今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

期限切れのパスポート発行手続

2023年02月27日 | 生活

気がついたらパスポートの期限が切れていた。
こうなったら再発行ではなく、新規の発行が必要となる。
ただ当面海外に行く予定はないので、
発行手続きが面倒そう(証明写真が)なこともあり、そのままにしていた。


今年になって、母が年内に姉の住むローマに行くと言い出した。
私は同行しないが、そうなると緊急に我々家族が現地に行く事態も起こりうる。

そうなってから慌ててパスポートを申請してもすぐには使えないので、
春休みの今のうちにパスポートを入手しておいた方がいいと思った。
実は、申請手続きのハードルとなってるパスポートサイズの証明写真なのだが、
昨年マイナンバーカードを申請する時に写真館で撮った写真の余りにそのサイズのものもあって、今月中なら期限内として使えるのだ。

このことが後押しとなり、写真の期限が押し迫った今日、
パスポートを申請する一連の作業に取り掛かった。


手続きに必要なものをネットで確認すると、
●規定サイズの証明写真1枚、
●本籍確認のための戸籍抄本(ただし来月下旬からは謄本が必要)1通、
●場合によっては住民票、
●認め印、それに
●本人確認できるもの(運転免許証/マイナンバーカードなど)。


まずは、ネットで外務省のパスポート申請サイト(→リンク)にアクセスして、
ネット上で申請書類に入力し、自宅でプリントアウト。

印刷した申請書には写真欄があるが、写真は貼らずに持参し、
署名欄もあるがそれもあえて未記入のまま、すなわち印刷したものに手を加えない状態で持参することにした。

住民票は、マイナンバーカードを持っているので、
近くのコンビニで出力サービスを得られる。

戸籍抄本は、あいにく本籍地が他区なので、
バスに乗ってその区の出張所に行って申請する。
それに念のために、期限の切れたパスポートも持参。


池袋サンシャインにあるパスポートセンター(池袋分館)に行く。
まずは、準備受付に案内されて、求められた必要書類を一式渡して、
それらが1つのクリアファイルにまとめられて、順番待ちの番号とともに渡される。
平日の昼前なので空いていて、5人分待って呼ばれた。

申請受付ブースでは、口頭で本人確認がされ、証明写真は受付の人が丁寧に書類に貼り付け、
マスクを外しての写真照合と免許証を渡して本人確認を受ける。
空白だった署名欄に、受付にあるインクの出の良いペンで、
楷書とサインの中間の字体でよいことを確認して、字が枠に触れないように、
サラサラっと署名する(その署名がパスポートに印刷される)。

住民票は、管轄区域内の住民で住基ネットの利用を拒否しないなら不要とのことで返却された。
また期限切れのパスポートは照合のためコピーされたので、持ってきてよかった。
認め印は使わずじまい。

以上で発行手続きは終わり、一週間後から受け取り可能なので、
その引換書をもらった(受取るには印紙代等で16000円必要)。


結局、不要だったのは住民票と印鑑。
逆に持っていって良かったのは、期限切れのパスポート(コピー後返却される)。

パソコンで入力・印刷した申請書は、印刷のままで持参し、
受付の場で完成させた方がよい。

この他に所定のサイズの証明写真1枚と戸籍抄本(3月以降は謄本)1通、
これらはいずれも6ヶ月以内のものであること。

ちなみに、パスポートセンターの隣に証明写真を撮る店があり、カラーで2300円。
10年間使うパスポートに貼る写真だ。
駅前のセルフ写真よりは写りがいいと思う。


温泉の安全性確認

2023年02月26日 | 温泉

福岡の老舗温泉旅館が、温泉の湯の交換と塩素殺菌を怠っていた、いわゆる安全偽装が発覚した。
温泉好きにとってはショックだ。
その一番の問題は、塩素殺菌を怠ることで、浴槽にレジオネラ菌が増えて(この宿の湯はその状態)、入浴客がそれに口腔経由で感染すると死亡する危険がある点。
もちろんレジオネラ菌が繁殖しにくい”源泉かけ流し”なら、塩素殺菌も不要かもしれないが、菌が繁殖しやすい温度なので浴槽は掃除する必要はある。

そもそも”源泉かけ流し”は湧出量が豊富な温泉宿でないと不可能で、現在の温泉ブームから見て、源泉掛け流し(温泉の垂れ流し)は温泉資源の有効利用とはいえない。
そして循環湯(再利用)にするなら、塩素殺菌は必須(飲用可の指定がない温泉は、殺菌されていないため飲泉しない方がよい)。

この手の偽装は、温泉を利用する客にはバレないので、客にとっては自衛手段がない。

利用客ができるとことは、まずは脱衣場に掲示してある温泉分析表から、循環式かどうかを確認すること(宿で情報公開している)。
明確に記述がない場合、源泉の湧出量を確認し、それが少ないなら(60ℓ/分あれば源泉掛け流し可能。ただし源泉の湧出量=その浴槽のかけ流し量とは限らない)、循環式であると理解する。
加水・加温していても循環していないなら「源泉かけ流し」に該当する。

そして循環式の場合、保健所の定期的な検査結果(レジオネラ菌の量など)が掲示してあるか確認する(検査の年月も確認)。
これが掲示されていない所は、温泉の管理に不安がある。

私自身は、自分でさらにデータを取る(菌の検査はできない)。
まず塩素濃度の試験紙を湯に浸けて、循環湯として充分な濃度であるか確認する(日帰り温泉などは、温泉を味わうには塩素が濃すぎる場合がある)。

さらに、湯のサンプルを取って酸化還元電位を専用の測器で測る。
これは湯の”鮮度”をみるため。
源泉かけ流しの湯は鮮度が高いので、この電位が低く(還元側)なる(ただし泉質による。強酸泉だと最初から電位が高い)。
この場合は塩素濃度は低くても、心配はいらない。
循環湯なら、電位が(酸化側に)高くなり、湯が老化していることを示し、使い回しされた結果といえる。
その場合は塩素濃度がそれなりに高くないと、雑菌繁殖の危険がある。

