今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

ワクチン接種の予約を取るには

2021年05月24日 | 新型コロナウイルス

東京と大阪で大規模接種が始まったが、まだ年齢制限があり、しかも予約が必要な状況。

その予約が取れないという人がいる。

私も母も、ワクチン予約日の開始時間にネットにアクセスして、もちろん混雑に直面したが、ともに20分以内に予約が取れた(すでに1回目の接種済み)。

母の周囲では、同じ区でありながら、なかなか予約が取れなかった人がいた。
マスコミに出てくるのは「100回電話しても繋がらない」などの話。

繋がらないとすぐかけ直すようなやり方をしていたら、それは自分で損をしている。

電話もネットも、接続をやり直すたびに、待ち行列の最後尾に並び直していることになるから。
これでいくら待っても繋がらない。

接続回数ではなく、接続時間を増やさなくては。

スーパーのレジの行列でやっているように、行列に頻繁に並び直さず、行列についたら、自分の番がくるまで待ち続けること。

電話なら、「しばらくお待ちください」のメッセージのまま、ずっと電話を待っていること(受話器を持ち続けずに、スピーカをオンにしておく)。
ネットなら、接続中で、画面がほとんど停止した状態で、待っていること。

「もう一度おかけ直し下さい」とか「接続エラー」が出たら、やり直すしかない。


新宿の寺巡り

2021年05月23日 | 東京周辺

梅雨(つゆ)空から一転、心地よい晴れとなった日曜の今日は外出日和である。
といっても緊急事態宣言下でもあるので、遠出はしにくい(外出そのものは無問題)。

そこで東京実家からの近場の寺巡りとして、ずっと行きそびれていた新宿の太宗寺に行く事にした。

この寺は閻魔像で有名なのだが、新宿というロケーションが寺巡りの気分と合わないため、いつまでたっても選択肢に上がらなかった(同じ新宿区でも神楽坂ならOK)。
もちろん、新宿という街を忌避しているのではなく、買い物や映画、飲み会だったら喜んで行く。

太宗寺は、新宿御苑に近いのだが、あいにく御苑は閉園中とのこと。
また閻魔像は1月と7月の15・16日にのみ開帳なので、ベストなタイミングではないが、
金網越しに拝めるというので、行く事にした(開帳日は東京にいない)。

地下鉄丸ノ内線の「新宿御苑前」で降り、御苑とは反対側の北に進むと、すぐに太宗寺に着く。

まず出迎えるのが、江戸六地蔵(江戸から出る街道の起点に置かれた)の1つ、大きな(丈六の)地蔵像。
四谷の大木戸から西に進んだこの当りは、甲州街道の入口で江戸時代は内藤新宿といっていた。

地蔵像の並びに閻魔堂があり、ボタンを押すと1分間堂内に灯が点いて、中の閻魔像と奪衣婆が金網越しに拝める。
閻魔像は正面(写真)、奪衣婆は左端にある。
両像とも大きく、特に明治に作られた奪衣婆は不気味な風貌。

境内反対側の墓地には、甲州街道を参勤交代した数少ない大名・高遠藩主内藤氏の墓(宝篋印塔)がある(菩提寺だった)。
新宿は今では都庁があり、乗降客数1位の都内の大都会であるが、その元の内藤新宿は、この内藤氏にちなんでいる。

閻魔堂の向い側にある不動堂では、入口から三日月不動と布袋を拝めるが、
この寺は浄土宗なので、本来不動様とは無縁なはず。
説明によると、甲州街道をずっと進んだ高尾山薬王院(真言宗)に奉納するはずの不動像が、この地でテコでも動かなくなったので、ここに祀ることになったという。

境内には、数匹のネコが主のように悠然と歩いている。
そしてそれなりに有名な寺のためか、参拝者も途絶えることはない。

現代建築の本堂には上がれないので、ここを後にし、さらに北に向う。

太宗寺の寺域だったという区立新宿公園を越えると、雰囲気が一転して、小さな店が続く飲み屋街となる。
名にし負う”新宿二丁目”だ。
ただ日曜の昼なので、夜の雰囲気を想像することはできない。

広い靖国通りに出て右折すると、浄土宗の寺が並んでいる。

手前の成覚寺には、石造りの大きな「子供合埋碑」(万延元年)というのがあった。
説明によると、”子供”というのは宿場の飯盛女のことで、実質人身売買の対象で、奉公中に死ぬと投げ込むように共同墓地に葬られたという。
内藤新宿の繁栄の陰にある残酷な事実に接し、一気に心が重くなった。
こうして一緒くたながら合埋碑として供養されただけでもせめてもの救いか。

また、恋川春町(江戸時代の戯作者)の墓の隣に旭地蔵という地蔵が彫られた石塔があり、男女連名の墓碑が並んでいる。
たとえば文化七年の同じ日付の念浄信士と離念信女。
それらは、心中した宿場の遊女とその相手の男たちだという。
先の飯盛女たちよりは少しは人間的な心を抱いて死んでいったといえるのか。
ただ、遊女たちの心と体の自由は、死によってしか得られなかった。

