今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

福島第一原発を観光地に!?

2013年04月30日 | 東日本大震災関連
荻上チキのポッドキャスト番組「Session-22」の4月29日の放送は
「原発事故から27年。チェルノブイリの現在」というテーマで、
ジャーナリストの津田大介氏を迎えて、チェルノブイリ原発が観光ツアーの対象になっている話だった。
日本では子供たちの甲状腺ガンの悲劇ばかりが伝わっているのだが、
現地ではいたってクールに原発とつきあっているのだという。

当然話は、廃炉まで何十年もかかる福島第一原発もそれは可能かということになる。
この福島第一原発観光地化計画のアイデア元は哲学者の東浩紀氏らしいのだが、
原発事故といつまでも向き合う、廃炉作業を見守り応援するための真摯な目的である。
哲学者だけに、観光=見世物+金儲け=不謹慎、という通俗的反応から自由なわけだ
(通俗思考を論拠にしてしまう心理学者には無理)。
ただし、それが実現するには、国民の冷静な「放射能リテラシー」が必要になる。

私自身、福一には冷静な態度を保っていたつもりだが、観光地化までは思い至らなかった。
チェルノブイリをかかえたウクライナの人びとのように、
冷静に「放射能リテラシー」を高める施策として、なるほどそれも有りかと思った。

原発事故を経験した日本は、当然リテラシーを高める機会を得ているのだが、
「放射能怖い!」という脊髄反射的反応が、意図的にかまだ続いている。

実は、広島・長崎の原爆被害の実態調査も、放射能リテラシーを高める貴重なデータなのだが、
”原爆の悲劇”を訴える以外の視点はタブーとされているためか、国民に知られていない。

その一方で、各地でラドン・ラジウムの放射能泉が愛好されているのだから、
その現実からリテラシーを高めるのもいいかと思う。
私自身、”恐ろしい放射能”が入っている温泉をなぜ喜んで入るの?、体に害はないの?
という素朴な疑問が、ガイガーカウンターを買って計りまくるきっかけだった。

伊豆ガ岳

2013年04月29日 | 山歩き

GWとくれば、
昔の私であれば、ピッケルとアイゼンを装備して八ヶ岳(最高峰赤岳:2899m)あたりに単独行で入って、
残雪期に入りたての雪山を堪能したものだが、
一旦山をリタイアし、今年から再開した身にとっては、初心に帰って0からのスタートをしている。
すなわち3月は高尾山(599m)、4月は岩殿山(634m)と、入門級の山からじわじわ標高を上げている。

まだ4月だが、GWの好天を逃すまいと、今日は、奥武蔵の伊豆ガ岳(851m)に挑戦。
「挑戦」とはいささか大げさだが、あまり足を踏み入れていない奥武蔵の中で登っていない山の1つ。
それに歩程は今までと違って13km強と多め(といっても日帰り登山の標準レベル)。

西武池袋線は中央線や京王線に比べると登山姿は少ないが、
丁度秩父市の芝桜が見頃なので、特急は満席。
私は急がないので準急でのんびり行く。
観光客が向う秩父の手前の正丸駅で降り(下車したハイカーは数人)、
林道を歩いて、”かめ岩”ルートで山頂を目指す。

山頂直下はかなり立派な岩壁で(上写真)、もちろん鎖がかかっているが、小学生ではびびりそう
(一時期通行禁止になっていたらしい)。
本来は年季が入っている私なので、鎖は極力使わず、フリークライムで登る。

この山は奥武蔵では人気なわりに、人出は岩殿山より全然少なく、鎖場での渋滞はない。
超人気の高尾山とは違って、山頂の好きな場所に陣取って昼食をとれる。
残念ながら、樹木が伸びて周囲の展望は開けないが、盟主・武甲山が武川岳の横に頭だけ見せていた。

下りは、天目指(あまめざす)峠(柳田国男の『一つ目小僧-その他』で言及されていたと記憶)を越えて山上の寺・子(ね)の権現(天龍寺)を経由して、吾野(あがの)駅にでる長丁場。

