今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

水難の一日

2009年01月30日 | 失敗・災難
今日は、給水槽の点検工事のため、朝から断水。
トイレも一回流したら、もう水は出なくなった。
浴室の蛇口をまわしても出ない。

朝って、トイレ(私は毎朝快腸!)、顔洗い、歯磨き、朝食(味噌汁)、コーヒーと続き、一番水を使う。
もちろん、断水情報は事前に通知されたので、前日に台所と浴槽に水を溜めていた。
なので料理と洗面には不自由しなかった(トイレの洗浄器は×)。

そして、出勤し、夕方帰宅の途につく。
今日は雨で体が冷えたから、帰宅したら、風呂に入ろう(いつもはシャワーで済ませる)と、
風呂の事を考えたら、そういえば断水の最中に風呂場の蛇口はきちんと締めたかどうか気になった。
よく、外出して、レンジの火の止め忘れや鍵の閉め忘れに気になることがあるが、私の場合は外出直後ではなく、帰宅直前になってやっと気にし出す(なので茹卵を作る火を止め忘れた時は…)。
今日の断水は昼までなので、もし浴室の蛇口があきっぱなしだったら、と想像する。
浴槽から水が溢れ出て、浴室の吸水口がつまり気味だったら、浴室から水が段下の廊下に溢れ出て(水は下に流れる)、さらに隣の居間全部を水でひたし、ついには階下の天井に滲み出しているかもしれない。
そう想像すると顔面蒼白になるが、「ま、蛇口はそもそも開けてないはず」と不確かな記憶に頼ることにした。
そしてのんびりスーパーで買い物をして帰宅した。

わが棲み家のドアに張り紙がある。
隣室にはない。
その張り紙をしたのは、水道工事担当者で
工事が終わって点検したら、私の部屋の水道メーターが動きつづけていたという。
やっぱり蛇口を閉め忘れていた!
それなので、元栓を締めたとのこと。
その点検はありがたい。
でも悪い勘に限って当る…

急いでドアを開けると、室内がやたら湿っぽい。
電気をつけると、壁一面が湿ってテカテカしており、水滴がベトっとついている。
長時間・広範囲の湿気のため部屋全体がかび臭くなっている。
床を見ると、
水びだしには、なっていない(ひと安心)。

戸があいたままの浴室に行くと、浴槽の上の蛇口から水が細いながらも切れ目なく落ち続けている。
浴槽はほぼ満水だが、溢れ出ている様子ではない(ひと安心)。
つまりぎりぎりセーフだったようだ。

だが、戸の開いた浴室が長時間の給水状態だったため、浴室の外も湿度的に浴室化してしまい、壁一面が結露してしまったわけだ。

だが幸いな事に、居間への戸は閉じていたので(いつもそうするわけではない)、居間の方は浴室状態にはなっていなかった。
ただ結露こそしていないが、湿度計をみると81%(食中毒危険の湿度)。

この湿気をどうするか。
窓を全開にして冬場の乾燥空気を入れたいところだが、
今日は残念ながら、雨。
外の方が湿度95%を越えている。
なので、エアコンの温度設定を上げて、フル回転させた。
ほどなく居間の湿度は60%台まで下った。

さて、浴槽にたまった水だが、手を入れると温かい。
開けっ放しにしてしまった蛇口は「お湯」の方だったのだ。
そういえば、帰宅したら風呂に入りたいと思っていたよなぁ。
いつもシャワーなのは、帰宅してから浴槽に湯を入れるのが面倒だから(すぐ入りたい)。
でも今日は、帰宅したら浴槽に湯がたっぷりの状態になっている。
これってラッキー?
さっそく、たっぷりの湯でまず体を洗い、ちょっとぬるめだがたっぷりの湯に身を沈めた。

気まずい思い

2009年01月25日 | 東京周辺
長い工事期間を経てリニューアルした都立中央図書館に久々に足を運んだ。

内装がウッディになり、パソコン席が増えた感じ。
席を確保して、まずは最上階の食堂へ。
メニューは以前と変らず、久々に固焼きソバを食べる(具の量と水分が少なめだったのが残念)。
席に戻って、3時間ほど作業に集中し、頭が疲れたので、食堂にコーヒーブレイクに行こうと席を立った。

すると、私の隣の机にいた男性も席を立ったので、思わず目をやった。
彼も隣で立ち上がって近づいてきた私に目を向ける。
つまり、一瞬、目と目とが合っただけだが、彼が着ているセーターにも目がいかざるをえなかった。

