今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

風邪ひいてた

2024年02月24日 | 健康

実はここ数日、風邪をひいていてずっと調子悪かった。

ただし発熱はなかったので、インフルエンザでも新型コロナでもないと思う。
ひいたきっかけが、あの暑い20日(火曜)の夜明け前の晩、あまりに暑くて布団をはいで寝てしまって、それで朝起きたら風邪をひいていたという、私によくあるパターン(従来の風邪=旧型コロナ)。
つまりここ数日の寒気に襲われる前日に風邪をひき、寒気の最中はほぼ自宅で安静にしていた。

21日は元々自宅で予定していた確定申告を済ませたが、22日になって症状が重くなった。

熱はないものの、体の節々が痛く、しかも免疫力が下がったせいだろう、自分の体に潜在しているヘルペスウイルスが活動しだして、夜中に、腹部に刺すような痛みが直線状に走り(帯状疱疹!)、そのたびにうめき声を発した。
尤も帯状疱疹については、対処法がわかっていて、腹部の温湿布でウイルスを黙らせた(以来痛みはない)。

本日、久々に元気になったので、国会図書館に行ったが、外に出るとここ数日居座っている寒気が身に沁みた。
幸い3連休中なので、ここは遊びに行かずに、家でおとなしくしていよう。


『大菩薩峠』を読み始める

2024年02月23日 | 作品・作家評

とうとう中里介山の『大菩薩峠』(全41巻)を読み始めてしまった。

山岡荘八の『徳川家康』と並んで世界最長小説として有名で、読破するには相当の長期間の覚悟を要する。
なので”暇に任せて”という気楽なノリで手を出すべきものではないことは重々承知していた
(人生計画上、長期入院用に取っておいた)。

以前『徳川家康』の第1巻だけを読んだ時、どうせ読むなら、架空の話より、歴史上の人物伝を読みたいとして、
『峠』よりも『家康』の方を推したはずなのに(→記事)、結果、『家康』は1巻を読んで続きを読むのをやめたが、
『峠』の方は数巻読み進んでしまった。

そもそも、『大菩薩峠』は介山の同時代(大正〜戦前)※を1世紀近く過ぎた現在では、
歴史の中に埋もれてしまった作品かもしれない。
※:新聞小説としての連載当時は人気を博し、絵本・演劇・映画にもなった。

ところが、首都圏で山をやっている人間にとっては、まず入門の奥多摩を歩いたあとは、
その背後、多摩川の源流域に聳える大菩薩嶺(2057m)に足を伸ばす順序になる(東京都の最高峰雲取山より高い)。
その大菩薩の中心となる場が大菩薩峠(1897m)で、まさにリアルの大菩薩峠に最初に接する。

そしてその大菩薩峠の説明として、「中里介山作の同名小説で有名な」と紹介され、
峠の茶屋には、小説の主人公・机(つくえ)竜之介の像があり、その姿を模した登山記念のバッジが売られている。
私は早くも中学2年(14歳)の時に大菩薩峠に登り※、そのバッジを買って以来、
『大菩薩峠』はいつか読みたいと思い続けていた。
※;当時は前夜発の夜行日帰りの行程だったが、今はバスの路線が山の上まで伸びて日帰りの山となり、2012年に再訪した→記事

なぜなら、山が好きなると、山を題材にした小説が、家にいても山にいる気になれるため、
読みたくなるもので(山岳小説家の代表は新田次郎)、介山の『大菩薩峠』はその表題によって、
私の中では準”山岳小説”に分類されたのだ。

ただ最近の私は、山よりも歴史に関心のウエイトが移動したため先述の態度に傾いたのだが、
先日、青梅の郷土博物館を訪れたついでに(→記事。この行為もまた歴史への関心による)、
羽村の郷土博物館にも立ち寄り、そこで当地で生まれ当地に墓もある中里介山の展示に接し、
介山を特集した冊子まで購入した。

その冊子にはもちろん『大菩薩峠』の話も載っていて、その記事を読むと俄かに『大菩薩峠』が身近になってきた
(読みたくなった理由がもう1つあるのだが、それは読破後の記事で述べる予定)。

実は、介山の『大菩薩峠』は、ネットの青空文庫、すなわち著作権の切れた作品を無料で電子書籍として公開するサイトに41巻全てリストアップされている。
すなわち、電子書籍で全巻無料で読めるのだ
(長大小説に手を出しにくいのは、読む時間以外に、全巻揃える配架空間と金額の問題もあったのだが、
青空文庫は後二者の問題を帳消しにしてくれた)。

そのことは前から知っていたので、早速第1巻をダウンロードし、試しに読んでみた。

話はまさに大菩薩峠から始まり、そこと旧青梅街道で繋がっていた奥多摩の沢井や御岳山に場面が移る。
御岳山での剣術の奉納試合で竜之介はここより世に知られる”音無しの構え”を示す。

第1巻を軽く読み終えると、続けて第2巻が読みたくなった。
コミックスのノリである(『家康』にはこれがなかった)。

むしろ家康は、読まずともすでに彼の人生を私は知っている。
だが机竜之介がその後どうなるかは読み進めないとわからない。

ということで、思い(覚悟)もよらず、『大菩薩峠』を読み始めてしまったのだ。
当時の冊子には、挿絵があったのだが、青空文庫は文字部分だけなのでそれがない。

ただ、以前映画版(1960年作)を観たので、
文字上の「机竜之介」は、それを演じた市川雷蔵の姿となり、
「音無しの構え」も映像化できる。

幸い、じきに春休みを迎えるので、東名間の往き来も新幹線ではなく「18きっぷ」の利用となる。
そうすれば片道6時間を車中の読書に使える(18きっぷ5回分で30時間)。
これを使えば”長期入院”を待つ必要がない。

『大菩薩峠』を読んでみたら


医療費・寄付金控除で確定申告

2024年02月21日 | 生活

今年は、早めに確定申告を済ませた。
なぜ給与生活者でしかも副収入がない身なのに、毎年確定申告をするかといえば、医療費控除を受けるため(昔は副収入がかなりあったので個人事業主となって確定申告していた。個人事業主だと必要経費が落とせた)

