今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

山の日・お盆休みは完全休養

2024年08月12日 | 歳時

「山の日」を挟む三連休にお盆休みが続く。

観光地は掻き入れどきのはずだが、北日本は台風上陸、そして東海以西は「南海トラフ臨時情報」いわば”巨大地震注意報”発令中で、客足が鈍っているらしい。
※:15日17時まで有効。
前者はいたしかたないが、後者は発生確率が1%から1.5%に”上昇”した程度なのだが、
日頃から防災を謳っている者として、立場上これを冷笑するわけにはいかない。


ただJR東日本管内の東海道線大磯—熱海間が徐行運転とは、相模トラフの危険性は上がっていないのでやり過ぎだと思う。
徐行ないし運行停止は駿河湾(沼津)以西の南海トラフの地震が発生してからで済むことで、震源域外で何もないのに徐行運転する必要はない。
これも”やってますよ”的対応なのだろう。

大磯—熱海間では、南関東大地震(関東大震災)の時、根府川駅の鉄橋に土砂が来てちょうど通過中の列車が海中に転落して多くの死者を出したというトラウマがある。
でもこれはほぼ直下の相模トラフの地震であって、駿河湾以西の南海トラフの地震だと揺れはもっと小さいし、津波も時間差がある。

ただ18きっぷで根府川の前後、すなわち早川から真鶴までの車窓から見る、海に落ちる山腹にへばりついている民家を見ると、相模トラフの地震が来たらひとたまりもないことは容易に予想できる
(平野部の少ない日本にはこういう危険な立地の家屋が多い)。
なのでまず必要なのは家の耐震強化なのだが、簡単にできる備蓄品の買い出しで”やった気になる”。
とうことで、皆が防災演技にいそしんでいるわけだが、それとて”防災訓練”として無駄とはいえない(非経済だが)。


私自身は、せっかくの「山の日」前後だが、地震以前にこの猛暑で外出する気になれず、
あえてこの時期に山や旅に行く強迫観念からも解放されているので、
のんびり家にいて(近所の買い物はする)、冷房の効いた室内で読み残した『大菩薩峠』を読み進めることにする。


春分・秋分の日出・日没時刻

2024年03月20日 | 歳時

昼夜の長さが等しくなる春分・秋分の日の日出・日没の時刻は?

およそのところ、日出は午前6:00、日没は午後6:00(昼の計=12時間)。

とてもわかりやすい。

なんでこんなわかりやすい時刻かというと、太陽が南中する時刻(日出と日没のちょうど中間)を12:00(正午)に設定してあるから。

そして春分以降は、日出が午前5時台に早くなり、日没は午後6時以降に伸びていく。

ただしこれは理論(理想)値であって実際の値(観測値)はこれからズレる(日本標準時の明石でも)。
そこより東にある関東ではさらにズレが大きくなり、上よりも日出は16分早い。

でもおよその値として理解しておいて損はない。


1月25日は八甲田忌(2024)

2024年01月25日 | 歳時

震災が癒えぬ能登半島を含めた西日本に強い寒波が襲来している(九州でも積雪)。
かように、1月下旬は1年で最も寒い時期。

実際、日本の観測史上の最低気温(-41℃)を記録した(北海道上川)のは、明治35(1902)年の1月25日だった。

その記録的極寒の日、運の悪いことに、帝国陸軍青森歩兵5連隊は、八甲田山で雪中行軍を挙行し(出発したのは23日)、山中で強烈な寒波と猛吹雪に見舞われ、進路を見失って山中を彷徨い、210名中199人名の死者を出した(八甲田山雪中行軍遭難事件)。
※:不運というより気象情報の無視という情報的怠慢。伊勢湾台風が来ているときに伊勢湾に航海訓練に出るようなもの。何より事前にルートの下見をしなかったのが決定的な失策。

長年山をやっていた1人として、毎年この日を「八甲田忌」として、この世界最大の山岳遭難の犠牲者を悼むことにしている。

といっても私にできる事は、自室の仏壇に合掌することと、この出来事に思いを馳せるために、新田次郎原作の映画『八甲田山』を観るくらいだ(長いので2晩かかる)。

ただ今年は、24日までに、この出来事を題材にした伊藤潤の『囚われの山』(中央公論新社)を読んだ。

新田次郎の『八甲田山死の彷徨』以来の小説化であるが、そこは当然意匠を異にして、現代の雑誌編集者を主人公にして、彼がこの遭難事件の新たな謎に挑む要素を加えた二重構造のストーリーになっている(もちろん新田次郎の本も映画もいずれも創作が混じっている)。
事件の真相については、本書解説の長南政義氏による当時の陸軍の事後検証のまとめも参考になった。