その時、彼は、グレーのイギリス軍セーターを着ていた。
そのリブ編みのセーターは肘と肩に布が張ってあり、その布で肩章がついている。
肩章はパイロットシャツやアーミージャケットで見かけるもので、セーターについているのはこのイギリス軍セーター(そのセーターの写真←クリック)だけ。
珍しい形のセーターなので、読者の皆さんも街中ではほとんど目にしないだろう。

なんで私が詳しく知っているのかというと、
その時私が着ていたのが、グリーンのイギリス軍セーターだったから。
このセーターは生地も厚く、脇や腕の締まりもよく動きやすいので、この季節は、コートの下に着ることが多い(ただコートを脱がないのが前提。今回はたまたま)。

人が集まる図書館では、パソコンが自分と同じMacBookを使っている人はいないことはない。
そういう人を見かけると、親近感すらわく。

でも、服、しかも黒無地のタートルセーターのような超定番ならいざしらず、ふつう街で見かけないやたら個性的な形の服を自分が着ていた時ほど、同じ服の人とすれちがうと気まずくなる。

そして今は、すれ違うどころが、何時間も隣の机に並んでいたのだ。
しかも立ち上がって向かい合っている。

私と彼の中間の位置の向い側の席に、私と同じパソコンを使う女性が座っているのだが(それには気づいていた)、その彼女からすると、二人の男が、視野の両側に同じへんなセーターを着て座っていて、同時に立ち上がって、視野の中央で顔を見合わせている。

色違いだが同じ形のセーターを着た二人の男は、一瞬の気まずい対面を終えて、一人はフロアを足早に出て行った。

グリーンのイギリス軍セーターを着た私は食堂に行って、自販機のコーヒーを食堂の椅子に座って飲んでいた。
確かにへんなセーターだが、室内に一人なら容認できる。

だが、グレーのイギリス軍セーターを着た彼も食堂にやってきた。
食堂の空気は一変する。
私とちがって食事をするようで、食券を買っている。
彼はまだ私に気づいていない。
空席を探す彼は、私の席を視界に入れた。
ここで再び目を合わせるわけにはいかないので、私は悠然とコーヒーを飲むフリをする。
私の卓にも空席はあるが、当然、彼は私から離れた席に座った。
1つの空間に同じイギリス軍セーターを着た人間が二人いるのは、とっても居心地が悪い。
飲んでいたコーヒーの味もわからなくなるほどだ。
私は急いでコーヒーを飲み干して、パソコンのある閲覧席に戻った。

その後も集中して作業し、気がついたら1時間ちかく経過していた。
隣の机に目をやると、彼の椅子は空いたまま。
彼もまた、1つの空間に同じイギリス軍セーターを着た人間が二人いるのは、とっても居心地が悪いと感じているのだろうか。
彼のいた机は、本が開かれたままで、まだ作業は終わっていない様子。
でも休日なので、閉館時間が迫っている。
ふと私は、この場にいない彼から、無言のメッセージを受けた気がした。

私は手際よく卓上に拡げたパソコンや資料をしまい、誰の目にも退館することが分かるように、荷物をかかえて席を立った。
フロアの出口に向うと、そこには、書架で本を読んでいる彼がいた。
まるで、席に戻れない理由があって、仕方なしに時間をつぶしていたかのように。

そして、書架から出てきたグレーのイギリス軍セーターを着た彼は、荷物をかかえて帰るグリーンのイギリス軍セーターを着た私とすれ違い、互いに行く先を確認するかのように一瞥しあって、しばらく主の来なかった自席に戻っていった。
もうすぐ閉館時間。
もっと、早く気づいてあげるべきだった。

降圧剤人生

2009年01月23日 | 健康
世界中の株価低迷と反比例するかのように
我が身体の血圧は昨年来ずっと上昇を続け、今は高値安定(この血圧に投資していたら…)。
しかも正常範囲を越えているので、血管がぶち切れたらたまらんと、とうとう降圧剤を服用することに相成った。

診てくれた医師によると
心電図には異常ないので、長期間高血圧状態だったわけではないという(その場合心肥大となる)。
実際、昨年から急にが150-160を示し、も100を越えっ放しになった。
原因に思い当たる節もなく(精神的ストレスはむしろ減ったし、塩分摂取も控えめ)、
コレステロールや中性脂肪のように体重減らせば下るというものでもない。

サントリーの「胡麻麦茶」は一週間以上数毎日飲み続けると確かに血圧は正常域に下ったが、毎日飲むのが面倒で(止める・忘れるとすぐ戻る)、出費もかさむ。
かといって同じゴマペプチドが入ってるというサプリ錠(アルファベット3文字の会社)では全然効かなかった。