自分と扶養家族の母の医療費を合わせると毎年10万円を越える(10万円を越えないと控除にならない)。
それに定期的に寄付もしているので、その控除も加わる。
これらの控除は、自分で確定申告をしないと、還付金として戻ってこない。

毎年記すことだが、確定申告をしていないのに、税務署と称する所からスマホに着信が来て、「還付金があるので 銀行の ATMに行って、こちらの指示通りの手続をしてくれ」なんてことは振込め詐欺以外に有り得ないから。

医療費控除の作業は、昨年分の治療費や薬代の明細書を機関別にエクセルに入力して集計し(この段階で10万円に達しなかったら作業終了)、その集計結果を税務署サイトからダウンロードした専用ファイルに入力しなおす。
寄付金控除は、寄付金の種類をリストから選択して、すべての寄付金を入力(私は1つの機関に毎月定期送金しているので、12回分入力)。

確定申告は、e-Taxでずいぶん簡単になったが、今年はなんだかパソコンではなくスマホに対応したようで、スマホだと上の作業がとてもやりにくく(一部不可能)、かえって劣化(非効率化)した感じ。
あとマイナンバーがうまく読み取れないなどのミスも発生して、思ったより時間がかかった(それでも昔のように申告書類一式を印刷し、源泉徴収票など必要書類をそれに糊付け、それらを税務署に直接か郵送で提出する必要がなくなっただけでもありがたい)。
その結果、数万円の(払い過ぎた税金の)還付が確定した(還付金が振込まれるのは4月)。

数時間の手間はかかったが、時給1万円と換算するとやらないよりはましだ。


女性の墓に如意輪観音の石仏が多い理由

2024年02月17日 | 仏教

お寺周辺の石仏は、江戸時代の故人の墓であることが多い。
その中で女性(信女、童女)の墓として彫られた石仏は蓮を持った聖観音か、ほおに手を当てた如意輪観音(写真)であることが多い。

観音様が形態的に女性的であることがその原因かもしれないが、もともとの観音菩薩は女性ではない。

観音の変化身の中で”女性”とされているのは准胝観音と白衣観音なのだが、女性の墓として彫られるのは、それらではなく、なぜ特に如意輪観音なのか分からなかった。

本日、郷土博物館巡りで行った青梅市郷土博物館で、その謎が解けた。

市内の如意輪観音坐像の説明によると、
女性は生理や出産などで出血するため、死後に”血の池地獄”に落ちるとされていて、
そこからの救済を説く「血盆経」を女性たちが写経すると、
如意輪観音が現れて、血の池地獄から救ってくれる、
という民間信仰が江戸時代に広まっていたということだ(地蔵菩薩の女性版)。
説明は以上だが、そこから、死んだ女性を地獄から救うために如意輪観音像を彫って供養するという発想につながることが容易に理解できる。

ただし「血盆経」なるものは中国で10世紀頃に作られた偽経なので、
正式な仏教における如意輪観音の役割ではないし、
そう説明する仏教書も見当たらなかった。

郷土博物館ならではの情報だといえる。


『サピエンス全史』の先にあるもの

2024年02月16日 | 作品・作家評

イスラエルのマクロ歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史:文明の構造と人類の幸福(2011年ヘブライ語版、2014年英語版)を今頃になって読んだ(上下全巻の2023年電子版)。

20-15万年前に出現した現生人類(ホモ・サピエンス)のトータルな歴史を論じた、人間についての最もマクロな視点の書なので、出版後10年たって読んでも遅くはない。
大袈裟に言えば、現生人類だったら、ぜひ読むべき本だ(と思っていた)。

サピエンス=賢いの名のとおり、現生人類(以下、サピエンス)は、7万年前の認知革命によって、思考能力を元に想像の世界を構築できるようになった。
それすなわち心のサブシステムの「システム2」である(もう1つの「システム1」は動物と共通の、条件づけられた反応様式)。
サピエンスのサピエンスたる所以は単なる言語能力ではなく、むしろ物語創作能力にあることを示している。

私が本ブログでシステム2のパワーとして強調しているのもその能力だ。

本書によれば、サピエンスはその能力を駆使して、物理世界には存在しない、貨幣・国家・宗教を作り、人間自身をその物語内で生かした。
そういうわけで、私から見れば本書は『システム2全史』に他ならない。
すなわち、システム2のパワーと罪禍(他民族や他の動物に対する)、そして限界を知ることができる。
※:システム2の欠点は、思考の自縄自縛性と、感情(システム1)の制御が下手なこと。

そして、著者が最後に問題にしたのは、果たしてサピエンスは幸せになったのか、ということ。

そもそも、幸せとはどういう状態か。
願いが叶う、願望が実現する、欲求が満たされることは、確かに幸せかもしれない。
サピエンスはそう思って、資本主義という欲求充足システムを開発し、その結果経済的・物質的・エネルギー的繁栄を謳歌した。
それで、サピエンスは満ち足りたか。
欲求はさらなる欲求を生み、サピエンスは常に欲求不満状態になっているのではないか。
すなわち果てしない欲望の無限循環に陥っているのではないか。
サピエンス固有のシステム2が動物的なシステム1の道具に成り下がったのである。

面白いことに著者は2500年前の仏教に特別な注目をしている(一方、ユダヤ教にはほとんど触れない)。
人々の苦の原因が、飽くことのない欲望(渇愛)にあると見透し、その苦しみからの脱出、すなわち真の幸福の道を探求した仏教は、物語の強化に過ぎない他宗教とは一線を画すことを著者も理解している。

そして本書では、サピエンスの行く末を生命工学の進歩の問題と絡めて終わっている。
そこが10年後の2024年の時点では不満だったが、著者の2023年の文庫本あとがきで、AI(人工知能)の進歩の問題に触れているので納得した。

といっても、「心の多重過程モデル」の視点からは、こういう心の”単層”モデルによる論議は、人間の心の一面しか見ていない不満が残る。

私から見れば、認知革命以降から今後のAIまで全てシステム2内の問題に過ぎない(生命工学はシステム0の問題だし)。
著者の仏教への注目はいい線いっているのだが、心≒システム2という視点なので、仏教がトライしているシステム3というサピエンス(システム2)を超越する心の開発という脱サピエンス的志向が見えていない。
※:本ブログのあちこちに記したように、サピエンスのほとんどがシステム3と無縁だが、瞑想という方法で作動可能となる(それを自ら体験して発見したのが釈迦)。システム3によって思考と感情それぞれの暴走から脱せる。

