今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

今年度の2論文

2017年02月28日 | 心理学

このブログにおける私は、主として”温泉好きな計測オタク”というスタンスだが、研究者としての本業は第一が心理学で、第二が「作法学」である。

心理学者としては、対人関係における心理的距離という心理現象を追求し続けていて、心理学の底を破って現象学的・存在論的な視点になっている。これがライフワーク。

作法学とは、作法を従来の歴史民俗学的視点ではなく(その視点だと作法は「故実儀礼」という扱い)、作法という構造体を学問的に分析する私が作った分野で、方法論もほとんど確立している。
作法の教育実践だけでなく、学問的分析もやっているのだ(たぶん唯一人)。

今年度は、久しぶりにこの2本柱の論文が出そろった。
心理的距離の方は「心理的距離尺度の両端」というタイトル。
 心理的距離を測定するには尺度が必要なのだが、その尺度化する場合の両端になりうる「自分自身」と「アカの他人」の距離価を問題にしている(すなわち前者は0で後者は∞なのか)。
この論文は尺度化に向けた途上である。

作法学の方は、「小笠原流礼書による作法体分析」というタイトル。
これは小笠原流礼法の歴史的礼書である『三議一統』と私が中世文学専門の同僚と共同で翻刻したその改訂版といえる礼書から、小笠原流礼法が内蔵している価値観を抽出したもので、これは礼法に関心がある人にはぜひ読んでほしい。

ともに私のサイト「山根一郎の世界」の「研究の世界」内の「最近の学術論文」からpdfで全文ダウンロードできる。

片や心理学的問題の現象学的理論構成、片や自分独自に構成した研究法による分析で、ともに私以外の人にとっては馴染みにくいと思う。
ただ、心理的距離は誰でも体験していることだし、礼法もわれわれの日常動作の事だから、対象としている世界はなじみがあるので、特有の術語を我慢してもらえれば、理解してもらえると思う。


歯と眼の定期チェック

2017年02月27日 | 健康

内臓と循環器系の健康診断は年に一回職場で義務としてやらされている。
だがそれ以外の部位は個人にまかされており、そうなると自覚症状が出ない限り、やろうとはしない。

歯科治療が必要になった今回、恥ずかしながら数年ぶりに歯石を除去してもらった。
その際、まずは歯周ポケットのチェックがなされる。
これも重要だ。
奥歯の歯周の数箇所に腫れがあった(ピンセットでチェックされる時痛みがある)が、歯石除去によって治まるだろうという。
歯石除去は丁寧になされるため(やる方ばかりでなく、やられる方も疲れる)、今回は下の歯だでで終わり、上の歯は次回。
歯石は日々のブラッシングではどうしても落ちないので、年一回は除去してもらうのが必要なのは、
分っているのだが、歯医者って、せっぱ詰まらないとなかなか行く気になれないんだ。

同日、眼科にも行った。
以前白内障の診断をしてもらった所で、その時、眼圧も高めなことが分った。
眼圧が高いと緑内障のおそれがある。

なので、それ以来、半年に一度、眼圧を中心とした目の検診を受けている。
視力と眼圧のほかに、 視野や網膜の厚さも調べられる。
視野や網膜の厚さには異状はみられなかった。
だが眼圧を下げるために毎日の点眼が必要になった。
そして最近では、点眼薬の更新の三ヶ月ごとに検診を受けることになった。

現在、 二ヶ月ごとの血圧、三ヶ月の眼圧(両方とも「圧」が高い!)の定期検診をし、それに一年ごとの歯周チェックも加わるべきだろう。

歯石除去の間、心が暇だったので考えていたことには、
心身二元論には与していないが、かといって東洋の「心身一如」は言い過ぎだと思う。
なにしろ、血圧も眼圧も歯周も、たとえ異状があったとしても、まっく意識にのぼらず、
心のあずかり知らぬところで事態は進行していく
(血圧は自律神経と視床下部を介して心とつながってはいるが、私のような本態性高血圧は幾らリラックスしても降圧剤でないと下らない)。
心と体は、連関した領域もあるが、特に体は心(意識)から独立した領域があるのは否定できない。

