今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

豊川稲荷東京別院に行く

2023年01月29日 | 東京周辺

帰京中、荼枳尼(だきに)天を拝みたくなったので、東京港区の赤坂にある豊川稲荷東京別院に行った。

豊川稲荷は、もちろん愛知県豊川市にある曹洞宗寺院妙厳寺境内に祀られている稲荷だが(稲荷は”神仏分離”後の現代でも、寺の境内に祀られている)、お寺本体よりも人気で、しかも全国規模での人気を誇っているので、東京にも別院がある。

稲荷といっても、神道系の(ただし神社本庁には属さない)伏見稲荷※と違って、こちらはインドの夜叉(人肉を喰らう)でありながら大黒天の眷属となって衆生済度を担う荼枳尼天 (だきにてん)である。
※:伏見稲荷の東京別院は、西武新宿線沿線(西東京市)にある東伏見稲荷。

曹洞宗寺院境内に稲荷(荼枳尼天)が祀ってあるのは珍しくないが、本尊を凌ぐ人気になっているのはこの豊川稲荷くらいで、よほど庶民にとっての御利益があるのか。

地下鉄の赤坂見附から少し進むと、ビル街の中に赤い稲荷の幟(のぼり)がひしめく豊川稲荷に達する。
お寺なので、入り口に鳥居はない(写真)。

まずは、本堂で本尊に参拝するが、すでに行列になっている。
行列先頭の人たちは、ちゃんと仏式の礼拝(合掌)をしていたが、ある列から神道式の礼拝をしだすと、その後の列も神道式の礼拝を続ける。
私は、それに抗うように仏式の合掌をしながら、光明真言を唱える。

続いて、荼枳尼天を祀る堂(写真:堂内撮影禁止)を仏式で礼拝し、さらに他の神道系の稲荷(宇賀神)も礼拝。
境内にはこのほか、大黒天(荼枳尼天のボス)や弁天をはじめとする七福神、愛染明王も祀ってある。

本来この寺は、只管打坐を旨とする禅寺なのだが、坐禅道場の雰囲気よりも、現世利益を謳う真言宗寺院の雰囲気に近い(だから、禅寺に不似合いなくらい参拝者が多い)。

一通り参拝して(こういう御利益を謳う所でも私は祈願をせず、無心に礼拝するのみ)、大黒天と荼枳尼天の御影セット(300円)を購入。
実質的にはこれが目的で、自分の御影コレクションに荼枳尼天を加えたかったのだ。

境内を抜けた先に売店が並んでいて、稲荷にちなんで店内で”きつねそば”を食べた(550円:そばとうどんが選べる時は、できるだけ小麦粉よりも蕎麦粉を摂取したいからそばの方を選ぶ)。

ちなみに、わが御影コレクションは、自宅でクリアファイルケースに入れて保管していたが、考えてみれば、御影はそれぞれのお寺の御本尊の代りだから、家でも礼拝の対象とすべき。
なのでファイルケースを見開きにして立てて、他の仏像(フィギュア)と同じく毎日拝むことにした。


降水量の予測は困難

2023年01月26日 | お天気

 この寒気の最中(八甲田忌と重なる)、 JR西日本でポイント故障が発生し、多くの乗客が長時間の缶詰状態を強いられた。

ポイント故障の直接の要因は、気象庁の発表した降雪量の予測値が実際に比べて少なかったこと。
 JRはこの値を参考に整備計画を立てるから。

実は、降水(雨と雪)の”有無”の予想はかなり的中しているのだが、細かな降水量の予測は、はっきり言っておよその目安でしかない。
例えば、台風が来るとき、ある地方の降水量の予測は「(多いところで)100mmから200mm」というように、100mmもの誤差を予め含めて出される。
なので、今回のように降水量にして数mmのズレ(降水量の1mmは降雪の1cmに換算される)は、「よくあること」(想定誤差の範囲内)と認識してほしい。
さらに降水量は地域内でも差があるので、ピンポイントの推定はさらに困難。
なので JRなどは、こういう誤差を前提に整備計画を立ててほしい(あるいは、地域に密着した観測網を独自に整備するとか)。

