今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

新たな忌日

2009年05月30日 | 身内
この週末帰京した身は、慌ただしい。
まずは五月末日締切の共著『新編社会心理学』の原稿を書き上げ、編集者に送付しなくてはならない。
最終段階の推敲を都立中央図書館でやっていたら、知らぬ間に携帯に母と弟から留守電が入っていた。
気がついたのは、帰宅直前。
親族からの立て続けの留守電に、何か切迫したものを感じて、着信の2時間後だが電話をかける。

すると親しくしていた伯母が今朝亡くなったとのこと。
5年間も入院しており、弱っていたのは確かだった。
幼少時から行き来していた関係で、ウチとは特に仲が良く、菩提寺まで一緒にしている。
文化人類学的には、伯父伯母というのは実の親に準ずる近い関係で、私と柊ちゃんとの関係もそれ。
ショックは受けたが、寝たきりの長期入院中だったので、覚悟はできていた。
結果的に、葬儀の親族会議に欠席して、仕事をすすめたので、原稿を締切に間に合わせる事ができた。
葬儀は週明けになるので、会議を欠席して通夜に出るのが精いっぱい。

本当は、中央図書館の帰りに立ち寄った沖田総司の墓のことを書こうと思っていたのだが(実はこの日は総司忌)、親族の忌日になってしまうとは…。

骨折とお金

2009年05月30日 | 東京周辺
2週間ぶりに帰京したら、
母が肋骨2本骨折しており、定額給付金が届いていた。

母はコンビニの入り口の段差につまづいて、転倒し、倒した灰皿で肋骨を打ったという。
胸にコルセットを巻き、全治1ヶ月。
でも息が多少苦しい程度で、日常生活はほとんど支障がない(ただし風呂には入れず、シャワーのみ)。
出歩くのが好きなので、家でじっとしていることもできず、普通に外出。
四肢や脊椎の骨折でなくて良かった。

その骨折した母から、私の分の定額給付金を手渡された(住民票は東京なので)。
先日この20倍を納税したので、払いすぎの税金の一部還付という感じ(実質的にもそう)。
それに3月にETCを取付けてこの額は使ったし(ETCは毎月1度の旅に多少は有効)。
”エコ家電”とやらに手を出すほど、踊らされはしない(日本製は丈夫で長持ち)。
もらった実感はこんなもん。
ちなみに、母は骨折治療により、契約していた保険から12万円もらえるそうだ。
怪我の功名

半田に1泊

2009年05月25日 | 
週末、名古屋から2泊の温泉旅行に行けないときは、ビジネスホテルに1泊する。
ビジネスホテルといっても、室内のユニットバスに入る気はしないので、
温泉でなくても大浴場がある所を選ぶ。

泊りに行って何をするかというと、
パソコンでの原稿打ちか研究書の精読、すなわち”仕事”。
なので、レジャー用のホテルより、
LANが引かれて、机が大きいビジネスホテルがベスト
(安いし、週末の予約もとりやすい)。
といっても、寝に帰るだけのような狭すぎる部屋はダメ。
室内で仕事するので、居住性は妥協できない。
最低限、住宅の個室並みの(生活できる)広さがないと。
4×5=20平米はほしい。
それに仕事の後のひとっ風呂は、
狭く浅いバスタブではなく、手足を伸ばせる大浴場(できたら露天)。
ベッドもシングルよりはセミダブルがいい。
最近は、こういうニーズに適うホテルが増えてきているのがうれしい。
そういうホテルなら、出張族以外の私のような近場の客も気分転換に利用する。

カンデオホテルズの半田チェーンは、立ち読みした本で評判がよかったので、
ここを予約した(このホテルに泊まるために半田に行くわけ)。
浴場は最上階で露天があり(温泉ではない)、
部屋には幅広の机とセミダブルのベッド。
もちろんLANも使える。
ネットで予約すると5月いっぱいは800円する朝食が無料というのもいい。
これで5500円。

名古屋に住んでいる人間が、用もないのにこの半田のホテルに泊まるのも、
まさにこれらの設備の賜物。
そういえば半田という所(知多半島の東の付け根)には初めて訪れる。
名古屋から名鉄急行で30分ほど。
もちろん名古屋への通勤・通学圏だし、ホテルは駅前の市街地なので、旅情はない。

