今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

ポール・マッカートニーの影響

2015年04月30日 | 時事

ビートルズ世代のかろうじてはしくれといえる者として、ポール・マッカートニーの49年ぶりの来日には感慨深いものがある。
何をおいても武道館に行きたいほどの同時代性はないが。

彼の元気な姿を見て嬉しいのは、ベジタリアンでもパワフルに活躍できることが証明されたことだ


私は思想的でなく、嗜好的なベジタリアン(肉が好きでなく、野菜が好き)だが、心強くなる。

あと、授業で紹介予定の、左利きの有名人に彼を入れるのを失念していて、あわてて追加した(私も左利き)。

それだけでなく、無自覚レベルの影響ももたらしたようだ。

今日授業で、デカルトの『情念論』について、語っているうち、
「ジョウネンロン」の発音がどうしても「ジョンレノン」になってしまうのに気がついた。
ポール・マッカートニーが無自覚レベルでジョン・レノンを連想させやすくしたようだ。

このような記憶現象を心理学で「プライミング効果」といわれている。
ある先行刺激が与えられると、その刺激に関連する記憶が無自覚(私は「無意識」という表現は使わない)に喚起されてしまい、行動に影響するという現象。 


地震に弱い家

2015年04月27日 | 防災・安全

3びきの子ブタの話を思い出してほしい。
ワラの家と木の家とレンガの家があった。
暴風(オオカミの吐息)に弱いのはこの順だった。
では、地震に一番向かないのはどの家だろうか。

ネパールの地震被害は、日本にはない理由によって拡大している。
それはレンガ造りの家。

レンガを積み重ねただけの家は、広くユーラシアに拡がっている。
そして、アルプスヒマラヤ造山帯、すなわち激しい地殻変動の地帯もほぼおなじ領域になっている。
だから、四川省から、アフガニスタン、イラン、トルコに至る所で地震被害がひろがってしまう。

アルプスヒマラヤ造山帯以上に激しい地殻変動をしている環太平洋造山帯にずっぽり入っている日本は、
とてもじゃないが石造りの家には住めなかった。
明治になって一時的にレンガ造りが導入されたが、地震時に被害を大きくするため、廃れた。

日本の伝統的なわらぶき屋根こそ、地震に適している。
倒壊しても屋根が軽いため、圧死を免れるからだ。 

だが、災害国日本は、地震よりも台風や火災の頻度が高い。
わらぶき屋根はそれらにはめっぽう弱い。
これがジレンマだった。
江戸時代には、地震被害を減らすため、瓦屋根を禁止した所もあった。
日本ほど地震が多い所はなく、だからこそ地震対策をきちんとせざるをえない。

アルプスヒマラヤ造山帯周辺の地域には、
一生に一度来るかわからない地震に備えるほどの経済的・技術的余力がある所は少ない。
しかも乾燥地帯なので、ワラはもちろん木だってふんだんにつかえない。
一方、石なら至るところにある。

ということは、せめて鉄筋を入れるようにするべきだ。
日本のブロック塀も鉄筋を入れるのが義務化されてから、倒壊被害は激減した。 


岐阜城周辺を歩く

2015年04月27日 | 城巡り

せっかく岐阜に来たのだし、急いで帰る用事もないので、市内観光して帰ることにした。
実は以前、長良川を河口から水源まで沿って車で遡る旅をした時、一泊目を岐阜市の長良川温泉にとって、岐阜城には立寄ったので、それ以来となる。

温泉ホテルをチェックアウトし、荷物は預かってもらって、何はともあれ再び岐阜城を目ざした。
金色に輝く信長像が立っている(右写真)JR岐阜駅前のバスターミナルは岐阜バスがひっきりなしにやってくる。

その12番と13番の乗り口ならどれでも行けるといわれた。
岐阜市は市街地の南にJRと名鉄の駅があり、旧市街は北に拡がっている。
つまり市街地に行くには、駅からバスに乗る必要がある(駅前だけを見て、街の印象は語れない)。 