すなわち「心の多重過程モデル」から見た人類の進化は、システム2主導のサピエンスから、システム3主導のポスト・サピエンスへの方向が見えている(釈迦の示した道が、大多数のサピエンスにとって実行困難なのはそこが理由でもある)。
なので、AIもシステム2(情報処理)の高度化に過ぎないので脅威でない。
むしろ、システム2の作動で一生を終えるサピエンス的生き方から解放される機会がやっと訪れつつあるように思える。
私が本ブログでその辺の話題を繰り返しているのも、そのためだ。→AIと心の進化


名古屋の寺巡り

2024年02月12日 | 名古屋周辺

この3連休のうちはじめの2日間は大学での業務があり、連休3日目も名古屋宅に居る事になった。
そこで久しぶりに名古屋を歩こう。

これまで尾張の神社熱田神宮内を歩いたので、次は頭に浮かんだのは寺巡り。
さて、読者のあなたは「名古屋の寺」で頭に浮かぶのはどこ?

休日に名古屋市内のあちこちを1日で巡るには、名古屋市営の地下鉄(とバス)を使い放題の「ドニチエコきっぷ」(620円)が便利(本日のような振替休日も使える)。


藤が丘駅でこれを買って東山線に乗って、まずは本山(もとやま)で降りる。
地上に出て、名古屋大学方面に進む。
この通りは名古屋でも一番おしゃれな街といわれている。
といってもこの通りを一番利用する名古屋大学(名大)生がおしゃれという評判は無い。
そういう矛盾を孕んだ街を少し進むと着いたのは桃巌寺(曹洞宗)。

ここは近くの末盛城にいた織田信行(信長の弟)が建てた寺で、まずは”名古屋大仏”がある(1987年作で有名でないけど)。
奈良や鎌倉の大仏に連なる都市の名を背負った大仏なら、それだけで名古屋を代表する寺と言っていいかも。

名古屋大仏は本体の高さ10m(台座を含めると15m)あるのだが、境内から下った谷池にあるので、周囲から見上げるという位置にない(なので外からは見えない)。
青銅製の深い緑色の体に目と口だけが金色に輝いている(写真)。
新しいが造りはそれなりにしっかりしていて、各地の安っぽい”大仏”にありがちな不気味さはない。

本堂に上がって本尊(聖観音)を拝み、少し離れた弁天堂で黒っぽい八臂弁天を窓から覗く。
この寺にはこのほかに、ふくよかな乳房を露わに腰布を纏っただけで妖艶に寝そべる”ねむり弁天”様がいて、1000円だせばこっそり拝観できるという。
それってなんかスケベ心で払う1000円な気がして、むしろ開帳日(5月8日など)に堂々と拝むことにたい。

中国風の山門の近くに、いいお顔の如意輪観音の石仏があった(写真)。
こういう美仏と出会えるのは嬉しい。


本山駅に戻って今度は名古屋市内の環状地下鉄線である名城線(右回り)に乗って八事(やごと)で降りる。

八事といえば興正寺
ここは紛れもなく名古屋を代表する寺院。
真言宗の名刹で、総本山の高野山と喧嘩していることでも有名か。

山門を潜くぐると、正面の五重塔の前に、真新しい大きな釈迦像がある(名古屋大仏よりは小さく、こちらも造りはしっかりしている)。
広い本堂には横から上がれて、本尊などを拝める。
境内は寺の中心部が谷面で左右が山になっている。
右の山にはエスカレータがあり、上がると庭園(見学要予約)のある茶室などがあり、谷面に並んでいる伽藍が一望(写真)。
さらに山の奥に入り、左右に宝篋印塔が並ぶ道を進むと奥の院の大日堂があり、窓越しに大日如来像が拝める。
ただ境内の石仏はカメラを向ける気になれないレベルで、桃巌寺の方が上。
この寺では五大力尊(明王)のお姿(御影)を買った(2000円)。


八事からは鶴舞線に乗って上前津で名城線(左回り)に乗り換え、1つ目の東別院で降りる。
駅名が寺名を示していて、東本願寺(大谷派)の名古屋別院のことである。
立派なビルの信徒会館があり、寺としてかなり繁盛している様子。
実際私の印象では中部地方の甲信越を除いた地域(フォッサマグナより西)は浄土真宗の信徒がぐっと多い。
別院ながら元が本願寺なので、本日の中で一番巨大な本堂(写真)。
その大きな本堂の中に入ると、広い空間の中信徒があちこちの椅子に座って、目の前の阿弥陀如来に向かっている。
自由に座れる雰囲気はキリスト教会に似ている。
境内の隅に古渡城跡(織田信長の父信秀が末盛城に住む前の城)の看板がある。

東本願寺の別院を巡ったなら、西本願寺(本願寺派)のそれも外したくない。
幸い、歩いて行ける所にある。
途中、切支丹遺跡博物館のある栄国寺(浄土宗)に立ち寄る。
その博物館は閉まっている雰囲気なので入らなかったが、境内の諸堂の仏像を拝めた。
この界隈は寺町になっている。


本願寺名古屋別院(西別院)は、東別院よりはやや小規模で本堂の外面が改築工事中。
工事中でも本堂内には入れて(中も工事の人がいる)、東別院よりも本尊周囲の金色の装飾が目立つ。
極楽浄土の風景を模しているのだ。
仏教本来の目標たる涅槃の世界が無味乾燥なのに対し、阿弥陀如来が導いてくれる極楽浄土はかくも美しい世界なのだ。
自力で涅槃をめざすより、他力にすがって極楽往生した方がずっと快適と思ってしまう。
境内にはかつては金ピカだった鐘楼があり(かように西は東より金ピカ)、それをカメラに収めた(写真)。


