今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

多忙一段落

2018年01月31日 | お仕事

本日は後期試験の最後の日。
自分が担当している大人数の授業の試験を終えた。
そして大学院の修士論文の締切り日でもあった。
私の指導生2名も、今日の午前中まで論文指導をして無事提出。

ついでに、修理に出していたパソコンも戻ってきて、HDが交換されたので、”タイムマシン”に入れていたデータを復旧。
というわけで今晩は、年度末の多忙期間における最初の一段落(軽い祝杯)。 

今後は試験の採点・成績つけ、それに修論の審査が待っており、
その前に大学と大学院の入学試験をこなさねばならない。 

明日は、学部の卒論発表会。
これは学生が主体だから教員は楽。
それが終れば、3日から始まる入試の前に1日だけ空白の日がある。
空白のその日は今日の試験の採点に費やさねばならない。
なぜなら入試が終った直後に成績の締切があるから。 

かように、今は一年で一番忙しい。
風邪をひいている暇もない。 


カニ食べ放題の宿にお篭り

2018年01月28日 | 

1月末から2月初めにかけては、1年で一番業務に忙殺される。
すなわち後期試験の採点・成績つけと修論指導の追い込み、院入試の準備、年度末の諸々の書類の提出。
これらに加えて今年は公認心理師関係の書類作成も加わる。
それだけでなく、こんな時に限って職場のマンパワー上のトラブルも発生
(それに先立って先週は自分のパソコンがぶっこわれたし)。

こういう時は現場から距離をとって、「忙しさ」に振り回されないようにしないと。
そして作業の優先順位を明確にして、その順で一つ一つをきちんと片づけていく。 

ます片づけるべきは自分が担当している授業の採点と修論の原稿チェック。
これらを集中してこなし、同時に寒波の身体的ストレスから身を守るために、暖かい浜名湖畔に2泊のお篭りを決行した。

宿は年に一度はお篭りに使っている「ホテルグリーンプラザ浜名湖」。
この宿は全室レイクビューの和洋室なので、お篭りに最適。 

いつもは天浜線の鉄路を利用するのだが、今回は作業用の荷物があるので車で行く。

出発地も宿も東名高速のインターに近いので、高速を使えば1時間ほどで着いてしまう。
それでは旅情がないので、1つ手前の豊川インターで降りて、あえて県境の峠を越えて、途中のスーパーで夜食を買い足す。

チェックインして、まずは大浴場で暖まり、客室の和室の座卓にノートパソコンを設置して作業開始。
修論原稿は、洋室のソファで音楽をかけならがチェック用のペンを片手に読む。 

夕食は食べ放題で、今の時期はそれにズワイガニが加わる。
その他にすき焼きセット、浜名湖餃子、静岡おでんなど、豊富で個性もあり、バイキングに必要なワクワク感を得られる。

ただし食後も業務をこなすので、飲食量は控え目にする。
もともと夕食は食い気が勝るのでビールは中瓶1本。 
目玉のそして目的のズワイガニは、明日もありつけるので、 今生の別れのごときがむしゃらになる必要もなく、脚10本ほどで満足。

夕食後、寝る前にもうひと仕事し、原稿チェックは今日で済ませる予定。
その前に、 この記事を記しておこう。 


寒波下の家電

2018年01月25日 | 生活

 平成になって最強の寒波に襲われている日本。
今朝の名古屋(正確には勤務先の日進市)は−5℃で、東京(−4℃)より冷えた。
今日の名古屋は日中をのぞいてほとんど氷点下だった。 

こう外気温が低いとエアコンの効きも悪く、消費電力はいつもの倍ほど高くなるものの室温がいっこうに上らない。
これは室外機の過冷却をふせぐ機能が作動しているためらしい。
それはなんとか理解できるが、理解できないのが、冷蔵庫までがやたら冷えること。

今朝、冷蔵室(冷凍室ではない)に入れておいた豆腐などが凍っていた。
設定はずっと前から最弱レベルにしてあるのに…。
そういえば、夏は逆に冷蔵庫の効きが悪い気がする。

冷蔵庫は外気とは無関係な所においてあり、
しかも室内もさすがに氷点下にはならないのに(1桁台)、
この冷蔵庫の過剰反応はなんだろう。
…室温が触媒に影響したとしか思えない。