というわけで、同じく毎日摂取するなら、効果が怪しげで値段は高いサプリより、ちゃんと医師の処方による降圧剤がいい。
一日小粒1碇ですみ、自分に合えば副作用もない。
これからは、我が人生は降圧剤とともにあることになる。

冬の日本海

2009年01月20日 | 
冬の日本海。
灰色の陰鬱な雲が大陸からの強い季節風にとばされて流れていく。
その下では、強風で荒れた波が白い波頭をもたげ、激しく崩れ落ちる。
崩れた波が一面に白い泡となって海面上を激走し、
たどり着く先には、海側に幾重にも突き出た黒い岩壁群が、荒れた日本海にあらがうように垂直にそそり立っている。
その岩壁の頂きにひとりの男が立つ。
ここは越前・東尋坊。

その男は、一人で来たらしく、他の観光客と離れて、黙然と海を眺めている。
どうみても明るい顔はしていない。
服装は喪服のように黒ずくめ。
その男は、東尋坊の岩壁群をくまなく歩いた後、他の観光客のように帰りはせず、
自殺防止のNPO事務所ある入り口から、海に落ちる岩頭までのみやげ物屋街を行ったり来たりしている。
まるでなにかを逡巡しているかのよう。
男は、みやげ物屋の尽きる所まで進んだと思いきや、おもむろに引き返して、通り過ぎたばかりの一軒のみやげ物屋に入っていった。
その足取りは確信に満ち、先ほどまでの迷いはみられなかった。

なぜなら、全部の店をくまなくチェックした結果、その店のイカ焼きがいちばん大きくておいしそうだったから。
温泉ついでに東尋坊観光に来た私は、その店でゲソつきの大きなイカ焼きを買った。
これから、北の雄島へ向う遊歩道を歩くための腹ごなしのため。
丸々一杯のいか焼きを串のままほおばりながら遊歩道に入る。
季節柄、誰も通らない遊歩道には所々に自殺を思いとどまらせる言葉が書かれた標柱が建っている。
遊歩道の海側は東尋坊から続く垂直な岩壁。
たしかに観光客がおとずれる東尋坊よりも、人目のない遊歩道にはいった方が…。
だが今その遊歩道を一人で歩いている男は、さきほどまでの暗い顔はどこへやら、串にさしたイカ焼きを幸せそうに噛っている。

時たま海岸に降りると、沖から迫ってくるうねりが目の位置より高く盛り上がっている(津波が来る時ってこんな眺めなんだろう)。
さらに進むと、海に開かれた草原が広がる。
だが運悪く、そこに達した時、にわかに強風が暴風となり、横殴りの雨から、霰(アラレ)が襲ってきた。
目の前数メートル先には強風にあらがっているトンビが風に飛ばされそうで難儀している。
難儀しているのは私も同じで、折畳み傘はオチョコになって全く役に立たず、イタリアで買った皮のハーフコートもコーデュロイのパンツ(ユニクロ)もびしょびしょ。
さらにアラレのつぶてが全身に当り、眼鏡はワイパー(があったら)を強にしないと見えない状態。
このままでは遭難しそう。
こんな所でアラレまみれになって凍死したら自殺と思われるかな。

このまま人影のない海沿いの遊歩道を進むのは危険と思い、道からはずれて疎林の斜面をのぼり、車道に出た。
防風林のおかげか、いやむしろ積乱雲による通り雨だったのだろう、降水も強風もぴたりと止んだ。

今回の旅行は、イタリア製のハーフコートに、やはりイタリア製ハンチングをかぶり、これまたイタリア製のセーターで固めたのだが、それらがびしょびしょ。
でもズボンのほか下着のシャツもユニクロ(ヒートテック!)で、靴はビルケンシュトックの快適な革靴だが、人目に触れぬ靴下はきわめつけのショップ99!(濡れても構わん)
この出で立ちで車道を歩いていると、地元ナンバーの車が止って、酒屋の行き先をたずねてくる(ハイカラな都会人には見えなかったか)。
酒好きの地元民でないので(酒好きではあるが)、当然、教えられない。

雨が止むと日差しも出てくる。
雄島にかかる朱に塗られた橋を渡っていると、日本海をまたぐ虹まで出てきた。
運がいいのやら悪いのやら。
すくなくとも冬の日本海を味わったのは確かだ。

