今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

ラーメンを食べる前に胡椒をふりかけて何が悪い

2014年03月30日 | 雑感

まったくどうでもいい話だが、ラーメンを店で食べるたびに頭にこびりつくので、ここで発散してすっきりしたい。

ラーメン通の間では、ラーメンに最初に胡椒を振りかけるのはド素人の振舞いとして軽蔑の対象になっているらしい(本で読んだし、ラジオでも聴いた)。
私自身は胡椒大好きという訳ではないが、ここではあえて”胡椒派”の立場を代弁したい。

なぜ、食べる前に胡椒を入れるのか。
それは、そのラーメンに胡椒が入っていないと分っているから。

このラーメンには追加の調味料は不要だというのは作り手の論理にすぎず、
胡椒が好きな食べ手にとっては明らかに大好きな胡椒が不足していることが食べる前にわかっているのだ。
なぜなら、胡椒の風味は胡椒以外では出せないから。
だから、食べる直前に胡椒を加えることで、自分好みのラーメンを完成させているのだ。

どうせ胡椒を入れるのに、その前に胡椒のない状態で一口食べるのは、その一口が食べ手としてはまったくの無駄になる。

パスタに粉チーズやバジルを、食べる前に最初にかけないのか?
寿司は一口食べてから、サビをつけてもらうのか?

ラーメンがいつのまにか特別に有り難いものに成り上がってしまった、あの風潮こそ気味悪い。
ラーメンは庶民に愛される食べ物であることを、最初に胡椒を振りかけることで主張したい。


消費増税直前の気分

2014年03月27日 | 時事

消費税が3%上がる直前の今、スーパーに買い物に行けば、持ちのいい食品を多めに買ったり、Amazonで今すぐほしいわけでないが、いずれ買おうと思っていたものを注文したりする。

これらは消費者の経済行動として合理的であり、むしろどんどん買いだめすべきなのだろう。

実際、スーパーには空いた棚が目につく。

でもなんだかさもしい。

自分だって、一円でも安い方を選ぶ人間だ。

値上げ前に多めに買うことを否定するつもりはない。

ならなんでいい気持ちになれないのか。

煽られ強迫的に買わせられて、「買いたいから買う」という”満足感”がないためだろうか。

たかが3%分の目先の利益を守る自分の必死感を自覚して、余裕の無さという”苦しさ”を実感してしまうためだろうか。

とにかく、増税直前の買い物は、ちっとも楽しくない。

土地と家という”超”大きな買い物は、増税前に済ませたので、
新居用の家具はまだ買ってないが、それは増税後でいいや。


奥武蔵の旅3:顔振峠~越上山

2014年03月23日 | 山歩き

彼岸過ぎのうららかな日曜。好天が約束されているので、日帰りでどこか歩きに行きたい。
頭に浮かんだのが、奥武蔵の顔振(かあぶり)峠~越上(おがみ)山の稜線。
ここは西武線の吾野(あがの)が登り口で、越上山は越生(おごせ)町にあり、越辺(おっぺ)川水源の山。
こう書けば我がブログの読者なら、察しがつくだろう。
そう、今月の記事「奥武蔵の旅1」(3月4日)と「奥武蔵の旅2」(3月14日)の旅先の双方に関係する、それらの中間地帯なのだ。
本来ならこの地は奥武蔵1の2日目に訪れる予定だったが、2日目は雨天だったのでそのままむなしく帰宅した。
奥武蔵2で越生を訪れた時、越辺川の源頭に登り損ねた越上山が端座していた。


そして、どこに行こうかと思った時に、その山が真っ先に思い浮かんだ訳だ。
これは心理学的にいうと、「ゼイガルニク効果」(やり残した行動はやり遂げた行動より想起されやすい)という。
やり残した行動に対する心的緊張が解除されていないためだ。

というわけで、わが心に残った心的緊張を解放すべく、西武池袋線に乗り、吾野で降りた。
今日は、12km・4時間の山歩きなのだが、昼食・行動食を用意していない。
車内ですませた朝食は申し訳程度にコンビニのおにぎり1個。
なぜ、空腹のまま山に入るのかというと、顔振峠の茶屋で、展望を満喫しながら、そばを食べる予定だから。
このような暴挙は、山を舐めている行為としてタブーなので、皆さんにはお勧めしない。
実際私も痛い目にあう。

樹林帯を歩いて、急に天井が抜けたような顔振峠に到着。
武甲山から奥多摩、丹沢、そして富士も見える大展望(写真は武甲山方面)。
峠上には茶屋が3軒あり、一番手前の「平九郎茶屋」に入り、”山菜そば”を注文(手作りの漬物を出してくれる)。

大展望の写真を撮って、すぐ上の見晴台(雨乞い塚574m)に登る。
ここは北の越生・関東平野側が開けるが、高い山の多い南側は見えなくなる。
写真を撮るなら茶屋の前が一番。
峠から東に向って林道と山道を進み、本道からちょっとはずれた越上山(567m)に登る。
山頂は樹林に囲まれ展望はない。
この山は双耳峰で(写真)、その個性的な姿は遠く高崎線・上越新幹線の車窓から指摘できる。
だからいっそう登りたかった。