今までは、自分のデータ収集のためにこれらを計測して、このブログにも任意に公表していたが、今後は、より厳しい態度で計測していく。


大動脈解離を防ごう

2023年02月23日 | 健康

落語家笑福亭笑瓶さんが大動脈解離で急死した。
突然発症して、その場で帰らぬ人となる恐ろしい病気。
同年代である点で、また以下の動脈硬化系の疾患をもっている点で我が身につまされる。

この病気は、先天性でない場合は、動脈硬化系の問題、すなわち、高血圧・糖尿病・高脂血症など動脈を傷つける症状が遠因となる。
なので、まずはこれらの症状の改善が必要。

ところが、これらは無症状なので、検査によってしか判明しない。
ということは、定期的な検査をしない人(自由業、無職)は、それだけで危険度が高まっていると思ってよい。

もっとも高血圧は市販の血圧計で測れるが、そもそも日頃血圧計を使っている人は、すでに高血圧症と判明している人だろう。

私自身、これらと無関係ではない。
まず高血圧症で、ずっと降圧剤(バルタルサン+アゼルニジピン)を服用している。
いまだ降圧剤の”副作用”を喧伝する人がいるが(過去の降圧剤にはいろいろ問題があったようだが)、ちゃんと定期的にクリニックに通ってチェックをしており、副作用は全くない。
高血圧で恐ろしいのは、降圧剤を拒否して、自己流で対処したつもりになって、高血圧状態(拍動ごとに動脈を内側から傷つけている)を放置していること。
心身のリラックスや塩分を多少控えたくらいで簡単に血圧が下がるものではないことは、日頃血圧計を使っている人なら痛感している。
今年で94歳になる母は40代の時から半世紀もの間降圧剤を飲み続けているが、体も頭もしっかりしている。

高脂血症(血液中の中性脂肪過多)は、体重が今より10kg多かった時に発症していたが、ダイエットにより体重を減らしたら、自然に完治した。
以後体重を維持している間は発症していない。
なのでこれは自分で直せる。

また高コレステロール血症(高脂血症と一緒に脂質異常症にまとめられた)があり、私自身、総コレステロールと LDL(悪玉コレステロール)の値が長年高めだった。
こちらは生活習慣の改善では限度があったので、投薬(アトルバチスタン)を始めたら劇的に改善した。

以上によって私は動脈硬化症状態でなくなった。

糖尿病は、今のところ無縁だが、これも生活習慣病なので、食習慣と運動習慣に気をつけて、検査値を注視している。

もう一つ、睡眠時無呼吸症も動脈硬化を悪化させるという。
私は、高校以来これを患っていた。
この状態を防ぐための大袈裟な装置もあるようだが、私自身は、寝る前に口にサージカルテープ(100円ショップで購入)を縦に貼って口が開かないようにした(口呼吸の防止)だけで解消した(今でも毎晩貼っている)。

ついでに、半年に一度の頻度で、歯科に通って歯石除去をしてもらうついでに歯周病のチェックもしてもらっている(歯科で舌ガンの疑いをもたれて、口腔外科で検査したこともある)。
歯のケアは、歯磨きだけでなく、歯間ブロスも必要。

このように生活習慣の改善でなんとかなる場合とならない場合がある。
大切なのは、血液検査などの検査にる客観的情報で、それによって適切な対処を選択する。

そういうことをしない(あるいは自己流でやっている気になっている)人たちは、自覚症状がないため動脈硬化を放置・悪化させることになり、脳梗塞・脳出血・心筋梗塞そして大動脈乖離などのいずれも致命的な状態を迎える恐れがあるので注意してほしい。
致命的でなくても、血流が悪いのは万病の元、改善するに越した事はない。


顔面修理中

2023年02月22日 | 健康

いま、私の顔面一帯に大きな絆創膏が幾枚も張り合わされていて、いかにも”修理中”の様相となっている。

これは、レーザーによるシミ取りの事後措置で、このまま皮膚の修復を待つのだ。
過去2015年に同じ所でレーザーによるシミ取りをした時は、カサブタができるのを待ったのだが(一時期顔中がカサブラだらけになるので夏休み中に治療した)、今ではカサブタを作らない湿潤治療になった。
素顔では修理中の様相が生々しいが、今回は額にはシミがなく、両側の頬ばかりだったので、今の時期に違和感のない”マスク”をすれば、修理現場は人目につかない。
どうせこの絆創膏は数日で外せる。

歳を取った変化として、白髪は許容できるが、シミは”老醜”という表現すらあるので、受容しがたい。
一旦できたシミは塗り薬などはほとんど効果がなく、レーザーで焼いて綺麗な皮膚を再生させるのが一番手っ取り早い。
この治療は保険が効かないので、出費は5桁にかさむが、近所の皮膚科はそれなりにサービスしてくれる。
レーザーが照射されるたびに、皮膚が焼かれる熱い痛みはあるものの、許容範囲内。
たった一度の照射治療で、顔中のシミが(細かいものまで)ごそっと消えてくれるのが嬉しい。

少なくとも現役で仕事しているうちは、こういうケアはしておきたい。


慰労の熱海温泉

2023年02月19日 | 

1月半ばからスタートした年度末の”慰労”温泉シリーズ。
要するに、後期授業終了・成績つけ・入試と次々にやってくる年度末の業務を乗り越えるごとに、慰労の温泉旅をしているわけで、今回は第三弾・熱海温泉だ。

熱海ということで出発地は東京。
すなわち、年度末の業務もほとんど終わって実質的に春休みに入っているのだ。

例年ならこの時期は、勤務先関係の共済の湯河原あたりの宿を利用するのだが、今年は連日満室。
次候補の「休暇村」なども満室でしかも強気な料金設定。

温泉は「アルカリ単純泉」を除外しており、熱海なら「ナトリウム塩化物泉」なので合格(熱海にもアルカリ単純泉の宿があるので注意)
※:成分が薄く自宅の入浴剤入りの風呂と同じレベルなのでありがたい効能はない。各地の”日帰り温泉”はほとんどこれ。なぜなら、成分がなくても水温が25℃以上ならば温泉法上「温泉」と認定されるから。実は「アルカリ単純泉」は有名な温泉地にも多く、客はそれなりにありがたがっている。東京の近場では箱根湯本温泉も該当。