福井・三国温泉

2009年01月19日 | 温泉

センター入試担当の翌日、毎月の”2泊温泉旅”の今月編として、福井の三国温泉に行ってきた。
ここを選んだのは旬の蟹を食べるため。
宿はリニューアルしたという「休暇村三国」。
ここんとこ休暇村は洋室を作るようになって、従来の畳敷きの旅館風からベッドのホテル風になって居住性が増している。

といっても、草食男の私はでかいズワイ蟹をまるまる一杯はいらない(特に胴体部分)。
なので、越前ガニの蟹づくし料理ではなく、標準コースに蟹料理を一品つけることにした。

金沢以南の北陸線沿線は初めての旅。
冬の北陸なのでノーマルタイヤの愛車で行く気はしない。
名古屋からは幸い直通の特急「しらさぎ」が出ているので、これを利用。
名古屋から北陸へ直行する列車は、米原で進行方向が逆転するので、席を180度回転する作業を要する(すると、それまで窓側だった人の席が通路側になる)。
あるいは、名古屋から米原まで新幹線を使ってもOK(その方が所要時間が短い)。
本州一長い北陸トンネルを抜けると雪国。

芦原温泉駅からは三国温泉郷の宿泊者共通の送迎バスを、路線バスをもつ京福バスが運行している(宿経由で事前予約)。

宿の部屋はリニューアルした和洋室。
新しいだけに清潔感あふれ、広々と使える。
フロは付かないが温泉の大浴場に入るから不要。
和洋室って持参したパソコンで作業するのに最適(木の椅子より座椅子の方が長時間できる)。
和室の座卓で作業して、ふと顔を上げると部屋の窓からは松の疎林の向うに日本海が広がる。
部屋からの眺めも重要なポイント。
散歩道や遊歩道もあり、気分転換環境も万全。
まさに私が追い求めている「執筆滞在」に向いている。
LANの差し込み口があるので、フロントに訊ねたらLANは使えないと。
LAN使えれば3泊以上執筆滞在できるのに…

せっかくなので、一品料理に「蟹刺し」を注文した。
本編の料理には蟹の胴部分が出てきたので、これで両方味わえた。
ビールで喉を潤しながら、新鮮な蟹刺し(地元ならでは)を口の中に入れる。
幸福感!

翌日はさっそく一番の名所・東尋坊に行った(1月20日の記事)。

ここは名古屋から遠いが、交通の接続が良いので、電車の旅が車でいくより気楽。
回数券だと名古屋-米原間は新幹線を使っても同額となるので、これをチケットショップで往復分買うといい。

宿は合格点だが、残す問題は所要時間。
往きは、名古屋発の「しらさぎ」から、送迎バス経由で宿まで3時間。
帰りの接続をチェックしたら、宿を朝9時台の送迎バスに乗れば、10時台のしらさぎに乗れ、米原で新幹線に乗り換えて、名古屋に12時台に着く。
それなら、朝風呂浴びて・朝のビュッフェバイキング食べて、職場の午後13時20分からの定例会議に間に合う!

東濃、浜名湖に続いて定宿候補が1つ追加された。


凧揚げ

2009年01月10日 | 歳時
東京に初雪が降った翌日の今日、冬型の気圧配置になり、東京は快晴で北風が吹く絶好の凧揚げ日より。
実は、昨年母が孫用に手作り凧を習ってきて、その時丁度来日中の姉が凧にウルトラマンとドラえもんの絵を描いた。
その手作りの凧を5歳の甥っ子に揚げさせるべく、凧揚げ日よりの今日、荒川の河川敷に行った。

和紙製の凧がすぐ壊れるとつまらないので、ビニール製のカイトも買っていった。
だがカイトは、5歳児には揚力が強すぎて、引きづられてコントロールできない。
手作り凧の方が丁度よくコントロールできた。
河川敷のグランウンドで寒空の中何にも邪魔されず1時間越えて熱中した。
私自身、こんなに思いっきり(糸をめいっぱい伸ばしきって)揚げたのはすごい久しぶり(というより、前回を思い出せない)。
体はすっかり冷えてしまったが。

木造住宅の燃えやすさ

2009年01月07日 | お天気
正月から、悲惨な火災のニュースが続いている
今の時期は、火の不始末という直接原因だけでなく、
乾燥が続くことで木が燃えやすくなっていることも見逃せない。

では、この燃えやすさの度合いはどうやって知ればいいか。
気象庁が伝える「(相対)湿度」は、今現在の空気の乾燥度を示しているので、
昨日まで雨なら、たとえ今湿度が低くても燃えにくい。
それに相対湿度の値は気温の影響をうけるので、一日の気温変動に応じて変化する。

