寄る年波で、半年ほど山に行ってないと、脚力が不安となる。
そこで脚力のチェック用に行くのは小学生の遠足の地・高尾山(599m)。
ところが、その後また半年ほど空きができてしまうということを繰り返して、
チェック用の高尾山を3回連続行く羽目となった。→前回
言い換えると、高尾山は幾度行っても飽きない。
気楽にふらりと行けて、混雑はしているが、それなりに山に入った気分(下界とは別世界)に浸れる。
昔からの霊山ゆえ、自然林が残っているためでもある(奥多摩の山は植林)。
また、山中に信仰のポイントが点在しているのも、歩行を飽きさせない。
さらに山上に茶屋があるので、昼食持参なしで行けるのもいい。
水曜に思わぬ降雪があったので、高い山は積雪だろうが高尾山なら安心。
新宿9時1分発の京王線に乗り、10時前に高尾山口に降り立つ。
いつも通り、ケーブル駅を横に過ぎて、高尾病院の坂を登り、本格的な山道である琵琶滝道を登る。
本日は25℃になるというので、下着を兼ねた山用の長袖シャツ1枚(半袖でもいい)。
さらに2号路を進んで、舗装された1号路に出、ケーブルカー利用の観光客たちと合流。
いつもは緩斜面の女坂を行くが、今日は久しぶりに男坂の長い石段を登り、薬王院境内に入る。
ここで母の土産にかりん糖を買う。
本堂と上の飯綱権現堂は参拝者の列に並ばずに、遠くから軽く合掌して通り過ぎ、
さらに石段を登った奥の院(不動堂)では一人立ち止まって、不動明王の印を結んで真言(マントラ)を唱える。
そしてその奥の境内で最も高い所にある富士浅間社にも「南無浅間(あさま)大菩薩」と唱えて参拝する。
この2つのパワースポット※が私の参拝対象
※:パワーの計測に基づいた認定→その時の記事
これらの配置を見て分かる通り、奥の院が本尊(不動明王=大日如来)であり、
また高尾山自体が富士(富士浅間大菩薩)の遥拝所を形成している※。
※:江戸〜多摩の地からは、ここに登らずとも普通に富士を拝めるが。
正午前に混雑した山頂に着く。
外国人のカップルやグループが目につく。
ここまで雪はほとんどなかった(境内に残雪が少し)。
ここより千メートル高い丹沢は見事に雪をかぶっている。
その右奥の富士はモヤがかかって見えにくいが、山体は真っ白。
私は山頂で休むことなく、山頂を越えて少しだけ奥高尾(観光地でない山域)に入る。
人はグッと減って、ほとんどが登山の格好、少なくともジーンズ(山の素人の典型服)姿はいない。
一旦くだって、ゆるく登り直した所が”もみじ台”で、
ここにも茶屋(細田屋)がある。
山頂にある3軒の茶屋はいつも満席だが、ここなら空きを期待できるのだ。
ここで、丹沢を見ながら(写真)山菜そば※(1000円)を食べる。
※:山の茶屋では山の幸を堪能すべく山菜そばを選ぶ。
ここが今日の目的地のようなもの。
ここから引き返すが、なんと予定していた稲荷山道は、倒木のため通行止めとのこと(降雪の日に倒れたようだ)。
仕方なしに山頂を巻いて一周する5号路から山の南面をトラバースする3号路に出て、
途中で薬王院に向かう道に入る。
この道、実はメインの1号路が山頂に伸びる前は、薬王院から山頂への正式な道だったらしく、
道幅は広く(車両通行可)、道脇に古い石垣が続く(写真)。
石垣をよく見ると、なんと気泡の跡がある溶岩。
高尾山は火山でないので、富士の溶岩を敷き詰めたのだ。
そして奥の院にあった浅間神社は、元はこの道沿いにあったという(この地で山崩れに遭ったため移転)。
すなわち、高尾山自体が富士塚(溶岩で富士を模り、富士登拝とする)でもあった。
この道を「富士山道」というのは、高尾(模富士)山頂で本物の富士を遥拝するための道だから。
薬王院の庫裡裏に達すると、弁天窟がある。
参拝する価値のある場所だが、1号路で薬王院本堂を通る人はここまで足を運ばない(存在を知らない)。
この富士山道を通るなら道沿いにあって立ち寄りやすい。
ここから薬王院に戻り、そのまま1号路を下る(どうせなら登りと違う道)。
無事、登山口に着き、そのまま駅のコンビニで缶ビールとカニカマを買い、
川沿いの整備された広場に座って無事下山の祝杯。
この場所、公園風に整備され、座る所が増えたのはいいが、日陰が全くない。
前回は日傘を持参したが、片手を傘に奪われるとリラックスしてビールを飲みにくい。
そこで夏日が予想された今回は、傘ではなく笠形の折りたたみ日傘(秋葉で買った)を持参して、それを頭にかぶる。
見た目は滑稽だが、両手があいてしかも体がすっぽり日陰に入るのでとても快適。
街では使えないが、山では人目も気にならない。
さて、次の山はいつになるやら(また5ヶ月後だったら高尾山)。