今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

夢=非合理的という偏見

2022年03月30日 | 心理学

既存の夢理論に対して覚える不満は、夢を非合理的なものと決めつけて、その非合理性を夢の本質としている点だ。
この”偏見”はフロイトから始まり、最新の脳神経科学にもとづいた睡眠研究においても踏襲されている。

確かに覚醒時の判断規準からすると、夢の中身は合理的でない部分もあるが、それが夢の本質とはいえない。
なぜなら、そういう要素は覚醒時の想像・空想でも該当するからだ。

夢を現実とのみから対比すると、それらの間の差異しか見えてこない。
これは2元対比に巣くう思考バイアスである(覚醒時の思考はかように非合理的)。
この2元論バイアスを避けるには、夢と現実に空想を追加して3元間での2元対比を3回実施することで、任意の2対の差異と共通性をともに抽出できる。→その試行結果:夢を見る心③

こんな手の込んだことをしなくても、たいていの夢の中では夢主は懸命に理性を働かせていることは、夢主でもある覚醒後の本人が一番判っている。
そう、夢主(夢の自我)は覚醒時の自我と連続しているので、システム2の同じ自我だ。
すなわち夢主の合理能力は、覚醒時の合理能力と等しい。

たとえば最近みた自分の夢を紹介すると、

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どうやら学生時代の自分のようで、大学の学生宿舎のように、それぞれが自室をもって、各自が自室から出てくる。
その1人から、ものすごい寒気がくるという話をきいたので、それに備えて自室で服を着替えることにした。
厚い上着だけでは不足だと思い、下着のシャツから選び直す。
手元には2種類の網シャツがあり、網目のより細かい方を選んだ。
肌の上に暖かい空気層を作るためだ。
さらに薄い(ウインド)ブレーカーをシャツの上に着ようかと思った。
すなわち網シャツで作った体温の気層を、ブレーカーで覆うのだ。
だが、ブレーカーはむしろ外側に着て、寒気の風を防ぐのに用いた方がいいと思い直した。
夢には登場していないが、この他に防寒用の上着があり、それも着ることが前提となっている。

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このように、夢の中で重ね着対策によって寒気に対応しようと、至って合理的に試行錯誤している。
現実と異なるのは、服の種類が現実のものではなく、夢だけの選択肢になっている点だ。

夢では、夢主は与えられた文脈(環境)に冷静に対応しようとしている。
非合理的なものがあるとすれば、それは夢主ではなく、夢に与えられた文脈の方だ。

そう、夢は文脈(環境)を与える。
そして夢主はその所与の文脈(環境)の中で、それに適応するために、夢の中で懸命に思考して対応しようとしている。
なので夢の中で行動が普段と異なる場合は、災害などの緊急事態時に日常とは異なる行動を選択せざるを得ないのと同じだ。
文脈が非合理的なら、それに対する反応もその非合理性に適応するのが合理的だ。

すなわち、非合理なのは、夢主の行動ではなく、そういう反応をせざるを得ない、夢の文脈の方だ。

では、そのよう文脈を与える主体は何なのか。
自我よりも原始的な”無意識”(システム1)なのか。

私はそうは思わない。
原始的なシステム1では、記憶の再現がせいぜいで、あんな創造的なストーリー展開はできない。

夢はシステム2が文脈を構成する側と見る側に分離した自作自演体験だ、というのが私の夢の理解である。→夢を見る心④
ただ、リンク先の説明がわかりにくかったので、これについて別稿で改めて説明する。→夢:表象と自我の分離現象


大船:玉縄城,長尾氏史跡,観音様

2022年03月29日 | 城巡り

やはり屋外の散策は気分転換になる。
昨日の近場散歩に元気づけられて、今日は都外(隣県)に足を延ばす。

ただ早起きが必要な遠方やバスの便などの綿密な計画が必要な所は負荷が高いので、気楽に行ける所にする。
いくつかの候補から絞られたのは、小田原北条氏の支城として第一位の玉縄城趾があり(本来なら史跡になっていてもおかしくない)、関東戦国史にあちこちで存在感を示す長尾氏発祥の地がある神奈川県の大船(鎌倉市・横浜市)。

趣味にしている山城探訪と武士の史跡巡り、それに大船といえば駅前に屹立する大船観音があるので、仏像巡りもできる(大船観音は再訪となる)。
もっとも大船第一の名勝は田谷の洞窟(横浜市)だが、ここはちょっと離れていて、訪れたことがあるので、今回は省略。

東海道線で大船に行き、改札を出て、繁盛している反対側の西口(観音側)のバスターミナルに向かう。
玉縄城趾近くの「植木谷戸」を経由するバスは出たばかりで30分待つため、たいした距離でないので南西に向かって柏尾川沿いの県道を歩くことにする。
玉縄首塚から住宅街の裏道に入り、トンネルを抜けると、右手に玉縄城主が開山した龍寳寺の門があり、その横にこじんまりした玉縄歴史館がある。

無人だが開いていて、箱に200円入れて中に入る。
自分で室内照明をつけて展示室に入ると、玉縄城の縄張りの模型や玉縄城の発掘の情報があり、2階は地元の民俗資料が展示してある。
玉縄城趾の散策地図が自由に持っていっていいのがありがたい。
地元では史跡の指定を目指して整備に力を入れているようだ。

歴史館(照明を消す)の隣りに旧石井家住宅という江戸時代の農家(重要文化財)があり、さっきの200円はここの見学も含んでいる。
さらに奥に寺の本堂があり、本堂脇に玉縄歴代城主北条綱成・繁氏・氏勝の供養塔がある(古い石塔と新しい供養塔)。

Googleマップではこの近くに蕎麦屋があって昼食をあてにしていたのだが、あいにく今日はやっていなかった(その他に店はない)。
空腹をかかえて、いよいよ玉縄城の縄張りに入る。
人家が切れて山にさしかかると冠木門があり、切岸の下の七曲坂という登城路を登る(写真)。

登った先の高台は住宅地になっているが、一段高い所に太鼓櫓があったという緑地がある(弁当持参ならここのベンチで休むといい。木の間越しに大船観音が見える)。
さらに住宅地の中を進むと縄張りのほとんどを占めている清泉女学院の敷地入口に大手門跡説明板がある。
ここから城主の館があったという陣屋坂を下り、城下に下り立ってバスに乗って大船駅に戻る。

ターミナルでバスを乗り換え、今度は横浜市側に北上するバス(こちらは路線がたくさんある)に乗り、「小蓋山」という所(実は田谷の1つ前)で降りて、Googleマップをたよりに長尾砦跡に向かう。

農地と新興住宅が混じっている高台上にあるマップ上の場所には、いくら探してもそれらしきものはなく、あきらめて次の御霊神社に向かう先に、長尾砦跡の説明板があった(帰宅後、Googleマップに修正を依頼した)。