七福神巡りはしご:2024

2024年01月06日 | 歳時

正月三が日は意地でも家で過ごすが、それ以降の松の内(4-7日)は、正月気分を味わいながらも、
ナマった体を動かすのにはウォーキングを兼ねた”七福神巡り”が最適。

東京も地元の谷中をはじめとして、各区ごとにあるほどの密集状態なので、むしろ選ぶのに苦労する。
地元に近い谷中(北区・荒川区・台東区)は幾度も巡り(最近はコロナ禍の2021)、
その後は雑司ヶ谷(豊島区・文京区:2022)山手(港区・目黒区:2023)と巡った。

そこで今年は、数ある都内の七福神の中で、紅一点の弁天を基準に、日本橋(中央区)千寿(千住:足立区)が候補に絞られた。
日本橋は、水天宮の弁天が正月5日までと巳の日にのみ開帳。
もう5日を過ぎているが、6日は幸い巳の日。
千寿は、弁天のみが由緒ある石仏(他は七福神巡り用に設置)。
また日本橋は、人形町駅周囲にこじんまりと集まっていて、都内で最も短時間・短距離で回れる。
それって便利だが、言い換えると、ウォーキングとしては物足りない。
千寿も北千住駅から一周で回れる。
そこでまずは日本橋を巡り、日比谷線で人形町から北千住に移動して千寿を巡る、すなわち七福神巡りの”はしご”をすることにした。


自宅からは地下鉄の乗り継ぎの都合で、半蔵門線の水天宮(弁天)が行きやすいので、そこで降りて、地上に出るともうそこは水天宮の脇。
旗を持った他県からの「歩こう会」の団体さんとかちあってしまい、水天宮は一挙に混雑。
なので本殿参拝は諦め、本日開帳日の弁天参拝の列に並ぶ。
金色の弁天様をガラス越しに拝む(写真)。

ここ水天宮は、都内で唯一と言っていいくらい妊婦の帯祝いなどの安産祈願が有名で、
初詣・七福神巡り以外に赤ちゃん連れの参拝客も繰り出してくる。
いわば日本橋界隈で一番混む神社なので、目的の弁天も拝めたことだし、早々に後にする。


大通りを渡って、松尾神社(大黒=大国主)に行くが、小さい神社に参拝客が長蛇の列となってるので、列の外から距離をとって参拝し(願掛けはしないので、これでok)、
社務所で、日本橋七福神の宝船付きの人形セットを買う(5000円)。

七福神巡りの記念品は、それ専用の色紙に参拝先の朱印を7つ集める形式が多いのだが、一部、七福神人形を販売している所もある。
そしてここ日本橋だけは、七福神人形に”宝船”がついたセットを七ヶ所のどこかで買える(水天宮は売り切れ)。
5000円は安くはないが、縁起物だし、今後もずっと飾っておけるので、色紙よりは飾り甲斐があると思い購入する(最下写真)。
実はこれを買うのも日本橋を選んだ理由。

末廣神社(毘沙門天)も長い行列なので、遠方からの参拝で済ませ、笠間稲荷(寿老人)・椙森神社(恵比寿)は、行列が短かったのできちんと参拝。
小網神社(福禄寿)も大混雑なので、遠方から参拝し、最後の茶ノ木神社(布袋)は人が少なく並んで参拝した(ただし布袋の像は見当たらず)。

以上、3ヶ所ほど行列に並ばなかったので、ここまでで約1時間。
はっきり言って、日本橋七福神は、参拝者がキャパを超えている(遠方の歩こう会の団体まで来る始末)。


正午過ぎたので、昼食にそば店を探すが見当たらなかったので(うどん店はあり)、人形町から日比谷線に乗って北千住で降り、駅前の富士そばで腹ごしらえ。

旧日光街道である商店街を北上し、観光案内所で七福神巡りの地図をもらい、千住元氷川神社(大黒天)を参拝。
こちらは日本橋と違って、ほとんど行列がないので、きちんと参拝できる。
また、各神社で担当の七福神の人形(700円)を売っており、全部揃えると4900円になる(7人を乗せる専用の台(≠宝船)も売っている)。