隣の正受院に入ってすぐのお堂に、ここにも元禄年間から奪衣婆が祀られている(写真)。
ここの奪衣婆は、綿の頭巾をかぶっていて、太宗寺の奪衣婆のような不気味さがない。
説明によると、咳止めや子どもの虫封じに霊験があるといわれ、江戸中から参詣人が集まったという。
境内の奥に進むと、江戸時代の梵鐘があり、戦時中に供出させられたが、アメリカで発見されて戻ってきたという数奇な運命のもの。

また江戸時代の無縁仏を集めた石仏群があり、聖観音(左手に蓮華を持ち、右手を下げる)や如意輪観音像はみな女性(信女)の墓石だ。
このように、同じ江戸時代でも、遺された家族からきちんと個人の墓を建てられた女性たちもいた。

生前の運命はどうであれ、死はこうして等しく皆にやってくる。
浄土宗の寺だけに、かように死について考えさせられた。

内藤新宿の昔から、人間の業をそのまま呑み込んできた街、新宿。
その街にふさわしい寺だった。


車のエアコンが効かない…

2021年05月20日 | 失敗・災難

5月になると30℃を超える日が出てくる。
家以上に温度が上がるのが車の中。
私は、走行中の風を受けるのが好きなので、エアコンはよほどでないとつけず、できるだけ窓を開けて運転する。
だが、日差しの強い所に長時間停めていると、車内は45℃を超える(車内に温度計を設置)。
これはさすがに高温地獄なので、温度設定を冷房側にして、ファンのダイヤルを回す。

しかしいくらたっても、出てくるのは温風ばかり。
エアコンをつけると燃費が落ちるのだが、表示される燃費がいっこうに落ちない。

車の暖房はエンジンの熱をもってくるだけだが、冷房は専用の触媒の”クーラー”装置。
その装置が壊れたか…。

ディーラーに電話して点検日を予約した。

その点検日が今日。

夕立の雨の中、予約時間にディーラーに車を持っていき、担当者に状態を話す。
エアコンの触媒の枯渇(漏れ出しによる)、あるいはゴムなどの経年劣化もありうるというので、
私は劣化はないだろうと、毎年8月はまるまる帰京していて、実はエアコンはあまり使っていないと述べた。

担当者が修理工場内に消え、その間にリンゴジュースが出された。
リンゴジュースを飲もうとしていたら、担当者がやってきて、
車のエアコンにはスイッチがあって、それがオフになっているという。

暖房を入れる時は、温度設定を暖房側にして、ファンのダイヤルを回せば暖気が出てくる。
ところが、冷房に関しては、温度設定を冷房側にするだけではだめで、ファンのダイヤルを”押し”てスイッチをオンにしなくてはならないという。
エアコンの使い方を忘れた超初歩的なミスだった。

昨年の夏は冷房を入れていたのだが、その操作をした記憶がない。
夏になる前に一度だけ必要な操作なので、1年たつと忘れてしまうのだ。

 担当者は、私の「エアコンをあまり使っていない」という発言でピンきたという。

いそいでリンゴジュースを飲み干し、エンジンのかかったわが愛車に乗ると、見事に冷風が出ているではないか。
そしてファンのダイヤルが点灯している(オンになっているわけ)。
いたく恥じ入ったが、この問合せのケースはけっこうあるのだという。

エアコンの修理は高くつくので、幾らかかるか心配だったが、結果は0円だった。
それにしても分かりにくいメカニズムだ(もちろんマニュアルも確認したのだが…)。


ワクチン接種してきた(1回目)

2021年05月17日 | 新型コロナウイルス

本日、予約通り、1回目のワクチン接種を受けてきた。

もともと東京都文京区による4月30日9時の予約受付開始時に合せてネット予約をしたもので、希望日も希望場所もこちらの希望ではなく、限られた選択肢から選んだもの。
日も場所も第1希望ではなかったが、どうせなら早く接種したかったので、贅沢いわないことにした。
ちなみに、5月14日の第2回予約受付だと、予約が取れたのは6月以降だったらしい。

私が選んだ接種会場は、順天堂大学病院。
同じ区内ながら自宅から遠いが、都バスで行ける。
「順天堂大学病院前」で降りて、会場となる7号棟に向う(途中に案内の人が立っている)。
考えてみれば、この病院に入るのは初めて。
区内には大学病院だけで、東大、医科歯科大、日医大と合わせて4つあるが、順天堂だけ縁がなかった(順天堂に隣接する医科歯科大には幼い頃から縁があった)。
会場に入ると、臨時の待合室になっていて、すでに接種に来た人で埋っている(私はこの中では最年少)。
さに奥の順天堂大学の歴史が説明されている展示室に案内され、そこの椅子に座る。
暇にまかせてその歴史を読むと、この順天堂こそ、日本最初(天保年間)の西洋医学(蘭医学)の病院ということだ。
日本一由緒のある病院で最新のワクチンを接種できるのだからありがたい。