ただチェックイン前に行って、ミツカンの博物館「酢の里」を見学したい。
江戸時代からの格式ある蔵が並ぶ所にある博物館は、
パンフには「要予約」とあるが、飛び込みでも受け付けてくれた。
ただし30分ごとのガイド付きで見学時間は1時間。
酢には日頃からお世話になっている(特にここのリンゴ酢)こともあり、
とても勉強になった。
半田は、「国盛」という日本酒とこのミツカンの酢の町。発酵飲料の町というわけ。
ここで作られた酢が江戸に渡って、江戸前の握り寿司を実現させたという。
その当時の米を山吹色に染めたという赤酢(赤ワイン色)は、ここ半田の工場でしか作っておらず、小売に出していない貴重なものというので、試しに買ってみた。

ホテルにチェックイン。
敷地面積は広くないがロビーはゆったりしている。
アメニティはフロントで受け取る。
客室は木が使われていて、木の茶色が落ち着いた雰囲気を作っている。
書斎デスクにシモンズのセミダブルベッド。
窓も広めで、半田の市街が一望。
ただ液晶テレビは小さめで、外部入力端子はあるが繋げても画面に出ない。

ホテルのすぐ近くに夜9時までやってる大きなスーパー・ピアゴがあり、
中の100円ショップも品揃えがいい。
ただ夕食をとる店があまりない(近所は居酒屋ばかり)。
ちょっと先に回転寿司チェーンの「かっぱ寿司」があったが、
日曜の夜のためか超満員で、待っている客だけでも数十人規模。
仕方ないので、その先の吉野家でひさびさの牛丼。
安上がりだったが、充実感はない。

朝は、ビュッフェバイキング。
チェックアウトは11時までだし大浴場も11時すぎまでなので、ゆっくりできる。
10時すぎに発てば、昼の仕事に余裕で間に合う。

炭酸主義

2009年05月18日 | 生活
今、私のマイブーム(笑、でもほかにいい言葉がない…)は”炭酸”。
焼酎(もちろん乙類)をメインに、酒を割るのはすべて炭酸。
炭酸がいいのは、口当たりが強めの刺激となることで、
アルコール摂取量を抑えれるため(”ら抜き”は可能表現に使用)。
つまり早く”飲んだ気分”にさせてくれる
(「とりあえずビール」とか「シャンパンで乾杯」というのもそういう効果があるんだろう)。
私は焼酎には炭酸のほかに「リンゴ酢」も必ず入れている(米酢とかだと気分的に×)。
味がサワーになるし、酢だから健康にもいい。☞論拠の記事

ワインに炭酸を入れれば、
微発砲ワイン(薄口の疑似シャンパン)に早変わり
(ワインに対してことさら原理主義ぶる人がいるが、
ワインを水で割って飮むのはヨーロッパではギリシャ時代から普通のこと)。

また日本酒に炭酸を入れれば、今流行りのアルコール度数を抑えた微発泡酒に早変わり
(日本酒に対してことさら原理主義ぶる人がいるが、
同じ発酵酒のワインを割るんだから日本酒だって割っていい)。

この炭酸は、ショップ99で1リットルボトルが売られている(”ら入り”は受け身表現に使用)。
私はそれを欠かした事がない。
それがない時は、近所の”やまや”(酒のチェーン店)で欧州産の発泡ミネラルウォーターを買っていた。
でも最近は”やまや”でも1リットル100円の炭酸が売られるようになったのはうれしい(近いから)。

炭酸は飲むだけではない。
入浴剤も炭酸。
炭酸は保温効果が高く、末梢血管が拡がって高血圧によいという。
だから毎回炭酸湯に全身を浸かる。
といっっても入浴剤の炭酸量はたいしたことないし、すぐ泡切れとなる。
いつかは日本一の炭酸泉・大分県の長湯温泉に行って、
全身を”シュワッ”としてみたい。

雨がいつ上がるかは予報士に聞こう

2009年05月17日 | お天気

甥っ子の幼稚園の運動会が午前9時から予定されていたが、
午前7時の時点で雨だったため、中止に。
そして9時前には雨は上がり、それ以降はまったく降らなかった。
時間を遅らせても開催してくれた方が親たちとしてはありがたかったのでは(風は強かったけど)。