旧市街の北の区切りである「岐阜公園歴史博物館前」で降りる。
バスはこの先長良川を越えて、新市街地に進む。
目の前にそびえる金華山の頂きには復元された岐阜城天主閣が見おろしている。 

ロープウエイに乗って金華山の肩に達し、そこから岩の階段路を岐阜城に向う。

金華山は露岩だらけで、濃尾平野の北を区切る堅い残丘であることがわかる。
だからこそ、ここからの濃尾平野の眺めは広い(右写真)。
濃尾平野を制し岐阜城に入城した信長が「天下布武」を意識したのもうなづける。

かすかに小牧城の残丘も見える。
そう、実は山城巡りとして、清洲城→小牧城→岐阜城と、信長の足跡を追っているわけだ(次は安土城)。 

麓のロープウエイ乗り場の近くでは、信長居館跡の発掘調査が行なわれている。
居館跡がそれなりに復元されれば、新たな名所となろう。

公園を出て、近くの岐阜大仏を見上げて、 南に向う。
向った先には、岐阜善光寺があり、ここも御開帳をやっているが、2時間おきで、あいにく1時間後なのであきらめる。

善光寺の奥が、というより善光寺も門前の寺の1つとなっている長い参道と石段の奥には、金華山の鎮守のような伊奈波(イナバ)神社が鎮座している。

敷地も広く社殿も立派だ(右写真)。

ここもパワースポットだという看板があったので、iPadminiに入れてある愛用の幽霊探知器「ばけたん」を作動してみる。
この「ばけたん」を使ってきたおかげで私もだんだん霊感が鍛えられたので、
自分が何かを感じたら、「ばけたん」で探知するようにしている。
するとやはり「守り神の出現に期待」と出た。
さらにこの地にもともとあったという黒竜社も探知すると、同じく「守り神の出現に期待」と出た。
かように「ばけたん」を使うと、それなりの場所はそれなりの反応をしてくれるが、メジャーであっても何も感じない寺社では「何もない」と出る。

 あのホテルは気に入ったので、また岐阜に来ることになろう。
次に訪れるのは鵜飼関係かな。 


岐阜駅前の温泉ビジホ

2015年04月26日 | 温泉

日曜に名古屋宅にいても退屈なので、気分転換に近場の温泉宿を探したら、岐阜駅前にあるビジネスホテル(以下、ビジホ)が天然温泉だという。

大浴場のあるビジホは最近増えたが、天然温泉はなかなかない。
岐阜市内にはれっきとした「長良川温泉」があるが、このビジホの温泉はそれではなく、西濃の池田町からの運び湯ということ。
前回泊まった半田のホテルも運び湯であったが、結構濃かったので、がっかりはしない。

名古屋から岐阜はJR快速で20分程度なので、一般的には、たとえ用事があったとしても、そもそも泊りに行く先ではない。
私の場合は、用事はなくても、温泉にゆっくり(幾度も)入りたいので、どんな近場であろうと、あえて一泊する(最低3回は入れる)。

新しいビジホだと、ノートパソコンでの作業も集中しやすいし、ベッドもセミダブルでリラックスできるので、決して無駄な散財ではない(一泊6千円程度)。

そのホテルは「ドーミーイン岐阜駅前」といい、岐阜駅北口のペデストリアンに沿って突き当たった所にあるビルの6階から上がそれ。

シングルルームはいわゆる居間空間がトイレ・台所・玄関から扉で分離されている(我が名古屋の棲み家と同じ)。
居間空間はベッドが主役だが、ノーパソでの作業スペースはきちんと確保されており、椅子も広め。
エアコンの他に空気清浄機も置かれている。
液晶テレビもシングルルームにしては大きめで、BSも映る。
また、テレビから大浴場の込み具合も確認でき、ヒーリング音楽も流せる。