本来「カオス」の現象である気象は、正確な予測が原理的に不可能であることが数学的に証明されているくらいだ。

強い寒気が来ると数日前に予想できるだけでも、地球規模の観測網とスーパーコンピュータを駆使しての結果で、科学技術的には”すごい”ことなのだ(地震についてはその程度の予測さえ不可能)。

せめて、実測値に最も近い予測値を求めるなら、(変化が線形で近似できる)直近の予測値しかない。


10年来の寒気襲来を露点温度で確認

2023年01月24日 | お天気

10年来の寒気が襲来しているという。

確かに名古屋も今日の午後4時くらいから急に気温が下がって、雪模様となった。

寒気襲来を確認する第一の指標はもちろん気温だが、気温(上図)は日中の太陽光の影響を受けて上下するので、空気の寒気流入そのものを示してはいない。

それが如実にわかるのは、太陽光の影響を受けない露点温度(下図)だ。

マスコミの気象情報ではこの露点温度の情報は出ないが、私が勤務先で観測している愛知県日進市の時系列データを示す。

例えば本日24日の気温降下は午後4時前(上図24日の右端から1本目の縦線)に始まっているが、露点温度によると寒気流入は正午頃(下図24日の右端から1本目と2本目の縦線の中間)から始まっていることがわかる。

日中だと寒気が入ってきても太陽光の影響で気温が下がりにくいのだ。

かように露点温度は空気移流の参考になる。


4年ぶりの大腸内視鏡検査

2023年01月23日 | 健康

大腸内視鏡検査を2018年以来受けていないので、かかりつけのクリニックで受けろと言われていて、本日検査を受けた。
検査の記事も3度目で、検査を受ける前の食事制限や当日の準備、検査の様子などは、以前と同じなので記さない。→前回の記事
まぁ、胃の内視鏡検査よりはマシ(かように、胃と大腸については定数年おきに内視鏡検査をしている)。

初回の2017年より5年経って、再びポリープが発生していたので、検査中に切除してもらった(2018年の検査は術後のチェック)。

切除をしたので当面アルコール・辛いものと風呂は禁止だが、今回はポリープが小さかったので、禁止期間は1週間でなく3日で済む。

一昨日以来、まともな食事をしていないので、今晩は母と回転寿司を食べに行く(ただしアルコールとワサビ抜きで)。


「霊が見える」という心理現象の探求

2023年01月21日 | パワー・スピリチュアル

今年からの研究テーマとして「霊が見える」という心理現象を真面目に扱うことにする。

本当に「霊が見える」という人が少数ながら一定数いて、本人自身がその経験を扱いあぐねているようだ。
そして、そう言明することで周囲から変な目で見られてしまうため、秘匿していることが多い(幾人かはその経験を本にしている)。

私自身は、見えるとされる”霊”が客観的に実在するとは思っていない(思えない)。

ただし「霊が見える」という知覚経験(以下、霊視)を心理現象として存在することを認めることで、少なくとも心理学の研究対象としたい。

このように霊視現象を、素朴に”霊が外的に実在する”とは認めずに、まずは心理現象すなわち主観的経験として認め、その次元で霊視経験を批判的に精査することで、霊が外的に実在するか否かの判断に導きたい。

このような態度で心理現象として扱うには次のチェックを要する。

①虚言でないこと
この第一関門で、日常的に出回っている”霊視”言明の多くは脱落するかもしれない。ここをチェックするには、言明者の人格特性の確認が必要であるため、きちんとした面談が必要(それを経ない報告だけの情報は採用しない)。特に顕示性性格者が本人も信じてつく虚言癖※のチェックが必須(こういう人は霊視以外でも日常的にホラを吹く)。
※:霊が見えるお笑い芸人・シークエンスはやともによると、テレビに出る(自称)霊能者にも実は”見えていない”人がいるらしい。それは見える人からみれば分かるという(『ヤバい生き霊』より)。