単独行なので、しゃべる相手もいないし、聴くべき自然の音もないので、
ポケットに入れたiPadminiでポッドキャスト番組『タイムマシン部G』を聞き通す。
愛聴していた前の番組『タイムマシン部2』が終わった後、
この番組として再開したのを先頃知ったので、
聴き逃していた10編分ほど聴き通す。

でも全部聞き通す前に駅に降り立った。
吾野駅の裏に「吾野湧水」というわき水があるので水筒に入れ
帰宅翌日に酸化還元電位を測定した結果は240mV(東京宅の水道水は600mV)。

標高800mの山を13km歩いても、関節症の右膝は無事なようだ。
次は標高1000m越えだ!


iPadmini生活

2013年04月28日 | パソコン・メディア

iPad2とiPodtouch4を併用していた私がiPadminiを買ったら、
ほとんどminiだけで済ませる生活になった。
すなわち、外出中のポッドキャスト聴き、電子書籍閲覧、そして授業でのkeynoteプレゼン、
会議中のメモなどすべてiPadより軽く・touchより大画面のminiで済ませるようになった。

とりわけ、繁華街への買物や行楽の外出時には、歩行中のポッドキャストと乗り物内の読書用として
touchと本の2つが必携だったが、
本を電子書籍化(自炊)することで、文庫・新書よりかさばるハードカバーの単行本を幾冊も読めるようにして
touchよりバッテリが長持ちするminiに一本化できた。

iPadはその大きさと重さゆえ、鞄なしの外出には向かないが、
miniなら腰にシザーバッグつければ携帯できる。
保護と節電に必要な蓋付きのカバーは、かさばらず・軽い必要があるため、
革の分厚い高級品は却って不向き。
秋葉にあった999円の安物で充分
(半面用のmini用のカバーなら100円ショップで買える)。

実際アップル社の売上げが減ったのは、高精細なiPad4より、利益率が低いminiが売れているため。
かつては鞄に必携だったiPadは、今では寝床でのビデオ観賞用(iTunes経由)に、
それ以上に必携だったtouchは車での音声再生機用にと特化している。


浜名湖でのお篭り

2013年04月22日 | お仕事
浜名湖の宿での”お篭り”は、室内に篭ったままではない。

朝食後は、宿の側の貝殻だらけの湖畔に、リラックスチェアを置いて、
視界180°の湖面を正面に読書にいそしむ(上写真、下部の2つの影は自分の足)。
もちろんiPadminiで。

いつもなら読書には、騒音をカットするためにヘッドホンで音楽を聴くのだが、
湖畔の潮騒は静かで心地よいので、ヘッドホンは不要。
もちろん人工の騒音は、時たま湖面を疾走するモーターボート以外にはまったくない。
この状況が心地よいのだ。

今の季節は、風がまだ冷たいが、日差しを浴びることで、体の温度は上がる。
丁度湖面に向かって伸びた松があって、その下に椅子を置けば、風と日差しを調整できる。

正午に読書を中断し、湖畔沿いの道路を歩いて、1.5km先のコンビニに夜食の買物に行く
(朝夕バイキングなので昼食はとらない)。
これが軽い運動と気分転換を兼ねる。

午後2時まで再び湖畔の読書を続け、
以後は、部屋に戻る。
3時に大浴場で入浴し、
夕食までは室内で読書。

夕食後、読みたい部分は読み終わった。
今回のお篭りは無事成功。

お篭りの第一形式

2013年04月21日 | お仕事
浜名湖の準定宿に2泊している。
この宿はお篭り用。
お篭りといっても2パターンある。

1つは、集中読書のため。
今回がそれ。
ハイデガーの『形而上学の根本諸問題』(邦訳)を読むため。
この本、600ページを越え、しかもハードカバー。
大ぶりのA5版で厚さ5cmはゆうに有り、重さもキロ単位。
以上の物理的要因ゆえ、持ち歩いて読める本ではない。