実際、心(意識)でどうしようもないことをその場で体験した。
歯石除去中、口の中に注入され続ける水が、口蓋奥の柔らかい部分に触れると、
どうしても嚥下反射が起きて、水を呑み込む動作が起きてしまう(嚥下は口の中が大きく動いて作業の邪魔になるので抑えたいのだが)。
また、眼圧検査の時、角膜に空気が発射されるのだが、心ではこの反射を抑えようとしているのに、毎回瞬目反射を抑えることができない。

身体生理は心があずかり知らないそれ自体の精妙さをもっている。
心身一如観はともすれば、心で体を支配できるという幻想に導かれ(その幻想を実現しようとして)、体に対する敬意が失われる。

体を痛めつけるだけの”苦行”に無意味さを感じた釈迦は、(その反対の快楽主義との間としての)中道に目覚めたのだ。


数年ぶりの歯科治療

2017年02月25日 | 健康

実は、正月に小臼歯の詰め物が取れてしまった。
かつて、虫歯治療の跡に金属の詰め物をしてもらったのだが、デンタルフロスに引っかかって取れてしまったのだ。
手で嵌め込んでみたものの、物を食べると外れてしまい、結局、いつの間にか、食べ物と一緒に体内に入ってしまった。
幸い、詰め物がなくてもその歯に痛みがないので、 勤務先の仕事が一段落する今まで待った。

仕事がほぼ終わったので帰京し、数年ぶりに近所の歯科医院の門をたたいた。

治療用の椅子に身を沈め、歯科医師の指示通り、手鏡で自分の口内の詰め物が取れた小臼歯を見ると、奥側が黒くなっている。
虫歯が進行していたのだ。
この虫歯のために詰め物がゆるくなり、デンタルフロスの力で取れてしまったのだという。

詰め物を入れ直してもらえばいいとばかり思っていたのだが、そうは問屋が卸さない事態だ。

当然、選択の余地を許されず虫歯の治療が開始される。

数年ぶりの虫歯治療だが、方法は当時のままなようで、あのチュイーンと鋭い音が鳴り続けるマシンが、わが虫歯部分に遠慮なく直撃を加える。
「痛かったら、左手を挙げてください」というので、左手をスタンバイ状態にする。 

その独特な音と歯に響く感触は、かつて体験した、一瞬のけぞるような鋭い痛みを条件反射的に思い出させてしまい、
その感覚が到来するのを、しっかり待っている状態になってしまう。
これではその感覚により敏感になってかえって痛みが激しくなるようで、この待ちの状態から脱したいのだが、
あの音がこの状態から集中をそらすことを許してくれない。

一旦、口をゆすいで、再開される。
虫歯本体に接近しているので、毎回の直撃に痛みが伴い始める。

あまりに痛かったら、初めて麻酔をするらしい。
結局、私は左手を挙げる機会を逸し、一瞬顔を歪める程度であったので、のけぞる痛みに遭うことも、麻酔に頼ることもなく、虫歯部分は除去された。
その後、かつての銀色の金属ではなく、歯と同じ色の充填物で歯の凹み部分が塞がれ、治療が終わった。

歯科治療は一回で終わることはないと思っていたのだが、一回で終わった。

歯のトラブル(特に虫歯)はそれだけで日々持続するストレッサーになる。
それが解決したのだから、ストレスが1つ分軽くなったことになる。

ちなみに、デンタルフロスは上下ではなく、横から抜くようにと言われた。 


今年の確定申告

2017年02月22日 | 生活

年に一度にして最大のプレッシャーである、確定申告を済ませた。
このプレッシャーによって、毎年この時期にうつ病になる人もいるという。

単なる「個人事業主」でしかない私は、収入先からもらった支払い調書と集計した領収書から、国税庁のソフトに金額を入力し、自動計算された申告書を印刷するだけ(昔はここで計算ミスをして税務署から電話がかかってきた)。
といっても、昼前から作業を開始して、提出書類の印刷が終わるまで正味4時間かかった。

提出だけなら税務署でなく、近くの区役所でいいので、夕方前に家から歩いて区役所に行って、区民税の書類とともに提出した。

これで年度末の作業終了!

