今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

町の図書館のパソコン持込み対応

2016年04月29日 | 東京周辺

そもそもGWは旅にはいかず(どこも混んでいるし高い)、むしろ研究作業の集中期間としている。

ところが、パソコン(ノート)を持ち込んでの作業に愛用している国立国会図書館は、カレンダー上の休日は判で押したように休館なので、GWはほとんど使えない。

さらに足を伸ばして広尾の都立中央図書館という手もあるが、食堂の魅力がなくなってからは、行く気が失せている。

残るは、近所の区立図書館。
町の図書館は、毎週月曜だけが休みで、年末年始以外は、カレンダー上の休日でも開館している。
すなわち日曜も5/3-5/5もすべて開館!
これはうれしい。

だが、私があえて国会図書館に通っていたのには理由がある。
町の図書館には食堂がないというのも理由の1つだが、もっとも痛いのは、パソコン作業に対応していないことで、むしろ、パソコン持込みを排除する方向にすらある。
その理由は、ひとつには限られた閲覧席を読書する人に優先させるためだが、最寄の区立図書館では、持ち込んだパソコンで配架してあるCDを片っ端からコピーした輩がいて、それで使用制限になった。
マナーを無視する無節操行為が、法でのがんじがらめ(不便)をもたらす、いつもの流れだ。

それに予算が限られているので、電源設備を設けて、しかも電力まで提供する気にならないのだろう。

実際、パソコン持込み可の所でも、2時間の制限が設けられている。
かつて都立だった千代田区立日比谷図書館もこのパターン(ここは食堂があるのだが)。
たった2時間では行く気になれない。 

ところが、最寄より少し遠いだけの他区の図書館(ビルの1フロアなので分館規模)では、なんと窓側2面をパソコン持込み可のカウンタに改造してくれた。
もちろん電源付きで時間制限はない。
カウンタ席だが椅子は柔らかく、背もたれもある。
その区のずっと立派な中央図書館は2時間制限だから、隠れ家のような目立たないロケーションのここ独自の、来館者を増やすためのサービス強化策なのだろう。
徒歩圏内にこういう設備でできてとてもありがたい。
なにしろ家だと気が散って集中できないから。
それに外出して往復するだけでも気分転換と運動になるから。 


至適温度の端境期

2016年04月27日 | お天気

冬の至適温度は20℃、夏の至適温度は27℃である。 
実際、冬の暖房は20℃に達すれば寒さがなくなり、夏の冷房は27℃に下げないと暑い(省エネ基準の28℃では暑い)。
季節によってこの7℃の差があるのが面白い。
人間の寒暖感はかように環境要因に左右されるのだ。

さて今日、帰宅後部屋が暑く汗で出たので、窓を開けっ放しにした。
その時の室温は24℃。
冬の至適温度から4℃も高いので、暑く感じて当然。
ただ夏の至適温度からは3℃も低く、冷房の効きすぎで肌寒い状態。
つまり、4月下旬現在の私の肌はまだ冬対応のままなのだ。 

 

 


次の地震はそこでは起きない

2016年04月26日 | 防災・安全

地震災害が起きると、「次はどこか」という思いにかられるのは、地震国の住民であれば、いたしかたない。
実際私もそのような記事を書いたら、アクセスが増えた。

だが、われわれが目の当たりにしてきた事実は、「東海地震」が起きる起きると言われ続けて30年、そこは沈黙したままで、
その間に起きたのは、あたかもその予想を避けるかのように、神戸、中越、東日本、熊本など、まったく別の地域での地震。
つまり地震は”そこ”では起きなかった。

だから、「神繩・国府津-松田断層帯」の確率が最も高い、いや「首都直下型」が先、いや「南海トラフ」が先という議論は無意味で、
どこで起きてもおかしくないと思うのが正しい。
真性の地震国であることを自覚するなら、「次はどこ」という推定地の限定化ではなく、
「次は自分のいるここかもしれない」と全員が思うべきである。
言い換えれば、「次は(自分の居る所ではなく)あそこだ」と思って”安心”することは防災上の後退でしかない。

「次はここかもしれない」という前提に立って、まずすべきことは、
震度7が起きても倒壊だけは免れる耐震化である(1981年6月以降の建築なら新耐震基準を満たしているのでOK)。