この付近の台地を”長尾台”といい、この長尾を名字の地にした鎌倉武士の長尾氏は、その後関東に拡散し、室町時代の関東管領(山内)上杉氏の家宰として、扇谷上杉氏の家宰・太田道灌とともに混乱する関東の安定に骨を折った(一族の1人、長尾景春はむしろ混乱させる側になったが)。
その遠縁である越後の守護代であった越後長尾氏から長尾景虎こと上杉謙信が輩出される。
上杉の跡目を継いだ謙信は関東管領となり、(名目上だが)関東の主に上り詰める。

といっても越後の謙信はこの長尾の地とはだいぶ縁遠いのだが、説明板は謙信を長尾氏一番の出世頭として繋がりをアピールしている(確かに戦国武将の発祥地は別の場所だったりする。武田は常陸、織田は越前、徳川は上野だし)

砦は看板しかないが、今でも残っている御霊神社は、その長尾氏の始祖である鎌倉権五郎影政を祀っている(写真)。
しかも境内は長尾氏の居館跡にもなっている(説明板あり)。
神社に向かう参道は長いものの、地元長尾台のローカルな鎮守でしなかないこじんまりした神社で、なにもない境内では小学生の女の子たちが一輪車で遊んでいる。

参道を下って「宮の前」からバスで大船駅に戻り、駅前の大船観音を目指して高台に登る。

高台の敷地は寺になっていて(観音像を単なるモニュメントではなく、本尊とするため)入り口で拝観料300円払い、さらに石段を上って、高台上に聳える大船観音と対面する(写真)。

昭和35年に完成した大船観音は、幼少時から家族の熱海旅行で電車が大船を通るたびに見ていて、駅に近づくにつれ、側面から斜めに突き出た頭部がぬっと出てくるのが(特に夜のライトアップで)不気味だったが、正面から見るお顔は優しさに満ちていてホッとする。

昭和期に造られた各地にあるこの手の巨大仏は、近くで見るとアラが目立つものだが、大船観音はむしろこのくらい近くで見た方が美しさを実感できる。
設計・工事ともにハイレベルだった証拠だ(設計および工事指導は彫刻家の山本豊市氏という)。
その意味でも貴重な美観音だ(内部にも入れる)。

結局昼食抜きで3箇所の見学を通してしまった。
空腹を埋めるため大船駅改札内の駅そば(いろり庵きらく)に立寄った。


谷中・上野観桜散歩:2022

2022年03月28日 | 歳時

世間では年度末の平日の月曜だが、勤務先では一応”春休み”なので、東京の実家にいる。
東京はすでに桜も満開だし、気温も高くなったので、少しは遠くに出かけようかと思うのだが、年度の切替り時期は学校関係者特有の鬱気に襲われるためか、遠出する元気が出ない(遠出するには、「よし、行くぞ!」という強い気持ちが必要なのだが、それが出ない)。
※:過去一年の業務のすべてが白紙に戻され、また1からやり直す新年度が始まる気の重さ。ただ、始まってしまえばこの鬱気は吹っ飛ぶ。3月末の今だけの状態。

なので、決心がいらない近所の散歩コース(谷中~上野)で桜を観に行くことにした。

正午前に西日暮里の店で定番の昼食(五目焼きそば)を食べて、出発点となる諏方神社の高台(諏訪台)に登ると、咲き誇った桜が迎えてくれる。
※日暮里・谷中の鎮守である諏方(すわ)神社は、諏訪ではなくこの字。ただし台地名は諏訪台。
この桜の花を観ただけで、鬱気が消えていく。
それまでの冬枯れの寂しい枝から一変した桜の”時限的な”華やかさは、”今だけ”という儚さを伴ったものだけに、むしろ焦燥感さえもたらし、鬱気がベースになければ、ハイ(躁)になってしまうほどだ。

谷中霊園の桜並木は、桜も人の量もともに手ごろで、近所の名所的な安心感がある。

霊園を出て上野に向かう所に、今まで素通りしていた多寳院(真言宗)という寺の桜がきれいなので、初めて立寄ろうと門に向かうと、「吉祥天安置」との石標がある。

私は昨年夏以来、吉祥天のファンになり(→吉祥天をお迎え)、吉祥天を求めて詣でているのだが、幾度も歩いた近場の散歩コースに吉祥天が祀ってあったとは。
石標でアピールしているだけに、閉まった本堂の隣に吉祥天を祀る堂があって、ガラス戸越しにきれいに彩色された吉祥天を拝める(写真)。
かように吉祥天は、如意輪観音や弁才天以上に女性美が表現される分、眼福を味わえる。

そこから今の時季に歩くにふさわしい”上野桜木”を抜け、赤煉瓦の校舎に桜が映える東京芸大を過ぎて上野公園に入る。
公園内を南下すると有名な丈の低い”上野の桜”の並木になる。
コロナ禍が幸いしてか、桜の下での宴会が禁止されているので、通行人が平等に満開の桜を堪能できる。
道脇の清水観音堂を桜越しに見上げ(写真)、観音堂に上がれば、清水の舞台上から桜越しに不忍池の弁天堂を見下ろす。

桜並木を抜けて最後は上野広小路に降りる。
ここまで来たなら、さらに山手線1駅分歩いて秋葉原に向う。

久々の秋葉でいつもの店々を巡り、名古屋宅用の電動鼻毛カッター(320円)を買う。

観桜も歩きもこれで充分。

今回歩いた山手線6駅分を電車で戻った。


私が普通のイヤホンを使わない理由:追記

2022年03月28日 | 健康

鼓膜が原因の難聴になっている私だが、スマホ・タブレットでの音楽とラジオ番組(ポッドキャスト)の愛聴はやめられない。
といっても聴く時間は、もっぱら外出・移動中に限られる。

となるといわゆるイヤホンの使用となるが、振動波で鼓膜を痛めることはしたくない。

そこで、普通のイヤホンを使わず以下のようにしている。

電車などの乗り物の中では、ノイズキャンセリングのイヤホンを使う。
騒音をカットすることで、必要以上に音量を高めずにすむから。

ただノイズキャンセリングで街中を歩くのは危険だ(車の接近音がわからない)。

なので歩行中は、骨伝導的なイヤホンで鼓膜を経由せずに音を聴く。
逆にこのイヤホンは騒音が空いた耳から入るし、音漏れするので電車内では使えない。

ただ骨伝導式は音質が悪い製品があるので、耳を塞がずにその近くにスピーカを配置する骨伝導的なUCOMX(中華製)のものを使っている(4500円ほど)。

ノイズキャンセリングのイヤホンは、その機能が高くないと意味がないので、3万円ほどのBOSEのものを使っている。
追記1:この製品、ノイズキャンセリング度合いをアプリで任意のパターン設定でき、イヤホンのタップで選択できる。最初から選択肢にあるawayモードはキャンセリングオフ(不快な音はカットしてくれる)なので、骨伝導イヤホンも不要になった。
しかもBOSEのノイズキャンセリング・ヘッドホンの方も持っているので(こっちを先に買った)、新幹線の中ではBOSEのノイズキャンセリング・イヤホンにノイズキャンセリング・ヘッドホンを重ねて使っている(ヘッドホンは耳が蒸れるのでこういう所でしか使えない)。
追記2:重ねて使うと新幹線の走行音も聞こえなくなる。ただノイズキャンセリング機能自体は同社の有線のイヤホンの方が強かった。