私は、目が覚めた8時の時点で、9時前に雨は上がって、数時間は雨は降らないとわかっていた。
今降っている雨が1時間後どうなるのかは、
マスコミレベルの気象情報では解らない(地点予報も3時間単位)。
今雨が降っているからといって、大事な予定を中止した途端、
雨が上がったという経験は皆さんもあるのではないか。

昨年東京で、”ゲリラ豪雨”のためマンホール内で作業していた人たちが死亡した事故があり、
それ以降”1ミリでも雨が降ったら作業中止”とされ、仕事の効率が悪化したという。
これは”羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く”反応で、
気象情報の活用に関して無能力さを示している。
今降っている雨が、豪雨になるのか、シトシト雨なのか、すぐやむのかは、
近くの気象予報士に聞けば自信をもって答えてくれる。

手の内を明かすと、
ネットで気象庁や国交省の”リアルタイムレーダー”※を見ればいいのだ(10分間隔更新)。
※追加:最新の「Xバンド」の方が更新間隔が短いのでお勧め。ただしすべての地域に対応してはいない(2016年現在)。

本当は観測情報を多元的に考慮するが、
レーダーアメダスだけでも1時間以内の降水なら、
素人でもかなりの確度で予想できる。

ついでに、昨晩も関東だけ雨雲がかからず(北陸や東北に雨雲が流された)、
今日も西から来た雨雲は関東に入ると消滅する傾向を示した。
これは、関東だけ強い南風が入り、雨雲が蒸発させられてしまったため。
低気圧の暖域と関東の地形が合わさった効果による。
この現象は、レーダーで確認できこそすれ、
そのメカニズムについては天気図・衛星・アメダス(風)など他の観測情報を参考にしないとわからない。


裁判における被害者感情

2009年05月16日 | 時事
裁判員制度が始まることもあり、最近の裁判傾向について気になる事を述べておく。

福岡の飲酒運転事故(3人の幼児が死亡)の2審判決は懲役20年。
遺族の思いが伝わったとされる。
また名古屋の闇サイト殺人では、遺族が死刑にならなかった被告の死刑を求めて、署名活動中で、署名は30万人に達したという。
このように、最近は遺族の心情を量刑に反映させようとする傾向がある。
この問題を冷静に考えてみたい。

近代欧米の刑法の発想は、それまでの「応報刑」から被告の更生・社会復帰を期待する「教育刑」に変化した。
罪を憎んで人を憎まずという発想であり、また収監人数を減らす財政的な意味もある。
だが、それによって被害者(とその遺族)は事件の当事者から排除されてしまった。

犯罪の当事者は加害者と被害者であり、司法は第三者である。
なので本来は、当事者間で決着をつけるもの。
江戸時代の日本では、親を殺された武士には「仇討ち」が義務とされた。
今でも家族を殺された遺族は、犯人に仇討ちしたい気持ちだろう。
仇討ちを禁じて、国家が被害者に代わって刑罰を下すようになり、そして国家の意思で刑法思想が採用される事により、犯罪でもっとも傷ついた被害者側の意思が、判決の場から排除されてしまった。
その矛盾にやっと気づいたおかげで、被害者感情が重視されるようになったわけだ。

だが、それは私憤の公憤化(マスコミも一役)ともいえ、怒りにまかせた厳罰化の方向となる。
私は、”感情”を悪とみなさず、心の本質とみているので、被害者”感情”は量刑に反映すべきでない、と言っているのではない。
むしろ、被害者感情は罪の構成要因であるとみなしたい。
ただその評価をどうするかが難しい。

そもそも量刑の妥当性の基準は何か。
1つはハムラビ法典以来の、与えた損害と等しい,いわゆる応報主義の基準(他は判例主義の基準)。
教育刑信奉者は”古くさい”と鼻で笑うだろうが、被害を基準にしている点で被害者側を排除した教育刑の欠点がなく、社会的相互作用の普遍原則と合致して時代を超えた妥当性がある。
賠償額は少なくとも損害額に等しくなるという理屈は受け容れやすい。
それと同じ論理で、殺人に対する死刑も妥当となる(誤審でないことは前提)。
ただ実際には、さまざまな事項が”酌量”されることで、量刑が軽くなる方向が開かれる。
その結果、加害者側の事情のみが量刑の考慮対象となってしまった。

結局、加害者側と被害者側の考慮のバランスを回復することが、社会的に公平な判断となるということだ。
だから、逆に被害者感情のみに動かされることも、また不公平となるのである。