宿が取れたのは、安宿チェーンの伊東園系列のホテル大野屋
ここは”ローマ風呂”で名を馳せた所。
安宿チェーンは一般的にバイキングの質が不満だが、ネットのコメントによると「伊東園の中ではいい方」とのこと。

せっかく熱海なら、バブリーな名残も味わいたいので、この宿の空き部屋の最後に残った「眺望なしのシングルルーム」に予約のボタンを押した(安宿チェーンの中にもコロナ後は強気の料金設定になって”安宿”でなくなっているチェーンがある中、伊東園の宿は安宿チェーンの意地を貫いて万札1枚でお釣りがくる)

安宿チェーンの宿は、昔の団体旅行ブームを当てこんで増築した状態を残しており、規模(容積)はやたらでかい。
このホテルもかつての団体向けから個人旅行に対応すべく、客室階にある掃除用具の倉庫を「眺望なしのシングルルーム」にしたので、一人客もok(割増無し)となっている。
こちらも安宿チェーンに居住性や旅情は期待しておらず、温泉とバイキングが満足できればよい。

まず夕食のバイキングだが、ここは”鯛の寿司”の特集をやるなど、ガッカリ感に落とさずワクワク感を与えている。
鯛以外にも普通の刺身類も多く、また同じ静岡県ということで浜松餃子があったのは餃子好きには嬉しい。
こうして食べ物レベルが合格圏内になると、伊東園のアドバンテージである追加料金なしの「飲み放題」が俄然輝いてくる。
ビール(スーパードライ)・ワイン・酎ハイ・日本酒(地酒)が追加料金なして飲み放題ということで、客層もこれを当てにした中高年男性グループの比率が多い。
もっとも安宿チェーン客に比較的目につく”訳あり家族”もそれなりにいて、私の隣席では、母親同士が姉妹の母子2人の2組だった。

次に風呂については、売りにしているローマ風呂は男女入れ替え制で、男は夕食後〜早朝までなので、1泊で4回入る私にとっては寝る前の1回しか入れない。
それ以外に露天と内風呂があるが、宿の規模の割には小さめで、こちらはハズレ感がする(この宿の温泉は貴重な”高張性で、成分が皮膚から浸透するので入り甲斐はある)。
※:成分の濃度が非常に高く、浸透圧が高いので、成分がどんどん皮膚から浸透する。日本のほとんどの温泉はこの逆の”低張性”で、1日程度の入浴では成分の効果は出ない。

だが、ローマ風呂は、さすがの広さで、円形の湯船の直径が大きすぎて、誰も湯船の中央に達しない。
もちろん、浴室内はローマ帝国の大浴場を模していて、しかも私が入った時は大柄な外国人が数人湯船に浸かっていて、実にテルマエ・ロマエ!という雰囲気を味わえた(これが1回しか味わえないのが残念)。

「眺望なしのシングルルーム」の客室については、寝れればいいので何も言うまい。
トイレが立派な洗浄機付きだったので、文句はない。
ただし フリーWiFiが1-2階(ロビーと食堂)のみで、客室では通じないのは不便だった。

そういえば、旅行割も該当するので、元々安い宿代がさらに2割ほど割引され、また2000円分のクーポンもついたので、いつもより高めの土産を買った。

翌朝、朝のバイキング(朝はどこもほとんど同じ)はやや控え目にし、このまま東京に直帰してもつまらないので、遊覧船に乗ることにした(1300円)。
旅先に船の航路があれば、陸上では得られない景色を味わえるから、できるだけ乗るようにしている。

考えてみれば、熱海からは初島や大島に船便があり、バスでは十国峠で富士を間近に見ることもできる。
そういう意味で観光地拠点としての熱海を見直す。

遊覧船の乗り場は、宿から歩いてすぐで、宿でもらった100円引きのパンフを差し出す。
乗船前に、乗客全員に救命胴衣が配られ、装着すると知床遊覧船事故を思い出して気が引き締まる。

乗船して、出発前に船の下の階に降りると、窓から魚が見れる(写真:船内の図鑑によると小さい群れがスズメ鯛、大きいのがメジナ?)。
こういう経験も陸上では得られない。

船が動き出すと、港にいたカモメが一緒についてくる。
目の前でカモメが等速度で羽ばたいているので、静止状態での飛ぶ姿を見れる。

海上から熱海を見返すと、ホテル群が海岸に連なっていて、確かにハワイのビーチの風景を連想させる(写真)。
その中で昔からある熱海城が孤然と日本的風景を演出している。

乗船場から海岸沿いに歩いて、昔は有名だった”お宮の松”を見て熱海駅に達した。
※:明治時代の作家尾崎紅葉の「金色夜叉」が熱海を一躍観光地にさせた。小説中の寛一が熱海の海岸でお宮を足蹴にするシーンが銅像となっている。小学生から熱海を訪れていた私は、そのいわれを知らず、この銅像を模した土産のこけしを見て、男性が女性を虐待している姿を平然と土産物になっていることを不思議に思った。

いそがないので、小田原で小田急の急行に乗り換えて、30分余計にかかるが500円安くして帰った。
実に安上がりな旅だった。

熱海は、確かに一時期は深刻な危機を迎えたものの、アルカリ単純泉でない療養泉の温泉場としての価値があり(箱根湯本や伊豆長岡とここが違う)、あちこち巡る観光拠点としての価値もあり(1駅分東京に近い湯河原とここが違う)、それでいて東京からのアプローチもよく(伊東とここが違う)、またこれら周囲全ての温泉地と比べて個性的な宿も多くて選択肢も広いことから、温泉旅の候補地としてやはり抜きん出ていることを再認識した(実は小学生の頃から熱海が好きだった)。