以上、出費的には大きいが、聴覚技術におけるノイズキャンセリングおよび骨伝導という、ともに鼓膜に優しい技術そのものに価値があると思っているので、出し惜しみしないでいる。


閉眼片足立ちが困難な人へ:両足直線立ちの勧め

2022年03月26日 | 健康

世間には閉眼片足立ちにトライしている人が一定数いるようで、私のそれについての記事に毎日アクセスがある。

まず、片足立ちは、片方5分ずつやるだけで、それぞれの脚の殿筋から足底筋まで鍛えることができるので、とても効率的(スクワットのように膝関節に負荷をかけないし)。
筋トレとしてなら眼でかまわない。
これを閉眼してやると、小脳のバランス感覚のトレーニングが加わるのだが、いかんせんここで困難度が格段に上がってしまう。
すなわち筋肉の負荷は同じなのだが、視覚情報の遮断で小脳のバランス維持機能が暴走するのだ。→「片岩片足立ちが困難な理由

眼片足立ちでの5分は、バランス的にはなんら困難がないのに、同じ姿勢で閉眼するだけで最初は10秒ほどしかもたなかったが、練習しているうちに1分は持つようになった。

ただ5分連続の閉眼片足立ちはいまだに達成していない。

閉眼+片足立ち+5分という3条件のハードルが高すぎるようだ。

そこで、ハードルを下げるために、片足立ちではなく、両足を直線上に前後して閉眼で立ってみた。

これは小脳機能チェックに使われる姿勢なので、充分小脳トレーニングになる。

この姿勢で閉眼すると、前後に並んだ足の左右の縁内での重心の移動を足首が敏捷に反応して左右にカウンター的に動くことで、足底面が回内・回外して、重心の揺動が膝から上に拡散せずにすむようになる(身体の重心を崩す大きな揺れは上半身が動くため)。
この足底面の回内・回外による重心調整は片足立ちではできなかった対処法だ。

この動きを身につけることで、それぞれの足の前後を替えて、5分づつの閉眼立ちができるようになった。
すなわちこちらの閉眼両足直線立ちの方が、ハードルが低く、しかも練習効果がはっきり出てやりがいがある。
ただし、両足立ちなので脚の筋トレにはならないのが残念なところ(筋トレは眼片足立ちでテレビでも見ながらやればよい)。

次なるステップとして、閉眼両足直線立ちから目標とする閉眼片足立ちへの移行過程に入る。
すなわち、両足直線立ちのたとえば後ろ足の踵を上げて、接地面を二足分から一足半に減らす。
それができたら、後ろ足を爪先立ちにして、接地面をさらに一足分に近づける。
このように、多段階化することで閉眼片足立ちへのハードルを下げることが可能となる。


立木観音に立寄って失せ物

2022年03月23日 | 

栃木県の日光は宗教的史跡と雄大な自然がミックスした関東でもトップクラスの観光地で、これに匹敵するのは神奈川の箱根に(小田原ではなく)鎌倉を合わせたくらいなもの。
そんな日光なので、湯元温泉の往きに寄ろうと思っていたが降雪のために寄れなかった寺を帰途に寄ることにする。

湯元から観光バス仕立ての快適な路線バスに乗って、雪原になっている戦場ヶ原を縦断し、中禅寺湖畔の「立木観音入り口」で降りて、湖畔東岸の雪道を南下し、立木観音に到着。
ここは道路標識も「立木観音」になっているが、正式名は日光山中禅寺(”中禅寺湖”の元がここ)。
奈良時代に男体(二荒)山に初登頂した勝道上人が開いた由緒ある寺だ。
ここから見る男体山(2486m)は、富士形のきれいな円錐形(写真)。
また中禅寺湖の奥に、関東以北の最高峰である日光白根山(2578m)が白い肌を見せている。
※:関東・東北・北海道を(なんなら近畿以西も)含めての最高峰。ちなみに2位は群馬の浅間山(2568m)。男体山は3位。

拝観料400円払い、本堂に入ると、作務衣姿の寺の人(有髪なので僧侶ではない)がやってきて立木観音の説明をしてくれる。
正面に拝む大きな立木観音(重要文化財)は勝道上人作と伝えられる巨木の一木造りの千手観音で、像の足元には木の根が残っている。
お顔は地方色のある素朴な面立ちだが、円空仏に繋がるストレートな彫りで、稚拙さは感じられず、じっと拝んでいたい気持ちになる。
ただ、私1人のために説明要員として残っている寺の人に悪いので、お礼をいって順路を進む(寺の人は戻っていった)。
奥の建物に入ると、五大明王が奥に祀ってある。
五大明王(不動、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉)が揃っているのはなかなか壮観だが(近くでは見れない)、係の人がさまざまな利益(りやく)の祈祷を勧めてくる。
”利益”を求めてのお参りではないので、祈祷は頼まない(自分がスピリチュアルレベルに目覚めると、自力でパワーを発揮したくなるし)
順路に従って進むと建物の外に出る。
そのまま帰路になるので、今一度立木観音を拝みたく本堂に戻る(またお寺の人が出てくる)。
境内で錫杖型のお守り(1000円)と、本尊の御影(100円)を買った。
私が寺巡りでコレクションにしているのは、御朱印ではなく、個性的なお守りと本尊の御影。

中禅寺湖畔を戻って、「中禅寺温泉」のバスターミナルに行き、日光駅行きのバスに乗る。
その時、バッグの中に入れているはずのポケットWi-Fiが見当たらず、湯元発で乗ったバス内に置き忘れたことに気づいた
車内で現在位置を地図で確認しようと、Wi-Fiをオンにするためにバッグから出して、座席に置いたままにしたに違いない。
最近では旅先の宿にたいていWi-Fiがあるので、ポケットWi-Fiはほとんど使わないが、バス内や歩きでiPadの地図を見たりメールチェックに使う(新幹線や東武特急には車内Wi-Fiがある)。
そして使わなくても毎月定額の使用料は引き落とされている。
契約を中途解除すると違約金を取られるので、紛失しても使用料を払いつづけるハメになるのか。
立木観音に立寄るためにバスを途中下車しなければ、と後悔しても始まらない。
立木観音が悪いのではない。

私はあちこちで持ち物を紛失するのだが、実はことごとく届けてもらって手元に戻っている。
前回の日光の旅でも、東武の特急車内に帽子を忘れたが、帰りの東武日光駅に無事届いていた。
今回も同じ東武のバスなので、それを期待して、バスの中から携帯で東武バスの日光営業所に連絡してみた(フリーパス購入時にもらったバスの案内図に電話番号が載っていた)。
すると期待通り、私のWi-Fiは営業所に届いていた。