②錯視(錯覚)ではないか
霊視を(検討もせずに)錯視と断じている科学者がいて、確かに瞬間的な”霊視”経験は錯視であることが多いが、その場合は一部の人ではなく、多くの人がそう反応するはず。さらによく見れば本人でも錯視と分かるもので(幽霊の正体見たり枯れ尾花)、実は本人でチェック済みが多い。ただし視覚上(網膜像)のトラブルの可能性があるので、視野のチェックは必要。

③幻視(幻覚)ではないか
視覚現象は最終的には脳の現象なので、網膜上に映らない映像も”見る”ことは可能(夢がその実例)。ただ覚醒中の幻視は錯視のように誰でも経験するものではなく、また一時的で再現性がない(錯視は恒常的)。
まずは、脳(視覚中枢)の機能障害の有無を確認する(専門的な検査ではなく、中枢性の視覚障害があるかの確認でよい)。
また幻覚症状を呈する精神病理(統合失調症、アルコール・薬物依存など)の有無もチェックする。

以上の虚言、錯視、幻視の可能性を徹底的にチェックし、これらで説明できるものは(””なしの)霊視現象とは認めない。

そしてこれらの関門をクリアして、霊視現象と認められた事例は、その内容を詳細にデータ(変数)化し、他の心理現象と同じく客観的な分析対象とする。
分析結果の考察(解釈)については、霊を実在視する既存の神話(宗教)的な解釈図式は採用せず、データのみを根拠としてボトムアップ的に理論化を試みる。

以上を今年から実行するつもり。
というのも、大学教員をやっていると、霊視者は意外に身近にいるから(統計分析に堪える人数には達しないが)。
来年度中に執筆するので、論文として公開されるのは、早くて2024年3月となる。


ストーカーに殺されないためには

2023年01月19日 | 防災・安全

またしてもストーカー殺人事件が発生した。

被害者はシングルマザーなので、残された子も哀れ。

被害者は、警察に相談済みで、緊急通報措置も携帯していた。

ストーカーに対しては接近禁止令が出されていた(記事修正)。

そもそもストーカーの問題でなぜ、接近禁止の措置が取られるのか。
それは最終的には殺人を防ぐためである。

ストーカーという用語自体が、殺人事件によって誕生した。
すなわち、ストーカーと殺人とは現象として親和的なのだ。

ストーカーに見舞われたら、どうしたらいいか。
絶対に”会わない”こと。
これが第一原則であり、ストーカー対策の常識になってほしい。

会うと、いや会うだけで、ストーカー行為は促進される。
その結果、ストーカー行為の最終段階である殺害の可能性も高まる。
会って話し合おうなどとくれぐれも思わないこと
※:人間同士話し合えばなんとかなると考える甘い人間観を持つ人が一定数いるが、5.15事件での犬養毅首相が「話せばわかる」と言ったにも関わらず、押し入った賊は「問答無用」と言って殺害した。これがリアルな現象なのだ。

法的な禁止令が出ても、ストーカーの行為自体は物理的には制限されないので、受ける側は自衛するしかない。
相手と出くわしたら緊急通報装置よりもダッシュで逃げて交番に駆け込む方を優先する。

残念ながら、今回の被害者は、この第一原則に反してしまった。


宿の和食の問題

2023年01月17日 | 

慰労の元定宿に2泊して、拒否感を覚えない利用の仕方があることがわかり、また他のサービスも利用者本位に復帰されたため、利用を復活してもいいかなと思った。

何しろ、その拒否感は、この宿だけの問題ではなく、日本の宿、いや和食の店にも蔓延している作法的問題だから。

和食は、本来はご飯が中心で、そのご飯は複数のおかずを通して食べるもの(皆さんの家庭での和食がそれを実現している)。
それが、おかずとご飯が分離され、ご飯は最後に漬物で食べるように仕向けられた。
これは和食の作法ではなく、おかずに乏しく漬物だけでご飯を平らげる農民の風習にすぎない。
漬物は作法的には、ご飯のおかずではなく、ご飯の後の御茶請けなのだ。

本来の和食は、ご飯・汁・複数のおかずがセットになった”膳”形式(最もシンプルな形が漬物を含めた”一汁三菜”)で、これが殿様から農民・町人まで共通していた(宿の朝食だけはこの形式を踏襲している)。