でも、いやだからこそ、浜名湖に持っていって読みたい。
なぜなら、哲学書って日常生活の中では集中して読めないから。
集中して読まないと理解できないのに。

そこで昨日、8000円するこの本のハードカバーを、両手で力を込めてひきちぎった。
乱心したのではなく、自炊(自前での電子書籍化)するため。
ハードカバーをはずしたら、裁断機で綴じをバラにし、
Scansnapで一気に検索機能つきのPDFにして、
クラウド経由でiPadminiにインストール。
これで情報量は同じながら厚さ0cm、重さほぼ0gになった。
こうなれば往きの電車内から片手で読むことができる
(iPadだとそれ自体が大きくて重いのでありがたみが薄れる)。

私は、精読する本は線を引きながら読むので
(後でその部分をパソコンで打ち、読書録として残すため)、
線引きが可能なneu.Annotateという閲覧ソフトで読む
(他のソフトは縦書きには対応していない)。

そもそも、なぜ心理学の私がこの本を読むかというと。
感情研究の存在論的アプローチとして、
人間(現存在)の「根本気分」について学びたいから。

この本の主題は「退屈」という根本気分だ。
退屈についての哲学的論考だったら、
國分功一郎氏の『暇と退屈の倫理学』が、まさにハイデガーのこの書を批判的に解説しており、
そっちを読んだほうが手っ取り早い(推薦します)。

私は根本気分一般への存在論的アプローチのサンプルとして読みたい。
講義録であるため、説明が冗長なくらい丁寧なので(ページ数が多い理由)、
難解な例の著作とくらべるとはるかに理解しやすい
(ただ訳語が従来の親しんだ語でないのが頭にひっかかる)。
退屈についての本だが思ったより退屈しない
(少なくとも、書名からくるイメージよりは)。

彼は退屈の種類として、第一~第三形式を挙げている
(退屈のこの分類がまず面白い)。

そのひそみに倣うなら、私のお篭りにも第一、第二形式があるのだ。
今回のような集中読書(第一形式)と、原稿執筆(第二形式)だ。

2日間、気分転換に大浴場に入って、カニ食べ放題の夕食をとり、
それ以外はひたすら退屈についての読書にうち込む
わざわざ持参した頭から足先まで覆うリラックスチェアの上で。
第一形式固有の試練である、
退屈ならぬ眠気と戦いながら。

GJ!iPadmini 

2013年04月16日 | お仕事
iPadminiを購入して数日の感想。
ティム・クックがジョブズを越えた唯一の決断と評価できる。
miniこそ標準となるべき大きさであり、iPadは大きすぎた。

miniの欠点は、画面がRetinaでないことだが、実用的には問題はない。
利点は、iPadの豊富な機能をそのまま全部使えること。
他メーカーのタブレットは電子書籍だけとか機能が制限されている。
安けりゃいいってもんじゃない。

服のポケットには入らないが、セカンドバッグレベルには入るので、
携帯したくなる。
すると今まで携帯用(音楽・Podcast)にしていたiPodtouchを持たなくなる。

そう、miniを1台買うと、iPadとiPodtouchの両方を使わなくなる
(私は携帯電話はガラケー派)。
なぜ携帯にtouchよりminiを選ぶかというと、
バッテリの持ちが断然違うから。
そしてminiなら読書ができるから。

miniが一番いいのは、まさに電子書籍としての使いやすさ。
touchでは画面が小さすぎ、iPadでは本体が重すぎる。

iPadだと、外出時に持つのは書籍の方を選ぶが、miniなら本よりこっちを選ぶ。

となると、”自炊”のペースが早まる。
新書や文庫サイズの携帯用の本も、自炊してminiで読む気になる。
iPadだとこうはいかなかった。

iPadはノートパソコンの代りにはある程度なりうるが
(映画鑑賞や楽器用途)、
携帯用の電子書籍リーダーとしては不合格だった。

それを実現したクックの判断は間違っていない。

ただし!
純正品の変換ケアダプタ・ケーブル類のバカ高さにはあきれる。
私は、秋葉で1本500円で仕入れた(OS更新による不対応の可能性有り)。

存在感のある俳優

2013年04月15日 | 時事
昨年逝った原田芳雄、
荒々しい存在感が好きだった。
その彼の最後の出演作品『大鹿村騒動記』に
老いた三國連太郎が出ていてびっくりした。
その老いっぷりに。