今回の地震でもそれ以前の地震でも、新耐震と旧耐震の差が歴然だった(熊本県の耐震基準は東京などの80%レベルに抑えられている)。
先日訪れた小田原城内(神繩・国府津-松田断層帯と相模トラフが近くを通る)の天守閣は、その耐震化工事で閉館中だった(5月から開く)。
公共施設は公費で、住宅は私費と公的補助で推進する。
この耐震化の不徹底が防災のネックになっていることが、熊本地震でもはっきりした。

そして、自治体(都府県)レベルでの防災化の推進(公助)が必要。
これは「この地に起きるかも知れない」と正しく自覚しているかどうかで差が出てくる。
さすが関東大震災に見舞われた東京都と、来る来るという東海地震の震源域をかかえる静岡県は真摯に取り組んでいる。
東京でいえば、大震災後の大正時代に、火災の延焼防止と物資の輸送促進のための広い道路網(東京を同心円状に囲む環状線とそれに直交して放射状に広がる線)を計画し、それが現在でも進行している(住民の反対でなかなか進まないため)。 
それと少なくとも東京区部では、住宅地のブロックごとに消火器が設置されている。
これは名古屋市(東海・東南海地震に見舞われるはず)では見られない光景だ。

東京に大地震が来たら”壊滅する”という期待が、特に遷都を希望する地域から寄せられているが(自分の所には地震は来ないと思っている)、
「次はここかもしれない」と自覚している東京だからこそ、財力を活かして最強の防災都市に成ろうとしている。
自治体の防災対策は住んでいればよくわかり、住んでいない人にはわからない。
だから勝手に「あそこは地震で壊滅する」なんて言わない方がいい。
むしろ、過去の震災経験も戦災もなく、古い町並み(旧耐震の木造家屋+緊急車両が入れない狭い道)の残っている(次はここかもと住民の誰もが思ってない)地方都市こそ、被害が大きくなりそうだ。


石垣山城と小田原城

2016年04月24日 | 城巡り

学生時代の友人たちと小田原に行った。
小田原城と石垣山城の見学が主目的だが、行った途端に地元の名物料理の賞味がメインになってしまったのはこのメンバーではよくあること。 

それはそれで楽しいが、このブログでは”山城巡り”をシリーズ化しているので、その部分に限定して記す。

そもそもタイトルにある小田原城は天守閣と本丸だけは過去にも数度訪れた。
だが、これで小田原城に行ったことにするのは、山城オタには許されない。
城とは建物ではなく、縄張りであり、小田原城の広大な城郭をこそ歩かねばならないのだ。
でも、箱根の温泉旅にちょっと立寄るには、それは無理だった。

そしてもう一つ、小田原の南西の山上にある石垣山城(秀吉が小田原攻めの拠点として建てた)は、これまたハイキングコースになっているので、箱根の電車旅では立寄れなかった。
つまり、両城ともそこを目的として訪れる必要があったのだ。
それが今回実現したのは喜ばしい限り。

JR早川駅の小田原港で海鮮バーベキューを楽しんだわれわれは、腹ごなしを兼ねて、西にそびえる石垣山をめざした。
近道となる直登コースを進み、体が火照る頃、石垣山に達した。 
途中の道で散見したように、この山は石垣になる岩石が豊富。
秀吉がここに築城を決めたのは、小田原城を眼下に見下ろせる好位置だけでなく、築城の材料が足下に豊富にあったためでもあることがわかった。
実際、この城は「一夜城」の別名があるように、驚くほどの短期間(ただし82日)で完成
した。
一夜城の別名が有名なので、簡易な砦レベルを想像してしまうが、石垣城の名の通り、関東にはない、織豊型の最先端の技術を駆使した立派な石垣の城である。
この立派な城が、広大さを誇る小田原城を見下ろす山にあっという間にできたのだから、籠城に自信を持っていた小田原勢は度肝を抜かれたに違いない。
実際、本城の展望台に建つと、小田原の町並み=小田原城の総構えがすべて見わたせる(写真)。

ここから箱根登山鉄道の駅・入生田まで徒歩で降りようと思ったが3kmの距離に嫌気がさし、丁度来た市内観光用バスに乗って、小田原城の藤棚で降りた。
ここから、西にしばらく歩いて、小田原高校を過ぎ、小峰という所で、城の大堀切の底に入る。
ここまで歩いてきた道がずべて小田原城の城郭内なのだ。 しかもこの大堀切の深さもすごく、まるで天然の谷のよう(写真)。
いいかえれば、石垣がまったくない土の城の様相。
ここを抜けて、陸上競技場の手前で右折して八幡山古郭を抜けて、石垣と天守閣のある江戸時代の小田原城に下り立つ。 
これらもすべて城郭の内側。 