なので私は防衛策として、おかずの提供が終わらないうちに、ご飯を要求することにした。
こうすれば、作法通りの和食を堪能できる。

ただ、宿や店が提供する和食には作法以外の栄養学的問題もある。
まずは、生野菜(サラダ)がない
和食の野菜はおかずとして濃い味付けで煮沸されるため、ビタミンCなどの水溶性ビタミンが乏しくなる。
これは和食の栄養学的欠点なので、改善すべき点。
栄養学的に葉物野菜は生が一番。

それと、漬物が本来はご飯が終わった後の御茶請けなのだが、その発想から逸脱したため、和食に本来存在しない不要な”デザート”なるものが登場する。
カロリー控えめなのが和食のアドバンテージなのに…台無し。

日本文化では、甘菓子は食事前の茶事に出されるもの。
なので、組み合わせ的に食後の御茶請けに和菓子ならまだわかる。
なんで和食の後に生クリームのついた洋菓子が出てくるのか。
空腹時の甘味は甘党でない私にとっても至福の味だが、満腹時の甘味はうんざり。

全員が嗜むわけでない酒がオプションのように、本来不要なデザートもオプションにしてほしい。

以上の問題は、元定宿だけでなく、和食の宿に共通するものなので、元定宿だけを拒否する理由にならないわけだ。

結局、私にとって一番気楽な宿での食は、サラダが食べれて※、デザートは取らずにすむビュッフェ・バイキングとなる(ちなみにバイキングの時は、ご飯などの糖質は摂らない)。

※:確信犯的「ら抜き」主義。「ら抜き」は文法構造的には違反ではない。「られる」は受け身に限定し、可能・尊敬は別の表現に代替することで、言語の本質的悪習たる”多義性”を回避すべき。


付知峡の宮島源平古戦場跡を訪れる

2023年01月16日 | パワー・スピリチュアル

中津川に滞在するので、ここはひとつ付知(つけち)峡まで足を伸ばし、その入り口にある”宮島源平古戦場跡”を訪れることにする。

宮島源平古戦場跡とは、平安末の源平合戦跡の1つではなく、戦国時代になって、平氏の末裔の三木氏の軍が、源氏・木曽義仲の末裔義元を襲ったという平安末以来の因縁に基づく戦国合戦。
その跡地には、木曽氏側の義元をはじめとする戦死者を祀った宮島神社がある。

私が訪れる理由は、古戦場巡りではなく、この古戦場が、対岸のキャンプ場でキャンプをしていた小学生が生まれて最初に霊を視た場所だったから。

その小学生は今は成人しており、本人から上の話を聞いたばかりで、たまたま私が中津川にいるので、訪れようと思ったわけだ。

もっとも私自身は霊は視えないので、霊視が目的ではなく、そういう因縁のある場所の計測と必要なら浄化が目的。

GoogleMapを頼りに車で宮島神社を目指し、行きついた所は付知峡キャンプ場。
神社への道は今は閉鎖中のキャンプ場入り口にあるが、道が破壊されていてとても登れない。
その登り口に、石が置いてあって”塚”と見えるものが3つ並んであり、そこから少し離れた1つには日本酒が奉納してある(写真)。
なのでまずはこれらの塚に対して合掌して光明真言を唱え、その後”ばけたん”で探知すると、青緑に光った。

他に神社に行く道を探して歩きまわると、神社のある丸山の北側からかすかな踏み跡を発見。
そちらから登ると、案の定、山頂の神社に達した。

小さな社殿の脇には「南無阿弥陀仏」と掘られた真新しい石塔があり、地元の家の墓標のようだ(掘られている家紋は清和源氏の「笹リンドウ」ではない)
この石塔には念仏を、戦死者を祀る神社に対しては神式に参拝して光明真言を唱えて、ばけたんで探知すると、緑色に光った。
緑色は「何もない」、青緑は「良い霊の出現に期待」という結果。
きちんと祀れらていることでも納得できるように、少なくとも付近に悪い霊はいないようで、あえて浄化するまでもない(もっとも私にたいした浄化パワーはないが)。