実は今日は、八甲田山での雪中行軍大量遭難(1902年)が発生した日(行軍は23日から)。
この時、旭川でわが国の最低気温の記録が出ている。
昔から冷える時なのだ。


草津白根の噴火

2018年01月24日 | 防災・安全

東京が大雪に見舞われた翌日、草津白根山が噴火した。

東京の大雪は事前に予想されていたが、白根の噴火はまったくの予想外。
でも本白根の地形図を見ると、クレーターのような噴火口がボコボコ連なっている。

そもそも群馬県は、東西の県境に火山が連なり、
内側も赤城・榛名など火山がデンと陣取っている。
まさに火山でできている県だ(群馬を構成しているこれら火山が一斉に噴火したらどうなるだろう)。

いや群馬だけでなく、日本そのものが、
火山噴火と大地震(活断層による山脈・盆地)と洪水(平野)で造られたのだ。
それを災害というのはそこにへばりついている人間側の都合で、
地球にとっては日常の活動にすぎない。

巨大な地球のエネルギー活動の隙間をぬって、
われわれ人間たちはなんとか生きているのが真の姿だ。

そういう心持ちで、私は山に登り、また日々の気象をチェックしている。
そうやって地球に向かい合って生きることが自分の在り方だと思っている。
今でこそ心理学を専門にしているが、本当は地球科学が好きだった。 


積雪の東京

2018年01月22日 | 防災・安全

東京は22時現在で積雪23cm(アメダスによる)。
もちろん、めったにない積雪量。 

ビブラム底の靴で外に出てみたら、バスが通っている広い道路は車でぎっしり。
この時間でも都バスが客を乗せて運行中。
ただ、走っているというよりは、ノロノロ。
交差点ではいつもの秩序が保てず、 車が縦横に入り乱れている。

バスが通る広い道路も、片側二車線が一車線しか使われず、
歩道側の一車線は、走行を諦めた車が止まっている。

チェーンを着けているのはバスなど大型車のみ。

太平洋側の大都市における降雪は、暴風や豪雨に相当する自然災害といえる。

数年に一度の頻度なので、このような大混乱もいたしかたない。
人的・物的被害は多少はあるが(結果的に死者1)、明日の昼になればケロッと元通りになるのだから。 

※、翌朝、名古屋に帰ったが、山の手・東海道新幹線は平常運転。
新丹那トンネルを抜けると雪は山側にもなかった。


腸脛靱帯炎者、高尾山に再挑戦

2018年01月21日 | 健康

山に行くと左脚の腸脛靱帯炎が発症し(別名「ランナー膝」、具体的には膝関節のすぐ上の外側が歩行時に痛む)、歩行困難になってしまう。
”山好き”にとっては致命的な問題なのでなんとかしたい。 

昨年末に行った高尾山(599m:都内の小学生が最初に登る山)ですら発症してしまったので、行ける山がなくなった。

といっても日ごろ(平地)はまったく症状がでないので、山の現場で対処するしかない。
高尾山は山が浅くて安全度が高く、気楽に行けるので、むしろここを試行錯誤の場にしよう。

ということで、本日、再び高尾山に向った。
登りは前回と同じ直登ルートを取るも、歩く時間を長くするため3号路(南側の巻き道で高尾山で最も静かな道)を経由した。
 やはり登りの段階で左膝に違和感を覚える(ただし痛みではない)。

山頂は前回よりは混んでいて、昼時ということもあり、座る場所すらない。
晴天なのだが遠望が利かず、富士は見えない。

山頂の茶屋で名物のトロロ蕎麦をとも思ったが、空腹でないので下山後でいいやと思い直し(つまり昼食の用意なし。これが許されるのは高尾山のみ)、
靴ひもを結びなおして、下山路は前回同様、高尾山では最長の「稲荷山コース」を選ぶ。

降り始めで、もう左脚は違和感から痛みに変わりそう。
腸脛靱帯炎は、下りの長さ(負荷の蓄積)によって痛み出すのだと思っていたが、実はそうではなく、
下りとなると、いつ痛みだしてもおかしくないのだ。
それがある時、なんらかの動作(負荷)で痛みが顕在化し、それ以降は痛みつづけて歩行が困難になるのだ。