そこから住宅街の路地を北上して、荒川の堤防下を進むと、大川町の氷川神社(布袋)。
ここには、溶岩で造られた立派な富士塚もあって、上部まで上がれる(頂上には立てない:写真は山頂部からの眺め)。
私は富士塚を見ると、立ち入り禁止でない限り、必ず登拝する。
ここの富士塚には本物の富士山と同じく(山腹を一周する)お中道もあり、一人で富士塚の中をぐるぐる回っていると、それを見て他の参拝者も登りにやってくる。

荒川に並行した路地を進んで達した元宿神社(寿老人)では、地元の人がお茶をサービスしてくれる。


ここからしばらく南下して、千住の鎮守である千住神社(恵比寿)に着く。
ここにも富士塚があるが、残念ながらここのは7月1日の山開きの日以外は立ち入りできない(そういう残念な富士塚が多い)。
ここの恵比寿像は、参拝者が手で像を3回して(男は左、女は右=陰陽の原理)、願をかけたい部位をハンカチなどで撫でるという。
なので、一人当たり時間を要するが、混んでないのが幸いで、マイペースでできる。

現日光街道(国道4号)に出て、八幡神社(毘沙門天)を参拝し、道を渡って、大きな狛犬のある稲荷神社(福禄寿)を参拝。


そして最後の仲町の氷川神社は、今までの七福神巡り用石像でない、もともとある弁天の石像を拝める。ここの弁天は江戸時代の作で、二臂でありながら持ち物が琵琶

でなく、八臂弁天が持つ剣と輪(リン)のようで、さらに像の下に三猿(見猿、聞か猿、言わ猿)が彫られている珍しい形態(右写真)。
三猿があることから庚申塔でもあったらしい。

千寿では各所で担当神の人形を売っているが、すでに日本橋七福神の宝船付き人形を手にしている私は、弁天だけ社務所で人形を買う(下写真)。

千寿七福神巡りは約2時間かかった。
ここから旧日光街道の商店街(千住宿)を通って、北千住駅に出て、ここ始発の都バスで自宅に戻った。


以上、七福神巡りをはしごして、宝船付きの七福神人形と、別サイズの弁天人形を得た(右写真)。

ちなみに、今回の七福神はいずれも14の神社で祀られていて、恵比寿以外は神道の神でないから、今の神社は(維新後と違って)異教の神にも寛容になっているといえる(これが神道本来の態度)。
※:大黒・毘沙門・弁天は仏教に取り入れられたヒンズー教の神。布袋は仏教の坊さん(弥勒菩薩とも)。福禄寿と寿老人は道教の神。これらに神道の恵比寿を加えた「七福神」はアジアの多神教を融合した”メタ多神教”を実現している。七福神こそ、不寛容な一神教に対抗する宗教融合の象徴であり具現である。


2024年元日の地震

2024年01月01日 | 歳時

2024年の元日は、例年通り新湯で湯垢離をして、和服に着替えて近所の神社に初詣のつもりだったが、
昨日から風邪をひいているので、湯垢離で身体を温めた後は、外出を控えた。
※:1月1日終日が元日、それに対して元日の朝だけが元旦。元旦=元日と誤解している人が多い。あえて元旦と言わずに素直に元日と言えばいいのに。

その後は例年通り、烏帽子・直垂(ひたたれ)姿となって、弟一家を交えて屠蘇(とそ)の儀(式三献)。
そしてお節料理を肴に、この三日間は真昼間から酒を飲む。

宴が終わって、のんびり読書でもしようかと思ったら、家が揺れている。
立っていた母が気づかないほどだったので揺れは大きくない(震度2)が、やたら長い。
この長さは、3.11を思い起こす。
急いで テレビをつけ、 NHKに合わせる。

すると震源地は、かなり離れた能登半島。
震度が最高度の7になっている(すぐには被害状況が不明でも、しばらくするとそれなりに出てくる)。

津波警報が発令され、テレビの女性アナウンサーは、避難を呼びかけている。
地震が続いているようで、津波警報が大津波警報がランクアップされた。
すると女性アナウンサーは、「今すぐ逃げて!」と声を張り上げる。

津波に対しては、「逃げる」以外に方法がない。
気象災害でよく使われる「命を守る行動を…」ではダメで、具体的な行動を示さねばならない。
なのでこのテレビからのこの指示は正しい。