15分ごとに区切られた予約時間の11時30分の私のグループが呼ばれたので、案内された方向に進むと、まず赤外線体温計で腕を検温され、受付に向う。
受付で、あらかじめ配布されていた接種券と、本人を証明するための運転免許証を提示し、予約した本人であることが確認される。
そこで問診表と体温計が渡され、次の待合空間に移動して、そこに腰掛けて脇に体温計を挟みながら問診表を記入する。
「心臓病(中略)などの慢性疾患にかかっているか」という質問では、「その他」に印をつけて「高血圧」と記入した。
また、「主治医に接種を受けてよいといわれたか」という項目は「いいえ」と回答。
相談をしていないからだが、高血圧の基礎疾患があるからこそ早く接種すべきなわけだから、主治医がダメというわけはない。
そして35℃台だった体温を記入し、「接種希望」に印をつけ、署名した。
それを係員に見せると、何も問題はないようで、接種を待つ席に移動する。

ほどなく呼ばれて、カーテンで仕切られたブースに入る。
すると医者の前に座らされて、直接問診を受ける(接種直前の最終確認)。
血液さらさらになる薬を飲んでいないか確認されたので(問診表にもあった)、飲んでいないと答えた(本当は朝飲んできたこの薬は、ワクチンとの相性の問題ではなく、注射という侵襲的処置そのものとの相性の問題だ。あえて今朝その薬を飲んできたのは、血栓という恐ろしい副反応を防ぐため)。

ここをパスして、次のブースで、いよいよファイザー社製のワクチンが入った注射をうける。
看護師が二人いて、一人が私を椅子に座らせて、腕を捲くらせ、アルコール消毒をする。
もちろん、アルコール大丈夫ですかと確認され(「大好きです」とは答えなかった)、左右どちらの腕にするか尋ねられる。
実は、今朝、別件で近所のクリニックで採血をしてもらってきた。
左利きの私は、注射は右腕にしてもらうので、肘に採血跡の四角い絆創膏がついた右腕をめくった。

もう一人の看護師が、普通より細く長い針の注射を、私の右腕に深々と刺す(筋肉注射だから)。
その瞬間、チクッと軽い痛みが走ったが、注射中の違和感なら太い針での採血の方がまさる。
無事注射が終り、注射跡に四角い絆創膏を貼られたが、採血の時のように数分間押さえることもない。
内心、今朝飲んだ薬による出血を懸念したが、薬がまだ効いてないせいか、出血はまったくなし。

そして次の部屋に移ると、そこは最低15分座って、急性の副反応(アナフィラキシーなど)の様子をみる場。
背もたれの後ろにタイマーが設置された椅子に座っている間に、2回目の接種の予約を確定する。
基本は1回目の接種の3週間後の同時刻・同じ場所で、それでよければ自動的に決まる。
私はそれでOK。
その間、渡された説明書で、注射した腕の痛みとか、熱っぽさとかの副反応の説明を読むが、
こういう時は、そういう反応に過敏になるとかえって身体が応じてしまうので(ノシーボ効果)、あえて気にしないことにする。

15分たって、なにも異状がないので、退席OKということで、出口に向った。
出口の手前で、ご丁寧に次回の予約書類の確認を受け、無事接種会場を後にした。
しめて30分ほどだった。

以上、まことに無駄がなく、必要なことはきちんと確認される、見事な流れ作業であった(マンパワーを結構要す)。

外に出てもまったく問題なく、末広町まで歩いて、そこで昼食をとり(採血のため昨日の夕食以降なにも口に入れてなかった)、さらに御徒町まで歩いて買い物(今晩の寝酒とつまみ)を買って帰った。
帰宅して、2つの注射跡の絆創膏を見たが、どちらも出血の跡はなかった。

接種当日でも入浴は可だという。
普段通りの生活をして問題ないようだ(激しい運動は控えるようにとのこと)。

普通にしていると自覚症状はないが、右腕を大きく動かすと、注射跡付近に筋肉痛のような張りのある痛みを感じないこともない(腕を動かさないと感じない)。
これが唯一の副反応か。

ちなみに、ワクチンによって免疫ができるのは、2回目の接種後7日以降だという。
安心するのはまだ早い。

追記:入浴と夕食を済ませた21時現在、右腕の注射跡付近の張ったような痛みが結構明確になってきて、筋肉痛のような感じ。
接種直後は自覚症状は何もなかったものの、時間の経過につれてはっきりしてきた。
ただし苦痛というほどではなく、「こんなものか」とやり過ごせるレベル。
結果的にこの痛みは、翌日の夕方まで尾を引いた。


感染予防の優先順位:外出自体は危険でない

2021年05月09日 | 新型コロナウイルス

第4波がますます大きくなり、とうとう愛知県も緊急事態宣言下に入る。
といっても昨年の今頃のように、授業も会議も完全遠隔という措置にはならない模様(個別対応)。
東京と愛知を往復せざるをえない者にとって、この大波を乗りこなすサーフィンが強いられる。