ということは痛みを顕在化させないで潜在させたままにする事が重要。
それには、膝から上の腸脛靱帯に直接負荷を与えないことである。
これは当然で、問題はその方策(歩き方)。
今まで、2つの仮説を考えた。
①足底部の外側(ガイソク)ではなく、内側に加重することで、外側部にある腸脛靱帯に負荷をあたえない。
②下りの着地を爪先着地にし、また歩幅を小さくすることで、着地時の下から膝への衝撃を和らげる。
そして、それぞれ仮説にもとづく歩行法を実施してみたが、結果はいずれも痛みを潜在化させておくことには失敗。

なので今回は別の仮説が必要。
頭での理屈ではなく、現場での体感をもとに考えたい。
下山しながら思いついたことは、腸脛靱帯と平行している大腿四頭筋が負荷を担当すればいいのではないか、ということ。
そもそも登りでまったく痛まないのは、登りは大腿四頭筋が体を持ち上げる負荷を担当するからで、
下りで痛むのは、左脚が後ろ足になって大腿四頭筋が伸びきって力を出さない瞬間だ。
なので、大腿四頭筋を常に負荷状態にするため、あえて腰を落とし、膝を常に屈曲して歩けばいいのではないか。
これはすなわち和式歩行である(ただし”すり足”をしない点は異なる)。
和式歩行だと着地も爪先や踵ではなく、足裏全体でのフラット着地となる。
なかなかいい。
両膝を曲げていても街中でないので見た目に違和感なく、スタスタ歩ける。

①の足底部の重心移動や②の着地法などは効果がなく、大腿四頭筋がポイントだとわかった。

ただ時たまどうしても、左脚が後ろ足になって右足が着地する直前(左膝に負荷がかかる瞬間)に痛みが走る。

そこで、左脚が後ろ足にならないよう、送り足(左足だけ前足になり、両足を交互にしない)にすると痛みがでない
(といっても完全な送り足では歩きにくいので左右の歩幅を変えるくらい)。

つまり、膝を曲げた姿勢で、痛む側の左足をむしろ積極的に前に出して歩くと痛みがこないことがわかった。
以前は痛む左脚を守るつもりで、右足を前に出して降りたため、かえって痛みが増したのだ
(文中「脚」と「足」を微妙に使い分けているが、気にしなくて結構)。
後ろ足の踵を上げずに後方に蹴り出さないように歩くのだから、すり足部分を除いた完全な和式歩行(山伏などの一本歯の下駄での歩行)だ。 

この歩行を保って下りつづけたら、なんとか無事に下山できた。

試行錯誤したこともあって多少の痛みはあるものの、今回は敗北感ではなく、明るい見通しの手応えを得た。
これは祝杯ものだと思い、蕎麦屋を素通りして、コンビニに向い、ビールとつまみをかって、「599ミュージアム」内で一人で乾杯した。 

駅の階段を降りる時もまったく痛みはない。

登山の最低ラインといえる高尾山はなんとかクリアした(いいかえると高尾山までレベルを下げた)。
次は標高を上げてみる。


パソコンが突然死

2018年01月18日 | パソコン・メディア

週末東京の実家に帰り、火曜に名古屋に戻って、会議を終えて帰宅し、スリープ状態のMacBookProの電源を入れた。
いつもなら、すぐに画面が明るくなるのに、真っ暗のまま。

再起動してみたが、まだ真っ暗。
うんともすんとも言わない。

いろいろトライして、起動音は鳴るまでになったが、その後「?」マークが出るだけ。
外付けのメディアからも起動できない。

完全にお手上げなので、翌日、このブログで紹介した修理業者に問い合わせた。 
症状からSSDかロジックボードの不良で、交換修理が必要とのこと。

幸い、日常のデータはクラウド経由だし、タイムマシンでシステム一式を定期バックアップしている。

それに研究室に使っていない古いMacBookが ほとんど同じ環境(OSのバージョンも)でおいてある。
違いはブルートゥースが使えないくらいで、モニターの差し込み口も同じなので、それを名古屋宅に持ち帰って、ほとんど不便なく使っている(久しぶりにUSBケーブルでつないだマウスとキーボードを使用)。
古い機種なので反応の遅さはいかんともしがたいが、今の時期、帰宅後はメール確認とネット閲覧程度なのでたいした支障はない。