そして東南に向って冬枯れの疎林(上写真)の中を進み、「ユガテ」という山上の集落を抜けて、重要文化財の阿弥陀堂のある福徳寺に降り、東吾野駅に着いた。

ユガテからの下りで、なんと左膝(膝関節症でない方)がおかしくなり、下ることが困難になった。

これはかつても経験しており、筋肉の使いすぎで、収縮しなくなるのだ。
たいてい長い下りでなってしまう。
以前は日本アルプスの3000m級の山の下りでなったものだが、奥武蔵の初級のひだまりハイクでなるなんて、みっともない。
最初は下りだけが困難だが、悪化すると膝が動かなくなり、前進そのものができなくなる。
今回は浅い山で、しかも下りだけが困難で、山を下りた後の平坦な道は平気だったが、
山奥だったら遭難ものだ。

今回なった理由は、そばを食べた後、まったく休憩をとらずに歩き続けたためだ。
低負荷の持続だったので、筋肉疲労の自覚症状がなく、ダメになるまで気づけなかった(マラソン競技でも発生する)。
やはり、食糧を持参して、所々で休憩をかねてエネルギー補給をすべきだった。
山を舐めた報いを受けてしまった。


アスペ的な私

2014年03月22日 | 健康

前回、思わぬ自分語りになってしまったついでに、さらに自分のパーソナリティを”病理的”に紹介したい。

自分の行動的特徴はAD/HDだが、社会的にはアスペルガー症候群的部分もある。

アスペルガー症候群(またはアスペルガー障害、以下アスペ)は、
最新のDSM-5では、「自閉症スペクトラム障害」に統合されたように、自閉症系の1バリエーション。
アスペはその中で知的には問題がないパターン。

どういう点で自分がアスペ的かというと、

①特定のものにこだわり、熱中する。

②独創的、慣習に縛られない。

③隠喩・含意がわからない(空気が読めない)。

④他人の表情の同定が困難。

①②は、研究職にはプラスに作用する。
③④は、対人関係に失敗する要素なので社会生活で不利。
そこで私は、心理学、その中でも社会心理学を専門にした。
アスペだからこそ、自分を理解する臨床心理学ではなく、
自分が相手しなくてはならない普通の他者を理解するために社会心理学を選んだのだ。

すなわち、①②の長所を活かして、③④の不得意分野を”研究対象”にして、それを知的に克服しようとしたわけ。
たとえば③については、自分で「会話における含意の論理・心理学的抽出モデル」(2003)を考案して,
アスペだと直観的に理解できない含意を論理的に推論する手法を得た
(言語の詩的運用ができないので、和歌や俳句の鑑賞も苦手)。
それから対人関係の微妙な距離感(これがまた苦手!)の解明を研究のライフワークにしている。
④についてはエクマンの『表情分析入門』を勉強すればOK(左脳で表情を解読する)。
さらに、常識的振舞いも直観的には分らないので、あえて「小笠原流礼法」という最高の所作法を勉強した。

アスペであっても、自分の能力を活かせれば、エジソン、アインシュタイン、信長のように自己実現的に生きる事ができる。
私のように社会に適応することにマイペースでいられるタイプは、少なくとも現代では生きやすい(他人からは変人扱いされるが)。
むしろ、社会適応がすべてで標準から外れないようしがみついている人は、かえって”うつ”になりやすい時代だ。
実際私は、あらゆる心的障害の中で、”うつ”が一番縁遠い。


AD/HD的な私

2014年03月21日 | 健康

自分のもの忘れやポカを脳機能の問題にしてDHA・EPAの摂取で解決しようとしたが、
先日の旅行でもあいかわらずもの忘れが続いている。
この症状、もっと根が深いようだ。
すなわち、一時的な異常ではなく、自分にとって本来的(定常的)な状態だということ。
いわば私は、落語”粗忽長屋”の主人公、今風にかわいくいえば”ドジっ子”。
専門的な診断名をつければ、「AD/HD(注意欠陥/多動性障害)」に該当しそう。

それはどんな症状か、手元の『DSM-IV-TR』(アメリカ精神医学会の診断マニュアル)を紐解いてみる。
AD/HDは不注意と多動性と衝動性の三つの症状に分れる。
「<不注意>として、6つ以上が少なくとも6ヶ月以上持続したしことがあり…」というのが診断基準。
それよると以下の5項目が当てはまりそう。

①学業、仕事、またはその他の活動において、しばしば綿密に注意することができない、または不注意な間違いをする。
→前者の行動もあり、後者の行動はよくある。書類の記載不備は昔からだ。
キーボードの打鍵ミスがいつまでたっても直らない(数文字分先を打ってしまう)。

②直接話しかけられた時にしばしば聞いていないように見える。
→当てはまるけど、ただしこれは難聴のせい。

③課題や活動に必要なものをしばしばなくしてしまう。
→これが多い。ソックスも気がつくと片方ばかりが残ってしまい、どれも履けない。

④しばしば外からの刺激によってすぐ気が散ってしまう。
→私が今でも図書館で仕事をするのは、そして温泉宿に籠って仕事をするのは、外からの刺激を遮断する環境にあえて身を置くため。

⑤しばしば日々の活動で忘れっぽい。
→これも多い。今ではパソコン・タブレットのアラーム付き予定表を使っているので日常生活ではだいぶ助かっている
(それでも判定教授会をすっぽかしてしまったが)。
手帳を使っていた頃は、手帳を見忘れた。