江戸時代を通してこの城は稲葉氏・大久保氏が居城としたが、5月3日にこの城内で行なわれる小田原市を挙げての祭は「北條五代祭」。
早雲(宗瑞)が乗っ取り、謙信が囲み、信玄が囲み、そして秀吉と家康が開城させた小田原城は、戦国時代の関東の最大・最高の城として、じっくり丁寧に訪れる価値がある。
ただし天守閣周囲の観光としてではなく、地道な縄張り歩きとして。 


新耐震基準の家は強かった

2016年04月23日 | 防災・安全

毎日新聞(ネット版)の記事によると、
今回の熊本地震で倒壊した建物34棟のうち登記簿等により建築時期が判る25棟で、
新耐震基準以前に建てられた(すなわち、旧耐震=既存不適格)建物は23棟、新耐震基準の建物は2棟だったという。
1981年6月以降の新耐震基準の建物は、震度7でも倒壊は免れるという設計である。
倒壊した旧耐震のうち15棟が益城町にあり、
旧耐震の家屋が多い自治体の多くで実施している耐震補強の補助はこの町ではなされていなかった。
そこを狙われたかのように、この町だけ震度7が2回も見舞った。
津波は防波堤の脆い所から崩していくように、災害は防災力の弱い所が狙い撃ちされる。

旧耐震と新耐震との被害状況のコントラストは、今回だけでなく、
実は兵庫県南部地震や中越地震(いずれも直下型)でも如実だった。
すなわち、1981年6月以降に、建築基準法に則ってきちんと建てられたなら、
今回のような地震でも倒壊(=圧死)だけは免れる!

ただ新耐震ながら倒壊した2棟が気になる。
この2棟の情報はないので、一般論でいうと、まず地震がない地域という認識により、
熊本県の耐震基準が一般の8割止まりに緩和されていたということをテレビ番組で知った。
まずこの点を押えておかないと、新耐震そのものの信頼性に支障をきたす。

あと、世の中にたまにあるのが、耐震偽装(昔日の姉歯事件)、
あるいは設計は基準に合致しても施工レベルのごまかし(横浜のマンション)。
その他に、建築後の違法な増改築によっても耐震性は劣化する。 
また、一階部を駐車スペースにしたり、大きな開口部を作ったりすると、本来の耐震性は得られない。 

逆に以上の問題がなければ、新耐震基準は心強い基準であることが直下型地震のたびに証明されているわけだ。
旧耐震の家は、そのまま住み続けるなら、筋交いをつけるなどの耐震補強をすべきだ。
多くの自治体(市町村)では、上限つきの補助制度がある。 


直下に活断層がある都市は

2016年04月21日 | 防災・安全

熊本−大分の地震のように、地震が場所を替えて続いているのは活断層が複数あるためだろう。
普通なら、マグニチュード(以下M)6-7が1回あれば歪み(ストレス)のエネルギーは解放されるのだが、
活断層が隣接していると、1つの活断層のストレスの解放が隣接する活断層の歪みストレスになって、
今度はそちらの解放が必要になるというシーソー現象が続いてしまうようだ(私の個人的推測)。

実際、熊本も大分も活断層が隣接どころか集中している。
熊本市周辺は、布田側断層帯、日奈久断層帯があり、西の海に雲仙断層帯(M6.8)が続いている。
ただ2回の震度7がいずれも熊本市ではなかったため、死者が2桁で済んでいる。

大分で地震が続いている別府湾周辺は、大分平野−湯布院断層帯(M6.7)と別府湾−日出生断層帯(M7)がそれぞれ東西に延びて、
両者が南北に重なっている。
さらに山側に崩平山−亀石山断層帯(M6.9)と野稲岳−万年山断層帯(M6.8)が続き、断層の集中帯を形成している。

その他に県庁クラスの都市の直下を貫く(主要)活断層帯があるので、
西から紹介しよう(情報源は防災科学研究所のサイトJ-SHIS)。
ちなみに「断層帯」は断層群が集まって帯状になっているものを意味する。