それにしても、故障の予兆は全然なかった。
ソフトで自動監視しているのに、それにひっかからなかった。

こういう事態になって痛感するのは、予備に使えるパソコン (ほとんど同じ環境・性能)を常に用意しておくべきこと。
一見無駄なようだが、仕事と日常の情報行動に差し支えるので、この保険は必須だ。 
情報理論でも、冗長性(情報の重複)は情報の確実性を保証する役割がある。
無駄は必要なのだ。 


期間外の谷中七福神を歩く

2018年01月14日 | 東京周辺

東京宅で迎える日曜。
何も準備せずにふらりと行ける山は、高尾山。
同じようにふらりと行ける散歩先は、谷中。
さらに長く歩きたいなら、谷中七福神(田端〜上野)という手がある。

というわけで、数年おきにやっている谷中七福神巡りに出た。
ただし田端の東覚寺(福禄寿)は元日に行ったので省略。
もっとも正月イベントとしての対応は10日で終っているので、期間外となる。
実際、行った先のほとんどの寺が閉まっており、参拝を受け付けているのは、上野に近い護国院(大黒天)と不忍池の弁天堂だけ。
期間外の今日であっても七福神めぐりの団体が幾組もいたのに…。

まぁ、幾度も通っている私なので、別にがっかりはしない。
それに今日の目的は”歩き”だから。

その中で、護国院は本堂に上れて、大黒天は無論のこと、本尊の釈迦三尊像をはじめとする仏像を拝められる(ただし期間外は暖房なし)。

護国院から不忍池へ向う旧都電の道は長いので、芸大に戻り上野公園内の清水(キヨミズ)寺に立ち寄る。
この寺は七福神とは無関係。 

清水寺内には、参拝は「手を打たない」 ことと英語と日本語で書いてあった。
日本人でも寺と神社の参拝法の違いがわからない人がいるため。 

上野の山にある東叡山寛永寺は、江戸城の北東にあたり、風水的に京都における比叡山延暦寺を模している。
そしてその麓の不忍の池は琵琶湖で、島状の所に祀られている弁天堂は竹生島の弁天に対応している。
そしてここ清水寺は、京都東山のそれに対応し、東に向けて清水の舞台もしつらえてある。
そして清水の舞台から正面に弁天堂が見えるのだ(写真)。
もちろん京都の清水の舞台からは、琵琶湖は方向違いで見えない。 

清水寺正面の石段を降り、七福神最後の弁天堂に詣でる。
やはり、柏手を打つ人がいる。

といっても、実は弁天は”仏”ではない。
もとはヒンズー教の神サラスヴァティ(今でも人気がある)だから、むしろ”神”だ。
実際、江ノ島などでは神社として祀られている。
なので参拝は、ヒンズー式でやるべきかも。

考えてみれば、谷中七福神は全て寺にあるが、その七福神自体はいずれも仏ではない。
弁才天・大黒天・毘沙門天 は天部だから、仏を守る守護神系で、もとはインドの神。
布袋は、坊さん?(弥勒菩薩の化身という説あり)
寿老人・福禄寿は不老長寿を願う道教系。
そして恵比寿は、蛭子(ひるこ)なので神道系。
というわけだから、いずれもそもそも仏式礼拝の対象でもないことになる。
まぁ、仏教もヒンズー教も道教も神道も、それぞれ融通の利く多神教だから、一緒に祀られても互いに文句は言わないはず。
そのような神道と仏教による”神仏習合”こそ、日本人にとって自然な宗教の姿だと思う(明治政府以来の神仏分離策はどうもなじめない)。 
というわけで、本当は寺と神社での拝礼の相違に目くじらをたてたくないのが私の立場。
四宗教混交の七福神巡りをして、改めて宗教の境界を考えさせられた。


里雪による信越線立ち往生

2018年01月13日 | 防災・安全

今回の寒波は、日本海側の地域に「里雪」型の大雪をもたらした。
里雪型とは、海沿いの平野部に大雪が降る現象で、よくある「山雪」型と違って、平野部の人口集中域が大雪に見舞われるので、”雪国”といえどもいつもはたいした降雪のない地域の大雪なので、予想外の被害が発生する。

その被害のひとつが、新潟平野を走るJR信越線の立ち往生事故だ。
よそ者が勘違いするのは、”雪国新潟”なので、雪害には対応済みのはずという認識。
これは上越線周囲(只見線、飯山線など)の山雪に対応する地域の話(川端康成の『雪国』は、上越線沿いの越後湯沢が舞台)。
積雪でいえば、両者はまったく別の地域。
東京でいえば、山手線と青梅線を 同一視するようなもの。 