ただ、1箇所気になったのは、「できるだけ遠くに」と形容していた点。
大津波警報で5mの津波が予想される場合、海岸部の人は、海抜5m以上の地まで逃げなくではならい。
海岸部に平野が広がっていたら、”遠く”に逃げている最中に津波に追いつかれる。

正しいのは、「遠く」ではなく「高く」。
夜の番組では、ここがきちんと訂正されていた。


餅を喉に詰まらせない方法

2023年12月31日 | 歳時

めでたい正月を迎える前の大晦日に、あえてこの記事を記す。

めでたいはずの正月のおせちの宴で、雑煮の餅を喉に詰まらせて死亡することを防ぎたいから。

その記事は10年前に公開している☞餅を喉に詰まらせない方法:追記

一言で言えば、雑煮の餅は、生のまま煮込むと餅の粘性が最大となって危険で、必ず焼いて(表面を固くして)から椀に入れること。
そうすれば必然的に餅を(飲み込まずに)歯で食いちぎって食べることになる。
これは地域の伝統的な雑煮と異なるかもしれないが、”安全”を最優先べき。
安全を最優先するのが日本の伝統的作法(武家礼法)の論理だ。
すなわち、この方法こそ、安全と品性を実現する礼法に適った食べ方だ。


2023年を振り返る:個人編

2023年12月30日 | 歳時

正月の準備が終わると、例年だったら山に行ったものだが、半ば義務感で山に行くことはやめて、行きたくなったら行くことにする。

さて、年末恒例の今年一年の振り返りの個人編。
世相編と対照的に、今年の私は、近年でも最も「何もなかった」一年だった。

めでたい出来事も大きなトラブルや不幸な出来事もなく、定型的活動の繰り返しが多かった。
仕事では新しい授業をもつもことなく、授業内容も昨年とほぼ同じ。
書き上げた論文は昨年と同じく1本(それまでの年2本のペースはきつくなってきた)

旅では定宿に復活した宿に6回行き(結局ここが一番お気に入り)、その他でもいずれも新しい宿は開拓しなかった。
日帰りでは鎌倉に4回行き、愛知の寺社にも足を伸ばした。

茶臼山のカエル館(長野県根羽村)も例年通り、春・秋の2回訪問。

東京と名古屋との往復は、昨年から利用している”ジパングクラブ”(JR東日本)で3割引の運賃(ただし「ひかり」)。
春休みと夏休みは”青春18きっぷ”でさらに安く上げる。

その中で数少ない新しい経験を探すと、
5月に高尾山の琵琶滝で滝行を経験し(☞記事、6月に名古屋宅から近いジブリパークに行った(☞記事)
また”川歩き”において、11月に野川(多摩川支流)の水源の庭園に入れて、6年越しの野川遡行を完遂(☞記事)

結局、今年一年を平穏無事に過ごしたことこそ、何よりも収穫だった。
なにしろ、父の享年(66)を無事通過したから。

残念なことに同年齢の従兄弟はこの年齢で昨年に世を去った。 
高校の同期会でも今年物故した複数の同期生の黙祷をした。
というわけで、この歳になると、あえて新しい経験をする必要もなく、無事に存在し続ければそれでいいと思う。


寒候期に入ったと感じた部位

2023年10月04日 | 歳時

10月に入って、にわかに寒候期に入る気配。

私は、主に露点温度でそれを客観的に観測しているが、温冷感覚として肌でも感じる。

それを一番はっきりと感じた部位は、半袖から出ている腕や、靴下をつけていなかった足ではなく

お尻。

そう、まずは朝、便座に座った時に冷やっとした。

そして洗浄機から出る水にも冷やっとした。

今までは、これら二つともそういう冷感はなかった。

そしてその冷感はともに快適ではなく、不快に感じた。

というわけで、数ヶ月ぶりに、便座の暖房・温水スイッチを入れた。

こうして現代日本人は、お尻で季節を実感する。


地元の秋祭り…

2023年09月17日 | 歳時

地元の鎮守の秋祭り。
町会ごとに神輿と山車を出す。
ただ人口減に少子化のご時世。
私が子供の時のような賑わいはない。
その上この暑さ。
アスファルトの道を延々練り歩くのは辛そう。
見物する側も辛い。

鎮守社に行くと、社殿の前は誰もいない。
参道脇には出店が4件(昔はぎっしり並んでいた)。
その参道の中央を何の気なしに歩いていると、参道脇を歩いていた老人から、「参道の真ん中は神様が通る道だ」と言われた。
確かに、特に今日の祭礼の日は、神様があちこちの町内を巡行する日。
急いで参道の左側に寄った。