わが私設”気象台”の計測値の中では「平衡含水率」がこの指標に使える(間接的なものだが)。
たとえば、東京(ひぐらし)の1月7日の平衡含水率は8%台で、冬の平均値10%より低い(ちなみに年平均は15%)。
一方名古屋(星が丘・日進)では10%台なので平均的(というより、都市化の影響で東京の乾燥度が群を抜いて高い)。
ただしこの数値は、携帯電話用のページにのみ載せてある。
私のサイトの「気象の世界」に入り、各”気象台”のページに行けばアクセスできる。

正月読書録4:心理編

2009年01月06日 | 作品・作家評

正月を迎えるたびに、一年が過ぎたことを実感する。
そして何より、歳をとるたびにこの一年間がだんだん短く感じ、無為に歳をとっていくことの寂しさを強める。
いやその前に、大晦日がある。
大晦日はまさに過ぎゆく時を味わうように、一秒一秒噛みしめてすごし、一年が切り替わる最後の瞬間を神妙に迎える。
これは世界の”死と再生”の交換を体験する心境だ。

その一方で、大晦日や元日など実は一年の任意の一日にすぎず、特別視するのは馬鹿らしいというシニカルな発想もある(実は私自身学生時代そうだった)。

そのような”時間”そのものと向かい合えるこの時期に最適な本を見つけた。
『大人の時間はなぜ短いのか』一川誠 集英社

著者は認知心理学者で、認知心理学は心理学の基礎分野でありながらもっともホットな領域である。
つまり誰にも関係していてしかも新しい情報が産出している、心理学の中で一番おすすめの領域。
私も専門でないので、このような新書レベルでも最新の研究成果が載っていれば参考になる。

本書の1,2章はイントロで、視覚的な錯視の話から始まるので、「本題はまだ?」という歯がゆさを感じるかもしれない。
3章で時間体験の生理的基礎が解説され、
4章と5章で時間体験の認知心理学の紹介され、ここがいちばん楽しい。
時間感覚の錯覚現象を実験データにもとづいて紹介しており、たいへん興味深い(ただし認知心理学的実験に馴染みがないと、理解しにくいかもしれない)。
ちなみに、いちばん知りたい「加齢に伴って過ぎた時間が短く感じられる」現象は実験データ的に確認されており、身体的代謝の衰えと関連しているという(詳しくは本書を)。

だが6章以降の時間を使いこなすという実用的問題になると、どう生きるかという本質的な価値観の問題にかかわるため、歯切れが悪くなり、今までの知見の表面的な応用に留まる。
それでも、毎日1分間の時間評定をして、今日の体調を判断するというのは、役に立つかもしれない。

時間をどう生きるかという問題は、刻々と少なくなっている"生"をどう生きるかという問題になるはずだが、そのような問題の深みには達していない。
それが物足りなさとして残る。
だがその問題を認知心理学者に求めるのは酷だろう。
これは存在論的思惟が必要な哲学的領域だからだ。

時間とは"存在するコト"という現象である。
このレベルの時間論は、私にとっては、フッサールの『内的時間意識の現象学』とハイデガーの『存在と時間』が基本となっている。
ではこれらの時間哲学が時間体験の正確なデータに基づいていのかというとそうではなく、彼らの時代の前科学的な一般常識に準拠している。
認知心理学レベルの時間体験のデータと、私や世界が"在ること”の意味を問う哲学とを結びつけることこそ、必要だと思っている。


正月読書録3:民俗編

2009年01月05日 | 作品・作家評

かつて登山を趣味にしていた私が富士塚・富士講(御嶽講も)に興味をもっていることは本ブログで紹介した。
富士塚に興味をもったのは、登山から遠ざかり、本物の富士(平成18年夏に登山)に行く元気がなくなったので、手近に済まそうと思ったから。
この発想、まさに富士塚を造った江戸市民そのもの。
そんな折り、渡りに船とばかりに2008年暮に出版されたのが何度も紹介しているこれ。
『ご近所の富士山の「謎」』有坂蓉子 講談社

著者は芸大出の美術家で歴史民俗学とは無縁(といっても本では富士講の解説もしてある)。
美術家であるだけに、いわゆる民俗学系ではない独自な見方をしているという自負をもっている。
それは、富士塚を造形的に捉えるという視点。
実際、各地の富士塚をルートとその周囲の配置物の絵で解説している。
これぞまさしく富士の登山案内。
そういう本だから、この本を携えて富士塚に行こう。
実際、江古田富士と下練馬富士に行ってきた(1月3日の記事)。
ただし、この本で紹介されている富士塚は、登り甲斐のあるものだけなので、都内の富士塚を網羅しているわけではない。
それらについては別の富士塚のサイトを参照されたい。
ちなみに著者のサイトでは、自宅用のミニ富士塚を販売している
(これらサイトへの接続は、1月1日の記事内で)。