<多動性><衝動性>は該当なし。
ということは、AD/HDの下位分類の「不注意優勢型」になる。

もちろん、診断基準をかろうじて満たさないので、リアルな”障害”レベルではなく、
その気(け)があるレベルなのだが(むしろ、大部分のAD/HDは障害レベルでない)、
われわれ心理学者は敏感なので、気がある程度でも普通に障害名で特徴づける(同僚の人格を評する用語にも頻繁に使われる)。
なにしろパーソナリティの特徴を、病理的傾向として記述するのが学問的伝統だから(パーソナリティ検査の最初のニーズは精神鑑定)。

ただ、AD/HDだと学問研究などの綿密な思考を要する活動には向かないはず。それに私は坐禅などの瞑想は昔から好きで、多動性はない。
ということは一応のその分野で活動している私には、
別の傾向がその部分を補っていることになる。
それについてはまた後で。


日光湯元温泉の旅3:ついでの話

2014年03月20日 | 

翌朝、奥日光湯元は、盛大な降雪。
すでにある1mの積雪にまた新雪が加わっている。
ここはまだまだ完全に冬の中だな。
帰途のバスに乗ると、中禅寺湖畔で雪が雨に変わった。
バスは、雨の東武日光駅前に着いた。
これで春休み最後の温泉旅は終わりで、これ以上記す必要はないのだが、以下の2点を追加で記しておきたい。

1つは、今まで黙っていたが、実は往きの特急電車の中で、帽子(KANGOLのウールのハンチング)を忘れてしまった。
それに気づいたのは、東武日光で降りて、バス停に達した時。
バス停で寒風にさらされて帽子をかぶろうとしたら見当らない。
すぐに特急電車の座席に置き忘れたと判ったが、バスに乗る時刻が迫っているので、駅に戻って遺失物届けを出す暇がない。
しかたなしに諦め、宿に着いてから連絡を試みる。

宿の客室は自分のWiFiの圏外だったが、幸いロビーは無線LANが使える(最近そういう宿が増えた)。
そこにiPadminiをもっていき、東武鉄道のサイトにアクセスして、遺失物の問合せ先を確認。
そこに携帯で電話をかける。
ところが、電話は混んでいて全然繋がらない。
数度トライして、やっと繋がった。この機を逃せない。
特急の座席券をまだ持っていたので、乗った列車だけでなく、座席の特定もできた。
調べてもらった結果、確かに帽子が見つかり、特急の終着駅の鬼怒川温泉に保管してあるという。

次いで、鬼怒川温泉駅に電話して、帽子の受取の話になる。
帽子があるのは鬼怒川温泉、でも私は日光にいて、帰りもそのまま東京に戻る。
そこで、先方は私が東武日光駅に着く前に、そこに運んでくれるという。
丁寧に礼を述べて電話を切った。

翌日、東武日光駅で、無事に帽子を受けとった。
実は、ここ数年で帽子を紛失したのは2度目で、しかもいずれも栃木で、ともに戻ってきた。
私が栃木に行くときは、帽子はかぶらないほうがいいようだ。
そもそも脱いだ帽子というものは、存在感がなくなって、紛失しやすい。
何か対策が必要だ。

そしてもう1つ。
私は日光に行くたびに、二社一寺の”日光山内”手前の日光市街地を無性に歩きたくなる。
すでにあちこちの道に足跡を残している。
トリビアな名所旧跡を探すためではない。
住民のように街中を知り尽くしたいという気持ちが湧いてしまうからだ。
なぜなら、私にとって日光が、第二の故郷、勤務先兼住居になるはずだったから。

20年以上前の話だが、日光市内に短大を作る話にお誘いをいただき、
当時非常勤職しかなかった私にとって、念願かなう常勤職ということで喜んで参画した。
準備室が街中の借家に設けられ、担当者ではなかった私は、東京からそこに泊まって市内の候補地を見学した。
その頃は、自分がこの日光市内で生活することを思い描いていたのだが、
結局その話は立ち消えになり、今はその痕跡すらない。
私自身、名古屋に別の常勤先を得て赴任し、結局、日光との縁は結ばれなかった。
その未完の縁が心残りなのか、今でも日光を訪れると、自分は成行きによってはこうしていたかもしれないと、市内を歩きたくなってしまうのだ。


日光湯元温泉の旅2:温泉を測る

2014年03月20日 | 温泉

さて、湯元温泉に入る。
宿の浴室は石造りで、木造好みの私としてはちと残念だが、浴槽に満ちる湯が白濁して硫黄(正しくは硫化水素)臭をあげており、"this is 温泉!"という雰囲気は充分。
湯の色は季節によっても異なるらしく、今は緑白色。

さてまずは源泉の分析表を解読してみよう。
湯元の源泉は温泉街の北のはずれにあり、そこを歩きまわることもできる(熱傷に注意)。
この宿が引いている源泉の泉温は66℃。
pHは6.6と中性。
溶存物質の総計は1411g/kgと1000は越えているので、なんとか療養泉に合格。
ただし決して濃くはない。
陽イオンではナトリウム、カルシウムが多く、陰イオンでは硫酸が断トツ。ついで炭酸水素、塩素と続く。
以上より、泉質は、「含硫黄−カルシウム・ナトリウム・硫酸塩・炭酸水素塩・塩化物泉」。
泉質適応症としては、ナトリウム・炭酸水素塩などが皮膚によく、硫黄・硫酸関係が、高血圧・動脈硬化に効果。
ただし高血圧・動脈硬化は熱い湯そのものが禁忌になっている。
ちなみに、基本的に源泉かけ流しで、湯温調整のために加水しているかもしれないが、塩素循環湯ではない。