久々の鎌倉:東慶寺から扇ヶ谷

2023年02月18日 | 東京周辺

武士の都・鎌倉(神奈川県鎌倉市)は高校時代に好きになって、市内のほとんどの寺社・名所は巡ったが、当時は公開に消極的な寺が多く、拝観できない仏像があった。

”縁切寺”で有名な東慶寺の水月観音も敷居の高い仏像で、拝観するには特定日に事前申し込みが必要だったが、現在は毎月18日に一般公開されるようになり、在京していた本日、満を持して東慶寺に向かった。
久々の鎌倉なので、周辺の寺にも訪れたい。


横須賀線の「北鎌倉」で降り、まずは昔からある駅前の蕎麦屋(立ち食いチェーン店でなく、かといって気取ってもいないリーズナブルな)「やま本」で腹ごしらえ。
北鎌倉駅は円覚寺(鎌倉五山二位)の境内にあるようなロケーションだが、降りた客がそぞろ向かう円覚寺にはあえて目もくれず(入ると時間を要するから)、第一目的の東慶寺に向かう。
※:昔は尼寺で、夫と別れたい女性が逃げ込んでここで修行の身なれば女性からの離婚が認められたので"縁切り寺"として有名。
このあたりは山ノ内といい、狭義の鎌倉(幕府が置かれた平地)を囲む山の外側だ。


東慶寺は、水月観音の公開日なのに、拝観料を取らない。
ただし境内は全面的に撮影禁止。
すなわち”観光寺院”になることを拒否し、あくまで宗教施設としての寺であろうとしている。

まずは仏殿で本尊を拝み、廊下を渡った和室で水月観音を拝む。
小ぶりながら、姿勢を崩してリラックスするその姿は日本の観音像では珍しく、美術的には”県指定”文化財レベルながら、多くの人に慕われている。

和室でゆったりできることもあり、座り込んで心いくまで拝観できた。
あと別の堂で似た雰囲気の聖観音も拝観できる。
寺の奥には有名人がたくさん眠る墓地があり、さすが鎌倉の墓は、有名人でなくても五輪塔だったり、石仏も質が高い。


次に、鎌倉五山第四位の浄智寺を訪れる(拝観料200円。案内パンフをくれる)。
ここは山門が個性的で、あと仏殿裏の竹林(写真)とやぐらの風情もいい。

浄智寺の奥の道を進んで山に入り、稜線を乗越して、踏み跡程度の滑りそうな道を慎重に下ると、鎌倉の内側の扇ヶ谷(おうぎがやつ)に降り立つ。
室町時代に関東管領職を務めた上杉氏の一門で、江戸城を造った太田道灌の主人・扇谷上杉氏の居館があった地域(その碑もある)。

鎌倉は、普通の民家ですら、立派な玄関と茶室のような趣きある和風建築が多く、寺がなくても格式ある雰囲気を維持している。
なので、寺と寺との間も飽きずに散策を楽しめる。


政子と頼朝の愛娘で若くして亡くなった大姫のために建てられたという岩船地蔵堂を参拝し、さらに進んだ住宅地の中にある浄光明寺(拝観料など同上)では、受付の人の詳しい解説付きで、土紋のついた重要文化財の阿弥陀如来を拝む。
※:土に漆を混ぜて模様の型にはめて仏像の衣や膝などに貼り付ける、鎌倉地方独特の装飾法
ここの阿弥陀如来は、中品(ちゅうぼん)という胸の前で印を結ぶ珍しい形態で、鎌倉で好きな仏像の1つ。
そのほか本堂の三世仏(弥勒、釈迦、阿弥陀)を拝み、また観音堂の千手観音、不動堂の不動明王もガラス越しに拝めた。


横須賀線の踏切を越えた側にある現在唯一の尼寺英勝寺は、以前は入れなかったが、今回は拝観(同上)できた。
※:英勝寺も東慶寺同様格式高い尼寺だった。

山門と仏殿が重要文化財で、仏殿の本尊(阿弥陀)はガラス窓を開けて拝む。
ここも裏に竹林が整備されていて、石塔が配置されていたり、また木で削ったベンチもあり一服するのによい(写真:座って水筒に詰めてきた茶を飲んだ)。

こんな感じで、鎌倉の寺もずいぶん開放的になってくれて嬉しい。
だが次の鎌倉五山第三位すなわち建長寺・円覚寺に次ぐ寺格の寿福寺は、相変わらず門から先に入れなかった。
ただ裏山の墓地にある北条政子と実朝の墓には行くことができた。


実は上記のいずれも高校時代に訪れた寺なのだが、この扇ヶ谷界隈に新たな観光スポットが誕生した。
鎌倉歴史文化交流館である(写真)。
ここはいわゆる郷土博物館だが、鎌倉市のそれなので建物も立派(写真:入館料400円)。
そう、今回は”郷土博物館巡り”も兼ねていたのだ。
「鎌倉殿の13人」にちなんで北条氏の特別展をやっていた。

ここから坂を下って鎌倉駅に達する。
やって来た電車は、湘南新宿ラインの古河行き。
なんと鎌倉から古河へ直通なんて、室町時代の関東公方の移転を彷彿させる。
それに乗って途中の江戸で降りた。

東鎌倉を巡る


日本の内陸でも巨大地震が起きる

2023年02月15日 | 防災・安全

トルコ・シリア地震はM7.8と7.5が続いて起き、いずれも同じ内陸活断層型の兵庫県南部地震(1995年)・熊本地震(2016年)のM7.3を上回る強さだ。
これほど強い地震が日本の内陸で発生するかというと、発生する(した)。

1891年10月28日に発生した濃尾地震 M8.0と国内の内陸地震で最大の強さだった。
濃尾地震の名が示す通り、被害は濃尾平野を擁する美濃(岐阜県)と尾張(愛知県)にまたがり死者7223名。
当時の新聞は「身の終わり」と記した。

震源に近い岐阜県西濃にある根尾谷に断層の跡が当時の畦道の段差として残って(保存されて)いる。

活断層による直下型地震が懸念されているのは、東京湾北部を震源とする首都直下型地震が有名だが、それを受けて東京都は防災対策を進めた結果、想定死者が11000人から6100人にまで減少している(もっとも都内に実家のある私は都内の震源予想地付近には近寄らないことにしている)。
※:首都直下型地震だけやたら煽る人は勉強不足か東京しか関心のない人。東京以外の人たちがこの情報に感化されて自分たちの所は大丈夫と思うことが恐ろしい。

