞在する。

姉とダニエレとは半年ぶりの再会。
10歳のリカルドは初来日(初めての海外旅行)。
でも日本食は大丈夫で、実家での最初の夕食は、白米にふりかけとギョウザと海苔。

姉は仕事で来たのだが、子供たちは日本のゲームやディズニーランドを楽しみにしている。
私も実家にいることが多いので、少しはお相手できるかな。

富士山記念登山

2006年08月01日 | 山歩き

●記念登山
私が山をやっていた頃、
誕生日はいつも夏休みのシーズン中だったこともあって、山で迎えていた。
たとえば二十歳(はたち)の時は南アルプスの北岳、
三十路(みそじ)の時はこれまた南アルプスの聖岳。

最近は山をやめていたが、生誕半世紀の記念すべき時はやっぱり山に登りたい。
なぜなら”山”は自分のアイデンティティだから。
山に熱中しだした中学の時、友人に「山根から山を取ったら、根しか残らない」と言われていた。

●なら今回はどの山にするか。
残念ながら、山をやめていたので、日本アルプスはちとキツい。
それに最近は7月いっぱい仕事があるので、準備もできないし、日数も取れない。
でも、登る山には生誕半世紀にふさわしい”格”が必要。
日数も体力もさほど要求されず、日本アルプスの山岳に負けない格のある山といったらあんた、
”ニッポンイチの富士山”しかないではないか!
この世界的な名山こそ一生に一度の記念登山にふさわしい。
そういうわけで、場所は富士山に決定。
でも29日は帰京するのに精一杯。
その翌日出発というのもきつい。
31日出発にした。その方が山小屋も空いているので好都合。

●問題はルート。
山をアイデンティティにする者にとっての記念の富士登山なら、五合目までバス、
なんてことはせず、麓の登り口(0合目)から頂上をめざすべき(当然標高差日本一の登山と相成る)。
でも実は、右膝(おそらく靭帯)が登山のたびに痛くなり、
山をやめるきっかけとなった中央アルプス山行では、膝の痛みのために山の中で叫び声をあげたくらい(山々にこだました)。
そして今年の5月・6月の登山でも膝痛は毎回再発。
それが怖いので、やっぱ5合目までバスにする
さらに(この歳になっても)早起きが苦手なので、ゆっくり出発したい。
膝の痛みも怖い事もあって(山で歩行困難になるから)、標準的な8合目泊りではなく、それより一日目が楽な7合目泊りとしよう。

こんなの山をやっている人間の行程ではないが、意地だけはあってどうしても行きたい。
この楽な、半世紀どころか還暦向きの富士登山。
行ってきました。
…「前の記事へ」続く。