ここだけだとあまりにあっけないので、やはり祭礼中の隣の根津神社に行った。
こちらは区内最古の神社で、徳川将軍家との関係もある由緒ある神社。
境内も広く、出店がずらりと並んでいる(それでも以前よりは減っている)。

せっかくだから、昼食代わりに何か食べようと思ったが、こういう祭りの出店って買ったはいいものの、食べる場所がない。
境内の歩道脇に腰掛けて食べるのも落ち着かない(ゴミも持帰り)。
それに特に(広島風)お好み焼き(なんと800円)は量が多すぎる。
というもの、せっかく色々な出店が並んでいるなら、複数種食べてみたいのだが、お好み焼きや焼きそばはあれだけで満腹になる。
量を半分にして、値段もそれなりに安くしてくれたら、2軒以上で買って楽しめるのに。
あ、でも食べる場所がないか。

結局、出店を全て素通りして、地元の(冷房の効いた)中華に入って、椅子に座って冷水を飲みながら具材が豊富な五目焼きそば(800円)を食べた。
お好み焼きと同じ値段なら、こっちを選ぶ。

こういうわけで、せっかくの秋祭りを楽しめなかった。
なんか地元神社の祭って、参加者だけのものって感じ。


5月3日に帰京

2023年05月03日 | 歳時

GWはカレンダー通りで、2日に職場で定例会議(昨年までなら遠隔だったが今は対面)があるため、2日の朝に愛知に戻り、会議と事務処理を済ませ、日帰りではもったいないのであえて名古屋宅に一泊して、5月3日に帰京する。

5月3日からはカレンダー上でも3連休で、いわば GWのど真ん中で最も混む時期(なのでジパング倶楽部の3割引も使えない)。

朝のテレビで、東名高速下り車線の大渋滞の中継を見て、これなら上りの新幹線はたいして混まないと予測。
といっても、早いうちに帰京の途につくべく、朝食も摂らずに名古屋宅を出る。

休日なのに名古屋駅に向かう地下鉄も満員で、名古屋駅に行くとさらにでかい荷物を持った人たちでごった返している。
新幹線の改札まではいつも以上の混み具合だったが、いざ新幹線の上りホームの自由席エリア(1-3号車)に進むと、行列はほとんどない。
実際、10時前ののぞみ(東京行き)に乗車すると、自由席はいつもと同じくらいの乗車率で、難なく進行方向左側の2人席を1人で確保(真横の3人席は空席)できた。
一方4号車以降の指定席は、入線時に視認したところ、グリーン車を除いて満席だった。
すなわち、GWに限って新幹線を使うような人たちは、”自由席”というリスクを取りたがらないようだ。

東京駅に着くと、ホームは下りの新幹線に乗ろうとする人で溢れている。

結局、日本での交通混雑って、首都圏の人たちの動向によるものなのだ。

人をかき分けて新幹線の改札を出て、まだ正午前なので、川口まで電車に乗って GWに予定していた買い物、すなわち、これからの時期の服を買う。
今までは L.L.ビーンが私の基本選択肢だったが、最近は同じアウトドアテイストであるワークマンプラスに移行している。
前者がいつも変わり映えしないラインアップなのに対し(もう買うものがない)、後者は新鮮味のある、それでいて機能的でかつ安価な製品を出している(ユニクロよりも安い)。
後者の唯一の欠点は、家から近い都心に店舗がないこと。

というわけで、GW中唯一の仕事と最後の移動と買い物を済ませたので、これから残りの日々はのんびり過ごすだけとなった。


立春は1年で最も重要な日だった

2023年02月03日 | 歳時

節分の翌日が立春。
いや正しくは、立春の前日が節分で、日にちの決定権は立春の方にある。
立春は、冬至と春分の間の中日だから、地球の公転によって若干の誤差が発生するため。

お天気番組では明日の立春を「こよみの上で春」と言いうも、北海道の流氷が着岸したばかりで、本格的な寒気はむしろこれからの雰囲気。

その「こよみ」では、冬至・春分・夏至・秋分を四季の頂点とし、それらの中日を立春・立夏・立秋・立冬として機械的に季節を分割している。
なので「こよみ」上の季節(四季)は太陽光の周期によるものであって、それと位相がずれる気温の周期ではない。
この位相のずれが地球の公転上の「こよみ」と人間の季節感のずれに相当する。