その信越線が、乗車率100%を越えた状態で、一晩立ち応往生した。
これはもちろん時間的に異常な長さで、批判される(=反省の余地がある)のは仕方ない。

ただ、重篤な被害者が出なかったという結果は、もちろん乗客(特に立ったままの乗客)に苦痛を与えた点は確かだが、緊急時における基本的対応としては間違ってはいなかったといっていい。

最悪の事態は、装備のない乗客を降雪の原野に解放し、数十センチ積もった道のない雪原をホワイトアウト状態の夜間に歩かせることで、積雪とその気温から、凍死者を出すことになる(まさに八甲田山雪中行軍状態)。
幸い、車内に電気は通っていたので、照明と暖房、そしてトイレもある生存に安全な空間を維持できていた。

こういう事態での対応としては、安全空間に待機していることは、ベストではないにしても、デフォルトで維持すべき、すなわち”間違いではない”判断(八甲田での惨事も、夜間に雪洞を出て、極寒の中帰路をさ迷ったことから始まる)。
なので現場の判断としては、これ以外に選択肢はない。

言い換えれば、乗客の生活の質に寄与する”ベスト”な対応を考え・実行するのは、現場ではない。
といっても、予想外の里雪事態だったため、同じ里での対応(他の交通手段)も困難だったのも確か。
なので、もっと上の指揮が必要になったともいえる。

あとテレビで、閉所恐怖を自認するコメンテーターが、私だったら窓ガラスを破って脱出すると述べていたが、山手線あたりでの立ち往生を想定し、極寒の豪雪状態であることを忘却した発言だろう。


孤寓に戻る

2018年01月04日 | 生活

三が日は意地でも近所の初詣以外の外出をせず、和服ですごし、お節を肴に昼から酒を飲んだ。
そして4日を外出始めとして、母とバスを乗り継いで西新井大師にお参り。

明日からもう平常授業なので、夕方早めの夕食を取り、母と私になついている3歳の姪に見送られて、名古屋へ出発。
3歳児って、常に自分を全開にしているので、存在感が半端ないこともあり、後ろ髪引かれる。
今回は元気な3歳児の他に姉もいていつも以上に賑やかだった実家を離れ、一人夜の新幹線に乗る(博多行きなのだが空いている)。

12日ぶりに名古屋の寓居(集合住宅の一室)に戻る。
玄関外においていたポインセチアは、まだ赤い花をつけて私を迎えてくれた(先月の20日ころ買った)。
私が不在の間、もちろん水遣りをしていない。
これが元気だったとは意外でうれしい。

部屋の鍵を開けると、12日間暖房を入れなかったため、室内は冷えきっている。
室温は8℃。
さっそく暖房を全開にする。

空の冷蔵庫のスイッチを入れ、駅前のスーパーで買った食糧を入れる。
主食は実家から持ってきた餅で数日すごす。 

バスタブに湯を入れ、実家よりは狭い浴槽に身体を沈める。 

実家ではほとんど見なかったテレビのスイッチをつける。
人の声がほしいようだ。 

かくして、名古屋での単身生活が再開する。


『享徳の乱』を読む

2018年01月02日 | 作品・作家評

正月は屠蘇・お節以外は、仕事もせず、テレビも見ず、読書に宛てる。
しかも対象は関東戦国史に限定。

私は高校時代に所属していた地歴部以来、いわゆる”戦国時代”に先立つ足利成氏(しげうじ)が中心となって展開される関東動乱に魅せられていた。

その動乱は、今では「享徳の乱」と名がついている。
最近やっとこの名称が広まってきた。
そして戦国時代の幕開けは「応仁・文明の乱」(1467年から)ではなく、それに先立つこの「享徳の乱」(1454〜1482)であることも。

その命名者は峰岸純夫という歴史学者。
今年の正月は、その本人による書、『享徳の乱:中世東国の「三十年戦争」』(講談社、2017年)の電子版を読んだ。

享徳の乱は、足利成氏(古河公方)と対抗する関東管領上杉氏との関東を二分する対立による(和睦で終結)。

この乱において、旧来の守護領国体制が崩壊し、所領を武力で糾合した「戦国領主」が形成されたというのが氏の主張。
戦国領主が、さらに国レベルに拡大したのが戦国大名である。
すなわち従来の”国衆”と”戦国大名”とを繋ぐ概念である。
言い換えれば、この乱には戦国大名はまだ登場しない。