それだからこそ、感染予防には人一倍気を使う。
コロナとつきあって1年以上たっている(変異株になっているが)。
そう、感染力が増しているからこそ、惰性ではなく、冷静に、感染予防の優先順位を”考えて”みる。
まず、全住民の外出を不可とする無思考策を最適解としない(経済以外に心身の健康面でもマイナス)。
政府や知事が”人流の抑制”を第一義とする理由は、無思考な一定数の人々が外出して、外出先で感染を拡げるからだ。また、同調して外出者それ自体を責める人々(含マスコミ)も無思考だ(外出先での行為が問題なのに)。かように無思考な人たちが一定数いるのは統計上仕方ない。

ただ最適性(best)を追究したいわれわれは、”全員一律”という全体主義的無思考※に委ねず、きちんと考えよう。
※:独裁者に決定を委ねた方が楽というメンタリティが、民主主義的手続でナチス政権を誕生させたという(E.フロム『自由からの逃走』)。

予防の基本は飛沫感染を防ぐこと。
接触感染の確率が、当初言われていたよりははるかに低いのは、ほとんどの人がマスクをして、さらに手指消毒をしているため、ウイルスが物や指につかないからである。

ただし、マスクをしていれば安心という態度は”安全”でない(安全≠安心)。

最重要なのは、換気(飛沫の無限大の希釈と蒸発の促進)。
けっこう密(近距離)になる公共交通機関がクラスターにならないのは、通常の室内空間よりも換気力が強いためだ。
室内の換気力は、空気清浄機のみ<窓の開放<外気の強制的交換(風を入れる)となる。
公共交通機関は走行中に換気するため、通常の室内より喚起力が強い。
もちろん一番強いのは、風程(空気の移動距離)が長い、すなわち完全希釈が実現する屋外(野外)。
山だと、自然に風があるので、ハイキング中はマスクは不要(人口密度が高い高尾山は例外か)。
逆に室内で空気清浄機だけに頼って換気している気になって安心してしまうのは問題。
空気清浄機を作動させる時は、必ず窓をあけること(花粉症者、黄砂がひどい地域を除く)。

換気を確保した上で、実現すべきなのが互いの距離をあけること(=希釈空間の確保)。
そして最後の砦がマスクだ(口鼻腔からの侵入防止。ただし完璧ではない)。
といってもマスクが”最後”となるのは、感染しない対策であって、
感染させない対策としては飛沫の放出を防ぐ”最初”の対策となる。

誰が感染者か分からない公共空間(屋内)では、互いに疑心暗鬼にならない(他者を不快にしない)ために、マスクを着用する(この配慮ができない人は外出すべきでない)。

ちなみに、マスクの材質では、一般向けでは不織布マスクが最適(best)だが、屋外ではウレタンマスクで充分(不織布マスク着用でのハイキングは酸欠になる)。
すなわち、充分な換気空間である野外(≠公共交通機関内)でのウレタンマスク着用者(無言でいる)に非難の目を向けるのは行き過ぎ。

以上から、公共交通機関(ないしはマイカー)を使って野外に遊びに行くこと自体は、感染上危険な行為ではない(外出そのものが危険なのは、原発事故など大気が放射線汚染している場合)。

もちろん外出先で不特定多数の人と密になって飲食することはダメに決まっている。
すなわち換気力の弱い(空気清浄機だけ?)室内での、不特定多数の人が出入りする空間での会食・高歌放吟・口角泡を飛ばしての会話は禁忌。
仲間との路上飲みも2密になってしまう。
これらと個人の外出行動そのものを同一視しない。

私がこのように政府や知事と異なった主張をするのは、国民=無思考者(バカな大衆)とみなさないからだ。
行動の選択(行動の自由)を前提にして、きちんとした予防対策を各人が考え、実行することが、成熟した民主主義社会だと思う。


魚籃観音など高輪の寺巡り

2021年05月08日 | 東京周辺

東京港区の国道1号線に「魚籃坂下」(ぎょらんざかした)という交差点があり、そのインパクトのある名前で一度通ると忘れないため、その地に縁の無い私も聞き覚えがあった。
その地には当然、魚籃坂という坂があり、その坂の途中に名前の元となる魚籃寺という浄土宗の寺がある。
その寺は、本尊が魚籃観音で、それを寺名にしている。

この「ぎょらん」づくしに心引かれ、その元であるご本尊を拝みたいと思っていた。

観音は33の変化(へんげ)をするといい、聖観音・如意輪観音・十一面観音・千手観音などはよく目にするが、魚籃観音はなかなかお目にかかれない(東海道線の早川駅から見える観音像が該当)
そういう希少性も加わり、ますます心引かれる。
そしてのここのご本尊、開帳は年に1日だけという。
その日が今日なのだ。