たしかに、会社の年末調整にまかせているサラリーマンが、慣れないこの作業をするのはハードルが高い(慣れても半日つぶれる)。

ちなみに、申告用のE-taxカードとやらのパソコン用読み取り機を買うと下の各控除対象の領収書の添付が不要になって申告書だけの送付で済むのだが、このためだけにカードの読み取り機を買うのがばからしい。
また医療費控除の書類を作成するExcelファイルもダウンロードでき、それを提出すれば、領収書は添付不要となるが、それにすべてを細かく入力するより、集計表とすでに束にまとめた領収証を別の封筒に入れて提出した方が楽。
また今回から、マイナンバーカードを持っている人はカードの両面を、持っていない人は、通知カードと免許証の写しも添付する。
こう書くと、未経験の人はますますトライする気がうせるだろうな。 

でも今回の私のように、昨年脳梗塞を患った母(扶養家族)の医療費が10万円を超えたので、医療費控除が発生して、還付金が発生することもあるのだ(申告しないと還付されない。申告していない人に”税務署”と称する所からわざわざ還付の手続きの電話が来たら、それは明らかな振込詐欺!)。

今回(昨年)の私は、事業収入が激減して赤字となり(事業所の固定費があるので)、その上医療費控除が発生し、そして寄付金控除も加わり、還付となった。

事業者としては、収入が激減している結果なのだから、嬉しくもなんともない。
追加納税するくらいに稼げないことが恥ずかしい。

 


フードファディズムの心理

2017年02月19日 | 生活

私の母周辺での例にすぎないが、健康に気を遣い過ぎている人は、平均寿命以下で逝っている。
化学添加物を避け、きちんと運動していたのに。

人間は、単純な一次直線的な発想に取り憑かれやすいが、この世で正しいのは、むしろ二次曲線(最適値がありそれより上も下もよくない)であることがほとんど。
”バランス”こそが正しい生き方なのだ。

特定の食品や栄養素に対する、一次直線的な態度(「これさえ摂っていれば大丈夫」、「これは絶対にダメ」)を「フードファディズム」というらしい。
フードファディズムはバランスを欠いた態度であるため、本人は善かれと思っても、結果的に不健康になるという。
いわゆる健康オタクほどフードファディズムに陥りやすいのだろう。
それは一次直線的思考癖の産物で、言語というシステム2の本来的バイアスなのだ。
伝統的な”ご飯中心主義”は糖質依存でアンバランスだが、「糖質制限」という名の糖質排除も極端だ(健康でいられるもの最初の数年間だろう)。

だが、そういう人間を一笑に付す立場に私はない。
私自身、バランスが大事と頭でわかっていても、特定方向に突っ走りたくなるからだ。

そもそも、食に禁忌(タブー)を持ち込みたいという欲求が多くの人類にはあるのかもしれない。
何かをあえて食べないことで、そうしない人たちに優越感を覚える心理。
ある食材を頑なに拒否することが自分の大切なアイデンティティだったりする。
鶏肉を拒否する私自身がそのメンタリティの持ち主だから、よくわかる。

バランスの実現がベストという真実が、面白くないのかも。
アンバランスの面白さ、ワクワク感の方に魅力を感じるのかもしれない。
鶏肉は簡単に拒否するのに、他の摂らない方がいい食材の魅力に勝てない自分がいる。

食に対する人間の態度ってかくもやっかいだ。


井伊谷から浜名湖の宿へ

2017年02月13日 | 

日曜に大学院の入試をこなしたので、月曜は浜名湖の準定宿(グリーンプラザ)でカニ食べ放題を楽しむことにした。
といっても火曜昼の判定会議までには戻らなくてはならい。

浜名湖への往来は、浜名湖を半周する天竜浜名湖鉄道(天浜線)の車窓を楽しむことが多いのだが、
火曜の朝は早くもどりたいので車で行くことにした(東名高速を使えば60分)。

せっかく車で行くなら、宿から離れた浜名湖の北奥の「井伊谷」 (イイノヤ)に立寄ってみたい。

幾度も訪れている宿なので、周辺の名所旧跡にはほとんど足跡を残しているのだが、
以前に井伊谷に立寄った時は「井伊直虎」のことは知らなかった。
というのも、私がもっぱら関心のある史跡は戦国時代の関東で、東海地方の国衆レベルの戦国史には疎いのだ(信濃の小笠原氏を除いて)。 