福岡市 宇美断層(M6.6)、警固断層帯北部(M6.7)…ここも複数の活断層が接近している
北九州市 小倉東断層(M6.6)
神戸市 六甲・淡路島断層帯(M7.3,すでに活動済み)
大阪市 上町断層帯(M7)…『防災白書』によれば想定死者4万人!
奈良市 生駒断層帯(M6.9)
京都市 琵琶湖西岸断層帯南部(M6.9)
福井市(南西部) 柳ケ瀬・関ヶ原断層帯北部(M7)
津市 布引山地東縁断層帯(M7)
以上

琵琶湖から淡路島にかけての近畿中部が活断層の巣であることは専門家の間なら周知の事実。
「関西は地震がない」というのは、プレート境界から遠いだけを根拠にした(活断層の分布を無視した)
神話(思い込み)にすぎないのだ。
紀伊半島の太平洋側はプレート境界に近いし。 

そして以前の記事で述べたように
名古屋市と東京区部は活断層が無いのではなく、不明にすぎない。


震度7が2回!

2016年04月20日 | 防災・安全

熊本地震(群)はなんと震度7(震度の最大値)が2回もあったことがわかった。
2回とも経験したのは益城町。
まさにダブルパンチ。
このような震災は初めてだ。
被災者の方々には心から同情する。
 
この地は日奈久断層帯と布田川断層帯が合流する所で、それぞれが日をかえて震度7の揺れを出した。
さらにその揺れがこの地で震度7となったのは、地震のエネルギーの大きさと、地盤の軟らかさが揃ったため。
逆に、人口73万人の熊本市が震度7にならなかったことで、被害がこれ以上拡がらないで済んだ(益城町の人口は3万人余り)。

それにしても震度6以上の大きな地震がこれほど続くのだから、
いくら耐震建築でも耐える限度を超えてしまう(新耐震基準でさえ、震度7の地震に”1回”は耐えられるレベル)。
怖くて自宅に戻れないのも当然だ(戻るべきではない)。
地盤も建物も弱っているため、余震が続けば、それだけで被害が拡大する。 

ただ、被災地の空間的規模は限られているので、予算的にも対応可能で、余震さえおさまれば、
復旧は一挙に進むことが期待できる(東日本大震災の時のような絶望感に国民が陥らないですむ)。
余震さえおさまれば…
もう祈るしかない。


防災に「安全」は禁句なのに

2016年04月18日 | 防災・安全

私の過去の記事「大地震に季節傾向はあるか」(2012年3月10日)は、今回の地震以前からそれなりに読まれていた。
この記事は、日本の過去1300年余の地震記録から、M7以上の大地震の季節傾向の有無を検証したものだが、
そのデータから、逆に過去に大地震の記録がない県の1つに熊本を入れ、「これらの県は長い目て見て安全といえる」と記してしまった。
もちろんその直後に「ただしM7未満の震源にはなっているし、
考古学・地質学レベルでの大地震の痕跡はあったかもしれない」と注釈はつけたが。

熊本地震の後、あらためてこの記事を見直してまずいと思った。
防災士たる者が「安全」宣言のような言辞を弄してしまったのは迂闊だったと(この記事の中で熊本は除外する旨を追加した)。

当時のこの記事を防災の根拠にした熊本県の方がいなかったことを今更ながら祈るのみ。

なぜ、防災にかかわる側が「安全」宣言をしてはならないか。
それは防災をすべき側に「安心」を与えてしまうから。 

”安全”という客観的基準は、怠る事なく追究すべき極限値である(100%は到達できない)。

ところが、”安心”という心理はいとも簡単に、たいした根拠もなく人々の心に入り込む。

防災とは、完全には実現困難な「安全」と、いとも簡単に達成され、安全から遠のいてしまう「安心」との永遠の戦いなのだ。
だから、責任をもって防災に携わる者は「安全・安心」という両者を安直に並列したスローガンを使うことはない。

防災に携わる者は、人々の”安全”を少しでも高めるために、むしろその動機づけとなる”不安・恐怖”を煽るのが仕事であって、
不安・恐怖の対極の心理である”安全”は決して宣言してはならない。 

防災にうるさい者は煙たがられるものだが、目的は人に好かれることではないから、人を喜ばせるような言辞は謹みたい。


熊本→大分→阿蘇と地震が続くと

2016年04月18日 | 防災・安全

熊本で始まった今回の地震群は、大分に飛び火した。
両者は中央構造線で結ばれていると思われるので(間が火山体に覆われているので確証無し) 、中央構造線に沿ってさらなる東進(四国へ)を一旦は危惧したが、