緊急事態宣言下の東京、都知事は外出をしてくれるなと訴えているが、背に腹はかえられない。
いや、外出そのものはまったく問題ない(これについては別記事で)。


地下鉄南北線の白金高輪で降りる。
制服姿で歩いているのは普連土学園の生徒(JC,JK)たち。
まずは魚籃坂下の交差点を渡り、魚籃坂を上って意外にこじんまりした魚籃寺に達する(地名になっているほどの大寺と勝手に想像)。

早速本堂に向うが、扉が閉まっている。
窓が開いているので、中を除くと、椅子が並んでいる。
法事の後に拝観できるらしいのだが、丁度中にいた住職に窓の外から声をかけ、
拝観しにきたというと、コロナで法事を中止したという。
要するに人を堂内に入れない措置。

仕方なく、窓の外からご本尊を遠望するだけ(写真)。
魚籃観音は、魚の篭(籃)を右手に下げているのが特徴で、
しかもここのご本尊は左手で衣の裾をたくし上げている。
そのサービスが効いてか、存在感が寺を越えて地名にまで拡がったわけだ。


なんとかそのお姿を確認したので、寺を後にする。
ここらは、高輪台の台地にさしかかっており、台地の上にも下にも寺が多い。
なぜか都内の寺町は、ここを含めて谷中も神楽坂も台地沿いで坂が多い。

魚籃坂下から国道1号線を起点(日本橋)に向って進んだ先の長松寺に荻生徂徠の墓がある。
荻生徂徠といえば、我が国歴代第一の儒学者で名高い(もっとも私は『政談』のマンガ版しか読んでいない)
江戸期の儒学者には仏式埋葬を嫌った人もいたが、徂徠はそんな意固地ではなく、子孫の墓に見守られている。


バスも通る広い道の魚籃坂に平行しているこじんまりした幽霊坂を上る(別に不気味ではない)。
上がった所の玉鳳寺の入口に地蔵堂があり、中にパウダーで真っ白になった地蔵尊がある(写真)。
化粧地蔵といわれ、訪れる人が備付けのパウダーを地蔵様に塗りたくって、願を掛ける。
私も線香を灯して、パウダーをお顔と胸に塗った。

幽霊坂を上がりきった台地(三田台)の上で聖(ひじり)坂※に突き当たり、右折して聖坂を進む。
※:高野聖に関係あるらしい。


すると三田台公園があり、ここで縄文時代の遺跡が発掘されたという。
園内に復元した竪穴式住居があり、入口でボタンを押すと、住居内に生活風景を示した人形がいて(写真)、音声での説明が流れる。

東京には京浜東北線の西側の崖の上に沿って縄文遺跡が南北に点在しており、当時は線路より東は海※で、いわば海に面した(安全な)高台だったのだ。
※映画「天気の子」で水没する地帯。

この遺跡のさらに南には有名な大森貝塚(縄文人が食べ捨てた貝殻が堆積)があるように、縄文時代の都民は食料には不自由しなかったようだ。

ただ、江戸の町並みが残る所に行くと、江戸時代にタイムスリップしたくなるが、竪穴式住居を見ても、縄文時代にタイムスリップしたいとは思わないなぁ(朝起きたら、さっそく今日一日の食料探しをしなくてはならないだろうから)。


聖坂を下った伊皿子(いさらご)という交差点で、右から下ってくる魚籃坂と合流し、左側のいわば昔海だった方向の坂(伊皿子坂)をくだっていくと、道往寺という現代建築の寺がある。
都内の観音霊場の1つだというので観音堂を拝む(堂の本尊は聖観音で、左右にいろいろな形の観音像が置いてあるが、魚籃観音は確認できなかった)。


さらに坂を下って幸福の科学の目を引く建物を過ぎると、大きな寺の門前に達する。
高輪一の大寺・泉岳寺だ(あの赤穂義士の墓のある)。
ここは高輪第一の名所だが、すでに訪問済みで、しかもなぜか12月以外はお参りする気になれないので立ち寄らず、
坂を降りきってさらに都心部にはめずらしい開発用の広い空き地がある脇を抜けると、山手線(+京浜東北線)最新の駅「高輪ゲートウェイ」駅に到着。

駅名は残念だが、駅舎は当然最新で、無人のコンビニがあり、階段もホームも床が木で、居心地はいい。
こちらの駅は男子生徒が多く(2つの中高がある:DC,DK?)、それなりの需要もあるようだ。
京浜東北線の快速で帰った。


気圧の急変動が原因?