そうしたら、今年のNHK大河は、なんとこの井伊谷が舞台ではないか。 
私にとって「女城主」といえば美濃・岩村城の城主おつや(織田信長の叔母)しか知らなかったが、遠州にもいたとは。

とうことで、道脇に先日の雪が残る三河高原を横断して、遠州との境にある道の駅「鳳来三河三石」に車を停め、近くの柿本城跡に立寄った。
この山城の本丸跡には明治年間の石碑が建っているが、そこに至る道はつい最近整備された感じ。
道の駅には、さっそく直虎をキャラクターにした土産がおいてある。
そこから遠州に入り、井伊谷の井伊谷宮(宗良親王を祀る)に参り、井伊家の菩提寺・

龍譚寺を見学した。

井伊谷宮と龍譚寺の間に、井伊家代々の墓所があり、その中に直虎の五輪塔がある(写真中央)。
直虎は、井伊家の累代当主には数えられていないが、いわば中継ぎとしての惣領職(女地頭)を担い、その実績もあるという(女性が地頭職をしていた例は鎌倉時代の記録『北条九代記』にある)。 

龍譚寺は庭園が国指定の名勝で有名だが、今年のブームを受けてなのか、井伊家代々の位牌(直虎のもある)を祀った御霊屋まで公開している。 
 せっかくなので井伊氏の歴史を知っておこうと、売店で『湖の雄 井伊氏』(公益財団法人静岡県文化財団)という新書本を買った(510円)。
その他、直虎に関するマンガなどもおいてある。 

そして浜名湖畔の宿に到着。
ここの売店でも直虎をキャラクターにした菓子類が幾種類も土産として売られている。
いずれも箱の裏には直虎(次郎法師)の説明が載っている。
歴史好きな甥にと、馬上の武将然とした直虎のマンガ絵が目立つ塩キャラメルナッツサブレを買った。

ここの夕食バイキングは安ホテルのバイキングと違って、目玉のズワイガニばかりでなく、
ウナギの蒲焼き、 牛しゃぶしゃぶなどもあり充実している。
私が好きな料理があるのも気に入っており、イカや浜松餃子(茹でモヤシとともに食べるべし)だけでなく、
今回は私が中華料理屋で頼む定番・五目焼きそばまであった。
バイキングでは日頃の小食を忘れて全体的摂取量を増やすため、炭水化物を極力摂らないことにしているが、餃子の皮は致し方ない。
焼そばも最小限にし、五目の具を多めに取った。
お目当てのカニは最初こそワクワクするものの、殻の中の肉を取り出す手間の割りには(残念ながら小振りなカニなので)、
味は単調で歯触りもないので、ほどなく食べ飽きる。
この点が幾つでも入る餃子と違うな。 

夕食後のひとときは、室内のソファで井伊氏の本を読むことにしよう。


本学一のクラブの顧問となる

2017年02月12日 | お仕事

勤務先の大学のクラブの新顧問となり、このクラブを作った旧顧問の教員の定年退職祝いを兼ねての同窓会に招待された。

このクラブはうちの大学で最大の部員数を誇り、また学外活動も盛んで、名実ともに本学一のクラブだ。

 集まった現役生とOGとの間には最大四半世紀もの年齢差がある。

出席したOGにはかつての教え子たちがいて、とてもなつかしかった。
同窓会といえば、自分の高校の同期会がとても楽しみなのだが、教師の立場でかつての教え子と再会できるのもとてもうれしいものだ。
各自がそれぞれに幸せになってくれていればなおさらのこと。

これほどの大所帯をずっと運営しつづけるこのクラブは、女子大にとっても鏡といえる。
というのは、日本の女性たちは成人近くなると、組織運営は男にまかせがちとなってしまうから。
一見それがかなわない女子大のクラブ・サークルだが、実際には他大学との交流が盛んで、それがある意味、真の自立を阻んでいる。
部外の男に一切頼らないこのクラブこそ、女子学生の組織運営力がトレーニングされる。 

私が大学の時、自分がリーダーをやったクラブの後任に女子を指名しようとしたら、後輩の女子たちから反対された。
理由は女子がリーダーでは自分たちはついていけないとのこと。