三國連太郎もまた存在感が強い俳優で、
彼の気のはいった威嚇は誰よりも凄みがあった。

私の世代では、『飢餓海峡』は馴染薄いが、
『八甲田山』や『マルサの女2』での演技が印象に残る
(残念ながら『釣りバカ日誌』は観てない)。

名優がいなくなるのは寂しいが、
彼の作品はこれからもずっと観る事ができる。
何より、佐藤浩市がいるし。

岩殿山

2013年04月14日 | 山歩き

そろそろ山歩きを再開する。
まずは帰京時の日曜あたりに、日帰りで近場の山に行くようにしたい。

以前から狙っていた丹沢(神奈川県)の仏果山が第一候補になるが、
ネットで見たら、もうヤマビルが蠢いているとのこと。
即却下。

次候補は、大月(山梨県)にある岩殿山(634m)。
小さいが、名の通りの見事な岩山で、中央線で大月を通るたびに、登ってみたい気持ちになっていた。
それに駅から歩いて登れるのがいい。

私にとって山に行く一番の”抑制”要因は、早起きをしなければならないこと。
明日の早起きを考えただけで億劫になる。
だが実際には、予定より1時間も早くすっきりと目が覚めてしまった。
これができるなら日帰り登山も苦でなくなる。
早起きが自然にできるようになったのは、歳のせいだな。
うれしくもあり、かなしくもあり。

行き先は駅の裏山ということもあり、装備も軽く家を出る。
最近は紙の地図はもたず、正確な地形図が入っているハンディナビを利用。
車中の読書と歩行時のポッドキャスト視聴用に、買ったばかりのiPadminiを持参。
今までのiPodtouchよりかさばるが、バッテリのもちが全然違う。
朝食と昼食は行きがけのコンビニで仕入れる。

大月駅に降り立って、観光案内所に行くと、
大月市内の登山地図と登り口までの案内図をくれた。
こういう地元サービスはありがたい。

岩殿山への登りに入ると、ほどなく真白き富士が見えてくる。
大月だから富士が大きい。

巨大な一枚岩の岩壁を迂回して、スカイツリーと同じ高さの山頂に着く。
ここは武田の家臣・小山田氏の城跡。
そう岩山の頂上に城があったのだ。
絶壁に囲まれた岩山だが、山頂は平らで、しかもわき水が絶えない。
文字通りの天然の要害。
ここなら天守閣もいらない。
といっても多勢に無勢で結局織田軍に落とされたが。

あっけなかった岩殿山だけでは物足りないので、
尾根続きの”稚児落し”に向う。
途中には岩を直登する鎖場が二箇所ある。
そこで大渋滞。
手近な山だけに、初心者が多いようだ。
皆、鎖場に腰が引けている。
確かに、ここの鎖場は傾斜が急だけに初心者には恐怖をさそうかも。

”稚児落し”という落城悲話のある絶壁の上を歩くのも(上写真)、
観光地のような転落防止の柵などないので、
一歩間違えば即死というナマの恐ろしい自然と接するいい機会だろう。

絶壁の上に腰を下ろし、高度感で足がジンジンする中、昼食をとった。
富士はすでに靄の中だが、近場の山や眼下の大月市街を眺めながら。

600m級では、歩きでに乏しいので、次回はもう少し高い山にしよう。


淡路地震

2013年04月13日 | 防災・安全
早朝に淡路で震度6。
まさに1.17阪神淡路を思い出す。

東京にいたのでまったく気づかなかった。
虚を突かれたという感じ。
活断層は虚を突くからやっかいだ。
それに南海トラフを刺激しそうなのもイヤだ。
近畿はプレートから離れてはいるが、活断層の密集地帯でもある。