神社のある丸山周囲の平地には、同様な塚があちこちあり、集落の周囲にある墓と区別がつかない感じ。

このように、これからは”霊”に関係する記事が増えていくと思う。


慰労の元定宿

2023年01月15日 | 温泉

先週で大学の後期授業も終わり、またラストの土曜に大仕事に駆り出されたので、今日から慰労の温泉旅に出る。
宿は東濃・中津川にある元定宿。
すなわち以前は気に入って定宿にしていたが、経営が代わってから特に食事に関して容認できない変更があったため、定宿の枠から外した宿。

言い換えれば、温泉自体は気に入っていたこともあり、例えば素泊りにして夕食を併設のスパ施設で食べることにすればいい(朝食は無しで平気)。
ただしスパ施設のレストランの夕食は休日のみ。
日曜の一泊でもいいのだが、宿が売りの桧風呂は平凡な岩風呂と男女で日替わりなので、2泊しないと外れの「岩風呂」だけになる恐れがある。
なので2泊し、初日は素泊り、二日目はしたかないので食事付きにした。
幸い、全国旅行支援と重なるので、宿代が食事付きでも安くなるし、素泊り時の外食はクーポンで済む(二日目の夕食時の酒代もクーポンで済んだ)。

一年ぶりに訪れた宿のスタッフは新しくなっており、私を常連だったと知らずに、初めての客に対しての宿の説明をする。
私自身、常連風を吹かすつもりはないので(定宿枠から外したし)、初めての客のような顔をして説明を聞いた。

客室はレイアウトがリニューアルされ、前よりもくつろげる。
炭酸水素塩の湯は相変わらずヌメリがあり、ここに戻ってきたことを実感(湧出量が減っているのが気になるが)。
しばし仕事を忘れて、温泉三昧を楽しむ。


頻尿は心因性?

2023年01月14日 | 健康

”下”(しも)の話で申し訳ないが、毎冬になると、2時間おきの頻尿状態となる。
なので、大学の授業(90分)の前後に毎回トイレに行く始末。

そんな状態なので、2時間以上の立ちっぱなしの業務に見舞われた矢先、いざという時のために大人用紙おむつを装着して臨んだ。

果たして、なんとか無事に過ごせたどころか、逆にちっとも尿意に見舞われなかった。
結果的に無駄な装備だった。
水分補給はいつも通りだったのに。

実は去年も同じ経験をしたので、緊張すると、頻尿が解消することがわかった。
生理的メカニズムとしても理解できる。
緊張すると交感神経興奮となるわけで、そうなると副交感神経支配の迷走神経、すなわち内臓活動を促進する神経活動が抑制される。
その中に腎臓の活動も含まれる。

私の頻尿は膀胱というより腎臓の過活動だと思う。 
なぜなら腎臓の活動がバイオリズム的に低下する夜間(睡眠中)は頻尿でないから(言い換えると、夜間頻尿の人は私と違うメカニズム)。

「緊張すると尿意が高まる」という通俗的言説も考えてみれば理屈に合わない。
緊張=交感神経興奮=迷走神経抑制、さらに精神性発汗も促進されるので、膀胱への水分供給はいっそう減るはず。
実際の私が、緊張=尿意抑制を経験した※追記。

ということは、逆に頻尿に見舞われている”日常”がいかに緊張感のない、だらけた状態なのかも明らかとなった。

もう少し緊張感をもって生活した方がいいようだ。


※:追記
後日勉強した結果、自律神経の問題というより、緊張することで抗利尿作用のあるバソプレッシンというホルモンが脳から腎臓に分泌されるメカニズムのようだ。
いずれにせよ、緊張するとトイレは遠くなる。


メールの差出人が入れ替わる現象

2023年01月12日 | パソコン・メディア

ドコモ携帯に、親族からメールが来た。
開いてみると、真の差出人は親族ではなく、全く別人の友人からだった。
すなわちメールタイトルのFromは親族名だが、メール内の Fromは友人のアドレスで、本文もその友人のもの。