実はそれよりはるかに被害が大きい直下型地震が(内閣府の中央防災会議によって)想定(発表)されているのだが、何故かマスコミをはじめほとんど話題にならない(”南海トラフ”は定義外)。
大阪の中心部を南北に縦断する上町断層地震で、切迫度は首都直下より低いものの、想定死者42000人と、東日本大地震を上回り、今回トルコ・シリア地震並みの数(2月15日時点)となっている(大阪府はどうしているのだろう)。

ちなみにトルコ・シリア地震の震源地は、内陸ながらユーラシアプレートとアラビアプレートとアフリカプレートという3枚のプレートの境界点に近い。
3枚のプレート境界点は世界でも数箇所しかない。
その数少ない3境界点が日本にもある。
太平洋プレートとフィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界点が相模湾にある。
関東大地震の震源地だった。
こちらはプレート境界なので、活動周期が明確で、あと100年ほど猶予がある(以前はこの地震と震源地もメカニズムも異なる直下型地震が混同されていたため、関東大地震が切迫していると思われていた。ちなみにいまだに混同している M永氏などの”識者”もいるので注意)。

活動周期からみて猶予がないのは、東海地震(フォリピン海プレートとユーラシアプレートの境界)で、すでに起こってエネルギーが解放されていなくてはならない。
それが起きないまま、同じプレート境界に並ぶ東南海と南海地震の周期が近づいてしまったので、最悪の3連動地震が懸念されているわけだ(しかも過去、東海地震は単独では発生していない)。
実は上町断層地震は、その断層自体の活動周期はもっと長いものの、南海トラフの地殻変動による影響を受けそうで、南海トラフ地震の”前後”に発生が懸念されている
大阪は南海トラフ地震の被害は大阪湾の津波程度(避難する時間的余裕は充分)だが、こちらの直下型地震が怖いのだが。
※:同じ理由で発生が懸念されている地震に濃尾平野の猿投-高浜断層地震があるのだが、こちらも全然話題にならない。

関連記事☞危険な活断層ワースト5
     危険な活断層:6-16位


トルコ・シリアの地震被害に思う

2023年02月12日 | 防災・安全

東日本大震災の死者を上回る死者を出しているトルコ・シリアの地震は、「阪神淡路」や「熊本」ほどの都市直下型ではないが、内陸の活断層によるものなので、震度(揺れの強さ)が高かったはず。
しかも「熊本」と同じく、本震が2度あった。

このように、ただでさえ被害をもたらす地震だったが、被害をさらに大きくしたのは、人為的要因で、建物の耐震性の問題。
少なくともトルコは地震国の自覚があるので、耐震基準は厳しかったが、如何せん、運用が甘かった。
日本で言えば、耐震基準を満たさない”姉歯物件”が野放し状態(お金を払えばokらしい)で、昨年建てた新築のビルさえもあっという間に崩壊した。
これは日本ではあり得ない。

ビルでなくてもあちらは石造りの家なので、家が崩壊すれば、中の住民は瓦礫に押し潰される。
江戸時代の日本で藩によっては瓦屋根が禁止されたのも、明治に入ってきた西洋のレンガ建築がその後廃れたのもこの理由(紙と木でできて屋根が茅葺の日本家屋は、地震で崩壊しても人が潰されなかった)

ただ、瓦礫の崩れ具合によっては、空間が形成されるため、うまくその空間に収まれば生き延びられる可能性がある(雪崩に襲われた場合も、こういう可能性がある)。
また木造建築と違って、火災が延焼しないのも救い(「阪神淡路」では、倒壊した建物に身動きが取れない状態で火災に見舞われて死者が増えた)。
現在の救助活動にはそれを期待するしかない。

日本の地震防災でも、自宅の耐震性の確認がその第一歩。


(浮遊)霊の宗教的根拠

2023年02月10日 | パワー・スピリチュアル

”霊”という概念は、肉体的生命に対立する存在、という基本はあるものの、例えば現代スピリチュアリティ(霊性)論と日本の通俗的霊概念とではかなり隔たりがある。
このため、霊を学術的に扱う場合、概念定義を明確にする必要がある。
私は本来は霊性(スピリチュアリティ)の問題として接近したいのだが、当面対象とするのは「霊が視える」という現象なので、こちらの通俗的霊概念についてまずは整理しておく。

「霊が見える」という場合の見える対象の霊は、死霊でも生き霊でも、いずれも元の生体から遊離した”浮遊霊”を意味する(本体から浮遊している意味のため、地縛霊も含まれる)。
見えた対象としての”幽霊”は、死霊の浮遊霊に他ならない。

そもそも人は死ぬと上の意味での霊(浮遊霊)になるという考えはどこから来ているのか。
実は、既存のメジャーな宗教は上の意味での”霊”を否定している。
メジャーな宗教は、現世以外の別世界(他界)を想定していて、人は死ぬとこの世から離れてその他界に行くものとみなしている。
宗教としては素朴な神道でさえ、死者は”黄泉(よみ)の国”に行くし、民俗信仰レベルでは”山”が他界だった。→山は異界である
キリスト教では、審判の後、天国か地獄のどちらかに行き先が決まる。
仏教(本来は自我さえ否定するので死後の霊などありえないのだが)では、宗教(=物語)化された教理としては、人は六道という(人間界を含む)6種類の世界※への輪廻転生をしていて、仏道修行によってその輪廻の苦しみから抜け出られる(成仏)という。
※:天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄
これが通俗化されると、キリスト教と類似して、閻魔大王(道教の十王と習合)の裁きによって大抵は(誰でも何がしか悪いことをしたことがあるから)地獄行きとなるのだが、一部、阿弥陀如来の誓願によって、悪人ですら極楽往生が約束されているとみなす宗派(浄土真宗)もある。
※:極楽は天国ではなく、快適な環境で仏道修行ができる天界の1つ