これに安心して、立木観音に寄り道した後悔は吹っ飛んで、次に予定していた輪王寺の三仏堂を拝観するため、再び途中下車する。

前回は三仏堂が改修工事中だったので、新しくなった三仏堂とその中身を見たい。
まず外観だが、東照宮ほどでないにしても建物にも金ぴか要素があるのは日光的(写真、三仏堂の裏側)。
拝観料500円払って、金ぴかの三仏(千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音)を拝む。
順路を進むと、直下から三仏を見上げることができる。
ただ造りは上等とはいえず、さらに金ぴかすぎて日本人的には有難みが減じる(実際、文化財に指定されていない)。
写実性の乏しさは同じながら、造形として独特の味がある立木観音の方がいい。
といっても三仏堂内には他にもいろいろな仏像があるので、一見には価する。

今回は三仏堂だけでいいので、総合会館前からフリーパスで乗れる巡回バスに乗って東武日光駅に行き、
少し歩いて営業所の詰め所に行って、我がポケットWi-Fiを有難く受け取った。
失せ物が戻るということは、客観的な損得は±0なのだが、主観的には+側に嬉しくなる(その理由は行動経済学だけでなく、存在論でも説明可能。その解説記事→携帯の在る生活)。

なので、帰りの特急(けごんの伝統的車両だった)内で第三のビールで祝杯を上げた。


慰労の日光湯元温泉

2022年03月22日 | 温泉

年度末慰労の温泉旅第三弾は、日光湯元温泉(栃木限)。

先の地震で東京電力管内が電力不足の中、関東に思わぬ寒気が入り、栃木県は雪。
その雪を縫って、私は東武特急”けごん”に乗って、一路日光に向かう。
東京は雨だったが、埼玉の春日部から雪になり、標高500mの日光は完全な雪景色。
本日に宿を予約したのだから仕方ない。
東武バスで終点の日光湯元温泉に向かう。

実はこの時期ならではの湯元温泉旅なのである。
日光駅から、いろは坂、中禅寺湖、戦場ケ原を経て、日光最奥の湯元温泉までの東武バスのフリーパスチケット(往復使える)は、冬期(3月末まで)は、宿泊者に限り半額なのだ(3000円→1500円)。
冬期の平日でもバスの便は30分ごとにあるので、途中の日光山内、華厳の滝、明智平など自由に途中下車できる。
それを見越しての今回の旅だったが、あいにくの降雪。
なので寄り道せずに湯元温泉に直行した。

宿は休暇村で、湯ノ湖の湖畔にある。
客室から、オットマン付きのイスに坐って、雪の湖畔を眺めながら持参したノートパソコンで記事を打っている。
雪は夕方に止んで青空が出てきた。
外に出てみたら今回の降雪量15cmほどが積雪に加わっていた(写真)。

宿の温泉は、源泉が近くにあり、掛け流し(源泉が70℃以上の高温のため加水はしている)。
泉質は硫化水素泉なので、硫黄のにおいがして、湯は薄緑から薄青に変色する。
浴槽には薄黄色の湯の華が隙間なく密着している。
かように”THE・温泉”という雰囲気たっぷりの湯に浸かりながら、雪の舞い散る中、露天で雪見風呂と洒落こむ。
雪の中の露天だと”頭寒足熱”が維持されるので長く入れる。
日光地域には温泉はいくつか有るが、泉質から本物といえるのは湯元温泉。

それにしても”硫化水素”って天然の毒ガスで、噴気地帯では死者が出るし、集団自殺に使われるほど致死性がある。
浴室にはそれが薄い状態で漂っている(通気性をよくするため、浴室入り口はドアが開放されている)。
館内にも薄く硫黄臭が漂い、室内の金属も腐食している。
かように希釈された毒ガスの溶液に、わざわざ遠方からやってきてお金を出して有難がって浸るのは、放射能泉と同じく、ホルミシス効果があるからなんだろう。
宿にいる間は、あがり湯はかけず、硫黄の香りがする硫化水素成分をゆっくり肌に浸透させる。

大学の用事(準備)もほとんど済ませたので、今晩は仕事を忘れて、湯と食事を堪能したい。


地震の”縦揺れ”と”縦波”は別物

2022年03月18日 | 防災・安全

今回の地震の話題で、ラジオの某有名なキャスターが、地震での”縦揺れ”と地震波の”縦波”を混同(同一視)して解説していた。

確かに混同しやすいが、間違った情報を世に広めてもらっては困るので、ここで訂正をしておきたい。

縦揺れ/横揺れは、人間が立っている地点での地面の揺れの方向の話で、垂直軸での揺れが”縦揺れ”で、水平軸での揺れが”横揺れ”であることは問題ない。

一方、縦波/横波は、地震波の進行方向に対する区分けで、体感的な揺れの方向の話ではない。
縦波は、地震波の進行方向に、いわば前後(≠上下)に揺れる波で、だから波の進行速度が速いのでP(プライマリー)波と言われ、観測点にまっさきに到達する。
ただ地面を揺らす力は弱く、体感されずに、緊急地震速報として通知されてはじめてわかる程度。

一方横波は、地震波の進行方向に直角に揺れる波(地震計が左右にぶれる波)で、こちらは地面を揺らす波で、そのかわりP波より遅く、S(セカンダリー)波と言われる。

つまり、縦揺れ・横揺れと、縦波・横波とは定義が全く異なる別の現象(防災士の教材に載っている)。

ということは、われわれが感じる地面の揺れは、縦波ではなく横波に限った話。

次に、横波による縦揺れ(上下動)と横揺れ(左右動)の話に移る。

震央(震源の地上)では、たとえば今回のような逆断層型※(押す力による破壊)の地震なら、下から突き上げる”縦揺れ”から始まるが、震源から離れて水平方向から地震が来るところでは”横揺れ”がメインとなってもおかしくない(高層ビルが左右に揺れる)。
※:地震は地下の断層活動で、正断層・逆断層は鉛直のズレ、横ずれ断層は水平のズレを発生される。

たとえば海の波(=進行波)では、目に見える上下動の波が縦揺れで、その波を進行させる潮流が横揺れに相当する(もう縦波・横波の話ではないからね)。
足がつく海水浴場で、やってくる波を受けると、上下動とともに進行方向へ押す動きの両方の力(揺れ)を感じるはず。
このように震央以外の水平方向から伝わってくる地震の揺れは、縦揺れと横揺れが混ざった力であるから、「今のは縦揺れだった」とかいう住民のコメントは、主観的印象(どちらに敏感か)にすぎないので、私は聞き流す事にしている。
どちらの要素が強かったかは、地面の亀裂や段差、理想的には鉛直動と水平動を別個に計測する地震計などの客観的証拠が必要だ。