さて、私による浴槽の湯口からのサンプル試験の結果は、
残留塩素0.0mg/L(当然)、pH7.5(源泉よりアルカリ化している)、Mアルカリ度は180mg/L。
湯が白濁するのは、源泉にアルカリ成分が加わるためだともいうので、その結果か。
そして電気伝導度は1384μS(39℃)と、期待した程の値でないのは、源泉自体が濃くないためである。
驚いたのは、酸化還元電位で、なんと−225mV。
今まで測った中の負の最高値(それまでの最高値は玉川温泉の水道水の−100mV)。
値が負に傾くほど還元水の度合いが高いという。
酸化還元電位の負への方向は、水・温泉における”新鮮さ”の指標なのだが、これほどの値だと逆に新鮮さ以外の何かが影響していると思いたくなる。

源泉かけ流しなので、上がり湯はしないで、しかも温泉につけたタオルで体を拭いて、温泉成分を肌に残しておく。
そしてそのまま寝たら、朝まで体が火照って、部屋の暖房は止めて寝ても暑くて掛け布団を足で剝いで寝たほど(それでも冷えなかった)。
といっても温泉を肌に付けたままだと体が硫黄臭いので、帰宅する朝湯の後はさすがに上り湯をして、温泉をきれに流した。


日光湯元温泉の旅1:明智平に寄る

2014年03月19日 | 

年度末最後の温泉旅として、東京の実家から、気楽に行ける本格温泉を探した。
3月に入ってから、埼玉に2回続けて宿をとったが、”温泉”宿としては満足いくものではなかった。
今までは早春の伊豆に赴いたのだが、今年は雪景色を味わいたい気分。
連泊するなら遠方でもいいが、一泊なので関東に限定。
どうせなら今度こそ”温泉らしい温泉”がいい。
心に浮かぶのは、硫黄の香り漂う白濁した源泉かけ流し。
それなら、全国的に有名なのは秋田の乳頭温泉(鶴の湯)だが、関東なら日光湯元温泉だ。

そこは日光の奥の戦場ケ原のどん詰まり、北関東以北最高峰・日光白根山(2578m)の麓の源泉だ
(光徳や中禅寺の”温泉”も湯元から引いている)。
ここならもちろん雪もある。
そしてなにより、ここに宿をとると、日光から湯元までの東武バスのフリーパスが3000円のところ半額の1500円ですむというのが、ケチくさい私の心を一層くすぐる。

というわけで、東武鉄道の特急スぺーシアを使って日光に向う(あれ、ケチくさいはずでは…)。
座席は足下から頭までゆったりしていて、JRのグリーン車より上質。
私は快適性にはお金を出すのだ。
ただ日光までは直行しないので、下今市で降りて、ローカルな普通電車に乗り換える。
東武日光駅のツーリストセンターで泊まる宿と氏名を言って3000円分のフリーパスを1500円で買い、湯元ではなく手前の中禅寺湖行きのバスに乗る。
なぜかというと、寄り道するから。
明智平に。

中禅寺湖から先の奥日光には、幾度も訪れて、たいていの名所には足を運んだが、「明智平」は素通りしていた。
奥日光を目ざす者には、中禅寺湖の手前で寄り道する気になれない。
特に明智平は、往きのいろは坂でしか立ち寄れない(帰りは別道)ので、湯元を目ざすバスに乗ればどうしても素通りしてしまう。
フリーパスでしかもチェックアウトに時間がある今回こそ立ち寄らなければ、
今後も立ち寄らないだろうと思い、空模様と相談してあえて立ち寄ることにしたのだ。
明智平の唯一の売りは展望にあるから、霧の中では無意味なのだ。

第二いろは坂の連続カーブを終え、やや平坦な道になると、山上の平坦地・明智平に達する。
ただし、ここにはレストハウスがあるだけ。眺めもたいしたことない。
ロープウエイで展望台に行かなければ無意味。
ただしそのロープウエイはたった3分の乗車で往復710円もする。
しかもそれ以外にルート(歩道)がない(片道利用は、さらに奥へのハイキング用途だけ)。
ケチくさい私からすれば、どう考えても割高の料金設定で、客の足下を見ているとしか思えない。
つまり、客としては710円払ってでも、行きたいのだ。
せめてものサービスに、ロープウエイは乗客がいれば時刻表とは関係なく動かしてくれる。

たった3分間の乗車ゆえ、たいして離れていない展望台駅に着く。
駅舎の屋上が展望台になっており、そこに上がると、
絶景に息を飲む。

頭上の男体山から直線状に降りる裾野の奥に中禅寺湖が真正面に広がり、
その中禅寺湖からあの華厳の滝が上から下まで、中禅寺湖よりもさらに正面手前で落ちている(今にも瀑音が聞こえそう)。
それぞれ一流の山・湖・滝の揃ったこの絶景が見れるのは、日光でもこの場所しかない。
日光随一の展望スポットであることは認める。
絶景も眼福ゆえ、710円を惜しげもなく投じることにしたわけだ。
せっかくなので、すぐに帰らず、湯元行きのバスを1本遅らせてまで、写真を撮りまくり、展望を堪能した(元を取るつもり)。

再びバスに乗り、中禅寺湖畔を抜け、戦場ヶ原の雪原を縦断し、湯ノ湖を半周して最奥の湯元温泉に着く。
前回2月に着た時より積雪が多い。
今年の2月の積雪が残っているという。