17日には熊本と大分でシーソーゲームのように交互に地震が続いている状態になって、専門家を困惑させている(まるで片方のストレス発散が、他方のストレスになってしまう関係みたい)。
ただ、熊本の方は主役が日奈久断層から北隣りの布田川断層の方に移動した感がある(後日追加:その後また活動主体が日奈久断層に移っている)。
すなわち震度7を出した14日の地震が日奈久断層で、M7.3の16日の地震は布田川断層による。
前震と本震というのは時系列上の区別であり、実際には別の断層の地震なのだ。

一方、大分は大分平野-湯布院断層あたりを右往左往している。

だが時たま震源が両者の中間、すなわち熊本の宇土半島の付け根と大分の国東半島の南の付け根(別府湾)とを結んだ線上の「阿蘇地方」になる。

といっても阿蘇山のカルデラ内ではなく、外輪山の北側だ。
といってもそれで安心はできない。
そこは阿蘇とは別の火山でより標高が高く、火山として若い九重山(大分県内)に近いから。
つまり阿蘇より若くて容積が充実している活火山の周囲で地震が頻発しはじめていることになる。

地震とは地殻の破壊現象であり、それが線状につながった時、九州は地下で真っ二つにされたことになる。 

そもそも九州を大分から熊本に斜めに横断する断層群は、九州を南北に延ばす力によって発生しているという。
地下がひらくのでマグマが噴出しやすくなる。
由布岳、九重連山、阿蘇カルデラはその線上の火山だ(そして別府、湯布院、長湯、黒川と日本第1級の温泉地帯を形成)。

線上の断層活動が火山を連続的に誘導する例に、本州ど真ん中のフォッサマグナがある。
大地溝帯上に、北から焼山※、妙高※、美ヶ原・霧ヶ峰、八ヶ岳※、茅ヶ岳、富士※の火山帯が形成されている(※が活火山。ただし八ヶ岳は北横岳のみ該当)。
前の記事の締めのセリフを今一度。
日本の国土は断層活動と火山噴火で形成されてきたのだ。 

※追記
4/21から、九重山塊での地震が始まった(23日現在まで5回)。私は阿蘇よりこちらが気になる。 


熊本の次はどこの活断層が危ない?

2016年04月17日 | 防災・安全

熊本に震度7をもたらした日奈久断層帯は、防災科学技術研究所の「地震ハザードステーション(J-SHIS)」(2015年試作版)の算定によると、
50年間の発生確率が、最大ケース(活動の短い間隔と最新活動が古い場合を考慮した)の場合、10.3%だった
(以下、マスコミが参照している情報源と異なりうる)。
また、想定されていたマグニチュード(以下M)は6.9だった。
この確率は全国の主要活断層の中でも高い方だ。
つまり、この断層の活動可能性は予想されていたのだ(しかも誰でも閲覧できる状態で公開されていた)。

ちなみに、連動した大分の「大分平野-湯布院断層帯」(東部)の同基準の発生確率は7.13%(M6.7)であり、
これも活動可能性はそれなりに予想されていた。
ただし本震(M7.3)の布田川断層帯は発生確率が1.24%でしかもM6.5の想定なので、
これはまったく予想を外している(すぐ近くの日奈久断層帯の活動に触発された結果なので仕方ないか)。

では、日奈久断層の10.3%を上回る発生確率を出している活断層、すなわち今活動してもおかしくない活断層は他にあるか。
あるとすればどこか。

実は、この情報(危険な活断層)は、上のサイトから公表された時点でマスコミに流れた。
だから、国民はすでに知っていておかしくない。
そして、該当地域の人は、十全な地震対策をしていておかしくない…はず。

なので以下の情報はすでに知っている人もいるはずなので、自信のある人はここから先は読まなくてもよい。

さて、もったいぶってないで、
日奈久断層の発生確率10.3%を超える発生確率を出している主要活断層を紹介しよう。
50年間の発生確率 「断層帯名」 予想マグニチュード、断層の所属県(地域)を記す。
 

13.1% 「高田平野東縁断層帯」M6.7 新潟県(上越)

13.7%「森本・富樫断層帯」M6.7 石川県(金沢の南東)