福岡の事故の後の、飲酒(+酒気帯び)運転に対する、すなわち酒気帯び運転(無事故でも)と死亡事故と等価とする世間のファナティックな反応は、被害者感情の暴発に思えた(そうは思わない人が多いようだが、血液中アルコール濃度が0でない限りは運転に支障をきたすという発想は非科学的。運転に支障をきたすなら、前日の睡眠時間や体温なども道交法で規定するべき)。

さらに”被害感情のみ”で犯罪が構成されることなった「ハラスメント・いじめ」はどうだろう。
被害の度合い=罪の重さという基準なら、故意か過失かという加害者側の事情も無意味となる。
1人で3人を死に追いやった福岡の交通事故は、3人で1人を殺した名古屋の事件より、被告1人の罪の重さは9倍となりうる。

裁判員は、被害者側ではなく、被害者と加害者に等距離の位置にたつべき第三者として、有罪か否かだけでなく、量刑判断までしなくてはならない。
これって難しいよな。

客室サービスの変化傾向

2009年05月14日 | 
毎月泊りの旅行するので、”客室内”のサービス体制の刷新傾向がよくかわる。
ここ最近の刷新方向は以下の4点(あくまで客室内)。

1.冷蔵庫のフリースペース化
かつては館内の自販機よりも割高の飲料で占められていた冷蔵庫。
客は飲みたけりゃ自販機で買うので、冷蔵庫内は古くなった飲物がたまる。
これがフリースペースとなることで、持込み自由となり、
要冷蔵のつまみなども入れる事ができ、滞在客の便宜が向上した。
これこそ、客本位のサービス。

2.お茶のティーパック化
以前は缶に入った茶葉なので、
数時間後にまた飲もうとすると、客自ら始末させられる。

3.トイレの洗浄器化
今や洗浄器付きがデフォでしょ。ペーパーの消費量も減るし。

4.スリッパ対策
浴室などで自分のスリッパが他人と混ざらない工夫。
今までの宿はこの問題に鈍感すぎだった。
一番簡単なのは、部屋番号の札をつけた洗濯ばさみを用意する事。

田舎の民家にすぎない民宿はもとより、
”旅館”という旧いサービス体制の宿はだいたいこれらが立ち後れている(だから選択外)。
といっても洗浄器化以外はたいしたコストもかからないのですぐできるはず。
要は従来の慣習を疑える意識の問題。
最近は公共の宿でもスリッパ対策まで拡がっているのはうれしい。

ただ、このレベルで満足しないで、次なるステップへ進んでほしい。
それは、ビジネスホテルの客室では当然化している以下の点だろう。

5.LAN接続(無線)
連泊して仕事をしようとする私のようなノーパソ持参の客に必要。
どうせフロント内ではネット接続しているだろうから、
無線にすればルータを買い足すくらいでたいしたコストはかからない。
私はメールでのコミュニケーション断絶を我慢できるのは2泊が限度。
一週間の湯治など夢のまた夢。
本当はもっと滞在したいのだが…、
かといってビジネスホテルにわざわざ連泊しに行く気はしない。

6.テレビのデジタル化
これは個人的にはどうでもいいが、
どうせ数年以内に強制的に交換が必要となるだろう
(すべての客室のテレビを入れ替える出費)。

7.セーフティの室外化
室内の金庫型のセーフティボックスってほとんど無意味。
特に部屋の鍵と一緒に鍵がついていたらまったく無意味。
しかも温泉宿では日帰り客を受け容れる所が多いので、
浴室のカゴから外部の者に部屋の鍵を持っていかれたらおしまい。
日帰り客自身のためにも、浴室にこそセーフティボックスがあればいい。

茶臼山高原

2009年05月11日 | 茶臼山カエル館計測

GW明けの旅行先は、愛知県の最高峰茶臼山高原に2泊。
愛知といっても半分弱は信州で、
信州側の南アルプスを見上げ、愛知側の山々を見下ろす景勝地。
霧ケ峰的な草原の高原なので気分がいい。

その高原の中央にある休暇村茶臼山高原に泊まる。
ここは休暇村の中でも質素な方で、
温泉はないものの、比較的空いていて、
しかも共済のチケットで一泊につき2000円引きとなり、
結局一泊6000円で泊まれるのがうれしい。
自宅から奥三河の里山を通って2時間で行ける。