地震:東京宅の影響

2022年03月17日 | 防災・安全

昨晩起きた福島沖の M7.3の地震。
※兵庫県南部地震(阪神淡路)、熊本地震と同じエネルギー。

その時私は名古屋宅にいて、寝床について福島第1原発事故を扱った映画「FUKUSHIMA 50」をノートパソコン画面で観ていた。

最初は小さい揺れであれっと思い、次に部屋干しの服があきらかに揺れ動くのを見た。
タブレットの地震速報がたて続けに通知をよこしてくる。
テレビのNHKをつけると、宮城・福島で震度6強の地震という。
そして走行中の東北新幹線が脱線したという(時速200kmを超える列車が震度6強の地震の直撃を受けても脱線ですむ(負傷者0)のは、かえって信頼感が増す。中越地震の時の上越新幹線も脱線で済んだし)

名古屋宅では震度2程度の揺れだったが、自宅のある東京では震度4に達しているようだ。
震度4は、かなりの揺れを感じ、棚の上の物が落ちたりするが、負傷者が出るほどではない。
また、東京で広範囲に停電が発生しているようで、ネットで検索すると文京区でもかなりの停電戸数の模様。
といっても安否を確認するほどでもないし、どうせ明日帰京するので電話はしなかった。

翌日の今日、青春18きっぷで6時間かけて帰京し、母に地震の様子を尋ねた。
地震の時は、母は入浴しようと浴槽に片足を入れたところだったという。
そしてすぐに停電になったという。
ただし、浴室は危険がないので、なんと暗闇で湯が揺れる中入浴を続けたとのこと。

近所も停電で、外は真っ暗になり、たぶん交差点の信号も停電していたろう。
ただし電気は2時すぎに復旧したという。

同居している弟一家の居間がある3階では、オーブントースターが床に落ちてガラス面が破損したという。

あと家には身障者用のエレベータがあるのだが、復旧には点検が必要なので、翌日昼まで使えなかったとのこと。
まさに停電するとエレベータの復旧に手間がかかるようで、近所のマンションの高層階の住民も不便をきたしたようだ。

自分の部屋では、もともと安定の悪かった仏像フィギュア1体が飾っていた本棚から床に落ちていて、他にいくつかのフィギュアが棚の位置を移動していた。

このように地震の被害はなくても停電は発生する。
夜の停電で困るのは明かりだ。
さっそく防災用照明の充電をしなおした。


『世界は「関係」でできている』:量子論と龍樹

2022年03月14日 | 仏教

これは2020年にイタリアで出版された最新の量子論の本(邦訳はNHK出版より2021年)。
伝統的な物質観では矛盾してしまうものの、実証されている”量子論”をなんとか理解したいがために購入した。
※:たとえば以下が伝統的な物質観が通用しない量子(陽子、電子、光子など)現象
①量子は粒子でありかつ波動である:相補性
②量子は複数の場所に同時に存在しうる:重ね合わせ
③量子のペアは互いに影響しあわずに(遠く離れていても)組合せられる:もつれ

量子が”特定の性質をもった物質”という前提であるかぎり、理解不能なのである。
そこで、量子は分子→原子→の先にある究極の物質としてより、モノを可能にするコトとして理解すべきではないか、という視点ができつつある。
※:ハイデガー的に言えば、”存在者”(存在するモノ)を可能にする”存在”(存在するコト)。

この本の著者であるイタリアの理論物理学者カルロ・ロヴェッリは『時間は存在しない』(NHK出版)でも知られている。

本書のタイトルから、言わんとする事は予想できるので、理解を確かにするため、本書を読む前に龍樹(ナーガールジュナ)の本(『根本中頌』(中論)の解説本)を読んでおいた。
龍樹は、大乗仏教の基本概念である”空”(くう)、すなわち有でも無でもなく、そのどちらでもある存在の本質を主張した。
※龍樹の実際の論理はこの2倍複雑。空は有と無の両端に対する”中道”であるという。空は有/無の二元論理そのものを否定しているわけだ。二元論理はシステム2の概念的思考そのものが胚胎するバイアス(自覚されない認知的偏り)で、龍樹はそのバイアスを批判しているのだ。

そして事象はこれらの縁起(相互作用)によるものとして、存在の単独性が否定されている(量子はもつれているのが当たり前)。
※:縁起説は、釈尊の頃(阿含経)から言われている。

果たして本書を開いたら、あにはからんや(実はうすうす期待していた)、そのナーガールジュナについて語られていた。

といってもロヴェッリは、仏教にはとんと無縁で、ナーガールジュナについても知人に「読んでみろ」と紹介されて初めて知ったという。
そしてナーガールジュナの著作の英訳(イタリア訳は無いらしい)を読んで、21世紀の量子論者が達した物質観が2千年近く前のインドで主張されていたことに「深い感銘を受けた」という。

肉眼レベルでは物質に見えるものも、その構成要素を突き詰めて分解すると、物質ではなく、相互作用の網の目になるという。
すなわち世界は縁起のネットワークであり、「色即是空」なのだ。
※:般若心経を知っていれば、あえて龍樹を読まなくても空観は理解できる。
さらにロヴェッリは自我の実体視も否定していて、「諸法無我」に達している。

結局、現象として在ること(測定可能性)は実体(モノ)として在ることではない。
今までの科学は、現象の背後に実体があると想定していたのだが、実証科学である量子論でそれが否定された。

このような世界認識(空観)は、ニヒリズムでも懐疑主義でもない。
ロヴェッリ自身、ナーガールジュナの主張を読んで「自身を愛着や苦しみから解き放つ助けとなる」と言っている。
それこそが仏教の目的だ。

本書はこの話題で尽きているわけではないが、関係論という主題部分にナーガールジュナ(龍樹)が燦然と輝いていたので、そこの部分を紹介した。


吉本隆明の『反原発異論』を読む

2022年03月11日 | 作品・作家評

東日本大震災から11年目の今日、あえて吉本隆明の『「反原発」異論』(論創社)を読んだ。
※:よしもと・たかあき(私の周囲では「よしもと・りゅうめい」)。この本での紹介は「日本が世界に誇る文学者・革命思想家」。私は氏に影響を受けた世代よりやや下だが、『言語にとって美とは何か』『心的幻想論序説』『マス・イメージ論』などは読んだ。実は氏の居宅は近所で、自転車に乗る氏の姿を谷中銀座で目撃したこともあった。

11年前の福島原発事故直後、その時すでに各地のラドン・ラジウム温泉で放射線を計測してきた私は、当時次々と報告される放射線値について、このブログで解説をしていた。

あくまで放射線医学に準拠し、また日常生活での放射線量を計測してきた立場から、客観的に計測値を評価する姿勢を堅持していた点が、ネットでも評価されていた。
原発事故に対して、東電と政府には怒りを表明していた一方、政治的意図で危険性を煽る陣営には与(くみ)しなかった

問題は、事故を起こした原発対応が一段落した4月以降である。
世間は、「こりごり」という感情で、脱原発にどっと傾いた。
その気持ちはよくわかる。
航空機事故が起きた直後は、私でも飛行機に乗りたくない。
また遺族が飛行機を忌避し続けても理解はできる。
ただ、それでこの世から航空機を廃止せよとは思わない。