さて、立春が、春の初日というわけだが、実は我々は立春よりも一ヶ月も前に「春」を謳っている。
1月の正月を「新春」と称して祝っているではないか。
なぜか。

1月1日は、冬至から10日ほど後の、どう考えても(気温ではなく太陽光の基準でも)厳冬期で、春の兆しなんてない。
なぜ厳冬期の正月を初/新”春”というのか。

それは、大昔は、立春が正月元日だったから。
つまり、立春こそ1年の始まりの最も大切な日だったのだ。
立春なら、寒さこそ厳しいが日も伸びて春の兆しくらいは感じられる(梅もそろそろ)。

立春が正月元日だったから、その前日の「節分」、すなわち”季かれ目”は本来なら年に4回あるのだが、大晦日の節分(冬→春)が年も切り替わるので最も重要だった。
なので大晦日の節分の行事(だけ)が、今でも立春の前日に残っているわけ。
その行事は、”追儺(ついな)”あるいは鬼やらい”といって、冬(陰)の邪気としての鬼に春(陽)のエネルギーの豆を投げて追い払う行事。
というわけで、節分の豆まきは、陰陽論に即した日本の伝統文化なので、少々馬鹿馬鹿しい気がするものの、一応私も実行する。
※:スーパーに行くと、大豆だけでなく落花生も同じコーナーに売っている。一部地域では落花生を撒くらしい。

ただし伝統文化でもなんでもない”恵方巻”はハナから無視する。
もっとも、豆まきしかない節分を、食で楽しく盛り上げる方向性には賛成(その方向性で七夕を素麺で盛り上げてほしい)
大晦日としての節分にふさわしい食は、”年越しそば”に相当する”節分そば”かな。
節分そばは、シンプルな”もり”ではなく、温かい”かけ”に春の具材をふんだんに載せたい。


2023年の元日を過ごす

2023年01月01日 | 歳時

皆様、新年明けまして おめでとうございます
今年一年、皆様にとって良い年でありますように

さて、自然な目覚めで元日の朝を迎えた私は、湯垢離をして体を清め、この日だけの絹の下帯をつけ、羽織袴姿になる。
まず室内の諸仏(如意輪観音、吉祥天、薬師如来、不動明王、孔雀明王、愛染明王、大勢至菩薩、観世音菩薩)を礼拝し、下駄を履いて地元鎮守の天祖神社を参拝。
晴天で寒くないが、参拝者はいつもより少ない感じで行列にならなかった。

この神社が管理している近くの富士神社の登拝札が売られていた。
ぜひほしいと思ったが、それならそこの富士塚に登らなくてはと思い、富士神社の富士塚の急な石段を登り、頂上の社殿に富士講式に「南無富士浅間大菩薩」と唱えて参拝して、再び天祖神社に戻り登拝札を求めた(500円:写真)。
これで元日に富士登山をしたことになる。

ついで第二鎮守の八幡神社を詣で、干支の置物を買い、ここの境内にも富士塚があるのでそこも富士講式で参拝し、神社隣の東覚寺(谷中七福神巡りの起点となっている)に詣で、本堂前に安置してある福禄寿を拝み、赤紙仁王のある不動堂も参拝。
かくして、例年の2社1寺に1社加えて近所の初詣を終える。

自宅に帰り、元日だけはトイレの烏蒭沙摩(うすさま)明王と台所の三宝荒神にも線香を手向け、真言を唱える。

ここから先は例年通り、母はおせち料理を大皿に盛り付け、私は酒の支度。
そして、弟一家も集まると、私は烏帽子・直垂の正装になり、屠蘇の儀を式三献に則って執り行なう。

それが終わると、子供たちにお年玉を渡して、大人たちは飲み食いに専念する。
かくして、飲み食い三昧の三が日が始まる。


2022年を私的に振り返る

2022年12月30日 | 歳時

年末恒例の今(2022)年の振り返り。

まずは、時代(20世紀、昭和)を飾った物故者が印象に残る(石原慎太郎、安倍元首相、エリザベス女王、ゴルバチョフ元書記長、アントニオ猪木、ペレなど)。
また幼馴染の同年の従兄弟が急逝したのはショックだった。

失ったものの大きさに比べ、得たものの小ささが身に染みる。
書いた論文は1本だけ。
投薬効果で、コレステロール値が劇的に改善した( LDL↓、 HDL↑)のは嬉しい。