客室のあるフロアには氷ディスペンサーと電子レンジがある。 

私は朝食(バイキング)なしの素泊りにしたが、サービスの夜鳴きソバ(ラーメン)にはあずかれる。

さて、温泉だが、浴室は岩風呂にしてあり、温泉宿の浴室のような風情を出している。
これだけで温泉気分になれる。

分析書によると、泉質は「ナトリウム−炭酸水素塩泉」とあり、溶存量は1223g/kgあるのだからホテルの案内にある「アルカリ単純泉」(溶存量1000g/kg未満の薄くつまらない温泉)ではない。

湯口でサンプルを取り、測ってみると、pHは源泉と同じく8.6あり、「アルカリ泉」に該当。
電気伝導率は、740μS(29.9℃)あるので、濃くはないがちゃんと成分がある。
pHと電気伝導率でいうと今月初めに行った「新湯の山温泉」に等しい(今月は温泉に3泊したことになる)。
酸化還元電位が+629mVと酸化側に高いのは、運び湯としていたしかたない。

大浴場のあるビジホでしかも運び湯の場合、入浴時間が限られる所が多いものだが、ここの温泉は、15時から翌朝10時まで入れるのもありがたい。
サウナと白湯の浴槽もあるが、温泉が目的の私には用がない。 

以上、温泉を中心として、かなり好印象で、実際、ネットでのコメントも高評価だ。
日本人にとっては、室内のバスタブは味気ないことこの上ない。
このように無理してでも温泉大浴場にしてくれると、私のような用事がない近場の人間でもわざわざ利用する。 


片倉城・平山城址

2015年04月19日 | 城巡り

帰京中の今回の日曜は、国会図書館はもとより都立中央図書館も休館なため、
ノーパソ持参で長居できる所がないので、いっそ日帰り旅に出かけようと思った。

最初に思い浮かんだのが御開帳中の長野・善光寺だが、気持ちと旅費が準備不足なため次回にまわす(5月中には行きたい)。
ではどこに行こうかと決め兼ねているうちに、当日の朝を迎えてしまった。

今の私にとって、ふらりと気楽に行きたい先はといえば、それは城址(しろあと)
戦国期にあちこち造られた城は観光地でない所にあり、その城址だけが目的なので、下調べやルート計画などもほとんどいらない。

そこで思いついたのは、前回の八王子城の手前にある同じ八王子市の片倉城趾(じょうし)
京王線の「京王片倉」駅からすぐ行けるのがいい。
ここだけでは物足りないので、同じ京王沿線で昔(高校時代)から気になっていた(駅名にもなっている)「平山城趾」もハシゴしよう。

日曜の午前中なので、高尾山に行く客をのせた京王線に乗り、高尾の数駅手前の「片倉」で降りる。下車したのは私を入れて二人。
駅から国道16号沿いに南下し、湯殿川をこえて丘陵が近づき、「片倉城跡」の案内板通りに、右折する。

するともうそこは「片倉城跡公園」という立派な公園になっており、園内の路沿いに彫刻像が展示されている。
池畔には、一羽の大きなアオサギが、片足で立っている(写真)。
谷間には山吹色の山吹草の群落が広がり、城址なしでも楽しめる。
さて丘の上にある城主不明(扇谷上杉氏方らしい)の片倉城の縄張りは、本丸とその4倍ほどの二の丸からなっており、いずれも芝生の広場になっている。
虎口(曲輪の出入口)は不明瞭だが、一般向きでない、山城ファン専用の細い踏跡をたどると、虎口らしき跡や帯曲輪跡にも行ける。
城の地続きの台地上には家庭菜園やバーベキュー広場があり、家族連れが休日を楽しんでいる。
台地上なので八王子市街を見下ろし、奥多摩や丹沢の眺めがいい。
南側の向かいの台地には日本文化大学の広いキャンパスが見える。
ここ八王子市は大学がたくさんあり、そのどこかに奉職できたら、京王線沿いに住みたいと思っているのだが…。