世間が、脱原発に傾く2011年、86歳になった吉本隆明は、独り敢然とその空気に異を唱えた。
老いてもなお視点をずらさない氏の面目躍如である。
文学者・革命家以前に、筋金入りの”化学者”であった吉本は、科学という人間の営為の進歩(問題解決能力)を信じ、そして宇宙の謎の解明に資する E=MC^2という、物質(M)からエネルギー(E)への転換メカニズムを手にした人類にとって、この核技術は絶対に推進すべきもの(ただし安全の確保を伴って)と主張している。

すなわち核技術は、特定の政治イデオロギーや一時的な気分で、葬り去るべきどうでもよいレベルのものではなく、人類史レベルの視野できちんと確実に手にすべきものと主張している。
もちろん能天気に礼賛しているのではなく、強大な技術を手にしてしまった人類の原罪として、それを背負って覚悟をもって制御技術を発達させるべきという。

時代の気分に左右されず、人類史レベルの視野でこの強大なテクノロジーに付き合っていくことを主張していたことを今更ながら知って驚いた。

こう主張して東日本大震災の翌年の2012年3月16日に87歳で亡くなった吉本は、最後まで「考え続けること」を実践してきた。
考え続けることこそ科学の探究に通じる。
吉本は人間の知力、知的前進を信じるという基本スタンスを貫いたため、人間(他者)不信を前提にした悲観論を批判したのだ。
マルクスやレーニンに準拠した「革命思想家」でありながら、いわゆる既存の左翼勢力と袂を分わったのも、彼らに巣くう”思考停止”癖と相容れなかったためだろう(逆にいえば、多くの”吉本信者”が氏についていけずに脱落していった。吉本が変節したからではなく、時代の気分(その時だけの正義)に阿(おもね)らない頑(かたく)なな吉本についていけなくなったのだ)

吉本の論から離れるが、そもそも原発は、核の”平和利用”という目的で推進された。
この”平和利用”とは、表向きは電力利用に見えるが、裏の目的は潜在的核保有能力の維持である(石油エネルギーの代替や近年の温暖化対応などの理由はすべて後付け)。
いうなれば、核実験をせず、核ミサイルを所持せずに、その能力を保持する、安全保障戦略である(国の安全保障の一環なら、民間電力会社にまかせる事業ではないのだが、表の理由が”電力の安定供給”であったため、電力会社に運営させた)。
だから、日本の軍事力強化の否定を最重要とする左翼勢力が、”反核・反原発”とひと括りにして反対したのだ(電力会社が原発の安全性をいくら強調しても、地域住民でない左翼勢力が反対の旗を絶対に降ろさなかったのはこのため)。

もちろん吉本の主張は、核技術が発電だけでなく兵器に使われることも認めた上での事である(核兵器に対する80年代の世界的な「反核運動」に対して、当時すでに『「反核」異論』を唱えていた)。

地球に住まう生物にとって起こりうる最大の危機は、白亜紀末期に起きたような巨大隕石の衝突であるが、それに対処できるのは核爆弾しかないのではないか。
こう思う私は、(視野が同じため)吉本の主張に基本的に賛同する。
ちなみに核廃棄物については、吉本は、宇宙に打ち上げて代謝(放射)させるという案を出している。宇宙線がばんばん飛び交っている宇宙では核反応は通常の代謝現象だから。かように吉本は宇宙的視野で核を眺めている。

現在の廃炉という文脈においても核制御技術の進歩が要請されている(たとえば半減期を短縮する技術開発が進行中)。

ただし、東京電力が原発を運営することには反対する。
それは福島原発事故を起こしたからではなく、その後の柏崎刈羽原発でのずさんな対応が明るみに出て、原発事故を起こした体質が依然改善されていないことがわかったから。


定宿だったのに

2022年03月10日 | 

慰労の温泉第2弾として、東濃・中津川市にある定宿(ホテル花更紗)に泊まった。
昨年7月以来の定宿は、行って初めて知ったことには、経営主体が替わっていた。
こういうご時世、合理化をせざるをえないということはわかる。
従業員も一新されたようで知っている顔がない。
設備的には変化がなく、あとは食事内容が気になる。

その夕食だが、いわゆる1皿ずつ出す”懐石”になったためか、やたら間延びして、以前(複数の皿がならぶ会席)なら40分で終った食事がなんと2時間弱かかった。
純粋に待ち時間が長くなったからで、次の皿を待っている間に読書が進んでしまった。

そして、なんとすべての料理が終った後に白米だけが出た。
一部の日本人は、白米を漬物だけで食べるようだが、それはたぶん白米が珍しい一部の農民の風習で、白米を前提とした正式な和食(本膳)の作法ではない(ご飯と複数のおかずを交互に食べるのが正しく、漬物はご飯のおかずではなくお茶請け。
ちなみに本当の懐石は「一汁三菜」で、ご飯と汁におかず3皿がセット。
本膳料理の流れを汲む会席なら、自分でごはんのおかずを調整できるが、1皿ごと持っていかれる”懐石”だとそれがほとんど不可能。
1皿ずつ出すコース料理形式なら、ご飯はパンと同じく複数の皿に対応する位置づけになるはず。

この宿でも以前そうなった時に、白米だけを食べるのは作法的にありえないと指摘したら、それ以来ずっと必ずジャコ飯など、味付けご飯にしてくれていたのだが、改悪されてしまった。

上の2つの理由で、この宿で食事をしたいという気持ちが消えた。

この宿固有の上品な接客サービスが好きだったのだが、それが経営が代わって通俗レベル(駐車場で出る車に深々とお辞儀をするものの)に落ちたので、もうあえて泊るに値しない。
残念ながら20年以上続いた定宿のリストから外す。


青春18きっぷ対応アプリ比較

2022年03月07日 | 

3月になったので、例年通り「青春18きっぷ」にて東名間をいつもの1/4の料金で行き来する。
例年と違うのは、18きっぷ利用時に買っていたポケットサイズの『小型全国時刻表』が発売されなくなったこと。
まぁ東名間の、すなわち JR東日本とJR東海のダイヤは例年変化が小さいので、なくてもなんとかなるが、やはりずらりと時刻が並んだ時刻を眺めながらあれこれシミュレーションするのも鉄道旅の楽しみのひとつだ。

ということでやはり時刻表を参照したい。
ただし大版の『JR時刻表』は旅のお伴になれないので、スマホアプリの時刻表が使えるか試した。

まずはポケットサイズの電子版に相当するらしい「時刻表Lite」。
本来は有料アプリだが、ダウンロードした最初の1ヶ月は無料で使えるので1ヶ月しか使わない18きっぱーにうれしい。

画面に出発駅と目的駅、それに日時を指定し、「18きっぷ」を選択すると、鈍行利用に限定した検索結果が出る。
言い換えれば、時刻を眺めてのシミュレーションはできない。
そして検索結果は残念ながら、合格点に達しなかった。