その親族と友人とは互いに接点がなく、また名称も含めて(性別、年齢その他)共通点もない。

他のメールも含めて、こんな現象は初めて。
不気味としか言いようがない。

実は今、私は研究的に霊界に接近しているのだが、霊の力は電磁波として作用するため、電子機器の挙動に影響を与えるという。
この件だけだと偶然かもしれないが、他の電子機器にも理解不能な現象が生じたら、その可能性を考えてみる。


大垂水峠から小仏城山・高尾山

2023年01月09日 | 山歩き

旧甲州街道での武蔵と相模の国境は小仏(こぼとけ)(548m)
現甲州街道での東京・神奈川の境はその南にある大垂水(おおだるみ)(391m)
両峠の間にある山が小仏城山(670m)で、もちろんこの山も県境となっている。

現甲州街道(国道20号線)が越える大垂水峠は、まさに国道上にあり、歩きの対象ではない。
ということもあり、幾度も行っている小仏城山だが、大垂水峠から登るルートを唯一歩いていなかった。

幸い、ここには峠越えの路線バス(八王子〜相模湖)が走っている。
問題は時刻だが、10時台に一本あり、丁度いい。

というわけで、1月3連休の最終日(成人の日)、山手線の工事が唯一ないこの日に、京王線で高尾山口に行き、
そこからバスに乗り、大垂水峠で降りた。
実はこの峠で降りたのは2度目で、1度目はここから城山とは反対側の南高尾山陵を歩き、峰の薬師から津久井湖に降りた。
なので今回は、歩き残しの部分を埋めるというわけ。

大垂水峠からは高尾山に向かう道もあるが、それを素通りして、丁度道路が下りになる所(神奈川県側)で、小仏城山への山道に入る。
沢沿いの道から斜面の登りに移り、緩い尾根道に出る。
一旦下って登り返し、高尾山からの縦走路に合流すると城山の頂に出る(峠から歩程50分)。

広い頂上には茶屋が2軒あり、一方は都心・関東平野を望む東京の店、他方は富士を望む神奈川の店。
今日は白い富士がきれいに見えるので、神奈川の店で名物なめこ汁(300円)と田楽(200円)を食べる。
これが目当てで昼食は持参しなかった(昼食にしては軽すぎるが、山を降りてとろろそばを食べる予定)。
昼食不携帯での山行は、茶屋が充実しているこの山域だから許される。

双方の茶屋にはビール・日本酒・ワインも置いてあり、周囲の人はそのどれかを賞味しているが、
私は心を鬼にして山中でのアルコールには手を出さない
今回も”峰入り行”のつもりだし。
※:酒を”人生の友”としたい者にとっては、”友”との付き合いの境界をどこかで明確にし、それを堅持することも大切だと思っている。

腹を落ち着かせた後、改めて富士を眺める。
高尾山からよりも大きく見えて存在感抜群(写真)。

正月の富士を充分堪能して、高尾山(599m)に向かう。
途中のピークは水平な巻道を通り、高尾山も5号路で山頂を巻いて薬王院に向かう。
奥の院の不動堂に参拝し、薬王院の四国八十八ヶ所の砂場巡りも初めてやって、愛染堂も参拝
※:仏の参拝は、できるだけ身・口・意の三密、すなわち手印と真言と念を合わせる。峰入の時はなおさら。

薬王院周辺の杉の神木と気の交流(老木には気を放射)をし、
かすみ台展望台から琵琶滝への山道を下る。
今回は、左脚の腸脛靭帯用サポーターもつけずに歩いたがなんともない。
だが逆に今までなんともなかった右脚の腸脛靭帯が疼く。
それをなんとか騙し騙し歩いて高尾病院前に降り立つ(山道終わり)。

この付近に異形の木があると本にあったので探したら、それとは別かもしれないが、
幹の洞の中に別の木が伸びている珍しい木があった(写真)。

ケーブル駅のある高尾山登り口に着き、高尾山を振り返って感謝の意を込めて光明真言を唱える。

とろろそばを食べようと思っていたが、サポーターなしでも腸脛靭帯が痛まなかったので、
駅の売店で缶ビールとつまみを買って、歩道脇の広場のベンチで祝杯をあげた。
長年患っていた左の腸脛靭帯炎は完治した感じだ。


寺社で”礼拝”してます?