湯元温泉には宿がいくつもあるが、私が泊まるのは「休暇村日光湯元」。
ここの洋室が気に入っている。
湯元はロケーション的にも宿的にも、そして温泉的にも1泊ではもったいなく、
連泊するに値する所なのだが、
ついつい雪に埋もれたフリーパス半額期間(12-3月)を選んでしまうので、
連泊すると2日目が暇で何もすることがない(スノーシューをやれば散歩代わりにはなる)。

夕食はすき焼きがついた和食で、天ぷらと飯などはバイキング形式。
地元日光の純米酒「清開」の一合瓶を開ける。
宿の和食をつまみに飮む冷酒って、なんでこんなに美味しいんだろう。

寝る前のノートパソコンでのビデオ鑑賞は、埼玉に続いての栃木の旅なので「サイタマのラッパー3」(舞台が栃木)。

さて肝心の湯に着いては、次の記事で。


剽窃のしやすさとしにくさ

2014年03月16日 | 時事

現代では、論文の剽窃・盗用なんて、まさにコピペなので”作業”としてはいとも簡単。

その一方で、剽窃・盗用のチェックもはるかにしやすくなっている。

特に、ネットに公開しておけば、第三者がそのチェックをしてくれる。

今回のように。

なので自分の論文は、活字として刊行されたら、間髪を入れずに自分のサイトからいちはやく公開している。

そうしておけば、自分と似た文章を書いた人に対して、オリジナルはこっちだと主張できるから。

作業的にコピペしやすい時代だからこそ、今ではたいていの大学で、1年の前期授業で、盗用と引用の違い(つきつめれば単なる表記法の違い)についてきちんと実技指導する。

なので、大学1年で正しい引用はマスターできるので、レポートを無断のコピペだけですますのはよほどせっぱ詰まった者に限られ、当然D評価。

もちろん、これは今の大学教育の話であって、
正直申せば、私自身の大学1年時では参考図書丸写しのレポートを出しても(たった1回だけね)Bをもらった(昔の方が甘かったのだ)。

博士論文はいうまでもなく、卒論レベルでも剽窃があれば受理されない(海外ではもっと厳しい)。

実は日本には他人の卒論を請け負う闇の者(業者)がいる。
この場合、文章がいかにも学生レベルなので、参考文献の盗用よりはチェックが難しいが、学生の論文作成過程をきちんと指導する教員なら簡単に見破れる。

見破れないとすれば、教員がまじめにチェックをしていないのだ。

博士論文レベルの剽窃を見破れないのは常識的にありえない(主査があまりに低レベル以外では)。

このような実情なので、それでも剽窃をする人は、知らなかったではなく、性癖なのだ。

そういう人は、それを繰りかえす。

残念ながら、同僚教員にもいた。

性癖でいうなら、文章書くのが好きな私のような人間は、意地でも自己表現を貫き通す。

ただし、今回のSTAP細胞騒動は、若い1人の研究者の単独研究ではないわけだから、彼女一人を問題にするのもおかしい。


奥武蔵2:都幾川へ足を伸ばす

2014年03月15日 | 温泉

快晴となった2日目、チェックアウトしてから無料のレンタサイクルを借りる。
電動アシスト付きなのがうれしい(ちなみに越生駅前の観光案内所でも梅まつりの期間限定で同様のサービスがある)。
さて、自転車を借りて私はどこを目ざすかというと、
ここから北の隣町である「ときがわ町」にある、日帰り温泉施設「四季彩館」なのだ。
そこは交通不便なところにあり、町営バスを2本乗り継がなくてはならない。町営バスとなれば、どこでも本数が少ない。
しかもその町営バスに乗れる駅は、越生からだとローカルな八高線の駅なので、電車、いやディーゼルの本数も少ない(八高線は首都圏で唯一未電化)。
なので、宿からトボトボ歩いて行く覚悟だったのだが、その宿で無料のレンタサイクルに出会ったわけだ。

なぜ、そんな不便な地のしかも普段なら素通りする日帰り温泉に行きたいのかというと、もちろんそれなりの理由があり、
ときがわ(都幾川)周辺で最近掘られた温泉(以後、都幾川温泉)は、pH10に達する日本有数の強アルカリ泉なのだ!
ところが、都幾川温泉は、山奥ではないのに交通不便で、しかも宿泊施設がない(公・民ともに財力がないんだな)。
私とて、東京から交通不便なこの地に、1浴するためだけに日帰りで往復するには二の足を踏む。
だからこそ、隣町の越生に宿をとった今回の機会を逃したくなかった。

うれしいことに無料のしかも電動アシスト付きの自転車を借りられたので、峠越えのアップダウンも苦もなく鼻歌気分で走り抜ける。
さて、四季彩館に着いて、受付で、越生の宿のロビーで見つけた東武発行のクーポン券を差し出すと200円引いてくれる。
広くないが真新しい浴室・浴槽はウッディ。
越生も含めて、このあたりは木材産業が盛んらしい。