要するに、宗教では本来は、人は死ぬと”他界”に行くと理論づけられているので、浮遊霊を認める余地がない。

もっとも、身の回りの現実の宗教・宗派では、この後示す霊を認める思想と習合するのだが、浄土真宗だけは今でもキッパリと浮遊霊の存在を認めない(なので浄土真宗の葬儀では「御霊前」は使わない)。

では、浮遊霊を思想的に認める宗教を紹介する。
儒教だ。
ここでいう儒教は、孔子を開祖として人倫思想的に発展したいわゆる儒学ではなく、孔子の生家が営んでいた当時の葬儀にまつわる民間信仰的な宗教(=儒)をさす(孔子自身はこの話題を意識的に避けて語ろうとしなかった)
この宗教は、日本の神道を含む東北アジアに共通する宗教メンタリティを持っているため、南アジア由来の仏教よりも、日本人に素直に受容された(仏教は儒教化されて受容された)。
ただし、仏教などに比べると、あの世に対する想像力が貧弱で、その後の儒学と同様、子孫の儀式という現世ばかりに目がいっているため(生き方の指針のための儒学ならそれでいいとしても)、死後の問題については浅さを禁じ得ない。
だが、その浅さゆえに、深遠な宗教思想よりは、庶民には理解しやすかったのも事実。
ではその霊思想を示そう。

生きている人間は、(こん)(はく)とから成り、魂・魄が一体となっているのが生きている状態である。
そして死とは、魂・魄が分離することであり、魄は遺体として残り(朽ち果て)、魂は魄(肉体)から離れて浮遊する。
浮遊して天に行きたいのだが(天の内実についての言及がない)、天に届かず、浮遊したままの魂もある。
その魂に対応する魄の名残があれば、再び合体して再生できるので、遺族は魄としての依代(位牌)を保管しておく(位牌・祖先崇拝は仏教ではなく儒教の風習)。
そして依代がなく、浮遊したまま行き場を失った魂を”(き)”という。

この鬼こそが、(浮遊)霊に相当する。
ただし鬼は日本ではご存知の通り、特定の形態をもった下等霊(妖怪)に限定され、形態のない状態は霊(御霊:ごりょう)と表現する。

御霊は、菅原道真のそれが有名なように、生前の怨念などがエネルギーとなって、落雷や疫病など人間業(わざ)を超えたパワーを発揮するとされる。
パワーを備えた形態のない存在は日本でいえば”神”に相当する。
なので神道では御霊を神として持ち上げ、その怒りを鎮める儀式が必要となった。
※菅原道真は天神様として祀られ、今では学問神(善神)となっている。平将門も怨霊ではなく神となって神田明神に祀られている。

また仏教においても霊を位置づけせざるを得なくなり、たとえば死から審判(結審)までの49日間は、霊(死後の仏になる前の状態)の行き先が決まらずに浮遊するとか、あるいは横死など葬儀・供養されなかった場合は、あの世に行けずに霊として浮遊するという考えも広まった。
そして仏教の法力によって、これらの霊を”成仏”させる(正しくは霊が本来行くべきの六道のいずれかに導く)という論理が成立する。
※:この安直な解決法が、死者=ホトケという仏教の論理に反する図式を蔓延させてしまう。

かように、浮遊霊の概念は儒教の”鬼”概念に由来するといえる。

ただ逆に言えば、なぜ”死者は(必ず)あの世に行く”という真っ当な宗教思想がほころんでしまったのか。
これは西洋においても同様で、キリスト教でも本来は幽霊(ゴースト)は存在しえないのだが、幽霊という概念がキリスト教徒の間にも存在している。
日本と違って、儒教の影響とは言えない。

高度に理論化された宗教の合間を縫って、その論理に反してでも湧き出てしまう幽霊。
その強固な基盤は、頭で考えられただけの”他界”とは違って、一部の人には確実に、否定しがたく”霊”が見えたからではないか。
というのも、霊視者はもともと浮遊霊の存在を信じていたわけではなく、外界に見えるから信じざるを得なくなったからである(逆に浮遊霊の存在を信じれば誰でも霊が視える、とはならない)。
ただ、浮遊霊の概念を理論化し、広めたのは、少数の霊視者ではなく、霊は見えないけど信じた人たち(流言の拡散と同じ社会心理メカニズム。人は物語を好む)。

ということもあって、私にとっても霊を頭で考える観念としてよりも、リアルな知覚対象としてまずはとらえてみようと思うわけである。

参考文献:加地伸行『沈黙の宗教−儒教』筑摩書房


降雪時の露点温度の挙動

2023年02月10日 | お天気

東京が降雪中、それが露点温度でどう表現されているか、私設”本駒気象台”(東京都文京区)のデータを紹介する。

2日前からの経時データの方がわかりやすいし、露点温度は気温と湿度の両義的な指標のため、気温との比較が必要なので、それらを示す(上図が露点温度、下図が気温)。

まず露点温度のグラフから、2月8日から9日に移る時点で、一挙に10℃低下して寒気がどっと入ってきたことがわかる。

露点温度だけだと乾燥空気の流入とも解釈できるが、8日の最低気温と9日の最低気温の違いで寒気流入と判断できる。

だが、9日の気温(下図)を見ると、晴天だったため、日中は太陽光の力で気温が上昇した。
なので気温だけ見ると、寒気が弱まったと判断してしまうが、その間も露点温度は低下しているので、寒気の流入は気温上昇中も続いていたことがわかる。

そして9日から10日に移り、午前8時の点線に近づくと、気温が急激に下がる一方、露点温度が急上昇した。
この気温と露点温度の逆の動き、言い換えれば両者の値の接近が、今回の降雪を意味する。