2023年01月07日 | パワー・スピリチュアル

多くの人が初詣に寺社に行くが、果たしてそのうち何割の人が礼拝しているか。
多くの人は、礼拝ではなく、祈願をしているのではないか。

祈願とは、神仏に対して、何らかの願い事の実現を祈ること。
絵馬や護摩木に書かれる内容であり、おみくじに書かれていることである。
実際、多くの寺社は”ご利益”を謳って参詣者を呼び込んでいるので、ご利益の祈願目当てに詣でるのも致し方ない。

ところが私は、寺社に足を運んだ時はもっぱら礼拝だけをし、よほどの事でない限り祈願はしない(ブログで寺社を訪問した時は全て礼拝)。

礼拝とは、神仏を礼の心で拝すること。
すなわち、神仏に対する敬の想念を心に満たし、それを所作(合掌)として表現すること。
※:礼とは、敬の想いを形に表すこと(礼記)
なのでその瞬間は、想い(情)に満ちて思考は停止し、意識はほぼ無心になっている(ここが言語を要する祈願と異なる)。

礼拝することで、御神体や御本尊に対して敬の念(エネルギー)が放射される(という)。
このような参詣者たちの礼拝(エネルギー放射)によって、御神体や御本尊はさらにパワーが増す(という)。
そのようにしてパワーを高めた結果、人々の祈願を受け入れることが可能となる(という)
※こういう論理は、永久保貴一画・秋月慈童語り『密教僧秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅』第4巻にも載っている。

祈願だけの人は、自分の少ない賽銭だけで、神仏のパワーを過分にもらおうとする。
しかも祈願の内容は自己利益(欲の充足)そのものだったりする
※:ご利益が有名で参詣者が全国レベルで多い神社が、ばけたんで霊を探知すると”何もいない”と出たりする。祈願者のエゴの念が境内に充満しているためだろう。そもそも安易な欲の充足を謳うことは人の心を正しい方向に導かず、宗教としては悪手である。一方、山中の素朴な祠は、少人数ながらも純粋な礼拝対象のため霊は捕捉される。

私が礼拝だけをするのは、こういう場ではまずは礼拝(敬の念の放射)をすべきものだから。
祈願を滅多にしないのは、たいていの願い事は、人間の努力で達成すべき(できる)ものだから。
特に自己の利益に関する事は自分で何とかする(たとえば”健康”は生活習慣と医療によって祈らずとも実現している)。
唯一、姪の大手術の時は、自分は手術に関与できないため、護摩木に書いて成功を祈願した(手術は大成功)。

かように祈願で期待するパワーはそれまでの礼拝の念の集積が前提とされる。
なので、まずは(祈ることがなくても)礼拝しよう。


山手七福神巡り:2023

2023年01月05日 | 東京周辺

江戸の七福神巡りは谷中が最初だと思っていたら、目黒周辺の山手七福神も”江戸最初”を謳っている。
それならというより、こちらの弁天様は正月松の内だけ公開というので、紅一点の弁天目当ての七福神巡りとしてここを選んだ。
交通の便も自宅から地下鉄一本で行けるのでありがたい。

まずは近い順に、清正公(せいしょうこう)として有名な覚林寺毘沙門天
本堂向かい側の小さなお堂に毘沙門天が祀ってある。
山手七福神は、こちらから巡る場合「無病息災・長寿祈願」のご利益があるという(逆ルートだと「商売繁盛」)。

目黒通りを進み、白金の八芳園を越えて、次は瑞聖寺布袋
この寺は都内の黄檗宗最初の寺で、布袋(弥勒菩薩)は黄檗宗と縁がある。
本尊の釈迦像は明朝風で本堂自体も立派な造り(写真)。