それにしても震度6で死者なしというのは、さすが日本。
3.11の時、宮城県栗原市では震度7でも死者なしだった。

いずれも耐震化の、そしてその根拠である建築基準法の「新耐震基準」のおかげだ。

逆に新耐震基準を満たしていない古い建物は、外国並に強震に弱いから、
急いで耐震補強をすべき。

失せ物週間

2013年04月12日 | 失敗・災難
今週は、大切な2つの物が私から去っていった。

一つは、Nikonのデジカメ。
初回の授業なので、受講する学生の集合写真を撮るために
愛用のカメラを持って行った。
帰りに持ち帰ったが、
帰宅したら持っていなかった。
心当たりの場所を探したり、立ち寄った店に問い合わせたが
見つからない。

そして、今日、車で出勤しようとして、
自分のキーケースに車の鍵がなくなっているのに気づいた。
もちろんあせった。
幸い、予備があるから、出勤には支障はなかったが、
こちらも心当たりの所を探したが見つからない。

鍵はスペアを作ればいいが、
3万円以上したカメラは痛い。
もっとも、より性能のいいLUMIXを買ってあるので、
今後の撮影には支障がないが(実は、Nikonの方は使わなくなっていた)。

ついでに、iPadのカバーも紛失中。
これ、ぜったい室内にあるはずなのに見つからない。
まぁ、iPadminiを買ったからいいけど。

と、かように、手痛い目にあい続けている。
新年度早々、木の芽時、なんか自分がへんだ。

週末のビジネスホテルに泊まる

2013年04月08日 | 
今週からいよいよ新年度の授業開始。
本来なら、一番新鮮な気分で張り切らねばならない時期だが、
教員にとっては、実際には、一番鬱っぽくなる時期
(その理由は「延命地蔵経」に書いてある)。

なので鬱気を吹き飛ばし鋭気を養おうと、
直前の日曜に三河安城のビジネスホテルに泊まった
(幸い、月曜は仕事がないため)。
別に三河安城に所用があるわけではない。
たとえあったにしても、名古屋宅から出勤できる近場。
泊まった理由はあくまで鋭気を養うため。

ならば、なぜ近場のビジネスホテルなのか。
最近のビジネスホテルの傾向として、
大浴場と朝食が備えられてきている。
そしてシングルルームのベッドも広めのセミダブル。
私が今回初めて泊まったABホテルは、それに加えて
なんと簡単な夕食も供される。
それでいて、料金はビジネスホテルの標準レベル。

ビジネスホテルの常として、週末は客が少ないので、
予約が取りやすい。
それだけでなく、週末に限って割引があったりする。
すなわち、週末は込んで割高になる観光地の宿とは真逆の傾向。

というわけで、標準よりさらに安い料金(2食付きで4400円!)で、静かに過ごせた。
客が少ないので、実質的には中浴場の広さの大浴場を一人で使え、
食堂も混まなかった。

確かに近場の街中(新幹線の脇)だから、転地効果はない。
その代わり、旅疲れはしないし、
地元に近い素通りするだけの地に、あえて一晩泊まることで
ちょっとしたエトランゼの気分になれる。
何より、財布が痛まないのがいい。

大学生の遠足

2013年04月06日 | お仕事
今日、台風並の低気圧が接近する中、予定通り、
大学新入生の遠足を引率した(ゼミ単位)。

そう、今どきの大学は「遠足」まである。
ちゃんと”しおり”も作る。
行き先は例年通り、「明治村」
地元の小学校と同じ。
やはり、お菓子は300円まで。

午後から雨になると予想され、実際そうなったので、
遠足は昼過ぎで終わり。

早く終わってくれたので、疲れがないのがうれしい。
遠足って、引率教員はひたすら疲れるから。

帰りがけ、強風にも堪えられるという「senz°smart line」という折畳み傘をさしていたら、
一陣の風で、いとも簡単に骨が壊れてしまった。
この傘、構造的に真後ろから巻き上がる風に弱いようだ。