一般論として、気温と露点温度が接近する(両者の値が近くなる)ことは、相対湿度の上昇、すなわち降水の可能性を意味する。

ただし、露点温度が上昇しても氷点下のままで、気温が0℃に近づくと、その降水は雨ではなく、雪を意味する。
本日10日の午前8時に至る気温の低下(9日の最低気温よりさらに低い)は、入ってきた寒気の滞留を意味し、露点温度の反転的上昇(ただし氷点下を保つ)は、降水を可能にする湿気の流入を示している。
細かいことだが、10日に日が換わってからしばらく気温が下がらなかったのは、夜間の放射冷却が起きなかったことを意味し、上空が雲に覆われていることを示している。またこの時点で寒気の流入は底をうって、露点温度はむしろ反転して、湿気の上昇を示唆している。
この二つの逆方向の動きのバランスと気温の絶対的値(0℃より上か下か)によって、東京の降水が雪になった。
露点温度は”可能な最低気温”も意味することから、このまま露点温度が上昇し続け、0℃を超えると、雪は雨に換わる。


渋谷の博物館巡り

2023年02月09日 | 東京周辺

ローカルな郷土博物館(ミュージアムとして美術館等も含む)巡りは、気楽に行けて大した費用もかからず、それでいて日頃にない情報に接して、充実した時間を過ごせるので、毎回楽しみしている。

東京では山手線内から巡っていこうとしたが中心部の千代田区には無いので、池袋・新宿そして港区を巡った。→記事
同じ山手線の渋谷を残しておいたのは、ここには博物館が集中していてここだけで1日を要し、しかもそのうちのいくつかが週末閉館で月曜以外の平日しか行けないため、通常の帰京スケジュールでは回れなかったから。
2月はウイークデーに東京にいられるので、降雪予想の前日の今日、渋谷の博物館巡りを挙行した。

まずは駅そば(蕎麦)で腹ごしらえをしたいのだが、渋谷駅といえば「渋そば」だったのに、駅の改装に伴って無くなってしまった。
仕方なしに地元駅の駅そばを食べて、改装工事が終わっていない渋谷で降り、渋谷区が運行するハチ公バスに乗る。


「郷土博物館・文学館」で降りて、目の前の渋谷区立の白根記念郷土博物館に入る。

高齢者割で入館し、2階に上がると、まずはナウマン象の化石(レプリカ)。
渋谷区は人類より先にナウマン象が住んでいたのだ。
旧石器〜弥生・古墳までの出土品はある程度あるものの(区内に古墳が3つ)、いわゆる古代は都内区部の例に漏れず展示する情報に乏しい(話題になる地域ではなかったので文献史料がない)。
渋谷の地名が出くるのは、戦国の小田原北条氏の支配から。
江戸時代になると、江戸の郊外としての存在感が出てきて、また大山街道(今の国道246)の起点としての役割も出てくる。
明治になって山手線が開通し、さらに玉電・井の頭線、そして地下鉄銀座線が開通することで、新しいターミナルとして発展し始める(関東大震災によって、一番の繁華街・浅草が衰退し、下町から会社が移転してきた)。
※:最初の地下鉄銀座線は、浅草-日本橋-銀座-表参道-渋谷と、山手線では行けない東京の繁華街を結ぶ。

地下の文学館に行くと、渋谷に縁のある文学者がずらりと紹介してある。
その中で、渋谷で生まれずっと渋谷で活動した生粋の渋谷っ子は、平岩弓枝(放送作家として有名だが直木賞受賞者)と奥野健男(文学評論家)の二人。
あと唱歌「春の小川」は高野辰之が渋谷区内の川(河骨川)を散策して作詞したという。

1時間ほどでここを出て左に進む。


あたりは國學院大学のキャンパス区域となり、その一角にある國學院大学博物館に入る(無料)。
企画展示は源氏物語の物語絵で、常設展は神道と考古学(縄文土器のコレクションがすごい)。
ミュージアムショップもある。
この大学は、大学としては中堅所の印象だが、神道に関してはトップ(教育の中心)で、その意味では貴重な存在意義がある。
そんな個性ある大学が運営する博物館だから、同業者として羨ましい限り。
キャンパスの向かい側の敷地には「神殿」とされる神社があり(写真)、参拝する。


氷川神社に沿って進むと、特徴のある古い建物があり、入り口に閉眼した塙保己一の像がある(右下写真)。
温故学会が運営する塙保己一史料館だ。
建物の中に入り募金箱に100円入れると、右の倉庫から人が出てきて、こちらに来いという。
そちらに行くと、そこは塙保己一が生前に編纂した『群書類従』の版木がずらりと(17244枚)保管してあり、それらを目の当たりにできる。
江戸時代中期に盲人ながらそれまでの国書を集大成した『群書類従』の編纂は我が国最高峰の業績で、私も武家礼法の研究でお世話になった(もちろん活字版で)。
これらのオリジナルの版木は国の重要文化財で、建物も文化財となっている。
この貴重な史料館を運営する温故学会は、同じ埼玉出身の渋沢栄一が創立したもので、ここにはヘレン・ケラーも来館した。
パンフによると、ケラーは母から「塙先生をお手本にしなさい」と言われて育ったという。
※:塙(はなわ)姓って埼玉に多い気がする。


ここから都立広尾高校の外郭に沿って進むと、山種美術館に達する。
今は特別展「日本の風景を描く」をやっていて、江戸時代の歌川広重の東海道五十三次の風景版画から、大雅・文晁、大観・玉堂、魁夷そして現代の田渕俊夫までの風景画62点を堪能(入館料1300円)。
ミュージアムショップで、川合玉堂の「早乙女」と石田武の奥入瀬渓谷の絵ハガキを買った。

ここから都バスに乗って恵比寿駅に向かった。
以上の4軒の訪問先は近距離に並んでいていっぺんにまわれた(しめて4時間)。
このうち郷土博物館と美術館は月曜が休みで史料館が土日休みなので、火〜金の間にまわるしかないのだ。


地震雲ではないが

2023年02月07日 | お天気

1月19日にトルコ西部で観察された不気味な雲(写真)は、上空の大気現象と光学現象であり「地震雲」などではない。
※:地震雲という存在がそもそも科学的に認められていない。