まずは掲示されている「分析表」を読む。
源泉は15.2℃と湧き水並みの冷たさ。なので冷泉。
湧出量は9ℓ/分 とかなり・かなり少ない(浴用に適さないほど)。
pHは8.7なので、”強”がつかないアルカリ泉。
溶存物質は9520g/kgもあり、温泉成分はすこぶる濃い(1000を超えれば療養泉合格)。
主たる陽イオンはナトリウム(Na+)で95.4ミリバル%、主たる陰イオンは塩化物(Cl-)で86.9ミリバル%。
なので泉質は「ナトリウム−塩化物冷鉱泉」となる。
泉温ではなく、成分の濃度によって立派な温泉法上の「温泉」。
それどころか成分が濃く「等張性」に達している点は貴重(たいていの温泉は「低張性」)。浸透圧が高いので、成分が肌から吸収されやすい。
適応症としては、切り傷、やけど、慢性皮膚病などで皮膚によく、
pHがこれだけ高く成分が濃いと、”症状”でないので記載されないが、美肌効果が高い。

以上は、分析表にもとづく”源泉”についての評価。
実際には、湧出量が極端に少ないため、浴槽には温泉1に対して5倍加水しているという(加水量を正直に記しているのは珍しい)。そしてもちろん循環もしている。
なので実際の浴槽の湯の評価は分析表からはできない。

さて、浴槽に身を沈めてみる。
アルカリ泉特有の肌へのぬめりを期待したが、肌触りはごく普通。湯の薄さのせいもあろう。
さらに無色・無臭なので、正直言って温泉に入っているという実感には乏しい。
最後に湯口からサンプルを採取して上がり(残留塩素は水道並みなので上がり湯はしない)、脱衣場でゆっくり検査。
日帰り温泉の例に漏れず、塩素消毒はされているが、残留塩素は検出限界以下の0.0mg/ℓ(サンピアの宿は2つの湯とも3.0とやたら高かった)。
pHは検出限界の8.6に達し、Mアルカリ度は他の温泉並の180mg/ℓ。
そして電気伝導度はさすがの6458μS(28℃)。
5倍に加水(希釈)してなおこの値は立派。
サンピアの宿の”温泉”はpHこそ対等だったが、電気伝導度はここの1/14.5。
あちらはどのくらい加水しているのだろう。

湯から出て、館内で一休みしてもさすがに湯冷めしない。
交通が便利になるか宿泊施設でも作ってくれると、私ならありがたく利用するのだが。


奥武蔵の旅2:越生

2014年03月14日 | 

ここんとこ”埼玉”づいている私は、3月4日の「奥武蔵1」からたった10日をおいて、再び埼玉西部=奥武蔵に泊り旅と相成った。
今回の行き先は「越生」。
なんとこれで「おごせ」と読む(「こせお」と読むなら分らん気がしないが)。
ここ越生は、関東平野と関東山地の境目を南北に走る八高線沿線にあり、南の飯能と北の小川町の間にある。
高校時代多摩にいた者としては、八高線沿線というだけで旅情がかき立てられる。
越生は八高線だけでなく、東武東上線の坂戸から支線が伸びた終点でもあり、東京都市部からもたいして時間がかからない。

越生といえば梅林が有名で(関東三梅林の一つとか。あとは水戸と青梅か?)、今が梅のシーズンで、確かに「梅まつり」の最中。
ただ梅を観るためなら、日帰り圏のここにわざわざ宿をとる必要はない。

ここ越生の里は、戦国前期※の関東随一の知将にして、江戸城を築いて今の大東京の礎を作ったあの太田道灌の関係地(父道真の隠居地)でもあり、
都民としていや”道灌山幼稚園”卒園生としても、道潅の史跡を訪ねたいのだが、
この地での関連史跡は散在しているので、日帰りではいっぺんに回るのはたいへんなのだ。
さらに、越生からちょいと離れた地になんとしても行きたい所があり(これについては明日の記事で)、
そして越生に一人客でも気軽に泊まれる温泉宿(ニューサンピア埼玉おごせ)があるとなると、にわかに一泊したくなるわけだ。

※一般には北条早雲の小田原入城を戦国時代の始まりとするが、関東での下克上の戦乱はとっくの前に始まっている。日本の戦国時代も、古代中国の春秋時代と戦国時代のように2段階にした方がいいのでは。

ここんとこしつこいほどの埼玉ラッシュなので、東武線の車中で読む本は、前回の飯能で買った『あなたが知らない埼玉県の歴史』(山本博文)。
夜、宿で観るDVDは「サイタマのラッパー1」にした(このシリーズの2,3は埼玉が舞台でない)。

越生駅から、「黒山」行きの路線バスに乗り、終点手前の「上大満」(かみおおま)で降りて、山奥に向う谷沿いの車道を進む。
谷を遡る道沿いには集落が散在しており、先月の大雪がいまだ道路の脇に厚く溜まっており、大雪直後は孤立したに違いない。
さらに民家の駐車場の屋根と柱がこわれて車道にはみ出したままだったり、関東としては信じられない雪害だったことがわかる。
そういえばわが家の雨どいも雪害で壊れて、雨が降ると玄関がシャワー状態になっている。
やがて忽然と立派な山門が現れる(写真)。
龍隠寺だ。
ここは道潅と父道真が再建した曹洞宗の名刹で、この父子の墓(五輪塔)がある(ただし、道潅の墓は殺害の地である神奈川伊勢原の方が有名)。
それらを見て、北へ向うハイキングコース(狭い舗装道路)を進み、バスで通過した越生梅林の里に向う。