富士信仰については、専門書にはまだ接していない。
手元にあるのは、北区教育委員会がまとめた『田端富士三峰講調査報告書』。
同委員会ではもっと立派な富士塚”中里富士”についても調査報告書がある。
富士講の実際を知るにはこういう報告書が一番。
あと新田次郎の小説『富士に死す』(文春文庫)は富士講の中興の祖・食行身禄の足跡を描いている。


正月読書録2:関東戦国編

2009年01月04日 | 作品・作家評

西多摩の秋川高校時代に地歴部員だった私は、学園祭の発表のため、近くの滝山城と八王子城の歴史について調べようと、まずは『東京都の歴史』(山川出版)の中世後期の部分を読んだ。
そうしたら、足利氏の鎌倉府と古河公方、その家臣である山内・扇谷の両上杉氏、その両家の家宰長尾氏に太田道灌らの争い、そして後北条氏の関東進出に、上杉謙信の越山、武田信玄の来寇という次から次への複雑で激しい展開に魅了された。

特に、戦国前期(関東の戦国時代の開始を1438年の永享の乱とする。1510年の北条早雲の進出は既存の動乱に乗じたにすぎない)の両上杉氏と太田道灌あたりは、自分にはほとんど未知だったので、その複雑さが面白かっただけでなく、練馬区石神井の三宝寺池がその頃の史跡であることを知って、武蔵野の風情が大好きだった自分には、ますます楽しくなった。

その後は河越の夜戦から始まる『関八州古戦録』(メインは氏康・謙信・信玄の関東三国志)がバイブルとなり、何度も読み返し、戦国の関東に思いを馳せた。

江戸の街の生みの親・太田道灌については、小説だけでも数編あるくらいだが、道潅に滅ぼされた豊島氏については、道潅以上に地元東京の家柄であるだけに興味がもたれる。
最近ようやく研究成果がまとまってきた段階で、それらを見逃さないことにしている。

1.『決戦~豊島一族と太田道灌の戦い』葛城明彦 風早書林 2008年新刊書
そして今年出た『決戦』は、豊島氏側に立ちながら、豊島氏・道潅双方のかかわりの歴史をその都内の史跡を紹介する形になっている。
つまり豊島氏・道潅の歴史を偲んで都内(都内に限られる)を散歩するにはもってこいの本。
三宝寺池の照姫伝説の解釈などが真新しかった。
また練馬区にも「道灌山」があるのを知った。

2.『太田道真と道潅』小泉功 幹書房
この書は、道潅の築城550周年記念として2007年出版された。
道潅の足跡を中心に、太田氏の本拠川越城と道潅が新たに造った江戸城近辺の史跡を紹介している。
道潅は、当時の武将の中では一段レベルが抜きんでた天才肌で、戦えば必ず勝ち(豊島氏など一蹴)、築城は後世の模範となり、治世において江戸を都市化し、和歌の才にすぐれていた。
その才が目立ちすぎたため、主君から暗殺された。
道潅は戦国の風雲児・北条早雲と同い年で、早雲以上に関東に覇を唱える力をもち、絶好の位置にいたのだが。

以上の2冊は、ともに概説的で読みやすい。どちらかというと、史跡散策のための書。
その意味では、地元民向け。
より専門的には、学者らのシンポジウム記録である『豊島氏とその時代』新人物往来社、黒田基樹『扇谷上杉氏と太田道灌』岩田書院などがおすすめ。


練馬区富士登山

2009年01月03日 | 東京周辺
新年最初の外出(除:鎮守初詣、賀状投函)として、
都内の富士塚、しかも正月・山開き以外は閉鎖されて登拝不能な所を選んで巡ることにした。
山岳部員だった学生の頃は、本物の冬富士に登り、元日は日本アルプス稜線上で迎えたものだが、いまではこの有り様…