そんな中、2月6にトルコ南東部で巨大地震が発生した。
もちろん場所も時間も離れているのでこの雲とは関係がない。

人間の通俗レベルの(洗練されていない)思考※は、相互に無関係なものを関係づけたがるので注意が必要。
それにしても不気味な雲だった。

※:話の辻褄が一部でも合うとで信じてしまう(振り込め詐欺やカルト宗教の被害にあう)素朴な思考と、データ・観測に基づく科学(批判)的思考の違いが人生を分ける。


慰労の浜名湖

2023年02月06日 | 

勤務先の仕事が”年度末モード”に入り、2月の第一週で今年度の成績の締めと来年度準備(入試)のヤマを越えた。
ヤマを越えただけで終わってはいないが、まずは土日出勤の慰労として、平日ながら、浜名湖のグリーンプラザに投宿。

ここは、浜名湖畔にありながら、東名高速のインターからも天浜線の駅からも近いので、車・鉄道のどちらでも行ける(今回は鉄路)。
それと客室が全て和洋室と広めで、窓からは目の前に浜名湖が180°広がる。

コロナ騒ぎを通して多くの宿が値上げしている中、料金据置きなのがありがたい(私は会員価格)。

ここのビュッフェバイキングは、安宿チェーンのそれと違って、質的にワクワク感がある。
昔は、ズワイガニ食べ放題、一時期はなんとタラバ食べ放題という太っ腹だった。
その頃を知る身からすれば、今のメニューは見るかげもないが、個人的には浜松餃子で満足できる。
そして運び湯ながら温泉も導入して、唯一の弱点を解消した。

要するに交通も便利でコスパがいいのだ(旧”安宿チェーン”が値上がりして価格の優位性がなくなり、ほぼ同じ料金で客室と料理が上のこちらが有利となった)。
しかも今は全国旅行割!

しばし仕事を忘れて、夕・朝のバイキングと入浴三昧(4回)を堪能する。


立春は1年で最も重要な日だった

2023年02月03日 | 歳時

節分の翌日が立春。
いや正しくは、立春の前日が節分で、日にちの決定権は立春の方にある。
立春は、冬至と春分の間の中日だから、地球の公転によって若干の誤差が発生するため。

お天気番組では明日の立春を「こよみの上で春」と言いうも、北海道の流氷が着岸したばかりで、本格的な寒気はむしろこれからの雰囲気。

その「こよみ」では、冬至・春分・夏至・秋分を四季の頂点とし、それらの中日を立春・立夏・立秋・立冬として機械的に季節を分割している。
なので「こよみ」上の季節(四季)は太陽光の周期によるものであって、それと位相がずれる気温の周期ではない。
この位相のずれが地球の公転上の「こよみ」と人間の季節感のずれに相当する。

さて、立春が、春の初日というわけだが、実は我々は立春よりも一ヶ月も前に「春」を謳っている。
1月の正月を「新春」と称して祝っているではないか。
なぜか。

1月1日は、冬至から10日ほど後の、どう考えても(気温ではなく太陽光の基準でも)厳冬期で、春の兆しなんてない。
なぜ厳冬期の正月を初/新”春”というのか。

それは、大昔は、立春が正月元日だったから。
つまり、立春こそ1年の始まりの最も大切な日だったのだ。
立春なら、寒さこそ厳しいが日も伸びて春の兆しくらいは感じられる(梅もそろそろ)。

立春が正月元日だったから、その前日の「節分」、すなわち”季かれ目”は本来なら年に4回あるのだが、大晦日の節分(冬→春)が年も切り替わるので最も重要だった。
なので大晦日の節分の行事(だけ)が、今でも立春の前日に残っているわけ。
その行事は、”追儺(ついな)”あるいは鬼やらい”といって、冬(陰)の邪気としての鬼に春(陽)のエネルギーの豆を投げて追い払う行事。
というわけで、節分の豆まきは、陰陽論に即した日本の伝統文化なので、少々馬鹿馬鹿しい気がするものの、一応私も実行する。
※:スーパーに行くと、大豆だけでなく落花生も同じコーナーに売っている。一部地域では落花生を撒くらしい。

ただし伝統文化でもなんでもない”恵方巻”はハナから無視する。
もっとも、豆まきしかない節分を、食で楽しく盛り上げる方向性には賛成(その方向性で七夕を素麺で盛り上げてほしい)
大晦日としての節分にふさわしい食は、”年越しそば”に相当する”節分そば”かな。
節分そばは、シンプルな”もり”ではなく、温かい”かけ”に春の具材をふんだんに載せたい。


室内の二酸化炭素濃度を測る

2023年02月01日 | 計測

 CO2削減は、地球だけでなく、狭い居住環境においても、頭脳労働の作業効率上必要なようだ。

適正な値は外気と等しい400ppm程度だが、締め切った室内に人がいて酸素を吸って CO2を出し続けているとどんどん濃くなる。

そうなると作業効率が濃度に反比例して落ち、眠気や頭痛が発生し、2000ppmを超えると健康被害が発生し、10000ppmくらいに達すると死亡するという。

ということで、”計測マン”の新たな装備としてハンディな二酸化炭素濃度計(アラーム付き)を購入した。

新築時に24時間換気システムを導入している東京宅の自室でも500ppmを超える(一応正常範囲内)。

そのような装置のない勤務先の研究室(鉄筋の個室)では、換気扇を常時回していても、机上で1000ppmを超えた(要換気アラームが作動)。

さらに木造の名古屋宅では、1200ppmを超えた。
暖房はエアコンでこの値だから、燃焼系の暖房を使っていたらもっと高くなっていたろう。

値を下げるには換気しかない。
冬なので窓を最小限に開けると、600ppmまで下がった(すなわち半減)。

換気は、電気を使う換気扇よりも、窓を開けて外気を入れた方が効率的なことがわかる。
ただ、これ以上窓を開けると暖房効果がなくなる。
600ppmはギリギリ正常範囲なのでこれで妥協しよう。

追記:翌日、同様な対応をしてみて、部屋の暖房に影響を与えない程度に窓をほんの小さく開けるだけで、室内の二酸化炭素濃度は平常値に下がることがわかった。これで問題解決!