ここから次の寺にも歩いていける。
途中、「吒枳尼天」(だきにてん)の幟が立つ稲荷山七寺(真言宗)に立ち寄る。
ここの小さな本堂には、平安末期作・重要文化財の観音・勢至の両菩薩が本尊として祀られている(本来はこれらが脇侍で本尊は阿弥陀如来のはず。阿弥陀如来は戦災で消失した)。
本堂の窓から覗くと残念ながらお顔は影に隠れて見えないが、首から下だけ見ても立派な造りだとわかる。
隣の堂は吒枳尼天を祀っているが、堂内に祀られているのは神社の神鏡のようだった(吒枳尼天=稲荷神)。
その吒枳尼天の御影が売られているので迷わず買う(300円)。


さて、次の寺は大須観音(真言宗:北野山真福寺寶生院)。
ここは幾度も訪れており、というか大須商店街が好きで、名古屋で”買い物がてらの街歩き”と言えば、大須から栄に歩くことだった。
その大須商店街の入り口にあるここは、庶民に人気がある寺で(実際参拝者が引きも切らず、行列ができているのはここだけ)、東京の浅草観音に相当し、老若男女と観光客が集まる。
ここには金色の阿弥陀如来の御影が売られていたので、買おうとしたら、

今まで耳に着けていたBOSEのノイズキャンセルイヤホンの左側がないことに気づいた。
以下の顛末は、本題から外れる話なので小さく記す。
今までの途上で落としたのだ。
東別院では両方着けていた記憶がある。

30000円以上したので、諦めるわけにはいかない。
早速、大須観音内で歩いた路を戻って探したが、見つからない。
ということは、ここ以前の所だ。
幸い、徒歩が続いたので歩いて戻れる。
もうお寺巡りを続ける気分ではなくなったので、ここに戻る気はしなかったが、もし見つかったら、ここに戻って御影を買おうと決めて、大須を後にした。
稲荷山七寺に着いて、本堂・吒枳尼天堂前を探すが見つからない。
さらに来たルートを遡(さかのぼ)る。
実は、この製品は思っていたほどノイズキャンセル効果がなく不満だったこと、そして左右別個のイヤホンはいずれ片方はなくすのではないかと思っていたことなどを思い出した。
これらは紛失のショックを和らげるために価値評価を低下する「認知的不協和の低減」という心理作業である。

西別院に達し、まずは写真撮影をした鐘楼に立ちよる(歩いたのとは違う事をしたここで落としたのではと踏んでいた)。
しかし地面をいくら探しても見つからない。
工事中の本堂に行き、石段を登った本堂入口でウロウロしたので、入口前の床を探すが、見つからない。
ここで見つからなかったら、これ以上来た道を戻る気力はない。
諦めて帰ろうと踵を返して、石段を降りところの最上段に、見紛うことのないイヤホンの片割れを見つけた(見つけやすい向きというものがあるようだ)。
これで状況と気分が元に戻った。

大須観音に急いで、誓った通り御影を買った(売り場で「お姿」といっても通じなく、御影(みえい)と言い直された)。


次の寺に向かうべく、大須観音前駅から鶴舞線に乗って、伏見駅で東山線に乗り換え、覚王山で下車。
覚王山とはこの地にある覚王山日泰寺の山号部分で、地形的に山の上ということもあってか、今では地名になっている(覚王は釈迦)。
寺までの参道は開けた商店街となっていて、最近は個性的な店が進出して、本山より一段年長者たちが集まる街となっている(昔よく通ったエスニック・グッズの店も健在)。

参道のどん詰まりにある日泰寺は、明治年間にタイ国王から真正の仏舎利(釈迦の遺骨の一部)を贈られて建てられた寺で、日本で唯一の超宗派の寺。
すなわち日本の大乗仏教の寺とは一線を画す仏教界における別格の寺だ。
その意味で名古屋第一の名刹といえる。

本尊の釈迦如来も、タイの国宝だった由緒あるもの(日本の釈迦仏と形態が異なる)。
山門の両側に立つのは阿吽の仁王ではなく、タイ式の衣を纏った仏僧像で、広い境内の大部分は駐車場を兼ねた広場となっている。

私は再訪なのだが、前回はほとんどの参拝客と同じく本堂を参拝してまわれ右して帰った。
ところが、今回、釈迦の舎利を納めた奉安塔の存在を知り、それが境内外の近くにあるというので(その参道の漂石が立っている)、そちらに向かった。
そこは日泰寺の飛地で、そこの参道を進むと奉安塔を彼方に望む門に達する(写真:中央奥の台座だけ見える白い石塔)。
進めるのはここまでで、ここから釈迦の舎利を納めた奉安塔を拝むのだ。
こここそ日泰寺で最も神聖な場所で、日泰寺に来て、ここに来ないと意味がないくらいだ。
日泰寺に戻り、さらに覚王山から東山線で出発地の藤が丘に戻った。


以上、名古屋市内の主な寺院を市営地下鉄でぐるりと一周するように巡った。
ここから外れたのは、万松寺(ばんしょうじ)荒子観音笠寺観音くらいか。
万松寺(父信秀の葬式に茶筅まげ姿の信長が訪れ、線香の灰をぶち撒いた)は大須商店街にあるので幾度も行ったし、荒子観音は円空仏を見に2019年に訪れた。→記事
なので、残ったのは笠寺観音だけだ。


人はなぜ事実でない物語を好むのか

2024年02月11日 | 心理学

なぜ人は事実でない物語を好むのか。
※:物語とは創作されたストーリー(事柄の一連の展開)をいう。

事実でないとわかっていながら、喜んで時間を費やしてそれを堪能するのはなぜだろう。

情報として価値があるからだ。
しかも感情的な価値、すなわち感動を与えてくれるから。
感動とは、文字通り”感じて心が動く”(躍動する)心理現象である。
感動とは逆の”心が動かない状態”とは退屈を意味する。
退屈とは、もっとも辛い時間のすごしかたである。

物語は、その退屈から人を救ってくれる。

なので人は物語に、感動とまではいかなくても、悪くても”退屈しのぎ”を期待する(言い換えれば、退屈な物語は存在価値がない)。

感動は、芸術が示すように、まずは五感の刺激による。
この知覚体験は、それ自体として”事実”である。

感動をもたらす刺激の構成体を一様に”美”とするなら、具象的な視覚芸術だけでなく、意味的に抽象的な(表現対象が明確でない)音楽にも美がある。

一方、文学(ドラマ)すなわち物語は、視覚・聴覚刺激による知覚的な感動ではなく、ストーリーの解釈・共感による感動であり、人間的・意味的な美といえる。
これは視聴覚の芸術作品の感動とは別個の反応で、例えばたわいもないピアノ曲が、モーツァルト5歳の作品と知れば、音楽的感動とは別の感動を味わう。