日本女性は、組織のリーダーになる訓練だけでなく、同性のリーダーを受け入れる訓練も必要だと思った。

それができるのも女子大だ。


室内壁面の温度分布がまだらに

2017年02月11日 | 計測

名古屋宅内の壁面をサーモグラフィ画面で覗いてみたら、温度分布がまだら模様になっている(写真:左下の赤い(最高温)部分は窓、斜めの暗い線(最低温)から上が天井、その間が壁面)。
まだらの濃い部分は低温部(18.2℃)で、薄い部分と約1℃の温度差がある。
この壁面の外側は建物の外壁だ(私の部屋は、アパートの端)。
濃い部分を叩くと硬い音がし、薄い部分は大きく響く。
硬い部分は高密度のコンクリに相当し、薄い部分は低密度の断熱材部分なのだろう(まだらの濃淡が逆だと、壁内の構造が理解しやすいのだが…)。
同様にベランダに面した内壁もまだら模様になった。 

一方、隣室との間の内壁はこのような強いまだらにはならない。

つまり外壁に面した室内の壁は断熱材が使えない部分が混在するため、その分、外気の温度が壁に伝導するのだ。
 ちなみに、測定時の外気温は3℃。
室内はもちろんエアコンで暖房中(エアコンはこの写真の右外にある)で、私が座っている空間(この平面の下)の室温は17.0℃なので濃い部分の温度に近い。 

集合住宅の両端の部屋は、間の部屋よりも外気の影響を受けることが確認された。
たぶん夏は、逆の温度分布のまだらになるんだろう。 


音をたてて蕎麦すするのは”作法”ではない

2017年02月06日 | 作法

礼思想を生んだ本国以上に日本に「礼」が実現しているのは、中世に誕生し、近世に庶民にまで広まった「礼法」によってである。
箸を巧みに操ってきれいに食べる食事作法も、中世に完成し、現代でもほとんど変わる必要がない。
その頃のヨーロッパではだいたい手づかみで食べていて、ようやく先進地のイタリアでフォークが普及しはじめる。

作法というのは、他者に不快な思いをさせないのは大前提で、そのレベルに満足するのではなく、より洗練された動作を追究するものである。
それは動物的な欲求を全開にした仕草を否定し、スキのない美意識によって制御された、同席者に感動をすら与える所作を目標とする(茶の湯で客が亭主の点前の所作を鑑賞するように)。
それを自覚したから、中世の武家礼法は、礼法の和語である「しつけ」に「躾」と当て字したのだ。
ここまでの抽象論でもう納得してもらえたら、とてもうれしいのだが、(日常空間すべてに美の実現を求めた当時の日本人と違って)現代の日本では難しかろう。

では具体論に移ろう。
食事中に音を立てないというのは、グローバルな作法で、日本も例外ではない。
そもそも食事でなくとも、不必要な音を立てるのは他者に迷惑であり作法違反である。
世界的にみても厳しい日本の食事作法は、禅の清規(禅寺の作法)に準拠している。
禅寺では食事とて修行であるため、会話をはじめ、あらゆる雑音を立ててはならない。
食事の最後にタクワンを食べるのだが、これも音を立ててはならないのだ!

さすがに武家礼法は、食事=修行とみないため、会話などは許容されている。
だが飲食の音を立てるのは禁止されており、そのための汁を吸う時は「鼻で息を吸いながら、飲め」というコツを当時の作法で教えている(もちろん私も実践)。

ところが作法にも例外が発生する。
まず茶の湯の作法として、泡が立った抹茶を飲むとどうしても最後に泡が碗の中に残る。
表千家のように泡を立てない流派ならこの問題は発生しにくかろうが、泡を立てるのを推賞する裏千家など他の流派(小笠原流も)では、この問題は必発する。
そこで、泡を勢いよく吸って、呑み込むことにするのだが、その時どうしても吸う時の濁った音がしてしまう。
そこでその音を『飲み終わった合図」と作法の中に組み入れたのだ。
それは致し方ないのだが、そのせいで飲料を飲む時に音を立てないという本来の作法が忘れられがちになったのは残念だ。