愛車ミニも最近は調子がいいようなので(先月の榊原温泉高速ドライブも問題なし)、
不安はない。

途中、稲武の「古橋懐古館」に立ち寄る(二度目)。
ここは幕末の志士たちの手紙や歌の短冊が収集された所。
それらを活字化した資料集を購入。
幕末・維新に真剣に日本のあるべき姿を思って命を落とした人たちこそ
(佐幕・倒幕を問わず)、近代日本の礎だと思う。
日本の近代化は決してすんなりいったのではなく、
彼らの死という痛みを伴っていたのだ。

愛知・岐阜・長野の三境をなす三国山に行こうと車で山頂部の池の平まで上ったが、
最後のピークに至る道がわからず、亀甲石(古代火山の跡)を見ただけで下りることに。
いざ出ようと、車のエンジンをかけるが、車が動かない。
セルは回るのだが、エンジンがかからない。
何度もセルを回すと、ほのかにガソリンの臭いが室内に漂う。
これって、一昨年の秋、八ヶ岳の麓で動かなくなった時と同じ
その時は、結局JAFを呼んで現地で修理してもらうハメに
(その時の旅行はレンタカーで継続)。
こんどは愛知・岐阜・長野の三県の境で JAFを呼ぶのか。
いったいどこの県のJAFにしたらいいやら…、と半ば覚悟を決めていたら、
エンジンがかかった。

老齢のミニにとっては、標高差500mを2速中心でのきつい上りが辛すぎたのか。
いったん信州根羽村の里に急降下して、標高1200mの茶臼山高原に上りなおす。
ただし今度は傾斜は緩い。

高原には「カエル館」があり、地元天然記念物の「ネバタゴガエル」を見る。
このカエルはカエルのくせに「ワン」と犬のような高い声で鳴くので有名。
前回訪れた時は、鳴くシーズンでなかったので、
今回鳴くシーズンの5月中旬に来たわけ。
ガラスケースに入った胴長5cm程度の小さなカエルは、昨日から鳴き始めたという。
でも昼はあまり鳴かないそうで、私が行った時も押し黙ったまま。
近くの沢沿いでも野生のネバタゴガエルが鳴くそうなので、そっちに行ってみた。
すると、「ワン」ではないが、同じ程度の高音で「クークー」と間欠的に鳴く声が響く。
こっちも犬のような声だ。

満足して、館を出ようとする時、車は無事にエンジン始動。
ホッとした。
さっきのはなかったことに…。

標高1200mを超える茶臼山高原は、広葉樹は芽を出したばかりで、新緑には遠い。
山桜は葉桜状態で、地面には背の低いタンポポが咲き乱れ、
下界の4月初めといったところ。

翌日も好天。
雪をいただいた南アルプスが見える。
ちょっと霞がかっていて写真には向かないが、この風景はここの売りだから、
久しぶりに茶臼山(1415m)に登り、360度の大展望を満喫
(中央アルプス、恵那山も見える)。
向いの萩太郎山にも登って、山上に植えられた芝桜を眺める(写真)。
小登山2つやって多少の汗をかいたので、豊根村の日帰り温泉に入り、
午後は宿前の疎林にリラックスチェアを出して、
パソコンのiTunesをヘッドホンで聴きながら、パソコン打ちと読書。
鴬の声を聞き、顔をあげると南アルプスの雪山。
標高1200mの高原が書斎代わりとは、ぜいたくな気分。


GW明けこそ旅行

2009年05月09日 | 
およそ2週間のGW期間は、”滝行”に山に入ったものの、
それ以外は職場名古屋と実家東京との新幹線での往復だけ。
どこに行っても異常なほど混むし、しかも割高料金(新幹線は結構空いていた)。
でも連休期間には変わりないので、
GW明けは、楽しみが終わってしまった喪失感と盛夏まで休日のないつらい期間を迎える圧迫感に襲われる。

なので、毎年、あえて GWが終わった週末に旅行をする。
といっても仕事は休まないので、近場で済ませるが(今回は準定宿の”茶臼山高原”)。
すいているし、気候はGW並みにいいし、気分の下降を引きとどめることができる。

私は、楽しみは後にとっておくタイプ。
寿司でも好きなネタは最後の方に食べる。
楽しみを待つ間が長いと、楽しい総時間が長くなるから。
同じ論理で、仕事は面倒と思う作業から手をつける。
苦痛とは、できるだけ早くオサラバしたいから。