創作のドラマも、それを知覚している間は、知覚体験として”事実”である。

実際にあった事実で今は目の前にない事と、創作を今目の前で見ている事と、”事実”としてリアリティ(現実感)があるのはどちらだろうか。
我々の心は、リアリティがリアルの根拠となる。

リアリティのある感動は一時的な感情的興奮で終わらずに、その人の心に深く浸透し、価値観にまで影響を与え、人生(生き方)を方向づけさえする。

このように物語は、退屈しのぎどころか、人に人生の指針を与えることさえできる。

美術に黄金比があるように、人の感動を喚起する一定の法則性は知られていて、物語にもストーリーのツボがあり、よくできた作品はそれを効率的に配置している。

それに対し、単なる事実の連続は、我々の日常生活がそうであるように、ほとんどが退屈で感動を与えない。
行動の大半はルーティンワークなので、機械的反応のシステム1でこなしていることもあり、それら(移動、洗面・歯磨き、排便等)は物語の要素にならない。

現実は退屈で、物語は感動する。
だから人は物語を好む。

価値のない情報をノイズというなら、事実は確かに普遍的な法則が実現されているが、それを隠蔽するほどの雑多なノイズ(誤差)が混入したままの状態である。
それに対して、物語は情報的に不要なノイズを除去し、意味がわかりやすいように効果的に再構成し、例えば”人生の本質”をわかりやすく表現しているという意味で”真実”である。
これを以下のように定式化できる。
  事実=真実+ノイズ
右辺のノイズを左辺に移項するすると
  事実-ノイズ=真実
となる。

物語は、事実から誤差(ノイズ)を除去し、真実の部分だけを1つの具体例に託したものといえる(物語の普遍性)。
かくして、物語は事実ではないが、1つの典型的事例としてリアリティを伴って真実を表現する。

そして、物語に接することは、知覚的経験として生々しい事実であり、感動を伴うことによって、退屈な事実よりも強い影響を与える(人生の真実を効果的に知る)。

ここまでなら、物語万歳!で終わる。
私はここで終わらない。

物語はリアリティを高めるために、固有の情報(例えば感動を高めるための細工)を付加している。
その部分は事実ではないし、真実でもない。
人はそれらを一緒くたに受け入れる。
すなわち、物語を事実として受け入れる。

システム2内での退屈しのぎとしてならそれで問題ない。
例えば、フィクション(アニメ・ドラマ)の聖地巡礼は、私も楽しんで実行する。

問題となるのは、これが神話として、この世の理解の枠組みのレベルで採用されると、事実に反する世界理解の温床として、我々の知性を無明化する点。
物語を楽しむのではなく、物語に心(知性、感情)が支配されるためだ。

近代以前の人類は、各地でそれぞれの神話に支配されてきた(無害の神話もあるが、魔女狩りや大量の生贄を求める神話もあった)。

近代科学は、この物語(神話)的世界観(=宗教)の夢から覚まさせる人類史的インパクトを与えている(科学も物語ではないかという見方もあるが、科学はより信頼度の高い情報に常時更新される点が、過去数千年固定したままの物語と異なる)。
私は物語の存在を否定はしない(私も好きである)。
ただ、それに心が支配され、人生が方向づけられることはお断りしたい。


スピリチュアルブームの危険性

2024年02月10日 | パワー・スピリチュアル

私自身のスピリチュアル志向には論理的必然性があるものの、世の”スビリチュアルブーム”には全く関心ないし、危険だとすら思っている
(それだったら”超能力ブーム”の方が、超心理学という実証的心理学に準拠しているので、まだマシ)。

最もストレートな危惧は、自称”霊能者”に騙されること(詐欺やセクハラの被害を受け、果ては人生を狂わされる)。
なぜなら、システム2が心の最上位レベル(=システム3に達していない)の常人には、霊能者の真偽の区別がつかないため
(尤も、大抵の偽者は、システム2の科学的・論理的思考で見破れる)。

私自身のスピリチュアル志向は、人間の心を構成しているシステム2(思考・想像する心)の欠点に達し、その欠点に対処するためで、
その結果、より超越的なシステム3(瞑想)、そしてシステム4(スピリチュアリティ)の扉を開けた(仏教もこれに対応している)。
すなわち、知性(システム2)が十全に作動していることが前提となっている。

システム2をきちんと鍛えない人は、システム2を超越するどころか、システム2の欠点である神話的思考(想像と現実の混同)の罠に嵌(はま)っていく。
自称霊能者の頭(システム2)が捏造した神話(お話)を、”スピリチュアルな世界”と思いこまされる。
素朴なシステム2だと”辻褄が合う”だけで納得してしまうから。
実はそれこそがシステム2の限界(欠点)なのだが、本人はそれを超越したと思い込んでしまう(その結果、その人の霊的成長はそのレベルで停止する)。

スピリチュアリティ(霊性)の世界は、確かに””の力が発揮されるが、それはシステム2の単なる頭の中での念(妄想)とは異なるもので、
心がシステム4に達していない常人ではその違いがわからない。

そういう危険性があるから、「正しい師につけ」(正しくない師につくな)という教えがあるのだが、
上述したようにそもそもこのレベルの人は師の正邪を判断する眼を持っていない。

あえて「師を求めるな」と語ったクリシュナムルティは、安易に師を求めることは、自分の願望を投影した”師”に嵌ってしまうことを危惧した。
まさに、麻原彰晃を師(グル)としたオウム真理教の信者たちがそうだった。
※:子供時代に神智学のトップに見出され、やがて自身が神智学協会のトップに立った途端それを解散した。教団という社会集団自体が反・霊的であることを痛感していたのだ。
ちなみに、ゴータマ・シッダールタ(釈尊)も満足する師に出会えず、結局一人で悟りを開いた。その後の釈尊はサンガ(出家集団)を組織したが、そのサンガこそ仏教史上最も”正しい師”の元にあったといえる。