体験上、強風対応を謳う傘で実際に強風に堪えられる傘は、
少なくとも折畳み傘には存在しない。
とにかく「骨」がやられる。
ゆめゆめ信用するなかれ。

ま、風力発電のプロペラも強風で折れたくらいだから、
風の力って予想以上なんだろうな。

注:本文の中のどうでもいい部分には、一部事実でない記述も含まれています。

鉄道博物館

2013年04月03日 | 東京周辺

世間様には申し訳ないが、私は”明日”からが新年度の仕事初め。
なので今日は雨天ということもあり、埼玉の「鉄道博物館」に行った。

男の子なら誰でもがなる幼少時の一過性の”電車好き”期を除けば、
私は鉄オタではない。
ただ単にカメラの腕を磨きたいだけなのだが、美術館だと撮影禁止。
その点、この手の博物館なら撮影自由。
そういう理由。

JR大宮駅からおもちゃのような埼玉高速鉄道に乗って
(鉄道博物館へのアプローチとしては最適)、1駅目。

鉄オタでもない私も楽しめるのが、ジオラマ。
昔の万世橋にあった「交通博物館」でこれを見るのが楽しみだった。

さて、新しい博物館でのジオラマ。
期待して、10分間のジオラマを見たが、
がっかり感が強い。
交通博物館と何が異なるかというと、
一度に走る車両が少なすぎ。
交通博物館では、特急や新幹線から、馴染の通勤電車まで次から次へと
走りだし、最後は目もくらむような豪華な風景。
しかもそれそれスピードが異なる。
これに興奮した。

それに対し、ここは、名のある特急・新幹線の数種類しか走らせない。
しょぼい。

それ以外だと、実物車両の展示や運転シミュレーションが売りなようだが、
鉄道旅行は好きでも、鉄道車両そのものには興味がないと気づいた私には、
車両の写真をバシバシ撮る気にもなれず、
屋上のパノラマデッキでも、目の前を疾走する新幹線ではなく、雨上がりの秩父の山にファインダを向けていた。

最後に、一応ミュージアムショップに足を運んだ。
鉄道オタク御用達のグッズばかりで、自分には用がないと思ったが、
昔懐かしい湘南型電車のNゲージを買った(やや大人買い)。
この車両が走るのをジオラマで見たかった。


演劇心理学の可能性

2013年04月01日 | お仕事

映画『ぼっちゃん』のパンフを読んで一番印象に残ったのは、俳優たちの演技に対する思いだった。
セリフが与えられている役の心をどう解釈し、共感し、表現するか。
その苦闘が表現されている。
そしてその苦闘の結果、自分でない、台本に書かれただけの”他者”を、生きた人格として深く理解し共感するようになる。
そうやって人の心を理解する過程は、立派な心理学の実践だ。

そもそも社会心理学で非言語コミュニケーションなどをやっていると、
身ぶりや表情などの細かな分析は、演技法そのものに結びつく。
まずは、心理学は演技に役に立つだろう。
そこで「演劇心理学」なるものが可能となる。
ここは心理学の成果を演技に応用するという表現論(演技論)段階。

だが、上で述べたように、表現技法より深層の、
むしろ役を演じることが人の心を奥底から理解するという経験の意味が
心理学にとって参考になる。
すなわち、演技が心理学に貢献する。

さらに、プライベートの素(す)の人格(本名)と、俳優という職業的人格(芸名)と、
毎回異なる役としての人格(役名)の3重の人格を生きることによる、自己の主我(I)と客我(me)の多重性。
すなわち俳優だけが固有に体験できる職業的多重人格性。

演技は、演ずる対象と距離がありすぎてはうまくいかないが、
対象との距離が0になって(憑依)してしまうと今度は演技が飛んでしまう。
演技はあくまで観客へのコミュニケーションだから、
対象に成り切ってしまってはコミュニケーション(表現)であることを忘れる。
自然に見える事は自然に見せる事であって、必ずしも自然に振る舞う事ではない。
”自然に振る舞う演技”というパラドックス。
演技は自らを不可視にすることで成功する。
このパラドックスを遂行するのが演劇の真髄だろう。

演劇をすること自体の心理学的意味をも問題にしたい。
かように、演劇心理学自体、3重構造をもつ。

といっても私自身は、演劇との接点がないので(両親は演劇出身だが)、
演劇好きな学生の卒論を担当する機会を待つ事にする。