氏の主張は、戦国時代の先駆けは、この享徳の乱であり、しかも応仁・文明の乱はこの享徳の乱が波及したものであるという。
この本でもそれがテーマとなっている。

ちなみにこの時代は、「下克上」以前に、主君が家臣を誅殺する「上克下」が見られた(これも氏の造語)。
この乱の発端は成氏が補佐役である管領の上杉憲忠を殺害したことであり、また乱の終結後、大活躍した太田道灌も主君である上杉定正に殺された。

そしてこの混乱からは戦国大名が出現せず、関東はやがて隣接する戦国大名(伊豆の伊勢盛時、越後の上杉謙信、甲斐の武田信玄)たちの草刈り場になる。
並み居る戦国領主の中で、突出した力を持ち彼らの上に立つ者が出現しなかったためだ。
この乱が和睦で終ったのもそのため。
足利成氏や管領上杉氏はその者(戦国大名の卵)出現を阻止する側で、長尾景春や太田道灌は芽を摘まれた側だ(道灌は元は阻止する側であった)。

この消化不良感が、かえって私に汲めども尽きない興味をかき立てた。
ただ残念なのは、史料不足のため、道灌を唯一の例外として人間的エピソードに乏しい点。
これでは大河ドラマにはなりにくいな。 


2018年の元日

2018年01月01日 | 歳時

2018年の元旦は腹痛で目が覚めた。
腹痛は腸内に排出したい異物がある場合だと大腸カメラ体験時で”痛感”したので、幾度かトイレを往復したら、なんとか納まった。

さて、元気を取り戻し、例年の元旦のように、まず湯垢離をして、絹の下帯をつけ、羽織袴姿になって、氏神の神社に初詣に行く。
第一氏神の天祖神社は人が少なめですぐに参拝できたが、第二氏神の八幡神社は階段まで行列。
氏子の数の差ではなく、こちらは谷中七福神の起点の寺に隣接しているためか。

参拝者たちが打つ柏手の中でいい響きを発するのは、その打ち方のコツを身に付けた私だけなようだ。
持参した小型のダウジングロッドを取りだし、富士講の”富士山”にかざすと、左右に開いた。

自宅に帰れば、母と姉がお節料理の盛り付け。
私は酒と屠蘇の準備。

3歳の姪が、着物姿を私に見せにきた。
近ごろ急に女の子ぽくなり(プリキュアにハマっているため)、私を「いちろーさん」と呼ぶ。

私は、屠蘇の儀のための、烏帽子・直垂(武家の正装)に着替える。
さて、今年は姉が来ているので総勢8名。 
和服なのは姉と姪と私。
例年のように、雅楽「越天楽」の調べが響くなか、烏帽子・直垂の私が厳粛に屠蘇の儀(家族全員での式三献)を執り行う。
姪も今年からは主体的に参加して、屠蘇に口を付ける(写真)。
一方、14歳の甥は、これが一番の楽しみだと。
姉がスマホでイタリアに生中継する。

全員の三献が済むと、一同で「あけましておめでとう」と挨拶。
これで儀式は終り。
子どもたちにお年玉が渡され(今年はくれる大人が一人多い)、
いよいよお節料理に舌鼓。
”かまぼこ”はわが家系出身地の山口の萩製を西武池袋店で買ってくる。
母が作った煮しめが私の大好物。
酒は「獺祭」と「越乃寒梅」。
獺祭のスパークリングが女性に好評。
私は寒梅が口に合う。

〆の雑煮の餅は必ず焼いて入れる。
そうすれば粘性がなくなり必ず噛み切るため、咽喉に詰ることがない。 

だらだら食べて、だらだらして終る。 

3階に帰った弟一家の中で一人居残っている3歳の姪と、日没後に鎮守の初詣(私は2回目)に行く。 
3歳児にとっては草履は歩きにくそう。 

昼をたっぶり食べたから、夜は餅の磯辺焼き2個ですむ。 

かくして、2018年の元日がすぎゆく。