たとえば、山の手線内の田端から名古屋までとして18きっぷで検索すると、熱海行きに乗り換えるのが東京駅と出る。
おいおい、今では熱海行きは東海道線直通の上野東京ライン(高崎/宇都宮発)だから、手前の上野で乗換えた方が、席を確保できるんだぞ。
さらに他の選択肢として東京より先の新橋や品川乗換えが出てくる。
乗車時間が余計にかかるだけのまったく無意味な選択肢。

それと熱海から浜松までの間は、熱海発静岡行きに乗るのはいいが、終点の静岡で浜松行きに乗り換えると出る。
おいおい、浜松行きは静岡の手前の興津始発なので、終点の静岡まで乗らずに興津で乗り換えた方がこれまた席が確保できるんだぞ(18きっぱーは皆そうしている)。
時刻表を眺めれば当然出てくるこの選択肢が出てこず、もっとも単純な(最適でない)解しか出ない。
要するにアルゴリズムが低レベルで高度な利用に堪えない。

それに対して、アプリではなくネットサイトの「乗換え案内 ジョルダン」(無料)で同じ内容で入力し、18きっぷ用で検索したら、こちらはちゃんと、上野と興津で乗り換えるように出てきた。
こちらも時刻ではないが使うならこっちでいい(ずっと無料だし)。


千葉の博物館巡り

2022年03月06日 | 東京周辺

東京の隣の千葉県にはもちろん幾度も足を運んでいる。
千葉県で一番人気のTDLは私のような人間には選択肢外だが、千葉県は登山の対象となる山こそないものの、海が2方向に開けて、由緒ある寺もある。
それどころか、かつて幕張新都心(京葉線の海浜幕張)に数年間週1で通勤していた。

それなのに、千葉県第一の街、県庁所在地の千葉に足を運んでいない(幕張は行政区画上は千葉市内だが、そこから見る千葉の街は海岸線のずっと先の霞の彼方)

実際、千葉(以下、県ではなく千葉市街を指す)って東京からの距離では、神奈川の横浜、埼玉の大宮とほとんど同じなのに、なんか心理的に遠い。
街としてのイメージ(特徴)が得にくく、行く目的が思い当たらないためか。

千葉にはまさに地名を名字とした千葉氏の亥鼻城があるが、千葉県の武将だと安房の里見氏の方が存在感があり、というより千葉氏自体が歴史的にはグダグダな成り行きなので、いまいち関心を引かない。
そんな中、千葉市周囲の地図を眺めていたら、加曽利という所に貝塚遺跡と博物館がある。
そう、加曽利といえば、「加曽利式」という縄文土器の名称になっているほどの土器の発掘地。
博物館のミュージアムショップで土器か埴輪のレプリカを買いたい。
ということで、加曽利貝塚をメインにすることで千葉を訪れる気になった。

ただ、千葉初心者としては、まずは千葉を概観的に理解すべく、地元の博物館から始めたい。
そこで、県立の中央博物館と亥鼻城趾にある市立の郷土博物館を最優先とし、それと挨拶として外してならない地元の鎮守社を参拝する。
加曽利貝塚は市内からはちょっと離れているので、これらの後に行くことにする。
前日、ネットで市内バスの路線を確認して、ルートを決めた。

さて、当日、日暮里から京成を乗り継いで京成千葉で降りる。
まずは 隣のJR千葉の駅ビルで腹ごしらえをと思ったが、予定していた店はJRの改札内にあって、京成千葉からだと入れないので、あたりをうろうろするはめに。
なんとかして、前日のネットで候補の1つにしていた店で”北京焼きそば”を食べる。

ここからバスに乗って中央博物館前で降りるが、バス停からは数百メートル歩く。
実は JR・京成の千葉駅は千葉の市街の端っこにあり、役所や博物館のある中心地へはバスが必要(市街地寄りに「本千葉」・「千葉中央」という駅があるが、これらはバスの便が悪い)。

ちょうど正午に博物館に入る(年齢的に無料)。
ここは県立なので、千葉県全体を視野にいれた展示になっていて、しかも自然(地質・地形、植物・動物)と歴史(先史~現代)の両方という充実ぶり。
なので千葉市どころか千葉県初心者が、まずは訪れるに価する。

そもそも千葉県は、房総半島南端の安房、半島中央部の上総、半島付け根の下総の三国からなっていて、それぞれ地形も歴史も異なる。
安房は、黒潮の分流が館山湾に入り込む温暖の地で、遠い四国の阿波と黒潮でつながっている。
安房の国境を画す山地は、標高こそ低いものの、隆起高度は3000mにも及ぶということで浸食がこうも激しくなければ、日本アルプス級の山脈になっていたという。

丘陵地帯が多い中部の上総は、相模の三浦半島が指呼の先で、旧東海道は三浦半島から上総に達していた。
今では東京湾アクアラインが上総と神奈川を結んでいる。
半島中央部にある磁場逆転層の上の地層が地質年代の第四紀更新世中期(に相当)の時代名として「チバニアン期」と命名された。

下総のあちこに見る浅い谷地形を利用した田んぼは”谷津田”(やつた)という名称で(写真は谷津田の模型)、独特の風景と民俗を発達させた(そういえば千葉の近くに「谷津遊園」っていうのがあったな。谷のことを”ヤツ”というのは相模も同じで、鎌倉の地名にも多い)。

また千葉県に生えているツチアケビというアケビ(植物)は、なんと自分たちの根にからんできたキノコを食べるという。
木はもちろん昆虫をも食べるキノコ(菌類)より強い植物があったとは。

というわけで、千葉県の何たるかが、じっくり学べてとても充実して、なんと見終るのに3時間もかかった(今は午後3時)。

次なる郷土博物館はバスで戻るのだが、あの遠いバス停に達する目の前でバスが行ってしまった。
街中なので次のバスは10分後だが、ネットナビで目的地を検索すると徒歩9分で行けるので迷わず歩く。
千葉市立郷土博物館は台地上の亥鼻城趾にあるためか、天守閣を模した作りになっている(写真)。
こちらは誰でも入館無料。
今は千葉常胤(「鎌倉殿の13人」の1人)の特集をやっていて、入り口には常胤の幟が並んでいる。
こちらは千葉氏に特化した内容で、あとはどこの郷土資料館にもある庶民の暮らしぶりの展示。
すべてを丁寧に見ていたら時刻は4時半をまわり、職員は閉館の準備をしだす。
こんな時刻なので、加曽利貝塚はもう間に合わないので諦める。

訪れた郷土博物館ではできるだけ刊行されている郷土資料を購入したい。
ただ今回の展示テーマである千葉氏にはあまり興味はないので、ざっとわかればいいと思い、『千葉常胤公ものがたり』という漫画本を購入(180円)。
外に出て、亥鼻城趾の碑のある高台(説明版によると、どうやらここは千葉氏の鎌倉期以来の城ではなく、家臣の原氏の戦国期の城らしい)を巡り、台地下の不動明王の石仏のある所に降りたら、また目の前でバスが行ってしまった。