参考にしたのは、先月出版されたこの本。
『ご近所の富士山の「謎」』有坂蓉子 講談社α新書

個人的に未踏の富士塚で、上の条件に合うのは、練馬区は江古田駅前の浅間神社の富士塚(江古田富士:写真)。
ここは一合目から標石があり、身禄塚・小御岳・太郎坊なども揃っている。
また大山不動像と禊の滝も併設。
ここの浅間神社は地元の鎮守になっていることもあろうが、この本のせいかどうか、開山時期が限られていることもあり、登拝者が多く、一人分のスペースの山頂奥宮へは順番待ち。
だが神社の販売所には、富士信仰に関係するものは置いてなかった(富士信仰は神社(本庁)神道ではなく、教派神道)。

ここだけでは物足りないので、東武練馬駅近くの”下練馬富士”に足を伸ばすことにした。
持参したハンディ・ナビによると40分ほどかかるが、食べ過ぎでなまった体を絞るためにも歩いて行く(この付近は訪れたことないし)。

ナビが示すルートは旧川越街道。
これは都民にとっての英雄太田道灌が開いた道。
実は正月は、中世の東京の歴史本(正に道潅のあたり)を読むことにしているので、この道も正月通るのにふさわしい。
途中、江古田の庚申塔、練馬区が板橋区から分離独立したこと記念する碑(開進第三小学校脇)を過ぎ、初詣客が列をなしている氷川神社を抜け(参拝はせず)、北上をつづけて、
ぐっと小規模な天祖神社の左にある富士塚に達する。

商店街になっている細い旧川越街道脇にあるのだが、訪れる人はいない。
ここの富士塚の隣は二階建ての住宅で、頂上と民家の窓の高さが同じ。
ここには、富士信仰の開祖・長谷川角行の石像もある。
神社の後ろには、白狐稲荷があり、白狐が浮き出た石のご神体(秀吉~石田三成の守護神という伝説)が祀ってある。
旧道に沿って東武練馬駅(この駅は板橋区)方面に進むと、小ぶりというよりミニチュア的な仁王門があり、その奥に1600年代に作られた大きめな観音石像が安置されている。
練馬区の富士塚を2つ登り、それ以外にも地元の民間信仰の跡にも接することができた。

正月読書録1:幕末編

2009年01月02日 | 作品・作家評

今年から、当ブログの情報価値を高めため、極私的状況のみではなく、自分が読んだ本について紹介する。
ただし、それ自体が評論として価値のある”書評”ではなく、ネット書店の”読者コメント”レベル。
また読んだ本すべてではなく、専門書と載せる価値のない本は除く。

さて年末年始は、伝統回帰の気分になるので、読む本も歴史、とりわけ自分が高校以来興味をもっている”中世(室町期)の関東”と、曽祖父の関係で”幕末”に焦点をあてている。
読んだ順で紹介する。
まず年末は幕末物を読んだ。
今回は、勝海舟と大久保一翁。

1.勝 海舟『氷川清話』 江藤淳・松浦玲編 講談社(学術文庫)
勝海舟って、幕末維新の最大のヤマ場である”江戸無血開城”の一方の立役者の割には人気がない。
彼はその頃の徳川方代表なのだが、佐幕方(ファン)からみると、近藤・土方のように義に準じる美学がないし、会津のような悲劇性もない。
幕府遊撃隊の一員として箱館戦争に参戦した曽祖父をもつ私にとっても、戦わない幕臣・勝海舟には興味がわかなかった。
でも、このべらんめえ口調の江戸っ子こそ、実は幕末維新の”最終勝利者”ではないかと秘かに感じていた。
彼が守った江戸の街が、新時代の首都の座を京・阪から勝ち取り、近代国家日本の中心地としてその後の繁栄を導いたから。
しかも彼は、その繁栄の都で天寿を全うした。
この部分は気になっていたので、彼の書を読む機会をうかがってはいた。
この本は松浦玲らが氷川清話の元編者吉本襄の改竄を削除修正した版である。
その点でも史料的価値は高まっている。

勝が佐幕ファンから人気がないのは、彼自身が”幕臣”であることにも”武士道”にもこだわらなかったためだ(すなわち視野のスケールの違い)。
福沢諭吉は彼の武士道論において、勝の維新後のあり方(伯爵・政府の監査役)を批判している(その草稿を勝に送って、批評を求めたことが『清話』に載っている)。
『清話』を読んで解るのは、勝は尊皇・佐幕両派が準拠している”主君の御ため”ではなく、日本(国民)を第一に考えていた点。
彼の視野はすでに”近代人”だった(勝を殺しにいった坂本龍馬はこの勝の視野を学んだ)。
もとより幕府内の腐敗・時代遅れ性に辟易していた彼にとって、大政奉還は既定の方向であり、江戸城の明け渡しは、屈辱でも挫折でもなかった。
勝は幕臣時代から日本と朝鮮・中国との三国同盟を理想とし(殆どの日本人が佐幕対倒幕という視野の頃、東洋対西洋という視野をもっていた)、それゆえ日清戦争には反対していた。
ある意味、幕末維新の元勲たちで、これほど”戦わない”ことを志向した人もめずらしい。
その意味でサムライ精神全開の新選組と対局に位置するわけだから、人気がないのもむべなるかな(私個人的には土方歳三ファン)。