2021年05月04日 | 健康

昨日3日は、槍ケ岳や谷川岳など山の遭難が相次いだ。
恐らく、のどかな春山が一転して厳しい冬山に変貌したためだろう。
今の時期にはよくあることで、雪山に行くにはそれを想定した準備が必要(そして一転して4日は、川や池で水の事故が相次ぐ)。

その3日、91歳になる母は、今までにない眩暈(めまい)に襲われ(視界では室内が転倒するほど傾いたという)、さらに強烈な吐き気に襲われた。
メニエル病などは患ったことがない。
安静に寝ていれば症状はおさまるだろうと思って寝ていたが、午後になってもいっこうに眩暈は治まらない(吐き気は治まった)ので、近くの大学病院に行った(今の時期、新患を受け付けない病院もある)。
母は以前脳梗塞を患ったので、まずはそれを確認するためにCTを撮った(休日のためfMRIはできない)。
結果、脳梗塞ではなく、症状を抑えるための薬が処方された。
帰宅後、母は普通に夕食を準備して摂り、入浴もして寝た。
夜中の睡眠は問題なく、翌朝すこしふらつくが、気分に問題はないとのこと。

実は、3日の日、同居する義妹も気分が悪かったという。
義妹はやや気象病の気がある。

念のため、私が設置している数箇所の観測地の気象データを確認した。
3日の午前中は気温が10℃以上上昇し、気圧も10hPa以上上昇した(いずれも短時間での急激な変化)。
気象病の本では、低気圧の接近で気圧が低下すると、眩暈や吐き気などの症状がでやすくなるという。
今回は、気圧の上昇なので、該当しない。
ただ”急激な”上昇であったことが気になる。

翌4日、勤務先の愛知にある大学は授業日で、会議のために新幹線で戻った。
そこで、長年気象病を患っている同僚(♂)に、3日の状態を尋ねたら、とても辛い状態だったという。
彼の言によると、終日雨天(=低気圧通過)の日よりも、大気が不安定で天気がコロコロ変る日の方が辛いという。

以上を総合すると、気圧の低下よりも、気圧の急激な変化(上昇を含む)そのものがストレッサーになるではないか。
もっともこれは、気圧の変化に対して過敏な気象病の人のみにあてはまり、私のようなまったく何も感じない者には関係ない話だが。
なにしろ10hPaの気圧差は高度に置き換えると、84mの変化でしかない。
高層ビルなら途中階だ。
ならば、気象病の人たちは、高層ビルのエレベータに乗っても症状がでるだろうか。
本当に気圧だけが原因なのだろうか。


サイキック・パワー講座8:終講・参考図書

2021年05月03日 | パワー・スピリチュアル

サイキック・パワー講座として、基本スタンスを気の理論におき、ペンデュラムダウジングオーラなどを紹介してきた。
この講座は、「初級」講座のつもりで、こういう経験を0から始めるためのものであった。
いずれも私自身、特別なトレーニングをせず、やってみたらその場でできた。
そしていったんできると、いつでもできるようになる。
講座としてはこれで終りにする。


ここでの講座でうまくいかなかった人は、成書あるいは直接指導者にあたるか、パワー・スポット(無根拠の”観光パワスポ”ではなく、きちんとパワーが確認されている所※)で受動的に経験してみることをお勧めする。
※:本ブログで紹介している茶臼山カエル館(長野県根羽村)近くにある岩に手をかざすと、たいていの人が”気”の触感を得られる。

これらのパワーを何かの目的のために使うには、さらに強いパワーが必要になる。

ただ、これらのパワー(システム4※)がこれからの人生で必要かどうか。
少なくとも、社会生活を営む上では必要ないだろう。
むしろ普通の心身の能力・技能(システム1・2※)、あるいは瞑想法(システム3※)をマスターした方が役に立つ。
※心の多重過程モデル:”心”を以下のサブシステムからなる高次システムとみなす私のモデル
システム0:覚醒・自律神経などのほとんど生理的な活動。
システム1:条件づけなどによる直感(無自覚)的反応。身体運動時に作動。
システム2:思考・表象による意識活動。通常の心はここまで。
システム3:非日常的な超意識・メタ認知・瞑想(マインドフルネス)。
システム4:超個的(トランスパーソナル)・スピリチュアルレベル。ニュートン的物理法則を超えるサイキック・パワーの領域

システム4を開発してこういう分野を極めたい、という人はさらに頑張ってほしい。

その場合、注意したいのは、サイキック・パワーは元が生命エネルギーなので、使いすぎると生命エネルギーが衰弱するということ。
成書の著者(指導者)に意外に短命者(平均寿命未満)が多いのは、プロスポーツ選手が身体の故障を抱えやすいように、指導者なればこそ自分の生命エネルギーを酷使したためかもしれない。
パワーを向上させるには、日々のトレーニングが必要だが(成書はそう勧めている)、やり過ぎると、生命力を酷使してしまうことになる。

なので、力を抜いてリラックスしてやってほしいし、”気”についてはむやみに外に放射せず、収功(終了動作)を忘れないこと。
そして外気との交流を盛んにすること(内部の邪気を出し、外部の清気を取り入れる)。

気功もヨーガも本来は健康増進が目的なはず。
まずはそれを目的にし、強いパワーを得られたなら、ヒーラーの道に進んでほしい。


最後に、”成書”って言われてもいったい何を読めばいいのか困る人のために、参考となる図書を紹介する(『書名』著者 出版社)。もちろんこれがすべてではない。
また以下の著者のスタンスでわかるように、気功やヨーガが理論的にも実践的にもサイキック・パワーのベースになる。ただし欧米人は気功には馴染みが薄いようだ(個人的には密教が理論・実践に貢献していないのが残念)。