今日最後の訪問地、妙見本宮神社に歩いて向かう。
途中にある市美術館(浮世絵のコレクションがあるという)にも本当は見学したかったが、こちらも時刻的に無理なので、次回に回す。

妙見本宮神社は名の通り、妙見様を信仰する千葉氏が創建したもので、郷土館の展示に妙見信仰の説明を読んできたばかり。
それによると北極星を意味する妙見様は、神道の神でも仏教の仏や守護神でもなく、道教由来らしいが、仏教化されて「妙見菩薩」と称され、特に日蓮宗で信仰された。
そういう意味では神道とは無関係だが、神仏分離後にここが神社化されたようだ。

拝殿の奥には妙見様ではなく神鏡が飾ってあり、それに向かって礼拝をすませた。
周囲にある摂社を廻ると、三峰や御嶽(霊神像)が祀られて、さらに池には弁天堂もあり、実はかなり雑多な民間信仰を残していることがわかる。
私はこういう場こそ好きなのだが、肝心の神社側は(神社本庁に属しているらしく)それらに対して距離をとっている雰囲気(受験生に人気のありそうな天満宮は大切にしている)。

ここの妙見様の隣は戦後移転した千葉氏菩提寺の大日寺跡があり、まさにここは”千葉”の中心部なのだが、ここから千葉駅まで歩いて14分かかった。

というわけで、初千葉は予定に反して2件の博物館だけで終わってしまったが、
訪れる順序としてはこれが正しいので悔いはない。
千葉の基本はしっかり頭に入ったので、次こそは加曽利貝塚。


心と精神の違い

2022年03月04日 | 心理学

マルクス・ガブリエルの『「私」は脳ではない—21世紀のための精神の哲学—』(講談社)をちら見して(まだきちんと読んではいない)、この本は、彼のいう”神経(ニューロ)中心主義”を批判するためのものだとわかった。

ここのブログでもいわゆる脳神経科学の本をいくつか紹介しているが、そもそも私も心をすべて脳(大脳皮質だけではなく中枢神経系)に還元する視点には賛同しない。

自分の「心の多重過程モデル」において、通常の心理過程に相当するシステム1・2は脳の反応が中心となることは認めるが、最も根底的なシステム0においては、睡眠覚醒機能こそ脳幹が柱だが、心臓や腸あるいは皮膚など末梢器官も構成要素としていて、心(≠脳)一元論的立場として脳神経中心主義をとらない。
※心の多重過程モデル:”心”を以下のサブシステムからなる高次システムとみなす私のモデル
システム0:覚醒/睡眠・情動など生理的に反応する活動。生きている間作動し続ける。
システム1:条件づけなどによる直感(無自覚)的反応。身体運動時に作動。動物と共通したメカニズム。通常の”心”はここから。
システム2:思考・表象による意識活動。人間固有の領域。通常の”心”はここまで(二重過程モデル)。
システム3:非日常的な超意識・メタ認知・瞑想(マインドフルネス)。人間でも作動する人は限られているが、全員作動可能。
システム4:超個的(トランスパーソナル)・スピリチュアルレベル。

さらに、システム3・4という高次過程においては、自我・個我を超越した心を想定している。

その超個的心は、すでに誰でもが作動しているシステム2レベルにおいて発動している。
システム2は自我(自意識=エゴ)が機能している心のサブシステムだが、自我は機能すると同時にその限界に直面することで(それが人間固有の”心の苦しみ”を経験させる)、自我を超越する志向を内包している。
それを「精神」と名づけたい。

その「精神」は、個体内の心(個我)というより、個を時間的空間的に超えて共有されたメンタリティ(パッケージ化された心)を指す。
武士道精神などいわゆる「〜精神」と我々が表現しているあのメンタリティだ。

これが本来のspiritとしての”精神”なのだが、日本語の「精神」は、必ずしもspiritの訳語に限定されず、特に精神医学畑で「心」の別名(同義語)として使用されている。
たとえばフロイトの「Psycho Analysis」は素直に直訳すれば「心理分析」となるはずだが、最初に訳したのが精神医学者であったため「精神分析」という訳語が定着してしまった。
かように医学界では心がすべて精神に言い換えられている(実際の精神医学はspiritの医学ではなく心の医学)ので、”心=精神”が学界のデフォとなっている。

ちなみに、医学界で「心」を使わなかったのはそれなりに理由がありそうだ。
実は、中国(医学)での「心」は心臓をも意味している(経絡における「心経」は心臓から出る経路をいう)。
なので、近代医学的に心臓ではなく脳の現象を扱うために、「心」の代わりに古来使われていたメンタル作用の「神」に(神だけだと神様と区別できないため)、生命作用である「精」を併せて「精神」(精における神)という熟語を作り、しかもそれを妖精的なspiritの訳語ともした、と推論される。

以上を踏まえて、精神医学ではなく、私の心理学においては、「心」と「精神」は本来のように区別したい。
すなわち、精神は個体内の心ではなく、個を超えて外在する心性(メンタリティ)とし、それが個のシステム2に取り入れられ、社会行動や社会的感情の原理(アイデンティティ)となる。
そしてそれが集団化されることで社会に共有された価値観となる。
すなわち、精神は個に属するものではなく、個を超えて”共有された”心の部分であり、その意味で脳に還元されない”心”である。

言い換えれば、人間の行動や感情は、脳に備わっている動物起源のメカニズムに還元して理解できる部分だけではなく、個人の脳を超えた高次のメンタリティによっても説明できる部分がある。
たとえば、道徳心、正義感、美意識、感動、宗教心などは、動物的心的作用に還元できない、ハイレベルな”精神”の作用である。

このようにシステム2において発動するspiritとしての「精神」は、個体を超えたより大きな心性との繋がりを前提とするため、瞑想的なシステム3を超えて超個的(トランスパーソナル)なシステム4、すなわちspiritual(霊的)な方向に開かれている。

通常のわれわれのシステム2においてすでに発動させているその精神性(spirituality)を成長させることによってこそ、心の霊的次元、すなわち霊性(spirituality)が開かれる。

かように、私自身は、心を構成しているシステム0とシステム4という双方の位置からは神経中心主義ではないが、その両者に挟まれたシステム1とシステム2はほとんど脳活動で説明可能と思っている。
※:大脳はニューロン(神経細胞)だけでなくグリア細胞(特にアストロサイト)のネットワークでもあるので、その意味でニューロ中心主義は時代遅れ。
なので心は脳で説明できるか/できないか、という二価論理には興味がない。
心におけるシステム0は脳どころか身体と合一しているが、システム1から2に進むにつれて中枢の限局化(脳化)が進み、システム3からは脱(超)身体化が進む。
集合論的には、心⊃意識⊃精神、の関係(心が一番広い)。