おや、日本海側の北陸が続いてしまった。
意外なようだが、このあたりは活断層が多く、地震だって多い(福井地震、新潟地震、中越地震、能登半島地震)。 

17.6% 「三浦半島断層群主部武山断層帯」 M6.5 神奈川県(東部)
日本第2の人口を誇る大都市横浜のすぐ南にある

そして20%越えになると

22.4% 「中央構造線 和泉山脈南縁」M7.1  大阪府(南部)

23.1% 「糸魚川-静岡構造線 北部・中部」M7.4 長野県(西部)

日本を代表する2大断層帯である中央構造線と糸静線(フォッサマグナ)がここに貫録のランク入り。
さすが両横綱はMがでかい(ちなみに糸静線北部は先年地震が起きた)。

そして第1位は

26.3%  「神繩・国府津-松田断層帯」M6.9 神奈川県(西部)!

なんと神奈川県が2つもランクイン。
神奈川といえば、関東大地震をもたらした相模トラフの震源地も抱えている。
相模湾の内と周囲あわせて3方に地震の巣があるのだ。
おそるべし神奈川。
「地震危険度日本一」の称号を与えよう。
神奈川はさらに活火山箱根を抱え、相模湾には東海地震からの津波もやってくる。
富士が噴火した時、火山灰をまともにくらうのも神奈川。 

番外編として、大分平野-湯布院断層帯の7.1%を上回る活断層は以下

7.43% 「奈良盆地東縁断層帯」M6.9  奈良県

8.97%  「黒松内低地断層帯」M6.8 北海道(長万部の西)

なんと地震から縁遠かった奈良県が入ってしまった。
逆に東北・北海道がやっとランクインしたが、これらの地域はプレート境界型の地震が多い。 

以上、ここにあがった活断層は、
すでに警戒されている南海トラフ地震(静岡・愛知・三重・和歌山・徳島・高知・愛媛・大分・宮崎)と
首都直下型地震(東京・千葉)に加えて、要警戒とした方がよい。
※後日追加:確率の高さは、順序の優先を意味するのではない。
すなわち、上の情報は「次はどこか」というピポイントの順ではなく、いずれの地も起こりうることを示したかった。

ただし、以上がすべてではない。
火山や沖積層など新しい地層に覆われた所は活断層が不明なのだ。
東京や名古屋の都市部の真下は不明。
一方、大阪の街の真下には上町断層帯(M7,5.13%…日奈久断層の発生確率よりちょっと低いだけ)が走っている。
日本は地震国だとほとほと痛感する。  

直下に活断層がある都市は

次の地震はそこでは起きない

 


熊本の地震が拡散している懸念

2016年04月16日 | 防災・安全

熊本地震の頻度と規模に驚いている。
何しろ、震度7を記録した地震は本震ではなく前震で、エネルギーのもっと大きい本震はその後に発生した(M7.3なので阪神淡路の兵庫県南部地震と同レベル)。
専門家もこれは予想できなかったようで、気象庁でも14日の地震以降はM5程度の余震が続くと言っていた。

さらに5-10分おきに震度3以上の地震が続いていて、被害が発生しうる震度5弱以上の地震も”頻繁”といっていいくらい。
火山噴火以外でこれほどの頻度・強度は珍しい。

これでは新たな被害が発生しそうで救助活動もままならず、倒壊のおそれがあるのだから避難者たちも建物内に居にくかろう。

そしてさらに心配なのは、震源が北東方向に拡散し、阿蘇を越えた大分までもが連動していること。
熊本の震源地と阿蘇を挟んた大分の震源地を線で結ぶと何かに対応する。
両者の活断層は中央構造線という大きな断層帯の一部を構成しているらしい(間が火山帯に覆われているため確証は得ず)。 

ということは、熊本から大分に拡散している地震は、西日本を南北に二分する日本最大の大断層「中央構造線」が活動しはじめていることを示すのか。

その中央構造線は大分から豊後水道を渡って佐多岬半島に続いていく

地質に多少の知識があれば、そして反原発運動が第一義でなければ、懸念すべき原発は、鹿児島の川内原発ではなく、中央構造線上にあるといっていい伊方原発(現在停止中)の方。