身体運動のための山歩きとなっていた山との関わりを改め、修験道を参考に心身の修行としての”峰入り”を志向することにした。
そうすることで高尾山ですら貴重な霊山(行場)となり、また腸脛靭帯の痛みも無くなった。
今年行った山は、高尾山・小仏城山・景信山(以上高尾山域)、御嶽山奥之院・高水三山(奥多摩)、丹沢大山、茶臼山・白鳥山(奥三河)で、このうち初めての山は白鳥山(968m)。

各自治体の”郷土博物館”が有意義な情報源(数時間費やせる)であることが分かり、旅の目的地として加わった。
特に県立博物館(千葉、神奈川)の充実ぶりを実感。

美仏を拝みに大阪のお寺(観心寺など)に行った。
名古屋からなら、京都・奈良・大阪は日帰り圏だ。

パワースポットでの計測(地磁気、静電位、霊気)も続け、磁気については計測だけでなく新たに消磁も行なうようになった。
定番の茶臼山カエル館の他に、百間の滝・大鹿村の”磁場坂”(これらはパワーなし)、鹿塩の奥のパワーを確認し、また東京都心の将門首塚の再計測でパワースポットであることを再確認した。

パワーに関して、顧問をしている易学研究会で初めて実技指導をし、さらに(これはブログに未記載だが)霊視(霊が見える)現象の探究の道が開かれた。
来年は、この霊視現象を研究の俎上に載せようと思っている。


収穫祭としてのボジョレー・ヌーボー

2022年11月17日 | 歳時

本来、人々が一年で一番喜び・感謝すべき”収穫祭”が日本から消えてしまって久しい(昔は11月23日がそれだった)。

なので、その代わりにボジョレー・ヌーボーの解禁日を祝う(名古屋で)。
日頃飲むのはメルシャンの最低価格(298円)のワインだが、本日だけは惜しげもなくその10倍支払う(かように、本日解禁の新酒はそもそもワインとしては高級品ではない)。

ライトな口当たりで、飲むほどに気分が良くなるので、なおさら収穫祭を祝える(神道とキリスト教は酒を聖なるものとして宗教に取り込んでいる)。
新酒を味わっている時、東京の母から電話がきて、「本日ワインを買ったから、今度帰った時に開ける」とのこと。
2箇所でヌーボーを味わえる。

本日は、わが愛車の車検を済ませた日でもあり、その意味でも個人的に肩の荷が下りて祝杯をあげたい。
ちなみに、前回の車検は20万かかったが、今回は15万で済んだ。
これを2年に1回支払うのだから、車ってつくづく”贅沢品”なんだと実感する。

この額、ローンもない今の自分には一度に支払う最高額なのだが、言ってみればそれは”学費”を払う側でないからだ。

まぁ、こうやって皆で経済を回していけば、景気が回復し、お互いに潤うということか。
ケチるのもほどほどにしておこう、と今日の自分なら言える。


夏季休業中に”仕事”

2022年08月10日 | 歳時

8月に入り、前期試験の成績をつけ終え、唯一の出勤業務であるオープンキャンパスも済んだので、いよいよ”夏季休業”状態に入った。

この休業中こそ、遊びまくるのではなく、本来の”仕事”である研究活動のアウトプット、すなわち論文執筆に集中できる貴重な期間(大学の夏休みが長いのは、学生を遊ばせるためではなく、教員の研究活動のためだ)。

論文執筆は、幸い場所を限定しないので、東京宅に戻って、ノートパソコン持参で国会図書館で進める。
自宅だと気が散るし、日中の一番暑い時間帯を、冷房の効いた静かな図書館の方が集中できる。
地下鉄を使った家からの往復も気分転換と軽い運動効果を得られる。

閲覧室はスペースが広く、電源も自由に使える。
なんと言っても、必要な文献(出版物)は日本で一番揃っている。
先日までコロナ禍対応の予約制だったが、今では土曜以外は自由に使える。

ここがいいのは、食堂完備な点。
ただ本来の大食堂は閉鎖中なので(喫茶部と中食堂は利用可)、弁当を売っている売店で巻きずし(4切れ)を買う(私にとって昼食はそれで充分)。

以前と違ってヘッドホンで音楽を聞くのもOK。
惜しむらくは、休日が閉館であること。
明日の”山の日”はどうしよう。