さらに目黒方面に進み、こじんまりした妙円寺の堂に福禄寿寿老人が本尊の両側に鎮座。
双方ともに”寿”がついていてご利益もダブっている。

目黒駅を越えて、行人坂の下り途中にある大円寺には大黒天
この寺は羅漢や釈迦像を目的にすでに訪れたことがある。
また八百屋お七の相手の男側に縁(ゆかり)がある。

坂を下って、山手通りを越えるといよいよ弁天のある蟠龍寺
本堂を参拝し、その奥の岩屋弁天をまずは拝む(写真:外からズーム)。
石造りの八譬弁天(弁財天)だ…二本腕で琵琶を持ってたら弁才天遠目に見た限りだが、江ノ島弁天窟の石像と造りが似ている。
お堂にも木像の八譬弁天が祀ってある。

最後の恵比寿瀧泉寺すなわち目黒不動の境内にある。
目黒不動自体、色々まわれて、さらに大黒天も福禄寿もいる。

これで七福神を巡ったことになるが、目黒不動に来て、隣接するわが菩提寺の五百羅漢寺に足を運ばぬわけにはいかない。

五百羅漢寺は都内一といえる仏像の宝庫で、拝観料500円するが、松の内は無料(もっとも檀家である私はもとより顔パス)。
ここには大晦日に墓参りに来たばかりで、屋内の霊廟にはその時の花飾りが残っている。
改めて亡父と従兄弟の霊を祈った。

ちなみに山手七福神は、同じ型で絵が異なる人形がそれぞれ売られている(各500円)し、もちろん御朱印もある。
私はそれらのコレクターではなく、本尊の御影コレクターなので、目黒不動の御影(500円)を求めたのみ。
東急目黒線の「不動前」から帰った。


『謙信越山』を読む

2023年01月03日 | 作品・作家評

毎年正月三が日は、仕事は一切せずに、読む本は歴史、とりわけ関東戦国史の書を読むことにしている。

今年読んだのは、乃至政彦著『謙信越山』(JBPress)。
すなわち越後の上杉謙信による関東遠征(越山)に絞った本。

謙信は自らの意思で越山を繰り返したのではなく、北信濃(川中島)の関わりと同じく関東側の要請に応じたまでのこと。

なので、それを招いた側の関東の諸将(簗田晴助、里見義堯、小田氏治、太田資正)の記述から始まるのが、従来の謙信本にない特色。

実は、関東戦国史の主役たる彼らの情報の少なさが既刊書の不満点だった。
本書では、上記の諸将個人に焦点を当てた記述が、混沌とした関東戦国史の中で煌めく個性の紹介となっている。
実際、本書の帯には、「冲方丁氏絶賛!!『歴史の WHYに挑む波乱万丈の東国史に感服!このまま映画化されてほしい程とにかく面白い!』」とある。

本書のミソは、越山の動機を、従来的解釈である上杉憲政の依頼(管領職および上杉家の継承)に基づくよりも、京で出会った関白・近衛前久の誘いを重視している点。
それゆえ前久との離別が、謙信の関東への執着を解除し、小田原北条氏との和議(と北陸道への転進)を導いたことになる。
実際、謙信は幾度も越山してその都度関東を蹂躙したが、関東の経営(支配)には関与が低かった。
また、謙信本人についての、妻の有無・女人説・敵中突破・敵に塩を送る・越山の略奪目的説・死因なども史料に基づいて解明を試みている(謙信の特異なメンタルを理解するポイント”出奔”についても論じほしかった)。
歴史書が史料に基づくのは当然のはずだが、一部にそれを無視して個人の”常識”で論じる(「〜であるわけがない」などの言辞)著者もいることは確かで、本書は史料を駆使して脚注も膨大となっている。

本書は、謙信本人のみならず、上述した関東諸将などを個性的に捉えている点で、映画化可能というのも頷ける。
ただ、それにしても、結局謙信の越山は、謙信自身にとっても、関東諸将にとっても、そしてそれに対抗した小田原北条氏にとっても、結局は何も解決せず徒労でしかなかったということで、虚しさだけが残るのも確かだ。
映画化する場合、ラストの締め方が気になる。