その中央構造線は、四国と紀伊半島を横断し、伊勢湾・三河湾を横断して、南海トラフとほぼ平行して東に延びている。
そして本州のヘソ・長野県の諏訪湖(断層できた構造湖)で、今度は本州を東西に二分する大断層・フォッサマグナ(大地溝帯)に接続している。

地震の種類について改めて記す。
地震(断層破壊現象)には2種類ある。
プレート境界型:南海トラフなど、惑星規模のプレートの境界
プレート内型:中央構造線などの活断層 。規模の大きい活断層はプレート内のブロック境界に相当する。
両者は互いに影響しあう。 

日本の地形を見ると、そのほとんどが大断層の活動(大地震)と火山噴火でできていることがわかる。
その上、南半分は台風の通り道で、北半分は世界的な豪雪地帯。
すごい所に住んでいるものだ。 


震度7(1580ガル)の揺れ

2016年04月15日 | 防災・安全

みなさんは震度7の揺れを経験したことはおありか。
本番の地震の揺れでなくていい。
防災センターや起震車などのシミュレーションでかまわない。
一度体験してみてほしい。

何かにしがみつく以外何もできないから。
恐怖以外に何も考えることができないから。

今回の熊本地震の震源地(震度7)では、揺れの客観的指標である加速度振幅が瞬間的に1580ガルに達したという。
重力加速度が980ガルだから、1580ガルの揺れの瞬間、無重力状態になった。
屋根瓦は浮いて舞い上がり、家具も重さ関係なしに移動しまくった。
もちろん人間も掴まっていないと宙に浮いたろう。 
地上が無秩序状態になったのだ。

こうなっては、1981年以前の”旧耐震”建築の古い家は倒壊を免れない(台風対策用の重い屋根瓦のせいでもある)。
それ以降の新耐震基準の家なら倒壊を免れたはず。
もし新耐震でも倒壊したなら、建築上のなんらかの問題がある。


熊本の地震

2016年04月14日 | 防災・安全

熊本で震度7の地震があった。
正直、個人的縁に乏しいこともあり、チェック外だった(私がチェックしていたのは、九州ではプレート境界の日向灘の地震)。

ちなみにJ-SHISの「地震ハザードステーション」を確認したら、
熊本市を含む熊本平野は布田川断層帯と日奈久断層帯があり(日本最大の活断層”中央構造線”の西端にあたる)、地震の確率が比較的高いという評価だった。
改めて、プレート内(活断層)の地震も忘れてならないことを痛感した。 

テレビ映像によると、直下型地震にしては、緊急地震速報が発令されたようである(その後の予震についてなのか)。
震源が内陸なので津波の発生はなさそうだ(それに横ずれ断層らしいので)。

震度7の益城町付近は家屋の倒壊がありえ、震度5強以上の地域もそれなりに被害がありうる。 
今(14日22時現在)は現地の情報がなかなか集まらない。
被害があっても今後集まるだろう(東日本大震災の時もそうだった)。 


コレステロール値が改善!

2016年04月12日 | 健康

昨年秋の勤務先の健康診断でLDL(悪玉コレステロール)がとうとう基準値(140mg/dl)を超えた。

その後の医療相談で、このままでは動脈硬化になってしまうので、なんとかすべしと医師に言われた。
そのデータを実家近くのかかりつけ医(降圧剤を処方してもらっている)に見せたら、コレステロール値を下げる投薬治療をやろうと言われた。
今一度、最新の血液検査の結果をみて実行することにした。

つまり、今一度の血液検査の前に、なんとか努力してコレステロール値を下げれば、毎日飲む薬が増えないで済むのだ(薬は必ず副作用がある)。

そこで、血液検査を3月の最終週に設定して、 それまでになんとか生活習慣を改めて数値の改善を期待した(その間に母が脳梗塞になり、動脈硬化の恐ろしさを目の当たりにした)。

といっても、日頃の運動(歩行)はそれなりにやっている(歩数計で確認)。
食生活の改善も、もともと納豆を始めとする大豆が好きで、野菜も好きで、肉類は好まない。
なのであまり改善する余地がないが、とにかく食卓に亜麻仁油やえごま油を置いて、野菜にかけた。 