●『サイキック・バイブル』 ジェーン・ストラザーズ ガイアブックス
この世界の入門にはいい本(広く浅い紹介)。いろいろなエクササイズが(西洋人向けに)紹介されているが気功は載っていない(易は載っている)。実践の最初に「グラウンディング」の必要性を説いている点が参考になった。

●『秘法 超能力仙道入門』など 高藤聡一郎 学習研究社 
道教起源の仙道は気功より広い領域で超能力要素を含む。説明も図もわかりやすく実践に裏打ちされたオリジナリティもある。この著者の他の本もすべて読んだ方がいい。ただ、元は新書サイズで安価だが中古でしか入手できない状況。

●『スピリチュアリティの真実』など 本山 博 PHP
ヨーガをベースにサイキック・パワーを実証的に研究していた人。この人の一連の著作は研究書レベルのもあるため、学問的水準で参考になる。いわば私が進みたい道の先を行く人。この本にはクンダリニーについても書いてある。ヨーガ系だが気功系(気の理論)にも言及。

●『スピリチュアル・レッスン』など 井村宏次 ビイング・ネット・プレス
鍼灸が元だが、この人も科学的態度を貫いている。この分野の翻訳も手がけている。

●『あなたにもオーラは見える』 テッド・アンドリューズ 成甲書房
見えたのがオーラなのか自信がない場合にいい。オーラを見るための訓練もわかりやすい。ヨーガ系。

●『気功革命』など 盛 鶴延 コスモス・ライブラリー
日々やる気功の練習(練功)ならこの本がわかりやすい。著者の気功は、道教だけでなく、仏教・儒教も含んだ総合的なもの。ただエクササイズはDVDでないと”動き”がわかりにくい。数冊ありしかもDVD版、さらに『秘伝奥義 集大成』まで揃えると財布が痛い。

●『ヒーリング・パワー』など  ドロレス・クリーガー 春秋社
セラピューティック・タッチという著者が開発したサイキック・パワーの実践法。パワーをヒーリングに使う好例。

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サイキック・パワー講座7:オーラを見る

2021年05月02日 | パワー・スピリチュアル

講座6の潜在意識の開発から、テーマをオーラ(aura)に移す。

オーラは人体から発している可視的な生命エネルギーで、聖像の頭の後ろから発している”後光”がそれに相当するといわれる。

ヨーガ理論に基づけば、人体は外側に幾重の層構造があり、それらがオーラとして(多層に)見えるという。
欧米では、これに基づいた詳細な説明がされているが、実はオーラは”気”の可視化とも解釈できる。
どちらも生命エネルギーの発露だから同じ現象の2側面、すなわち気は講座2のように触覚や内臓感覚で感じ、オーラは視覚対象という違いがあるものの、気=オーラであることは私も実感しているので、その視点で説明する。


講座2の方法で、まずは両手から気を出してみよう。
気を出す時、閉眼したかもしれないが、今回は、気が出た両手を、開けた目の前に掲げてみる。
この時、手の奥の背景は黒(オフにしてあるテレビ画面)か白、少なくとも単色であることが望ましい(室内の壁面でよい)。
オーラは、常時見えているのではなく(それならすでに誰もが見えている)、オーラを見るモードにしないと見えない。
オーラを見るには、手を凝視するのではなく、力を抜いて焦点を絞らずに、ぼんやりと指先に目をやる(剣道の「遠山の目付」)。

すると、両手の指先から1〜数センチの幅(厚み)でうすぼんやりした明るめの輪郭が指の外側に出ているのが見えるとしたら、それがオーラだ。

気を出す時のように、両手を数センチ開けて向かい合わせても見えるし、
手を、裏・表に向けても見える。
さらに指先からは、直線上にオーラが薄く伸びているのが見えるかもしれない。
両手の指先を向かい合わせると、指先から出る双方のオーラが融合して、指の間の空間でオーラの面ができる。


でも、冷静に考えると、目の錯覚(錯視)、すなわち生理心理的なメカニズムによる残像現象かもしれない(私のブログの読者は、このような科学的・批判的視点を堅持しておいてほしい)。

そこで、両手を向かい合わせて、片方の指を他方の手のひらに向けて気を発すると、
オーラの範囲内の距離で気を感じることがわかる。
すなわち視覚的なオーラの領域と触覚的な気の領域が一致している。
細かく言うと、手のひら(労宮)から発する気・オーラより、人差指の先から発する気・オーラの方が長く伸びているから、それぞれの届く距離の違いが視覚と触覚で確認できる。
かようにオーラには触覚的根拠があるので、残像現象(錯視)ではないといえる。