駅に戻り、再び京王線に乗って「平山城址公園」で降りる。
平山城趾は、平安末期の武蔵七党の一派・平山季重(すえしげ)の居城。
戦国時代ではなく、源平の坂東武者の時代だ。
駅前に居館の碑があり、もうここから彼の史跡が始まる。
南側の丘陵に登ると、ここからも高尾から奥多摩の山並みが一望で、しかも高台の住宅地になっており、居ながらにしてこの展望が味わえるとは羨ましい。
どうも私は日野~八王子あたりの風景が居住地として気に入っているようだ。

丘の上は一応「平山城趾公園 」となっているが、居館は駅前だし、丘の上は見張所があった程度らしい(城郭の時代でない)。
その代わり、頂上部に平山季重神社なるものがあって毎年4月に顕彰の祭があるという(二週間前!)。
麓の宗印寺には、居館跡の菩提寺・大福寺(明治に廃絶) にあった季重の墓(五輪塔)や僧形の木像(写真)が移されていて、見ることができる。
それに、駅前の日野市立図書館内に「平山季重ふれあい館」として資料コーナーがある(説明パンフもあり、最初に訪れるとよい)。
かように、季重はこの”平山”の地の英雄として親しまれて、その実像に迫ることができる。
日野といえば、高幡不動近辺の土方歳三が人気だが(私もファンの一人で、自サイト内に彼の応援ページを作っている→「旅と山の世界」)、 季重ほど昔の人というのも珍しい。
これで高校時代からの懸想を達成(五日市線沿いの寮からは行きづらかった)。

城址めぐりは、ハイキングよりは楽で、散歩よりは充実した歩きができる。
ただ建築や仏像のような美的価値のある見物対象はまったく無く、
曲輪(平地)や切岸(崖)、空堀(窪地)などを見て往時を頭の中で再現するのが主となる、すこぶる地味で物好きな営為だ。
もっとも、武士(サムライ)の生き様を訪ねる精神的な営為でもあるが。


Mac版FlashPlayerがインストールできない場合

2015年04月13日 | パソコン・メディア

わがMac(Yosemite 10.10.2)のiMacとMacBookの両方で最新のFlash player(ver17)がインストールできないトラブルに見舞われた。

症状としては、
インストーラのダウンロードと解凍は問題なく、インストーラをクリックすると「開いてよろしいですか?」という窓が出て、「開く」をクリックする。
ここまでは正常。
ところが、この後出るはずの「変更を加えようとしています。…パスワードを入力してください。」の窓が出ないまま、ウンともスンともいわない。
つまり、作業が停止してしまう。
もちろんインストーラは実行されない。

ネットであれこれ探ったが、一発で解決することなく、探索を繰り返してやっと解決できた。
その手順を紹介する。
●下記のサイトから、「DMGインストーラーのダウンロード(システム管理者向け)」をダウンロードし、それを解凍してインストーラを使ったら無事インストールできた。

http://www.adobe.com/jp/products/flashplayer/distribution3.html


半田の温泉ホテル

2015年04月12日 | 温泉

愛知県半田市は知多半島の東側の付け根部分にあり、江戸前寿司の影の立役者である「ミツカン」の本拠地であるほか、愛知の地酒「國盛」の中埜酒造や童話作家・新美南吉を輩出している産業・文化的に深みのある所。

その半田には「カンデオホテル」があるので、名古屋から近いのにあえて泊り旅をしていたが、カンデオホテルの数少ない欠点として、屋上の風呂が温泉でないことと夕食が取りづらい環境であるため、別の宿を探していた。