滝行体験

2009年05月05日 | パワー・スピリチュアル

前の記事の続き。

ぐっすりねむれて、翌朝はアラーム前の4時半に起きた。
出発の準備をして、玄関前の広場に出る。

早朝の山の中って特有の霊気がある。
ここの霊気は、空に伸びた樹木群が、
それぞれ神木的な荘厳さを発散しているためな気がする(右写真)。
間近で鳴く鴬の「ホーホケキョ」という声を聴きながら、
山の霊気を全身に浴びているだけで、心が洗われる。

予定通り5時に出発。
神主さんだけは編み笠をかぶり白装束に杖を持つ。
往復と滝行の間はおしゃべりはダメ。

行場である「七代の滝」に到着し(上写真)、
褌(ふんどし)と鉢巻だけの姿になって(女性は白帷子)、滝行開始。

まずは滝の前で、準備運動に相当する舟漕ぎ動作をする。
両手を上下に組む時は右手が上になり、滝つぼには右足から入る
(儒教的礼法と違う)。
水に入る時、右手2本指で手刀を切りながら「エイッ」と掛け声。
滝つぼの水を両手でバシャバシャと、腿・腹・腕・肩・頭の順でかける。
これだけで充分冷たく、内心「こりゃ、きつい」と心が萎えそうになる。

でもここで引き下がれない。
さらに滝の下に進み(写真では、人の上半身は水面から2ミリ程の大きさ)、
腹まで水に浸かって、両手を上下に組んで、
「祓え戸の大神」と3×3回唱える。
気を入れて大声を出さないと、滝の響きと冷たさに負けてしまう。
再び、右手で手刀を切りながら、エイと掛け声を入れて、水からあがる(次の人と交代)。
これを2巡。

それが終わったら、整理体操に相当する舟漕ぎをして、祝詞を大声で斉唱し、
特有の深呼吸をして終わり。

宿坊に戻っての祈祷では、神道の拝礼とともに蔵王権現の真言を唱えた
(修験道の要素を完全には排除していない訳)。
終わったのは7時半。つまり2時間半の行を朝食前にやったわけだ。

宗教的な行といいながら、山の中で裸になって大声を出すって、
最初は小恥ずかしかったが、次第に平気となり、
やがて爽快になる(山の中限定だからね)。
原始的な状態になることで、人間の方から山の神威に近づていくような感じ。

私が御岳山の滝行をやりたいと思ったのは、
二千年の歴史を誇るこの神社なら、
明治以降の国家神道や江戸期までの修験道を突き抜けて、
自然崇拝の原始神道に回帰できると思ったから
(もう一つ、神道の所作を武家礼法と比較したいという興味もある)。

なので、自分をパワーアップしたいとかいう理由ではない。
目の前の自然に神威を感じ、それに敬意を表する、ただそれだけの神道。
敬する対象に自分が囲まれている事を感じ、その対象に少しだけ近づくための行。
自分がこの(神々しい)世界に存在している事がうれしくなった。

私にとっての神道は、
存在の神秘への素直な感動と世界が在ることの素直な感謝の念
(観念論的教義は不要)。

昨晩は、いつもと違う生活パターンを負担に感じていたが、
今日は、初めての貴重な体験ができたことを素直に喜んでいる。


滝行の宿坊

2009年05月04日 | 

このブログで「GWにレジャーの予定はない」と書いたが、
実は”泊り”の予定はあった。

前々からGW頃に奥多摩の御岳山(929m)の宿坊に泊まって、
御岳神社の神主さん指導のもとで滝行(たきぎょう)をやりたく、
今回宿をとっていたのだ。
一応”修行”なので、レジャーでないということでOK?