現世レベルでの正邪を見極める眼は、システム2(思考能力)を正しく鍛えることで達成できる。

正しいスピリチュアリティに達するのに抜け道はない(能力差はある)。
システム2をきちんと鍛え(「正見」=正しく見る努力)、システム3(「正定」=正しい瞑想による正見の実現)でシステム2の妄想支配から脱し、
そしてやっと真正のシステム4の扉を開けられる。

こう言ってもいい。
思考している自分から脱するシステム3に達しないと、すなわち通常のシステム2レベルだと、システム4(霊性)とシステム2(妄念)との区別がつかない。
真っ当な霊性に達したいなら、まずはシステム2を十全に作動させ、さらにきちんと手順を踏んでシステム3を作動させて、システム2の限界を乗り越えること。


車内の二酸化炭素濃度を測る

2024年02月10日 | 計測

空気中の二酸化炭素(CO2)濃度は、おおむね500PPM以下が正常値(外気と同じ)で、1000PPMを超えると換気が必要とされ、2000PPMを超えると集中力の低下や眠気が発生し、さらに濃くなると、頭痛・めまいなどの症状が出て、ついに(10000PPM以上)は死に至るという。

そもそも人間本体が、酸素(O2)を消費して(体内で炭素をくっつけて)CO2を排出するのだから、人間(自分)がいる場所は必然的にCO2が濃くなる。

居住空間では、エアコンを使うシーズンは窓を閉じるのでCO2濃度が高くなる。
自覚症状が出る前にCO2濃度を知りたくて、測定器を買い、実測値を元に試行錯誤した結果、
窓を小さく開けるだけ(風を感じない程度)で、室内が500PPMに保てることがわかった。

次は自動車の車内だ。
長時間の運転中に車内のCO2が濃くなると、気づかぬうちに集中力が低下し、思わぬ運転ミスが発生するかもしれない(その結果自他に致命傷を与えるかも)。

9日の温泉宿からの帰路(距離60km)、測定器を車内の助手席に置いて運転中のCO2濃度を測定した。
ちなみに車はFIAT500Sの小型車で乗車人数は1人。

まずは車内が冷えているので、空調を「循環モード」にして暖房を入れ、窓を閉めた状態で運転すると、30分しないうちに1040PPMに達した
この状態のまま運転を続けると、CO2排出者がいる空間なので濃度は上がる一方だろう(乗車人数に比例して排出量も倍増する)。
要換気水準に達したため、暖房はそのままで空調を「換気モード」に切り替えると、700PPMまで下がった。
だが正常値にまで下がらない。

そこで、さらに運転席の窓を1cmほど開けた。
1cm程度だと外から風は入ってこない(寒くない)
が、主観的にも空気が新鮮になった感じがする。

実際、測定器も500PPM前半にまで下がり、それを維持する。

細かいことだが、赤信号で停止するとその間は濃度が上がる(外気が入ってこないため)。
長い下り坂だと、さらに濃度が下がる(外気の空気圧が上がるため)。
どこかに立ち寄って、車から出入りする(ドアを開閉する)だけでも濃度が下がる(適度な休憩を入れることは意味がある)。

一番はっきりしたのは、エアコン空気の「換気モード」にするか窓を少し開けるかのどちらか1つより、両方やった方がきちんと濃度が下がり、しかも運転中も上がらないこと。
それは当然で、2ヶ所開けることで車内に車外からの空気の出入り口(=流路)が形成されるためだ。
2ヶ所開けることに意味がある。


コロナ後の安宿チェーンに泊まる

2024年02月09日 | 

コロナ後、宿の宿泊料金が軒並み値上がりし、私が「安宿チェーン」と分類していた湯快リゾートもその例にもれず、
4桁では泊れなくなった(税別ではギリギリ4桁だが、我々が支払うのは例外なく税込み額)。

といっても最低ラインが上がってしまったので、同じく値上がりした他の宿というわけにもいかない。

大学の用事がほとんどなくなった2月の週中、久しぶりにこのチェーンの1つ恵那峡国際ホテルに泊まった(この宿については過去幾度も記事にしている)

部屋は最安値のエコノミー・ツインはもとより泊まる気がせず、かといって以前は2000円足しで泊まれた2部屋続きの豪華な部屋はバカ高くなった。
どうせ4桁では泊まれないので下から2番目のスタンダード・ツインにした(12000円)。

ここの売り(私のお気に入りポイント)はなんと言っても温泉そのもの。
泉質はナトリウム・カリウム塩化物泉と平凡ながら、濃度が抜群に濃い”高張性”で、
これに分類される温泉は日本では少ない(ほとんどが低張性)。
そんな貴重な温泉が”安宿”価格で堪能できるのだ。

この宿のもう一つの売りは、ビュッフェバイキング。
尤も安宿なので、私がよく利用するグリーンプラザ(特に軽井沢)には質・種類とも及ばないが、それなりに努力していて、ガッカリ感はない。

今回は、普通のビュッフェの他に焼肉セット(ガスコンロと鉄板)がついていて、獣肉だけでなく、頭付きの海老やイカもある。
私は好みでシーフードと野菜を主に焼く。
あとは刺身、天ぷら、握り寿司などで、サラダは食べるがご飯類とデザートには手を出さない(たらふく食べながらも摂取カロリーを控えるため)。
トレイを複数載せられるカートが導入されたのは、幼い子連れや足腰の悪い人にとってありがたい。
ついでにレストランの客を仕切っている女性従業員が小気味よくテキパキしていて、
各テーブルに客のスマホでの記念撮影のシャッター押しに廻り、一人客の私の所にも差別なく来た(記念撮影は断ったが)。

あと、無料だったマッサージチェアがグレードアップして有料(300円)になっていた。
私の知っている宿で、マッサージチェアが無料で使える宿はこれで0になった。


震災で家が全壊したら

2024年02月08日 | 防災・安全

地震などの災害で家が全壊した場合、「被災者生活再建支援法」に基づいて国から援助してもらえる額は最大300万円である(役所による全壊認定と申請の手続きが必要)。

300万円で再建できる”家”は存在するだろうか。
1桁足りない。

当然、足りない分は自腹で払うしかない。

持ち合わせが無い場合は、前もって地震保険に加入する手があるが、これは火災保険のオプションなので、その分の増額を覚悟する(火災保険だけでは、地震による火災は対象外)。