2.続けて古書店で買った『海舟座談』(巖本善治編。岩波書店)を読んだ。
手にした本は旧仮名遣いで、絶版なのかもしれない。
こちらは海舟の付人であった巖本氏による語録であり、氷川清話よりも海舟の生の声に近い。
また海舟の関係者の海舟への回顧録も含まれている。
人物評など『清話』と同じ記述もあるが、併せて読むとさらに理解が深まる。
というより、こちらの方が勝自身のホンネが一層出ている。
特に、海舟の根本的な価値観が解る。
彼は庭の木を切るのを一番嫌ったそうだ。
そして庭の草を刈ることも、虫の隠れ家がなくなるとして嫌がった。
彼を殺しに来た者は坂本龍馬だけではないが、海舟自身は、刀を抜いたことはないという。
彼の平和主義は筋金入りだった。
ところが、西郷との会談の場では、江戸を火の海とし決戦も辞さぬ態度を示す。
しっかり交渉術に長けていたわけだ(敗北主義・お花畑的平和主義者とは違う)。
この巧さが、純情(好戦的)な武士道ファンには狡猾と映るのだろう。
このように勝の偉業に目覚めたら、次の書に手が出た。

3.『勝海舟を動かした男 大久保一翁』古川愛哲 グラフ社
これは2008年11月の新刊書。
無役の勝を抜擢し、平和裡の体制変革である大政奉還の構想をもっていたのは、この幕臣一翁であった。
大久保一翁は、三河以来の譜代大久保氏の子孫。
だから幕臣としての年期は誰にも負けない。
その彼の、徳川氏の名誉ある幕引きを論じた『大開国論』は、残念ながら幕府内では無視された(特に慶喜)。
そして勝→坂本→後藤へと継承され、時機を逸し(徳川方にとって)不本意な形で実現された。
また江戸無血開城時の幕府側の公式の代表は、勝ではなく、一翁だった。
西郷たちは、勝や一翁には人間として敬意をもっていたが、(姑息に動く)慶喜は許しがたかったようだ。
誠明な14代将軍家茂が長生きしていれば…。

ただし大政奉還構想をもっていたのは、一翁だけではない。
勝がもっとも高く評価した人物の一人、横井小楠もしかりである(勝がベスト評価したもう一人は西郷隆盛。勝にとって大久保はちと考えすぎる欠点があったらしい)。
次に読む幕末物は横井小楠かな。

さて、以上の3冊。
勝海舟を知るには『海舟座談』の方がお薦め。
海舟の人となりがこっちの方が生々しく描かれているし、『清話』について本人たちも疑問に思っていることが示されているし。
また『大久保一翁』のように、真に維新を導いた人の発掘・再評価が進むのも頼もしい。


初富士

2009年01月01日 | 歳時
読者のみなさん、新年明けましておめでとうございます。
今年もこのブログをよろしく。

さて、ほぼ快晴の元日を迎えた。
まずは袴姿になって、氏神の諏方神社に参拝。
奥の御嶽講の祠にも参拝。
近くの名所”富士見坂”からは、純白の初富士を拝むことができ(写真)、
元日から気分がいい。

ついで、第二氏神の八幡神社に行き、
ここで一陽来復の札を買う(景気回復の願いをこめて)。
またここには小さな富士塚があり(富士講が健在)、そこにも参拝。

そういえば、年末に格好の本が出た。
『ご近所の富士山の「謎」』有坂蓉子 講談社α新書
なにしろここ最近は、正月と7月1日前後(山開き)には、富士塚に詣でているから。
いままでは都内の富士塚サイトだけがたよりだったが、この本は周辺県の富士塚も載っているのがいい。
これを参考に、正月に限って登拝できる富士塚に行くつもり。
(作者関連のサイト:芙蓉庵→富士塚キットも販売)

午後は、弟一家を迎えてお節料理を囲む。
例年通り、私は烏帽子・直垂(ひたたれ)姿で屠蘇による式三献の儀を執り行なう。
この三が日だけは、昼間から酒を飲んで、料理をつまむだけの気楽な日々。