目に留まったのが”天然温泉”を謳う「みどり館」という宿。

温泉といっても、南知多の温泉を移送し、しかも日帰りスパとして使っている。

ただ、居酒屋を併設しているので夕食には事欠かないし、朝食付きで4000円切る価格もあるのが気に入り、かくして交流遠足の翌日に予約した。

今度の宿は駅からは遠いので、車をつかった。
途中でけっこう渋滞にあい、片道100分かかった。 

チェックインは16時からとちょっと遅め。

部屋はシングルにしては広く、我が名古屋の棲み家に匹敵する。
喫煙の部屋だったが、空気清浄機があるので臭いは気にならない。
ただ照明が暗いため、読書にはむかない。

風呂は日帰りスパ。
数ある浴槽の中で”温泉”は半露天の1つだけなので、専らそれを利用。
低温にしてあるのでじっくり浸かれる(源泉の湯温は27℃)。

分析表を見ると、源泉は南知多の内海温泉で、泉質は「ナトリウム塩化物強塩泉(高張性)」。
すなわち、温泉成分がすこぶる濃く、溶存量は30000mg/Kgを超える!
手持ちの電気伝導率計でも計測不能とされ10000μSを超えている。
こんな濃い源泉のある内海温泉に行きたくなった。 

ただ他所から持ってきている湯でしかも循環湯なので、酸化還元電位は高い(湯が古い)と思ったが値は+150mVと宿の水道水よりはるかに低かった。

夕食は、併設の居酒屋レストランで取る。
一人カウンタ席に座って、ビールとつまみを頼み、いかにも出張族という雰囲気を出す。

結局、夕食で2400円使った。

何しに来たのかよく分らないが、たいした散財もせず、時間つぶしにはなった。


大学生の遠足

2015年04月11日 | お仕事

今日は我が勤務先の大学の「交流遠足」。
今の大学では新入生の親睦のため、遠足をする。

もっとも私が新入生の時も、泊まりがけでオリエンテーションをやった(林間学校?)。

勤務先の大学でも、以前は一泊で合宿をした。
それがいつからか日帰りの遠足になり。
最近では、午後早々と切りあげるようになった。
引率の教員も当の新入生たちも疲れるから。
逆に言えば、交流遠足としてなら、それくらいの時間で充分。

我が「心理学科」の行き先は、例年通り「明治村」。

心理学科がなぜそこなのかというと、
往年の明治建築に心理学のヒントを見出したいから、ではない。
近くて、全員が入れるレストランがあるのは他にないからだ。

愛知県民にとっては、ここ明治村は小学校の遠足の定番なのだが、
明治建築にまったく興味を示さない小学生たちよりは、多少はマシだろう。 

午前中の90分しか廻る時間がないので、1つの班を引率する私が案内したいポイントは絞られている。

その中で、 必ず、”前橋刑務所”の雑居房に学生全員を押込み、記念撮影をする(右写真)。

学生の大半は、将来そういう経験はしないだろうから、いい経験になるだろう。 


始業前の温泉

2015年04月05日 | 温泉

いよいよ新年度の授業が始まる。

以前は毎年、4月の新年度を迎える時は気が重かったが
(これは教師共通らしい。気が重くなる理由は、3月の卒業式で得た達成感が崩壊し、また1からやり直しになるという、延命地蔵経的むなしさのため)、
最近はそれに対抗する手段を得た。

温泉旅である。

温泉で英気を養い、また充分リラックスしたため、仕事をやる気になれる。

とうことで、昨年と同じく、始業直前に1泊で温泉に行く。

行き先も昨年と同じく新湯の山温泉(三重県)の「ホテルウェルネス鈴鹿路」。

この宿に泊まる理由は昨年とまったく同じなので省略→昨年の記事参照

昨年と違うのは、今回は車でなく電車で行ったこと。

なぜなら付近の観光はしないし、ルートが高速ばかりで、運転しても面白くなく、また宿が電車の駅(湯の山温泉)から近いので、不便でないため。
電車旅だと手荷物が重たいのが玉に瑕だが、東京宅の往復でキャリーバッグは持ち慣れているので、 格別苦痛はない。

とにかく今日は、入浴と食事だけの生活。