梅林に達する手前に越生山建康寺という無住?の寺がある(写真)。
ここは、道真の隠居地”自得軒”の地といわれ、その跡地にあるこの寺は主君に謀殺された道潅の菩提を弔うために道真が建てたという。
寺の背後には城の一部のような石垣がせり上がっており、そこには聖徳太子を祀る堂がある。
寺の前の越辺(おっぺ)川にかかる小橋は「道潅橋」といい、付近に道潅の馬場があったという。

梅林の端をかすめて宿に達し、やっとチェックイン(上の写真のように、越生の里は中央部の「越生梅林」でなくても、あちこちに梅の木があり、越生全体が梅の里となっている)。
部屋は10畳和室にカーペットの椅子間が加わるので広め。
ただ着いて初めて知ったのだが、大浴場は温泉ではなく、温泉は別の離れの浴室でしかも終わりが早く、朝はない。
ちょっとがっかり。
ならば入れるうちにと、さっそく温泉の方に行く。
脱衣所に「分析表」と称するものはあるが、内容は「アルカリ単純泉」とあるだけで、他の情報なし。
温泉成分の絶対量が基準以下を意味する”単純泉”でも、成分の内訳はたいてい載っているもんだが、
それすら載っていないということは、アルカリ性だけが特徴ということか。
実際、水質検査をしてみると、pHは8.0を超えて私の検査紙の検出範囲外。だが残留塩素が3.0mg/ℓと高い(浴槽でこれほど高いのは初めて。水着で入るクア施設より高い)。
電気伝導度は444μS(33℃)と温泉にしてはやけに低く、今まで”温泉”と称する湯を測った中では最低。
単純泉でないそれなりの濃さのある温泉なら、普通は1000を超える。
水道水でさえ、値が高いところは200を超えるので、どちらかというと水道水に近いか。
残留塩素がずいぶん濃いので上る時にはきちんと上がり湯をする。
かように温泉としてのありがたみは乏しい。

夕飯前に温泉でない方の大浴場に行ったら、こっちは泊まり客で混雑していた。
しかも、湯舟に浸かって「気持ちいい」と声をあげている。
もしや泊まり客はこちらを温泉と勘違いしているのか(実際に水質検査したら、”さら湯”だった)。
まぁ、あっちの”温泉”に入ったところでたいした違いはないので、私も入浴時間の長いこちらを利用しよう。

この宿、もとは公共の宿なので、基本的に不親切感が漂うが、
夕方以降の2時間もロビーでピアノ生演奏(金~日限定)があったり、
無料のレンタサイクル(1台)があるなど、意外なサービスもある。
客室内がWiFiの圏外だったので、フロントで無線LANは使えないか尋ねたら、
ロビーのみフリースポットが使えるという。
夕食を終えて、部屋に戻ると布団が敷いてあった。

ここには記さないが客室内の細かい配慮に不満はあるものの、
サービスの充実に努力していることは認めよう。


再現性って大事なのに

2014年03月13日 | 時事

佐村河内事件にはまったく興味ないが、小保方騒動(結果待ち)は、私も踊らされた一人だし、だいいち”研究”に携わる者として、座視できない。

結果待ちの状態だから、最終判定は控えるが、
気になる事実として、STAP細胞が追試で再現できない点、

いや、もっと正確に言うと、
STAP細胞が追試で再現できないのが問題視されている点がある。

そんなこと、科学として当然の話だということは、私も重々承知。

ただ、自分の属している心理学で、あまり追試による再現性が話題にならないのが、実は前から気になっていた
(丁度、社会心理学学会の春のセミナーで”再現性”がテーマになっている)。

私も「心理学概論」や「社会心理学」という授業で、過去の有名な研究結果を紹介するのだが、それらがきちんと再現されたという情報まではもっていない。

たとえば、瞳孔反応を使ったヘスの有名な実験で、女性は赤子の写真を見ると瞳孔が拡大し、男性は女性のヌード写真を見せると瞳孔が拡大するというのがあり、心理学概論で使っている教科書にもその結果が載っているのだが、

瞳孔反応の実験をしていた同僚によると、視野に明度差が発生すると瞳孔は簡単に収縮拡大するので、被験者の視野の制限のための実験環境の調整がとても大変なのだそうだ。
だいいち呈示する写真の中身よりも画像の明度差によっても、瞳孔反応が変化する。
で、ヘスはそのへんをどう制御しているのか元論文で確認しようとしたら、実験条件の制御については、ほとんど言及がなく、ヘスの実験そのものが再現できないといっていた
(興味ある対象を見ると瞳孔が”一瞬だけ”拡大するという現象は、現代の精密な測定で確認されている)。

それから、社会心理学でのアッシュの同調行動の実験も有名で、どの大学でも必ず紹介しているだろうが、
あの実験を、アメリカの研究者が日本で追試したら(集団主義の日本人ならアメリカ人以上に同調すると予想)、まったく再現できなかった。
実験をしたアメリカの研究者は、その解釈に苦慮して、当時の日本は学生運動が盛んな時代だったので、同調をよしとしない風潮だったのだろうと、仮説していた日本人の根深い集団主義をあっさり放棄した。
この結果は、心理学とりわけ社会心理学の実験は、社会や世代が異なれば再現性が得られないという証明になっている。
ならばエポックメイキングな実験を紹介しても、それが法則的であるとは言えないことになる。

読者の皆さんも、1つの実験結果を”法則”であるかにように絶対視する言説に出会ったら、むしろその言説の方を怪しいと疑った方がよい(心理学だけでなく、電磁波やさまざまな薬効についても)。