まずは、現在の家の耐震性をチェックし(ネットで簡易診断できる)、自宅の想定される最大震度をハザードマップ等で確認して、自宅の倒壊危険性を概算してみる。

耐震性が足りない場合は、事前に耐震補強自治体から半額ほど援助が出る)をした方が全壊の確率が減るので、絶対に安上がりで、もとより圧死の危険が下がる。

建物自体の耐震性は、鉄筋>木造、新しい>古い(特に1981年以前)、平家>2階家 ×瓦屋根 となっている。
すなわち、古い木造の瓦屋根の2階家が最弱の建物だ。

こういう家は、住民の高齢化率の高い”地方”ほど多い(奥能登もこのタイプの家が多かった)。
高齢者だと、改築はもとより耐震補強すらしたがらない傾向がある。

こういう家は倒壊確率が高いだけでなく、命は助かったとしても被災後に絶望感がやってくる。

「備えあれば憂いなし」という格言を肝に銘じておきたい。


心のシステムアップ

2024年02月07日 | 心理学

私の「心の多重過程モデル」における、心を構成するサブ(低次)システム(システム0〜4)は、それぞれが固有の目的をもっている。

すなわち、
システム0:生体の恒常性維持。生物に共通。
システム1:眼前の環境への適応。動物で発達
システム2:自我の発動と眼前を超越した思考。ここまでは人間なら日常的に作動。
システム3:自我の束縛からの離脱。ここから先は特化した訓練(体験)が必要。
システム4:個我・個体の超越。
以上の一連の流れは、身体を基盤にして、身体の超越に向かっている。


すなわちこのモデルにおいては、心身一元論と心身二元論が並立している
(心身二元論を肯定するか否定するかという高次の二元論を否定)。

心システムのこのような一連の多重化は、下位(数値が低い)のシステムでは対応しきれない状態へのより良い対応として上位システムの創発という、心という高次レベルでの調整作用による(生物進化の1つの側面といえる)。

ただし、システム2で生きることをやめてシステム3で生きよというような、下位システムから上位システムへの移行を目指すのではない(オカルト的意識進化論とここが異なる)。

下位システムを十全に作動させたまま、下位システムに上位システムを加算するのである。

たとえば、システム3の作動を目指して瞑想に従事しても、日常生活をこなすためのシステム1・2の性能向上もおそろかにしない。
なので、システム3・4の超越的境地に達するために、たとえばシステム0(身体性)をないがしろにはせず、身体の健康の維持・増進はそのまま追求する。

むしろ、それぞれのサブシステムの能力向上を目指すことで、サブシステム間の相互作用(相乗効果)を強化して、トータルとしての”心をバランスよく高度にする。
※:サブシステム間の相互作用は、直接の上位・下位間に限定されない。すなわちシステム0はシステム1とのみ関係するのではなく、システム2以上とも直接関係できる。なのでこれらサブシステム間は”多層”構造ではなく”多重”関係にある。

その適したサンプルが、気の理論を元にした、鍼灸・漢方・気功を使った練功といえる。
すなわちシステム0からシステム4までをトータルにバランス良く作動させる。
ヨーガもそのような可能性がありそうだが、私はヨーガをやっていないのでよく知らない。
ただし眉間のパワーポイント(MSのアプリ名ではない)については、”印堂”というツボより、”アージナー・チャクラ”としてその開発を目指している(私にとって、一番反応しているチャクラ)。

システム3の作動は瞑想(システム2の停止)が一番だが、システム4はシステム0やシステム2(思い込み)と連動させた練功やヨーガが適している(システム4では、システム3一旦否定したシステム2を利用する。このモデルでは肯定/否定の二元論は論理の多重化によって克服される)

残念ながら仏教はこのような身体技法のシステマティックな開発に乏しく、
一部は(釈尊が否定した)苦行に走ったりしている。
※:方法的には修験道、教義的には法華経の影響。


これぞ餃子の街の餃子

2024年02月06日 | 雑感

「餃子の街」ランキング(住民の購入額)で今年は浜松(静岡県)が1位になったという。
2位は最近頭角を現してきた宮崎、有名な宇都宮(栃木県)は3位。

ただ、”餃子を食べる街”として成功しているのは宇都宮
ここは歴史的に餃子と縁があり、それぞれの店に個性があり、それらの餃子をいっぺんに食べれる場所もあるし、「宇都宮餃子」は土産にもなって喜ばれる。

それに対し浜松餃子は、一緒にもやしが蒸せられているというだけで、”浜松”としての個性はあまり感じない(浜名湖の宿のビュッフェバイキングで出される浜松餃子を食べる時は、もやしと一緒に食べることで、浜松らしさを味わっている)
もちろん、餃子それ自体で充分美味しいので文句はないが、焼きそばの富士宮やおでんの静岡レベルの個性がほしい(私が浜松でまず食べるのはうなぎ)。

東海地方で個性的な餃子といえば、なんといっても三重県の県庁所在である”津餃子”だ。→リンク
15cmもある揚げ餃子。
これだけで充分個性的。
発祥は津市の小学校の給食というから、まさに津市民のソウルフード。
こういう餃子こそ、”餃子の街”にふさわしい餃子。

残念なのは、これを食べるのに津まで行かねばならないこと。

せめて名古屋には進出してほしい(広義の”名古屋メシ”に加えたい)。
そう願うくらい個性的だ。
※:今は名古屋メシとされる”天むす”の発祥も津だという。赤(八丁)味噌は岡崎で、豪華モーニングは一宮。それらの超ローカルなものが中京(東海の首都)・名古屋に出て初めて全国に知れ渡る。


微妙な身体感覚の夢

2024年02月05日 | 心理学

今朝の寝覚め直前に見た夢で、微妙な身体感覚を体験した。

それは、(実際の)知人と(夢の中だけの)小さな男の子と3人で、ある目的地に行く夢で、
その途中、垂直の大きな壁を降りる所に達した。
その壁の3-4mほど下の中空には、ビル工事に使われるような一定幅の人工的な足場が設置されている。
先頭に立った知人は、その足場に向かって飛び降り、無事に着地した。
私は、もっと慎重な手段で降りるものと思っていたので、その大胆な行動に驚いた。