中学1年の時に山好きになって、まず通ったのが東京の奥庭というべき奥多摩。
その奥多摩で最初に行ったのが御岳山だった。
この山はケーブルカーで簡単に行けるので登山の対象ではないが、
山上の神社を中心に、周囲に茅葺き民家風の宿坊が居並ぶ独特の雰囲気、
つまり自然と人間が調和している風情が好きで、
奥多摩で一番好きな山だった。

奥多摩は日帰りの観光地だが、
その宿坊にあえて泊まって、
日帰りでは経験できない御岳山の夜をすごしたかった。

ネットで予約したのは「駒鳥山荘」。
他にもネット予約できる宿があるが、
ここは主人が神主の一人なのでいつでも滝行を申し込める。

往きの日は、15時以降にチェックインすればいいだけなので、
のんびり昼頃に家を出る。
Suicaで私鉄も使えるようになって、私鉄への乗り換えが面倒でなくなった。
八王子や高尾は以前から速くて安い京王を使っていたが、
今では横浜へは品川で京急に乗り換え、
拝島より奥に行くには西武新宿線経由でいく(100円ほど安上がり)。

御嶽駅からはバスに乗りケーブル下に着く。
もう14時半だが、私のほかにも今から山に入る人が多い(みんな泊るの?)。
私はケーブルに乗らずに表参道を歩いて登る。
巨木化した杉並木の間のコンクリの道は、階段がなくて歩きやすい。
眺めはないが、杉並木が立派なので、近景だけでも気分はいい。
1時間ほどの登りで、一汗かいて山上に着く。

宿に着いて、案内された部屋(写真)からは、
南東の五日市方面の山(高校時代見覚えのある山)が見渡せる。
御岳山の宿は、山上にあるので、展望がいい。
東京方面の夜景のすばらしさは中学の時の「初日の出登山」で経験済み。

汗をかいたので、まずは風呂。
円形の檜製の浴槽に浸かり、手足を延ばす。
温泉ではないが、登山客相手の”山小屋”では味わえないサービス。

夕食には鮎や山菜の天ぷらなどが出て、山の幸を堪能。
その後、宿坊の主人にして神主による明日の滝行のオリエンテーション。
行に参加するのは私を入れて8名。
私以外は5人の男グループと、カップル1組、見たところ皆20代。
出発は朝5時だという。

寝過ごしては大変と、入念に携帯のアラーム設定などをした。
いつもなら寝酒と好きなDVDを観て、一日最後の楽しい時間を過すのだが、
自分で望んだことながら、日常とは異なる生活パターンを強いられると、
それだけで緊張感を覚え、心に負担となる。
いつもの安逸の生活に戻りたいと思いながら、
今日ばかりは、11時過ぎに消灯した。
(翌日の記事へ続く)


行方不明の免許証の在りか

2009年05月02日 | 失敗・災難
運転免許証が行方不明になり、
仕方なしに運転試験場まで行って再交付してきたのが今週の火曜日
そして土曜、行方不明になった免許証が見つかった。
場所は、家の多機能ブリンターの蓋の中。

銀行手続きのため、免許証のコピーをとるために、
プリンタの蓋を開けて、ガラス板にのせ、蓋を閉めてコピーをし、
そのまま置き忘れたわけだ。

ここに置き忘れたことをすっかり忘れていたため、
プリンタの蓋を開けて探すことなど思いもよらなかった。

外で落としたとばかり思っていたので、そうでなかった点は安心。

ただ、コピー機のガラス板に置き忘れるって多いはず。
コンビニのコピー機でなくてよかった。

蓋を閉めたままで作業が終わるので、
わざわざ蓋を開けてコピー元を取り出すのを忘れてしまうのは、むしろ自然な流れ。

置き忘れ防止の警報装置をつけておいてほしい

GW後半

2009年05月01日 | 歳時
木・金は平常通りの授業をこなして、GW後半(本番)へ向けて帰京。
GWは私にとっては、4月の疲れを癒す骨休みと図書館での作業の期間であって、混雑する道路や割高の温泉宿は、この時くらいしか連休を取れないサラリーマンのご家庭にお譲りする。

世間では、不況・雇用不安とETC1000円乗り放題と定額給付金支給と、思いもよらぬ新型インフルエンザのパンデミック(大流行)騒ぎで、遊びに出歩くべきか家に籠るべきか悩む事態に。

幸い、天気は安定しているので、近場の混まない屋外で遊ぶといい。
できるだけお金を流通させて経済を活性化させるべきだし、かといって無駄に車を使うのはCO2対策(本当は資源問題と排ガス問題)に反するし、屋外なら感染の危険は少ないし(ただし公共交通には要注意)、日差しの割にはまだ紫外線は強くない。
とにかく、冬の寒さと夏の暑さの中間の季節だから、野外活動のベストシーズン。
私もこの時期ばかりは、図書館ではなく、公園の木陰でリラックスチェアに身を沈めて読書をしようと思っている。