私は、学生の卒論(むしろ3年あたりの実験実習)は、先行研究の追試でもいいのではないかと思っている。
追試のない研究結果を鵜呑みにする心理学の風潮(修論あたりがひどい)をなんとかしたいから。


集団移転という最善策が最難関

2014年03月11日 | 東日本大震災関連

3年目の3.11。
今回は大学で会議の日に重なったので、2年連続行った東京の九段の慰霊会場に今年は行けない。
なので、名古屋の地から、あえて冷徹な第三者的視点で記す。

福島原発の周辺自治体の復興という以前に住民帰還の問題がそろそろ大詰めになっている。

ただ、若い人を中心に、帰還を諦めている人が増えている。

本当なら、皆で一緒に他の土地へ集団移転するのがいいのかもしれない。

ただ、現代市民社会で”集団移転”という政策は、元の居住地が物理的に居住不可能でない限り、難しい。

江戸時代なら、壊滅的被災地は「死地」とされて、お上の命令で住民は集落単位で集団移住したのだが。

現代では、幾度も津波被害に見舞われた三陸地方でさえ、沿岸から高台に移転させるのに手間取っている。

ましてや福島原発の周辺地域では、まずは自治体そのものが住民の帰還を切望している。

故郷に戻りたいという気持ちがあることは、同じ人間として重々分っているが、
原発周辺の自治体については、自治体レベルの集団移転こそ、すなわち、故郷そのものの移転こそ最善策(というよりそれしかない)であると、ホントはわかっているはず(代替地をどこにするかという難問はその次の問題)。

そもそも除染の着手が遅すぎたわけだが、除染した残土を域外に拡散するのでなく、むしろ集中させて管理すべきであることも、自分の故郷の問題としてでなければ、皆わかっているはず。

復興がなかなか進まないのは、個人、自治体、国の間でのそれぞれの利害、優先順位が異なっている点もある(総予算が足りないわけではないが、配分が問題)。

むしろ、このままではなし崩し的に”故郷”が消えていってしまう。だって故郷(双葉町、大熊町、浪江町の一部)は実際には「死地」だから。

故郷が死地でしかないなら、絶望しかない。希望は、死地以外の所にしかない。

集団移転が無理なら、しばらく故郷はバーチャル化して心の中に閉まって、

実際の故郷の地には、セシウム137の半減期を頼りに数十年以上かけて年配者から戻ってくるようにするしかない。
今年来年のうちにメドなんてありえない。それも本当はわかっているはず。

一方、津波の常襲地帯である三陸の岸辺は、漁業基地としての利用以外は、定住はすべきでない(気仙沼に行ったら、縄文時代の住居跡は高台にあった)。

高台の宅地化という大規模工事が必要。


プレッシャーからの解放期間

2014年03月10日 | 生活

毎年のイベントで最大のプレッシャーの1つ「確定申告」を終えた。

もっとも、最近は国税庁のサイトで入力すれば、きちんと計算してくれるので、楽だし安心で、昔ほどのプレッシャーではなくなっている。

ただしe-Taxは使わないので、作成した申告書のファイルを印刷して、収入の明細書を貼付け、医療費の明細書の束を封筒にまとめて、歩いていける区役所に提出する。

区役所は受取るだけで、提出用の袋に入れて提出用の箱に入れだけで終わる。

最大のプレッシャーにしてはあっけない。

ついでに近所の郵便局で、東日本大震災の義援金を送金した。

もちろん3.11を忘れないため。

今日の用事はこれで終わり。昼前に終わった。

この解放感に浸るため、大学にはいかず(行くと事務作業)、家で好き勝手な本を読む
(寒くて雪が舞うほどだったし)。

一年のうち、数日でもプレッシャー(ストレッサー)が無い期間を確保するのも大事だ。

さらに、積極的な楽しみを味わうことも。

なので夜は好物のペンネとワインで祝杯

 


名古屋で放射線を測りまくる

2014年03月09日 | 計測

わが名古屋に放射線計測のプロがいて、その方が私の放射線計測のブログ記事を見たのが縁で、私の2台の計器を校正してくれることになり、
その作業として、マラソンで賑わう名古屋栄・久屋大通付近を計測しまくった。

校正というのは、本来測定したいγ線から宇宙放射線分を差し引いた部分を確定するために、計器の宇宙放射線に対する感度を探るというもの。

なので、宇宙放射線が少ない(周囲のγ線成分が相対的に高い)地下鉄の深度の異なるあちこちのホームで計り(各場所で2台とも5回計測)、さらに地上でもγ線が高いとあらかじめ分っている場所などで測った。
校正のための計算結果は後日教えてもらう約束。

プロが持っているのは、宇宙放射線をシャットアウトできる、地上のバックグラウンドを測る業務用(写真両端の2台)。

私のような素人でも手に入るものは、原発事故用の民生用(写真中央右アメリカ製と左ロシア製)。

今日一番勉強になったのは、測定場所の幾何学的影響で、平面でなく、2面、3面になっているとその分、入射量が増えて数値が高くなること。
要するに同じ地質でも平地より、山麓、さらに谷底のほうが値が高くなる。
もちろん大きな地形だけでなく、計測場所のミクロな幾何学的構造も同様に作用する。
その効果を自分の計器で目の当たりにした。

プロの指導を受けられたのは貴重な体験。

これで一歩、自称”計測マン”のレベルが上がる。