次いで、男の子もそこに飛び降り、問題なく着地。
そして先行した二人は、壁から離れた所にいる。
こうなると私もそれに続かざるを得ないので、意を決して眼下の足場に向かって飛び降りた。
その間の落下感覚を感じ、その後の着地の衝撃を足裏に感じ、さらに勢いで上体がややバランスを崩してふらついたが、着地はなんとか成功した。

夢はこの後も続くが、この夢で印象的だったのはこの部分で、落下中の空気感、着地時の衝撃、そして平衡感覚(のズレとその調整)という一連の微妙な身体感覚をはっきりと感じたこと。

尤も、あらゆる感覚認知は脳内の現象なので、実際の身体状態とは無関係に夢の中で身体感覚を得る事は不思議でもなんでもない。

どんな感覚でもその現象が夢の中で主題化すれば、記憶に残るほど実感できるということだ(見た夢についての色彩の記憶がない場合、それが主題化されなかっただけで、別に夢がモノクロだったわけではない。実際にモノクロの夢を見たら、その違和感がはっきり記憶されるはず)

だから、「これは夢ではないか」と疑って、頬をつねってみて痛かったとしても、夢でないと判断するのは早計(夢はそれから醒めて初めて夢だった分かる。明晰夢を例外として)。
認識された外界=実は脳内での構成、ということだから、唯識の理論が説得力をもつわけだ。

もう一つ、印象的だったのは、夢の中で私が”驚いた”こと。
すなわち、夢主の思考の範囲外の現象が夢の中で発生すること。
これをもって、意識(自我)とは別の”無意識”が夢を見させている、と主張したのがフロイトだが、
そのような無意識を認めていない私は、夢は意識現象とみなしている。
ただ、夢の映像展開は自我がコントロールしている通常の思考・想像(システム2)とは異なる。

例えば、瞑想中にシステム3を発動させることによって、自我が主我(意識作用)と自極(主観点)に分離できることを経験すれば、思考は自極にとっては観照対象=客体となる。

夢内容(ストーリー)を構成できるのはシステム2であり、自極にとっては、それは別の機能(現象)なのだ。

動物起源とされるフロイト的無意識は、記憶像の単なる再現のような静止画的な(入眠時に見る)夢なら可能だが(動物が見る夢はこのレベルのはず)、上の夢のような現実でない手のこんだストーリーを構成(創造)する能力はない。
それは人間の思考・想像力、すなわちシステム2によるものといえる。

瞑想でのシステム3(主我と分離した自極)と異なるのは、夢主とは別個に働いているシステム2によるVRを観客として観照(鑑賞)しているのではなく、夢主がそのVR世界に巻き込まれている点だ。
このようなシステム2における自我と意識作用の微妙な分離状態が、夢という不思議な現象である。
※:この分離を理論化したのが精神医学者・安永浩で、そもそもは統合失調症者の症状の説明モデルとして構築された。ならば夢は健常者が経験する一時的・可逆的な統合失調状態といえる。


釈尊が実践した非神話的態度

2024年02月04日 | 仏教

宗教の中で神話的部分が比較的少なく、少なくともそれがその宗教の本質的要素でないのが仏教の特徴なので、21世記の現在、従来の神話的宗教を信じられなくなったヨーロッパ人に受け入れられつつあるのもその理由であろう。

ただ、仏教でも大乗仏教(日本に伝わっている仏教)になると、神話性が全開してくるのは残念だ(日本人が親しんでいる仏教は神話満載)。

そもそもの始祖・釈尊に立ち返ると、輪廻転生など当時のインドで常識化されていたものは仕方ないとしても、自覚的に神話的思考に陥らない態度を志向していたことがわかる。

まず、苦を滅する基本である八正道において、とりわけ重要なのが”正見”であるが、
これはすなわち”正しい認識”という態度である(教えとして後世に固定化された正見ではなく、釈尊自身が実践した開かれた態度が重要)
すなわち、何が”正しい”かは前もって固定せず(先入観に縛られず)、清明な理性による正しいかどうかの吟味を怠らず、それが”正しくない”とわかったら躊躇なく捨て去る態度である。
科学的態度と同じだ。

そして仏教の基本理論である縁起論
すなわち人間の苦を、その在り方・態度の因果関係によるものとし、
それが後に「十二支縁起」としてモデル化された。
言い換えると、宿命論(決定論)や運命論(偶然論)を否定し、事象には必ず原因があるとして、その因果法則を探求する態度である(上と同様、後世に固定化された縁起モデルでなく、苦を因果論的に探究する態度に意味がある)
そしてその原因を除去することで解決となる。
この因果律の探究も科学的態度そのもの。

さらに、この世の果てはどうなっているかなど、実証できない問題について、単なる想像だけを根拠に論議する事は無意味であると、沈黙をもって実践している(無記)。
既知と未知とを峻別して、分かったふりして未知を論じない。
これも科学的態度と同じ。

そして、論理は極端化しやすいという人間の思考バイアスを理解しているため、辻褄合せによる思考の暴走を抑えるバランス感覚(中道)を堅持した。
この態度を忘れると、上の因果思考も極端化する(現代人も怪しげな”健康法”でこれに陥っている)。

上の全てはことごとく神話的思考を防ぐ態度であり、ほとんど現代の科学的態度と共通している。
科学的態度の中で実践されていないのは、客観的・実証的データ収集であるが、釈尊が達した境地は彼の他には体現者がいなかったので、自身(主観)以外からのデータ収集は不可能だった。

このように本来は非神話的教えだった仏教が、次第に神話化していったのは、後継者たちが初心を忘れたからだといえるが、
元来人間は物語を作るのも聞くのも大好きなので、神話化によって広く受け入れられたのは確か。

神話的態度と対立する科学的態度とは、与えられた知(理論)を無批判に前提するのではなく、その知に達した人と同じ位置に立って、その知を吟味する事である。
やはり”禅”の態度(良い意味での”独覚”)がこれに近そうだ。

システム4までの話をして、また神話性の話に立ち戻ったのは、宗教の神話的部分すなわち日常のシステム2レベル(家内安全・商売繁盛を祈るだけ)で満足していると、宗教(霊性)本来の境地であるシステム3以降に進めないから。