そしてもう一つの例外がそば(麺類)。
長い麺を下から箸で持ち上げても、全部が口の中に入らない。
途中で歯で麺を切断するという方法がまずは考えられるが、そうすると、一旦口に入れようとしたものが下に落ちることになり、「口の中に入れたものを出さない」という強い禁忌に抵触する。
そこで、箸だけで食べるというこだわりを前提とした次善の策として、一挙に吸い上げて、口の中に入れてしまうという方法がある(フォークを採用したイタリアでは別の解決法がある)。
だがこうすると「音を立てない」という禁忌に抵触する。
結局、回避-回避のジレンマ状態だ。

このジレンマを解決するには、相対的に弱い方の禁忌を選ぶしかない。
人間は聴覚情報よりは視覚情報を重視する。
だから視覚的汚さより聴覚的煩さの方が許容できる。
なのでお茶の場合と同様、視覚的禁忌より聴覚的禁忌を許容することになった。
すなわち音をたてて蕎麦をすするのはOKとされたのだ。

だが蕎麦については、茶の湯のように「合図」という積極的効果は付加されなかった。
すなわちあくまで消極的許容(Badではない)であって、積極的推奨(Good)ではない。

だから、蕎麦をすするのはいいが、本来は不作法なのだから、できるだけ小さい音にするように、というのが作法的発想になる。
「そんなみみっちい食べ方だと蕎麦が不味くなる」というのは味覚的快だけを追究する”通”と称する人たちの見解であって、自身の味覚的快よりも周囲に対する上品な美を優先したい作法の発想ではない。

ちなみに、かつて私は、公立図書館の食堂で同じ卓に居合わせた若い女性のうどんを食べる所作の美しさに見惚れてしまったことがある。

本当に美しい所作は他者に感動を与えるのだ。
どうせなら、他者から見惚れられる所作をしようではないか。 


節分の夜は巻き寿司

2017年02月04日 | 歳時

節分の日、大学での入試業務を終えて夜に帰京した。

母は、「恵方巻きの代りに」といって、巻き寿司セットを用意してくれていた。

つまり、寿司ネタを皿に盛って、1枚の海苔を1/4に切って、角が手前になるように持ち、その上に酢飯を少しだけ載せ(これが肝心)、その上にネタをお好みで載せて巻いて食べる。
ウチでは海苔は羽田の店の特製でこの海苔が格別旨い。
このおいしい海苔を味わうために巻き寿司をやっているようなもの。

いつもの巻き寿司と違うのは、この日は、つまみに節分の福豆がついていること。 
あほらしい”恵方巻き狂騒曲”(コンビニあたりが仕掛けたらしい)は無視したいが、 かといって節分に何もしないのも何なので(いい歳して豆まきはできないし、後の掃除が面倒)、いい工夫だと思った。

「節分の夜は巻き寿司」、ウチから広めていこうかな。

ちなみに、母によると、玄関先に飾る柊をスーパーに買いに行ったら、今年は珍しく売り切れだったという。
本来の伝統行事が復活するのはいいことだ。


マスクの効能

2017年02月01日 | 生活

今の時季、マスクをしている人が多い。
もちろん風邪の感染予防や拡散防止の目的が一番だろうが、それだけではない。
女性では小顔効果、学生では授業中の指名回避などの意外な理由もある。

私も風邪とは無縁ながら、外出時にマスクをするようになった。
顔の防寒として。
頭には帽子、耳にはイヤーパッド、そして首にはマフワーを装備するのに、顔面だけが寒風にさらされる不都合をなんとかしたい。
山の中なら目出帽という手があるが、街中ではマズイ(特に、銀行やコンビニには入れない)。

そこでマスクだ。
最近のマスクは目から下を全面的に覆うので防寒効果が実に高い。
なにしろ、鼻からの吐息によって内部は加湿・暖房になるから。
といっても、人と話す時はマスクを外す。 

逆に睡眠時にやっていた口呼吸防止用のマスクはやめた。
マスクよりも、包帯などを肌に止めるサージカルテープ(100円ショップにある)で口を縦に止めた方が楽だということを教わったから。
外出時とちがって、睡眠中はマスクが邪魔で、無自覚のうちに外していたが、テープだと覚醒時まできっちり止っていてしかも邪魔でなく、レム睡眠時の口呼吸を完全に防止できる(口呼吸防止用の大仰な器具が販売されているがそんなの不要)。

というわけで、マスクを中心に常識にとらわれないモノの使い方の有効性を実感している。