以上のやり方でオーラが見えない人は、オーラを見るトレーニング法が成書にあるので、それを参考にしてほしい(本は「オーラ」で検索。ただ、そのトレーニングって、心理学的には、残像視のトレーニングそのものだったりする)。

自分の手のオーラが見えた人は、つぎに鏡を使って自分の頭から発するオーラ、あるいはクリスタル(水晶)などのパワーストーンが発するオーラ視に挑戦してみよう。
クリスタルなら、6角柱で先の尖った形状が適している(指先と同じく、尖った先からオーラが発する)。
クリスタルのオーラが見えたら、それとの気の交流もしやすくなる。


ちなみに、欧米のオーラ書ではオーラの色について詳しく述べられているが※、気の理論に基づく日本の本では、色は見えないとするものもある。
※:残像視では元の視覚像の補色が見える。なので補色(赤⇄緑、青⇄黄)が見えるなら、その”オーラ”は残像現象だろう。

私も、白を背景にした場合は色が見えるが、黒を背景にした場合は色相はなく明度差だけだ。
そもそも”気”に色はない(気は可視光線波長の電磁波ではない。講座4でやる内気の移動速度は光速より遥かに遅い)。

講座8:終講・参考図書
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サイキック・パワー講座6:ダウジング

2021年05月01日 | パワー・スピリチュアル

前回の講座5のペンデュラムが使いこなせるようになったら、次のダウジングもできる。
原理が同じだからだ。
違うのは、ダウジングは方向を示してくれる点。

ダウジングは地下の水脈の発見用に中世ヨーロッパで使われてきた。
日本でも、弘法大師が杖で水脈を探し当てたという伝説が各地にあるが、杖をダウジングとして使ったなら納得できる。
ダウジングは水脈以外にも鉱脈、あるいは地中の金属探知にも使われる。
金属探知は、今では専用の探知器がある(私も所有)ので、ここではパワー・スポットの探知に使おう。


まず必要なのは、L字型の金属棒2本。
それをダウジング・ロッドという(以下、ロッド)。
ロッドは製品が販売されているが、自作でかまわない。
一番簡単なのは、金属ハンガーで、これなら手作業でL字に折り曲げられる。
ポイントは、ロッドをつかんだ手の中で、自由に回転する必要があるので、棒の切り口が円形であること。
製品には、回転しやすいように筒がついてるものがあるが、棒そのものをつかんでも手の中で回転するので必須ではない(むしろ筒があると回転しすぎる)。

あとダウジングは屋外でやるものだが、協会認定の標準サイズは、それなりに大きく、大きいロッドを両手に持って探知している姿はちょっと異様に映る。

なので私は、手の中に入る小型のロッドとアンテナのように伸び縮みするロッド(中国製)を主に使う。
自作する場合にもロッドの棒部分は10cm長くらいでいい(長さはお好み)。

ロッドの持ち方は、両手でそれぞれ一本づつL字の短い側を持ち、軽く握って回転できるようにする。

探知を始める前の基本姿勢は、2本のロッド(のL字の長い側)が進行方向(体の反対側)に平行して向く位置。
そしてロッドに引力の影響を与えないよう水平に持つ(傾けてはダメ)。


さて、ではダウジングの練習をしよう。
内容は、講座5のペンデュラムと同じ。
そしてその反応原理も同じ。
ダウジングの場合はロッドが360°回転し、特定の方向を示す。
しかも左右に持つのでそれぞれの方向が異なりうる。
ペンデュラムの練習に対応させてみると①はいらない。
②から始める。
つまり、正解が明確な2択の問いをしてみる。
その時、両方のロッドが内向き(左のロッドは右を向き、右のロッドは左を向く)なら、それが「はい」の向き。

次に不正解が明確な2択の問いをする。
その時、両方のロッドが外向き(左のロッドは左を向き、右のロッドは右を向く)なら、それが「いいえ」の向き。
このように「はい」と「いいえ」の反応が正反対になれば(上の例とは逆のパターンでもよい)OK。
ロッドがある方向に向くだけなので、ペンデュラムより反応が早い。


私は、パワー・スポットの鑑定に使うことがある(地磁気や静電位など物理的計測を優先するが)。
失せ物を探すなら、ペンデュラムよりダウジングの方が方位を示せるので精度が高い。
探し物が左側にあるなら、両手のロッドがともに左を示す。

ダウジングは水脈の探知が一番得意なので、標準的な練習として、床や地面下の水道管の位置を探すものがある(図面などで正解を確認)。
もちろんロッドを動かしているのは、自分の潜在意識だから、万能ではない。
ただ探知を積重ねて、その潜在意識を鍛えることもできる。

ダウジング・ロッドのほかに、先に重りのついた細い金属棒に太い握りがついたロッドもある(片手で持つ)。
これは反応すると激しく、上下・左右、あるいは円運動をするので、ダウジングとペンデュラムの中間的存在だ。
ただ屋外で歩きながら使うとその振動で動いてしまうので、使い勝手はダウジング・ロッドの方がいい。

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