それと毎晩の寝酒のお供、つまみのスナック菓子はよくないことはわかっているので、せめて干し魚などに変更した(止めることは無理)。

あと、朝夕の食後にEPA500mg・DHA250mgのサプリメントを1粒摂取した。

そして先月末に採血をして、その結果が今日の診察日に知らされた。

懸案のLDLは見事、基準値未満に収まっていた。
同時に、HDL(善玉コレステロール)が過去最高値になった(標準域をずっと超えている)。
もともとHDLが高めなので,LDLが少し下がれば動脈硬化のリスクはぐっと減るのが私だ。
もちろんγGTPも基準値未満。
これで心置きなく酒が飲める。 

いくつかした努力の中で、サプリが一番効いている気がする。
数あるサプリのうち、効果がはっきりしているのがDHA・EPAだという。
それに私にはL-システインも肝臓に確実に効いている。
なのでこれらサプリ(副作用がない)は今後も飲み続ける。


酒飲み(常用者)の健康管理

2016年04月09日 | 健康

アルコール依存の話(前回の記事)のついでに、アルコール常用者(=私)の健康管理を紹介しよう。

アルコール依存には決して至らない常用者は、飲酒量を自己管理できているわけだから、
脳は勿論のこと他の臓器への影響も自己管理できて当然である。

といっても休肝日などもたないのが常用者。
酒を一滴も飲まないというつまらない日をおくりたくはない。

でも健康は気になるはず。

まず、残念ながら酒は「百薬の長」ではない。
タバコのように悪い所だらけというほどではないが、薬か毒かと問われれば、
毒と言わざるをえない。

なぜなら酒(アルコール飲料)は、ガンのリスクを確実に高めるものなのだ。

だから飲まなくて済む人は、あえて飲まなくてよい。

でもリスクをことごとく避ける人生は面白いだろうか。

車を運転すれば、それだけ事故に巻込まれる確率は増える。
スポーツをすれば、それだけ身体を痛めがち(登山など危険このうえない)。
娯楽をすれば、それだけサイフからお金が消えていく。

少々のリスクに過敏になって右往左往している人の方が、ストレスがどんどんたまって短命な気がする。
酒もドライブもスポーツもストレス解消効果があり、またそれ自体が軽いストレッサーとなって、心身の反応を活発にもする。
実は、ストレスから完全に隔離されると、生物は防御能力が落ちて生命力が落ちる。
いけない、どうしても飲酒を正当化する方向に話が曲がってしまう…

さて、ここでは”酒は本来毒である”という認識で、その作用を軽減するための方策を話したい。

酒の毒性はアルコール(エタノール、アセトアルデヒド)にあるので、一番簡単なのは、
(飲まないという選択肢はとらないとして)アルコール成分(だけ)の摂取量を減らすことである。 
酒は種類によってアルコールの度数が異なる。
同じ飲酒量でも、酒によってアルコールの摂取量は異なるのだ。
だからビールだけを飲め、というのではなく、「水で割る」ことをお勧めする。

私自身は、アルコール度数が10%を超える酒はほとんど炭酸で割っている。
炭酸で割れば、味が薄まりにくいのだ。
蒸留酒(焼酎)だけでなく、醸造酒(日本酒、ワイン)も割っている
(日本酒を猪口でちびちびやる時は割らない)。
本来の度数が高すぎるウイスキーはずっと飲んでいない。

そしてアルコールの解毒機能をサプリで補強している。
毎晩、飲酒時に「L-システイン」を飲んでいる。
アメリカ製の大粒(500mg)のやつ(ビタミンCも含有)。

以前はウコンを飲んでいたが、ウコンには副作用があるので注意が必要。
またL-システインは肌のシミの予防と改善にも有効らしい。
副作用に白髪が増える場合があるらしいが私は増えていない。 

これが効いているのか、血液検査前日だけの禁酒でγGTPは正常値を維持し続けており、
アルコール性肝障害とは無縁ですんでいる(前日も酒を飲むとさすがに値が出る)。
このように、アルコールの毒性を複数の手段で下げているから、休肝日は不要
(依存者とちがって、まったくシラフの休肝時間は毎日きちんと設けている)。

 もっともメタボには飲酒は良くない。
血圧を上げるし、つまみを食べるためコレステロールも上る。
ただ、飲酒にはHDL(善玉)コレステロールを高める効果があり、実際常用者の私はHDLが高い。
血圧は降圧剤で下げており、あとはLDLを下げたい。 

かように酒は本来は毒だということを忘れずに、適度な距離を保って(酒に呑まれず)ずっとつきあっていきたい。
そうすればあの至福の瞬間を毎日味わえる。